親愛なるマスター ソフィアの全ての 真理の探究者を代表し あなたを歓迎致します あなたをここに迎え とても嬉しく思います 大いなる光栄です ご出席に感謝します ありがとうございます お招きに感謝します
ゆとりがないですね ないです 皆さん 私と一緒に ここに座りませんか 宜しければどなたでも 上がって来て ここに座れますよ たぶんより快適です どうぞご年配の方 ええ 宜しければ ここに座れますよ まだ三つ席があります 私はとても小柄です
私達は顕花したいと 思います こんにちは ありがとうございます ありがとう まあ こちらへいらっしゃい 良い物をあげますよ いいですか 欲しい? これはあなたに (ありがとう) ありがとう どうもありがとう
こんばんは 私は皆さんに 私の マスター探しの過程を 分ち合いたいです 多分何世もの生涯を 掛けて探し どんなに 長かったか分りません 幼少からの経験が 私はこの肉体でなく 思想とか感覚でないと 私に示しました そして私達は皆 霊的渇望がありますが 私はそれが強烈でした 私はあらゆる瞑想の 本を読み マスターの開講する 各種の瞑想クラスに 参加しました これらのいわゆる マスター達は現在 私にとって先生です
私はどんな機会も 逃さず くまなく探し 二年前 私はマスター チンハイの 小冊子を見付けました 三つの事柄が私を 大変感動させました 第一に小冊子の中で 菜食の方法について はっきりと 説明されていました 第二に 初めて 私は 寄付を受け入れない マスターに会いました 今日お分かりのように 彼女は全て無料で 教えていますは 第三に 印心のとき 誰が本当のマスターか 理解します 彼女のエネルギーと 光を感じます 私は一カ月前に はじめての機会があり 印心を受けました
これらの事柄は 説明することができず 体験することしか できません 印心のとき マスターチンハイとの 内在の繋がりを 受けました これらは体験 しなければならない 強力な感動です 私達は決して異なる マスターを区別 しようとしていません しかし彼女は単に 本当の在世のマスター これは 私が捜したものです 私が見つけたものです 私は単に幸せなのです 皆さんがこの機会を 逃さないよう望みます この体験は 非常に個人的です 印心を受けることを 決めれば 皆さんは誰でも 自身で何かを 体験します
ありがとうございます ありがとうマダム それでは今 マイクを マスターに お渡します 皆さんがもたらした この愛の雰囲気に 本当に 感謝します それに私は自分で 見つけた幸せと喜びを 皆さんと共有しに 来たのです 私の経験はこの地球で 生存のために奮闘して いる皆さんに役立つ かもしれません
神の命により私は この仕事をしていて 名声や弟子を求める ためではありません これは神が指令した 仕事の一つです 例えば今生で神が 皆さんに様々な仕事を 令じたのと同様にです でもこれは疑いもなく 私がやった仕事の中で 最も難しいのですが それと同時に 最も 充実感のある 能力が 試される仕事でもあり ます 人々に幸せを もたらすからです 自身の神の力が 再び目覚めてから 見つけた この内面の幸せ平和と 至福は これは私のためでなく 皆さん自身のため 神のためです
あらゆる聖典の中で 私達は神の子供であり 私達が神の神殿であり 神は私の内面に 住んでいる ということを 言明するからです ある人は前に 思い出していて ある人は 思い出してないので 私達の生活は 互いに 少し異なります 神を見つけた人 神を覚えている人は もちろん 幸せ 智慧 愛ある優しさが あります 神が私達の内面に 住んでいることを 思い出してない人は 時々 またはしばしば 生活が非常に難しく 幸せと内面の平和が とても不足している と感じます
