こんばんは 修行仲間の皆さん 私にとって皆さんの 素晴らしい国と シドニーの素晴らしい 街にいるのは 大いなる喜びです 皆さんは当然のように ご自分の国が どれほど美しいか 理解しています ですが私は 初めて来たので きっと皆さんよりも ありがたく思います 本当に美しく 清潔で 友好的です オーストラリアの 人々は少なくとも 地上に外的な楽園が あるのでとても 幸運だと思います さらに私達は 内面の楽園も 得るべきで そうして 私達は完璧になります 私達は 完全な状態になり 他のどんな天国に いたいとも思いません
皆さんが貴重な時間を 割いてここに来てくれ 幸せで また嬉しく思います それで私達は互いに 知り合えるのです 私はそんなふうに 来るような願望とか 来たいという 願望は全くありません たとえ私が豪州を 好きだとしても 招待されただけです オーストラリアの 修行仲間から 繰り返し求められ ここに来る名誉に 預かっただけです それでも 気持ちの上では いつも 皆さんと私は 何の違いもないという 強い確信があります 私達には どんな違いも ありません そして 私は皆さんに 神が私達に与えた愛と すべてを交換する以外 教えることは まったくありません
でも何人かの オーストラリアの 修行仲間は 非常に愛深く 私に来訪するように という要望に 非常に熱心だったので たぶん私は弟子の いわゆる弟子の愛と 神の意志により 連れて来られたのです 私は皆さんの国を 知ることになり 少なくとも 私のささやかな存在を 通して互いに 繋がるかもしれません きっとそれが 私がここにいる 唯一の目的でしょう それにしても 私が招待された所の どこへ行っても たぶん謙虚な態度の 人々か たぶん 自身の起源をつまり 自身の神の王国を 自身の智慧を 忘れた人々が 常にいるのです
そのために 自身の内面の仏陀や 神やキリストを 探す方法についての 質問が 常にあるのです ですから 私が来る目的は その人達の故郷で 私が集めた 私達自身に内在する 自身の智慧に あるいは無上の力に 戻る方法に ついての知識を 分かち合うためで あるようです 私は何度も スプリームマスターと いう称号の理由を 尋ねられました 私は自分自身を スプリームマスターと 呼ぶほど尊大ですか 私は言いました「いえ それは父の名前です」 ちょうど皆さんが スミスさんなら あなたのお嬢さんも スミスさんのはずで 私達の 皆さんの 父親と同じ名前です ですから皆さんも 自身を「スプリーム」と 呼べるのです
私は実際それに関する すべてを忘れました でも人々がただ私に 気付かせるのです 現在 この世には 沢山の苦しみと 幸せもあることを 知っていますし ほとんどの人々は なぜ苦しみがあるのか いかに幸せを探すのか 知りたがっています 私への質問は それほどの多くの 苦しみを除くことでも より多くの幸せを 得ることでもなく 無上の力を 得ることです ただお芝居のように 私達が幸せと苦しみを 見ることを通してです そうして私達は ただ映画を観るように 人生の出来事を見ます 私達は映画の 登場人物を通して 少し感情を 持つかもしれません でもその感情に 圧倒されたり その感情に溺れたりは しません
ですから いわゆる 開悟した人と 開悟していない人との 違いは その強さであり この世界や 超世界の 異なる現象に対する 見解の違いです 私達が 「超世界」と言うのは 実は正しくありません 超世界というものは ないからです どの世界も 私達の内面にあります また「内面」と言うのも 正しくありません というのは「外面」も 「内面」もないからです でも人間の言葉では どうにかして 私達は内面の感情とか 内面の直感的理解を 表現しなければ ならないからです 実際 開悟した後は不思議な 感覚があります
なぜなら皆さんは 誰もがあるがままで 大丈夫であると感じ 誰もが 自身の内に 無上の力があるとか 自身の内に 仏性があることが 分かるからです 皆が知るといいのに ですからそのため 人々は内外からの 苦しみによって 自身を確認します でも そのせいで 世界中の多くの人々が 悟りを探したいと願い それで知ることが できるのです 開悟した後も 皆さんは以前と 全く同じです でも一つだけ 違いがあります それは 皆さんが来るもの すべてを受け入れ 与えられたものは全て 神聖で 他の誰もが 神聖だということです
たとえ おそらく 教えや導きの 過程であったとしても 開悟した人は それは神の王国の後で 真理の探求者にとって たぶん役立つ ある方向を 示すかもしれません ですから 私達はおそらく 菜食とか 聖書の十戒や 仏教の五戒などに ついて聞いたことが あるのです それらは 真実の探求者にとって 役に立つ要素であり そうして探求者が より早く結果を得たり いわゆる解脱を 最も安全に獲得する 方法かもしれません 私達はすでに解脱して いると知っていれば おそらくそれらは あまり必要ではない ですが 殆んどの人は 自分達が解脱している とは知らないので そのため私達には 瞑想修行や菜食 道徳的戒律といった 幾つかの道具が 必要なのです
