智慧の言葉
 
聖人達の物語 1/3 一九九六年二月四日 フォルモサ 西湖(中国語)   
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皆さんはとても良く 修行していますね 毎回皆さんがここに 来る度 あなたは夏や 秋や 良い雰囲気を もたらします はい 物語の時間です では面白い話から 始めましょう

あるところに 盲人がいました 彼の智慧眼も まだ開いていません 開眼していたかも 確認しませんでした この話の中には 出てきません しかし 彼の鼻はよく利き 例えば彼はニュースの 記事を嗅ぎ分けました 彼は誰がその記事を 書いたのかその臭いで すぐ分かりました ここに来させないよう 気をつけるべきですね 彼が来たら 皆さんの強い禅の 臭いを嗅ぎ分けますよ よく修行してない人は そういった人々に 近寄らないことです 彼を試そうとする 人がいました その人は作家で 小説家でした

ただ彼に本当に才能が あるか知りたかった 彼は「西遊記」を 持って来てその彼に 嗅がせました 盲人は言いました 「おお これは 西遊記ですね」 それでその作家は とても驚き尋ねました 「なぜ分かったのか」 盲目の人は答えました 「カレーのにおいで」 三蔵法師は 経典を探しにインドに 行ったからですね 盲人はまた 猿の毛の臭いもすると 言いました 作家は単なる偶然だと 思いました 大した事ではないと 彼は他の本を 有名な歴史的古典の 一冊を持ってきました

「三国志」です 彼は「三国志」を 持って来て 盲人ににおいを 嗅がせたのです 盲人はにおいを嗅ぎ 「三国志」かどうか 尋ねました 作家は驚き なぜ 分かるのか尋ねました 盲人は戦争のにおい 血のにおいがすると 言いました まあ 驚きですね 作家はほとんど彼に 降参しかけました それで他の記事を 持って来て嗅がせると 盲人は言いました 「あなたの著書です」 非常にショックを受け 作家は尋ねました 「なぜ分かったのか」 彼は言いました 「とても臭かった」 はい それだけです あなたは自分の修行を 進歩させた方がいい でないと においで 分かってしまいますよ この作家のように 非常に面倒な事に なるでしょう 他の話をしましょう

非常に裕福な人が いました 大金持ちでしたが 非常にけちでした

彼は一円も 一銭も 使いたくないけど 他の人には よく文句を言いました 「ああお金があるのは とても惨めだ 本当に面倒なことだ 不思議だ どうして裕福なのが これほど面倒なのか あまりに多くの苦難に 私は耐えられない お金は好きじゃない」 彼はどこへ行っても こう文句を言います そこで彼を知る 他の人が言いました 「よし君がそれほど 沢山苦しんでいるなら 私にお金をよこせば 自由になりますよ」と その人は言いました 「おおそれはできない あなたに悪いカルマ (報い)はやれない」 さて 真剣な話をしましょう

国事と世界平和に ついて話します 私達は古代の 賢人の例に従います それでは聖人の ふりをしましょう そうすれば聖人の話が 理解できます ふりをするだけでOK 数分です 何の損もないでしょう 鮑叔牙と管仲の話を 覚えていますか いいでしょう この二人の話を沢山 聞いたことがあります でも他にもあなたに 再び話した方が良い 別の話があります

古代中国には 多くの聖人がいたと 私は知っています しかしながら 人々は彼らの教えから 学びませんでした 残念なことです いつでも時間があれば 思い出してほしいです 鮑叔牙がどうやって 管仲を推薦することに 成功したかを お話しましょう 彼は見事にやりました 鮑叔牙はいわゆる堂阜 という囚人車を開ける 場所へ行きました 管仲は囚人車に 閉じ込められていて 齊王桓公を 弓で射たからです そうですね ここだけを射抜いて それで齊王桓公は 死んだふりをし 逃げ戻って齊の国王 桓公となりました

それで管仲は 他国に逃げ延びました 管仲が他国に 逃げた後 鮑叔牙は管仲が 才能のある者だと 知っていましたので 彼を捕え連れ戻し 斉の桓公の元に 仕えさせたいと 思っていました 鮑叔牙は 管仲が宰相になれば 国家間に平和が もたらされることを 知っていました 彼なしで中国統一も 平和もあり得なかった でしょう それで鮑叔牙は あらゆる手段を講じ 彼の友人を救い 引き戻そうとしました 彼が管仲を捕えに 行った時 管仲を 求めるために 彼の部下を送りました しかし管仲が逃れた 魯の国には 既に才能ある 宰相がいました 彼は管仲を 高く評価していて 魯の国王に言いました 「陛下 この者を 逃してはなりません 彼を登用しないなら 彼を殺すのです」 まあ厳しく恐ろしい 才能は恐ろしいです

魯の国王は聞きました 「なぜ管仲を 登用すべきなのか なぜ彼を殺すべきか」 有能な宰相は 魯国 (管仲が逃れた国)の 非常に知的な宰相は こう言いました 「管仲は偉大な才能を 持つ者ですから 彼を斉の国に戻した 暁には 彼は確実に 重要な地位に おかれるでしょう すると陛下は悲運です ですから陛下が 彼を登用しないなら 殺すべきです 彼を他の者の手に 渡してはなりません とても危険です」 これが政治です 本当に恐ろしいです 有能な人物を 見つけるのは稀です 彼を登用しないなら 構いません

他の人が彼を使います 何か問題がありますか たぶん彼らは 観音法門を修行しては いなかったので 彼らには分かち合う 精神的なものも崇高な 理想も何もなかった ですからこのように 振舞ったのです 国王はまず 非常に賢明な 宰相の忠告を 受けることにしました それで元々は魯の 国王は管仲を殺そうと 思っていましたが 鮑叔牙が送った 部下の方が聡明でした 彼は「陛下が この者を殺し死体を 私達に引き渡しても それは 一切返さないことと 同じです これは私達の国王を 軽視することです

管仲は私達の王を 以前 矢で射て 国王はいまだ 彼に復讐を果たせずに います 安らかに眠れません」 これは 敵の同情を得る 計略でした 「陛下がこの逃亡者を 私達の国王に 返すことを拒絶し 個人的に処理するなら 残念ながら二国間に 紛争が起こることと 存じますが」 これを聞いた 魯の国王には選択肢は ありませんでした 彼の国は徐々に弱く なっていたからです また彼にはこの他国の 逃亡者を殺す理由が ありませんでした 理由がないのです ですから管仲に偉大な 才能があることを 知っていても 彼には彼を行かせる 選択肢しかないのです

国王も宰相もどちらも それを受け入れ 管仲は 連れ戻されました ご存じの通り 管仲は 本当に聡明でした 彼はその宰相が 彼の後を追い 殺すだろうと 分かっていましたので 彼は即座に 多くの歌を作り 彼をエスコートする 兵士らに大声で歌わせ 行進させました こんな風に 兵士らは 歌を歌いながら とても早く歩きました 従って 魯の国の首相は 彼の後を追いましたが 彼らに追いつく事は できませんでした 非常に聡明です 彼らは皆優秀です 非常に抜かりないです 私達が聡明なら 本当に良いでしょうに

では私達は背景を 知りましたね もう全て分かりました 背景について詳しく 話したのです 万が一 あまり理解できない 外国人のためにです そうでなければ 突然私が鮑叔牙と 宰相について話したら びっくりしますね 鮑叔牙は 彼の友人を救うことに 成功しましたし 管仲も囚人車の中に 閉じ込められていた 間に自分の命を 救う事に成功しました 自分の命を救いました 堂阜に行きました