それでどんな理由でも 思い出していない 人々のために 私達は思い出させる ためにここにいます なぜなら 神を見つけない限り 今生と来世で 真実の幸せ 本当の平和 永久の 至福を見つけなれない からです それで私達の人生で 一秒でも 神の存在について 疑いを 感じません 私達は異なる名前で 神を呼んでいます 異なるやり方で 神を崇拝しています 私達は異なる言語で 神を呼んでいますが 時々 神が存在するかどうか 疑います 神が私達の期待通りに 時々 または直接 私達の祈りに答えない と感じるからです
神が私達の要求を 無私したのではなく 神が私達の言語 または私達の欲求を 理解しないのではあり ません 単に 私達はどのように 神と話すか どこで 神と連絡するかを 思い出していないだけ また いわゆる印心は 単にこの記憶を 再び喚起し 自分の真我 すなわち 私達の内在の神と 再連絡することです 神は すでに 私達の内面にあるので 思い出すのは 本当に 一瞬のことです そういうことです 即刻です ポケットや財布に お金があれば それを出すのに ほんの一秒しか かからないのと同じで お金をどこに置いたかを 覚えていないなら 当然見付かりません
私はタクシーでここに 来ました 財布にお金があるので 運転手がいくらと 言った時 私はただ財布を開け お金を出して運転手に 渡せばいいのです たとえばこの大きな ホールの隅々まで お金を捜そうとしても とても広いので 見付かると思いますか もちろん見付からない 銀行に沢山お金が あるからと思って たとえ銀行に行っても 見付かりません それは私のお金では ないからです だから「いかに神を 見付けるか」の質問は 「どこで神を見付ける」 神の居場所を知れば とても簡単です その場所を 知らなかったら 何百年何千年 捜しても 無駄です 私も若いときから 長年捜していましたが
非常に失望を 感じていました 多くの経典はいかに 神を見付けるか 教えてくれません 経典には ただ 偶然に神を見付けた 古代の聖人が 神と繋がったときの 体験が 書かれているだけで どうやって どこで いつ 神を見付けたか つまり彼らのやり方に ついては 教えて くれないからです 今は分りました 神への道は 言葉では書けず 言葉でも言えなく どんな言葉でも 話すことは出来ないが すでに目覚めた 魂を通して 既に神を思い出した ほかの人を通して 再び目覚め させられなければ ならないのです
そのような友に出会い 神と再び繋がりたいと いう願望があれば それは 一瞬に出来ます それは沈黙の中で 行われます 無言の交信で 神とつながり その後も 毎日 いつでも好きな時に 神と繋がることが 出来ます あなたが神と静かに いようと選んだ場所 ならどこでもいいです 家 バスの中 飛行機 タクシーの中 公園など でも もちろん 他の全てのものより 神を望み その願望は 本当に真摯でなければ なりません そうなければ 子供でさえ 簡単に毎日神と 接触出来ます
神と繋がればそれ以後 私達の生活は 奇跡に満ち どんな奇跡でも起こり 何でもうまく 手配されており すべてに愛が満ち溢れ 調和の中で 私達の魂は 今までその存在すら 知らなかった 平和を見付けられます そのため 古代から 多くの聖人賢者は 世俗的な世界を全部 放棄したのです 彼らは 神を見付けた 内面の喜びに 非常に満足させられ この世界からは何も 必要としないように 感じるからです それは彼らがこの 世界で生活できない という意味ではなく 私達が引き続き この世界で義務と 責任を 果たそうと思えば そのまま継続できます
しかも もっと精力的に もっと献身的に もっと愛情溢れる やり方で もっと智慧のある やり方で 継続できます 内面で見付けた愛は 途方もなく大きく 内面で見付けた 平和は揺るぎがなく 永遠なものであるから 永遠なものであるから 私達はこの世界の どんな重い責任でも 後悔なしで 遂行できます しかも 疲れも感じないし 逃げようともしません 実は 世俗放棄とは この世界から逃げ出す ことではありません それは ただ私達に その自由があれば 全部の人生を もっと大きな目的に 捧げ もっと多くの 人々に奉仕し 全世界のために 奉仕することなのです 神を知った後 ずっと 私達の内面にある 智慧を見付けた後 もちろん私達は もっと良く世界に 奉仕出来ます 私達は内面から 多くの能力が目覚め 多くの才能が 思い出されます 問題解決のため あまりにも 多次元の方法が あるから 私達は 忙しく なるのです でも 私達は心より 助けを求めに来た 全ての人にその力を 分合いたいと思います
