次は この方に 印心を受けた後の 体験を話して いただきます 彼が言ったことは すべて心からのもので 真実で 愛であると 信じています
今夜はここでチンハイ マスターについて 語ることができ 大変光栄に存じます 最初に目についたのは 菜食レストランに おいてあった 無料で配布する サンプル本でした この世界で残念ながら 無料の物はほとんど ありませんのでこれは 大変誠意がこもって いるように感じました
私は 自分自身と神を 直接繋げる方法を 見つけることが どんなに重要であるか どんなに重要であるか このチャンネルを通し 開悟することが どんなに重要であるか 語り尽くせません
私を含め 殆どの人は 自分の力で これをするのは 不可能だと思います そこで私は案内者に 導いてもらう必要が あることを知りました その案内者は チンハイマスターです 有難うございました
皆様にお会いできて 本当に嬉しく思います でないと 何千年も 何百万年経っても 互いに知り合うことは ないと思います
神の光は永遠に 自身の内面にあります それを分かっていても いなくてもです
スプリームという 名前に困惑されるかと 思いますが これは 私のものではないです 大昔に 私は自分を 神に捧げているのです 従って私が話して いるのでも何かをして いるのでもありません チンハイは この肉体の名前であり スプリームマスターは 神の姓です 経典に 全ての人は 神の子であると 書いてありますから 皆さんも自分のことを スプリームマスター それにスミスやジョン チャーチルなどを加え 呼んでいいと思います 名前や肩書きは 重要ではありません どう思うかによります
謙虚さは 平凡な 肩書きからではなく 内面からくるものです 私達は皆神の子で 私達は神と一つである ことを知って 初めて 真の謙虚の始まりです 多くの人は自分の事を スプリームとは 呼んでいないものの 自分は最高だと思って いるのと同じです けれどもこれも 間違いではありません 皆の内面には 無上の力があります 神の名で 祈りを捧げる時 または宇宙の 無上のパワーを 代表する名前に 出会った時 それは私達が 来たところであり 私達の真も故郷であり 遺産であり 私達の本性である事を 思い出すべきです
皆は遅かれ早かれ これを知ります これを知れば知るほど もっと謙虚になります ですから イエスが 「私と天なる父は一つ」 とか「天なる父が 私を通してやった」と 言った時にエゴが 感じられないのです 傲慢や尊大だとは 感じられないのです そうですね それを感じますか まったく感じません しかし 一般の人が または私達の友人 または時々 親戚が 何かを言う時 自分は偉大だなどと 言わないものの 私達は 彼の傲慢さを 強烈に感じます 従って名前のことは 重要ではありません インドでは 生まれたばかりの 子供に神聖で偉大な 名前をつける 風習があります
例えば「雷神」など 神に ちなんだ 名前です たとえ低いカーストの 家庭であっても 霊修行の背景のない 人でも または壊律を 持つ人でもそうです インドでは 親は自分や 自分の子供が 体と世俗の名前よりも 崇高なものを求めて 欲しいと願うのです これもいいことです ユダヤ人も 似たような伝統が あると思います ミスター神の愛 といった名前です とてもいい伝統です 聞くからに とても神聖な名前も 結構ですが もっといいのは 自分の神性を 知ることです
私達はよく 神の王国は 私達の内面にあるとか 私達は 神の神殿であるとか 神は私達の内面に 宿ると聞きます 私達は 神は一体 どこにいるのか なぜ 神を知らないのかと 思う事がありませんか 私達は彼とか彼女を 神は女性だと 思うのであれば 知ることができます 私達は 誠心誠意の祈りと とても深い 無我夢中の祈りを 通して内面の最高の 本性と繋げられますが 最も早い方法は すでに内面の 最高の本性を 見つけた人のもとで 見つけた人のもとで 学ぶことです 神に近づく方法は 色々ありますが 早くて安全な 方法もあれば 遅い方法もあります
長い間苦行し 何も食べず 祈りを捧げ 沈黙の中で 得た境界は 方法さえ分かれば 私達は一秒で 正しく直接的な やり方で それを得ることが できます またはこの面で経験の ある人の力を通して 得ることができます 彼らは私達を引き上げ 助けてくれます すると早くできます 同時にその人は この天国に通じる 道のりで私達の安全を 確保してくれます 神は決して不自然な ことではありません 神は愛だとしたら これは事実です 神と直接 繋がってこそ 初めて神は愛だと 言えるのです 私達は神の愛を感じ 知り 見ることが出来ます 日々の生活の中で 希望が叶ったことや 日増しに大きくなる 智慧からです
さっきの私達の仲間は 私とは以前からの 知り合いではないです 私は一度も直接彼に 個人的にどう考える べきかとか 自分を どう表現すべきかなど 指導していませんが 彼は修行に励み 本当に真理を知りたい と渇望したので 進歩が早いのです 彼は昨日初めて 私に会いました 無論私達は 常に直接 意志相通しています ここでいう 「直接意思疎通」とは 決して 私が香港や フォルモサ(台湾)で ボタンを押して 相手の考え方を 操るようなことでは ありません
それは内面の 最高の本性 スプリームパワーと 繋げることでこれを 神の王国とも言います そのように これと繋がると 徐々に修行は進歩し 自分もスプリーム マスターになります これは皆の権利であり 私達がこの世界に 来た目的でもあります 何故なら私達はすでに 進化の段階の 頂点にまで上っていて 万物の頂点に 達しているからです これを知らないと 私達はもう一度 学び直さねば なりません これを「輪廻」または 「生まれ変わる」と 言います 私達が止まって しばらく考えた場合 どんな宗教も 人間は 最も崇高で 万物の最高の 存在であると 言明していることが 分かります
