皆さん どうぞ スプリームマスター チンハイを 歓迎しましょう こんばんは お元気ですか 十分暖かいですか はい
こんばんはマスター こんばんは ご来場の皆さん 私は自分の体験と 霊修の旅について 皆さんと少し分かち 合いたいと思います 私はスプリーム マスターチンハイの 指導の下 観音法門に したがって 二年半が経ちます 十五歳のころから 私は疑問を持つように なりました 殆どの 人々がその年代に持つ 人生についてです 人生には何の目的が あるのだろうか 何のためにここにいて 私達はどこから 来たのだろうか 死後 どこへ 行くのだろうか 私は両親から姉から あるいは伝統的な宗教 からも満足する回答を 得られませんでした
三六歳の時私は死ぬ までこの回答について 知る事はないだろうと あきらめ本当にこれで 心を患うのは止める べきだと思いました 死について 霊的にも行き詰まりを 感じていました 私が出席した 最後の説教の内容は 神の王国は汝の内に あるというもので 「まず自身の 神の王国を求めなさい さすればあらゆる物が 与えられるだろう」と イエスは言いました 「神の王国は 汝の内にある」 そこに座り 自身に言いました 「ええ でもどこに? どうやって 接触したらいいの」 常に私達はそう 教えられてきました
でもどうやって そこに行きつけるのか その間にオゥラック (ベトナム)人の 仏教とキリスト教の 背景を持つ夫は 私と共に教会へ 参加しました 彼に私の教会を どう思うか聞きました 彼は言いました 言葉の効果「神父は とてもカリスマ的だが 彼は在世のマスター ではない」 私はびっくりして 彼の方を向き直り 「在世のマスターを 探しているの」と言い 彼は「ああ」と そしてそれは私には 斬新な考えでしたが 同時にそれは 見知らぬ概念でした
でも私のような 西洋人にはこのような 概念を紹介されたのは 初めてでした 数カ月後私達は スプリームマスター チンハイを テープと書籍を通して 紹介されました 二カ月後私達は カリフォルニアへ 印心のため飛びました 賢人は言います 「生徒に 用意ができた時 マスターは現れる」と 本当に個人の体験を こうして得ました 印心の時 私は神の王国を 自身の内面に 見つけました そして私は子供の頃 夢見て大人になって 探し求めたその美しい 土地があることを 知っていました
でも それは地球上の地では ありませんでした 印心以来 私は内面の 光と音の両方の 体験がありました そして内面の体験は 大きな愛と 壮大な神 無限の慈悲 想像を絶する 神の智慧の 体験だったのです この時点で 私は感情的な苦悶を 痛みを感じ天国を求め 泣き叫びました 「私が感じたいのは 愛されている事だけ」 愛を求め叫んだ後 元気なく世俗の仕事に 戻りました 二十四時間後 私の未解決な 感情的なドラマに 捕えられましたが 今それに腹を立てて 巨大な愛の大海に 浮いているように 感じ始めました
私は非常に軽く 重荷がなく 至福を感じ始めました どれくらい長い間かは 分かりませんが ものすごい愛の包囲は 何時間も続くかの ように感じたものです しかしながら私の心は 非常に気分が良い事を 不思議に思いました 私が怒る役を演じる ことになっていた時 怒り 感情的になる ドラマの役割の時です それで二十四時間前の 私を地球上に 私を蘇らせるという 要求は 叶えられたのです 私の夫はマスターと 神の後に続く 私の霊性の発展の 司令官は 少なくとも彼はそう 思いました
私が 瞑想修行において より勤勉に取り組めば その時点から 更に私の霊性銀行には 功徳が積まれ要求は 即座に二四時間後では なくかなえられる事を 厳しく伝えてきました 私は彼が正しいと 信じられます おかしなことに あまりに多くの至福は 耐えるのにも難しいに違いありません しかし私が霊的銀行で 本当に多くの功徳を 持つなら私はより長く 幸福の大海に浮く事が できると信じました もう一つの体験は フォルモサ(台湾) 苗栗の禅四に参加した 時に起こりました
マスターが話していて 私はそこに座っていて 一種魅了されていて 彼女の 言動の明瞭さと 驚くべき智慧に 愕然となりました 私は書籍から知る 全能の神の力と直接 接触しているように 感じましたが私は一切 実際肉体の体験が ありませんでした 真の智慧の源を 見つけたことで 私は心の知的な部分が 満足感の頂点に 達していました 私は面と向かって 在世の霊性マスターの 全知全能の 側面を見て 私の高次の真我は それを認識したのです
印心後 一つは 本当に真実霊的な マスターに面倒を 見てもらっています ほんの些細な事も そうです 西洋人は日々の生活の 奇跡について認識する のが非常に遅いですが 偶然の一致については すぐ非難します しかし印心後 あるべき事を偶然は ないことを知りました 私自身の体験は今年 初めに起こりました マスターの 米国ツアーのときで 長い話を 短くまとめますと マスターはシアトルに 寄り私は長い間 行くことを迷っていて 先延ばししていました 前日までシアトルまで 航空券を予約しては いませんでした
ええこの意味を皆が お分かりだと思います その航空券は非常に 高くヒューストンから シアトルまで 約一千米ドルでした そして もう終わりだ ヒューストンに残ろう と思いました 一方私の夫は私には できない状況の中で 物事を成し遂げるのに 独自の能力を 持っているようです それは一種私のエゴを 時に刺激します 彼が旅行会社へ電話し 二〇〇ドル前後の 航空券を見つけました 航空券が届くまで 私はありえないと 思っていましたが 旅行会社の人が 言いました 「ええ ほんとうに 不思議なことです
この航空券がどこから 来たのか分からない 通常航空券を 前日に予約するなら 非常に高く大体 一千ドルが相場です でもコンピュータを 調べた時この航空券が 画面に」と言いました これが話の終わりでは ありません 私は単独でシアトルに 到着し初めての訪問で 少し神経質になり 本当にどこへ行くのか このイベントの スケジュールも 知らなかったのです 私は全ての弟子が 滞在するモーテルに タクシーで向かい そこはさびれた 所でした ホテルの予約受付は ここにはもう部屋が なく満室なので滞在 できないと言いました
どうしたらいい でも恐れはなく 突然オゥラック (ベトナム)人の 紳士が現れマスターの 印心のバッジを つけた人だったのです 私はその人に近づき 状況を説明しました 彼は「来て早く時間が ない」と言いました マスターの講演が そこですぐ始まります 私達はそのホテルへ 車で向かう道すがら 彼は人々を一日中 送り迎えを繰り返し これで今日仕事が 終わりだと思ったと 説明しました 彼の英語はブロークン でしたが理解でき 彼はマスターが再度 もう一回戻って 空港にいる女性を 連れて来てと言った ということでした
彼はその女性を見つけ ようと思いましたが 見つけられません 私は一人で考えました 「ああ 可哀相な 老女は空港で 迷ったに違いない」 すると突然 ペニーが落ち マスターが私を拾いに 彼を送ってくれたのだ と理解したのです 私の西洋的な頭脳は 最初考えに拒否し 「状況を思いこみ過ぎ ているに違いない」 しかし ホテルのホールの 最前列に 急きたてられ 数分後マスターが 到着し山の様な 舞台の前に特別に 最前列を見下ろし 微笑まれました 心が揺すぶられました
「神よ」思いました 「同様に他の事も調べ 私が無事にここに着き また教えました」 「ほらあなたの面倒を 見ていますよ」と 私は十分お話できたと 思います 最後に言いたいのは 観音法門を在世の 霊性のマスターから 印心を受けるということは 私に元々の 生死の質問の答えを 回答を得られたので 私がここにいるという 訳なのです 私の義理の兄が 彼の疑問である天才は どこから来るのかの 質問を知りたいと 思うなら マスターは言います 「彼は開悟すべきです 答えは簡単です」と 実際 回答は本当に 沢山ある事柄について 非常に簡単になります 開悟した後は ありがとうございます
素晴らしい話でした 初めて聞きましたよ ありがとう博士 次の講演者は 先程お話された事は 今日から始まります 彼は私と同じ 問題を抱えていました これは一種話をするは 困難ですあなたが ある一定期間泣いた ことがなければ この事に耐えられる なら彼はこのことを 通し成し遂げられる ことでしょう
