智慧の言葉
 
仏国土の定義 1/4 一九八九年十一月四日 米国 、ニューヨーク   
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こんにちは 皆さんがいらして 嬉しいです 土曜日の午後ですし 皆さんのお時間は 貴重です お忙しい中お時間を 割いて下さって 嬉しく思います 時々話をするのが 難しいと感じます 人間の日常的な 考えのレベルに戻り 言葉で交流するのは 難しいですが ベストを尽くします 三十分もすれば自然に スムーズになります では 私と一緒に 祈りましょう それでこの講演会が 多くの実を結び  皆さんと愛する人達の ためになるのです しばらく祈りましょう 祈りましょう 全能の神が私を通じて 話をするように  皆さんの内面の 全能の神が目覚め  話を聞きますように ありがとうございます

迦牟尼仏が 在世の時 つまり 彼がまだ 物質的な次元にいて 肉体でこの世にいた時  彼は私達に 仏国土という多くの 素晴らしい地について 紹介して下さいました イエスキリストが 地球にいたころ 彼も私達に多くの いわゆる天国  異なる意識レベルを 紹介して下さいました また彼は言いました 「天なる父の家には 多くの邸宅が あります」 覚えていますか 「多くの仏国土」とは どういう意味でしょう 「天なる父の家には 多くの邸宅が あります」とは どういう意味でしょう ここでは 一つの仏国土を 紹介したいと思います

それは神の邸宅の 一つと言っても いいです 仏教によりますと 非常に美しい 一つの仏土があります ええ たくさんの 仏国土があります でも今日はその中の 一つについて話します この仏国土は 薬師仏の国土だと 言われています 薬師仏が肉体で この世界にいて 世界を歩き回り 衆生を済度していた頃  彼は人々に 利益をもたらすよう 十二の発願をしました 「発願」とは どういう意味でしょう 菩薩の位を 修行する時  つまり聖人になるため 修行をする時 どんな方法であれ 人々を助け  人々がその方法により 確実に自分から 利益を得られるよう 心の中で 誓うことです

これがいわゆる 「誓願」です 修行のパワーと あなたの徳と意志 良い意思通じて これらの願いは 実現するのです 中国で薬師仏と 呼ばれている 薬師仏の誓願の一つは 次のようなものでした 体あるいは心が 病に苦しめられる人が 彼の所に求めて来たら  彼はまず その苦痛を無くし  食べ物を与えて 健康のためになる薬を あげます それから徐々に 彼らに内在する 最高の潜在的パワー 即ち「仏性」或いは 「神の王国」を 意識させ 認識させます 仏陀の弟子達が 薬師仏の仏国土に 行ってみたところ  そこはどこも 高級な宝石だらけで  高級な宝石だらけで   地上は水晶で 作られていました

ほとんどの仏国土は その特徴が 同じようです 薬師仏の仏国土と 阿弥陀仏の仏国土は 似ていて 同じような特徴が あります 大地は 水晶あるいは 琉璃で作られています 家は七種類の宝石で 作られています ルビーや ダイヤモンド 金など そこに住んでいる 人たちは永遠に 楽しく 幸せです 困難は一切ありません 苦痛を聞いたことは ありません そこでは「苦痛」という 言葉すら存在せず ましてや 苦痛を体験するわけは ありません でも 私達の世界 地球と呼ばれる所では 苦痛と幸せが 混在しています

苦しむ時もあり 幸せな時もあります 苦痛の人もいれば 幸せな人もいます 仏国土では違います 幸せ 喜び 至福 愛だけです 苦痛はありません 誤解はありません 暴力 非難 ケンカ 戦争はありません 仏陀はなぜ 人々にこの美しい 仏国土のことを 教えたのでしょう それで人々は 他にも   美しい惑星があり そこに行って 永住出来ると知り この苦痛の世界に 執着する必要はないと 分かるからです 自分には この世界が みじめだと思ったら ここに残らなくても いいのです 選択できます それが 仏陀がこの世界に 降りてきた目的です

それが イエスがこの世界に 降臨してきた目的で 私達の世界の人々に 他に沢山の惑星を 紹介することです そこでの生活は楽しく 私達の精神性や望みに より適しているのです 今 私達は仏陀は 死んでしまいイエスは この世界を去り 死んだと思いますが それは違います イエスも仏陀も同様に まだ生きています 彼らは違う場所で まさに生きていて 時間も彼らの仕事も 彼らの永遠の学びも 進化しています 私達の学びに 終わりはないのです 仏陀やイエスのように なった後 私達が 学びを止めるなどとは 思わないでください

違いますそれでは 袋小路のようです 智慧への道に 終わりはありません 聖書を思い出すと イエスは時々非常に 奇妙な事を言いました 彼は言いました 「どんな奇跡も どんな偉大な事も 私が今日行えた事は 明日皆はそれらをより うまくさえ出来する」 少し補足しましょうか 例えばちょうど 皆さんが先生に 出会いたての頃や いわゆる 「印心の過程」で 皆さんは天国の味や 内在のパワーの ほんの一部しか 得ていないはずです ですからイエスや 先生を非常に称賛し 言うはずです