ではどこが崇高で なぜ崇高な地位に 値するのでしょうか 生まれながらにして 動物とは 違うからでしょうか それとも飛行機が 作れるからでしょうか または子供を育てる 能力があり 働く能力があるから でしょうか 何がゆえに私達は 他の衆生の上に 立つのでしょうか それは内面の無上の パワーのためです 私達はとにかく 随時天国から天国へ 行き来し 天国から 地獄へ 地獄から 地球に来て 地球から 天国に戻る権利と力を 持っているからです これは私達の権利で 特権でもあり 私達は 来世の生まれ地を 選択し毎日何をするか 死後どこに行くか 選択できるのです
この無上の性質が 私達と他の 衆生との違いです ただしその使い方を 知らねばなりません 私はこの使い方を 身につけました そして世界各地にいる 私達の修行仲間も この性質の使い方を 身につけています 私達は聖書や 仏教 ヒンズー教の 経典で何を言って いるか理解できます 経典を読んで暗誦して 理解するのではなく 体験で理解します この方法を喜んで 皆様に提供します どんな条件も 費用も義務も 要りません 皆もこれで利益を 受けられるからです
これを知ることが この世界に来た 目的であり 人間に生まれた 理由であります またこれこそが 私達が他の地球上の 衆生と異なり 他の惑星の衆生とも 異なる理由です 科学研究によって 他の惑星にも生命が 存在していることが 明らかにされ 証明されていますが 確定できていません しかし私達が この無上のパワーを 使うと宇宙を 自由自在に行き来し 探索することが できます
多くの人はヨガや 瞑想といったことは とても難しいと 思っていて 一人で寺院や教会や ヒマラヤのような所に 隠遁するものと 思っています それを望むのであれば 一定期間は そうできますが 皆がこれを必要とする わけではなく 修行の 必須条件でもないです 皆がヒマラヤに 行ったらこの世界は どうしますか それにヒマラヤは 決して無限大ではなく オーストラリアの人が 皆そこに行ったら 交通渋滞になり 人口過剰問題が 起こるでしょう ですからこの美しく かつ他の国々の人々が 羨むような国に 留まっていた方が いいのです
言うのを忘れました ここの環境はとても 美しいです 皆さんはすでに知って いるかも知れません 美しいビーチと 素敵な森林が あります 昨日少しばかり 見て回りましたが ここに住みたく なりました 神が私に皆さんと 同様ここに住むことを 許すとしたらです 貴国は どこも美しいです ここだけでなく とても美しいです ここは理想的です 窓越しには山と 海が見えます ストレスを 解消できそうな感じで いつでも海に 入れます
前はそう思いましたが しかし今は どんな事が起こっても 内面に 即ち 神の王国に逃げるのが 永遠に安全です 多くの人は私に 「あなたは 西暦二〇〇〇年に 世界の最後の審判が あると予言している ことを知っていますか あなたはどうしますか これについて どう思いますか」と 私は「何もしないし 何も考えない 私達が死ぬ時が 世界の終末で 遅かれ早かれそうなる から」と答えました 従って必ず永遠の神の 王国を見つける事です
約十年前 私が香港にいた時 寺で瞑想していました ちょうど 香港に寄ることになり ある友人の関係で そのお寺に泊りました 私はそこに座って 聖書に書いてある事を 考えました つまりいつか世界は 終末になる話です 私はとても悲しくなり 神に愚痴を溢しました 「あなたにはそうする 権利がないです 人々を苦しませる 権利がないのです 世界を壊滅すると したら それも 結構ですが 一秒で やって下さい」と 聖書の最後の審判には 多くの苦しい状況と 長引く死が書いてあり 恐ろしいものです
「あなたは神です そんな事はできません なぜそうしますか あなたは人々に もっと尊い事があって それを追い求めるべき だと教えるべきです 彼らに自分を変える 機会を与えて下さい あせらずに 彼らに時間と チャンスを与えて 過ちを直し やり直す ようにして下さい あなたがこの世界の 人々の行為が 不適切と思うなら 彼らを教えるべきです 何かの方法で彼らを 教え導き 世界を良く すべきです」と言い その時 私は幾らか 感情的になっていて 神と議論したのです 神は「ではあなたが やりなさい」と言い 多くの問題を 私に投げました 私は冗談だと 思いました
当時 私には弟子もなく また自分がある日 マスターになるなんて マスターになるなんて 考えたことも なかったからです 神は私に「いいだろう あなたがやりなさい やってみることだ」と そう言うのでした そしてビジョンが消え 全てが元通りに なりました 大分前のことです 今日皆様に 言いたいのは 世界終末が 心配だとしたら 行動して下さい 人を改善し 自分をも改善し 世界を改善して 皆に神こそ私達の 最も大事な財産である ことを知らせるのです 神 即ち 私達の内面の 無上の智慧を 見つけねばなりません それで自分を幸せにし 周りの人々を言葉で 沈黙の中で形で 又は目に見えない形で 祝福するのです
簡単です 多くの 六歳くらいの子供の 修行仲間でも毎日 二十分か三十分ぐらい 瞑想しています まだ子供なので長く 座っていられません 中には長く座る 子供もいます 時々知らず知らず
禅定に入り 数時間も 座ることもあります 完全に無我になり 神と意思疎通し 周りに対し知覚を 保ちながら 内面の天国の喜びを 味わうのです 子供達は 天国を見て 直接 イエスや仏陀など 自分と縁のある聖人と コミュニケーションを とることができます 又は過去 現在 未来のマスターとも 接することができます 六歳 十二歳の子供でも できます 達もきっとできます 私のような小柄な 人でもできました 皆さんもきっと成功 できると確信します
体の大きさからすると 皆さんは私より二倍の 強さで もっと成功 するはずです しかも 早いかもしれません ここに座って 自分が 皆より優れていると 言うつもりはなく 皆さんこそ 最も素晴らしく 偉大である と言いたいのです 自分の偉大さを 見つけたいとしたら とても簡単です 時間もかかりません 印心の時 ただ静かに座って 私の助けを 受け入れるだけで 即座に 開悟した体験を 味わうことが できます 二、三日前 シドニーで 五十代の それ程年取っていない 男性がいて 印心の場に 座っていました 皆がとても静かに していました 彼はそこに座って突然 大声で泣き出すのです 抑えられません 彼は服で涙と鼻水を 拭きながら 少しも恥ずかしいとは 思っていない様子です 私は彼に ティッシュと ちり紙を渡しました 印心が 終わってから 私は彼に なぜあんな大声を 出すのかと聞くと 彼は 「信じられません
