顔闔は 太子つまり 衛の国の 霊公の息子の先生に なるところでした 闔は蘧伯玉に 相談に行き聞きました 「生まれながらの 乱暴者がいる」と 太子のことです 「彼を しつけずにおけば 国が危うくなり 彼を正そうとすれば 身が危険に晒されます 彼は人の過ちはよく 分かるが自分のことは 分かっていません こんな状況で どうすべきでしょう」 蘧伯玉は答えました 「良い質問だ 用心なさい 注意して 必ず適切に 行動しなさい 柔軟そうにしながらも 調和を保ちなさい しかしこの二つを 行うには危険がある 柔軟でありながら 必ず集中していなさい 内面で調和を 維持してる時は あからさまに見せない あなたが柔軟過ぎて 自我を失ってしまうと 征服され 破壊され 潰れてしまいます わざと冷静沈着を 表に出すと 非難され 中傷されるでしょう 彼が子供のように 遊びたがれば 一緒に子供になり 妙な行動をしたがれば 一緒にして 無鉄砲になりたがれば 一緒にする だが自らを保ちなさい それが彼の 言う意味です
すると彼の心を動かし 正気に戻せるだろう」 これは「荘子」からで 「荘子」の中の話です 太子の先生の 話だけでなく 日常の修行に関する ものなど私達にとても 有益な話があります 「衛霊公」の 息子である太子は 乱暴者でした こういう人に 外で多く会い 相手がとても 高い地位の人だったら そして 仕事や友人を通して あるいは 避け難い事情で 知り合いに ならなければ ならないとしたら どうしましょう この場合 その人はとても高い 地位にあるので 彼の行動は当然 国全体に影響します そして道徳の 素養のある人がいて 生まれつき少し横柄で 乱暴な太子の 先生になるよう 頼まれました もちろん彼は権力ある 環境に生まれたので 多くの人が 彼を甘やかし へつらうでしょう あえて彼に 正しい事を言う 良い友達は そういないでしょう 気に入らなければ 人の命に関わる 反応を示すからです 道(タオ)を修行し 規律を理解する この徳ある人でさえ この乱暴な太子を 直ちにではなくても きちんとした 態度に変えるため 規律と道だけを 使うわけには いかないのです この先生は 堂々とした態度や 「太子は不良で いつも悪くて 何もできず 全く不道徳で 暴力的である」などの 太子への批判を どう示せるでしょうか 五分以上 もつと思いますか たぶん 話が終わる前に サヨナラの死刑判決を 受けるでしょう ですから当然とても 心配でした それで自分より賢い たぶん 師である蘧伯玉に 聞きに行ったのです
荘子に 記録されているのは 昔の賢人の一人で しょうから人に 何らかの利益になって いるはずです きっと 賢く道徳的でしょう 時には 荘子も堂々と 本名を書けず 他の名を使いました 他の名を使いました そして荘子は 弟子や当時の人々に 振る舞い方や 英知を理解したり 智慧を修行して 発展させる方法を 教えるため 多くのたとえ話を 用いたことで有名です ですから蘧伯玉が 太子の先生に 忠告した話を 日常に 応用する事もできます しかし この状況は もっと重大です 太子は国全体に 影響を与えるからです 大方の人も 影響しますが ある範囲に限られます 地位ある人が 正しい態度や 智慧ある行動をとれば 当然 接する多くの人や 間接的に関係する人も 利益を得られます さもなければ もちろん 多くの問題を 起こします 今は暴力太子により そんな状況にあり 先生が直ちに 太子を非難したり 正そうとすると 危険に陥るのです 危険に陥るのです それで蘧伯玉は 慎重に注意し 必ず適切に 行動するよう 言ったのです 適切とは どういうことでしょう
「柔軟でよいが自身を 見失しなわないこと」 と言っています 何をするにしても 修行者であることを 覚えていることです そうすれば あなたは 環境に左右されません たとえあなたが 悪い人達と一緒に いても中道を保てます あなたは彼らを 非難することなく そのままでいられます 分りますか 影響を受けません 例えば 周りの泥に 汚されていない 蓮の花のようです ですから 今のこの場合は もちろん 私達は普通 副作用なく安全に 最も速く結果の出る 完全な悟りを求めて 私達の所に来る人を 手伝おうとします 手伝おうとします 彼らにこう勧めます 「いくつか 指標があります この方向に 進みたいなら 倫理的な菜食と 日に二、三時間の 瞑想です」と 分かりますか 忠告はしても 強要はしません 従って 彼らは 自由意志で来ます 彼らは自由に選べます しかし 問題は 話の中の太子です さて太子とは 権力者を 意味します 昔 権力者は この世で神より 影響力がありました 人を殺したり 破壊したり 不幸に させる事もできました 最近は 少し状況が 変わったので 私達は幸運で 大方の国の法律が 罪のない人を守ります 罪のない人を守ります 殆どの場合 法律に 頼れます 私達を 守ってくれるのです 私達は権力者を そう恐れないのです しかし当時は どの国も こういう 領主や太子等のような 有力者の支配下にあり 彼らは 地上の神のようでした 彼らが言う事は 何でもなされ したい事は 何でもしました
