こんばんは 皆さん こんばんは 皆さん もう一度目を閉じて 神や仏陀がこの集会を 加護して下さいます ように 祈りましょう 講演会の後 皆さんが 神や 仏陀から最良の利益を 得られますように ありがとうございます マレーシアの弟子と この会のために 尽力して下さった 全ての方々に 心から感謝します 心から感謝します 全て円滑なのではなく 沢山障害がありました しかし私達は 物事が簡単に行くとは 期待していません 特に今回 初めて マレーシアに来たので
ですからこの会は 十方の仏陀の恩恵に 十方の仏陀の恩恵に よるものなのです よるものなのです ですから私は本当に 嬉しく 神や仏陀の 加護と恩恵に 感謝しています 少なくても二日間 皆さんの光輝く顔を 見られ 皆さんの愛を 感じるこの機会を 得られたのですから 昨夜 私達は 成功裏に会を終え 成功裏に会を終え 話し合いを終えました 今日もまた同様である ように希望してます では今日も 私が学んできた事 私が学んできた事 悟ってきた事から 話し始めましょう その後で 皆さんからの いろんな質問に お答えしましょう 昨夜の質問で まだ答え終わってない ものも含めてです そうすれば 私達皆が 共に良き話し合いをし 忘れ難い時を 過ごせるでしょう 神のご加護を
今日は再び 昨夜の続きから 始めましょう 昨夜 多くの人が 同様の質問をしました 「正しい瞑想方法」に ついてです 昨夜 私は次のように 説明しました 皆さんが 瞑想方法と それを教えてくれる マスターを選び しばらくして その方法や マスターが 皆さんの慈悲心や智慧 皆さんの慈悲心や智慧 心の平穏さを成長する 手助けとなれば それは正しい瞑想だと いうことです また 多くの人が 私に尋ねました マスター無しの 正しい導き無しの 瞑想は何か問題を 起こしますか と 着魔するか と言う人がいました 霊に妨げられ精神的に 障害を受けることです 「あります 本当です」
私の仕事は私に助けを 求める人すべての 面倒を見ることです 警察官のようです 彼には 家族や友達や 子供の保護を求める 誰をも守る 義務があるのです 解りますね ですから どの国でも 様々な人々が 様々な仕事を 専門にしています 例えば医者は 病気でやって来る人 全ての面倒を 見なければなりません 警察官は保護が必要な 人は誰でも保護せねば ならないというように どんな人々でも守る 特別な人々がいます 特別な人々がいます 例えば 赤十字がそうです ご存じですね
二国間で 戦争が起こると 赤十字は こちらの国で 負傷兵が出たら世話し あちらの国で 負傷兵が出たら 負傷兵が出たら またその世話もします 誰が良いか悪いか 誰が良いか悪いか 誰が良いか悪いか 正しいか否かではなく 正しいか否かではなく 負傷し 困っている人全員の 世話をします 同様に ある衆生が存在します 人間 天使 仏陀 菩薩かもしれません 菩薩 彼らは 助けを求める万人の 面倒を見ます それが与えられた 仕事だからです 解りますか あなた自身もこの種の 仕事に志願できます
私一人が出来る訳では なく皆が出来るのです 観音法門を 修行する動機は こうした存在になり 必要とする誰をも 助けられる 存在になるためです いつでもどこでも 人種 国籍 宗教 信念を問わず 何の差別や条件もなく 助ける存在に なることなのです 幸運にもこの世界には こうした衆生が 沢山います 時々彼らのことを 耳にします しょっちゅうでは ありません 彼らを知るのは 非常に難しいです 過去世や今生で 非常に高徳な功徳を 積まねばなりません
例外として 毎日 誠心誠意に 神仏に加護や 導きを祈り求める 導きを祈り求める ことです 他の人を救うのを 専門としている 人や衆生を 知ることができます はっきりしましたね 何一つ神秘はないです お解りになりましたか 単に違う仕事なのです 単に違う仕事なのです 大抵の仕事は 報酬を伴いますが この仕事にはなく 沢山あるのですが 沢山あるのですが 迫害 叱責 障害 という形や多くの とても素敵なもので 支払われます
この種の仕事を する人のほとんどは 非常に重い報酬を受け 障害やカルマの重荷 障害やカルマの重荷 多くのひどい名声 だったりします しかし彼らは 行く先々で人々から 多くの愛も受けます 彼らと縁ある人は 彼らを 愛するのです 彼らを信じ 利益を得る人は 彼らを愛します その力を信じない人 その力を信じない人 この宇宙での その地位を 理解しない人々は 疑って面倒を起こし 例えばはりつけにさえ するかもしれません イエスのようにです 皆さんがこの仕事に 志願する前に よく 考えるよう忠告します そうすべきかどうか 深く智慧をもって 考えて下さい
私個人にとっては この仕事は最も高貴で 困ってる人々を助ける ためにこの仕事をする 人はもっと増えるべき 誰しもキリスト教徒や 仏教徒として生まれて 来る訳ではなく 誰もがあらゆる 宗教の下に生まれて 来る訳ではないから 彼らを生涯 支えていく信心の 基礎を持っている 訳ではありません ある人は信仰心を 持った生活を知らず 方向性がありません
人生に 方向性もなく 目的も 信念も慰めも ないからです 現在 通信システムが 非常に優れてるので 私達は多くの素晴しい 衆生に出会えます マレーシアでも 様々な国出身の偉大な マスターの話を聞いた ことがあると思います インドや 台湾(フォルモサ)や たぶん 他の国から来た マスターのようにです 皆さんがこういう 偉大なマスターを 知ってるなら嬉しいし 彼らの内の多くや 何人かと学んでいたら 幸せに思います
万一まだ一人の マスターも知らず どんな良い法門も 人生の目的も 見つけていないなら 私がお手伝いします 後でもっと良い マスターを見つけたら 飛んで行って下さい 私達には 何の義務もありません 何の束縛もありません また 私の弟子に なるために 宗教や生活様式を 変える必要はなく 不要です 私達はただ 皆さんの てんてこまいの人生を 鎮静化し 心に和平を 取り戻す道を提供し それで皆さんは より 快適に働け より良く 考え 多分より健康で 精神的欲求もさらに 満たされるでしょう
その点から言っても 皆さんはより効果的に 他人を愛し 助けられるように なります 私達自身 快適でなければ 他人を愛し助けるのは 困難だからです そうではないですか まず自分の面倒を 見るのです すると 他人の面倒も見れます だからイエスは 「まず神の王国を 見出しなさい そうすれば すべてが 与えられるだろう」と またそれ故に仏陀は 私達誰もが 仏陀になるべきだと 強調したのです 仏陀になることは 内在の神の 王国を見 出すことです
同じ事で 違った 言い回しをしただけで まず仏陀になれば 他の人を助けられます 自身が泳げなければ どうやって 溺れてる人を 助けられるでしょうか 論理的ではありません 他の人の命を 救いたいと思ったら まず泳ぎ方を学びます 私が 尼僧になって 出家する前 やはり多くの人を 助けていました その事に 非常に熱心でした 幼少の頃から人々の 手助けをしていました 助ければ助けるほど 無力さを感じ 決して十分助けられ ないように思えました
自分の努力が 砂漠に落ちる一滴の 水のように感じました 助ければ助けるほど 深く無力さを感じる ようになったのです その時 仏陀の言葉を 思い出し「汝自身が 仏陀になりなさい すると あなたの力は 何倍にも何倍にもなり 誰でも 助けられるだろう」と またイエスの言葉を 思い出しました 「まず神の王国を 見出しなさい」と 当時まだ 神の王国を見出して いませんでしたので それを見出す 決心をしたのです 内面に 仏性を見出す 決心をしたのです