彼らが行った場所です 彼らの国に着きました

斉の国です 鮑叔牙は 斉の国にいるので そこへ行ったのです 管仲の到着を聞いた 鮑叔牙は 直ちに 彼を迎えに行きました 彼は囚人護送車の ドアを開けて管仲を 解放しようとしました 管仲は 「あなたはまだ命令を 受けていないから ドアを開けないで まだ開けないでくれ」 鮑叔牙は 「心配しないで あなたを斉の王に 推薦するつもりです 心配しないで」 すると 管仲は 大変謙虚なふりを してこう言いました 社会的な礼儀として 通常はこのように するべきです 彼は「主人は 死んでしまいました 彼を守れなかったのに どうしてあの世で 顔を合わせられよう」 彼が恥ずかしく 出て来るよう説得 されねばなりません 突然囚人護送車から 出て「大丈夫です」と 言うべきではないです

意味が分かりますか だから 鮑叔牙も 彼を理解して信じてる ふりをして言いました 「大丈夫ですよ 大した事ありません 私達 有能な者は 片隅や死んだ者に 執着するのではなく 国事や世界の平和を 国事や世界の平和を 最優先にすべきです 世界に仕えています 一人や二人にではなく 素晴らしい それを聞いて 管仲は自分が非常に 価値があると思います 彼はもう 死にたがっていません 最初は死にたがって いたかもしれません 確かではないですが 本当に死にたいなら なぜ兵士たちに 歌を歌うように言って 速く走ったのでしょう

ええ彼を信じましょう そっちでなく こっちを信じるのは 構いません 二人とも 合意に達しました 鮑叔牙は 斉の桓公の所に行って こう言いました 「二つのことを 陛下に報告いたします まず 国家のために 個人的な感情 家族への感情を 捨てるべきです これに関して 私は同情と申しわけ なく思います 陛下 しかし もう一つ おめでたいことが あります 陛下 世界で一番 才能のある者 管仲が ここに到着しました 彼は救われて ここに戻りました

これから 陛下はこの有能な者の 援助があります 斉の桓公は 「あの男に 矢を射掛けられたんだ この仇のことはまだ 忘れれていない あの矢も持っている どうやって彼を使うか 彼が戻ってきたなら 彼を殺して 死骸を百片に 引き裂いてやる 彼を使うのは無理」 そして 彼は愚かでした 王は皆 このように愚かです 皆がこのように 愚かという訳でないが ほとんどがそうです ほとんどは同様です 分かりますか 偉大なる一国の王が 些細な仇さえ 忘れられません

彼について聞こえの 良い言葉を言われたら 彼は長く 覚えているでしょう 彼の悪口を言ったら 三世代が 「超生」するでしょう 殺されます ほとんどの王は 度量が小さいのです だから 多くの賢人 有能な人が 王のそばにいて 相談にのるのです 相談にのるのです 高潔で有能な 人が多ければ 多いほどが良いのです けれども ほとんどの賢人や 霊修行者は王の所に 行かないでしょう 全ては劇だと 分かってるからです 演技する気持ちがなく そこで演技しようとは 思わないからです

たぶん 時々 退屈になって そこへ 行くかも知れませんが ほとんどの 賢人 霊修行者は 行かないでしょう そこへ行って厄介事を 起こさせたくないから 何のためでしょうか 幸い 管仲と 鮑叔牙がいます たぶん 半分悟りを開いていて 二人は十分良い人です 宰相になって 王を補佐する 宿命なのでしょう 王を助けるべきです でなければ 王はどうなったか もっとひどかった 王には福報はあるけど 美徳に欠けています 王になるのは 福報が あるからです

けれども  王には国や世界を 智慧で治める 美徳がないのです 意味が分かりますか 宰相には 美徳がありますが 福報がありません 王になるような 福報がありません 彼らには宰相になる 福報しかありません 従って 彼らはそれを 使って王を助けました 良い組み合わせです 実際 彼らは皆  芝居をするために ここに下りてきました 一人は王を演ずる事を もう一人は 宰相を 演ずる事を選びました それは映画と同じです 一人は重要な役を演じ もう一人は助演俳優の 役を演じました

給料は少ないです さもなければあまり  違いはありません 助演俳優なしで 主演俳優はその役を 演じる事ができません そうでしょう 主演俳優がなければ 助演俳優は 全く役に立ちません 監督はさらに 役に立ちません

それで鮑叔牙は 「忠臣になるために  その主君に身を 捧げねばなりません 当時 管仲は仕えて来た 糾公子を 知っていただけです」

彼は齊桓公の兄か 弟でした 糾公子は兄でした 糾公子は兄でした 「その時 管仲は糾公子を 知っていただけです 当時 糾公子が 彼の主君であったので 彼は陛下を 知りませんでした もちろん 彼は 糾公子のために 陛下を射たのでしょう しかし あなたが 現在彼を重用すれば 彼はあなたのために この「矢」で天下を 「射る」でしょう」 齊桓公は このような人を得て 大変嬉しかったのです 確かに 彼は  幸いこれを聞いて 理解していました 私が言ったように 王になるのは簡単です

大統領になるのも また簡単です 重要なのは 助言を聞くことです そうです 智慧と才能のある 知的な人々の話に 耳を傾けることです それで 長い間王でいられます また  非常に賢明に 国事を処理できます 同様に 私たちは  なぜ霊修行者である 必要があるのでしょう 私たちが 聖賢の指示に  従わなかったり  古来の教えを 聞かないなら いつ些細な事に うまく対処できますか そうでしょう 私たちは知らないので より多く知っている 賢人の話に耳を 傾けねばなりません

古代から 側に良い大臣と参謀を 率いていたどんな王も 非常に賢明でした そうでありませんか 王自身には 才能や 智慧がある必要は ありませんでした 重要なことは 国王は他のものの良い 忠告に耳を傾けるほど   十分謙虚で 聡明で あったということです それで王になれました それで 王になるのは  とても簡単でした なりたいですか やってみてください 何人かの賢人を見つけ 一緒に働いて下さい それで王になれます ただしばらく 家で 王になってください それで十分です

齊の桓公が鮑叔牙の 話を聞いた後 管仲を 許しましたが 彼を何にも 登用したがりません 鮑叔牙が 管仲には 素晴らしい才能が あると言うのを 聞きましたが 才能が どれくらい 偉大かを 知らなかったので 彼は管仲を登用したく ありませんでした 従って 彼は鮑叔牙に 国事の全部を 任せたがっていました 鮑叔牙は言いました 「いいえ できません」 「陛下はすでに 私の全家族に 莫大な恩恵を 授かりました それに 私達は皆 満足しています 私たちは十分な 生活費があり それに非常に 感謝しています

国事に関して 私には あえてそんな責任を 引き受ける程の能力は あまりありません」 と彼は言いました 齊の桓公は それを受け入れるよう 鮑叔牙を説得し続け でも彼は言いました 「本当にできません 私は 礼儀に精通していて 規則を知り 陛下を 大変尊敬しています しかしながら 政治に関しては 私は管仲ほどうまく 扱うことが出来ません 陛下がそれを 私に強いるなら それは確実に 利益より害がより多い 政治に対処する 能力がある者は 上の王に功労があり 彼の管理下の 諸侯には 諸侯には 寛大であるはずです

国を安定させ 史上での永遠の 良い名で国王を 賛美するために 多くの恩恵を 与えるべきです このようなことは 例外的に 有能な人によって 達成できるだけです 世間一般の人は それができません」 彼は自分をそのような 才能のない一般人と 見なしました 「陛下が本当に この種の才能を必要と するなら 管仲以外の  だれも推薦できません 彼より有能な人は誰も 一度も見たことが ありません」と 彼は言いました これは確かでした 鮑叔牙は 非常に見る目が 優れています

私達に このような人が いたなら何と 素晴らしかったことか 彼のような人を見たら 連れ戻してください 齊の桓公は 嫌々ながら言いました 彼が鮑叔牙を 非常に信じていたから 彼と共に 生と死を通し 友人のように 兄弟のように彼は 鮑叔牙に良い事は 何でも提供しました 鮑叔牙が 拒絶したとき もちろん彼はあまり 満足しませんでした 他の誰も信じなかった もちろん私達人間は このようでは ないですか 人間は比較的習慣的な ものを与えられる ことを好みます また多くの個人的 感情が関わっています