時に人々は交渉し続け こう言います 「印心したいけど 戒律も守らず 菜食もしてません それでもいいですか」 私はこう返事しました 「あなたが 他の人と サッカーをしたいのに テニスボールや テニス用具を 持って行っても 構わないのです
それでは全く サッカーはできないし それで試合は台無しで あなた自身も サッカーの試合を 楽しんでないだけで なく めちゃくちゃな 状況にいるだけです」 私達がまだ 無明な頭脳の状態に ある限り 開悟として このようなことが あるのです それはつまり 私達は自分が開悟して いると知らないので 私達には開悟が 必要なのです 何のための開悟ですか 私達がまだ 自身に内在する 平和と幸せを 探していて この幸せを他の人に 与えたいなら 開悟が必要です 私達はこの世が そうあるのが 完璧だと思い 次はどこにいるのか 同じように生まれ 変わるかどうかなど 気にせず 続けるべきですか もちろん 必要ありません 私達がこの世の幸福を この地球の平和を まだ気にするなら もちろん 開悟が必要です 私のいわゆる 開悟の前は 私はいわゆる 非常に良い生活をし 調和していました 一〇〇%ではなくても
他の調和した生活と くらべたらです それに私がまだ持って いないもので 必要としたり求める ものはなかったのです でもどういうわけか この世には 豊かさや名声 健康や幸せな結婚 友人など 沢山のものがあっても 私達の心の虚しさを 埋めるためのものの ようには思えません それは私達が 自身の無上の智慧の 認識に 欠けているからです 自身の超越した智慧を 発見した後も 恐らく私達はまだ 引き続き 家庭生活に貢献し 結婚を楽しみ 子供達を育て 社会的な責務を 全うします
しかし展望は以前とは 完全に異なるように なります 私達は満足します その満足感とは 私が先に言及した ようなものとは 同じではありません 美味しい食事を 食べた後とか またはたぶん 良い友人に会ったり 楽しいパーティー等に 感じるような事とは なぜならこの満足感は 永遠のものだからです どこのパーティーへ 行こうが行くまいが 結婚していようが 未婚であろうが 良い地位について いようが 地位がなかろうが 裕福であろうが 裕福でなかろうが 健康であろうが 不健康であろうが 病気になっていても 心の安定 この幸福感は 自分自身にあり 私達が開悟に到達した 時だけに訪れます 全ての苦しみの理由は 外側の状況を通じて 来ているのではなく 本当に私達自身の 姿勢によります
ちょうど 例えば 多くのインドの僧が または他の国々の僧が 簡素な生活を 送っていますが 彼らは恐らく 洞窟 テントに住み またはどこか 眠れる所で眠りますが 彼らは非常に幸せで 満足していて 何も求めたり しません
しかし 凡夫は このような状況を 過ごすように 強いられるなら 非常に不幸に 感じることでしょう そして彼は永遠に 更に裕福になるように 更に有名になるように 心の欲望は何でも得る 努力をします 同様にまた 修行でもそうです 私達が最高の方法を 見つけていないなら 最速で一番高い開悟の 目的に到達する道を 見つけていないなら 私達は永遠に霊的な 体験をずっと 求めることでしょう それは他の多くの 方法が私達に開悟を 提供しないという 訳ではなく ただ恐らく 時間がかかり 苛立たせるのです
長く待ちすぎて何も 起こらないとかほんの 少ししか起こらず 私達の神への切望を 全く満足させません それを神と呼ぶなら 神とは何でしょう 多くの人々が聞きます 「それは人か 人格の ないパワーですか」 私は常に両方ですと 答えます 人として現れ あなたの切望が 満たされるなら それでいいでしょう そうでないなら あなたは直感的に 神が何であるか 知覚するでしょう 神は私達の 願いを 約束を かなえてくれる者だと 私達は想像しています 真実です たとえ神が 何なのか表すとても 物質的な方法でも そこに座る人のように 神を見つけられません
私達に毎回キャンディ ケーキを与え 私達が望む時に 自動的に人生が 満たされるように しかし私達は キャンディなしでも 満足します これは神への逆説的な 方法です 神とは自身の 成就した真我であり 自身の本当の真我です 私達が本性に到達する なら私達は決して何か 欠如すると全く感じる ことはありません これら全てのいわゆる シディ(パワー)即ち あらゆる種の神通力は 私達の所に自動的に やってきます ほとんどのマスターは 超能力を 推奨したりしません 私達が自身を 霊的な実利主義に 執着させるのを 恐れるためです それゆえ 私達は更に高い認識の 境界に入るための 十分な関心と強さを 持てなくなります