私はこの法門で 通常よりも 他のどんな法門よりも 早く 仏性を見つけました ですから皆さんに 内面の神の王国を 探したいという 同じ熱意があるなら この法門を お勧めします 十分な熱意が ないのでしたら 私が提供している 方便法で 瞑想が出来ます 神仏や 信じてるものに対し 守り助けてくれるよう 祈るのを 忘れないで下さい 万一 緊急の場合は 私に助けを 求められます 忘れないで下さい 何の保護もなく 瞑想すると 面倒な事になる 可能性も 確かにあるからです
これは皆が知ってます 万一知らない場合にと 繰り返しているのです ですから必要時や 困難時に 私達の手を取り 助けてくれる この道でのマスターが この道でのマスターが 必要なのです 何故なら 私達の内在の天性には 二面あるからです 一面はあらゆる善 栄光 慈悲 哀れみであり 愛です もう一面は あらゆる悩み エゴ 破壊 悲観そして あらゆる否定的な 天性です 盲目的に内面の 口を開ければ 私達は 善悪二面のいずれかを 開けることになります 解りますか 良い法門 良いマスターなしには 間違った口を 開けてしまうかも しれません
すると あらゆる悪い面が 出て来て 皆の生活は 滅茶苦茶になります 内在の否定的な面は 善の面と同等の力を 持ってるとしなければ 理解せえばなりません ほとんど同等の力で 非常に似た性質です ですから 私達は導引力を持ち とても慈悲深く 哀れみ深く 力強くもなれます 間違った方の 口を開けたら 非常に破壊的で 否定的で 慈悲深く なり得ないのです 慈悲や智慧 他人への 哀れみの心に 欠けている人々が います
彼らの性質が 否定的な方へ 傾いているためです 直したいと思えば 難しくはなく 難しくはなく もっと聖書や 仏教経典を 勉強しなければ なりません 私達が信じる 宗教どれでも もっと熱心に 修行すべきです 例えば 仏教経典で 仏陀は私達に 六度万行 六波羅蜜を 教えています 第一が布施です 布施とは皆さんが 何か豊富に持ってたら 他人を助けるべく 与えるということです 例えば お金が沢山あり それほど使わないなら 困っている人の 面倒を見るべきです あるいは誰であれ 生活必需品が 足りない人を 助けるべきです
貧しい人を助けるのが 布施の道です 私は マレーシアの とても素晴らしい話を 聞きました 本当かどうか 本当かどうか 判りませんが 私が話すことで 気分を害する人が いたら どうぞお許し下さい とても素晴しいと感じ 分ち合いたいと思って マレーシアでは 他の誰かや 銀行からお金を借りて 銀行からお金を借りて 仕事がうまくいかず 返済するお金が なかったら それで 構わないというのです そうですか本当ですか そうですね
違いますか とても良いことで 非常に素晴らしいです 非常に素晴らしいです それこそ神が 本当に 望んでいることです その人に 十分なお金がないなら それで構わないのです 裁判所に出頭させ 煩わせる 必要はないのです お金が無いなら 無いのです 持っていたとして 人並みに使うなら 何てことはありません とても素晴らしいです その話で 私は二日間幸せでした マレーシアに来てから その話で ずっと 幸せでいられます 他人への 非常に素晴らしい 処し方です スウェーデンで 同じ事を聞きました 車をがないのに 運転したいと思い 運転したいと思い 知らない人の車を 知らない人の車を 使ったとします 何マイルも運転し 何マイルも運転し 家や行きたい所に 行ったとします 切羽詰まってたかも しれません 持ち主や警察官が 突然あなたを捕まえて 言います
車はあなたのではない 彼に返しなさい その人は「分りました」 と言うだけです そして彼に返します 盗みへの罰金は 科せられず その人から借りて 元の場所からそこへ 移動した分の ガソリン代が 請求されるだけです 払わねばならないのは ガソリン代だけです それだけの事です 私はこの二つの話は 完璧だと思うのです 私をとても幸せにして ある人が他の人を 自分と同様に 扱っているからです 自分にパンを買う お金がなかったら 自分を叩いたり しますか もちろんしません
お金がないので お金がないので 自分を哀れみさえし 自分を哀れみさえし 何も不満に 思わないでしょう こういう方法で マレーシアの人々は 自分達と同様に 他の人を 処遇するのです 私はこれに大賛成です マレーシアで ペナンに やって来て聞いた 非常に良い事で その日とても 幸せに過ごしました これは仏教の布施に符合します
何であれ余分にあるものを 他の人に与えて下さい
万人がそうしたら 戦争も盗みも なくなるでしょう
そうやって 私達は国を平和に していくのです
仏教によると 布施には 別の方法があり それは自分の智慧を捧げること です
ある分野で賢くなったり 悟った なら その情報を他の人達と 分け合わねばなりません 皆さんと同様の悟りや解脱を 得させる機会を与えるために です
仏教では この種の布施が非常に 讃えられ 最高の布施です
次の布施は他の人を守護する ことで 菜食をしていたら それも一種の布施です
私達は他の衆生に命と和平や 安全感を与え 恐怖心を与えない でいるからです
中国語で 「施無畏」と言います
意味は 他に恐怖心を与えない です
これも一種の布施です
ですから 常に人々に強調します 「お金を与えられず 教えを> もたらせないなら『施無畏』的な 布施をして下さい」と
他に安全と命をもたらして 下さい これもまた一種の 布施です
次は戒律です
戒律とは キリスト教にある様に 殺生しない 嘘をつかない 盗みをしない 他を害してはならない 有害中毒物を 自身や心 他を害するものを 一切摂らないことです 自分自身の如く 敵を愛しなさい イエスも同じ事を言いました 「あなたを愛してる人だけを 愛せても それが何だと言うのか 特別なことではない」 私達仏教徒もまた 「忍辱」を 忍耐を強調しています
それはどんな侮辱や悪感情 ひどい処遇にも耐えることです
これが忍耐です キリスト教の 教えも同じです
イエスが言ってます 「右頬を 叩かれたなら 左頬を差し出し なさい」と
これが仏陀が私達に教える 他人への接し方なのです 自分と同様に 彼らを愛しなさい
イエスキリストもまた 同じ事を教えています
仏教では次は戒律です 私が既に 話した殺生や盗みをしない 他人を助ける等の五戒です
五戒についてもっと知りたい なら 外のインフォメーション カウンターで聞いて下さい
私はここで人々に 振舞い方に ついての説教をしたく ありません
ですから 短めにお話します 私は皆さんの選択の参考に 仏教とキリスト教の良い点を 紹介したいだけです
さて 次は忍耐です
既に話しました イエスが言っています 「右頬を叩かれたなら 左頬も 差し出しなさい」と
そして 次は精進です
何に 精進をするのでしょうか
それは修行や瞑想 をする決心をしたら 真面目に 毎日 行うということです
戒律を守る決心 嘘をつかず 殺生せず 菜食する決心をしたら 真面目に毎日やり続ける事です
神に助けを求めて祈りたいなら 神の力を受け取るべく 瞑想をして下さい 毎日そうして下さい
毎日食べるのを忘れないように 祈ることや瞑想を 忘れないで下さい
そうすれば 皆さんの精神も 何らかの糧を得られるのです
というのは 私達は単なる 体ではなく 霊魂であり 霊的衆生なのです
ですから私達は霊的な飢えを 癒さねばなりません
霊的な飢えが癒されなければ 私達の人生が 多くの困難や 問題に陥っても 当然です
そうなると 神を非難します 「何故 神は慈悲心がなく 私達の 面倒を見てくれないのか」と
神は 私達の世話をすべく あらゆる事をしてくれています
私達こそ自分の面倒を見てない のです 道に迷っているのは 私達なのです
昨日ある人が私に尋ねました 「何故 神は万能なのに こんな 不幸を創り出したのか」と
神が不幸を創ったのではなく これら全てを創ったのは 私達人間の手なのです
神は銃も造りません 決して 原爆も水爆も造りませんでした
それを自らの手で造ったのは 私達なのです ですからやめる のです もう不幸は起こりません