私達がお互いに 感情的な借りで 物事が上手くいかない 理由です 公的な事業を扱うとき 時々 私達は 公平であるべきです 才能がある人に 私達は大衆の 利益のために 重要な仕事に つくように 推薦すべきです ただ彼が私達の友達 姉妹か兄弟と いうのではいけません それは間違いです それで私達はしばしば 個人的感情と原因に 基づいた全てのものに 多くの問題があります それは国と 同じです 多くの国王が宮殿で 彼らの王妃側室 美人を甘やかしました

彼らは 笑い話として 国事を処理し それは自分の 帝国の崩壊や 家庭の破滅に つながったのです 古代以来すべてが このようです 従って 私達にとって これらの教訓を 学ぶために霊修行が 重要です 私達は仏陀になる前に またこれらの戦略も しばらくの間は かなり役に立ちます 鮑叔牙がかなり 言った後でも 齊の桓公はまだ ためらっていました そして彼は言いました 「よしお前が そう言うので彼を 呼び寄せ 見てみよう 彼の才能を ためしてみよう」 齊の桓公は気にせず 言いました 

それで 鮑叔牙は言いました 「いいえ 私の愚見では 人は非常に 低い地位にいる場合 裕福な人を支配 することができません 貧しい人が金持ちを 支配できないと いうことです 身内でないものは 他人の家族の事を 処理できません 貧しい育ちの人は 貴族と話をするのは 難しい 彼らに彼の言うことを 聞かせてください 陛下が管仲の 才能が必要なら まず彼を 宰相にしてください それから 陛下は 兄や親のように 彼を扱うべきです」 どう思いますか 正しいですね 兄や親のように 彼に待遇する 必要があります 「このような方法で 彼は陛下を救います」 どおりであなたは私を 「マスター」と呼ぶ 今 分かりました

あなた自身の利益の ためにあなたは全ての 種類の名前をくれます この意味のない称号を 私に与え私をとても たくさん働かせました

私は騙されました 今日 この昔の 物語を読んだ後で 私が長い間騙されたと わかりました

それで彼は続けました 「あなたが彼を宰相に したいので どうやって人を送って 彼を探しに行かせるか たとえば子供を 探しているかのように 「ここに来なさい」 例えばこのように あなたが重要でない人 またはただの 平凡な人を 探しているかのように これではいけない これは尊敬ではなく これはあなたが彼を 重視してないと思わせ それは気軽手すぎます 管仲は 驚くべき天賦の才と 優れた才能が ある並外れた人です 陛下は縁起の良い 期日を選んで 個人的に 彼を招待するべきです

ほら いいですか これはあなたが宰相を 雇うためにすべき ことです 齊の桓公が 後に全諸侯の 大君主となったのは 無理もないことです 彼はそれに値しました 王の存在で とても謙虚であるのは 悪くありません 今日 何人の王が この世界にいますか そして何人の政治家 国家のリーダーが それほど謙虚で ありえるでしょう いますか 多分います 私達は知りません そうなら  とても良いことです 私達は喜んで 世界を祝福します そのような 王や首相が いるような国があって 私達はうれしいです 私達は幸福です このような王が 多ければ多いほど こんな国家指導者が 多ければ多いほど 世界は平和であって より快適に なるでしょう それで分るでしょう 王はこのように謙虚で なければなりません 人の地位がより高い程 より謙虚でなければ なりません ましてやあなたと私 私達はどんな地位も ありません この世では 私達は 小さいポテトです さらに謙虚でなければ なりませんね

鮑叔牙は 斉の桓公を 説得し続けていました 「陛下は徳が高くて 有能な人々をとても 尊敬するのを知られて 世界中の人々は 大いにあなたを賞賛し 尊敬するでしょう」と 彼は言いました 陛下は国のために 個人の憎しみを 無視することが できます そして 有能な人々に 大きな尊敬を示します 将来世界は確かに 陛下のものでしょう」 彼は占い師のように 語りました それは 後に真実になりました 斉の桓公はうなずいて 賛同しました 斉の国王は本当に 大変良い人でした それで後に彼は中国の 大君になりました

彼は非常に立派な 人でもありました このことから 鮑叔牙は非常に 偉大な人であることが 分るでしょう 彼は功徳にたより 名声と富のために 戦わず また才能ある 人を抑えませんでした そうですね 彼は管仲を隠したり 彼の事を悪く言ったり しませんでした その代りに彼を救い 出すために最善を尽し そして 彼を 王に推薦しました 官吏として 彼は世界中ですでに 最も正直で誠実でした 人間として 彼は世界中で 最も良くて 賢い人でした 友人として 彼は 世界中で一番でした

彼のような人が 世界に多くいるなら 素晴しいでしょう 少なくとも 霊修行において これは人間として しなければならない 最低限のことであると 覚えておくべきです 廉直にものを 管理せねばなりません 個人の敵意や 私情の為 優秀な人を 抑えてはならず 鎮圧してはいけません 私達は 国と世界を繁栄させ  より平和にせねば なりません この時代には 才能が少ない人は より危険な状況に いるのが分かります 多くの時代で このようでした しかし 優秀な人を 評価して登用する人も いました

たとえ鮑叔牙が少しの 政治的な才能も持って いないと主張しても 彼は非常に良い人で あると私は思います 自分を知ることは智慧 「勝利は彼ら自身と 敵を知っている人々に 属する」のです 彼が既に自身の欠点を 知っているなら彼が 大変良い人を意味し 彼は完璧な人です 私達の完璧の概念は 間違っています 私達は完璧な人はただ 目を閉じたり 開いて そこに座らなければ ならない  動かないと思います 誰かが彼を叱っても 彼は答えませんし どんな称賛にも 彼は応じません

彼には感情がなく 関係がなく 友人がなく人間の感情 どれもありません それは正しくないです そうなら ここにただ木片や 岩を置いてもいいです それは私達の虹彩園に 豊富にあり それが 完璧であると言います それはあり得ません いいですか 完璧な人とは 自身の短所と長所を 知っている人です 彼は ほうっておくか 制御して 短所を抑え 必要に応じて 利用します 長所に関しては 他人と自身のために それを 発展させ続けます それが完璧な人です

完璧な人が すべての点で優れて 何があっても 感情がなく変化なしで 人生を送るなら あまりに退屈です そうでしょう
私達の世界は物事を 行え より手際のよい 仏陀を必要としてます いいでしょう 私達霊修行者が 鮑叔牙のように 謙虚に賢く 物事を行えないなら 恥じるべきです 私は中国にそのような 善人が多くいるのを 見たからです それほどではなく一部 「多く」と言ったのは このような善人が多く いる事を願うからです それで思い出すように 喚起しています 遠くから学ぶことは 私達自身の周囲の 環境から学ぶほど よくありません 中国の聖人が「どんな 三人でも一緒に歩く時 その内の一人は私達の 先生だ」と言いました たぶん三人が皆 先生になるでしょう 各自が異なることを 教えられます

しかし 鮑叔牙が とても高く管仲を 称賛した時 あなたは 彼が管仲のすべてを 称賛したと思いますか そうとは限りません 鮑叔牙は 非常に寛大な人でした 彼は国のために すべてを後回しにする ことができました 例えば後に 管仲は昼夜 王と共に 世俗的な喜びに 耽っていました 王の宮殿は非常に 贅沢で豪奢でした そして管仲の住居も 同様でした 鮑叔牙はそんな品性が あまり好きではなく 彼はよく管仲に 言いました「王は既に 非常に贅沢をされ そして首相として 君はまだ忠告もせず 代わりに君までも王の 豪奢に加わっている こんな事をする意味は 何なのか 」