不可思議です」と言い 彼が見て 感じたことを 何とか表現しようと するのでした 印心の時に 三十分も続いた 至福の喜びをです 印心の過程で 彼は ずっと泣いていました
彼は 即座に開悟を得て 天国を見たのです 至福に満ちて 子供のように 泣いていました
彼はこんなに泣いた ことは一度もない 多くの人が 印心の時 または 後からの瞑想の時 こうなります
こんなにたやすく 幸せになるなんて 信じられないのです 一生懸命瞑想したり 動作をしながら 祈りをしても いつかは効果が 現れます でもこんなにも容易く 天国からの奇妙な 恩寵を 一秒で得る ことができたのです 唯一の条件は 霊性のために 肉体を手放すこと 永遠の生を知るために 死をいとわない事です 唯一の条件として 本当に神を知り 自分の最高のパワーを 知りたいと願う事です 印心の日から 私達の修行の始まりで 私達はどんどん 進化し 神と一つになるまで 進化し続けます そして私達も「私と 天なる父は一つだ」と 言えるようになります
どんなマスターでも この世界に来た 目的は 人々に 崇拝されるためでは ありません 弟子達は 修行の初段階では マスターを崇拝する かも知れません というのはマスターを 恩人だと思うからです しかし私は常に 弟子達にあなたの身に 起きた全ての奇跡と 叶った全ての願い事 そして才能が 発展したこと 瞑想で得た智慧などは いずれも自身の内面の 偉大な力の作用により それは自身の偉大な 力が目覚めた事であり マスターと何の関係も ないと教えています マスターが導いたから 関係があるかも しれません
時々あなたが どの方向に向かうか 分からない時 つまずいた時 障害にぶつかった時 マスターが 引き上げてくれます それだけのことで 全てはあなたが 自分でやったことです 皆さんが最も偉大な マスターなのです だからイエスは 私に出来た事は あなたはもっとよく できると約束しました 違いますか 約束しましたね なぜ忘れたのですか なぜいつも 自分でも 分かっていないものに 祈るのですか なぜ先ず知ってから 祈らないのですか 私はすでの天国と 直接連結する 最も古くからの 方法を見つけました これは私が発明した ものではありません 神と連結する直通の ホットラインはずっと この世界にあるもので 違う所にあったのです
昨日私達の 修行仲間の一人が 私に 「マスター あなたが 見つけてきた 修行法門は実に 素晴らしいです 大変役に 立っています それをどう表現したら いいか分かりませんが
素晴しいと分かります なぜ一つの組織を 作って この法脈を伝えていき 多くの人が 利益を得られるように しないのですか」と 言うのでした 彼は大変熱心に 身振り手振りで 語っていました 是非これをすべきだ 私達はすべきだと 私は言いました いえ そうする必要はない そうしなくていい 何であれ 神が全てを手配する もし 私と 同じような 修行体験を 持っていて 修行の道のりで 他の魂を率いて 神の王国に連れて行く 人が見つかれば それは大いに結構です
この法門を引き続き 広めていいですが でないと無意味と言い 法門ではなく 大事なのは 案内人です でないと いい車が あって運転手がいない のと同じです 車は 運転手が必要です ある人は私に なぜこの法門はずっと 途絶えたままなのかと 質問しました 例えば ある人は イエスと 釈迦がこの法門を 教えたとすると なぜキリスト教は これを見つけられ なかったのかと 私に聞きました 私は これは 河の流れと同じで 時には地下に 消えていき 後から別の所で 現れるからだと 答えました 途絶えたのではなく 神から来た法脈は ずっと存在するのです
ただ時々場所を変えて 現れるのです 私がマスターだとして 私が 私と同じように 私の後を継いで 引き続き 他の魂を率いて 天国に戻ることが できる弟子が 見つからなかった場合 この法脈は私の所で 途絶え 終ります 多分人々は数百年間は 私が残したパワーの 利益を得るかも 知れませんが 法脈は 途絶えたままです もしかして 人々は チンハイ教団を設立し 私のための教会を 建てたり 私の銅像を 作って 崇拝するかも しれません この法脈は これで途絶えて 再び偶像を拝み 内面の力との 繋がりはない宗教が 現れるかも知れません どうしようもないです 私はもういないので 止められません
私が止めようとしても 容易ではありません ご存知のように人間の 意志はとても強いです それで今 仮に 私達の法脈が消えて 途絶えたとします 百年または 五十年後 私のとても若い 弟子達が 引き続き修行して 五十年後 六十年後に 悟りを得たとします 例えば六歳から修行し 六十歳の時に 仏陀のレベルに 達したとします すると私がいなくても 彼はマスターになれ 私がそばで 指導しなくても 私と内面で繋がって いるので 彼は突然別の場所で マスターになります 人々はまた ああ また新興宗教だ 新しい法脈だと 言うでしょう そうとも限りません 現在は多くの メディアと テレビなどがあって とても便利です それらを通して誰が どこに行ったか 何を しているか分かります しかし昔は 弟子達が色んな国に 散らばっていると 連絡をとることは 大変困難でした
そこでどの若い弟子が 悟りを得て マスターに なったか 把握しにくいのです そうしたら 別のチンハイ教団の 信者達は 仮にチンハイ教団が あるとします その人を見知らぬ人 扱いします 信者は弟子を 意味しません 「信者」とは在世の マスターを信じ 神の愛を代表する人達 彼らの親戚友人も 利益を得る人達です しかしマスターには なれません というのはマスターの パワーと直接繋がって いないからです 他の方法でマスターを 知っただけです ですから 印心は 私達の偉大な財産を 思い起こしてくれます そして私達は毎日 それを使えるのです
在世の または 過去のマスターに 頼る必要もありません これが私達の 修行法門の 唯一の目的で 他に目的はありません