私達の富を貧しい隣人に 分けていないのは私達なのです
真理を熱心に広めていないのは 私達なのです
愛、布施、忍辱、忍耐、慈悲の メッセージを他の人々に聞いて もらうべく広めることです
私達が 教会や寺のような 定まった場所に立って 弘法しているだけなら 毎日それを聞けるのは ほんの一握りの人だけです
外部の人の方が もっと必要と しているのです
教会へ行く人々は 既に何かを 知っていて 既に神を信じています そうですね
私達もまた 彼らの神への信心を 強めるよう喚起する必要は あります
寺に行く人々は 既に仏教や 仏陀について知っていて 仏陀に礼拝し 尊敬しています
善人になろうとしていて 既に何かを知っているのです
もちろん私達も彼らに 毎週毎回 信心を強めるようにと喚起する 必要があります
しかし外部の人 教会や寺に 一度も行ったことのない人や 何も知らない人にも 私達は 注意を向ける必要があるのです
ですから私達 皆が 神のメッセージを 愛、忍耐、慈悲のメッセージを 他の人々にもたらす必要が あるのです
毎回 互いに喚起し合うのです
教会の中だけではありません 通りやレストラン、ホテルや 市場、どこででもです
私達は 常に覚えてなければなりません 私達自身を覚えていて そして 他の人も喚起していくのです
ですからこの世界が 非常に 悔やむべき状態に陥ってたなら それは皆 私達の過ちなのです
神の手によってではありません
神は美しか創りませんでした 神は私達が愛でるように花を 創り 私達を温め世界を照らす ように太陽を創りました
私達に収穫をもたらすように 雨を創ります
私達を喜ばせるために あらゆる 美しく輝いてるものを創ります
神は決して 破壊的なものは 創りません
それは単に私達自身がした事で 全ての災害をもたらすのは 私達の否定的な雰囲気なのです
次は禪定です
瞑想のことです 仏陀は六波羅蜜(完全成道への 六行)を教えています
五番目は瞑想です 彼はただ布施や戒律の遵守や 愛深くなることだけを教えたの ではありません
瞑想の必要性も 教えているのです
メディテー ションは非常に重要です
瞑想なしで 私達は智慧を得られないから です
その事は昨日 話しました 私達は祈りの中で 神仏に語りかけます
私達を助け救い出し 何らかの 導きを与えてくれるようにと 頼みます
しかし 話し掛けただけで座らず 去れば 指示を受け取れません
ですから 私達はどこにも 到達できず 神仏の加護の力を 余り得られないのです
それ故 瞑想は 非常に重要です
いつでも 祈ってから しばらくの間 座るべきです
そして 内在のメッセージを 受け取ろうと 受容しやすい 状態にしなければなりません
それは 話し掛ける声や歌として 耳で受け取るのではなく 直感的理解、明確な考え そして 心のとても平穏な感覚として 受け取るのです
その時 皆さんのメディテー ションが実を結ぶのです
さて 毎日瞑想を するところまできましたので
次は 仏陀の第六の完全成道 への行 それは智慧です
智慧は知識とは違います 知識のことではありません
智慧は本から学び取れませんし 借りたり 盗んだり 買ったりも 出来ません
智慧は静かな心から 日々の 静かな瞑想から 生じ 宇宙の高次の源から 指示を 受け取るのです
それを私達は 智慧と呼びます
この智慧は 説明するのも 到達するのも難しいのです
それを得るには 忍耐と日々の 修行、誠心誠意、身口意の清浄さ が必要となります
身口意が清浄でないと 私達が 手にした智慧は何であれ あらゆる世俗的な影響や指示で 曇ってしまい 完全に純粋では ありませ
ですから 日々の戒律遵守も 必要となり 智慧を得るための準備となる わけです そうですね
また 私達は器も用意しなければ なりません
ただ どんな泉からでも 水を汲んで飲むわけにはいきません
きれいな器が必要です
器が汚ければ 水は毒されて きれいではなくなり それを飲めば 害になることさえ あるのです
ですから古代では メディテー ションを教えてるマスターは非常に厳しかったのです
教えたりせず 何年も肉体労動をさせました
ミラレパの物語を読んだことがありますか 読んでなければ 家に帰って読んで下さい
ミラレパの物語は非常に有名でティロパの物語もそうです こういう人々は皆偉大なマスターになりました
しかし偉大なマスターになる前に何年も訓練を受けねばなりませんでした
あらゆる厳しい肉体労働をして マスターの様々な屈辱とテスト に耐えたのです
阿羅漢と 仏陀の違いは何ですか 時には 阿羅漢は仏陀で 時には 仏陀は阿羅漢です 時には 仏陀は阿羅漢ではなく 時には阿羅漢は 仏陀ではありません
皆さんがどのように 見ているかによります 最も明確な定義による 阿羅漢とは 沢山の超能力を 持っていて 野獣を従順に出来たり 風を起こせたり なんでも出来る人です 仏陀は同時に 無数の化身を 持てる存在です いつでもどこでも 同時に一切を 聞き取れ 見れる存在です 彼と宇宙とは一つです 彼らは遍在しどこかに 居るのではありません 如来と呼ばれています 定義による阿羅漢は 通常の理解では ちょっとした 超能力があり 解脱してる存在です しかしまだ完全には 究極の力や智慧を 得ていない存在です わかりますか? マスター 神がこの 世界を創造したのか 自ずと存在してるか
神の所へ行って 尋ねるべきです 行きたいと 思いませんか 印心を受け 観音法門を修行します そして直接 神に尋ねて下さい 「何が最初でしょうか 卵ですか 鶏ですか」と
完全菜食をしてる人と してない人の 違いは何ですか 瞑想に影響しますか 影響します どんな影響があるか 知りたいなら 会場の外で 会場の外で 本を見て下さい 弟子が 印心後 戒律を破りす 肉食をすると どんな影響があるか 書かれています 「師弟の内なる便り」 (師への手紙)と呼ばれ これらは通常の手紙で ないからです 聞いてるのではなく 「ご機嫌いかが 「天気がいいですね」 いいえ 違います 私達は 内在での 智慧 戒律 悟りを 深く論じて いるからです そうですね 「戒律」と呼ばれてる コラムがあります 菜食と非菜食について 多くの体験が読めます 瞑想や成長に どのように影響するか 自分で 解るでしょう
私は体験から全てを お話しているのです 弟子の悟りの証明や 体験から お話しています 解りますか 無理やり何かを信じさ せたいとは思いません 証明があるのです
瞑想中 心に あるものは何ですか 何もないのでしょうか 何もありません 何も欲せず 余り多くを考えません 何かやって来たら それに任せ 煩ってはいけません ただ法門に 集中して下さい 呼吸法を修行し 呼吸を数えるなら 数えて下さい 仏陀の名前を 唱えているなら 唱えて下さい イエスの名前を唱えて いるなら唱えて下さい ここに集中して下さい 瞑想の修行で 到達すべき目的と なるものがありますか ええ 恩恵と智慧を 祈って下さい 解脱を祈って下さい 世界の平和と自身の 内在の平穏を祈ります それが最高の目的です 宝くじを当てたいとか 美しい奥さんを 得たいとかも 望めますが 最高のものを得るよう お勧めします そう 智慧を 平和を幸福を 祈って下さい 自身と全衆生のために 祈って下さい 瞑想の修行を望むと したらどんな助言を 頂けますか 私はその答えによって 心から開悟したいと 望んでいます
あなたは瞑想を したいのですね 私はとても嬉しいです 既に方法を知っていて それが助けになるなら 続けて下さい 助けにならないなら 私が昨日と今日の夜 皆さんに話した方法を 試してみて下さい これでも満足せずに 深い悟りや より深い 智慧を得たいなら また内面に深く入り より多くの 守護を得たいなら 印心を受けて下さい そうすれば 私は 最も安全で効果の高い 最高の観音法門を 教えたいと思います 親愛なるチンハイ マスター 智慧以外に 瞑想の利益を 話して頂けますか 分りました 沢山です