私達はこの世界では 言語の問題があります
そして 時々それは 戦争も引き起こします 神は一つの言語を 創りました それは聖書で「言葉」と 呼ばれています
かつて私達はその同じ 言語で共に話しをして 問題がなかったのです その言語は神の言葉で 神だからです かつて 私達は その言語を知っていて 神と一つになります
私達は始源を覚えて います それは私達 全員が同じ構成要素 同じ父から来ています それで私達は本当の 兄弟と姉妹なのです この言語を忘れた人が いるのは残念です 従って この世では 私達には 互いに とても多くの 誤解があります そして とても多くの 仕事がスムーズに 行かず とても多くの 国際交渉が うまくいっていません 私達が人間の言語で 交流できないからです 私達の修行団体には ありとあらゆる国籍 ありとあらゆる宗教的 信者があります しかし 私達は平和で 調和で一緒に働きます 初めて互いに見る瞬間 まるで数千年の間も 互いを知っていた ようです
なぜですか それは私達が同じ 内なる言語で話し そして 私達はより 高い意識レベルで 理解し合うからです この天上の音楽は 私達が今生きている 間に聞くことができ すると神が何を私達に 教えたがっているかを 理解できます 天からの指示 神のご意志が 私達がこの世で 誤らないようにと そして 私たちはより 天命に従い調和して 生活を送るのです その言語は 神の言語だからです 神 自ら私達を 教えるスプリーム マスターです 神は私達の体に 住んでいます 私達の中にいます とっても近くて 神は私達です
私達は神です 聖書には 言葉神と共にあり 実際に 言葉は 神であると 述べられています それで この言葉を 聞く時神を知るのです そして 私達はここに おいて皆さんにどう もう一度神の言葉を 聞き どう直接 神と会話するか どう神の指導と助言を 聞くか思い出させる ために教えるのです それで私達はもう神に 祈る必要はないのです 神は全てを知ってます どうやってある問題を 解決するかとか ある要求を満たします 私たちが尋ねる前に 神は私たちに 教えるでしょう 神はすでに常にそこに いるからです ただ私達はどう神と 連絡するか忘れただけ そして もちろん全て 私達が皆さんに お見せします すべて いまでも いつまでも 無料で教えるのです 私達は兄弟であり 同じ家族で同じ父が いるからです ですから私を含め 私達自身生活のために 働かなければ ならないわけです それで 私達は自由に 愛をこめて この義務を果たせます
ご清聴 ありがとうございます 神の祝福を 輪廻の科学的証拠は 今までもまだ 証明されていません あなたはなぜ聖書と 人間の経験に反して それを教えますか 科学的研究法は 抽象的なものを 立証できません それは確かです 科学は神の存在さえ 証明できません あなたに神を示すため 科学に頼るなら 失望するでしょう しかし あなたには レポート 新聞 テレビで見た多くの 例があります 前世に関する知識を 持って生まれる 人々がいます 七才または八才の 子供の時でさえ 彼らは前世で どこにいたか まだ覚えています
そして彼らの まだ生きている両親 姉妹および親族を 示すことができます これらの子供は その場所に 行ったことがなく それら見知らぬ言語を 学んだこともないのに 彼らは分かるし 覚えています ですから科学者にどう これらを立証するよう 頼むでのしょうか そして 聖書は 数千年の間も 翻訳され 削除されてきました 何度も再版されます その翻訳の正確さは わかりません そして どれぐらい 削除されたかも わかりません しかし 私は一つの 例を覚えています