私達はこの世界で 多くの苦しみを味わい 多くの失敗を 経験して 時には神が加護して くれないと言って 責めることもあります しかし責めるべき人は 私達自身です 太古から神が私達に 与えてくれたパワーを 使わなかったのです 使わなかったのです これを使わなかった ために 私達は依然 ここに留まっていて これを使わないから 苦しみ 周りが苦しんでいる のを見るのです これを使わないから 私達は互いに 戦争するのです このパワーを使って 初めて 恒久の平和が もたらされます この世界で 一部の人達がこの パワーを使っている だけで大分いいです 地球を高揚する 効果があります
でないと 世界は 地獄になります 地獄は光が 透き通らない所です そこの人々は 完全に天国を 忘れていて 自分の宇宙に おける無上の地位を 忘れて 自身の意識の幻想に よって言い表せない 苦痛を味わっています 彼らは自分には罪が あると思い 自分で 自分を懲罰しています 開悟した人は 罪について異なった 見方を持っています 彼らの目には全てが 神の手配による ドラマに映ります そしてそれに合わせて 演じています たとえ他の人と 同じように苦しまねば ならないとしても 彼らは精神力が 強いため あまり 影響を受けません
ですから イエスは 極度の苦しみの中でも 沈着でいられました 依然一心不乱に 内面に集中し 自分のためでなく 他者のために祈り 天なる父に 彼らは 自分が何をしているか 分かっていないので 許してあげて下さいと 祈り 十字架に 磔る人が神を知るよう 許し 加護して あげるよう祈りました これが偉大なイエスで どんな状況でも常に 泰然としているのです 私達の内面にも同じ 性質があります この性質が 聖人と凡夫との 違いです この性質がゆえに 昔から私達は聖人を 崇拝するのです
しかし 自分が 彼らのような 聖人になる方が より良いです すると本当の意味で 彼らを崇拝し 彼らの偉大さが 本当に分かるのです でないと 頭と文字だけで 分かっていて 実際は分かっていなく 理解していません またこの偉大な 性質をもって 自分や 親戚 友人 世界に 利益をもたらすことも できません ぜひ自分の偉大な 性質を思い起こす 努力をして頂きたい それは人は死ぬために 生まれたわけでもなく 仕事のプレッシャーに 耐え子供を生み育てる 為だけに生きている わけでもないからです
天なる父の 偉大さを知り 私達内面の無上の パワーでこの世界を 加護するために 生まれたのです ただ数十年生きて それから死んでいく ためではありません
これは人の人生を 神の創造力を 台無しにし 私達の内面に 潜んでいる英雄の夢を 台無しにすることです 夢は 実現しなければならず やりたいことは やり 遂げねばなりません まだやっていなければ 今自分の無上の智慧を もって実現するのです 習慣や考え方で あれこれするのでは ありません 人間の知性と 人間のシステムで 学んだものは 人間のレベルにしか 通用しません それを超えようとする 場合は 人間のレベルを超越 した事を学ぶべきで これは本々持ってます 肉体は ただの道具であり ただの事務室であり 真我ではありません
でないと 人が死んだ時 どうして食べることも 話すことも 考えることも できないのでしょう 頭脳が そのままあっても 心臓がそのままでも 鼓動しません 何が体の機能を 動かすのでしょうか それは無上の力です 私達はこの力の 運用が余りにも 遅くなったために 繰り返し生老病死の 苦しみに耐え 最初から学び直す わけです 再び戻って学びたいと 思う人は それでよく もう戻りたくなくて 今 最初から 学びたい人は どうぞ私達の誠意ある 愛のこもった要請を 受け入れて下さい 全て無料で無条件です
学ぶ前も後も学ぶ過程 でも 死んだ後も すべて無料です マスターのパワーは 本当にあなたを 天国にまで 導いてくれます 世界の終末が 来たとしても 決して見放しません ですから自分で 決めてください では残りの時間を 質疑応答に回します ご清聴 有難うございました
国際間でどうしたら 互いの殺し合いを 止められますか いい質問です 人が戦争をするのは 人々は断固として この肉体を 自分だと思い込み 肉体の感覚的な需要や 様々な欲求に 翻弄されるから 殺し合いをするのです 唯一最良の解決法は 私達がこの肉体では ないことを知る方法を 見つけることです そうすると 誰も私達と対立して いるわけでもなく 経済的 政治的危機も ないことが分かります 開悟することが 唯一の答えです つまり 開悟こそが 真の永遠の正解である ということです でないと いつまでも 自分はこの体であり 体の欲求を満たす ことばかり考えていて 人が自分の農作物を 盗むのではとか 妻を取られるのでは とか 国が侵されたらなどと 心配するのです
ある国が戦争を 引き起こすのは 自国の経済力を 拡張して 拡張したいからです 過剰の人口を 食べさせるためにです 彼らは他の国と 戦争するのはもっと 領土を拡大し 経済市場をもっと 広げるためにです いずれも この体のためです たとえイデオロギーの 違いで戦争を するとしても 実際は 全ては 体の欲求から くるものです 従って皆が 開悟すれば 戦争は自然に 止まり 私達は本当の 意味で人類は皆兄弟で あると分かるのです
貴方はどこで霊修行の 知識を得たのですか 内面から得ました 内面から その知識を得ました あなたもできます
初めはたぶん先生が 必要かも知れません 落とし穴を避ける 方法とか注意点などを 教えてもらうだけの ことです でも知識は全部 あなたの内にあります ただ毎日 少し時間を作って それを発掘して 使うだけのことです 例えばあなたには 大きな貯蔵室があり 中に小麦粉が 沢山ありますが あなたは一度も時間を 作って中に入って見ず ただ外に立って 「ああ お腹が 空いた」というのと 同じで 貯蔵室の 小麦粉の使い方が まったく 分かっていません これはよくないです すべては私達の 内面にあるのです 私は内面から得ました