こんにちは 私が二〇歳位の頃 私はどれ程辛かったか 認識しました 私の幼少時代は非常に 困難でした私はひどく 対処に苦しみました それで二〇代最初に 東洋哲学の書籍を 読み始めました カトリックとして育ち 霊性のマスターの 重要性を 即座に気が付いた ものでした そして 一、二年できる限り 世界中の様々な マスターの書籍を 沢山読みました そして私の確信とは 私の痛みと苦しみを 和らげるには霊性の マスターの存在が 重要だという事でした
しかし頑固で誰かに 人生を左右されたくは なく何をするかも 言われたくなく特に 霊性のマスターには 私は知っていました 聞かねばならない事を 私は特に特権の形が 嫌いでした それで私は非常に 反抗していました そして二十五年の間 私が印心する前 三年になりますが 私は二十五年間自分で 研究をしてきてそれで 私はこう思いました 例外がある事を 読みました 霊的な マスターが不要な 人々がいると そして ああ私がその例外の 一人であるといいのに と思いました
私は読書し研究を 二十五年間行いました 何千冊の本を読み マスターは言いました 私のような知的便秘な 人がいると 全てのニューエイジ 哲学を 教えを勉強し 私は多くの事を 探求しました 時には進歩しましたが 頻繁に スライド的に 後退したりしました 二十五年の間 私はかなり聖人の 存在として住む限り 私の人生を 懸念していましたが それから 私はイライラしそして 飲酒に落ち込みました 私は中毒に陥りやすい 性格だったのです 私は様々な行動に 及びました
数年後 私はもはや霊的な 進歩もみられなく なりました 私は菜食主義を したりしなかったりを 繰り返し フットボールの時期は ビールを飲み 喫煙をし サラミの サンドウィッチを 暫くの間終わるまで 続いたものです これらの年月を通し 私は一切他の人々と 接しませんでした 私はすっかり痛み 感情的な痛みですが 子供の頃私は 他者といながら 他の人々を愛する事に 困難な時期があり 私が他人と 共にいる所では 常にパニック 症候群になりました 数人の他人が部屋に いるだけでです
印心前まで私は パニック症候群でした これは五歳の頃から 始まりずっと そうだったのです 非常に厳しかったです 全てのビタミンBが 無くなったら私は すぐに一、二週間は 病気になりました 回復するのにそれは 長い時間を費やし この発作は本当に 深刻でした しかしマスターから 印心を受けて以来私は 何の発作もパニック 症候群にもなりません 他の事では 私達の通俗真理として 十二のプログラムと ブラッドショーと 全ての内在の子供の 働きが行われていて その感覚が感情的に ブロックされたり 防具をつけた感じに 関連づけできます
私の幼児期は非常に 困難でした暴力と アル中の家庭 私自身 防具を着けていました 誇りを持っていました 私は生涯スポーツを 行い私の体は とても堅いですが 実際私はとても痛みを 感じ私自身防具を身に 纏っています マスターから印心を 授けられて以来私は 柔らかくなり始めて 私自身自分が内外とも 柔らかく感じられます そしてそれには ある一定期間かかり 六か八カ月です 印心の時 私が外に出てサインを すると何人かの人々が 来て耐えるように そしてそれは 進歩するのに 六~八カ月かかるから と言いました
私は耐えて本当に 進歩したと思います それは六カ月もの間 本当に沢山の変化が 私の人生に 起こりました この感情の閉塞は 私にとって約一年 かかりました 私は瞑想に 留まりました
しかしこの期間中 私の主要な事柄は 私が印心した時でした 私の子供達は皆二〇代 前半でした 私には三人の子がいて 彼らは二〇代で私は 彼らから疎んじられて いました 非常に難しい家庭で 育ち分かったのは 私は一種自分が虐待 され育った為我が子は 決して虐待せず厳しい 親でいましたから そうすべきと思い 彼らに厳しくし彼らは 良くなると私は厳しく 彼らを愛さずには いられませんでした つまり私は一切彼らを 抱きしめキスなどこの 種の事ができません
ただできませんでした 私が厳しくなる事で こうして私は彼らを 愛していると思って いましたが彼らは私を 疎んじました 彼らは 私に話しかけたり しませんでした 私は彼らに話しません 実際は 始めたのです 彼らは私の基準で 生活していないのに 気付いたのです そして 印心後 数ヶ月掛かりましたが 気持ちが落ち着き 子供に近づくことが できました そして特別旅行で 印心したフェニックス に行きました 子供はそこに住んでて 私はそこで育ち 生まれました
そして 彼らを引き戻しました その週は毎日 子供のことで泣き 彼らへの育て方に 対して 私は謝ったのです でもできませんでした 今 しました そして私と子供との 関係は良くなり 家族との関係も とても良いです 夕日を楽しんだり そのようなことを 彼らは言い 私は本当にそれを 経験しました 私はとても武装してて わずかな時間でした 痛みを感らじれて 6パックを 走ったりもできました
帰り道は長いです 印心して 三年ですが 他の人を愛する 能力があります 沢山ではありませんが 時々できます 私と家族との関係は 素晴らしいです マスターの弟子でいて 人生が広がったように 感じます 家族が戻っただけでは なく 良い関係でいて 修行仲間の 沢山の友人も できました 最後に 言いたいのは 印心するのに 怖れたのは マスターが私の 人生に入り マスター チンハイが本物だと 気付かない時です
権威主義の組織を持つ 先生はそんなに 多くいません 自分達の歩調で 成長させ 彼女は 放っておいてくれます 私達に対する要求が 少ないのです 彼女はとても寛大です 彼女は本当の 霊的マスターでないと 感じます 彼女は本当に 友人のように感じますそれだけです マスターの前に またはマスターが 来る前に もう一人います カレン オスボーンが 最近マスターが 与えられた 賞について お話します 感謝祭の お知らせを 受けました
マスターチンハイは 先月ハワイで 米国政府によって 世界平和賞を 受賞しました 彼女は米国にとって 名誉ある市民権を 受けました この賞を 受賞したとき マスターチンハイが 認められただけでなく 彼女が行なった精神的 活動を 米国政府が 称賛したのだと 私達は思いました 彼女が サンフランシスコに 到着して 市長は 彼女を称賛しました こう語りました 「スプリームマスター チンハイへ 世界的な 人道主義者 サンフランシスコの 人々に代わって 優秀な公務を した事を 認めます」
この世界平和賞は 本当に彼女の 人道的活動の 洪水の救援や フィリピンの 被災者や ロサンゼルスの 被災者に対する 人道的活動だけでなく 私達と一緒に行なった 全ての仕事にですで サンフランシスコ とても親切に して頂いた 二名にも感謝します ジュディスコンラッド とボニーコリーンです ここにいるなら 立ってもらえますか ええ こちらに きて頂けますか あなたのファンに 見えるように(どうぞステージへ) ステージに来て下さい 彼女はとても有名で 知ってるでしょう
ジュディスは マスターチンハイの 役に立っていて 彼女とラジオと テレビの 作業をしました スプリームマスター チンハイは 違いを生み出せると 私は言いたいのです
(有難う) それは 私のラジオとテレビ 番組のテーマです 「誰が違いを 生み出せるのか」 あなたと一緒に 過せて素晴らしくて これはラジオと テレビで二 三日 続きました ベイエリアで 変えたのです ありがとう ありがとうございます
良い感謝祭を ありがとう カレン これに耐えてくれた 皆さん全員に 感謝します
マスターが準備でき 皆さんもそうなら マスターチンハイ ありがとう 時間を伸ばしましたが 来てしまいました 皆さんにご多幸を 祈ります 良いことは何でも 必ず訪れます 良い感謝祭を ほとんどの人は沢山 質問があり そして幾つ答えが あっても もっと質問が あるでしょう 若いときは 両親に沢山の 質問をしました 決して答えてくれない ときもあります 成長したら 先生や友人や 賢い人に 沢山の質問をします 決して答えてくれない 人も中にはいます そして私がいわゆる 開悟した時でも 沢山の質問があります