ある人はエリヤの 生まれ変わりか あれ これ過去のマスターで あるかどうかと イエスに尋ねました 彼は黙っていました 「いいえ生まれ変わり なんてことはない また私はただ一人です 私は過去のマスターの 生まれ変わりでは ありません」と 彼は言いませんでした それで私は主イエスが 普通の魂と同様に 偉大な魂の生まれ 変わりのようなものが あると受け入れたと 思います 私の霊的知識には 生まれ変わりのような ものがあります 私の 経験を受け入れるか またはそれを 拒否するかは 皆さんの自由です マスター あなたはどのように 弟子と共に創る カルマのつながりを 無効にするのですか 私達は皆マスターで いわゆるマスターで いわゆる 弟子の間には どんな種類の 拘束もありません 私たちの中には 神だけがいます あなたの中の神と 私の中の神は同じで 同等です ありがとう 私はここで私の弟子を 作ってはいません 私はここで皆さんが スプリームマスターで 神であることを 思い出させています
この世界のシステムと 言葉で誰かがあなたに 何かを教えるなら 何かを 思い出させるなら あなたは彼のことを 先生と呼びます あなたは私のことを 友人や姉妹と呼んでも いいです 私には同じ マスターこのホールで 私達はあなたの指導で ユーゴスラビアと コソボでの境界線の横 起こっている戦争に 影響を与えますか もちろんできます それが 私達が ここにいる理由です 今回私がヨーロッパを 周る理由です
戦争は理由の ひとつです 愛する考えと 前向きな思考で 雰囲気はいつもより もっと明るくなります そしてより前向きで より多く愛します そして同じ考えの人が 多ければ多いほど 影響はより大きいです そして より集中している人は より影響があります 実際に 何らかの件案に より強力な影響を 持ちたいと 思うなら 自分達で自身の内面に 集中力を集めて ください まず 自身の中でこの神力に 集中します まずその 方法を知らなければ ならず そして次に 世界に影響を及ぼす 神の力に指示できます また再びどう神の力を 見つけるかの秘密を あなたと共有するため 私はここにいるのです
それで皆さんが 与えたい時に 世界に より積極的な影響を 与えることができます
マスター あなた自身が願えば 体から離れられますか そして阿修羅界の旅が できるのですか はい 阿修羅界の旅は それほど高くない レベルです でも私はできます
瞑想と薬 ヒーリングには何か 関連がありますか そしてその関連とは 何ですか そうです 大きな関連があります 自分達が 再び目覚め 自身の中の神の力を 思い出したら 再び接続したら私達は 薬のあるなしに関らず より良く癒せます しかし私達はエゴや 「わたしはこの人を 治療します」と思って それを行なうのでなく 神が私達を通して 人々を治療すると いうのが自然です それでキリストは 「それは私ではなく 私の中の父がした」と 言いました
そして彼はその服に 触れた女性に言います 「あなたの信仰が あなたを治したのだ」 イエスはどんな種類の どんな物理的な治療も 自分の手柄にしません なぜなら 非常に霊的な人々は エゴがないからで 彼らは肉体の「私」に 関して考えませんが 彼らは全てを 可能にするのが神だと 知っています 神は全てのことが 確実にできます ありがとうございます
観音法門は 他の瞑想法門の修行と 共用できますか それは共用できます でも私達は 一度に一つのものしか 集中できないので 一度に一つの過程を とるのが賢明です 安全で 最良の 結果を得るために あなたが同時に二台の 自転車に乗らないよう 助言します ガン患者は この瞑想法門を 修行できますか もちろんです 神はガンがありません ただあなたの体が ガンなのです 実際多くの病気の 人々が神の力に 目覚めた後再び完全で 健康な自分自身を 発見しました