インドの王様について 物語があります 彼はとても良い王で 彼の臣民に対し 愛のある人でした さて ある日 彼は彼のすべての 財産 宝物を 大勢の国民に分配する 手配をしました 誰でも必要な人は来て 彼らが 満足するものを その展示場で見つけ 何の条件もなしに 与えられました なぜなら王には 子供がいなく 家族の 絆もなく それで 国民を自分の家族の ように愛していました
皆が来て 何でも好きな物を 取って行きました でも一人の少女が やって来て真直ぐ やって来ました たぶん この王の 所有物を展示した 部屋か場所の 裏まで来たのです そして彼女は王の肩に 手をかけて 尋ねました「あなたを 選んでもいいですか」 王はびっくりして 言いました 「なぜだ 私が外に 並べた物の中には 気に入るものが なかったのか 」 少女は「欲しいのは あなただけ」と言い そしてもちろん 王はとても幸せでした 彼だけを 宝物のためでなく 好きな人がいたのです もちろん 王は彼女の 要求に応えられ それで 彼らは結婚しました そんな感じで 以後めでたく幸せに 暮らしましたとさ 何が起こったのか 分かりますか 彼女は何も欲しくは ありませんでしたが 国全てが彼女のものに なりました すべての臣民と 物も含めてです ですから私達の法門も 神通力を支持したり しないのです
持っていないという 意味ではないのです 偉大な開悟の後 あるいは 小さな開悟の後でも 希望するいかなる力も 手に入れますが 沢山ありすぎで私達の 力がどれほどなのか 把握できないくらい なのです 家の片隅にしがみつく 代わりに家全体を手に 入れ そこには片隅も 含まれているのです ある人々は この即刻開悟の法門 天国の光と音の 法門を習いに来る 前に 多くの他の瞑想の 方法を試してきたり しました 彼らは恐らく幾らか シディ(パワー)に 到達していたか この遠くを見たり 聞いたりする パワーがありました 近くではない 所のことです 例えば私がここに座り 何がロンドンで 起きているか見えたり パリで起きている ことが聞けます ええ これがいわゆる シディパワーです またはたぶん 他の人の心が読めて 私達をどう思って いるかが分かります
スパイにとっては 007や 何かそういう事をする 人にとっては良いです しかし 彼らが印心し 私達の法門に入ったら これらの力はなぜか なくなります または このシディパワーを マスターに取り去って くれと頼むような もっと良い事を 見るようになったり より良い知識を 知るようになります これには二つの理由が あります まず恐らく彼らは高い シディパワーレベル より高すぎる所へ行き 自らが所有した以前の 奇跡の力を見渡す ことをしたからです 二番目に 彼らが この力を失ってはなく マスターに除去する ように頼む理由ですが
それは 彼らがまだこの力に どこか彼らの心の中に しがみついていて それでマスターは 彼ら自身に 取捨選択させるのです なぜなら 少し意識の 遠い領域に 高次の存在レベルに 行った後は これらのシディ いわゆるパワーは 霊修行を助ける どころか障害になると 感じるからです 従って私達は自動的に それらを使いたく なくなります サマディーに入定し 座っていたとします 非常に穏やかな 心理状態に入っていて 超意識の真我の状態に 入っていたとします あなたは完全に 天にも地にも 全く何の欲求もなく その時あなたは何が ロンドンで起きてるか 見ます 何かとても 陰惨な事をです
それについてあなたは 何もできません あなたは心地良く いられるでしょうか
(いいえ) あまり良くないですね その通りです はい より失望を感じ いらいらするように なります そして 心の平和を 得ようとして そして今は 非常に失望と 悲しみを 感じています 何をすることも できない状態です または たぶん 他の誰かの心や 思想が 見通せるでしょう
または 妻の心が分かります 彼女があなたではなく 隣人を愛してることを 見て それで そのようなことは 私達の瞑想に 役に立ちますか (いいえ)立ちません
私達に多くの憎悪を 抱いている人がいると して それで 私達に彼の心を見渡し 霊的な力があったら それはお互いにとって 不愉快な感じを 与えます なぜなら 大部分の人々は 時々内面に 非常に制御不能の 感覚や感情を 持っています それは彼ら自身に 関係があっても なくても そしてすべての事を 知ったとしても 役に立たないだけです それから 私達は常にこの世俗の レベルを心配します 永遠に越えることが できず 自分自身を 偉大なる智慧の中に 融合できません 今世紀に 色々な超自然現象が 起きています
ですから それは 私達に非常に良いです 内面的に素晴らしい 力のことをよく知って いるのはこの時代の 人々に非常に良いです しかし時々それも どの方向に従うか 私達を混乱させます 大部分は私達が いわゆる即座の証明に 誘惑されるからです 例えば超能力とか 霊的な力または 治癒能力とか 壁を透かして見るとか 空中を歩くこと など 私達は瞑想 修行の主要な目的が 何か忘れてしまったり 霊性を認識することを 全く忘れてしまいます 本当にいけません なぜなら真我や 内面の偉大なる無上の 智慧を認識する時 私達は全てを知ります