「ああ それは素晴らしい 体験でした 先生は私に何をしたの 信じられません」と そうするとイエスは 謙遜して「違います 大したことではない 皆はより偉大になる」 つまり彼はたぶん 皆さんがもっと進歩し 今日知ったことより もっと多くを知ると いう意味です それはその当時の 可能性の一つです 私は彼の言葉には 他の可能性と 他の意味があると 思います それはイエスが当時 彼が進歩できるはずの 段階まで 到達していなかった ということです イエスが今 地上に再臨したら 彼は当時よりずっと 偉大に違いありません

それもまた数ある 推測の一つです また別の可能性として その当時彼のパワーは すでに十分で 偉大だったけれども それを人々に広め 与え 提供するのが 難しかったのです なぜなら 当時 私達人類の心も 十分に発達して いなかったからです 現在のように 文明化されてなく 知的でなかったのです 偉大なイエスでさえ 大した事ができません ちょうど皆さんが 優秀な医師や技術者か 何であれ アフリカへ 行くのと同じです 全ての肩書きや知識を 総動員しても 密林で何ができますか 皆さんに出来るのは 薬草を与えたり 石鹸で患者を 洗うことくらいです

その患者が癒えれば 人々は称賛し皆さんは 答えます「いいえ 大したことでない」と 医師が ちゃんとした病院で 普通の状態の時 あらゆる種類の機材や 彼の仕事の補佐をする スタッフに囲まれて 出来るはずの事は 何もしていないと いうのは本当です それにイエスが 地上に来たのは 二千年前です 二千年経ったので 彼はさらにもっと 学んだはずです なので よりよい環境 より近代的に 文明化した 未来の人々 イエスの後来る人々は もちろんより偉大な 素晴らしい事が できるのです 聖書を読むと イエスは 多くを語る機会が 全くありませんでした 彼が言ったのは 「すみません それは とても偉大ですが 大した事ありません」 意味が分かりますか 彼が偉大ではない という意味ではなく 多くを語る機会が なかったという事です

それに当時の人々の それに当時の人々の 理解力は さほど優れておらず イエスの智慧に 見合うほど偉大では なかったので彼は 人々を覚醒させるため 比喩や物語を話し ある種の癒しの能力や その種の力を使う 必要があったのです 彼はまた人々に非常に 単純で簡単な言葉で 語りました また人々に 戒律を守り 神を信じ 神に祈りなさい などとだけ言いました 選ばれた少数の 弟子達の中から さらに幾人かだけが イエスのメッセージの 使者に選抜されました

残りの人々については 病気を癒したり 精神的に 目に見えない方法で 僅かに引き上げたり 慰めたり 神や神の戒律を 思い出させただけです ですからイエスと 同じ能力を持ち 同じ悟りの段階に 到達して 彼の後に来た人々は 彼がした事より 多くの事が出来 より多くを話せます そしてそれは 現代社会に見合うよう より論理的で より知的で より科学的な 方法で行われます ですから私達が 昔のイエスや仏陀の イメージに執着すれば あまり得には ならないでしょう 私達は進歩すべきです 今日私達が学ぶ事は 必ずしも過去の人々が 学んだ事では ないはずです ではなぜ仏陀は 多くの時間を費やし 沢山の仏国土について 話をしたのでしょうか 話したのは「彼」では ありませんでした それは彼の弟子で 仏国土に連れて行かれ 戻って来て いわゆる日記に 書き記したのです もちろん 仏陀は仏国土に いました 仏陀がそれらの弟子を そこへ連れて行き 彼らに紹介したのです

しかし人間の言語で 地球の人々に 話す必要は ありませんでした 何人かのいわゆる 私の追随者 弟子 学生 修行仲間 呼び方は 何でもいいのですが 彼らにも類似した 一種の体験があります 彼らは美しい地に 連れて行かれました そこの地面は 瑠璃や水晶で舗装され 黄金の宮殿があります そしてまた 地球の意識に 戻って来て 彼らもこれらの天国や 仏国土での体験や 歓びについて 書き記したのです ですからこれらの 仏国土はまさに存在し 私達の地球より もっとずっと美しく 厳かなのです

宇宙には 私達の肉眼で 見ることができる 多くの種類の惑星が 存在します 科学者は今 この種の惑星を 人々が住んでいるか 住んでいないか 発見しようと試みます そこの人々は私達と 類似しているか していないかと 宇宙のそれらの 惑星のシステムには 異なる存在が 本当に住んでいます ある惑星は 異なる振動力を持ち 肉眼では見つからない かもしれません 私達が宇宙船を その惑星に送っても 宇宙飛行士も 全ての設備を使っても 彼らを見られません ですから 宇宙飛行士が 月へ行った時も 彼らには何も見えず 幾つかの石を家に 持ち帰っただけです

非常に高価な石です 私達はそれらを購入し 首飾りとして 身につけるべきです 月の石です ダイヤモンドより 高価で 宇宙船費用に比べたら 違いますか 銀河系の他の惑星の 不可視の存在を 私達はなぜ肉眼で 見ることが できないのでしょう 私達は密度の異なる 物質でできている からです 実際物質は全く 物質ではありません 科学は その物質の本質は実際 空であると ただ異なる密度だと 証明してると思います 非常に論理的だと 思います それで仏教で「万物は 皆 空である」といい 「空」の意味は 万物は本質において すべて「空」であり 密度が違うだけです

よく言われることに 「宇宙の全存在は 一つであり  同じ本質である」と 私は今日その事を 悟りました 皆さんのおかげです 私がこの事を 話さなかったなら 私はこの智慧を忘れ 思い出さなかった かもしれません なぜなら本日皆さんは ここに来て これを知る必要があり 私はこの情報を 掘り下げ皆さんに渡す 機会を得たからです 皆さんのためでないと たぶんこの情報は 私には不必要でした 倉庫に安全にしまい 恐らく忘れてしまった でしょう また開悟することも こういうことです