しかし管仲はこう 考えました 王は 長い間様々な所を 動き周り 厳しく 疲労する状態にあった そしてようやく今 王位に就かれた もちろん 少し休憩し 楽しむことも良く 大した事ではないと さして重要ではないと 実際 鮑叔牙は彼と 言い争わなかったが この品性は感心しては いませんでした たぶん 鮑叔牙は より保守的な人であり 簡素な生活様式を 送っていました 管仲ほど抜け目なく 鋭敏ではありません 鮑叔牙はそういった 方面ではあまり 巧みではありません 管仲はまさに そうして宰相になった 人です

しかしながら鮑叔牙は それを知っていました 人間の本性は何かに 固執します でないと 人間ではないことを それで彼はよく管仲に 彼の豪奢な暮らしぶり 贅沢な生活様式に ついて苦渋の時間を 与えました それから他の全高官は 豪奢になり始めました でもそれでもいいです 国家の問題を上手く 対処する限り大した ことではないです 多くの人々が 物資が不足した 困難な生活を 送っていました 彼らは国家の大事に 対処できませんでした 彼らは平和な 中国統一の暮らしは 望めませんでした 斉の桓公は 少し豪奢でしたが それができる限り 大した事では ないですね

彼は中国国内で唯一 贅沢が出来る 人でした 大して 違いはありません 彼が全財産を 国に提供したとしても 富を贅沢な 生活様式に使用しても それ以上国は更に 繁栄する事もないです そうですね(はい) 大した事ではない ご存じのように 管仲と鮑叔牙は 非常に良い友人でした たとえ展望は 少し異なっていても 少しの違いなど 大した事ではないです それでこの世界では 私達は友人間における 幾らかの違いや ぶつかり合いを 理解すべきです 大した事ではなく 私達は人々に 自身の意見と信念を 持たせるべきです 二人の友人は全く同じ であるべきではなく あまりに退屈です

そうなら一人の人間で 十分でしょう なぜ二人もいりますか 無駄ですね でしょ あまり役に立たず 多くの共通点を持つ 友人で十分です 管仲は 明確に何が重要で 何が重要ではないか 区別できました それで王が少しくらい 豪奢であっても彼を 攻撃したりしません 彼に苦渋の時間は 与えませんでした 事実 この王は 非常に率直でした 彼が管仲を 初めて会った時 彼は管仲と 国家の大事について 軍の展開兵法について 協議しました 管仲はとても雄弁に 答えたものです それで王はただ 鮑叔牙の言葉だけを 受けた訳ではないです

後に彼は管仲が 真に有能な者で あることを発見し 彼は喜んで 彼に宰相の地位を 与えたのです 王はまた彼を 仲父と呼びました 非常に尊敬する父 偉大でちょうど本当の 王の父親のようにです それで彼は管仲を 非常に崇拝していて 彼に対し率直でも あったのです 彼は管仲に言いました 「私は問題を抱えて います 私は美しい 女達が好きなのです それは国家に 害を及ぼすだろうか」 管仲は答えました 「いいえ 大丈夫です 女達が好きな事くらい 国家を害しません 賢者の 聖人の有能な 人々の忠告に 耳をかさないことが 国家に 世界にとって 有害なことです」 彼の言うことも 正しかったのです

なぜなら 王が完璧なら これらの人々は 必要ではありません 彼が全ての事ができる なら他の人々は何も する事がありません その人があまりに完璧 ならその人の気質は 神経質なはずです 分かりますか その人があまりに 神経質なら物事を 明確に見られません 鮑叔牙は管仲ほど 鋭敏ではないのです 分かりますか 鮑叔牙はあまりに 高徳すぎます 実直すぎます あまりに潔白で善良で 完璧すぎます 管仲とは異なります 彼は完璧に行うべき 事を知っていましたが 完璧さにはこだわって いませんでした 彼は何であれ完璧に すべき事を人々の 有益のためにしました

彼自身のためでなく 彼は完全に制限された 形式は二の次に していました 彼はより良く 国家に貢献するために 厳格で偏狭な方法は 捨て去りました これが違いです 王も同様です 彼が国家の大事に 一日二十四時間 女性も見る事なく 美味しい食事にも 手をつけず他の事を 何もせず対処していた としたら彼はどれほど 自身を保てますか 三日が最高でしょう 彼は死ぬか 心が壊れるでしょう 彼は異常をきたし 平衡を失います 分かりますか そして彼は何も 理解する事ができなく なり 彼は一つの事に 集中しすぎますから 遠くまで見えません

ちょうど試験を受けに 行くようなことですね 明日私達が試験を 受けるとしたら 私達は今日何も 学ぶことはできません リラックスすべきです そうですね 通常私達が試験を 受ける時皆私達は知り 試験が明日なら その前日は 勉強できません 忘れます その方が良いです 頭脳がリラックスする 時だけ私達は自由に 考えることが出来ます 私達の頭脳があまりに 神経質なら何かを理解 する事はできますか できません それは瞑想において 論理的です 私達が毎日私達の目を 智慧を 頭脳を 多忙に使い全て一所に 集中するからです

分りますか非常に狭く それで私達は 答えを得られません ちょうど物事が近過ぎ 見えないのと同じです 明確に見えますか 見えますか(いいえ) 見えませんね 幾らか距離とスペース 時間が多くの事を 対処するのに かかります 私達霊修行者も 同じです 以前 時々 皆さんがここへ来て ある人々はテントを 外に立てました 以前はそれほど 弟子がいなくどこでも テントを建てました 私はそこに住み あなたはそこに住み テントを立てました そして私はそこにいて お茶を飲んでいました 多くの人々が非難し 思うのでした 「可笑しい なぜ マスターはお茶を飲み おしゃべりするのか」 開悟したマスターは お茶を飲み話します

ある教師は球技を サッカーやゴルフを 楽しみにドライブも 彼は既に卒業し 全てを知っています 彼が知らない事が あっても大した事では ありません 彼は徐々に練習します 学生は試験を受ける 必要があるのです 宿題をやらねばならず 懸命に勉強すべきです 教師は彼の時間を 調節できますね なぜ彼は学生達と 同じ課題をする必要が あるのですか 教師自身やるべき 仕事があります 彼は夜 本を読む 必要がありますし 明日の宿題の準備を 学生達のためにしたり 講義の準備があります しかし学生のように 懸命に勉強する必要は ありませんね

彼は彼の時間の計画の 立て方を知っています 学生はそれほどの 柔軟性はありませんが やり過ぎないで下さい 時に私達がグループで 瞑想する時や 七日間の禅会の時に バーベキューを したりしますね 時には出し物をしたり ダンスなどを したりしますね また時に祝祭時には お洒落をして 美しい衣装を着て 楽しみます 私達の霊修行は同様に 良くできていますね 違いがありますか 誰か違いを感じる人 手を挙げて私に見える ように示して下さい 違いがあります より良くなりもします そうですか 進歩しましたか(はい) あなたは場合によって リラックスし それに戻る限りです

そうですね 同様に 牛や馬もそうです 人間は言うまでもなく 彼らを一日二十四時間 耕させ続けるなら それができますか できますか (いいえ) できません 死にます 牛や馬達も 同様です 機械もそうです 車 飛行機 他の何でも 全て同じです 全てメンテナンス 休憩 リラックスする 時間が必要です 米国の大統領で頻繁に 出かける人がいました 国家に問題が起こり それが重荷になると 楽しむために 出かけたのです 彼は一日か二日 休みを取って  休暇を楽しみます 仕事をほっときます

実はそこでより円滑に 物事を処理できます 分りますか 時には 他の所でもっとうまく 物事を解決できます 問題を抱えている時 よく私達はずっと 考え続けたりします 時間のプレッシャーが あり 早く解決せねば ならないのに  自分をやり続ける ように強制できません 暫くして もう諦めて  それを忘れ 寝たり  テレビを見たりします でもその時 私達の 潜在意識は テレビを見ていません 私達の魂  私達の智慧は 働き続けています 時が来たら 徐々に知らずと 問題の解決法が 浮かんできて 鮮明になります