それは最高のはかりで 標準だと思います 私達がどの道に 行かねばならないかを 判断するためにです 故にイエスも言います 「まず汝の内面に 天国を捜しなさい すると他の全ては 付いてくるでしょう」 神の王国は 遥かな天の上に あるのではありません 今ここにあります それは私達の 心の中にあります ただその鍵を解除し 毎日使わねばならず それで私達は どれほどよい人になり どれほど賢くなって どれほど 愛の力を持って 人を満足させる人に なるのが分かるのです
イスラムコミュニティ 世界最大の 共同体の一つです イスラムコミュニティ 内の彼らの姿勢を変え 確信させられれば 地球を救う 多大な貢献となります
神の王国は 遥かな天の上に あるのではありません 今ここにあります それは私達の 心の中にあります ただその鍵を解除し 毎日使わねばならず それで私達は どれほどよい人になり どれほど賢くなって どれほど 愛の力を持って 人を満足させる人に なるのが分かるのです もちろん 霊的な達成は 物質的な価値で 測れませんが それをより偉大な 洞察の価値を表す 誰かの無能さは ただイライラします 私達はどこかで始め なければなりません 大部分の人々が 私に聞くからです 「瞑想を修行する事や 悟りを得ることは いったい何の役に たつのでしょうか
私達が悟らなかったら それは大丈夫ですか 大丈夫ではないか」 はい 大丈夫です それは当然 問題ありません でもこの世界を見ると 本当に大丈夫ですか 答えがノーであれば それはすべての物質的 安らぎ すべての 科学発明にも拘らず 何かを欠いている ことを意味します 世界は恐らくある地域 たぶんオーストラリア では問題ありませんが 他の多地域では全てが いい訳ではありません なぜですか それは智慧が 不足しているせいです それは私たちが自分の 小さい知識に執着し 私たちが持っている この小さい知識で 世界を征服することを しようとしている からです
私たちが信じられない 絶対に想像できない 全体の智慧に近づく 手段を持っているなら 私達はより良い方法で 物事をして 恐らく私たちが今 豪州で過ごす生活より さらに良くなり 世界はとっくの昔に 楽園になったでしょう そして最も先進国を 見ても 技術的な話ですが またはたぶん 物質的に話しても そこには人間の生命を 害する多くの 制御不可能な事件が 依然とあることが 分かります
ほら 私が皆さんのいるこの 劇場へ向かう途中で 観音法門を修行して いる修行仲間の一人が 私を自分の車で 乗せてくれましたが
彼女は私に感謝して 訳は分かりませんが ほんの5分で 彼女が この車を買えるように 助けられた事について そのため彼女は 半年前頃に探したけど 買えませんでした
毎回彼女が欲しかがる 度に誰かがちょうど 持って行きましたが
今回は成功しました 彼女は私に祈ったから だと思いました 「さて それはすべて あなたの修行の功徳で 私が関係がない」と 言いましたが 彼女は信じられません
構いません そのまま 私は言いました「なぜ 新車を買いましたか」 彼女は車が盗まれた からと言いました 私は言いました「何と オーストラリアで 誰かがあなたの車を 盗んだと言いましたか 信じられません」 オーストラリアでの 経済状況は安定して いると私は思いました
それを聞いて衝撃を 受けましたが彼女は 本当だと言いました 彼らは時々盗みます 分かりました 人々はなぜ貧乏人さえ 面倒を見てくれる そんな非常に安定した 国でさえ盗みますか オーストラリアで誰も 通りで本当に飢える 人はいないですね
皆さんには社会保障 給付金がありますね 失業者のための そうでしょう
ええ そうあるべきで 多くの国が そのようです 英国 フランス ドイツも あなたが一時的に 失業した時 または 自活するためのどんな 手段もないとき 手段もないとき または病気などの時 あなたは社会保障の お金を手に入れます それは大変安全ですが 人々はなぜ盗みますか 車を盗むのはそんな 事だと私は思います それは単に車自体の ためではありません それはとにかく 古い車でした 古い車であるだけです 非難されるのは車や 盗もうとする欲望では ありません それはそんな事をする 人間の心の中にある 欲求不満です
自身の生活方式や 神が彼に与えようと 意図したことを 受け入れることに 満足してないからです 不満 なぜ不満足ですか 悟っていないからです 悟っていない心は 非常に不満足な心です その人により良い車を 与えたとしてもそこで 止まらないでしょう 彼は別の車とか 次は飛行機が 欲しいかもしれません 私達自身に 満足していないし あらゆる豊かさや 全ての力の根源を 知らないからです それで私達は あまり必要でない時も 他の物を望んでいます なぜこれらのものが 欲しいですか 私達が以前 天国で 栄光 自由 豊かさの 中にいたからです