そして悟開した 最初の頃は 重要でない 質問を沢山 ありました それは答えなかった ことはその後で わかるのです 例えば 履歴である 精神的な履歴の 最初の頃は 何人かの 私が知っている マスターや 会った事のある マスターに聞きました 「何で髪を長く 伸ばしていますか」 そして いわゆる 修行者は 幼い頃から 知っている彼らは 頭を剃っています 仏教僧などです それでも ためらっていて 先生の事を聞いて 特に男性で長い髪の 先生に出会いました
でもご存知のように インドや沢山の国の マスターは 頭を剃りません ほとんどは 髪を 伸ばしているのです なぜなら 隠遁すると 髪が伸び たとえ剃ったとしても 伸びます それで 沢山の 質問がありました 全く重要でない 質問もあり 自分達に聞きました 私達は他の人に 加わって 彼らは 厄介を起すのです しかし 関係なく 本当に関係なくて いずれにせよ これらの質問は 消耗するでしょう 精神的に成熟し 高く成長したら 冷静になり 思考が平静に 人生での観点が 変わるのです
そして 人々は 私達を訪れ 沢山の質問をし 私は彼らが 満足するように 毎回最善を 尽くすのです しかし それでも 両方最良の 意志にもかかわらず 答えを理解するのに 難しい人がいます それは私達が 限られた理解力で そのかなたにある 何かを理解しようと するからです 私も以前は 多くの疑問を持って いました したがって 私たちに来て質問する 人々を私は非常によく 理解しています 彼らが十分な答えを 決して持てないように 思えますがこれが 私達の頭脳の方式です 私達はいつも好奇心を 感じています
私たちの心がいつも 知識欲があるからです それが悪いか良いか 区別なく毎日沢山の 情報を集める理由です なぜかと言うと 心は区別する能力が ないからです 大部分の私たちの苦悩 不満 偏見 私たちの間と人生の 主題との差別心は 心のこの好奇心のある 性質から来ます 心はすべての種類の 情報を収集し それを 処理して 自分自身の ものにします それで私たちは 何を 読むか 何を聞くかに 慎重であるべきです 他の人々の考えと 哲学を区分して 哲学を区分して 選択しないからです
時々 それは全く 正しいと言う訳では ないし それは私達の 心に沈んで私達の物に なる このように 思って 彼これと他の ものを受け入れるのが 私達であると考えます 後で他の異なった 情報が来て それが より正しくて 私達に より役に立っても 私達はそれを 拒否するか 疑います なぜなら以前 私達は 既に後の理論と 正反対のように見える 他の情報や理論を 記録したからです これはこの世界で 私達の生活の中で 直面する問題中の 一つです
それは 私達は 多くの憎しみ 差別 衝突を 生み出します 宗教との間に 国家との間に 隣人との間に 人々との間に それで何を取り入れる せよ 私たちは最初にまたは 少なくとも後で これらの理論 教理 またはこれらの理想が 根拠があるかどうか 又は私達の日常生活か 霊的な進歩に役に 立つか調べるべきです さもなければ 私達は戦うことにとても 多くの苦労をします 理想との間で 集団との間で 異なった思考体系との 間で ちょうど今朝のように 私はテレビ番組の上で インタビューされて 記者は私に尋ねました 人々のために 印心したくないか できなかった人の為に 迅速で簡単な瞑想を 言うようにと 私は彼らに話しました そして その後 何か問題があるなら 何か問題があるなら 瞑想している間 神に祈る事ができると 彼らに言いました
時々家で瞑想しながら 教師の言う事を聞き それで結構です しかし 時々 あなたは教師が 話したことを忘れ 指示を忘れます またはいくつかの本や 伝聞の指示で 一人で瞑想します
そして 時々あなたは 困難に陥るでしょう 私は彼らに言います あなたが要求したので 私は情報を与え なければなりません さもなければ 瞑想は 私たちが安定していて そして成長するまで 継続管理なしで私達を 導く良い教師なしで 無作為に与える べきではありません そんな訳で生きている 友人 生きている 霊的な いわゆる 教師が必要なのです さもなければ 私達は 本や秘伝の教えから 学ぶことができます 大部分の 秘法 本当の秘法は 古代から 本当の瞑想のどんな 跡も決して残しません いわゆる 心を静める 適切な方法 方便法を 除いては それで私は彼らに 瞑想した後 または 瞑想の途中 とても短くて 簡単で さえしても あなたが どんな困難に出会うか または問題があるなら あなたは神に祈って 心を落ち着けようと すべきです やがて答えが来るか 助が来ます または イエスか仏陀や あなたが信じている 聖人に祈ってください
私達の教えは宇宙的で 各種の信仰に対して 分別がありません 分別がありません そして もう一つ 加えねばなりません
私は「あなたが全ての 聖者や神に祈って 助からない時あなたを 助けるために私を呼ぶ べきだ」と言いました でも私は言いました これは大変自画自賛に 聞こえますが 私は 全てを話さなければ ならないのであなたが 信じないならそれを 使わないでください しかし 私はまたなぜ そうか説明すべきです 私がより近くいるか 近い隣人は 遠い親類より ずっと良いからです とても簡単で 論理的です でも 多くの人は 友達あるいは先生が こう言うと 傲慢に思われますが 事実ではないです
だから 論理的に 説明せねばなりません 例えば 女王あるいは 国王には外の護衛が います つまり ボディーガードですね 国王 女王の地位は 護衛より上ですが 護衛に守られています 私はその護衛です こういうことです 私はもっと近いです 同じ地球の磁場の 中にいるため 私達のエネルギーは もっと簡単に連絡でき 交流できます エネルギーももっと 簡単に受けられます 私達はもっと近くに いて同じ振動周波数を 持っているからです
そして 自分で多く 体験し 霊的にまた 物質的に多くの利益を 得たら もっと固く 先生を信じるように なります あるいは その反対です だから 思考と検証なしで 信じるべきものは 一切ありません 全てのことは証明 されるべきで 霊的な ことでさえ科学です 最高の科学ですが 科学です 過去 現在 未来の マスター達は 科学者です 彼らは 宇宙の多くのことを 知っています でも 普通の人に とっては それらは 理解し難く 信じ難いことです でも マスター達は やはり私達に教え 科学に導きます 私達自身も未来は マスターあるいは 先生になります 少なくとも 自分のマスターに なります 自分の マスターになるのが 一番難しいのでそれが 出来るため 私達は 最高の力 つまり神の 力 生まれつき持つ 宇宙の智恵を 得なければなりません
イエスが在世のとき イエスは嘘つきで 神を汚したと人々に 責められました
イエスは 自分は神と一体であり 神の息子で 父と一体だと 言ったからです 私達は忘れたのです 今でも 人々は 同じようにこのことを 忘れています 私達のこの寺院に 住んでいるのは 神以外の何ものでも ないことをです 私達が思っている 「私」は 実は 存在していません 私達は 生まれた時 何も知らず 名前さえなく この「私」さえ 存在していなかった からです 赤ちゃんに「私」が 存在していると 思うなら それを「私」或いは 「彼女」「彼」と 呼ぶのに 何の意味がありますか あなたや彼はいかに 赤ちゃんが私達の呼ぶ 「私」「彼」「彼女」だと 判断できますか 今は 私達は成長し 先生から 親戚から 友達から 多くの知識を 得てからはじめて 個人としての観念が 生まれたのです その個人が描かれます 「怒りっぽい」人 「怒りっぽい性格」 「思いやりのある人」
「頭のいい人」などと でも その頭の良さ 思いやり 怒り あるいは 貪欲さは どこから来たでしょう 生まれつきではなく それは生まれた時の あの「彼」 ではありません それは 私達が集めた情報に 過ぎませんが 私達はそれを自分だと 認定しています だから 輪廻論は 説かれなくても いいくらいです 転生するその実体すら 存在していない からです ありがとうございます 皆理解してくれて 嬉しいです 皆とても 悟りを開いていますね