天なる神について 語って頂けますか 神はどんな姿ですか 皆さんと同じで 二面性を持っています 良い面といたずらな 面を持っています いたずらな面をもって 生活を苦くしたり 甘くしたり 愚かな ことにしたりします これらを楽しむ人が いるからです また良い面を使って 強さと 霊性の知識と 私達にできる神聖で 崇高なことを与えます 神は完全な善であり 愛であると言っても 間違いではありません ただこの世界における あらゆる罪は 説明しにくいです 実際は世界には 罪など存在しません 私達のものの 見方の問題です
私達は神と どう遊んだらいいか 分かっていないために 物事は変質して 否定的になっています 神と繋げる方法を 学べば 物事は違ってきます 私達の物の見方が 変わります それらの事をどう 融合するか分るのです それら いわゆる 毒と呼ばれるものでも 科学者はそれを使って どう健康をよくするか 分かるのと同じです しかし それを 素人が使うとなると 命を落としかねません 神は人間でもなく 「非人間」でもなく 宇宙全体に 満ちた無上の パワーです 私達は神の中にあり 神の一部であり 神そのもの でもあります
私達が神を知るために どれだけ努力したかに よって感じることです 神は私達がどれほどの 誠意で天国の知識を 渇望しているかに よって それに見合った 恩寵を与えます これはいわゆる 神に対する 一時的な解釈です もしくは 神を見たければ 隣の人を見てください すぐ隣にいます 互いに見てください 神は本当に聖書に 書いてあるように 彼らの内面にあるか とうか見てください あなたが親切さと 尊い行為と 善意に満ちた心で 隣の人や見知らぬ人に 接した時 自分は神である ことを分かっていて 内面の神が目覚めた ことを意味します
自分でもよくないと 思うことをした時 または人を傷つけた時 神の悪戯な面が 優勢を取ったことを 示します しかしこれらは いずれもゲームです 私達は開悟して初めて 良し悪しを許容でき 悪い事を 良い事に変えられます あなたは瞑想の時 音の振動があると いいましたが あなたはどんな呪文を 使っていますか なぜそれを私達と 分かち合わないですか 喜んで分かち合い たいのです ただ全過程を 説明するには 数時間かかります 例えば避けるべき 状況や覚えるべき事に ついてなどです 呪文は使用しません 印心の時 音は自然に来ます ただ静かに座っている だけで音は来ます
どう座るか 私が教えます とても簡単です 私達は忙しく過ごす ことに慣れていて 複雑な事に慣れてる為 忘れているのです あちこち飛び回る事に 慣れていて どうしたら静かに なるか分かりません 私達は寝ている時や 何もしないことが 静かになることだと 思っていますが それは違います 少しは関係があるかも 知れません 静かであるか否かは 天国とこの世の境です 印心の時教えます 後で時間がある人や 本当に興味のある人は 経の講義の後 この秘密を知りたい 人は残ってください 喜んで教えます
印心の時 数時間座って頂く 必要があります 私が全部教えます 修行の道のりでの 落とし穴とか 間違った道とか 注意点など等です 注意点など等です しかし開悟と 音と光は自然に来ます これらの説明とは 関係ありません ひとりでに来ます 開悟は 自然に来ます それは神の恩寵で 私達の自我と 大智慧が 目覚めたことです 私も印心を受けて 光と音の瞑想法を 学んでいます 私はもう十年近くも 瞑想しています
印心の時 開悟すると 聞かされまして 指示通りしましたが 依然開悟していません なぜあなたのやり方は 優れているのですか 先ず なぜこれが 最良かというと 私はいろんな法門を 試してみました 私達の修行仲間にも このような人がいます いろいろ法門を修行し いずれも彼らの今の レベルには達する事が できませんでした 私自身 小さい時から 真理を求めて 様々な 神と繋げる法門を 習いましたが これが最も早く 最も安全です そこで私の体験を 皆に教えるわけです
あなたが習っている 光と音の法門ですが 私はそれが天国の 光と音なのかどうか それとも外の呪文と ろうそくの光なのか 定かではありません 多くの人が 人々にろうそくの火を 見る方法を教えます それを見ていろいろ 思うのです 例えば光と音を 想像するなどです 想像するなどです もしかしたら 私達の法門と 違うかも知れません 私達の場合は 光と音は自然にきます 想像も必要なく 道具も使いません 体と頭も使わないし 何の動作もしません 完全に神から 来るものです
多くの いわゆる 「光と音の法門」と 称する方法があって 人にビーチに行って 波の音を 聞くように 教えています 私達は内面の波の音と教会の鐘の音を 聞きます 内面に全部あります 力を入れる必要もなく 呪文も唱えません 体での動作は 一切ありません なぜなら神は私達の 内面にあるからです 全ては天国からきます 人間の努力による ものではありません
なぜあなたは 自然療法は神通力と みなすのですか 神通力と言いましたか たぶん霊療法の事を 言ったのだと思います 私達がある人の体に 手をおいて 治療することは 神の地位を盗む事です 人は私達に 感謝するようになり 神には感謝しません または全てを癒して くれる 内面の源に 目を向けようと しません これはあまり 良くないと思います それをやると 私達が栄光の天国に 戻るのに必要な 霊的パワーを 消耗してしまいます
様々な治療法があり 神通力を使った 治療法も含めてです 神通力療法で その時は治るかも しれませんが 明日または来月 また同じ病気 または別の病気が 出てきます 発病の 時間が延びただけで 治っていないのです 本当の治療は 治療せずに治る事です
ある人がイエスの服に 触れただけで 病気が治ったのと 同じでイエスは決して それを鼻にかけません 彼は「あなたの信心が 自分を治した」と 言いましたね 彼はこれを天なる父の 恩恵に帰したのです これが最高の治療です 私達の修行仲間も よく私の「化身」が 彼らを治してくれたと 彼らを治してくれたと 言っていますが 私はまったく 知りません 私は あなたの功徳と 智慧が目覚めて 自分をを治したと 言います その力は いろんな形で働きます イエスの形を 通して作用したり 私の形を通して 作用したりしますが 私とは何の関係も ありません