皆さんは幸せや 平穏を得られ 自他共に助ける力や 皆さんの五、六世代を 救い上げる力を得られ 後には皆さんが仏陀や イエスになれます 皆さんは一切を知り 困ってる人や他の人の 罪を浄化でき災害に 苦しんでる人や悩みの ある人誰でも助けられ 多くの超越的な力を 持つようになります 家族のいる人が出家し 家を離れることなく 開悟できますか もちろん出来ます マスター 自分の大事な人や 家族 国を守るために 嘘をついたら罪ですか いいえ 大丈夫です 罪ではありません
どうしたら自分が 良い瞑想をしてるかが 解るのでしょうか それがあなたに平和と 満足を与えていたら それが良い結果です 瞑想に良い時間帯は いつでしょうか 定職に就いていれば 朝早く三時~六時位に 起きるのが いいでしょう 深夜からが 瞑想には良い時間です しかしちゃんと休んで 良く眠ってからです でないとそこに座って 眠ってしまい 何にでも同意して しまいます 働いているのが朝か 夜かに関わってきます 夜ぐっすり眠ってから 最高の時間帯です
どうして今日世界には こんなに沢山の宗教が 存在するのでしょうか どうしてそれらの 多くが矛盾した 教理や哲学を有し なぜ 神はこれを 許してるのですか いいえ 違います 矛盾していません ただ私達の智慧が こうした宗教の 基本的意味を 理解するために 開いてないのです 矛盾してはいません 神は望んではいません 別なものにしたのは 私達自身なのです マスターチンハイ 創造主について 話されました
全能の神や 仏陀やイエス 観音菩薩などの聖なる マスターについて 彼らと神とは どんな関係ですか 彼らが神の弟子なら 直接全能の神に 祈った方が 良いのではないですか ええ それなら全能の 神に祈って下さい でもこれらマスターは 折々神のメッセージを 携えてこの世に やって来ました 彼らがやって来るので 私達は神を知るのです 解りますか 彼らのつながりや 恩恵 加護 助けゆえに 私達は神と つながれるのです ですから私達は彼らに 感謝します 間違ってはいません
過去のマスターを あまり 気にしてはなりません 在世のマスターを 探すべき 解りますか そうすれば神と直接 つながれるのです あなたの質問ですが 「こうしたマスターを 崇拝すべきかどうか」 すべきではありません 神を崇拝すべきですが マスターに祈るべきで 神と接触できるように マスターの助けを 求めて下さい 分かりますか 在世のマスターです 過去のマスターは 仕事を終え 他の事をしに行って しまい もう この仕事はしません
敬愛するマスター 私は多くの人々が 宗教の存在で 論争するのを 聞いてきました ある人はキリスト教が 最初である人は仏教が 最初だと言っています 私にすれば どっちの宗教が先かは 重要ではありません (そうです そうです) だから心より敬愛する マスターに悟りに 導くよう願っています 重要ではありません 正しいです 最も重要なのは 私達が信じてる 宗教の教えを 守ることです 一つの宗教に従って いれば全宗教の教えに 従う意味だからです それら殆どの教えが 同じものなのです
悟りの道では 瞑想と数珠を使っての 念仏にはどんな 違いがあるのですか 瞑想とは 静かに座り 内在のマスター 神の導きに 耳を傾けることです 数珠を繰っての念仏は 忙し過ぎて 聞くのを 忘れてしまいます 念仏や数珠を繰るのは 神に助けや導きや あれこれと祈る ことですが 求めた後で静かに座り 聞かねばなりません 違いますか 皆さんに質問したら 私は静かに 座るべきですね そうすれば皆さんは 私に何か答える 機会が 得られるからです そうですね
ですから 瞑想は 祈りや数珠を繰った 後でやることです でないと数珠を繰って 祈っても 効果的ではありません どうすれば悟りの道を 教えてくれる相応しい マスターを得たか 解るのでしょうか ええ 簡単です マスターはあなたを 悟らせる必要があり それで正しい悟りの 道か解るのです 違いますか 悟るとは光を得る ということです どんなマスターでも あなたに ある光や 神の導きを与えられ 光を伴う神との直接の 接触をもたらせれば 悟ったマスターであり あなたは悟りの道に いることになります
親愛なるマスター 仏陀は女性は男性より 下の存在だと言って どう思われますか 決して言いません それは大きな誤解です 私達には女性の仏陀も 男性の仏陀もいます 経典の中にさえです ですからどうして そんな事が言えたのか たとえ彼がかつて何か そんな事を言っても 当時のインドの習慣の ためで 女性は男性の 後ろに座らねばならず 女性は男性に敬意を 払ねばならないとか 解りますね 彼がインドの習慣を ひっくり返し 社会秩序を 壊したくなければ 女性は男性の後ろに 居て 男性の後ろに 座らねばならない 男性に敬意を払うべき と言ったでしょう 彼が広く行き渡ってた 習慣を尊重したからで 同様に私達が この国へ行けば そこの習慣や法律を 尊重せねば なりません 解りますね ですから私達が 何かを広める時 仏教徒やキリスト教徒 あるいは無宗教の人の ためだけに広められ 何故ならこの国の法を 尊重しているからです 解りますか
それは国家の法律で その法律を尊重します 同様に 仏陀がインドにいた時 彼は女性を 男性の下に置きました そんな社会だったから 解りますか そうでなければ 男性も女性も平等です
沢山の人が 霊界や死後の世界の 存在を話していますが これは真実ですか そうです 真実です 私達の世界を超えて 多くの世界があります より美しく より永遠でより愛深く よりゆったりした所 仏教の教えの涅槃とは 実際なんですか 涅槃は至福に満ちた 静寂で 瞑想中に小さな涅槃を 得られます 大きな悟りを得た後で この世を去れば より大いなる 涅槃を得られます この涅槃が仏教徒の 人生の究極の的ですか そうです
印心を受けるための 与件項目が多く 怖い感じがします
どう印心を受けるよう 鼓舞してくれますか 怖いと感じる どんな事でも 弟子に説明を求めて 私に聞いて尋ねて 全てが怖い訳ではなく そんなに怖かったら これほど多くの弟子は 集まっていません 沢山の仲間がいます 菜食をしたり 肉や麻薬を禁じたり するのは なんら怖い事では ありません 解りますね 殺生や盗みを 禁ずるのは 少しも怖くありません よく考えて下さい 病人を治す 手助けをするのは 悪い事ですか そうなら慈悲心は どこにあるのですか 病気なら医者がいます 病気なら医者がいます
また望めば 神霊治療師もいますが 私達は別の道を歩む 解りますか 人々の解脱を望み 小さな病気治癒を 望むのではありません 人々が病気になれば 病院に連れて行き 世話をすべきです 治療するのに あなたの限定的な力に 頼らず 祈り 自分の力に 頼るよう言って下さい 解りますか 小さな慈悲心と 大いなる慈悲心は 違います たとえば学生で まだ医者に なっていない時に 看護婦が皆とても 忙しく患者の世話を してるのを見て 医者になる勉強を投げ 人々を助けるべく 看護婦になってしまう のと同じようなもの それも構いません
しかしそれでは あなたは医者になれず ずっと看護婦です 神霊治療で人々を 治せば それは単にヒーラーに なっただけで 病人を助けるだけで 全衆生を助け 自由にし 解脱させ 仏陀にして あげられません 解りますか 神霊治療師に なりたいなら 可哀想な人々に 神霊治療を施して それも慈悲心ですが 皆に仏陀になるように 教えたいです そうすれば単に人々を 癒すだけでなく 人々を解脱させられ 世界を解脱に 導けるからです それはより大きな目標 医者になるのであり 看護婦ではありません 選択の問題です
あなたは在世仏という 肩書きを 受け入れますか