私達は自らの記憶の 鍵を開けねばならず 私達はそれを毎日 日々の私達の修行や 日々の生活で 使わねばなりません 私達は 休眠状態の脳の 倉庫にある 更に神秘の 能力の 鍵を開け引き出します これがいわゆる 「開悟」であり 「更なる智慧を得る」 と呼ぶものです 神秘的なことは何も ありません 全てが すでに自身の脳に 私達の倉庫にあります ただ私達が それを使わなければ 忘れてしまいます まるでそれは存在して いないかのようです 私が話している事は まるで多くの水 空気 氷のについて 話すほど沢山あります それは同じ要素で できています 私達もまた同じ 本質からできています 同じ要素からです それは光であり 振動力であり 聖書でいう 「言(ことば)」です 言(ことば)は 振動力という意味です 古代 人々はそれを 振動力と呼ばす 言(ことば)と言います

音を出すもの それが言(ことば)です 見える音でも 見えない音でも  どう表せるか分からず 言(ことば)としました 老子はそれを 表現しませんでした 彼はそれを「あなたが 執拗に聞くなら それを道と言います 表す言葉がないから」 また仏教用語では いわゆる 「音流」 「内在の音」と呼び それは全て同じ事を 言っています だから聖書に こうあります 「初めに言があった 言は神と共にあった 言は神と共にあった 言は神であった」 それでこの振動力 光は更に濃くなり それは宇宙の階級の 異なるレベルに 降りてきます

そしてここで 最も濃くなり それで私達はこの種の 可視の肉体を持ち 動き回るのです でも最高のレベルまで 修行した人は 最高の智慧と 最高のパワーへと 自らを発展させ 自身を元々の起源へと 溶け込ませて いきます それで 時に肉体が消えるのを 見るでしょう それは彼らが 消えたのではなく ただ元来の姿に 溶けていっただけです ちょうど氷が太陽の光 または火に当たった 時のように溶けて水に なり 大気中に再び 消えて行くのと同じ でも私達が瞑想する時 修行する時 私達は 仏陀になり 偉大な 師となり ただ素早く 消えていきます

また私達は自分の体や 運命もコントロール できるようになり 他者へ恩恵を与える ために留まりたいけど 私達の体は必ずしも 本物ではなくなります ですから時々 そのようなマスターが サマディに入る方法や 他者に教える方法など 講話すると 人々はマスターの体が 全く見えなくなる事が あるのです ただ光の海を見て その光は講演会場の 全ての観衆さえ 包み込んでしまいます 時にこのような体験を するかもしれません この状態は半時間とか 二、三時間と延び 皆さんは 光の海と至福の中に 迷い込んでしまいます マスターは 光の大海に溶け込んで いるからです 時々マスターは ある弟子の前に 姿を現わします たぶん彼らに 確信させるためとか 多分その弟子には 過去世でマスターと 大きな縁があるのです

でも誰もが この現象を 見られる訳ではなく 全てのマスターが この種の現象を現わす ほど高い訳ではなく このようなマスターを 見つけるのは困難です 非常に普通だからです 彼らは袈裟も着ない かもしれません ただ普通の衣服を着て いるだけかもしれない 凡夫に見えるほど 偉大なのでしょう 時に通りを歩いていて 出会うかもしれないし 多くの菩薩や聖人を 見ているかも しれませんが 認識できません 人知れず仕事をします 仏教経典の中で 法華経と呼びますが 釈迦牟尼仏は こう言っています 私達の存在の あらゆる生涯において 菩薩(偉大な聖人)は 菩薩(偉大な聖人)は 常にこの地球上に現れ 偉大な教理を 守っていて 法を守っていると これを常に認識する ことは不可能です

彼らは数え切れず また異なる分野で 方法で各自が 働いているからです エンジニア 医者 タクシー運転手を 見るかもしれませんが 彼らは偉大な聖人です どうか他の人々を 尊敬するよう気をつけ 彼らに偶然出会うかも しれないからです 最良の姿勢は 全ての存在に対し仏陀 聖人として見ることで そうすれば素晴らしい 驚異を体験したり 素晴らしい変化が 人生に訪れるかも 私は既に言いました ヒマラヤへ行くことや 剃髪することは 開悟するためには 不必要です 私はそうしましたが それが私の道 運命だったからです 今 私が既に 開悟しているとして 私は既に僧なので 私の髪を伸ばそうが ジーンズをはいて 走り回ろうが 何が 起こるでしょうか 私が開悟を失うと 思いますか いいえ 全く同じです この世で何をしようが 関係ありません どれほどの責任を 免れようが 関係なく 一度悟開すれば 皆さんは永遠に 開悟しています ただ開悟には 鍵が必要で早ければ 早い方が良いのです もちろん 時間はありません

私達は現代社会にいて ただ何年も座って 突然の覚醒を 待てないのです 事前に開悟の味を 知らなかったら 科学時代の人々の 頭脳に  証明できなことを 信じさせることは 難しいです ですから いわゆるマスターが 現代 公に  人々に偉大な 意識レベルの証拠を 与え  神の王国や 仏陀の光を見せ 人々に信じさせ しがみつかせ 成長させるために 証拠をべきなのです 開悟には 異なるレベルが あるだけです 一度開悟したら   開悟するのです ただ貴方は偉大に なるために進んだり そこに留まることを 選んだだけのことです いったん印心すれば 違う人になり 違う段階になります