でもたぶん それは 国全体のカルマ (報い)の結果でも あるのでしょう そうでなければ 豪州のように 民主国家に ならないでしょう ここの人々は 良いカルマ(報い)が あるので 自由に暮らせ豊かで 平和な国なのでしょう この話は 他人に対する 態度を教えてくれます 常に柔軟で あるべきだ ということです それで働くのです そうでしょう 他の皆と 同じように働き 彼らと調和するのです 同じ服を着て 同じ言葉を 使うようにして 他の人々と 同じに見えるように 多くの事をします それと同時に 自分を保ちます 自分が修行者だと 承知しています 菜食でない店に 行ったり お酒や肉がある パーティーに 招待されても 菜食の物を 食べますね 柔軟だからといって 自分を忘れることは ありません「よし 人と一緒で あるべきだから 全て 同じようにすべきだ」 いえ違います 人と同じに見える事 だけをするのです 例えば 人が食べたら食べます ただ座って こう言いません「私は ベジタリアンだから ダメダメ わかった?」 けれども 人と一緒の時 食事をしている時に 私達の修行について 話す理由や言い訳や 機会があるでしょう 分りますか なぜベジタリアンに なるべきか 彼らが聞こうとしても しなくても構いません 少なくとも 私達が 彼らより優れていると 皆に知らせようとして 自分を場違いな感じに しないようにしなさい 分かりますか 静かに食事をし 物事を行い人々が 聞きたいと思った時に 話せば良いのです 分かりますか
もちろん どこかに出かけて 菜食をすれば ある人達は 気が付くでしょう それは故意にサラダや レタスをフォークで つまんで言います 「これが私の食物です」 いいですか 集まった人皆に 聞かせるような ことではありません 例えば結婚式に 出席したなら出席した 人々を楽しませて あげましょう 誰であれ 私達の 食事が違うことに 気付いて 私達の 所に聞きに来たなら 彼らが理解するよう 答えます 私達は全て自然に 家にいる時のように ただ行うだけです 謙虚に 恰好付けずに行います 騒いだり 私達は偉大な修行者と 知らせることでは ありません 花に香りがあれば 皆が嗅ぐでしょう 鼻に問題がある人でも 構いません 強要できますか 解りますね 鼻が詰まったり カゼや 流感か何かで 臭いが嗅げないなら 強要しないのです 分かりますか いいでしょう この世界では 流感にかかっている 人が多く 鼻先にバラを置いても 香りを嗅げません ですから怒らないで ですから今 なぜ私がここに 来たのか聞かれたら それは皆さんが来る ことを望んだからです 私達の話を聞きに 来たがる人も大勢いて 分かりますか 人々に 強要はしませんが こんな講演会があると 知らせるだけです
こんな生き方があると 興味があれば 人は自ら来るのです どこで情報を 得られるか 知らない人に 気に入るかも 知れない事を 知る機会を提供する だけです 解りますか 人が新聞に広告を 出しこう言うのと 同じです「ええ 私はベジタリアンの レストランを 持っています とか フランス料理とか オーストラリアの 特別料理」 すると人は それぞれの好みで ベジタリアンに 興味があれば 菜食レストランに 中華に興味があれば 自然に中華料理の レストランに 行くでしょう 或いは オゥラック(ベトナム) 料理などなど それで私達は 彼らに こういう事がこういう 日に こういう通りで あることを 知る機会を与えます 人に強制して 来させません そこが違います 分かりますか それが違いであり 彼らは選ぶのです そういう事を 知らせるだけです 来たければです それが違いです ですから様々な状況で 適切に行動することを 学ばねばなりません だから そういった 面白い主題に 関心を持つ人は 来るでしょう 解りますか 悟りや 菜食を求めるなら 来るでしょうが 来ることを 強要しません それが違いです それが私達のショーに なるからです 家に人を招待して お茶会が できるかもしれません ついでに 相手が興味を持つなら 何かについて話します ティーパーティーか 菜食料理を準備すれば 皆 分かるでしょう 彼らは友人か 友人の友人だから 来るからです すると菜食する理由と 「なぜ全て菜食なのか」 聞かれ その時 その事を話すのです そうしないと 人のショーを 奪いかねません