だから 時には テレビを見終わって 戻ってきたら 問題が解決できる ようになったりします 私はいつもそうです 多くのことは ベッドの上で 解決されています このように正装して 沢山話している時 ではないです このような時 物事を 処理していません 仕事をしてない時こそ 本当に物事を 処理しているのです その時 私は自由です その時はもっと静かで 落ち着いています  これは世俗的なことの 場合です 霊修行の場合 いつも ずっと霊的なことを 処理しています 皆の幸せを祈ります さようなら 今度また来ます

皆さんのために 何でもします どこにでも住み 誰にでも会います

皆が神です

いいですねさようなら 今度また来ます 皆が見えるよう 歩き回ります そちらへどうぞ マスターお元気ですか マスターは美しいです ハイヒールの靴は 美しいですね 来たのね いつから 分りました ようこそここに 問題ないです 全部歩き回った でしょうか マスター こんにちは マスターは美しいです 皆さんは美しいです マスターこそ お美しいです いいでしょう 皆 美しいですよ

私は皆さんと 大して変わりません この服を着たら 皆美しくなりますよ 絶対美しくなります

言っておきますけど 良い服を着たら きれいになりますよ 皆知らないですね 本当にきれいに なりますよ あっという間に きれいになります 信じてくれないなら 見せてあげます

皆さんは背が高いです 背が高いと 見栄えがいいです モデルたちは皆 背が高いでしょう 私をモデルに選ぶ人は いません でも いましたね 以前モデルに なりたいと 思った時があり 子供服の 部門なら まだ空きがあると 言われました おかしいですね 私は比較的 小さいと思います 背の高い人もいれば 小さい人もいます 皆さんは服の着方を 知らないのかも いつかお教えしますよ とても簡単です

いつもこう着ます 下にスカートをはき 上にジャケットを着る 真中にトップスを 合わせます  ほかにどう着れば いいでしょう そして似合った靴を 痩せている 痩せている人が多いよ そのことじゃないです その違いは知りません 後で見付けましょう 理由も見付けましょう

有名なデザイナーが デザインした 服は個性的で 値段も高いです そういうことです でもそうする必要は ありません リーズナブルがよく 値段の高い生地が あります それは意味がないです 高くない生地もあり フォルモサ(台湾)には 安く買える生地が あります 質の良い輸入品は ここでは 売られていなく 類似品もなければ 値段が高いです それも意味がないです そして  その国では 普通に買えず 決まった所でしか 買えない生地は 値段が高いです 値段の高い生地を 買う必要はないです これは値段が高くない かもしれません これは布団に使う 綿の生地です 布団の生地に似てます

高価な種類 ではありません そして 色もあれに似ています

色は黒いです お元気ですか ありがとうございます 恥ずかしいです 皆さんはとても 美しいと思います 内面も外面も 目が明るく どんどん 若くなっています では もう行きます

皆がここに来たのは 聖人になるため(はい) 素晴らしいこと それで聖人に なった後は どうなんですか (解脱したいです) 聖人ぐらいの 度量ですか 解脱するだけですか どこに行って 解脱しますか どこへいくのですか すでに宇宙にいますよ

まあ いいでしょう 今日は聖人の 話をします ある人が自分は 聖人であることを 知らないという話です

その人の名は 龍叔といいます 叔父の叔という字と ドラゴンの 龍です 彼は文摯という名の 医者を訪ねました 文摯は 戦国時代の人だと 思いますが 知っている人は いますか いませんか 皆は 戦国時代にいなかった わけですね まあ いいでしょう 私もいませんでした 私は推測しただけです この本に彼がいつの 時代の生まれなのか 記載もなく いつの時代の医者かも 書いてないです いいでしょう 龍叔が訪ねた文摯は とても有名な医者で どんな病気も 治せます

ある人の話では 彼はかつて 春秋戦国時代の 文王の病を 治したとのことです 文王が何の病気を 患ったか分りませんが 文摯はそこに行って 文摯はそこに行って 何の薬も 使わずに 文王を 怒らせるばかりでした この話を聞いたことが ありますか(いいえ) 全く分かりませんか 中国の話ですよ またしても 皆さんが知らない話に なりました 文摯が文王を 怒らせました 文王は激怒した後 病気が 治ったのです 素晴らしいことです 皆さんもここで医者を 見つけて 怒らせて もらって下さい すると病気が治ります

薬を飲まなくて 済みます 薬は飲みにくいです 漢方薬はとても 飲みにくいです 毎回コップ一杯 飲みます ああなんと 飲んだ後は 食欲が完全に なくなります おかしなことに 中国人は何でも 沢山持つことが好きで 薬さえそうです 薬を 大量に飲みたがります まあ 文摯が いつの時代の人なのか 忘れましょう 誰も 彼のことを 知らないからです 厄介なことを 議論しないで 議論しないで この二人の間で 何があったかを 見てみましょう

龍叔は文王を訪ねて 龍叔は文王を訪ねて こう言いました 「あなたの医術の 素晴らしさは天下に 知れ渡っています 私は変な病気を 患っています どうかあなたに治して 頂きたいのです」と 文摯はいいました 「もちろん治します では先ずどんな病気を 患っているかを 聞かせて下さい」と いうと 龍叔は 「私は病名も 「私は病名も 原因も いつ発作を 起こすかも分りません こんな状況です 私は長く村に 住んでいますが 住んでいますが 今 ますます  しばしば 自分が おかしく感じます

住み慣れた所が 不案内に感じたり 誰とも深い関係がない ように感じます 例えば村で 誰かに褒められでも 光栄に感じたり しません 別の村の人が 私を侮辱しても 動揺しません 豪華なものを頂いても 豪華なものを頂いても 嬉しいと思わず 何かを失っても 不愉快に思いません 生きても死んでも 大して変わりなく 明日死ぬとしても 同じ感じです その上 富めるも貧しきも 区別しなく お金があっても なくても同じです

もっとひどいことは 人間が豚に見えます 自分も豚に見えます こんな状況です」 自分も豚である という意味です 大きい豚なのか 子豚なのかは 言っていません それぞれ違うのかも しれません 「また自分の家が 旅館のように感じます 自分の住み慣れた村が 外国のように 感じます 自分の郷里という 感じがしません これら変な習慣や 考えの他に 沢山の 欠点があります 例えば 地位や名声 皇室の宮殿や政府の 高官を見下します ごく普通に見えます」 重要に思えないという 意味です 「私は罰を 少しも恐れません 生きるも死ぬも 良きも悪しきも これに動揺されません

従って 私は国に 役立つこともできず 君主に忠誠もできず 君主に従って 彼に仕えることも 国に役立つ事もできず 親戚友人とも 親しい関係を 持つこともできず 子供と妻を管理する こともできず」彼らを 教育するという事です 「彼らと一緒に 何かをすることも 出来ず とても難儀です 問題ではありません」 つまり子供や 妻を管理できない という意味です 「私は 家にいる部下や 使用人と女中をも 管理できません 私は困っています 私が患っているのは 何か分かりますか 治して頂けますか」と 文摯医師は 彼に体をぐるっと 一回転させるよう言い 日が当たる明るい所に 立たせて 様子を見ました

そして智慧眼で 彼を見つめました 智慧眼ではなく 天眼で見たかも 知れません そして彼は「あっ 見えた」と叫びました 龍叔が 「何を見ましたか」と 聞くと「心が見えた」 と答えました 「私の心がどうか しましたか」と言うと 文摯医師は「あなたの 心は 四角で広々とし がらがらです 聖人の心に 似ています 六つの穴が開いていて 一つだけ閉じてます」 と言いました この一つが 開いていないために 彼は自分の病が 分からないのです 最後の穴が 開いていれば 自分の病気が はっきり分かるのです