いわゆる輪廻は たぶん私達が集めた 良い 悪い情報への 強い執着であるかも しれません この強い執着の 気持ちは いわゆる前世の渇望を 満たせるため 次から次はと 肉体の道具を 探しているのです ですからこの体に 住んでいた その知識 智慧 あるいは 神自身は この体を出て行き この寺院を離れたら 彼らは 他の寺院に移ります 人がある教会から他の 教会に行くのと同じで 人は同じ人です 実は宇宙には 実体が存在せず 存在するのは一体の エネルギーと 愛の磁場だけですが それは時に違う部分に 分かれます 電流と同じです 電流は電球に 電線に あり マイクの中へも 流れていきます 形が違うだけですね
電流は冷蔵庫にも流れ また違う形ですね
扇風機にも流れていき また違う形です でも 中の電流は 全く同じです 同様に私達は 最高の存在最高の力と 分かれたことは 一瞬もありません 私達はずっと その最高なのです でも 私達は 私達が得た情報と 環境と状況から 集めた習慣に執着し それを 全体から分かれた 個体 実体だと 思いこんで しまっているのです 悟りを開いた後 悟りを開いた後 自分の努力を通して もう一度言いますが 自分の努力を通して 又は霊的な友を通して 物事に対する見方が ガラリと変わります そして個人的な外見を 持っているのですが それは本人ではない ことが分かっています
その時 全ての答えが 自然に現れます または質問さえも なくなります それは最高です 質問がないことは 最高の質問だからです 悟りを開いた後 善悪の観点を あるいは 頭脳の偏見を 乗り越えられ 分かってきます 「それはただの殻だ ただの服に過ぎない 私はここにいる 違います」と 物質的な知識や 地位に縛られれば 縛られるほど 自分の偉大さを 知ることが 難しくなります 博識な人は 博識な人は 大抵簡単に瞑想 することができません
教育を受けられない 人より高い智慧を 獲得することが難しい なぜなら教育を 受けられない人は 洗われやすく しこりが解けやすい 私達の家と同じで あまりにも 物が多すぎると 新しい家具を置くために 整理する時間が より長く掛かります 物が少なければ 早いでしょう それで 一世解脱のことが 簡単に 信じられます 実は私達は既に 解脱しているからです 私達はずっと 解脱しています そして将来もそうです 私達が縛られて 不自由に感じるのは この世の知識や 習慣を一生懸命掴み それがいわゆる 「私」を認め 真実を忘れるためです 皆の多くは理解して いると思います
実際に聡明な人や レベルの高い人は 多くの講演や説明も いらず ほんの一文字 あるいは一文だけで 十分です それも頓悟の一種です 先週ジュディス コンラッド氏との インタビューがあり 今夜の聴衆の中にも 昨夜が来た人は 何人かがいます 質問や回答の やりとりの中で 彼女ははっきりと 理解しています それは私達が常に 悟りを開いている ことです すこし不明確だけです それは事実です 分かりやすい言葉で このような抽象的な 概念を解釈するのは 容易ではありません
しかし一旦それが 分かったら 私達の 心に深く刻まれ私達の 一部にもなります とても簡単で楽に 感じるでしょう しかしそれが 知的な悟りに 過ぎません 禅宗では それは「頓悟」と 呼ばれます マスターの一文字に よって ある程度 解放され 又は 完全に解放される ことができます しかし悟りを 開いた後 又は マスターの教えが はっきりと分かっても どうして瞑想が 必要なのでしょうか なぜなら私達には あまりにも多くの 習慣がありあまりにも 過去の知識が多すぎて 一回だけの体験では 開悟であることを 納得させることが できないからです
明日か明後日 忘れるかもしれません ですから私達の頭が それを受け入れるまで 悟りの体験を何度も 繰り返すべきです 繰り返すべきです 魂 内在の真我は 本当の自分を認識する だけでは不十分です 内在の真我は常に 真我を認識しています 偉大な真我は既に 自分を認識しています しかし 私達は この世界にいるから この道具 この頭 すなわちパソコンを 利用するべきです これは道具で この世界で この頭を利用して 祝福と愛を 混沌とした環境へ もたらすべきです より良い世界のために 私達の子供達のために 次世代のためにも 頭はとても 強い道具です
それこそ 私達が神を知ることを 防げようとし 私達が宇宙での本当の 地位を忘れようと します 従って 彼を見逃す ことができません 彼を友にして なぜあれこれやるかを 知らせる必要が あります 頭が完全に受け入れて 良い友になるまで そうすると私達は 幸せで楽でしょう そうでないと 頭が同意しなければ 瞑想さえも できません 無駄になります 瞑想の時 質問を し続けられます「なぜ瞑想するか」 何のために何のために 映画に行きたい 彼女に会いに行きたい どうして愚者のように ここに座るの それよりコーヒーが おいしい ケーキが おいしい 等等です
したがって 真の悟りの 無言の智識を 伝えることは別として 霊的な教師は 彼が以前受け取った 情報が彼が現在 受け取る情報と 相容れないか それを理解してないなら 彼が それが同じでないと 言うので いつも 物の重さを計るいつも 質問をする好奇心の 強い本質をみたすため まだいくつかの口頭の 教えを人々に 与えねばなりません それは私達多くが ひとつの宗教が次と 異なっていないのを 理解できない理由で それは頭脳のために そうなのです 悟った後 私達は頭脳を超え 私達は別の 角度から見て 私達は本当に違いが まったくないのを 理解します
それはとても単純な事 悟った後 私達は 頭を横に振って 以前理解できなった ことを信じることが できません とても簡単にお互いを 今は見られます でも悟りなしで私達は 見ることはできない すなわち非常に 複雑な状況 それは幻想の王が 人々を暗闇に 閉じ込めているのです 悟った後 あなたはそれが 単純なことだと発見し 何度も非常に 驚くでしょう とても簡単に理解し 私達は今まで理解 できたことはなかった 教師 マスターまたは 霊的な友人の教えは 「口頭の教え」と呼ばれ 修行の 理論上の部分です
しかし 教師が彼を 新しくして より若い 友人が新入生として 人を認めた二四時間後 より重要な部分は 無言で伝えられる 部分です その後 時々「マスター」 「弟子」のように 大言壮語するのは 躊躇しますが全ての 本がこれらの用語が 多くそして使用します そして人々は 「あなたは弟子」や 「あなたはマスター」と 話し続けます これらのものに あなたは洗脳されます おまけに私はいつも だれかを「弟子」と 呼ぶのに苦労します 私が皆さんと 多くも少なくもなく 同じ本質があるのが わかるからです そして私達は いつもお互いに 関係があり またいつも神と 関係があります 私達が誰かに 質問をしたり 弟子になることは 恥ずかしいことです しばらくの間 謙虚になりましょう すると偉大になります また偉大な自己を 見つけていないなら 偉大であることを 認めるのも難しいです そしてまた偉大な 自己を見つけた後に 偉大であることを 認めるのも難しいです
私達の自己の 偉大さを知る前は 私達が 素晴らしい事を認めるのが難しく 私達の自己が偉大と 知った後の方が より認めるのが難しい 私達が皆が偉大で あることが単にわかる 意味が分かりますか ありがとうございます あなたはとても丁寧で 私は非常にそれを見て 満足しています 全てのマスターの 理論上の教えは 過去 現在と未来で あることにかかわらず 全体のものの小さい 部分にすぎません 私達が理論だけを 学んだとしたら いくらかの悟りは 得られまた少なくとも 道徳的な人間には なります
隣人などと共有して 暴力を使うのではなく 戒めを守る必要性を 理解するように 盗むのではなく 代わりに愛を広げたり などなど しかし今 どんなマスターも 去った後に 理論上の 教えは弟子達の 説教に出席した 他の人々の録音で やむを得ず 後に残されるでしょう そして後の世代は それを学ぶか または神を見つける ためにするべきことの 指示をもつこの 記録情報として もたれるでしょう なぜなら 彼らの智識欲 神を理解するために 何でもつかむでしょう