これは最高の治療です 魂を完全に治し 魂を永遠に肉体の 生老病死の苦しみから 解脱させ永遠に栄光の 中にいられるように してくれるのです これは最高の治療です だから霊療法は避ける べきだと私は言います 絶対に必要な場合を 除いてですが それでも霊的力を 犠牲にすることになり 霊修行が なかなか進まないかも しれません 決して自分がやったと 思わないことです でないと私達は宇宙の 法律に介入したことで 重いカルマ(報い)を 作ることになります
マスターチンハイ 自力で修行する場合 どの程度 開悟できますか 神やマスターの助けを 得てやる場合どの程度 開悟できますか 実際は 両方必要です 例えば私達は なるべく自分の 身 口 意を 浄化し できるだけ 正しいことをし 質素な生活と 菜食をして この世界の血生臭い ことを最小限にし 静かに座って 神を思いますが これらはいずれも 自力といえます ただこれは依然 肉体的 道徳 レベルのことです 時々私達が 何もしなくても 神が恩寵を賜り 私達に開悟を 与えてくれます
例えば 印心の時 あなたはまだ菜食を 始めていなくても 菜食を約束しただけで 私にとっては十分で あなたは開悟を得る ことができます どんな前提条件も 事前準備も要りません これが神の恩寵です この後 開悟を保ち 自分を浄化して もっと早く修行の 進歩を図るために 引き続き 道徳的な生活と 菜食をして 副作用を最小限にし 内面にある衆生を 慈しむ性質を 磨きあげるのです するとますます 智慧が発達し ますます開悟します ですから両方必要です
私達にとってこれは 大変ではありません そこに座って瞑想し 菜食すると仏陀に なれるということ ではありません それは違います これはただ私達の 誠意を示すものです 私達は 霊修行のために 例えば味覚に対する 欲望を諦め 良いことをするなど なるべく肉体的な 欲望を控えます また毎日数時間 瞑想の時間を確保して 神と繋げます でないとそれらの事は 開悟の必須条件では ありません 開悟は神の恩寵に よるもので この恩寵は 印心を通して それを 渇望することから 得られるもので 生涯持続します
いかに 標準的な人は 光または悟った人か 認識できるのですか あなたの霊的な眼が 開かれているなら 光に照らされた その人 周り全体を 光が取り囲むその人を 彼がどこへ住もうと 彼からは 優雅さが流れ出し 光が強く注がれる そういう人を 見られることでしょう でも私達の霊的な眼が ある段階において 開かれていなければ 私達には見えません 従って多くの弟子が イエスの周りの後光を 見ていました
あなたが霊的に 開悟した人を 認識したいなら あなた自身幾らか悟る 必要があるでしょう そうでなければ 私達は その人の 話や行為を 通して あるいはたぶん 私達の直感とか祈りを 通して 認識できます 私達は神に祈れます 「この人が私を 導くのに 十分悟った人かどうか 教えて下さい ただ私は究極の悟りを 得たいのです」と 神に深く祈りいかに 神が導くか見るのです あなたの感覚がより その人の方に引かれる なら正しいと知ること でしょう その人は 大丈夫ということです
まだより世俗的な方に 他のマスターに 引かれるなら それに従って下さい でも自身の智慧を得て 直感の応答を得たくて それが見える天眼を 持ってなければ あなたは深く 真摯になるべきです 霊的な人からの光は 物質的な光では ありませんから それを見るのに あなたが十分 発展していないなら それはあなたの 肉眼を痛めます そうでなければ キリストは全世界を 少なくとも彼の時代の 人々を救え 仏陀は最低全インドを 救えたでしょう でも私達は盲目です 明確に見えません
従って聖書は言います 「見てはいるが あなたは知覚しない 聞こえてはいるが 理解し得ない」 それで私達は問題を 抱えているのです 私達は自らの智慧眼を 開眼し見ねばならず 私達はそのことを 助けられます 異なるレベルの 光を見分けることが できるのでしょうか そうなら何がテストで サインですか ええ そこには確実に 異なる開悟のレベルが あります 私達の法門は自分で 自宅でそれを確かめる 方法を教えられます そこには意識の 特定のレベルを表す 特定できる性質があり 光あるいは 音が存在します
あなたがそれを通じ どの光がどのレベルに 属すか知るでしょう 例えば 阿修羅世界において どれが比較的地球の 意識に近いものは 光がほのかでちょうど 日の光のようです たぶん でも他の高いレベルに おいて 光はずっと 輝いていて 時に何千も何百万もの 太陽のようです それをあなたは容易に 認識できます しかしそれは修行を 通して経験して 知る必要があります ええ 後で印心の時 あなたが知りたいなら 詳細を教えましょう 無慈悲な人は いかにして 非情な事を認めるべき なのでしょうか そのような人は 彼自身どうすべき なのでしょうか
偽の慈悲またはそれは 段階的に得られますか 私は二つ目の方法を 推奨します でもあなたが持って いないなら少なくとも 学び始められます 私は「偽の慈悲」と 言わず「慈悲を 学んでる」と言います ちょうど学生のようで 英語を話すことが できなかった人が 先生のいうことを 繰り返しますね たとえ彼が その英語の文学の 全部の語彙を 知らなくてさえ 少なくても彼は幾つか フレーズを学び 数ページを日々 覚えこみます コースが終わるまでに 各自が習うべきです 誰も偽りや何かでは ありませんね
それは単に彼は学んで 来なかっただけです 誰も彼に教えず 慈悲の芸術を練習して こなかっただけです 小さな道から始める 努力をすることです そして徐々に あなたが完全に 知る由もない程に 意識しないまま 慈悲深い存在と なるのです マスターチンハイ 神が全知で 全ての愛 全ての力を持つなら なぜ神は私達と 交信しないのですか 私達が努力不足無知で あるにかかわらず なぜ 私達を神の力で 悟らせないのですか 神はしています 私達が望まず 多忙すぎるのです 話しすぎ働きすぎ 子供達を叱るのに 忙しすぎ自分自身を 隣人を 全てを叱るのに 忙しすぎるのです 私達が教会へ 行った時でさえ 私達は歌を歌うのに 神に何をすべきか口述 するのに多忙なのです 「おお 神よ 家庭は混乱しています 妻は逃げ 子供達は 勇敢ではありません」