私達がこの思考の遅い 状態に降りる前までは すなわち 私達は ただ平凡な 人間であり パワーもなく 何も知りません そして天国に到達する のは非常に難しいとは 知りませんでした しかし 今でも私達は まだ天国に到達できる ことを保証します それも非常に速く まさにここ まさに 私達が住んでいる所で ヒマラヤに行く 必要はありません 私はそうしましたが 誰もがそうする 必要はありません 私は多分そうするよう 運命付けられてました ほら 多くの人は 苦行について異なった 考えを持っています
彼らは全世界や家族を 見捨てて洞窟に入って そしてヒマラヤで 瞑想するなら 解脱に到達すると 考えますが 本当ではありません ただ神が 私にそれを させたかったので 私はそれをしました それで 私はそうする 必要がなかったと あなたに言えます さもないと あなたは 私を信じないでしょう 多分皆は「あなたは 自分でできなかった あなたはヒマラヤの 寒さを恐れています だからあなた自身が それができないので 行かないように言う あなたには何の 経験もないでしょう」
しかし私はこれらの 経験がありました それは絶対に必要で ないと言うためにです
アラー 仏陀 イエスが 今 生きていたら「環境 保護主義者」ですか 「グリーニー」とは 環境意識のある人で 惑星は望まない けれども
分かりました
それは新たな 環境を保護する 団体ですね そうかも ええ 私達自身のために 可能な限り 緑を守らなければ なりません しかし 木が人間より 大事であるような 自然崇拝者に なってはいけません はい 木は 人間のためにあります 木が必要な場合 空間 時間 人数が 許される場合 それらを 守るべきです 従って その場合 おそらくイエス アッラー 誰であれ 賛成するでしょう 私自身も 自然保護者です 私達全ての修行仲間も 勝手に木を切ることが 許されません
ただし 必要な場合 木を切って 人間のために より良い 施設が作られます ですからいつも人間の 快適さを考慮せず 自然を守るという ことではありません はい 場合によって どこか いつか どの位守るかを考えた ほうが良いでしょう おっしゃった通り 悟りは私達に 何もかも無視する ようになります 例えば 富 病気 あるいは 高い社会的地位など 富に関しては あなたに賛成しますが ただ病気に関しては どうでしょう 毎分でも苦しみます
病気は我慢できない 痛み 惨めさを起こし どう無視できますか 悟りを開く前より それほど苦しみを 感じられないのです それだけです 私達はできるだけ 体を大事にして 体に快適さを 感じさせて 必要な治療を 与えます しかし 私達は 病気に苦しむとは 感じられません 私達の辛抱強さ 忍耐力が強くなり ゆえに 病気は 私達をそれほど 困らせないのです 完全に無視するの ではなく それほど 私達を困らせない ということです
しかも 悟りを 開いた後 沢山の病気はただ 消えてしまうのです これは神通力ではなく これは私達自身の 超能力を目覚めさせ 体を調整させて 悪い部分を 洗い流したからです ですから沢山の人が ガンが治ったことを 発見したのです にもかかわらず 彼らは既に 手術台に送られ 麻酔針さえも 刺されました それでお医者さんを 驚かせることに ガンが消えて しまったのです それで また彼らは 外に追い出されました ですから 病気を 無視することではなく 病気は悟りを開いた 人を無視するようです
全人生をより霊的に したいと思いますが 回りの否定的な力と どのように戦えば いいのですか 霊的な傾向があれば 全てに対して 辛抱強く 耐えられるでしょう 否定的な影響 そして 人生に対する否定的な 考え方を含めてです 考え方を含めてです もっと寛容になり 理解力が増すでしょう 私達の肯定的な 自性はいくらか輝き これら癒しの力は 否定的なエネルギーを 治すでしょう
私達は真の霊的な 修行者である限り 何もかもする 必要はなく 自然にある程度 好転していきます 誰か私達に助言を 求めたり 彼自身ももっと 向上したいなら 私達は何をすべきかを 教え 提案することが できる立場になります
あなたは 昔私達は 完璧であったが 今はそうではないと おっしゃいました このような状況に 陥るのはなぜですか サーカスで迷ったので 私達はサーカスに 夢中で自分の家さえ 忘れました それである人が来て 私たちの肩を叩いて こう言います
「ここはあなたのいる 所ではない 十分です あなたは飢えと寒さに 悩まされ ここに執着しないで 家に帰って 快適に過ごしなさい」 親愛なるマスター 人間は常に未知に 対して不安を感じます どうやって観音法門が 正しい道であるか 確信できますか もちろん 試さないと よく分かりませんね しかし ご存知の通り 私達の基本的な戒律を 見てみれば 仮に 観音法門があなたに 何の利益がなくても またはその利益が 確定できないとしても 一つだけは 確信できるでしょう