例えば 高校を卒業して 大学入学の 手続きをして 大学生になる ということです もう戻ることはなく幼稚園生と 呼ばれたり もう高校生と 呼ばれたりしません もっと学ぶことを選び 博士になったり そこに留まったり やめたりと 選ぶことが出来ます とはいっても 皆さんは大学生です 高校の卒業生では ありません ですから皆さんが マスターの加護や 自分の努力により 開悟したら 永遠に 開悟しているのです もう以前の皆さんでは なくなるのです しかし その後の  勤勉な修行が問題で 重要なのです 一瞬だけの開悟が 皆さんを 仏陀にする訳では ありません いったん 大学に登録しても 何も学ばず それで医学博士になる 訳ではありません 簡単ではありません その他の 科学と同じように 一定の努力と勤勉な 修行が必要なのです

しかし 私達は  先生からの保証と 手伝いが必要です 時には滑ったり 時には自分の成長に 無知になったり 修行の道での 落とし穴を 知らなかったり それはとても長く 難しいものですから 友人が必要です 誠実で 寛大な賢い 友人はその道で案内と  援助をしてくれます 一人で 歩くべきですが 助けてくれる友人が おそらくもっと楽しい 速く 悟りを開く 旅にしてくれます ですから先生は 隣を歩いてくれ 落ちた時に助けて くれる良い友人であり 病気の時は 料理をしてくれ 疲れた時は 助けてくれ 熱意を失った時は 励まして くれるのです しかし先生は皆さんを 開悟させられません 先生は皆さん 道に置いてくれ それで歩けるのです その法門が正しいのか どうか どのように 知ることが出来ますか

その法門が最高で 学んで正しいものだと どのように 知ることが出来ますか 皆さんを仏陀に 仏性を近づける 法門ならどれでもよく 皆さんを神に戻し 神の力を 見せてくれ 神の光を 仏光を 見せてくれるなら それが正しい法門です

私達が仏性を 見れるなら どの法門でも それが正しい法門です 簡単です 私達に輝く本性 輝く仏性を 見せてくれるものは 私達が肉体ではなく 人間の脳でないと教え 自分の光を 仏光を 自身の仏光を 見せてくれるのが 正しい方法です 私が得た印心が どうして 本当の仏性だと 知ることが出来ますか 印心の間に どのように 仏性を得ることが 出来るのかを 彼は知りたいのですか ええ すぐに得られます 方法を聞く必要は ありません  すぐに分かります 例えば あなたに リンゴをあげたら それがすぐにリンゴ だと分かり待ちきれず 食べたくなります どうしてそれが リンゴだということを 知る時間が ありますか 良い印心を得るために どんな正しい行動を すれば良いですか 印心中に もっと高い レベルに達して もっと功徳を得られる 方法を 聞いているのですか

既に必要条件を 見ましたね 印心中は  全て私の仕事です 印心後は 皆さん次第です いわゆる  五戒を守れば 良いでしょう いいですか 自分の能力の 最善を尽くすのです 五戒を守り 最善を尽くします もちろん 私達は まだ人間ですので 時に怠けたり しますが 既に言いましたように ただ最善を尽くします 状況が許したら 私達は五戒を 守るべきです それだけです 印心の間は マスターの仕事です 印心には 何も持って来ません おそらく 昨日ステーキを 食べたかもしれません 聞く必要はありません 印心中は 私達は 何もしないのですか 皆の過去のカルマ (報い)を浄化します 将来が より重要なのです 過去に間違いを 犯したのは 私達が 無知だったからです 今はもう遅いです

全て許すことです 仏陀は 取り消してくれます(はい ありがとう) ABCから やり直すのです マスターは印心中は マスターが皆のカルマ (報い)をきれいに すると言いました 皆さん全員のをです またマスターは  この質問への 答えが 印心の必要条件だと 言っています 彼らは 従うべきですが 最善を尽くすべきです 私達は人間で 弱点があることを 理解していますが 最善を尽くせば マスターが残りを 世話してくれます 私は仏教徒になって 三年ですが 全く成長しません 問題は何ですか

彼は仏教徒になって 三年ですが 成長しません 問題は何ですか なぜならあなたは ただ仏教の理論に 従うだけで 修行はしていません 分かりますか 論理の成果を 得ていないのです あなたが 仏教を勉強するなら 或いは仏陀から学ぶ時 あなたは仏陀の 教理を唱えるだけです しかし仏性 仏陀自身の源を得る ことはありません あなたには内面の 体験がなく それで 三年経ってもあなたに 何の結果も 得られなかったのです 例えばリンゴは 美味しいと言いますね 外が緑色で 中は白いです そして甘酸っぱく みずみずしいです でもあなたが一度も 食べたことがないなら どんな味か分りません あなたは満足感も 得ないでしょう 例えば あなたが毎日 阿弥陀経を唱えたと しましょう  単なる例えです