そして それから 宗教は形成し始めます それはキリスト以前に キリスト教がなかった 理由です 仏陀以前には私達は 仏教徒がいなかった 仏教徒は「仏陀」 「菩薩」から来ました サンスクリット語で 悟り 悟りを開く そう悟った人を 仏陀と呼びます キリストはヘブライの 名前で「悟り」 それで 悟った人はキリスト として栄誉します キリストが神に 戻った後に私達は キリスト教と呼ぶ 宗教を作り上げた 仏陀が行った後 キリストから キリスト教 ドイツで彼らは キリストと呼びます キリスト教関係を 理解しやすくなります
そして仏陀は 「菩提」から来たので 仏陀についてきて 仏教の教えに 従う人々を 仏陀の教えを 「仏教徒」と呼ばれます そして 道を教えた 老子が去った後 彼らは道教を成立し 道教徒になっています それで今は少なくても 三つの宗教があります 困りますね 真理かどうかを問わず 誰でも自分が習いたい または信じたい知識を 求めることができます しかし その問題は 私達が哲学的な 相違のため 互いに論争し始め 戦い始めるとき 私達は本当に自分及び 前代のマスターに 恥辱をもたらします なぜなら 彼はいつも平和 正直 愛を唱導してますから
それで キリスト教が 最も偉い宗教である 又は仏教が世界で 最高の信仰である との事について私達は 信じるかどうかを 構わず 論争する 必要はありません 私達は 本当の宗教 仏陀が残した 老子が残した 又はキリストが残した 本当の宗教の本質を 認識することを 求めるべきです 唯一の 最も速い方法は 悟りです いかなる先生の 教理を通じて または自分の努力か 自分の誠心と切望を 通じて 多くの人は ある程度の 悟りを得ることが できます しかし 多くの人はできません たとえ自分で悟りを 得ることができても 経験がある 在世の友達 生きている先生が 導くことがなお 必要です
なぜなら 霊性の道は 見えなくてもなお 全ての道のように 熟達する 歩く及び 仕上げる事ができます しかし それは単なる 世俗の言い方です 宇宙の智慧は 非常に広大で 私達はしばらくの間 または一生涯で 全ての宇宙の智慧を 利用することが できません それで たとえ この旅を終えたと 言うにしても それを 必要とした時を除き 私達の全部の智慧が すぐに利用できません 多くの人は 世界の将来 または彼女の将来 または彼の将来などに ついて私に聞きます 私は分らないと答え 私は将来を 予測せず 単なる 現在を見つめて 現時点でやらなければ ならない事を理解 するのは私に十分です
しかし あるとき 必要とすれば 私は将来を 一目見ます 単なる必要なとき 過去さえ見ます 知りたければ 単なる必要なとき 本当に必要で 誰かまたは世界に 有益であれば 神は私に知らせます それで十分です さもなければ 私達自身に智慧で 多すぎる知識や情報で 重い負担をかける ことになります それで 悟りに対し 幻想を見る代わりに それを私達の本性 私達がすっと 持っているものとして 見なして下さい
それを知りたければ 一つの方法があります それはいつも存在する そういうわけで 人々が私に質問する時 私はいつも 彼らに答えます たとえ彼らが悟ったに しても 彼らには なお知りたいものが ありますから 単なる私が多く説明 しても 彼は理解する 意欲がなくて そこに滞在するため ずっと質問したい 場合に限り 私は「家へ行って瞑想 すれば 分ります」と 言って彼を外へ送出す 本当にそうです
本当に誠心誠意 瞑想すれば 必要なとき 全ての答えが出ます マスターに手紙を書く 必要はありません 印心後 私達は永久に そして一層深く 繋がっています あなたがマスターに なるまで いつも繋がっています さて 私は時々余りに たくさん話します
でも 真理はいつも 出て来て 時々私は 止める事ができません 神は私の口を通じて 話します そして私が 止める事を忘れないと 彼は引き続き 全ての秘密を話し出し ます そして時々 人々に自慢であると 思われます しかし全ては事実です お医者さんを見る場合 彼はあなたの病気を 治すことができると あなたに話すべきです さもなければどうして お医者さんに行って いいことがありますか 悟りのため 友達に会う場合 彼は自分の能力 あなたの悟った本性を あなたに認識させる ことができるのを あなたに話すべきです
遅かれ早かれ 私達は誰でも 光の掲げ手になれます 本来は光ですから ただ全ての情報 またはやらなければ ならない仕事 または直面しなければ ならない財務問題で 忙しすぎるので 自分がどのように 偉大であるか忘れます 自分の偉大な智慧を 利用して これらの 小さな問題を取り組む ことを忘れました 私達は自分で これらの問題を解決しようとするので それらに巻き込まれて 飲み込まれます ですから問題を 解決するのは困難です でも振り返り 問題へすべての 注意を払う代わりに 自分の足元を見て 知れば 後ろに下がり 自分は問題ではないと 思い出せば より明確に分かります だから瞑想が 必要なのです 誰が主人なのか ボスなのか また何をするのかを 思い出すのに 内面に戻るべきです
人はどのように 完全に神に委ねますか 面倒を見てくれます 開悟すれば より簡単です そうでないなら 私達は求めるだけで 頭脳は私達の邪魔をし 常に頭脳がそうする 者と感じて 私達は 頭脳に執着します それで私達は頭脳が 実行者と考えます だから開悟はより遅く あるいは速く一切を 明らかにします
私が瞑想をするとき 時々 自殺を考えます
もっと瞑想をして それを払って下さい あなたがどんな種類の 瞑想をするかは 関係ありません 時に私達は経験します
でも自分がしている 瞑想の種類を明確に 述べるべきで それで 私は更に特定できます でないと 私達は皆混乱します どんな類の瞑想でも マントラを唱えたり あるいは 「オーム」と唱えます 人はそれも瞑想だとか 仏陀の名前を唱えてる と言って 何でも瞑想と 呼びます 不正確かもしれません でも ある意味まだ 人々を混乱させます
だからご自身の瞑想や 祈祷をはっきり言って 下されば 私はより 明確に答えられます ではご自身の普段の 方法の瞑想が または小さな力を持つ どんな方法でも または師が小さな 力を持っていても それでも私達は まだカルマの影響の 局面に直面します だから瞑想をする人は 時に気が滅入るのを 感じます それに時々 環境や 一緒に住んでいる 身内や友人の 影響のせいです その相手に 同情心があるので その人から 思考や気分を もらいます 自分ではないかもしれ ないので 気をつけて なぜなら ブラヴァツキー夫人の 神智学協会に ある人の本があります
神智学協会の人々の 一人で 非常に開悟しています
彼は自身の修行の 第一段階の 瞑想での体験について 記していて 昼休みに会社で 会社で座り 自分のやり方の神智学の方法の しようとしました そしてなんだか ホームシックのように 感じ 今までに 見たことのない人々と 家などを見ました その後ホームシックは 自分の同僚から きているのだと 気付き 瞑想中に見た家は まさに同僚の 家でした またその父親こそ 同僚の父親でした
彼が見た家の人達は 同僚の 親族などでした ですから瞑想する時 自分のエネルギーの 開放に気をつけます また大抵エネルギーが また生きている 生きた師を得ていると この影響から 守ってくれます でも磁場がすでに 高い次元に 引上げられた 過去のマスターから 学ぼうとするなら 保護を求めるのに 少し困難が あるかもしれません ですから善悪に 関係なく周りの影響に より容易に受け取る 傾向がありますし 瞑想や修行体験が 自分のものか隣人のか 決して確信できません
観音法門は ラダスワミの法門に 似ていますか 何らかの形で似てると 思います ええ ある程度 似ています マスター 私は 開悟してなくても妻が 開悟した場合 私に まだ問題がありますか あります 問題があります 開悟しないのは 最大の問題です 奥様がどんどん 賢くなり あなたは 面子を失うように 奥様を「制御」するのが 困難です 気をつけて イエスは言いました 「私は世の終わりまで 常にあなた方と ともにいる」 もちろん こうも言いました 「下僕は二人の主人に 仕えられない」 これらの聖典に関する ご意見は どんなマスターも 生きている時は 同じことを言います