それはあなたに何も 害がないことです 菜食をしても 何の害もありません 少なくとも健康的です 何も霊的な慈悲が 信じられなくても 菜食は健康に良い ことは既に科学的に 証明せれています 世界中のすべての 病院は肉食者のために 建てられています よく知っていますね 結局大部分の肉食者が 病院にいるのです だから一つの観点です そして いわゆる五戒は 心の不安から あなたを守るためです あなたは一人だけと 恋愛関係を持つべき です
自分に属さないものは 取らないこと 自分と他人と家族を 悲惨にするだけの ギャンブルは しないこと あなたの精神と視力を 朦朧とさせる お酒は飲まないこと あなたに有害な麻薬は 摂らないこと これら物質面の明白な 指標を考えてみて 少なくとも 私達の教えと法門は あなたのためになると 分かるでしょう あなたは少しずつ やり始めれば もっとよく 知るようになります 少なくとも私達は 開悟の何らかの証拠を すぐ与えることが 出来ます 少なくとも私達は 一切お金を取りません
この前も 途中でも 後でも取りません いかなる条件も束縛も 一切ありません 後で私たちを 必要としなくなっても 私たちはあなたに 対して何もしません だから どの面でも あなたは何も失わず 得るだけです
これは象徴的なことに 過ぎません しかし あなたは 自分の直感力と智慧で 自分の従うべき道を 見極めなければ なりません 重要なのは 私の言葉ではなく 重要なのは あなたが 理解し 自分の内面に また好きな誰でも 神 イエス アラー 仏陀に祈り 助けを求めるべきです 私たちへの強い 吸引を感じたら これはあなたのための ものだと知るでしょう そう感じなければ あるいはこの世界への 強い吸引を感じたら あなたにはまだ準備が 出来ていないことです とても簡単です マスターは偉大な 「白色同胞団」と 関連がありますか
「白色同胞団」は元々 非常に高いレベルの 霊的存在のことを 指しています もちろんその意味で 言えば 私もそれに属します しかし私たちは 全能の力 私達自身に属します これは一番確実です これはあなたに 与えられる 一番明白な答えです 私達はあなたを 自身をもっと良くし あなたをマスターに 成長させるグループに 属していて あなたが 黒くても「白色同胞」に 成長させます
あなたの弟子たちは あなたを非常に崇拝し あなたを神 無上の存在だと 思っているようです あなたに対する彼らの 崇拝の態度に対し 何かご意見が ありますか 意見はありません 彼らの意思でしてます 崇拝するかしないかは 彼らの自由です 私を含めどんな人を 崇拝することも 推奨しません いつも言っているのは 「偉大なのはあなた達」 どんな奇跡が 起こっても どんなことが 起きても それはあなたが 霊修行の道を歩んで 自分を訓練し 自身の偉大な智慧が 目覚め あなたを 助けたからです
彼らは私を崇拝しても 崇拝しなくても 私に何の影響もなく 他人を止められません 彼らを止め 一人ひとりの所に行き いつも同じことを 繰り返すことは 出来ません 一般的指標しか 与えられません でも 彼らは自らの やり方でやっています 彼らは成長し その 状態から抜けられます 心配は要りません
でも それは彼らの ためになります 彼らは一点集中です 私は彼らを傷付けず 彼らが私を思うのは 悪魔を思うより 良いでしょう
セックスのことを どう思いますか セックスを非難すれば 泥を非難すべしです しかし蓮の花は どこから来ているか 忘れないでください あなたは他人の言葉を 繰り返していますね あなたの言葉でも 受け入れます でもあなたはいわゆる 他のマスターの言葉をくり返したのでしょう セックスを非難した ことはありませんね 私が自分の講演で セックスを非難した ことはありますか ご自分の観点を披露 したいだけでしょう ただ それはあなた 自身の観点ではなく 他人の観点ですね あなたはまず開悟し それでご自分の 意見を持ったほうが いいでしょう
私はセックスを非難 したことはありません でも いつも人に セックスを意識させる ような教えや 励ましは推奨しません これくらいのことは ほかの動物でも 出来ます 非難なり 崇拝なり するほどの大したこと ではないでしょう 取り上げる価値すら ないと思います これを教理のテーマ あるいは重要な話題に する必要は 全くないと思います 重要ではありません セックスを 非難するなら 私は ここに存在出来ないし 両親も存在出来ません 仏陀もイエスも決して 生まれて来ません
どうやって自分自身を 愛すことを学びますか
学ぶ必要があります 悟った後に 私達はすべてが 大丈夫だと分かります それが私が言える事で 「あるがままで 大丈夫だ 私が自分を愛するか どうか分からないが ただ私は大丈夫だと 知っていて問題ない」