その阿弥陀の地は 本物で 金色の地面が 色鮮やかに飾られ 八功徳水があり 小鳥は歌を歌い 蓮は移動する時に使う 輸送車等です でもあなたは阿弥陀を 一度も見たことがなく 行ったこともなく 甘露水も飲んだことが ありませんし 遠くでから 小鳥が歌うのも 聞いたことがないなら もちろん あなたは何も結果を 得てはいません そういうわけで私は この法門を提供します あなたは少し阿弥陀の 浄土を味わうことが できるでしょう 多分完全ではないです が全く悪くもないです 始めはほんの少しです そうですね

例えば私達は空腹で レストランへ食べに 行きたいとします どこのレストランへも まだ行ってなく すぐそこに あるとします 私達はレストランの 近くにいて料理や スープの匂いがします そこだと分かります 「そうだ そうだ これだ」とそうですね レストランへ入って いなくても私達は 正しい道にいます そうでなければ私達は 既に半日歩いて空腹で 死んでしまいます そのレストランの 料理が美味しいと 聞くだけで今まで 見たことも食べた こともなかったのです

問題は彼が誰か 他の人々の体験を 読んだだけなのです 彼自身には 体験はありません 例えば 仏教経典には 阿弥陀の地についての 記述があります しかし 彼は一度も 訪れたことがなく 毎日 彼は仏陀の地に ついて唱えている ばかりです そして 彼はほんの少しの 食欲さえないのです なぜなら どうして その食欲を持てますか 彼に食欲はあったかも しれませんが 食物が全くないのです それで私は言います この法門を提供する ことで仏国土の味見が できるように それであなたは 正道にいると分かり 遠くまで歩こうと 勇気がでます それで成功すると あなたは分かります でないと もちろん 三十年も学んでも 何の成功もないのです

三年など言うに及ばず 三年など 短すぎます 三十年も無駄に過ごす 人々もいます 一度も仏国土を 見たこともなく ほんの少しの仏光を 垣間見る事も一切なく 仏陀の音楽 声を 少しも聴いたことが ありません あなたに正しい 教師がいないなら 非常に困難です 正道を歩まなければ 決して 成功できないでしょう 誰かがレストランへ 連れて行くようで あなたは空腹でそこを 見つけたいと思い 少なくともその人は 正道に連れて行きます まだレストランに 到着していなくても 正しい道だと知り 遠くまで 歩き続けられます 遠くからでも少し 台所の料理の匂いを かいだからです それてあなたは 知ります「これだ 正しい道にいる」と そうでなければ何日も 多くの道を歩いても 何も得ることが できません

完璧な人とは 自らの短所と長所を 自らの短所と長所を 知っている人です その人は 短所を放っておくか 短所を放っておくか 管理下に置いておく ことによって制します 必要な時に それらを使うのです 長所に関して言えば それを他者や 自身の利益のために 更に発展させ続けます それが完璧な人です

スプリームマスター テレビジョン 一月八日土曜日の 智慧の言葉にて スプリームマスター チンハイの洞察力ある 講義 「聖人の物語」を どうぞご覧下さい

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この世界の法律は とても公平です 求めるものを得ます 悟ったマスターも 同じです 彼らは人に解脱を 強要できません 自ら求めるべきです

スプリームマスター テレビジョン 一月十一日火曜日の 智慧の言葉にて スプリームマスター チンハイの洞察力ある 講義 「聖人の物語」を どうぞご覧下さい

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なぜ古代のマスターや 預言者は偉大な譲渡に ついて助言したのか 一月六日木曜日 スプリームマスター テレビジョン 智慧の言葉にて 解明します

なぜ古代のマスターや 預言者は偉大な譲渡に ついて助言したのか 本日のスプリーム マスターテレビジョン 智慧の言葉にて 解明します
私はどんな宗教も 信じませんし どんな 特定の宗教団体にも 属していません 一人で 瞑想していますが これで開悟できますか

これはあなたが まだ開悟していないと いうことを示します 開悟していれば それが分かっていて 少なくとも安全な 感じがするでしょう どんな宗教団体に 属しなくても 開悟できます 仏陀を見る前に信じる 必要はありませんが 必ず仏陀を見るべきで 神や仏陀に 面と向かって見るか 仏国土に 行ったことがあって  初めて 仏陀の存在を認め 信じることができます 無神論者も 結構ですが 一生 それで通すのはあまり よくないと思います できる範囲で それを証明しなければ なりません 誰も証明して くれないとしたら 一生無神論者でいても 誰も非難しません

しかし誰かが 証明してくれた場合 少なくとも 自分に他の超世界の 存在を知る機会を 与えるべきです するとあなたは 仏陀や神の存在と 他にも何かがあると 信じるようになります 大きな苦難について もっと説明して下さい なぜオゥラックの子は こんなに苦しみますか 前世で罪があって そうなのですか 昨日私が言ったように 罪のない人はいません ただこれらは皆私達が 学ぶべきものなのです 私は誰も 非難したりしません いずれも勉強なのです 勉強の過程は 苦しいものです いったん開悟すれば 物事に対し違った 見方ができ いずれも 勉強だと分かります

オゥラック (ベトナム)人も 過去世で 何か間違った事を しています 他の国を侵略したり 彼らを住み慣れた 土地から追い出し 人々を抑圧したかも しれません 歴史を読めば それぞれの国は 似たような経歴が あることが分かります ぞれぞれの国は 他国に対し 何かをしています そして数千年後 または数百年後 その報いを受けます 私はオゥラック (ベトナム)人で 出来る限り私の同胞を 助けています 今でもやっています だからといって 私は真実を言っては いけないという わけではありません 意味が分かりますか 私は正直な人です 良い事は 良いと言います 美しい女の子が 手や顔に 斑点があったり することもあります その斑点は 美しい体にあることも あるのです 分かりますか 私は国を愛し 私の 同胞を愛しています