受け入れようが否や 何ら差はありません 私をそう呼ぶのは 彼らで そう呼ぶよう 言ったのは私ではない それに 報道関係者に 在世仏と呼ばせるのは 非常に難しいです 解りますか 彼らを買収できません 彼らが初めて 私を知った時 私は彼らを知りもせず コスタリカを去った後 そう呼んだのです 彼らは私の仕事や 私について報道して 私が既に去った後で 沢山の事を 記事にしたのです 弟子がそれらを集めて 掲載しただけです 弟子への情報用にです マスターがどこへ行き 何が起きたか
どこの国で 何が起きたかと
マスターがどこへ行き 何をし人々が どう言ってるかを 弟子に伝えるとても 正直なニュースです それだけです 皆さんが私を在世仏と 呼ぼうが 在世幽霊と 呼ぼうが 私には 何の違いもありません しかし私達は皆 在世仏です 私だけではありません 聖書によれば 私達は在世の神です 「汝自身を知りなさい 汝は神の神殿であり 聖霊が汝の内に 宿る」と 神はこの神殿に住み だから神なのです 体は単に殻に過ぎず 神殿に過ぎません 神は内面に居るのです 解りますか 私達は神 誤報を受け取っていて 皆さん自分が誰なのか 解っていません 自分の偉大さを知らないのです 私が知っているなら あなたは私のために 喜ぶべきでしょう
仏教における 最大の汚れの一つが エゴです あなたの写真を 外で売っているのを どう弁明なさいますか それは何かエゴと 関係がありますか 人々が好きなので 私達は彼らの願いに 応えねばなりません
それは皆 私の弟子がしていて 私とは関係のない事で 私が自分の写真を 自分で撮り 現像しに行き 売っている訳ではない そうですね 皆を助けたいという 善意以外 私は何も売らず お金も取らず 利益を得たりしません 私は自分の生活費を 稼ぐために 自らの手で働きます ですから私から 得るものは何であれ 無料の贈り物で 全て善意からのもの 私は毎日 手仕事をしています 自己経費を稼ぐために スカーフを作ります たとえ講演がある時も その前に少し こういう仕事をします
飛行機や 電車や バスの移動中にも 時間があれば 仕事をします それで 私には十分な 生活費があるのです 私は何一つ売りません 金銭であれ利益であれ 生じたもの何でも 再び無料で配布します 本に印刷されたり 解りますか 皆さんにただで提供し 無料で講演会に 来られる手配をします 無料で印心を 受けられたり 私達と食事をしたり 会いに来たりする 手配に使うのです 全て皆のために使って 私のためではないです 写真も 欲しければ 記念に持って行けます 欲しくなければ そうしないで下さい 私のエゴとは 関係ありません 気にも留めていません この仕事をするのは 非常に怖いことです 私の仕事を羨んだり 望んだり 羨んだりしないで 非常に怖い仕事です 時や場所に関わらず
恐怖やプレッシャーや 批判を浴びることに
皆は私を哀れむべきで 批判すべきではなく 私を守って下さい そうです 私にもっと 愛と勇気を下さい それで皆さんや人々に もっと奉仕できます ただ奉仕できます 何も取りません 親愛なる 大マスター 私は観音法門を 修行したいと思います しかし 菜食が原因で 受けられないと 思っています では 今晩 私が教える 方法を修行して下さい ゆっくりと 可能かどうか見て 可能かどうか見て 菜食へ移行して下さい
暫くして成功したら 印心を受けに来て いいですか 親愛なるマスター ニンニクと玉葱はなぜ 菜食品と見なさないか 説明して下さい それは仏教の 戒律によります 経典に ニンニクと玉葱は 情動を性欲を 刺激するとあります 修行しているなら 性行為を 最小限にしなければ なりません ニンニクや玉葱を 食べるとそれが 増大するので 私達は それを避けるのです また 玉葱は肝臓や 腎臓も害し 記憶力を鈍らすとも 言われています それで 出家者や 良い修行者は それらを食べない方が いいと考えています
解りますね 時々 瞑想中に 体が動いたり 揺れたりします トランス状態のような 説明して頂けますか はい それは瞑想中に 善の力と 悪の力が戦って いるからです あなたを 引き上げたい力と 引き下げたい力です それが続くのです 瞑想を続けて 力のあるマスターなら 誰にでも 助けを求めて下さい その人がダメなら 神や仏陀や信じる 誰にでも助けを求め ゆっくり根気よく続け これを克服できます また 生活を もっと清浄にして 菜食もして下さい 瞑想を習うことに 恐怖を覚えマスターを 見つけられないなら その恐怖心は成長の 障害になるでしょうか そうです
この恐れを 克服せねばなりません 瞑想したいなら 勇気を持って やってみるべきで 何も恐れるべきでなく 人間は 最上の創造物です 恐れるべきではない 物を見るのは目ですか それとも視覚ですか 視覚がものを見ていて それで たとえ 目を閉じていても 沢山のものが見えます 視覚という天性が ものを見ているのです ですから私達が死ぬと 目は開いてたり 閉じてたりしますが もう何も見えません なぜなら 視力が なくなったからです 生徒を悟りに導くため 触れたり 他の方法を 授けるのは マスターに可能ですか ええ可能です 触る必要はありません
チラッと見るだけで 名前だけで十分です マスターの名前を聞くだけで十分に あなたの助けになり 信心と誠実さと 謙虚さがあればです 私は仏陀の名や 宇宙の法を 唱えるという 信仰をしています 念仏や宇宙の法を 唱えながら 静かに瞑想するには どうしたら良いですか あなたは 唱えた後で 少し瞑想が必要だと 言われました 静かのと騒がしいのを 同時にしたいなら 私には何の方法もなく 暫く唱えて それから 座って下さい ええ 再び唱えたくなったら 唱えればいいのです 二四時間ずっとは 唱えられません
神の加護や仏陀の 助けを受け取るために しばらく静かに していて下さい 動物の殺生は罪ですか 罪です 彼らには魂があるのか あります 細菌や害虫を殺すのは どうですか それも殺生ですか ええ でもそうなると 自身を滅することに 食用の動物殺生は 不要です 分かりますか 第一と第二の場合は 異なります 第一の場合は 食用の殺生で 今日食物は大豆でよく 全種類の野菜が 食べられます ですから第一の場合は それほど必要ではない 生死に関わる問題では ないので罪は少し重く なってしまいます 第二の場合は皆さんは 自分の命のために 戦わねばなりません 人の命は非常に貴重で ですから有害な細菌は 医療的手段に従い 排除が許されるのです しかし 最小限に しなければなりません 解りますか
親愛なるマスター 菜食者か 非菜食者 殺生か不殺生仏教徒か キリスト教徒とか 悟りの鍵を 持っているとか 音の有無の観察に 印心を受けるとか これらは 単に頭脳に よる分別です これら全ての考え方に 執着することが 輪廻転生で これら全てに 執着しないことが智慧 これら全執着から離れ 無執着になることが 悟りです 私の考えが正しいか どうかコメント下さい アドバイスを下さい あなたが正しいと 言えば違います 智慧を得 開悟してれば 聞く必要はありません それはあなたが 悟ってないためです
その考えは不十分です 分かりますね 「私は階段には 執着しません 二階は階段ではない」 とは言えません でも階段を上って 二階に行かねば なりません 既に二階に上っている 時に 「階段は要らない」と 言えるのです 二階に上がってないと 階段は必要です この種の素晴らしい 考えがあれば それで 素晴らしい感じですが 完全開悟には 至っていません ですからまだ 私に尋ねるのです あなたには確信がない 智慧と悟りを得た者は 決して疑いません それが違いです 偉大なる先生 涅槃は場所でしょうか 精神の境界でしょうか 精神における境界です 涅槃に到達した人は 死後どこへ 行くのでしょうか 涅槃に 仏土に行きます 宇宙に戻って行きます しかしこれは 死後 解るのです