でもそれは印心の 理由にすべきではなく ただ神を知りたいと 思うためだけに私達は 神の元に来るべきです どんな利益のためでも なく 全ての短期的な 利益や名声または 短命で物理的なものの ためではないのです 例えば その修行者が それほど技術を 学んでいないなら この法門が 否定的に 修行者に影響を 及ぼすことは ありえますか いいえ非常に簡単です 何かを忘れたら再び 尋ねることができます その上 そんな技術 などはありません ただ沈黙の 再覚醒だけです あなたに言うのは ただあちこちで若干の 助言をするだけで それでどんな過ちにも 出くわさずそれを家で 行うことができます
また私達は あなたの 霊的な旅の中で 肯定的な力と否定的な 外観を見分ける方法も 教えます 自分の精神の健康が それほど良くないと いう疑問を持っている 人は瞑想できますか 例えば彼は総合失調症 またある種の精神的な 問題を持っているかも しれません でも瞑想できますか 私が彼に話すべてが 完全に理解できるなら それなら彼は 瞑想に適しています
神はなぜ 沢山の人を苦痛で 死なせるのですか 神はどんな苦しみも させません 私達がそれを意識的に または無意識で 選んだのです 唯一の方法です ありがとうございます でも私はあなたに この苦しみを避ける 方法を示す為にここに います 再び神を知り あなたが神である事を 知ることによってです 少なくとも神の子供 だということを すべての霊的な本には 弟子の準備ができた時 マスターは 現れると言っています この部屋にいる人 全員はどうですか 皆準備できていますか 半々ですね
講演の後で 誰が留まり誰が去るか 分かるでしょう マスターは二つの 方法で現れられます 外面と内面でです マスターが現れると 言うときは 内面の本当の繋がりを 意味します それで 留まって 繋がりが欲しい人には マスターは 本当に現れます 彼だけのために 彼自身の内面にです スプリームマスターは この肉体ではなく この存在でありません 内面のマスターで 素晴らしくて 栄光があり最も強力で 全知全能で 美しくて すべて慈悲深く 願望を叶えさせる方で 神自身全能の神です
あなたの教えと 中国の道教には 関係がありますか 本当の道教はそうです
観音の教えでは 何が自然的で 何が超自然的ですか あなたの頭脳は辞書の 用語でいっぱいですね 観音法門でそのような ものはありません 私はすでに言いました
あなた自身の魂を 再覚醒させるだけで それは完全な沈黙の 中で行われます それはただ 言葉のためであり 紹介するためであり 私があなたに この名前 その名前 また 他の名前を 言わねばなりません 私でもこの体のために 名前があります 単純 ただ皆に神を 示すためで それだけ 人が以前 無意識に 黒魔術と関係したなら 彼はまだ真の道を 学ぶことができますか はい 過去を忘れて ただ現在に 集中できるならです それが意味するのは カルマですか そして どうしたら 最速の方法でカルマは 取り除かれますか 「カルマ」は 因果の法則に対する 梵語の用語です
聖書では「蒔いた種は 刈らねばならない」と 書かれています それで この悪い カルマ(報い)を 取り除くために 私達は 後で不快な 結果を引き起こす 行為を止めるべきです 私達が既にしたことは 消すのが 難しいですが 将来の再発生を 止めることはできます 私達は自分と他人に 多くの過ちをして 多くの悲しみを 引き起こしました 私達は内在の神を 忘れたからです それで いわゆる カルマ(報い)を 掃除する 最も永遠で 最も効果的な方法は 再び神を知ることです その時 私達は賢明になります
私達は正しいものの ために何をするかが 分ります それで 再び不快な結果を 経験しないのです 身体的に 不快な 結果を避けるために 私達は聖書の十戒を 保つべきです 生きている間に 神を知り 天の高い 次元に上がるように 私達に内在する神を 知るべきです
不快な結果を避ける 二つの方法があります まず最初は 肉体的に十戒を保つこと そして 霊的に 神を知ることです ありがとうございます 「開悟」という 言葉の下に 何が分りますか 私はそれが分りません 私はそれを得ています 私に既にお金があれば お金を理解する 必要はありません お金が全くないなら お金が何か説明して 役に立ちますか