しかし世界は 私の国でもあり 全世界の人民は 私の同胞でもあります それぞれの国は皆 盛衰の歴史があり 過ちや輝かしい一面や 長所があります 従って その国の人民が共に 何か善行をした場合 国全体は その善行の結果 報われます 国全体が 誤って 間違いを犯したり 無知で 無意識的に 他の人に 害を及ぼした場合 早かれ遅かれ その報いを受けます 毎日の大量の 虐殺を見て下さい 私達の百年ほどの 肉体のために どれだけの命が犠牲に なっているでしょうか  おびただしい魚  えび 鶏 豚などです 戦争や苦難 病気のような形以外に どうやって この磁場を分解できる と思いますか 私達がした全ての事は 天空や空気中に 記録されています

何一つ漏らしません 他のエネルギーで 薄めるか別の行動で もって均衡を保つしか ありません 消えることはないです 消えません 例えば 水が氷に なったとします これを消すには 太陽光で照らすか 電気か光で熱を 加えて蒸発させて 空気中に 消さなければ ならないのと同じです 従って 私達がいつまでも 虐殺をして 動物達を 苦しめるとしたら 動物にも 意識と考えがあり 憎しみのエネルギーを 発します これらの憎しみと 恐怖心は強力な エネルギーとして 空気中に充満していて これが沢山集まると 大きな苦難を招きます この物質の宇宙では 私達が 使っているものは すべて代価を払います ですから すべてのマスターは 菜食を強調するのです 生きるための代価が 最小です 動物も植物も 命がありますが植物の 代価はより少ないです

例えば百ドルしか 稼がないのに二百ドル 使いたいなら もちろん負債を負い 問題が生じます 安い物を買い 最小限の費用で 生活をまかなう 努力をしたら 負債の心配は ないでしょう 分かりますか ですから私達は 菜食と果物 ナッツ類を選択します これらは内面の 意識が低く 食べた後 あまり罪を感じません 樹からいくらか ナッツを採っても まだ沢山のナッツが ついていて 数千もの ナッツの樹が生えます 消えることはないです 花や 枝 野菜を 切り取ると  切り取った所から もっと多くの野菜が 伸びます これで分かるように 菜食は害が少なく 代価が低いのです

肉体をもった凡夫は 仏陀になれますか それは可能ですか

凡夫は 仏陀になれますか なぜ不可能ですか 昨日言いました 凡夫はいません 仏陀は心の中にあり あなたの中に あるからです この中の この家に 住んでいる人が 仏陀です 分りますか 私達は元々 仏陀です どの人が凡夫か 探せますか 自分を知りたくない だけです 仏陀であることを 忘れているだけです 誰が凡夫なのですか 見かけません 仏陀は心の中にいます つまり 人間の 内側が仏陀です 外側は住居か 家か 服だけです 私達は仏陀です このことが 分りませんか マスターは  仏性は中側にあると 説明しました あなたは仏陀で 真のマスターがその 扉を開いてくれる限り 仏陀になれます

印心後 人は 出家すべきですか 印心後 家庭を離れ 僧になるべきですか あなたが答えて下さい その必要はありません 私も僧ではありません なお仕事をしていて 映画を見に行きます 一般人と同じです ただより健康で 幸せな生活を送ります どこから来たのか どこへ行くのかを 知っているからです 宇宙の構造は何か 人生の目標が あります 世俗の観点から 物事を見るのでなく 宇宙の観点から 物事を見ます あなたは 毎日幸せです 中陰身(中陰)は 仏陀になれますか 中陰身とは 人々が死んだ後 四九日の間 いわゆる 魂か体が存在すると 信じています これが 「中陰身」です 体が 他の体に 体が 他の体に 生れ変わる前が 「中陰身」です 体を離れている間 生れ変わる前 「中陰身」と 呼びます

いいですね もちろん 「中陰身」は 仏陀になれません 肉体にいる時 仏陀の種をすでに 発芽させたなら 別ですが 分りますか それから この世を去った後 引き続き成長します 芽がすでに 発芽したため 今 私達には 仏陀の芽がありますが 発芽していないため それで 死後も発芽しません 分りますか 死後は もっとひどくなります 体がある時 まだ発芽できる 条件があります 体がなければ 発芽できる条件は ありません 分りますか だから まだこの世で 生きている時 まだ体がある時 印心して 仏性を 発展させるべきで 発芽させるのです そうして死後は 安全でいられます 肉体がある この世にいてこそ 仏性が 発芽できるのです

ですから 仏陀は 人の体は大変貴重だと 話すのです どれくらい貴重か 彼はある物語を 話しました ある盲目の亀が 深い海中に 住んでいました 百年ごとに一度 水面に上ってきて そして偶然にも 亀が通れるほどの 穴のあいた 木の板に当たりました 百年ごとに一度 水面に上り  ちょうど木の板の穴に 当たらねばなりません どれほど困難でしょう 分りますか 同様に人の体は 大変得がたいのです たとえ可能だとしても なぜなら 人の体があってこそ 智慧を発展させられ 仏性を 発芽できるからです 分りますか