生と死 輪廻転生 天国と地獄の ようなものが あるのでしょうか どうやったらそれらを 証明できるのでしょう 昨晩 既に お話しました 修行により レベルに到達すれば 私達は自分達の 輪廻転生を見ます 生死の繰り返し そしてその法を見ます それで私達は解ります また地獄と天国が見 瞑想中に見られて その場所に行けます 人が死んだら 魂には 何が起こるのでしょう すぐ他の人間の体に 生まれ変わりますか その時より高い人間か より低い人間に なるかは その人の前世の行動に よるのですか そうです
観音法門のような 修行をしていれば 魂は完全に 解き放たれます 今生で 自分自身を 解き放てます そうすれば死後 何の重荷もなく 魂を覆うものもなく 解脱してなければまだ 少し覆いが掛かってる この世界では私達には 肉体という覆いがあり そして別の世界では より繊細で より不可視な 異なる覆いがあります でもそれもまだ覆いで 家をコンクリートで 建てたり 木で建てたりと いうように 密度が違うのと同じで それでもビジョンの 障害になります 解りますか 解脱した魂だけが 死後自由になれます 魂は生きてる間に 到達した所へ行きます どこへ行くかは 最終人生に関わります 当然です
親愛なるマスター あなたの写真を 仏陀や神と一緒に 置けますか 何か問題がありますか 望むようにして下さい 好きに置いて下さい どこもかしこも 仏国土ですし どこも私の家です マスター チンハイ 気功訓練は 健康に良いのに あなたは なぜ邪魔するのですか 気功訓練を 邪魔しましたか いつですか 昨夜ですか
してないと思います 体を動かすように言い 「気功でも何でも 好きな運動をして 体を健康に保って」と そう言っただけです 世界中の全ヨガに ついて話せません 幾つか しただけです それで十分です
他の瞑想をしてる人が 助けを求めたら 助けて下さいますか もちろん問題ないです 瞑想の最良の時間帯は いつですか 昼間の仕事なら 三時~六時の間です そうでなければ 良く眠った後なら いつでも結構です 三時~六時の間は とても静寂な時間帯で 生体活力も それほど活発では ありません 妻や子供達 夫も まだ寝ていて 家事の必要もなく 仕事に行く 時間でもありません ですから より静かで より安心して 瞑想出来るのです それだけですですから
その時間帯がいいです でなければ皆さんが リラックスしてる時 皆さんが穏やかで 瞑想が必要な時なら いつでもいいのです 空腹の時や 後すぐは 避けた方がいいです それ以外昼でも夜でも 仕事の都合や 暇な時間に 合わせて して下さい 空腹時は 良くありません 満腹時も良くないです 食後しばらくして 三十分後か 一時間後 くらいがいいでしょう あまりにも空腹だと 座って ただ食物に 集中するだけで 仏陀のことを忘れ 仏陀ではなく 食物だけのビジョンを 見ることになります
親愛なるマスター 私は仏教徒として 生まれ バハイ教も 受け入れています (それは良いことです) 私は出来る限り きちんと 仏陀の教えに従い 八正道を実践してます 仏教の祈りや その唱え方を 理解してないので 悲しく思います 私は自分が理解してる バハイの祈りに 頼ってます 正直 私は 仏陀とバハヌーラを 通して 神の加護を頂いてます 同時に二人の 宗教の師を受け入れる のは間違ってますか 間違っていません 何であれ 心地良いと 感じる事をして下さい 魂に利益があり 精神的欲求が救われる 事をやって下さい
仏陀やバハヌーラが この世界に来た目的は 平和やリラックスや 幸福や安全を感じる様 助けるためなのです あなたが誰を信頼して 何を唱えても あなたの助けになるのです あなたが幸せなら 仏陀も幸せでしょうね もしお許しが頂ければ マスターチンハイを 守護者の一人に 私はしたいのですが 三人ですか マスターが去られた時 どうあなたの臨在を 感じられるのでしょう 感じられます 十分に誠心誠意で 浄化されていれば 見ることさえ出来ます 今 私を見てるように 家で私を 見られるでしょう 何の問題もありません
あなたが 他国での弘法中に どのように 私達はあなたの 臨在を知るでしょう 今お話したばかりです 皆さんは感じられます 感じられます 生活のどこでも保護や 助けを感じるでしょう はっきりと感じます その目で 或いは 瞑想中に しっかりと 見られるでしょう それは人によって 違いますが マスターを見られる 人は 少なくなく 沢山の人が見られます ナマステ(こんにちは) この辺りの人々は 観音菩薩や九皇太歳等 信じてますが そうした信仰に 助言を下さい 皆さんを助けるなら いいと思います 夢の働きとは何ですか
またその重要性とは 何でしょう 非常に沢山の複雑な 働きや沢山のものを 夢は含んでいます 時に昼間考えた事を 皆さんは 夜 夢で見たりします 時に夢は未来を 予告したり 過去に関連して いたりして複雑です 夢見人に聞くか 夢の本を買うべきです それを詳しく説明する 時間が 私にはありませんので 夢の事をリトリートの カセットテープで 話した物があります 聞いてもいいでしょう 悟りに到達した人は もはや 輪廻転生を しないのでしょうか もう経験しません イエスキリストは 真に神の子だったのか あるいは単なる 大超能力者でしたか
彼は神の子でした あなたも また神の子です ただあなたは それを知らず 彼は知っていました 多くの中国人が 祖先崇拝をしてますが それについて何か アドバイスを下さい させておいて下さい 親愛なるマスター チンハイ ナマステ 解決の手助けを お願いします 観音菩薩とは誰ですか 自分の信仰で その存在を信じ 沢山祈っています 生きてる間に 彼女に会えますか どうしたらいいですか それは難しいです 近道は印心を 受けることです 早ければ 印心の時に 会えるかもしれません または少し後に 会えるかもしれません
観音法門なしでは あなたがいつ会えるか 私には解りません 会えるかもしれず 市場には 「セス・ラムサを語る」 というな 自己発見と 悟りを教えている本が 沢山 出回っています 彼らは誰でしょうか あなたのような マスターですか 神の力が 乗り移った人達ですか お答えする前に読んで みなければなりません しかし読書と どんな教理も あなたを 悟りへは導けません それは確かです 在世のマスターに 接触せねばなりません
誰が観音法門を誰が 発見発明しましたか 観音とは大悲の 女神のことですか 違います 彼女はこの法門を修め 大悲の女神のレベルに 到達したのです
この法門は古代に 神より仏土より もたらされたもので 誰かが考案したもの ではありませんが これを修行すれば 観音菩薩と同じように 優れた存在になれます
現実的に 全人類が開悟するのは 不可能です 理論上では 人類が開悟し 輪廻転生から 脱却すれば 地球の 環境汚染は究極の 終焉を迎えますか その必要はありません 私達は開悟しつつ 共に調和を保ちながら 暮らしていけるのです 地球を去る必要さえ ありません たとえば 私は地球を 去ってはいません まだここにいます 私が望めば 帰るでしょう 開悟してない人々は 地球に戻りたくても 戻れないのです それが問題です この世に住みたいなら 悟りを得て それから 戻って来て下さい 解りますか 調和の中で 共に暮らすのです 神や創造主は 苦しみを終わりに するために時の流れを 創ったと考えられまか そうなら なぜですか 低レベルの動植物を 存在させるためですか いえいえ 違います 既にお話したように 開悟して下さい そうすれば解ります
親愛なるマスター 私達夫婦はとても 愛し合っていて 観音法門を心から修行 したいと望んでます セックスを やめるべきですか