生まれ変わりは どう起りますか 多くの理由があります しかし二つの理由に 集中できます 一つは個人的の理由で もう一つは 個人のではないもの 魂がこの肉体に 生まれかわるには 多くの方法があります しかしあなたが再び この物質界に 輪廻することについて 知りたいなら私は特に それを説明しましょう 魂がこの地球に 再び特定の体で生まれ 変わるのはその特定の 魂が前世で 完了しなかった この世界について もっと何かを 経験したいからです あなたがある店で アイスクリームを食べ それがとても好きで 再びそれを 食べたいのと同じです それで戻って来ます それは 個人的な理由です
個人的でない理由は マスターのような ある高度に発達した 魂が 少しおそく来た 他の兄弟と姉妹を 助けるために 再び生まれかわります 多分そういうわけで 私達の主イエスが 以前のこれこれの 偉大なマスターの魂の 生まれかわりか どうかと聞かれた時 彼は沈黙を保ちました それは主のような 謙虚な人には 難問だったからです 彼は偉大ですが 最も謙遜な人です 「はい」と言ったら 人々は彼が傲慢で 冒涜的だと思います
彼が承認し「そうです 私はある偉大な マスターの生まれ かわりでした」と 言ったら人々は彼が 冒涜的だと言います 彼が「いいえ」と言えば うそをつくことになり どちらとも言えず 彼は沈黙を保ちました
何も言わなかったのに 人々はすでに多くの トラブルを起こして 彼を磔にさえしました 真実を話した為にです
誰でも開悟できるのは 本当ですか はい もちろんです 開悟は私達の 本質だからです 神は私達の本質です ただ私達が 今思い出すか 後で思い出すか 別の時 または来世 あるいは魂が準備 できた時を選ぶのです ある人々が 今は思い出さず 今開悟しないのを 選ぶ理由は 再び 神に戻る前に 他の異なる経験を 体験したいからです 神を思い出したら 神を思い出してない 時のように 特定の経験を することができません しらふの時にする事と 酔っ払っている時に する事は 完全に異なります
どうもありがとう あなたが全て 理解してうれしいです なぜコソボの戦争は 起ったのですか 平和の再建のために 私達はいかに 助けられますか あなたに慈悲心がある のは非常によい事です しかし神を忘れれてる 人々がいる限り 再び戦争があります コソボにだけでなく どこにでも可能です ありがとう 私達は本当に内面の 神を知らなければ なりません 神と接触して他の人も 神であると知ります 神はもう一人の神を 殺すことができません それで戦争は止まり これを知らない時 もう一人の人間として お互いを見ます ただ個性 人格 習慣 国家の伝統を見て その人の内面の神を 忘れてしまいます それが肝心なことです
あなたは殺生するなと おっしゃいました 蚊やゴキブリなどの 小さい昆虫も殺しては いけないのですか そうです 私達は殺しません 他の生命を殺さずに 自身を守ります でも修行仲間の 家ではほとんど 自動的に虫は逃げます
前世で犯した過ちで 今世で罰を受ける ということを あなたは信じますか 罰せわれるなら一切を 包容する神の力は 助けて下さいますか それは可能です でももちろんあなたが その内面の神を知れば 神があなたを助ける ことは更にあり得ます それでもちろん神は すべての面倒を見ます たとえ若干償いを しなければならない としても それは ほとんど感じないまで 軽減されたり 夢の中で解消されます
瞑想には危険性が ありますか
あります 霊修の道は世間の道と 同様に危険性が あります したがって この道を 旅したガイドの案内で 危険を避ける所を 教えてもらう 必要があります 定められたすべての 指示に従ったなら あなたが安全に 天なる父の家に 戻るのを保証します
あなたは前世を覚えて いらっしゃいますか それで今生でいかに あなたを助けますか もちろん覚えています しかし覚えている 必要はありません 今生のことですでに 十分忙しいからです
どうもありがとう 神のご加護が ありますように