自分の出費でなく 人々のように 物事を行います 意味が分かりますか 余計な口出しをせず 控えめに行う という意味です 人を私達の道徳ぶった 態度で圧迫しないよう 分りますか けれども 私達の価値観や 道徳の基準を 失いません 意味が分りますか 例えば 英語がよくできても 学生達に好かれたくて 英語を 全く話さなくなり 彼らが英語を 習いに来ても こう言うだけです 「英語は分りません 皆さんと 同じになりたくて 英語を全部排除した」 良い事ですか いいえ 英語の知識を 削除したら 彼らに英語を どう教えますか できないでしょう 「人のようにすべき 人と全く同じ事を する」という言い訳を 作ってはいけません わかりますか 例えば私達も人並みに 物事を行いますが 他人を傷つけません ええ あなたが 素敵におめかしして 髪をとかせば きちんとして上品に 見えます すると 人は注目します 殆どの人々は 外見を見ます 彼らは何かを見て 「この人達は身なりが 良く名門の出で 礼儀を心得てきちんと 育てられている」と それで人々は少し 親しみを 感じたり あなたを信用して だんだん話が出来る ようになりますね 修行者であるからと いって あなたが とても汚れた服を着て 外見に無頓着でいたら とても上品な家に 招待されたとしても あなたが話し始める 前から 人は既に 聞こうとしません 分かりますか どうやって 人々に無理やり その非常識なことを 受け入れ させられますか 意味が分かりますか ですから
これは私達の内面や 品行を傷つけるもので はないという一例です 着たい服を着てもよく 問題ありません お化粧をして 素敵な 服を着て 素晴しい パーティーに行きます 大勢の人々に会うなら いいですか 人と会う立場に あるなら 素敵に 見えるようにしなさい すると人は「ああ 彼女は普通の人だ 心もゆがんでないし 大丈夫だ」と思います そして人々は 気が楽になり リラックスし 心を開いてきます あるいは例えば 人があなたを ダンスパーティーに 誘ってたとえあなたが ダンスはもう したくないと思ったり 今は瞑想修行をして 出かけたくないけれど これはあなたの商売に とても重要なことで 商売上 人に会うのは 重要なので それで 彼らは あなたがとても 好きなので パーティーを開きます 誕生日の パーティーとか それで ダンスをしたりします あなたが好きで 踊れるなら ほんの少しだけ一緒に ステップを踏むのです 分かりますか でもその間音楽に気を とらわれて 全てを 忘れてはいけません 例えばそういう事です これらは外面のことで 私達に害を与えません ですから 何ができて 何をすべきでないか 知るべきです 柔軟にとか差別なくと 名目を付けて 全てを 自分の思い通りに 行うことは 口実に ほかならないのです してはいけない 事があります 肉を食べたり お酒を飲んだりなど 本当は 一口飲んでも 地獄には行きません でも一口 二口 そして三口に なるかもしれません 人がそれを見ています 「この前飲んだから 今回も飲めるでしょう 飲んでください もう少し もう少し 今日は特別な日 誕生日ですよ」 などと言いますよね それが問題を 引き起こします だから用心すべきです それだけ いいですね 人はあなたが一度 そうするのを見たら 二度目を 無理強いします そして三度目もです それがきっかけです きっかけが何だろうと この道に行くのです 最初はタバコの吸い方 など知りません 赤ちゃんがタバコや 酒瓶を口にして 生まれて来るのを 見たことがありますか どこかから 始まったのです 友達から タバコの一服、二服 酒の一口、二口と それが始まりです
ですからこれで 人の説得力の危険性が 分かったでしょう 感情的な説得力です そうです 人々は「私を愛してる なら これを飲んで 私を愛してるなら これを食べて」 などと言います 感情的な脅迫なだけ 分りますか だから気をつけて 「あなたを愛してても そういう事はしない」 「これをしたら少しも あなたの為にならない 私があなたともう一杯 ワインやウィスキーを 飲んでも少しも あなたのためにならず あなたへの 私の愛を示したり 増す事にはなりません あなたにとって 良くないし 私にも良くありません このウィスキーで あなたを もっと 愛してると感じません だからなぜ」 「愛の名目でなぜ私に 強いるのですか」 愛とはあなたが 何をしても あなたが 幸せなら私も幸せで 私を喜ばせるために あなたはこうすべきで でないと喜べないと いうことではない 間違っています 分かりますか だから彼らが満足なら 食べたり 飲んだり やりたい事を やらせるのです そして彼らも 私達のしたいように させるべきです それが公正であり お互いに対する 一番のやり方です