そのような全てです
「問題を取り除いて」 こうしてああしてと 私達は多忙すぎます 神が言う事を 静かに聞かないのです 私達は尋ねますが 答えを待ちません 時間があれば 私は いかにして神の答えを 聞けるか教えます
神は私達の内面で 交信しますが 神は 私達に神の声を聞くか 否かという選択を 自由意思を与えます それが問題なのです 私達は賢明になって その道を選ぶべきです
マスターチンハイ 私達は一つですか それとも個人ですか どう思いますか 私達が一つなら私は あなたに話をしません 私達が個々であるなら 私達は「私と父は一つ です」と否定します どうしましょうね 何と言えばいいですか どう思われますか 私達が一つと知った時 私達は一つです 内面を真に認識した時 私達が座り 瞑想をしていて 自分自身を失い 全てと一つになった時 私達は一つだと 言えるでしょう でもこの二元性の 地球での人生へと 戻った時 それから 私達は個々になります 私達は私達の責務が 完全に終了するまでは 人生のゲームを せねばならず そしてそれから私達は 神の王国へと戻れ 再び一つに永遠になる という訳なのです でも私達は個人を 失うことはありません 従って イエスは まだ生きています つまりキリストです 彼は未だどこか他の 場所で教えています ここでの仕事が終了後 彼はどこか他の所を 割り当てられ 誰一人死ぬことはなく ただ異なる方向に 行くだけなのです
死後はありますか もちろん あります 私に尋ねることなく あなたはテレビで 新聞で多くの医療現場 科学研究所での 報告が見られます 多くの本にも 書かれていますね これは英語版にて ずっと入手可能 でしょう 私よりあなたの方が 詳しいのは確実です マスターチンハイ 進化に対するあなたの 意見を聞かせて下さい
過程が必要です ちょうど私達が教室で 学ぶようなものです 幼稚園を終了した後 私達は 小学校へ行きます 小学校の後 私達は 高校へ行きます 私達はそう望むか または強要されて そうするでしょう またはある程度の 知識の高い地点に 到達するためには 大学に行きます その後 私達は仕事の実践と 体験を通じて 分野内で 学び続けます 同様に私達の創造は 私達はここに人間とし ここに留まり又は 私達は天国の衆生の ような存在レベルに 上昇するか または 自身をキリストの 地位に昇進させます
イエスは言いました 「私ができる事は あなたにもできる」と 仏陀も言いました 「私は仏陀になった あなたもまた仏陀に なれます」と 印心を受け観音法門を 修行している人々で 健康に問題を抱える 人はいるのでしょうか 人はいるのでしょうか 問題ありません 誰も問題ないです 恐らく問題は 食事でしょう 印心後私達は 菜食の料理をします 中にビーフステーキを 入れる代わりに 幾つか豆腐をまたは 菜食ハムや菜食 タンパク等を入れます
その置き換えが 問題だとあなたが 思うなら 恐らく それはいわゆる 問題でしょう そうでなければ 誰にも全く 問題は見えません 「信仰」について 説明下さいませんか 私達を愛に戻すことは ないですか それが愛でそれが すべてなのでしょうか ええ そうですね いかにして 抽象的な事を 説明できるでしょうか 他の女の子とか 他の男の子を愛し いかにしてその愛に ついて説明しますか できますか 親愛なるマスター 私はベジタリアンに なって五か月以上が 経ちます しかしながら 私の職業は定期的に 肉と接触する 必要があります 私はベーカリーで パイを焼いています
ひき肉パイのような ものですか
はい ええ そうです
私はそれでも 印心を受けられますか できますがただ あなたは良心的に もがくと思いますので 徐々によりよい仕事を 見つける方がいいです 見つかったら 今の仕事を 辞めることです マスターチンハイ 貴方は神を見ましたか はい ずっと見ています あなたを 見るのと同じです 私の弟子達も 神を幾らか見ています イエスや仏陀インドの 聖人も見ています 他にも色んな聖人を 見て 彼らと語り合い 彼らから学んでいます 彼らは 神の代表であり 私達は直接彼らを 知ることができます
今生で 進歩するためには 過去の経歴を 消し去らねば ならないでしょうか 内面の神のパワー だけが全てを消し去る ことができます 自分ではできません これらの経験が潜在 意識に刻まれたからで 神の恩寵を もってこそ 初めて 消し去れます それ以外は ただ頭での想像であり 知的レベルでの 理解に過ぎません だから 開悟することです マスターチンハイ あなたは開悟は 私達の内面から 神から来るもので 神は私達の内面に あると言いました
それは私達は神である という意味ですか それとも神は 私達が思っている 彼又は彼女なのですか 大変いい質問です 聖書に神は自分の姿に なぞって人間を創る とあります また神は私達の内面に あると書いてあります だから私達は神です 体は「私達」ではなく 神が住む家なのです 体を私達だと認めると もちろん私達は 神ではありません しかしこの家の主人が 分かれば それが神であり私達が その主人であることが 分かります 複雑な生活を営むと 神を知るのに 長い時間が かかります 神の道を追い求めると 短期間で それが分かります
あなたは誠意をもって 私達を歓迎すると いいましたが 私達は どうすればいですか 受付の所で 係員に 後でくると 申し込んでから 名前を書くだけで 後で私達から 中に 入るよう知らせます それだけです 印心を受けた後 ステーキの代わりに 豆腐と植物蛋白質を 取るだけのことです これが唯一の条件で 後は何もないです そして指示に従って 毎日瞑想します 時間を見つけ瞑想する ほとんどの人は 「時間がない」と 言うでしょう
しかしそのような 人生でいいでしょうか 自分が誰なのか 死後どこへ行くのかも 分からず この世界の 奴隷として甘んじて いていいのでしょうか 一生些細な事に 体力を使い果たして いいのでしょうか たとえ十分なお金が あっても この世界は もっと稼ぐようせかし 十分高い 地位にあっても この世界は更に高い 地位を求めるよう あなたをせかすのです あなたに沢山の時間が あっても この世界は あなたにあれやこれや やらせて多くの時間を 費してしまいます 必ず時間を作って 勇気を出して 自分の主になって 自分がしたいことを 選択して下さい 勇気ある生活を 選ぶか それとも 何の目的もなく あらゆる状況に 左右される哀れな 生活を送りたいか 自分で決めて下さい