生きたマスターは 誠実な探求者を神の王国に 連れて帰る 義務がありますし その義務はその場で 終えただけです イエスがそう言った時 決して見捨てず 決して離れないと 弟子に 固い約束をしました またどのマスターも そう約束します あなたの 今後の継続した 瞑想を除いて そういったことは 知的には 立証し難く 公言するには困惑し 恥ずかしく感じます でも長期間の保証を 求めたいなら 神の名において 私も授けます
観音は禅や 他の東洋の瞑想を どう異なりますか 地元のマスターを 持つのは大事ですか 地元のマスターとは ええ ここの地元のです マスターと縁を 感じるなら どんな マスターも得られます そのマスターが この世の終わりに あなたを連れて 行けるほど強いなら 共に学べます 開悟を約束するか 尋ねてみて下さい 超世界に いつでも 二四時間 導くか尋ねて下さい あなたの死ぬ前と 死んだ後に 常に 一緒にいられますか 約束するなら 彼を選びます
過去 現在 未来の マスター達は 科学者です 彼らは 宇宙の多くのことを 知っています でも 普通の人に とっては それらは 理解し難く 信じ難いことです でも マスター達は やはり私達に教え 科学に導きます 私達自身も未来は マスターあるいは 先生になります 少なくとも 自分のマスターに なります 自分の マスターになるのが 一番難しいのでそれが 出来るため 私達は 最高の力 つまり神の 力 生まれつき持つ 宇宙の智慧を 得なければなりません
キリスト教の教えで イエスは言いました 「私以外に誰も 父の御許に行けない」
「私を通す以外は」です
あなたの瞑想修行に 罪悪感をもたらす 教理をどのように かわしますか
すでに私達は 偏見や予備知識で 私達を煩わせる 頭脳について 論じました イエスは言いました 「私を通す以外 誰も 父の御許に行けない」 これは正しいです 再び言いますが どんな名の知れた マスターも 同じことを言います 仏陀も同じことを 言いました 生きた仏陀に 会わなければ 解脱は困難であると 仏陀はそう言いました だから仏教徒は そう信じます 仏陀は唯一無二だと それでイエスは言い そう記録されたので 信者は キリストは 一人だけと信じます
でもどんな現存する マスターも 同じことを言います 「私の所に来るなら 父の御許へ行くのを 手伝おう」 マスターは 天の父と 繋がっているからです 私達もどうにか 繋がっていますが 上がるには少し 助けが必要なだけです それを印心と 開悟と言います では罪は 苦にすべきではなく あなたが望むなら 抱えていけますが 何の役にも立ちません 聖書や他の経典に かかわらず いかに うまく書いていても 今すぐあなたを 神の存在の中へと 連れて行けます またそうでないなら 聖書を学んで 同時に神に触れます 手段は関係ありません
私達の目的や 意思は純粋だからです 神を崇拝し 神を見つけたいと思う そして誰であれ 手段はどうであれ神に より近く連れて行ける これが聖書の目的で キリストや他の者の 目的なのです そしてイエスの言葉を 再び思い出します 私がこの世にいる限り 私が世の光であり 道である」 彼はそう言いましたね 彼が去った後は この物質世界の 光でも 道でも ありません 彼は私達に 日々の生活の指針と なるための教えを 残して去って 行きました しかし私達は 言葉によらない あるものを得てません それは沈黙の中でしか 伝授することが できない教えです それこそが 私達が神を見て 神に近づける 最も重要な部分です 誰であれこの方法で 私達を助けてくれれば 彼の所に行く事で罪を 感じる必要はないです
マスター 私達は 気の毒な中東の人々の ために何ができますか 彼らは平和を渇望し 祈っても得られません あなたとユダヤ教との 関係は何ですか あなたはユダヤ教に ついて一度も 言及しませんでした 申し訳ありません 一回の経の講義で 全ての事は言えません ユダヤ教は研究した ことがありユダヤ人に ついての本も沢山読み よく知っています 全ての宗教に全部言及 する必要はありません 私にとって彼らは皆 同じ事を言っています 開悟してこそ 沢山の事が 分るのです 今この時間でまたは 一生かかっても 語り切れません 自分で分った方が 一番いいと思います
あなた自身の ものになるからです 私がいつまでも 口頭で教えて どんな知識も 私からあなたに 伝えるとしたら 何が得られますか 自分自身を知らず 自分自身で 体験しないと ただの 間接的な知識です では最初の問題に ついてです 私達が 平和のない気の毒な 中東の人々のために 何ができるかです 西側も同じく 平和がありません 異なった戦争をします 経済戦争 懐疑戦争や 無明戦争 修行戦争 差別戦争 人種戦争など 何でも心に 愛と優しさと平和を もたらしてくれない ものは全部戦争です 今ここにいる以上 先ず自分を大事にし 先ず自分を平和に することだと思います なぜ正しい 瞑想法を密かに 伝授しますか この瞑想法には 危険があるのですか
時々危険があります 時にはです なぜなら 問題は この法門は 決して法門ではなく それを書きとめて 見て得られるという ものでは ないからです 魂と智慧を通して あなたに種子を 伝授します 言葉で話したり 文字によって又は いかなる方法で学べる ものではありません だからマスターが 在世のマスターが 必要なのです 口頭で伝えるものでも 物理的なものでも ありません 意味が 分りますか どうも 詳しく言いますと あなたはただ 恋愛小説を見て 恋に堕ちるとか 恋愛する感じを 得る訳ではありません
必ず相手がいて 必ず相手がいて 互いに愛を 伝えてこそ その愛を 感じるのです また母性愛を 説明するだけで 子供は決して 満足しないでしょう お母さんが現れて 何もいわずただ 愛を与えるまで 子供は満足しません これに関する本も 書く必要がありません 子供はすぐ幸せになり お母さんの愛が すぐわかります 傍観者のあなたには 分りません これは 方法ではないからです 私の意味が分りますか 愛は私達が 書きとめることで 満足し 体験できる ものではありません
ましてや 宇宙で最も偉大な 霊性について 言葉で表現することは なおさらできません 物質的な方法では 教えられません 開悟した人の 助けを得て始めて 分ることができます 有難うございました マスター 今晩私は 印心を受けられません 他に時間がありますか 三カ月菜食した後 いつでもできます 私がここにいない時 印心を受けるには 三ヶ月間 菜食しながら 準備する 必要があります 私が 後から人を派遣します 私がここにいれば 何の準備も必要なく 印心できます
印心を受ける準備が できたかどうか どう分りますか 自分も分らないことを 誰が分りますか それを求めるとしたら 準備ができたことです 欲しくなければ準備が できていないことです なぜあなたの弟子達に 霊力を使って病気を 治療することを 禁じていますか 何か危険が あるのですか 危険はありません ただ霊力治療師の 仕事を奪っては いけないからです 各人はそれぞれ異なる 仕事をもっています 一つの領域のことを しっかりするためには 別の分野の事を混入 すべきではありません 混乱してしまいます いいですか
真の霊力治療師の 多くは 神の許諾を得ています 手にはんこをもらったから そうするしかなく それを好んでやります 霊力治療師が 多すぎると 皆が自分で 自分を治し 病人もなく 医者も失業し 霊力治療師も 失業するでしょう そうなったら どうしますか 私達は皆音から 来たとしたら 音はどこから来ますか 音に聞かなければ なりません それは多くの質問の 一つです 音流は元々それ自身で 存在するものです 多くのものがそうです 開悟は 漸進的ですか それとも頓悟ですか それとも頓悟です
よき友人や ガイドを見つけたら 即座に開悟します 漸進的な開悟は 多くの法門を習い 買い物をするように 次から次へと多くの 法師を渡り歩いて 習うことです 親愛なるマスター あなたはスプリーム マスター兼芸術家です 創作時 あなたは 芸樹家ですか マスターですか マスターと芸術家 両者はどこが 違いますか あなたは教の講義や チャリティー活動 色んな団体や テレビ ラジオ 新聞のインタビューを 受けるなど多忙の中 それでも絵を描く 時間があるのですか 有難うございました 私も分りません 手当たり次第 するだけです