龍叔は 「どんな病気ですか」 と聞きました 文摯は 「この時代では 聖人の智慧 を 病気と考えます これがあなたの 病気だと思います あなたが この病気にかかったら 私の医術では役立ち ません」と答えました 分かりましたか どう(分かります) たぶんそうです 私には彼の病気が分りません しかし皆さんが分って いればいいのです 本当に分かりますか 分かっていますか どうやって 分かったのですか 皆さんも 彼と同じだからですね 聖人ですね だから 分かり合えるのですね 事情が同じですね
何だか分かりましたか この世の多くの病気は 肉を食べて タバコを吸って 酒や性欲に耽ることが 原因です そうですね エイズなど 治りにくい難病に かかったりします そして外に行っては 例えば 失礼 人の浴室などを 使ったりします するとあなたも その病気になるかも しれませんがあなたの 問題ではありません またはある人が 過労のため 肺病を患っていて あなたが その人と 関係を持ったとか しばらくの間 彼と親しく接した場合 あなたも その病気にかかります しかし 私も「聖人病」に かかったみたいです 誰が私にうつしたか 分かりません 手を上げて 見せて下さい 大胆にも私に病気を うつす人はいますか 手を上げてください

自分の問題を 知るべきです 知らない振りを しないで下さい 知らない人はいますか 私は常に皆さんとだけ 関係があります 私はどこにも 行かないし 他の人と接触しません 私がそれにかかったら 皆さんからに違いない 誰ですか あえて認めませんね 誰ですか それが病気だと聞いて認める勇気が ないのですね きっとそうです でないとどうして私は こうなったのでしょう 以前私は買い物したり 人を訪ねたり ダンスをしていました でないと寂しく  孤独に感じました 今は一日中 寝ていても 何も感じません 皆さんがこなければ 引き続き寝ます そしてお腹が空くと 起きて食べます 一食でもよく 二食でも三食でも 好きな時に食べている という感じで 大抵は 食欲がありません

たぶんその種の病気に かかったのでしょう 私は親戚友人に対し 特別な感情を 持っていません 彼らを愛していない 訳ではありません 皆を愛しているぐらい 彼らを愛しています 必要な時に愛しますが でなければ 何の感情も持ちません 来た時は 愛しますが  帰ったら すぐ忘れます すぐにです  翌日まで 待つまでもありません 向きを変えた瞬間 私も転換します 気持ちや感情も すぐに転換します 不思議です たぶんこの病気も うつされたんでしょう 私も文摯を 訪ねようかしら ここには文摯は いなくて「武摯」なら いるかも知れません つまり「無知」という 意味です

たぶんその人は少し 修行したのでしょう 私達も修行すると そうなるでしょうか 少しなりますか 少しですか(はい) 最後に 皆が私にうつしたと 認めましたね 前はそうでなく 少しはありましたが ますます 深刻になる感じです 前は 嫌だったりしましたが 後からは 何も 気にしなくなりました 来ようが 去ろうが 傷心しなくなりました 皆さんだって 二、三日ぐらい 傷心しても そんなに 長引かないでしょう 前は 何かを失うと 例えば 商売が失敗すると 心を痛めていましたが 今はそんなに 気にしません 人のせいにしたり 天のせいにはしません

方向を変えて もう一度頑張ります 見てください 春秋戦国時代すでに 聖人がいたわけで 今 苗栗にだけ いる訳ではありません 皆さんは自分が中国で 唯一の聖人だなんて 思わないことです 昔も 聖人がいたのです もちろん 私が言ったように 修行法はどの時代にも あったわけです 要は開悟した マスターについて 学ぶ縁があるか どうかです どのマスターと 縁があっても 彼に付いて 学ばねばなりません 例えばこうです たぶんその人は前世で 修行を積んだでしょう 今生で少し後押しが 必要だったのでしょう たぶん第四の世界から 来たのかも知れません

少し名残りがあります あの医師が彼に 開悟したマスターを 見つけるよう勧めれば よかったと思います 残りの塞がった穴を 開けてもらうよう 勧めれば すると解決できます 彼が 即刻開悟したら 医師は 彼が病を患っていると 思わなかったでしょう 彼自身も自分が病気だ と思わないでしょう 彼が人と接したので 皆が「あなたは どうしてそんなに 変なのですか 感情もなく 冷たい」と 言われるのです 感情もなく冷たいのは 他人を嫌うこととは 異なります

今日この話を 聞いて皆に対し 氷のように 冷たく接しないでね そしてこれを 聖人の「氷」の品性だと 言わないことです 一部の人は この種の冷たい性質が あります 人が何かを 尋ねると 知っていても 答えません または のろのろと答えます 月の初日に尋ねた事を 十五日に 答えるようなことは しないことです とても苛立ちます 分かりますか 時には 人が 忙しいこともあります 沢山の事を 処理せねばなりません あなたとのろのろして いる場合ではないです そういう人は 自分を変えることです

そのような振る舞いは エゴのためです これも一種の病気です 何の病気か 分かりますか 人を困らせることが 好きで 自分に懇願して 欲しいのです 注目されたいのです だからわざと ずるずるとなかなか 答えてくれないのです 自分が偉い人で 上品な人間だと アピールするために 引きずるのです それは上品ではなく 愚か者なのです 分かりますか くだらないです 一、二回なら 人は礼儀上気にせず お願いしたり引き続き 付き合うでしょう しかし長くなると 人はあきあきします 分りますか 意味ない 世界には大勢の人が います

何もあんな くだらなく冷たい人に 尋ねなくてもいいと 思います 意味が分かりますか この世界に執着しない ことは この世界が 嫌いなのと異なります 例のその人の病気は 親戚 友人と故郷に 執着がないことです 冷たい人では ありません 心が穏やかで 人を困らたり 自分は聖人であると 見せびらかしたり しません 平和な人に みせかけるために  わざとゆっくり話し 一句終わるまで 一日から十五日 かかるほどで 人が何かを尋ねても 人が何かを尋ねても わざと答えないで 手助けしようという 姿勢もなく 何が必要ですか とか 私にできることは ありませんか と すぐ親切に 援助を与えようという 態度もなく 態度もなく ずるずるする人でなくじらす人ではないです

ああいう人間は何かに たぶん 悪いカルマ(報い)に 引っかかったのです または 雪山から降りてきた マスターなのでしょう ヒマラヤからの偉い マスターなのでしょう 人に寒さとか寒気とは どういうものか分って もらいたいのでしょう ここの夏は暑いですが 冬に冷え込むのを 望むわけではないです 冷えるので 冷蔵庫もエアコンも 必要ありません 私の所に何人かの 「エアコン」がいます 彼らが作動すると 皆が凍死します 私を含めてです 私はその種の氷の様に 冷たい人間と 関係を持つのを 恐れています わざとずるずるして 人の目を引き 自分に 懇願してもらいたい という人間は 重度のエゴと 重度のエゴと 劣等感のある人です

自信に満ちている人は そうではありません 打ち解けて 正直で 熱心です 何にも 引っかかりません たぶんその種の人間は 前世で首吊りでもして 今でも印象が強くまだ ロープが首に巻きつき 喋れないのでしょう 人間は 多くの問題があります 時には自分には 問題がないと思います  その人だけでないです (話の中の例の人) この人は自分が病気と 思っていますが 実は病気ではないです 多くの人は 自分は 病気でないと思って いますが実は病気です 病気であれば それを知るべきです