でも人が菜食について 興味を持ち 聞いて来るなら もちろん話します
もちろん 私達はなぜ彼らが 肉を食べるか興味は ありません 既に 知っているからです だから 逆に彼らが 観音法門や 菜食について 聞いてくるだけの ことです だから彼はここで 言ってます「内面の 調和を持続しつつも 誇示しないこと 柔軟過ぎるなら 自分の芯をなくし やっつけられ 破壊され 崩壊するでしょう 自分の平静さを 示そうとすると 批判されたり 中傷されます だから 見せないで下さい 常に柔軟で 利口でいるのです 人々にとても違うと 気付かせないように わざとでなく 自分の 美徳を理解を示します 分かりましたか 大抵の人は 時には 修行しただけで 熱心すぎて 外へ行き 彼らは菜食で とても難しい事を やってて 二時間半 瞑想していると 皆に知らせなければ なりません 「あら あなたには出来ないわ 私がやっているのが わかってるでしょ」と それは真実でもあり 本当なのです あなたがこの方法で 修行して菜食しても 世界中は そうしないからです でも 何人いるか見て下さい だから実行は大変 困難で成し遂げるのは とても難しい任務です だから皆さんは 素晴らしいのです 私は皆さんの 勇気と智慧 努力を褒めます 泥の中から出て来て きれいになろうと 泥水の中にあっても 蓮の花に なろうとしている 実に素晴らしい事です でも自分で素晴しいと 思ったら 素晴らしく ないと思いなさい 私達はただ 外部の人々のように 名声の為にしています 彼らは大衆や社会に 認められるために とても 素晴らしい体力と 健康や心霊能力など 全てを得るのです わかりますか 自分の名前が新聞に 大きく書かれるために 社会貢献をするような 人々のことです わかりますか 養護施設や 老人ホーム そういうもの欄に 書かれています 私たちは霊的な競争や 霊的な物質主義の 罠に陥らないように 気を付けるべきです
時々私達は修行をして いながら それを 自慢し過ぎています これも良くないですね 分かりますか 内面で 自慢し過ぎているので 私達は出掛けて それを発して 人々を 不愉快にさせるのです これは皆さんへの 教訓です いいですか 自然に振舞うのです 人生でこのように 修行するのは 本当は ごく自然なことです 私達が地球にいるのは 世界を賛美するために 最高の力を 発揮するようにです そうしないのなら 習得するまでまた ここに戻って来ます 私達はそうすることを 学ぶのです そうすべきなのです 私達の人間としての 義務です だからそうするのは 大した事ではないです 高校を卒業し 大学へ 行くようなもので 大した事ではないです でも大学に 行きたくない人は 私達は構いません 私が王様なら もちろん 国民全員に菜食をさせ 観音法門を 一日二時間半させます さもなければ 彼らはクビです ええ 昔そのような 王様がいました そして全国民が美徳を 修行していました それは昔の 黄金時代のことです
人々は何千年も生き お互い調和し 頭上には後光が ありました 時には 彼らには奇跡的な 治癒が成されました 病気になる人や 若くて亡くなる人は あまりいませんでした 現在は観音法門を 修行している 少数を除いて 寿命は短くなり 健康や知能も減少し 後光も何もありません 従って時に このような事は とても珍しく ですから貴重になり さもなければ 黄金時代には誰もが 持っているものでした 今私達がイエスの後光 仏陀の後光を見たら 明るい光が彼らの 周りにあり それは 彼らが稀だからです 黄金時代から来た 珍しい種 珍しい衆生が教えに 戻って来たのです 普通私達皆に あるべきものです 私には 私とあなたの違いが 何か分かりません 時々あなたは 私にはあるが自分には ないと言います なぜでしょう 恐らく自分の栄光を 忘れていただけです 私は潜在意識の中では 忘れていません 理由はこれだけです でなければ理由は 分りません 私は 自分にあってあなたに ないことが分りません