開悟するために 私達の関係を 変えるべきでしょうか いいえ ただ感じるままに 徐々にそうして下さい レベルに合わせてどの 押しつけも良くなく ある時突然に 望まなくなります それが最適な時期です でなければ出来る限り コントロールして 下さい いいですか 時間やエネルギーを 瞑想や人類への 良い事に使って下さい セックスが 罪深いのではなく 多くのエネルギーと 時間の浪費なのです もっと良い目的の為に 使えるのです そういう事です 最低限にすべきです いいですか 咎めたりしません アドバイスだけです 夫婦間で その関係は良い事です いいのですが 乱用すると 良くないです
菜食料理の中に 肉が少し 含まれていても いいですか 完全百%の変更は 難しいです 徐々に変えていく方が 簡単です この方法をやるのを 認めて下さいますか 徐々にやってみて 完全な菜食者に なったら印心に戻って 来て下さい いいですね 徐々にしたいなら して下さい 私に一緒に進むように 頼まないで下さい マスター たとえば仏陀とイエス 二人のマスターを 崇拝していたとします その場合 同時に仏陀とイエスに 瞑想出来ますか 出来ます 両方を求められます 両方が来るでしょう
ある日 仏陀とイエスが一体 だと気づくでしょう 聖書には 二人のマスターに 仕えるべきではないと 明確に 述べられています 仏陀を愛すべく イエスを拒否すると いうように 聖書の教えは 仏教教典と 相反するのでしょうか 個人的意見は いかがですか 聖書の意味は 神と悪魔に同時に 仕えてはならないです イエスと仏陀は 双方とも 聖者で神の代表です 両方を もっと多くを 愛せます 歓迎します マスター 私は以前 タイで僧侶でしたが 既に還俗しています タイの僧侶は 今日に至るまで 大多数が肉食を しています
彼らは悟れますか 究極には悟れません 仏陀は「肉食者は 魔王にしかなれず 仏陀には決して なれない」と述べて 楞嚴経には そう書かれています 私に文句を言わないで
菜食者として 貝は食べられますか 食べてはいけません
敬愛するマスター 太古より ずっとインドは 聖者の地であり 今日最も偉大で 有名な聖者が サイババです サシャ・サイババは 何者ですか 彼は聖者の一人です 最も偉大な一人ですが 唯一ではありません サイババは今回 再び生まれ変わったと されています 前世は 非常に有名な ヒンズー回教の聖者で 多くの超能力を持って 多くの人々を 様々な場所で 同時に助けられます 信者は常に彼を崇拝し 望むものを得ています しかし彼は人々に 自分自身を解脱させ マスターになる法門を 教えていません
ある人を崇拝でき その人から 利益を得られますが あなた自身が 彼や 或いは マスターになるのは また別の問題です 彼は沢山の人々を助け 大変慈悲深く 沢山の超能力が あります 現在でもそうです 超能力で非常に有名で 人々を助けています そうですね 私が知る限り 彼は人々に 解脱の方法や 自身の主になる方法を 教えていません 私達の法門は 自身が自分の主や マスターになるのを 教えているのです 崇拝するだけでは ないのです 私を崇拝しなくてよく 私は決して弟子に 崇拝させたことはなく どこで自身の偉大さを 価値を見出すかを 教えただけです
私を崇拝し 偉大だと思うのなら 私になる方法を 教えましょう 解りますか それが違いです
マスター 私はいつも 人々が 神や無上の創造主が 全衆生を創り出し 全能の神には 万能の力があると 言うのを聞いています それが本当なら 無垢な人々を 殺すのを容認せず 戦争や悪が起こる前に 何故止められない のでしょうか 本当に無垢な人々では ありません 必ずしもそうではなく 彼らは前世で 人を殺したかもしれず その人が戻って来て 殺してるのかもです 次に彼らが戻って来て また殺します その次にこの人が 戻って来て殺します 殺しが繰り返されます
こうして輪廻は常に 継続するのです これらをやめるべく 私はここへ来て神の メッセージを伝えます 人があなたを叩いても 叩き返してはいけない とイエスは言いますね こうして私達は 輪廻を断ち切るのです 彼らを叩けば 次に叩かれ 殺せば次に殺されます 殺せば次に殺されます 次は殺し 次の次には・・・ 彼らがあなたを殺し このように続きます いけませんやめなさい 菜食者になって下さい 殺生しないで下さい
マスター 命日に家で仏壇に 食べ物や果物などを 供えて祈れば 先祖は何か 利益を得ますか 私はそう思いません 彼らは天国や地獄 或いは生まれ変わって 他の所へ行きます 天国へ行っていれば 汚くて安い 果物など どうでも いいでしょうし 地獄へいれば 食べに 上がって来れないです 動物界に生まれれば あなたが言う事は 何も聞こえず 他の人間に 生まれ変わっていれば 果物は必要ないのです
マスター 観音法門でどうやって 開悟できますか またそれは どんな感覚ですか あなたが悟れば 尋ねる必要ありません とても早くて明白です 感覚は 後で あなたが開悟したら 解ります あなたが仏陀で 全てを知っているなら 全てを知っているなら なぜ質問を読むのに 困難をきたしますか
私は全て解っています 仏陀も幾らか 質問せねばなりません 解りますか 昨夜 説明したように 仏陀は神であると共に 人間なのです 人間のレベルにいて 人間の様に機能します しかし他のレベルでは 仏陀の様に機能し両方 同時に起こるのです 解りますか 人間に対処するなら 人間でなければならず さもなければ皆が来て 私をまねし超能力だけ 求めることでしょう 私と修行して すぐ何でも読め 全言語が分って 人々に見せびらかせば 一瞬で 全世界の人が 仏陀になって去り 祖父母や子供達 赤ちゃんと 別れなくては ならないでしょう これは許されません 解りますか 例えば あなたが ある国のスパイで 敵の国で あなたの地位が とても高くてもあなたは何も知らないタクシー運転手の様に 働いて タクシーを 運転しなければならず そして言います 「これは何でしょう
分りません あれは何 彼の名前は何ですか あれは何ですか あの人は大統領ですか どんな大統領ですか」
あなたは全て分ります 理解できますか 分かっていますが 分かっていないのです
全てを知っていながら 同時に 何も知らないのです 印心の時に 解るでしょう 私が何も知らないと 言うのなら それは正しくないです 瞑想中に あなたが 私にマレー語で 質問をしたとします 私はマレー語で 答えますが ここでは答えません 分かりますか フランス語 ギリシャ語 ラテン語 どんな古語や 方言で尋ねても 内在のマスターは 全く同じ言語で 答えます ですから マスターは全言語を 知っています ここでは 知りません 皆さんが私に 見世物に超能力を 求めるのと同じです 私は見せません 誰も見世物にしません イエスもしません イエスも何かを 求めねばなりません 水や食物を求め 人々に足を マッサージさせました 必要はなかったですが させた 解りますか
私は 仏陀やイエスや サイババの様な多くの 聖なるマスターには 同じ特徴があるのに 気づきました 彼らは手をかざします この意味は 何でしょうか 瞑想と関係が あるのでしょうか 加護を与えるためです しかし 真のマスターは 加護を与えるのに 手をかざす必要はなく 一目見るので十分です 見る必要もありません そのマスターが 物質世界に在世中なら 家でマスターの 名前を聞いただけでも 誠心誠意 祈れば 同じ利益や 加護を得られます マスターの写真を 見て祈るだけでも また加護を得られます マスターにとって 手や足や頭などを かざしたりする 必要はありません 人々を加護する 沢山の方法があります しかしピースサインや 挨拶の仕草と同様で 一種の習慣に過ぎず 私も挨拶に手をかざし このような事もします 私の力の見せびらかし ではありません 何でもありません 解りますか
マスターは 在世の神 在世仏だと宣言します どのように 宣言や 悟りを証明しますか 私は自分で解ってます 誰だか知っています あなたもまた仏陀です あなたと私の 唯一の違いは あなたはそれを知らず 私は知ってることです ですから それが 一体何でしょう あなたが医学を 何年も学んでも 自分が卒業し 医者の資格を取り 医者なのを知らねば 何が解っていると いうのでしょうか あなたが長い間 医学を勉強し 大学を卒業して 医者になっていれば 自分が医者だと言えず 大した事ではないです