でないと 後から 人に二回も三回も 指摘されます 自分の内面を見つめて 病気を見つける事です するとすぐに 助かります 病気が分からなければ いつまでもじっとして いないで 本を読み   人に尋ねるべきです 問題を修正しないと 今度また 戻ってきます 開悟したマスターに ついていても いなくても同じです 片隅に囚われて それにしがみついて それを武器にして 人を困らせて 人の目を引くのです 分かりますか そうだとしたら 再び戻って来ます この世界の法則は 公平です あなたが求めるものは 手に入ります マスターも同じです マスターは 解脱を強要できません

自分で求めるべきです 医者も同じで 人に薬を飲むよう 押し付けたり あなたが求めない限り お腹を切るような事は できません たとえ意識不明に なったとしても あなたの親戚が 代わりに話します あなたが同意した という意味です 分かりますか 必ず 本人が同意する事です 敢えて自分の問題に しがみついていると 必ずまた戻って こなければなりません その時 開悟したマスターに 出会えるかどうか 分かりません

もしかしたら その人のように六つの 穴が開いた心臓で 方々回っても 自分の病気が分らない かもしれません 七番目の穴を 開けることは 大変難しいそうです 聖人の心臓は七つの 穴が開いていると 聞きました本当ですか ビガンの心臓は九つの 穴があるとのことです 紂王は どんな類の聖人か 分かりません 聖人は元々七つの穴が あると聞きました なぜ九つなのでしょう 多分かつてトラブルを 招いたのでしょう

常に内面に集中して 安定を保つことです 瞑想を沢山すれば いいというわけでは ありません 外部の 状況によって気が散る ことが多いからです 二種類の障害があり 外部によって 気が散る場合と 自分による場合です つまり執着し過ぎる ことです  解脱や開悟を 切望し過ぎることも 自分の障害になります いつまでもそこで 「私はいつ 開悟するのだろうか なぜ私は 開悟しないのだろう なぜ光が見えないの だろう」などなど この種の執着も 障害です もう一種の障害は 外部の状況です

私達は社会の 影響を受けたり 毎日子供や 夫や妻と 交わっていて 心と注意力は彼らに 取られています すると心を智慧の 中心部に安定させる ことが難しくなります だから 修行が難しいのです 人を教えることが 難しいわけではなく 無駄に思えます そこで時々 落胆する事もあります 皆に励まされていると 感じれば  私はもっとやるかも しれません 仕事の 効果が見えて 人々が 本当にこれを必要と していると思える からです 必要なら 何もする事のない私が 助けてあげたいのです

どうりで昔 今でも多くの聖人は 外に出て来ません 楊子や列子が 全世界のためになると しても 髪の毛一本 使いたくないと 言ったのは やっても無駄だと 思われるからです また山の中に隠れて 修行する人もいれば ある人は 砂漠に隠れて この 世界の人々と関係を 持ちたがりません どんな関係も 自分を 難しくするからです 人はそれぞれ 個性が違います いったん 何かに執着すると 変えにくいです 時には わざと するわけでなくても 変えるのは難しいです おかしいでしょう まあ 皆 良く考えて下さい  良くないところを 早く直して下さい 今日直さないと 明日直すことになり 明日直さないと 明後日直すことに なります 後に伸ばすとますます 困難になります  なぜなら どんどん 利息がたまるだけで 良くない習慣は ますます根強く 定着して 悪習慣を洗い流すのに もっと日にちが かかるからです

今日は子供達の面倒を 良く見ているようです 皆 顔が明るくて つるつるしていまね よく面倒を 見ていますね

こんにちは マスター  (マスターも 美しいです) こんにちは マスター 今の子供たちは すごいです テレビを沢山見ていて 大人の話し振りです ある子供は私に会いに 来た時めそめそしてて なぜかと聞くと あと二、三日すると  家に帰る事になってて 休みは終わりだと 言いました 日にちを しっかり数えています ある日は 八日後に 帰ると 言いました

数日後はすっかり

忘れると思いましたが 後で まだ五日間 残っていると言います 毎日 数えていたのでした 五歳か六歳の子供です

いよいよ あと二、三日となると 彼は泣いていました 私は彼に 何を悩んで 泣いているのか聞くと もうすぐ家に帰るので ここにマスターと 一緒にいられないから だと言いました 帰って学校に行くのも  いいじゃないと 言うと そこにはマスターが いないと言います そしてシンガポールに 行きませんか と聞きます なぜなのかと聞くと あなたは大人なので 誰も貴方がやることを 干渉しないからと言い これを聞いて 涙が 出そうになりました 彼は 自分は子供なので どこに行くにも 不便だといいました 私をとても愛して いるので私もその子を 傍におきたかったです

私は教えられます 私は英語の教え方を 知っていて 他の科目も 中国語も読むこと以外 会話を教えることが できます

どこに連れて行っても 中国人がいるので 誰でも 中国語が分っていれば 教えることができます 先生など 必要ありません 問題は法律が許さない ことです 分りますか

私がどんなに 説明しても無駄です 彼は泣くばかりです もっと小さかった時は もっと泣きました 私が彼を愛してないと 思ったのです どんなに説明しても 無駄でした 泣いて騒いで本当に 私を悲しませました 今は少し大きくなって 少し分るようになって 言葉が通じるように なったのです 前は言葉も 通じませんでした 互いに言っている事は 一方通行の形で 誰にも通じません 彼に分かってもらう 方法がなかったです 彼はなぜと聞くだけで 私がなぜ行けないのか あなたが来られないか なぜこうなのか 答えられません 時々 子供の話に びっくり させられることが あります 大人じみた話し方です たった一歳か二歳の 子供で 言いました こんな生活は退屈で 生きていられないと なんて事でしょう たぶん彼は前世を 覚えているのでしょう 子供は 一歳から四歳まで 大半は自分の前世を 覚えています そこで彼らがいろんな ことを言ってきたとき

私達には分かりません 自分の家はどこどこ だとか 自分は以前 何をしていたとか 自分は先生だとか などと言います 私達は彼が 何を話しているか 全く理解しなかったり 彼がテレビのことを 真似して無意味な事を 言っていると思います 実際そうではないです 既に新聞を読む方法を 知っている三歳の子が いました そして 彼は何も学んだことが ありませんでした 彼は声を出してそれを 読むことができ両親は 大変ショックでした IQが非常に高かった いいでしょう 皆家に帰って 子供を訓練します 実際あなたが 子供を訓練したいなら 生まれる前から 始めねばなりません 頻繁に 彼と話をします 妊娠している時に 彼に良い話を 肯定的な話をして 本を読んであげます 辞書も読んであげます

辞書の数ページを 読んで聞かせれば 生まれるとすぐに 彼と話ができます はい それは 彼のIQを高くします しばしば彼に 歌を歌ってもいいです 良いポジティブな歌を 歌ってあげます それも彼のIQを 高くします それが 発達において 彼の 潜在している能力と 幾つかの神経細胞を 刺激するようです いったん生まれると 非常に頭が良いです 彼らは歌ったり 話をしなかった 普通の赤ちゃんより 頭が良いのです

彼らのIQは50%か 20%高い可能性あり 私もあなたが妊娠中に 枕の下に鉄を置くと 何らかの理由で それが本当に 赤ちゃんのIQを 上昇させると 聞いていました それを聞いただけです 試みてみていいです 私は保証できません 聞いただけです いいでしょう しかしこの頃子供達は 本当に聡明です 理由がわかりますか 大部分の女性が 妊娠している時 テレビを見るからです それは 赤ん坊が吸収する 情報のようです 彼の脳がすでに 発達し始めたので あなたが吸収すれば 彼も中で吸収します

胎内にいるので 聞くことができない のではありません 彼がまだ中にいる時 彼に影響できます その時 母親と子供との関係が 母親と子供との関係が 非常に神秘的であって  親密であるからです そういう訳であなたが 食べたり考えるものは 赤ちゃんに影響します 母親が脳により多くの 栄養を取り入れるなら 例えばホウレン草 青菜や 他の栄養分 彼女が可愛い子供を 生むのを見るでしょう 多分カッコよくないが 賢いです