私達がやっている事を 人に提供いるだけで それをしない人達を とがめたりしません でも私達が公開し 公開講演会を しているから 数千人もの人が来ます 高い意識レベルの 人達だけが あなたが少し 話しただけでも すぐに分るのです 大丈夫 分りますか 彼らはそれでいいです 彼らも来て 私達と共に修行します 珍しく進歩した 魂があります 他の人達は皆 私達の話を 思案するのに 長い時間が要り 時にあなたは 良いレベルの 教育的な事や 聖書や 仏教経典や他の宗教の 経典についての よい知識の話を 人にする事があります あなたは彼が言う事に 驚くでしょう そんな人達だとは 信じ難いでしょう 分りますか たった一つ 二つ 三つの聖書や 他の聖典の文章に すごく固執しています そして彼らは ただそこにしがみつき 動かないのです そこから上に動かず 離れようともしない あなたが驚いても それが現実です そうでなければ この地球は 「地球」と呼ばれず 「天国」と 呼ばれたでしょう
または神の王国と そうなら私達は神の 王国など探し求める 必要がないのです 皆がそうだったら 私はこの仕事を辞めて 野菜を栽培するか 川の傍にテントを 張ります そして詩を 書いたり絵を描いたり ただ自分の時間を 過ごします したいようにします そうでしょう 私達はこの世界を それ程急に変える事は 出来ません ですから 私達は修行をするのと 同時に世界を加護し そして私達は この世を去った後の より素晴らしい世界を より理想に合う世界を 熱望します ここにいる間 地球を加護し それで 仕事を終えます 私達は繋がりのある 人々を助け 五代 六代 七代までもの 祖先や愛する友人を すべて救い 彼ら全てを 連れて行きます それで仕事は終りです その仕事はここに来て この人を助けるためで 私達は仕事を終えて 自分が元いた場所に 帰って行きます 赤ちゃん全部が成長 するのを ただじっと 待てないからです それは一度 大きくなると もっと 大きくなるからです 違う学位に 進むためです 兄弟姉妹が まだ幼稚園なら 一緒に 大学に行くために 弟が成長して 十五歳になるのを 待つことはできません 分かりますか いくら 弟や妹を愛しても 私達は幼稚園を離れ 自分の仕事を しなければなりません それだけです
ですから 観音法門を修行すると ここにいる間は 弟や妹の面倒を 見ることができます でもそれは進化の 法則なので 私達は もっと上の王国に 進まねばなりません ここに留まれません あなたが十五歳になり たとえ幼稚園に残って いたいと思っても 先生はそうさせません 両親もそうさせません あなたは彼らと 遊べないので 弟や妹さえも そうさせないでしょう つまらなくなり 彼らとは遊ばないし 大きすぎて彼らに 嫌われます あまりに違います ですから 観音法門を修行した後 本当にここに 残りたいなら 先生に ならねばなりません たとえ望んでも 以前のような 無知な人になり 人々と一緒に 遊ぶことはできません ですから 望む 望まないに関係なく 観音法門を修行したら 天国に行かねば なりません わかりますか ですから 地球の人々を愛して ないとか なぜ彼らを 残していくのかと 言わないで下さい それが自然の過程です ですから それは イエスや仏陀などの ような高く成長した魂 存在が地球にいるとき なぜ時々 地球人に憎まれたかを 説明しています 分かりますか そして聖人達がいくら 聖人でないふりをして 一生懸命 隠れたり 自分達の高くて 善良な資質を隠そうと しても 彼らと余りに 違うため攻撃しようと 躍起になります
しかし 聖人達の 良い所に引かれ それを認識し 崇拝し 称賛する人々は 彼らの所に行き 教えを請います それゆえ その先生達の 良い所を認めない 他の団体の人々の 嫉妬を引き起こします 嫉妬するからです わかりますか もちろん それは違います たとえ全ての マスター達が 人類に良い事だけをし 人々を自身の栄光の 神の王国に導くため 自分の全てを犠牲にし 良いことだけを 人々に教えることを 皆が分かっていても それでも 人々は嫉妬します 理由はわからなくても そのようなのです なぜならここに 留まってはいけません ここに来る人は 自身を危険に 晒しているのです 彼らは危険な 冒険をします この世界に来て人々を 教え 故郷に導くため 自らの安全を 危険に晒したのです 彼らはここに属さず 彼らがいくら 隠そうとしても 誰もが彼らの違いを 嗅ぎ付けてしまいます しかし 少なくとも 外見は 時々しばらくは 隠れることができます 彼らが素早く 通り過ぎたら 誰も気づきませんが かなり長く留まれば 人々は嗅ぎ付けます