誰かが私に いわゆる「魂」について 尋ねました 説明しましょう 仏教では 「中陰身」という 言葉があります 「中陰身」とは つまりこの肉体を 離れた後 次の存在の状態に 入る前に使われる 体のことです 胎内に入る前や 次の存在の状態に 入る前 四九日間の 期間があります あるいは魂  いわゆる「中陰身」 つまり 「中間」の体は 世界中を飛び回り あちこちと飛んで 休憩する場所を 探したり 人生の目的を探したり 輪廻できる所を 探します 人々は私に尋ねます

「この種の体で私達は 仏陀になれますか」と 「はい」であり「いいえ」 「はい」というのは 肉体にいる間 すでに開の種を 発芽させた場合です それで肉体を離れた後 芽は成長し続けます この肥沃な 地面にいてこそ 種が発芽するからです 水がなくては 土がなくては 発芽しませんね でも「いいえ」の方は 肉体にいるときに 前もって 仏陀の種をまかず 発芽させなかったり 神の王国を 開かなかった場合です それでこの肉体を 去る時 あなたはまだ このような状態です この生涯で文盲なら 死後 あなたは 読み書きが出来ますか もちろんできません より悪くさえなります だから仏陀は 人間の体は 本当に貴重だと 言うのです

とても貴重です 私達はそれを肥として 使い 私達の菩提を 成長させます でも観音法門を修行し 開悟を得た者 あるいは印心後は その期間を通過する 必要はありません 分かりますか あなたは直接仏国土に あなたのマスターが いる所へ行きます そこで更にあなたは 学びます 学びが 不十分な場合ですが 十分学んでいるなら 地球より上にある ある地で マスターになります または地球に戻り 地球人のマスターに なります マスターの地位に 未到達で不十分なら マスターがいる所に 行きます 彼はあなたの 面倒を見て 教育し あなた自身が教師に なるまで進歩させます いいですか さまよう中陰身の 期間を経験する 必要はありません 問題ありません 約束します 舎利または舎利花は 何を表しますか これが舎利で 死んだ骨です 私にとって 舎利 舎利花など 何の意味もありません

これは単に一種の 形見にすぎません 生きているとき 私達はこの世界に 執着します 死んだ時 私達はまだ それらを置いていけず 何かに執着します まだ何かをお土産に 抱えていたいのです 人々は 修行者とか 偉大な修行者が 死後 火葬された後 舎利を残すだろうと 信じています それは 火葬中に 私達の体から出る 一種の化学反応です だから修行を全く しなかった人々にも 舎利があり 一方 他のいわゆる修行者に 全く舎利がないことが あるのです 面子を失うようです 多くの話を聞きました

私の弟子の非印心の者 ご主人は死んだ時 舎利と舎利花が あったそうです また私は知っています 多くのいわゆる 修行者は 火葬した後 骨以外 黒い骨以外に 何もないのです 他人を中傷する つもりはないです あなたが尋ねるので 私は答えます 心は非常に純粋です 誰の好みに合わないと 意味ではありません でもあなたは 私が言わないと 理解できないでしょう 分かりますか それは私の責任です 外へ行き他の人々に あなたは敬虔な生活を しても舎利を残さない と言ってはだめです 従って 私達は舎利が 何を表すか言えません 単なる科学反応だと 思います 違いますか

知りませんか それならあなたは フォルモサ(台湾)へ 行きあなた自身で私が 話した事が本当か 見るべきです そうしてみましたか 自身で見るまでどうか 何も信じないで下さい 他の人々から聞く事は 違うのです 分かりますか 伝言は誰か次の人に 伝わった時からすぐ もう違うものに なるからです こういった神秘的な事 不思議な事はあまり 話さない方が良いです 人は私達をひどく 笑うでしょう すみません私はかなり 率直な人間ですので 憤慨しないで下さい

腹を立てないで 私は彼に言いました 「私に憤慨しないで 私は非常に 率直な人間です 私が知る事は何であれ 考えた事は何であれ ただそう言います 時に人は傷つきますが そうするつもりは ありません 修行者として私達は 智慧を発展させ 見た事を論理的に 信じるべきです 私達が見ていない事 知らない事を常に話し 全て神秘的な話を 作り出すべきでは ありません 仏陀後の人々が 舎利を考慮するのは ヒンドゥー教の 伝統からきています 偉大な修行者 (それほど偉大でない 修行者) の死後 彼らは火葬にされ 灰はガンジス川に まかれます でもある偉大な 修行者には 沢山の学生がいて 彼らは そのマスターに 執着し 愛しているので 死んだ後でも マスターの灰を 持ち続け 家に持ち帰り 崇拝したいと思います

ええ理解できます そうです 理解できます 物語はこう続きます 仏陀つまり 偉大な修行者の死後 彼らは幾らかの いわゆる舎利を残し それらは一種 凝縮された形で 岩や宝石のようで 時には異なる色 だったりします これらを私自身の目で 見たことがあります いわゆる「舎利」です 他の種類として 花のように見える ものもあり それを「舎利花」 「舎利花」と呼びます 私はこれも見ました 私の体験によれば 全く修行していない 人々でも 多くの舎利 舎利花があり いわゆる修行者で いわゆる純粋な生活と 人生を送った人でも 全く舎利を残さない 人もいます