私の知っていることに よれば 瞑想は 必ず静かな所で するものでありますが この騒がしい 産業国家において 瞑想する人は 影響を 受けないのでしょうか 私達の 修行仲間は 電車の中で バスの中で 出勤するバスの中で または家に帰るバスの 中でも瞑想できます 公園や昼休みの間も できます 私は飛行機の中でします 乗務員が 肉料理と アイスクリームもって そばを歩き回っても 何の問題もありません 飛行機の中でも 電車の中でも 賑やかなスーパーでも 私はいい体験が あります
驚くほど 影響されないことが 分かります 敬虔な心さえあれば 神はどこでもあり 常にあなたと一緒で 決して離れません どんな状況でも 守ってくれます 常に内面に集中すると 仕事をしながらでも 内面に集中できます この不可思議な 霊的体験は人間の 言葉ではなかなか 表現できません 私は皆さんに 是非体験して頂き 私達と共に楽しんで ほしいです 私が アップルパイを作って 電話で説明して あなたに何か利益が ありますか ありません 私は美味しい アップルパイが 作れます
イギリスで習いました マスターチンハイ 来世の事ですが なぜ生まれる前の事と 前世の事を覚えて いないのですか それは開悟する ためです 私達が人間としての 目的を果たして この地球を加持し 地球の衆生を助けて 更に高い境界に 進化することが できなかった場合 必ず再び 戻って来て 目的を果たすまで 学び直さなければ なりません それは私達が 生まれながら 持ち 備えている内面の力と 繋げ その力で世界を 加護するという事です でなければ私達は 再び戻ってきて学び 直さねばなりまません
マスター 開悟した時から 完全に開悟するまでの 段階について ご説明頂けますか できますが 印心の時よりよく 説明できます なぜならあなた自身 体験があるからです 少しだけ話します 構造物に似ていて 人にもよります 例えば印心の時 ある人は 第一の世界の阿修羅の レベルにいます ある人は すでに第三の世界 第四の世界にいます 従って人によって 完全に開悟する 時間は異なります 先ずは私達の世界の 一つ上にある阿修羅の 世界から始めます その上が 知性の世界で そこを通り抜けると 創造の世界で そこを 通り抜け それから 真っ暗なトンネルを 通り抜けて最終的に 天国に達します
大体こんな様子です 完全に真理を悟る レベルに達するまで 約五つの段階が あります 従って印心の時の レベルであなたが早く 目的地に到達するか 遅く到達するかが 分かります マスター 毎日どう過ごしたら 一番理想的ですか あなたが してもらいたい事を 人に施して 自分が欲せざることを 人に施さないことです これが一番いいです でなければ開悟が 一番いいです すると直感的に 何が正しくて 何が間違っているか 分かります 先生に これはやるべきで あれはやるべきでない と指摘してもらう 必要もありません
自分で自分の主に なるのが最良です ですから私達が あなたの真我を 知る方法を教えます マスターチンハイ 輪廻について または今生で 開悟できなくて 来世再び戻ってきて 学ぶことについて ご説明頂けますか 輪廻するのは 私達が精神的とか 物質的に願いが叶わなかった時 十分開悟して いなければ 源に帰ることが できません そこで再び 物質的な欲望や かなわなかった願望に コントロールされます 例えばある人を愛して いますが その人は 自分を愛せず別の人と 結婚したとします
すると私達はこの かなわなかった 愛をずっと 心にかけていて意識的 または無意識に 今度また戻ってきて 一生かけて あらゆる方法でこれを 実現しようとします だから輪廻するのです 聖人も輪廻しますが 自身の意志でできます 彼らは 来たければ来るし 来たくなければ 天国に 留まります しかし私達の場合は 自身の欲望の力に 連られてきます 両者は異なります 印心後 内心の欲望は だんだん少なくなり この世界に対する 未練がなくなります 依然家族を愛し 引き続き仕事を していますが 私達は同時に 天国のもっと素敵な 境界を見ているので もう低いレベルの 世界には 引き付けられません だから 私達はいわゆる死ぬ時 欲望から解放され あらゆる事から 自由になります 何でも軽いもの 束縛のないものは 上へ上昇します 風船のように 中身は空気だけなので 上へ上昇するのです
従って輪廻は 確かにありますが 開悟していないだけに そうなります でなければ 輪廻は 存在しないでしょう でもあるとも言えます 無明な人は まだ執着して いるからです チンハイマスター 開悟後 どうしたら 永遠にそれを 保ち続けられますか 失うこともありますか 保ち続けられます ただ必ず 自分の身 口 意を きれいに磨きあげねば なりません 開悟したマスターに 印心を受けた場合は ずっと面倒をみて もらえます
たとえ挫けたとしても 内面のマスターに 誠心誠意懺悔し祈れば 上へ連れて行きます ただ生活の中では 苦しみを感じたり 開悟していないような 開悟しているような 感じがしたり 喜びと自信と 悟った感じを 刻々と感じるわけでは ありません しかしそれらの 戒律を守り 菜食を続け 毎日誠心誠意 修行する人にとっては 毎日開悟の状態を 保ち続けられます 保ち続けられます 死んで天国に いっても同じです 引き続き自分を磨き あげます マスターに なる日まで磨きます マスター チンハイ 天国を説明して下さい 天国は 二種類あります 地上の天国と 天上の天国です 地上の天国とは 開悟後 どんな 環境におかれても 満ち足りていて 強く愛を感じます 「天上の天国」は この地球を離れてから 永遠に極楽の世界に 住むことです 悲しみもなく 不安もなく 何の欲望もありません 全ては求めなくても そこにあるからです
愛を込めての ご清聴と応援に 感謝いたします 皆様にお会いできて 大変嬉しく思います 皆様の祝福の気持ちを 感じ取りました 有難うございました