それで人々はやって 来て探し回るでしょう 例えば 花を押入れに 隠しておいても それでも花は匂います すると人々は言います 「不思議だ 香水のような 匂いがする」 そして来て探し回り 結局 見つけ出すでしょう しかし花を持って ただ通り過ぎると人は その匂いを嗅いでも こう言うでしょう 「不思議だ 急に素晴らしい 香りがしたんだけど」 でも気づく暇はない 分りますか それは箱の中に入って いるか 紙か何かで 覆われているからです それで 花の香りを嗅いでも 見つける時間が ないのです 素早く反応しないので 見つけられません 部屋に素晴らしい 香りがあるのに 彼らが反応したり 発見する頃には 私達は 花と共に去った後です 分かりますか それが違いです ですから もちろん 体や何かで 自身を覆い 自身の仏性を 隠しなさい それは役に立ちます ただ何に 慣れているかです それだけです 私達には 外見がそれほど 重要なわけでは ありません 修行者は ただ状況上 必要なことなら 何でもするのです
それで最後の文章の 意味は 子供に なりたいなら 子供と 一緒に子供になり 彼が変な行動を したがるなら 一緒に しなさいという意味で 奔放な事をしたいなら 一緒に奔放になること すると 彼を捕まえて 正気をとり戻すことが できます この人は太子の先生に なるべき人です 太子の性格は 暴力的でした だから柔軟になって 太子と 動き回るべきでした そして太子の信頼と 友情を勝ち取り段々 太子を変えていきます これはとても危険な 状況だからです 出て行くこともできず 先生が太子を教える のを断ったとしても 危険になるのです それで彼は賢い方法で せねばならなかった 私が話した物語を 覚えていますか 服を全部脱いで 太子と同様に鶏になり 床の上で 物を食べた人の話です そうですね それで彼は太子に ゆっくり言いました 「私も鶏です 七面鳥か鶏です」と そして 太子と一緒に 床の上の物を食べ 彼も裸になり 走り回り 這い回りました すると太子は 言いました 「もう一羽鶏が来たぞ よし 僕達は友達だ」 太子は信用しました
なぜなら以前は 皆が太子を非難し 無理やり 服を着せようとし 太子をテーブルに 座らせ ナイフとフォーク等で 正しく食べさせようと しました それで太子は皆に 飽き飽きし言う事を 聞きませんでした しかし この老人は 人の心理が わかる人でした 太子と一緒に 服を脱いで裸になり 這い回り 物を拾って 太子を喜ばせました そして太子の 信頼を得ました 自分に似てる人がいて 何かを欲しがったり 彼に何かを 強要もしません 自分と全く同じなので 太子は幸せに なったのでした そして彼に従いました 後に 老人はシャツを 着て言いました 「なぜ鶏はシャツを 着てはいけないのか ほんのお遊びですよ」 彼がシャツを着ると 太子も同じように しました 太子は彼を信じ 信頼していたからです しばらくして老人は ズボンをはき「なぜ 鶏がズボンをはいては いけないのですか 楽しもう はいてみよう」 彼がズボンをはくと 太子もズボンを はきました また後で老人は テーブルに座ったら どうかと言いました 鶏は なぜ魅力的で テーブルに座って 堂々としては いけないのですか 彼がテーブルに座ると 太子も全く真似を しました だんだん 正常になりました それでその人は 狂っているのではなく 頭脳は全く 正常な状態でした
しかし彼は ちょっと荒れていて 自身の威厳を忘れた 太子を 助けたかったからです 太子に 人間として 国の指導者としての 威厳を取り戻して 欲しかったのです だから 自分自身の威厳は そっちのけで 服を脱いで 変な行動をし 地面を這い回ったり したのです これは寓話で 実話ではありませんが 教師は時々 いかに 多様な方法を使い 私達と同じようになり 私達のレベルに 合わせて話し だんだん 元の栄光に戻すかを 明らかにしています 私達が本当に マスターを信じるなら マスターの良い動機を 発見するでしょう マスターは 私達と 同様に見えるので 信頼と信用を 得られます それでマスターが何を それでマスターが何を 言っても聞くでしょう それだけのことです 私達の智慧が異常なら つまり 少し低いなら 私達は外面の行動と 外見だけで判断し マスターからの 偉大な教えに 感謝しないでしょう それで私達は失います 貴重な機会を 失ってしまうのです 同様に私達が 外に出たら 人々を同じ方法で扱い 付合うよう努力します