時間があれば 絵を描きます 絵を描くのと衣装の デザインはそんなに 時間がかかりません デザインは五分 絵は一時間半か二時間 かかります 私は余り寝ませんし あまり食べません 夜時間が あります 時には経の講義の間 休憩時間に または インスプレーションが あった時絵を描いたり デザインします 私達は皆仕事を しなければなりません 私達は創造力を使って この世界を美しくする ために寄与すべきです 同時に 物質的に必要なものを 稼いで 社会に負担を かけないことです 何を与えるにしても 人を自由にし 楽にさせ 安心感を 与えねばなりません 人に経済的負担を かけたり 何だか分っていない うちに先に払わせる ようなことをしては いけないと思います そういうことです これは私の考えです
なぜイエスは五つの パンと二匹の魚で 三千人に分ける奇跡を 起こしたのですか イエスが菜食者で 人も菜食して欲しいと 願うのであれば なぜパンを食べさせ なかったのですか それはそうです しかしある人は 菜食が嫌いです それは強要できません ある先生は時々 奇跡を起こします
時たまです 従ってイエスが奇跡を 起こすのを毎日見る わけではありません 一回か二回だけです 必要だったのです 状況に 迫られてそうする しかなかったのです その種の神通力が 欲しい人は習えます 今でも一部の インドのマスター達は これをやっています それを習いたければ 住所を教えます 人々は 水面と空中で歩き 何も食べません 長い時間又は永遠に 呼吸しなくても 死にません ある秘密の 不法な方法があって 宇宙の建築法を 学べば 物質の組み合わせの 方法が分ってきて 方法が分ってきて 時には死体を持って 美味しいプリンを 作ることができます
それを求めるとしたら 石でパンや魚に 変えられます 西側の人達は私より こういった事が よく分ると思います この種の問題は質問 する必要がありません 本を読めば分ります これをテーマにした 多くの本がインドでの 調査研究を 書いています 一部のマスター又は 霊修行者は必ずしも マスターでない人が 空中から色んなもの パンなどを 作り出します 彼らがこれをするのは 見せるためでなく 状況に応じてします とても簡単です 問題ありません 当時多くの人が菜食を したがらなかったです イエスは慈悲深く 外交的にしました
教えて下さい どこで そのように述べている 本を見つけられますか 聖書の中でも 厳格な菜食を守るよう 人々に言っていますか それは聖書自体で 述べられています 詩篇七八とかです 記憶が正しければ 沢山の本があります
本当に沢山の 質問があります 私達の小冊子の中では 「なぜ菜食なのか」
私達は集めました 聖書の中から 幾つかの 人は菜食であるべきと 述べてある節を それを参照して下さい そしてもっと情報が 必要な時やまだ疑問に 思う時はどうか私に 手紙を書いて下さいね さもなければ私達は 聖書を参照し続け 人々は他の質問を 好むでしょう ありがとう
オーケー ひとつ例を 挙げます でないと 彼は今夜眠れません 詩篇七八 人は神に 肉のことを尋ねた 神は雨のように 肉を降らせ その後 神は全てを殺した 神は言った 「腹のための肉 肉のための腹 神は肉と腹の両方を 破壊するであろう」 別の一節では 神は言いました 誰が殺せと言ったのだ ヤギ 水牛 私への捧げ物として これらの無垢なものの 血から身を洗うように さもなければ祈りの時 私は背を向けるだろう そうじゃなかった? この辺り覚えてますか 覚えている人は 手を挙げて下さい どうもありがとう そうね 印心を受けて 良く修行する人は その人は戻って 結婚し特定の人を 助けますか その人が来世において 非常に 気にかける人を はいその通り! とても気高い しかし再考しなければ なりません それは とても難しい事だから 結婚したければ いつでも 印心前でも 印心後でもできます
これは中国語の訳です どうしたら 意識水準を 上げられるでしょう ベジにならなければ 私達は自分自身で 悟りに 達せられますか 私達は自分自身で それを出来ますが 既に述べているように それは困難です 何らかの疑いと 危険が生じます 私達の自己でさえ 何人かの人々が必要 それを説明できる 幾人かの経験者が必要 案内人が必要 自分の 道に確信が持てるまで 最初の質問は何だった どうやって意識の 水準を上げられますか ベジでなければ です ああ解りました できます それは出来るのですが ある程度です カルマ(応報)のため 殺して得た応報のため 苦しまなければ ならないか 向上できないかです
重く引かれるので 低いエネルギーに 動物などの下位の 生物からの 私達人類は 動物よりも高い エネルギーを持ちます 動物のエネルギーを 得ると少し重くなる なぜあなたは 霊的なヒーリングを 勧めないのですか 人々が既にそれを 行っているからです なぜ私が勧めますか 私は霊的ヒーリングを 教える為にいないです あなたがヒーリングを したいならヒーラーの 所へ行って下さい 私はここでいかなる 商品も売っていません 違うお店へ 行って下さい 瞑想の中であなたは 今までに世界平和に 関する米国の ビジョンを持った事は ありますか
そういうのを見る為の 瞑想は必要ありません あなたを騙したくない 米国はいつも世界の 長兄でありました そして それは適切でした
過去において 米国は 時にはロシアもですが 米国はいつも 有能な人々を見分ける 才覚を持っています 科学であれ 医学であれ 偉大な著名人を そして彼らの事を 常に承認します 当然の名誉を 彼らに与え丁重に扱い その才能を伸ばすため 様々な点で援助します それがアメリカの 素晴らしいところ! そしていつも 世界を保護します 自分達の出来ることで あるなら何でも したがってアメリカは 主役の役割が 今もあります
他方では そう 最近の欧州は米国の 表敬を続けている 軍隊の ボスニア派遣をクリントン大統領に 頼むために そうですね 私は正しいですか 正しい ありがとう では続けます でもクリントン氏は これ以上米国人の命を 無駄にしたくなかった それは良いことでした 私としてはね
しかし 彼はアメリカ 人の命を救うために 多くの批判を受けた しかし その時でさえ 人々は主役としている アメリカを 尊敬している そして 最近 何気なく 私の弟子は 米国から 私の賞について話した 彼らは私に 霊的な先生という 名誉を与えたので 神は彼らを 光栄に思えるでしょう それで アメリは 再び素晴らしく 指導者になるでしょう 私は彼らが私を気持ち よくさせるため それを言うではない あなたが撒くと 収穫するだろうという 法のため それを言う あなたが誰かを尊敬し 特に誰かが神を礼拝し 神のために生きる 一人で神に勤めるなら それはあなたが神を 尊敬するのを意味する 神はあなたが正当な 報酬を得るのを 見るでしょう
従って おめでとう
内在な癒し方法を 使用して 心と精神を 上げられますか はい それは私達が 自分を癒す方法です
それは精神治療医が 彼らのエネルギーを 使用することによって 人々を 癒す方法です 私はHIV エイズ患者です (はい)私を助けるか 助けようとしました エイズ患者を助ける ために10万米ドル それよりもっと多い 20万ドルを 研究のために取り置き それは私ができるだけ 助けを願っています さもなければ 最も 良い助けと持続的な 助けはあなた自身が 神を見つけて求めれば 彼はあなたを助けます 私達はどのように この世で楽しく 生きたらいいですか お金などの物質的な もの 日々の存在を 支配する効果と共に 私達が自分への尊敬を 保たれていますか
何のための尊敬ですか 彼らは自分を尊敬し 私達が持つお金の 態度で生きることを 意味すると思います
分ります あなたはとても誠実で はい 愚かなくらい正直 私達はお金を儲け なければならないが 何も間違いがない いいですか 労働の汗で 地道にお金を 儲けるのは 許容されています これは義務として 聖書に書いています それで お金を儲けて 良い生活をして あなたの財産を貧乏な 人々と共有して下さい