あなたの本で 私が持っている サンプル本の 四十ページについて 質問で ただ疑問です 「聖書の中には決して 動物はあなたの食べ物だという記述が 見つからない」と
さて 聖書の マタイの福音第十五章 十七節によると イエスは言われた 「あなた方もまだ 悟らないのか すべて口に入るものは 腹を通って 外に出されることが 分からないのか しかし 口から出て来るものは 心から出て来るので これこそ人を汚す 中に入ってくるものが 人を汚すのではなく その人の心から 来るものが人を汚す」 それで 言行録からの 別の大きな参考に 移りたいのですが 私はあなたが それをよく知っている と確信しています
ペトロ イエスの 最も偉大な弟子の 一人である 彼は言いました 彼は恍惚状態になり 空腹になって 食べるようになった時 彼は天が開いて 大きな船が 彼の上に 降りてくるのを見た あたかも四隅に 接合された大きな シートが地球に 降ろされたようで そこには すべての種類の 地球の四つ足獣 野獣 這うもの 空を飛ぶ 鳥がいた ある声が彼の所へ来た 「起きよ ペトロ 殺して 食べよ」 しかしペトロは言った 「いいえ 主よ 私はこれまで決して 世俗の 不浄の物は 食べませんでした」
するとその声は 再び彼に話しました 二度目は 「神が浄化したものは 汝を 抱きない よろしくお願いします あなたもありがとう あなたが読んだ マタイの第一節には 肉について全く 言及されませんでした おそらく イエスは当時 何人かの人々が 豚を食べるか 食べないか またある食物は 食べないが ある食物は食べるのに とても執着してるので その時 イエスが それを言及したのです だから恐らく イエスはそれについて 言及しましたが「肉」は 全く言いませんでした
第二に ペトロが こういうことを見たと して 彼のビジョンの 中だけで神が神の力で 幻の啓示を通して 作られる何であれ それは本物ではなく 神が彼に食べて 欲しかったのは 肉ではなく 物質的な 肉ではありません 同様に 仏教経典において 楞厳経には ある一節があります 仏陀は言いました 「私の弘法の 初期には 異なる生育背景と 国から来る 多くの僧が いる 彼らは菜食を食べる のに慣れていない 従って 私のパワー 神通力を用いて 彼らにいわゆる 肉を表して 食べさせる」と しかし その後 肉食する僧はいずれも 私の弟子ではない 私が彼らに 表した肉は 本物の肉ではない」 この意味で 聖書と 仏教徒の楞厳経が 同じことを言ってると 推測できます
ええ 旧約聖書では 神は決して私達に 肉を食べるべきとは 言いませんでした 彼は言いました 「私は汝のために 野に美しい果実また 庭に草を 創造した これが汝の食物となる 私には二種類の いわゆる弟子がいます 一つ目は 早く完全な 悟りがほしい人で 彼らは菜食者です あなたが 菜食に 興味がなければ 私達も部分的な 菜食者である人々には 別の方法を教えます 私達は肉食者を 非難しません
仏教の経典で 仏陀は言いました 「音と光で 私を見るなら 仏陀を見ることができない」 しかし あなたの本に あなたは光と音に ついて語っています あなたの本にある 光と音と 仏教の経典にある 光と音との違いを 教えてください 教え 仏陀は「光」と「音」とは 言いませんでした 仏陀が言ったのは 「外見 現象の形式で 私を崇拝したら 私の現象の形式を 崇拝したら 仏陀を見ることが できない」です 仏性が見られないと いう意味です しかし彼は 肉眼で見えない光と 肉体の耳で聞こえない 音を指しているのでは ありません
それが違う所です これはあなたをより 賢く より平和でより 愛深くなるのを助ける 超世界の光と音です 仏陀の意味は 私達が仏陀の 外形に執着したり どんな風に地球に 現れようとあるいは 一種の偶像崇拝に 執着したら 私達は決して自分の 仏性を見つけられない ということです この光と音を 指していません 親愛なるマスター 神は人類を 区別すると お思いですか そうであるなら なぜ 皆に同じ肌と 髪の色 同じ言語を 与えないのですか
そしたら人間は言語に おいて問題がなく 肌の色の相違で 暴力闘争に 至らないでしょう どうか説明して下さい 神はあなたがさっき 言ったものを何でも 与えました でも 私達はこの二元的な 世界を選びました それが好きだからです 再び平等になり 誰もが同じく 神聖で美しく 見えるのを望むなら 修行者の団体に 加わって下さい そうです そうです そのために私はここに いるのです いかに 無差別の国に戻るかを 教えるためにです あなたは選択できます