子供が美しく見える ことを望むなら 家の至る所に美しくて 良い人々の絵を 貼らなければ なりません  すると子供が生まれる 時 非常にきれいです それには確かに 影響があります あなたが誰かを思うと 子供はその人に似ます そういうわけで 大部分の赤ちゃんは お父さんに似ています あなたが最も愛して または最も嫌う人は 夫であるからです あなたは毎日 彼のことを考えます そういう訳で大部分の 新生児は父に似ます 彼らは母ではなく より父親に似ます 知っていますか それは非常に良いです

それは 神の手配でもあります 子供がどのように 見えても 私達女性が 子供が自分の子で あると知っていますが 父親が確信している はずがないからですね 赤ちゃんが彼似なら 彼は非常に幸せで 赤ちゃんの より良く面倒を見て もっと愛します これは神の手配です あなたの子供が皆 なぜあなたより夫に 似ているか疑問に思い 嫉妬しないで下さい ただ自然なことです

最近私は以前非常に きれいだった人の 記事を読みました しかし  彼は食べ過ぎたので 太り始めました その後 彼は自分で 痩せ始めて  痩せる効果的な方法を 見つけました それは速くて効果的で などなど  体を害しません  それで彼は本を書いて 欧州とアメリカで 大変有名になりました 多くの人々は 彼の方法に従って 痩せました そして 彼らは再び きれいになりました 男性と女性は同じです しかし何がその人に 起こりましたか 彼の本が出版された後 彼が有名になった後 食欲をコントロール できませんでした

彼は217キロか 308キロになるまで 食べに食べました そして 彼は 安いホテルに行って 部屋にチェックインし 自殺しました 彼の妻と子は悲しみに 打ちひしがれました 彼が最初に話をして くれれば太かったか どうかに関係なくまだ 大変彼を愛していると 彼に告げたでしょうと 彼らは言いました なぜ 彼はこのように 自殺しましたか 彼は他人に 言わなかったからです たぶん彼は 気が咎めたのでしょう 常に妻に言って いました 彼が こんなに太り続ける なら彼を信頼している 読者達は落胆して 彼が言ったことは 真実でなかったと 思うだろうと だから彼は自身を 制御できませんでした

彼は食べて 食べ続けました 有名になる前は 自身を制御できました 何万人もの人を 助けた後 もう自身を制御 できなくなりました 食べるように 彼をせき立て 強制する一種の力が あるかのように 彼は 制御できませんでした 彼は長年 大丈夫でした 有名になった後 そのようになりました 因果の法律は 存在します 彼はここに来て この種の人になる 運命だったと思います 彼はついに死にました このように他人に 模範を示しました あなたが肥満なら きっと問題があり 死んでしまうと ある肥満な人は 心臓病で死にます 分りますか その人はたぶん 他人を助けるために 降りて来て 自身を 犠牲にしたのでしょう でもやはり自身の悪い カルマ(報い)に耐え ねばならず最後は独り 死んでしまいました それは自殺のように 見えましたが実際は それは彼の運命でした

私達が誰かから学び その教えと方法を その教えと方法を 使って利益を得るなら それで十分です それで十分です 先生が自身の教えを 実行できるか否かを 気にしてはいけません 自身の教えに従う 先生は珍しいです そしてなぜ彼は私達と 同じ事をすべきですか 分りますか 彼の生活は 私達のと異なります 彼は方法を見つけて 私達を教え 私達はそれを好み 実行によって 利益を得るなら それで十分です 分りますか なぜ私達はその人が 自身の教えに従うか 否か気にすべきですか そうでしょう

飛行機の製造者は それを飛ばせることが できるとは限りません そしてタクシーを 組み立てる労働者は 運転する免許が あるとは限りません 私達は車を買えば いいのです なぜ 製造者が運転できるか 否かを気にしますか そうでしょう (はい) そしてある人は多くの 薬を発明しました 他人の服用のために 発明者がガンだとは 限りません そんな事はありません 分りますか 彼は同じ薬を飲むべき ではありません 私達のほとんどには 問題があります 先生から学んだ後 彼の私生活に集中し 自身の目的を忘れます

なぜ彼から学んだか 明らかであるべきです 彼からかれこれを いかにするかを 学びに来たのです それを学んだ後 その人がどうしようと 構いません 分りますか 同じ道理は人生の 全てにあてはまります もちろん英語の先生は 英語を知っていますが 毎日出かけて 私達のように 英国人を見つけて 話す必要はありません そうでしよう 彼は練習する 必要ありません 彼は既に熟達しました 彼が毎日英語を 使いたいかどうかは 彼次第です 彼が毎日中国語を 話しても構いません

私達と無関係です 彼から よく英語を学べる時 ベストを尽くし 学んだ後私達は 英語で話し 読み 書くことができます それは 彼と私達の目的です 先生が何らかの 英語の本を書いたか 毎日英語の本を読むか 英国人と話すか 毎日英語の テレビを見るかなどは 関係ありません

いいですか 望むなら それを自身でします 彼が何をするか気に すべきではありません 彼に中国の妻がいて 毎日中国語を話し 中国の食物を 食べようが 私達と関係ありません 分りますか いいでしょうさよなら さよなら マスター さようなら さよなら マスター 毎回皆さんに会うたび 私は非常に驚きます 毎回それは同じ思いも かけないことです 不思議です なぜ多くの人が一人の 人を愛せるのでしょう 私は常に驚いています ついさっき護法に これを話していました なぜこんなに多くの 人が一人の人を 毎週愛せるのでしょう 毎回皆さんに会う度に 私は驚きます 一回目の時のように 分りますか 私は自問します これはあり得ますか 私もかなり感動します でも奇妙だと感じます なぜ多くの人が一人の 人を愛せるのでしょう そして人数を問わず 一人ひとりが十分愛を 得るのを感じるのです

はい さようなら

私達の大部分の食物は 牛 ブタ 鶏などを 養うためにあります 人間のためにではなく

養うべきそれほど 多くの動物がいないと したら 現在の穀物と 野菜の生産量で世界に 供給する二倍以上が 得られますし さらに節水できます

スプリームマスター テレビジョン 一月十六日 日曜日 スプリームマスター チンハイと エルキンタナロレンス 紙との対談は 智慧の言葉で ご覧下さい

本日のスプリーム マスターテレビジョン スプリームマスター チンハイと エルキンタナロレンス 紙との対談は 智慧の言葉で ご覧下さい

車 電車 飛行機を まだ持っていられます 輸送などのために より良い よりエコな 技術を開発するまでは まだそんなものすべて 快適さも皆 持てます そうです  ただ畜産業を止めて ビーガンになるだけ

スプリームマスター テレビジョン 一月十八日 火曜日 スプリームマスター チンハイと エルキンタナロレンス 紙との対談は 智慧の言葉で ご覧下さい

本日のスプリーム マスターテレビジョン スプリームマスター チンハイと エルキンタナロレンス 紙との対談は 智慧の言葉で ご覧下さい

肉を食べることで たとえ間接的でさえ 毎日暴力で生きるなら 平和を望むとは 私達には言えません それは暴力です 私達が食べる他の物は 長生きしたいと 言っても 私達の寿命を縮めます 食べ 吸い 飲むもの等 それは命を縮めます 私達は知的になりたい のに 脳に有害な 毒を与えています ですから私達は 望む事と全く正反対の あらゆることをします 人々は本当に調子悪く 下手に欺かれて 残酷にだまされます

あらゆる新聞 テレビ ラジオは皆 少なくても毎日 一つの記事か 一つの 番組で人々に 気候変動と ビーガン食の解決法に ついて伝えるべきです

スプリームマスター テレビジョン 一月二一日 金曜日 スプリームマスター チンハイと エルキンタナロレンス 紙との対談は 智慧の言葉で ご覧下さい

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