既に印心した 何らかの理由で この道にいることが できない人々は どんな罰をうける でしょうか さて 苦しみに少し 長い時間がかかります 多分時々もう少し しがみつきます しかし マスターも その種の弟子を置き去 りにすることができず よりすくない苦しみで 早くそれが欲しいなら あなたはその道にいる 義務があります そうでなければ ただ長く時間がかかり 一世ではなく 何世もかかります 数回です なぜ 私達の先祖に 提供した食物を 食べるべきでは ないのですか
自分のしたい事をして 私は干渉しません しかし 私達の先祖が 皆亡くなったので 私達が提供した食物は 何でもハエとアリだけ ためです 分りますか それは不潔です 特に暑い国 または それほど現代の設備が 多くない しかも たくさんのハエが ある国に 暑い気候は食物を 腐らせるでしょう この食物を何時間も 祭壇の上に置いて 後でそれを食べるなら 冷たくて 腐ります あなたには良くない 論理的な理由は 私達の先祖が皆 行ったことです 彼らが天国に行ったら 神は彼らを食べさせ 地獄に行ったなら 食べられません
彼らは人間として 生まれ変わったなら 確実にあなたの食物は 彼らに届きません その上 あなたは 時々彼らを食べさせて 彼らはその間死ぬほど 空腹でしょう 私の両親は あなたの信者です 私は彼らの娘です この人生で私は どうなるかを知らない この人生とあの世の 彼らと一緒に いたいと思います この人生で 私がまだあなたの団体 メンバーでなくても それは可能でしょうか それは可能ですが たぶん しばらく 待たなければならない
いいですか 印心した人は 彼らは勤勉に 修行すれば 高次元に行くでしょう そして 印心した人の 親戚もマスターの 栄誉や妻か母親の 功労を通じて 高い次元まで行きます でも高いと 言っても 修行者と 同じくらいでさほど 高くはありません あなたの道を選んで 彼女と共にいたいなら 彼女をそれだけ愛する なら あなたの愛を 示さねばなりません ぺッ卜に肉製品を 食べさせるのは 罪ですか
皆さんは何でも 私を煩わせます 私は今ペットの世話を しなけれぱなりません 私は獣医か 何かですか 私は霊性の教師に すぎません ペットに対する愛で あなたは何でも 欲しいものを得ます しかし時々それは 彼に良くありません 私は多くのべジの犬を 見ました ネコは難しいですが 私もべジの食物を 食べさせました
だからあなたに何が できるか見て 訓練 できれば更に良いです でなければ あなたの 瞑想の功徳を彼と 分かち合うべきです 彼は解脱してあなたと 一緒に行くでしょう そして彼が天国で肉を 要求したらあなたは 再び困ってしまいます 音流と色色なマントラ 例えばフー フーウ との関係について 話してください ませんか どちらをあなたは 推薦しますか フーですか 音流と色色なマントラ との関係フーのような いいでしよう フーは古代の マントラです 古代のマントラです ポールツイッチャルが Eckankarと 呼ぶ現代の瞑想団体に 取り戻したと 私は思います 私達がフーとか オームあるいは 他のマントラを 唱えて このマントラの核心に 達した時 マントラの 外の音と溶け合い その時同時に 内面からの 音流を聞くことが できます
そしてフーの音流は 私達の霊体の中で 振動します 口を通して 唱えるのでは ありません 大部分のマントラは 内からで過去の一部の 修行者が彼自身の 自己反省のために それを書きとめました 印心後 皆さんに 修行日記を与えて 自己反省のために 皆さんが毎日進歩を 記録するのと同じです そう ある人は それを記録し その日記を残して 往生した後 他人がそれを見て 言います 「ああ」 とね 例えば 今日 私は瞑想し 内面でマスターが 新しいマントラを 教えたとします ある病気とか何らかの 問題のために 私は 一日中は半時間それを 唱えます
すると 気分が良かった 気分が素晴しかった それで私は日記に書く マントラフーは 頭痛 偏頭痛に効く とね 十万回くりかえし 唱えた場合は 分りますか しかしそれは内面で マスターから教えられ 音流はずっと内で 振動しているからです 口で唱える 必要は ありません しかし私がそう書き 人々がそれを読んで 繰り返し唱えます でも彼の 集中と誠実さで 彼はマン卜ラの聖殿 宇宙の殿堂に 入るかもしれません そして彼は 本当のフー 本当のマントラの 音流を聞きます いいですか この答えに満足ですか ある処方された薬は 私を混沌たる状態に 陥らせます この問題で私は いかに瞑想しますか
薬でですか はい それは合法の 薬で 飲むべきですが 瞑想を妨げます 分りました しばらく瞑想した後 事実 私達は薬を 必要としません 必要だとしても いつか自分で直ります 夢を見る前の 睡眠の時点で 意識を保つ 運動がありますか はい あります 瞑想です とても良い運動で あなたはただそこに 横たわって智慧の 第三の眼に集中します そうしたら眠る前に 良い夢を見ます とても簡単な運動です いかにして誰が自分の 在世のマスターで あるかが分りますか そのマスターと縁が あると感じます
でなければ 確かでなかったら 最高の力 神 イエスに祈願して 導きをお願いします そしたら遅かれ早かれ そのマスターは来ます 確実に確かめます いいですね あなたが一人また 一人と拒絶し続けたら しばらくしてイエスは うんざりし 言います 「あなたは何を望むか 私は既に三人 送りましたよ」 とね 在世のマスターは ただ世界に貢献し どんな報酬も 欲しません 彼が在世のマスター でなく あなたが やはり彼を疑うなら 試して見ることが できます 在世のマスターは 無条件ですべてを 提供しますから それで始めから 何も失わず何も 恐れることありません
あなたはいつでも出て 行けます いいですか だから本当の マスターが来た時 ちゃんと掴みます 瞑想できるように 心から障害を 取り除くには どうすべきですか 心がとても乱れて 瞑想するのが 困難です それに構わないで 瞑想し続けて 二十分ほど後に 心は静まります 彼は疲れ あなたは勝ちます そしてその時から 魂に変わり あなたは瞑想を 楽しみます 気長に いいですか 今日成功しなかったら 明日また試して そして翌日また 最後には勝ちます 心配しないで しかし大部分の 観音法門の仲間は 容易に静まります 神の力の助けで より速く持ち上げて もらえます
親愛なるマスター チンハイお元気ですか 何日か前の夜私は夢で あなたに会いました 前世であなたを 知っていたと思います 私を見た時 あなたは言いました 「なぜ私はここで あなたに会うの」 と 目覚める前に あなたは聞きました どんな気分ですかと とても良いと 私は夢で言いました 夢で私達は互いに 長い間知っていた かのように思われます 私は夢であなたに 非常に感謝します ありがとう マスターチンハイ 私の夢について 話して下さいませんか よろしくお願いします マスターチンハイ まだ何か言うのですか
あなたは同性愛を 性的な不正行為だと お思いですか いいえ
これは一種の誤認です しかし構いません あなたは瞑想した後 自分の真我が分ります そして性的問題は 世界で最悪の問題の 一つでないので 心配 しないで 気楽にして それが良くないとか 良いとしても誰が あなたを裁きますか 私はしません
誰もあなたを裁かない リラックスして 生活を楽しみ できるだけ良い人に なり 瞑想します 一世また一世私達は 男性女性を繰り返し 私達は以前の性別に 執着する傾向が あります だからその後 男性の体に生まれ 変わった時 過去の ボタンのスイッチを 切るのを忘れ自身を 男性の体の内にいる 女性と見なします だから時時 私達は誤認します しかし いずれにせよ 誰でも自身を 何らかの形式に 誤認します 私達全員は 自身を誤認します
自身が至高であると 認める代りに だれそれ医者とか だれそれ氏と 考えるからです 私達は 至高の所から来て またそこに戻ります でなければ どこから 来たと思いますか 天井からですか そしてどこへ 戻るのですか 印心の意味は何ですか 帰依と同じですか そうです 元々は それは帰依と同じです それの別名は印心です 心で心に 魂に伝える という意味です
皆さんの協力と 愛情のこもったご支援 ありがとうございます