この多彩な世界に いるか あるいは 性別 背丈 貧富と 膚色の間等々に 差別のない所に行くか なぜ神はこんな多くの いわゆる色を私達に 下さったのでしょう 神はとても 愛情深いからです 私達が欲するからです 私達が欲しいものは 何でも得られます 神は他の選択も 下さるので 私達には 多くの選択があります だから神はこの種の 世界とその他多くの 別の種類の世界を 私達に下さいます イエスが言ったように 「私の天なる父の 家にはたくさんの 部屋がある」と ですから この世界が嫌いなら 構いません
他の世界に 行きなさい 私達は道を知ってます 案内できます そして他の世界に 行きたくない人は ここにいても かまいません ここに留って したいことをします だから私達は人々に 従うよう強制しません 私達はあなたのように その種の境界に 行きたい人に その機会を 提供するだけです
あらゆる世界 あらゆる場所には その制度と規則があり それで あなたがその 規制を守りたいなら その場所に留ります でなければ 他の種類の 制度と規則が あります 例えば豪州に 移住したオゥラック (ベトナム)人あるいは 中国人はやはり いわゆる中国人または オゥラック (ベトナム)人ですが オーストラリア政府の 法律を守らなければ なりません 好き嫌いを問わず なぜ右側でなく 左側運転なのか 彼らは決して尋ねる べきではありません 「私の国ではいつも 右側運転です
なぜこんな複雑な 左側運転なの」と でも規則はそうです オーストラリアに いたかったら ただそうします 単純に そうでしょう 仏陀の音について 教えて下さい これは世界の音楽の 音ですか それとも声ですか
それは音楽のような ものですが 私達世界の音楽と 完全には似ていません それは言い表し難く それは私達に言い様の ない影響を及ぼします それは内在する 智慧の象徴で 聞けば聞くほど 私達はより良くなり より賢くなります 声ではありません 話し言語ではなく 時にはそうですが 一般的には そうではありません 私達は瞑想において 良い結果が欲しいです あなたは私達が保護と 手引きのために本当の マスターから印心を 受ける必要があると お思いですか
印心を受けないで 瞑想したら どうなりますか あなたは聞いたこと あるでしょう 多くの人にトラブルが あるのを 経験豊かな ガイドなしで単独で 瞑想しようとする時 それは少し 冒険的です しかしあなたが一人で できるなら構いません 単独でできるなら あなたは開悟します ただ一般的には 先生を持つ方が 良いです 英語や拳法を 先生と学ぶように それはより安全で速く 多くの時間と 多くの不必要な 間違いと失敗が 省けます 私はあなたの本と 講義を読み通しました そしてあなたは 宗教間での差別を しないと分りました
あなたは常に イエス 仏陀と 他の本当の マスターからの 話を引出します 教えて下さい あなたの宗教を あなたは通常 ある宗教と 良い関係にありますか 私はどこででも特定の 宗教を提唱しません 私達には十分 宗教がありますから 仏教徒が仏教の規則と 経典を厳格に守ったら 彼はすでに 良い仏教徒です キリスト教徒が 本当に戒律に従って 生活するなら 彼はすでに 良いキリスト教徒です だからキリスト教徒 あるいは仏教徒に なるべきだと 私は提唱する意図も 必要もありません 私達には人々に仏教徒 カトリックかキリスト 教徒になるように 教えるのに十分な 教会と寺院があります しかし私達は仏教徒が 彼らの仏性を 見つけるのを助けます キリスト教徒が 天国を理解するのを 助けます 彼らが知りたかったら
それはただ 提供するだけです 無条件で 強制せず 完全にただです 印心の時 その前後も 何の束縛もありません
そして宗教的な背景 あるいは瞑想の経験も 不必要です 完全に無条件です
私が仏教か カトリックのような 一つの宗教に 属していて 印心を 受けたいと思うなら 私の宗教から 離れる必要ありますか いえ 必要ありません 私はすでに言いました 日曜ごとにまたは 毎日教会に行けます
私はあなたが教会で いかに直接神と話すか 教えるだけです あなたが望むなら 親愛なるマスター 私はどんな宗教も 信じませんが 誰にでも尽くし 努めて隣人を 楽しませています 私の父へも同じです それで私達が死んだら 天国へ行けますか もちろんです もちろん行けます
すべての宗教は こんな人であるように 教えています きっとあなたは 天国へ行きますが どれほどいられるか 私は保証できません あなたの福報にも 制限があります あなたが七十年 お父さんに 尽くしたとしたら 多分七十年 天国に居るでしょう そして後程 おそらく 他の福報を稼ぎに 再び戻らなければ なりません しかし私達が本当に 開悟したら ここにいる間に 神と直接接触でき 何でも要求できます 戻る事を望まないなら 再び戻る 必要はありません
皆さんの愛 皆さんの興奮と すべての質問を ありがとう 皆さんが喜ぶのは 私を皆さん自身だと 認識したからです 皆さんが興奮するのは 関心を持っているから
私の講義に関心を 持っているからです どちらも ありがとう ではまたね