根據経は釈迦牟尼仏が 大涅槃に入る前に 開悟した仏陀 一般に知られる 弥勒菩薩は 現在 兜率天に住み 人間が もはや神や聖者を 全く信じなくなった時 人間が動物になった時 その時にのみ この世界に降りて 来ると言っています 人間が動物になり やって来て どうやって動物に法を 説けるのでしょうか 人間に話し救うのさえ 難しいのに どうやって 動物に話し掛け 悟りに導くのでしょう 仏陀はそんなに長く 待てないと思います しかし私はこの事を 別に説明しています 時間がありませんから それを聞いて下さい この破壊的世界から 人類を救済すべく 真のマスターがついに 姿を現したのですか
いつでも来ています いつでもです 私達の肉体には たった一つの霊魂が 宿るのでしょうか 別の霊魂も 取り付きますか そういう事もあります 良い霊魂や悪い霊魂が 取り付くことが あります しかしどんな霊魂でも 全く取り付かない方が いいのです 私達は自由で 私達自身のマスターに なるのですから 日常頭痛に襲われます 私を助けて下さい 私はまた眉間の所に 蟻が這っているような 感じがします それは瞑想が 間違っているのですか そうではありません ただそこに注意を 向け過ぎているのです 毎日しばらくの間 こめかみに 手を当てて下さい そうすれば 頭痛は良くなります 頭痛薬を飲んで下さい マスター 多くの中国の習慣で 死者に果物を供えます
それから 紙のお金 家 車などを 燃やすことが 一般的に中国人の間で 行われています それは別の世界にいる 死者に 役立ちますか いいえ 生きてる人を助けます
いい商売になります もし私が良い弟子で 信奉者なら どう 私を助けてくれますか そうですねぇ 観音法門を修行したら 何を得るでしょうか そうですねぇ 私が病気なら どう 私を助けてくれますか そうですねぇ 皆 未来の 質問だけですから 私は様子を見てみます キリスト教には 一冊に編集された 聖書があり 回教徒には 一冊のクルアーンが あります 仏教経典は一冊に まとめられますか ええ 出来ます 一冊ですね
経典を一つにまとめて 縛り上げて下さい それで一つ出来ます
マスターの導きが 最も必要な時に どうあなたの臨在を 感じ取ればいいですか あなたがペナンから 離れた所にいたら 観音法門の修行中に きっと起こる 多くの問題を どうあなたに相談し 答えを探したら いいのですか 手紙を書いても 電話をしてもいいです 今日では 難しい 問題ではありません マスターに 張り付いてる 必要はありません マスターが来るのが 見えますし 臨在を感じられます あなたはマスターの 助けの手をどのような 状況でも知れるのです 非常に明白です
どんなことであれ 疑う余地はありません あなたには この体験がないので 疑いを抱いています いったん 印心すれば 解ります 白黒はっきり解り 尋ねる必要は ありません あなたに 手紙を書けますか 書けます あなたはこんなに 沢山の弟子に 同時に答えられますか 答えられます 最優秀の助手の答えも あなたの答えほど 優れたものには なり 得ないと思いますが もちろんです 私があなたに手紙を 書き サインします
あなたは 別の案がありますか 瞑想中に 理解できない沢山の 幻覚や障害があり あなたの個人的導きが 必要です でないと 多くの弟子が真理の 道から逸れてしまい 精神障害を 起こしてしまいます そんな事はありません 一切 起こりません 精神障害になったり 道に逸れてしまう 者などいません そうですね そういう事は 起きません 印心前からなら別です ゆっくり問題を解決し でなければ何の問題も 起きません 決して 親愛なるマスター 人口は年々 増加してますが 仏経を修行する 人々の中で 阿羅漢や 悟りのレベルに 到達できる者は 非常に少ないのは 明らかです あなたは人生において 勝ち目のない戦さが 続くと思いませんか どれくらいの人々が 実際に貴方の教えから 利益を得ていますか 多くが利益を得てます ペナンでは 初めてなので 多くは 見られないでしょうが 全世界では とても沢山の 無数の人々が 利益を得ています
因果律は不均衡な 人口増加を 助長してるように 思えます 幸運にも観音法門を 危機にさらして いないようです 神や創造主は こう 意図したのでしょうか 悪は善に勝利できない のは確かですか ご意見を頂けますか 分かりました あなたの慈悲心に 感謝します 人々に話し掛け 人々が解脱するのを 助けるのは 難しい事です それは彼ら自身の 過去世での 誤った行為のせいです イエスを はりつけにした人々や 仏陀を中傷した 人々にとっては 現在までにこの 悪いカルマ(報い)を きれいにするのは 難しい事です
そうした人々は 神の下へは来れません まだダメです しかし 私達の 修行グループの 広がりによって 徐々に そこまで到達できると 思います 智慧を灯す 事で闇の世界を幾らか 明るくすると思います 一つの灯し火でも全く ないより良いのです 今 私達から始めます 待つのではありません 他の人々は後で 時間が来たら その時に来るでしょう どこから神は来ますか 人間の想像でしょうか いいえ 私達は想像できません 私達の想像力は余りに 乏しいからです 神はそのままに永遠に 永遠に存在しています
敬愛する マスターチンハイ あなたは 私達が元々 神の子であると おっしゃいました 神は物質世界で私達が これ程苦しむのをなぜ お許しなのでしょうか 私達は平和で幸福な 世界に住むべきでは ないのでしょうか どうかこの点について 私に悟らせて下さい そう そうすべきです 私達は平和で幸福な 世界に住むべきです しかし神の意志や法に 私達が反して 間違った事を 沢山した為に 今祈らねばなりません 抜け出す道はあります 私達は悔い改め 神の所へ今戻ります その時ですそうですね
マスター最後の質問で 中国語の質問です 印心を 受けられなかったので 以後瞑想中に 印心を受けられますか 彼はまだ 私が戻って 行くのを待っています フォルモサ (台湾)やアメリカ どこへでも 印心に行きます 肉体を伴なわずに 印心を受けるのは 可能とは言えません 何故なら 内在の言語を 理解しないからです 非常に熱心に瞑想し マスターの出現を 見たとしても そんな短時間では 全ての指示を完全には 納得できません そこで瞑想したり 何時間もマスターに 会ったりするのは 困難なのです
それで 印心の指示が 必要になるのです 解りますか ですから 貴方は私の口から直接 指示を聞いて下さい 瞑想から得ようと 待ってはいけません とても難しいです 可能ならば そうしています 来る必要はありません ありがとうございます 皆さんの忍耐と愛を 本当にありがとう 良いことがあるように 菜食になり 瞑想をするよう 神や 仏陀を覚えてるように 努力して下さい 加護がありますように
仏陀になるのは ある意味普通です 印心のよき あなたは既に 仏陀になったのです 仏陀のパワーの海と 繋がったら 私達は その海の一部になり いったん水滴が海に 落ちれば それは海の一部に なるのです
スプリームマスター テレビジョン 十一月七日 日曜日 スプリームマスター チンハイの智慧に 満ちた講義 題して 「印心を授かって 仏陀になる」を 智慧の言葉で ぜひご覧ください
スプリームマスター テレビジョン 十一月九日 火曜日 スプリームマスター チンハイの示唆に 満ちた講義 題して 「印心を授かって 仏陀になる」を 智慧の言葉で ぜひご覧ください
本日のム スプリーマスター テレビジョンの スプリームマスター チンハイの意味深い 講義 題して「印心を 授かり仏陀になる」は 智慧の言葉にて