それで私は彼にそれは 化学反応の一種に 過ぎないと言います 火葬中には異なる 身体からは異なる 化学反応があるのです 恐らくある人達の骨は 少し堅いので こんな風になったり するのでしょう または熱が非常に 強かったとかね 時々 私達は何か高温度で 焼いたりします 堅くなり 残りが堅く 輝いたりすることも あります 時々低温で焼く時も ありますし 家に帰って化学繊維か 何かを焼くと このようになったり 何かになったりします 綿でも 綿の切れ端でも 異なる熱で燃やすと 反応が違います そうですね 試しましたか 私は試しました

時々一晩中 ろうそくを燃やすと 残存物が残ります 一時間か二時間しか 燃やさないなら 残存物は出ません ろうそくやオイル ランプからの残存物は それを残した人々の 骨と同じくらい 量が多いです 私は本当に驚きました しかし私はこれらに 関心がなかったのです 舎利はどうでもよく 弟子の親族が 亡くなったとき 火葬にしたときの 実話ですが その後 舎利がでて その舎利はフォルモサ (台湾)に 今でもあります その家族は父親の 舎利のことで本当に 興奮していました なぜ父には舎利が あるのでしょう 父は肉を食べ 酒を飲み 決して仏名を唱えず どこにも行かず 修行している人々に 反対さえしました

彼は修行者に 反対していました マスターが印心をした 妻に反対しました 私はあまり多くを 話したくないですが 自分で判断して下さい ある事例で彼の妻は ずっと以前何年も前に 私が印心しました その人が亡くなった時 (夫が亡くなった時) 非常に 普通の状態で 彼は年に一度も菜食を しませんでしたので あなたは理解できない そして彼は 仏陀の名を唱えたり 寺で礼拝する 妻を からかったのです 彼は実際こういうこと 全てに反対でした 彼が死んだ時もちろん 妻は多くの僧侶を 呼びました 

ええ やって来た僧侶は 彼に加護を与えるため 読経しました 読経しました しかし読経すれば するほどその人は 黒くなったのです 中国やオゥラック (ベトナム)の 言い伝えでは 明るい顔ではなく 黒い顔で死ぬと 必ず地獄か 非常に 低い存在レベルに 行くと言われています だから彼女は 非常に怯えていました 「なぜ沢山の僧侶に 来てもらい 大金をかけて 献花をして 果物を捧げて 何度も儀式をしたのに 顔は変わらないの」 どんどん悪くなり 彼女は怯えていたので ようやく私のことを 思い出したのです

やっと私の出番です いつも私は最後です 私が香港に 出発する前のことです その瞬間 私は空港に 向かいたかったのです 彼女は その五分前に 電話で状況を話し 夫の魂を救ってほしい 夫を解放させてくれと 熱心に頼んだのです 「でもあなたは沢山の 僧侶をもう呼びました 私の場所はないですよ 私が言いたかったのは 「私に頼まなかった」 彼女は言いました 「今 頼んでいます」 彼女は言いました 「ええ今頼んでいます お願いです 夫を 助けに来て下さい」 いいですよ やります

その瞬間に すぐに顔色は ばら色に変わりました とても赤みが差し 彼が天国 高位の場所 幸せの場所に 生まれ変わることを 意味します その後 火葬すると いわゆる舎利が たくさん出ました 彼はまったく 修行しませんでしたが 妻の電話のおかげで 顔は黒から 赤みが差したのです それだけではなく 他にもその最中に 色々ありました 彼の家族の多くが 私が霊でその家に来て 彼を助けたのを 見たのです 私は行きませんでした 彼らが話しただけです 彼らがそのように 話しただけです 私は行きませんでした

光の姿の体での 私を見ただけです その後 遺体を火葬にして 舎利を拾いました そのことについて私に 何が言えるでしょうか 彼は生涯 決して 修行しなかったのです 彼は修行に反対さえし 菜食を食べなかった 即刻開悟の意味は 何ですか すぐに悟りを 開くことです 全くその通りです それ以上はなく それ以下もありません マスターが言うには 印心の最中 あなたは すぐに光を見ます 悟りを開きます 「悟り」とは 光を意味します その光を見ます 分かりますか あなたが 悟りを開いたら すぐにその光を見ます

ですから 「即刻開悟」と 呼ぶのです 私はトップレスの ダンサーです 罪を犯していますか 印心を受けられますか はい 受けられます 私の目で見ると誰も 有罪ではありません それは 社会の条件です 誰もが様々な仕事をし 誰もが違いますが 生き抜くための 困難です しかし誰もが皆 女神であり神です 皆誰にも 仏性があります 悟りを開いた後 再び 生まれ変わりますか 印心後 再び戻って 来るかどうか ですね はい いいえ 違います 望まないなら来ません

戻ることを望むなら 戻ってきます 印心後 戻りたいと望むなら 何かの目的のためとか まだ現世に 願望を残しているなら 戻って来るでしょう さもなければ来ません 来る必要はありません マスターはあなたを 直接により高い所に 連れて行きます そこで 私達は多くの 他の事をします より高い目的 より高い恩恵 より高いレベルの教育 人の悟りは 涅槃に入ることと どう関連しますか 「涅槃」は至福  喜び 法悦の意味です 悟った後 時々サマディーに 深く入り  涅槃を体験します 印心後 毎日あるいは 週に一度かたぶん時々 いわゆる涅槃を 体験できます

それはどれほど純粋か どれほど修行に勤勉か どれほど信心が あるかによります そして死後 大涅槃を 体験します 二度と戻って来る 必要はありません   今毎日体験する 小涅槃はたぶん 30分の至福でしょう それから 仕事に 戻らねばなりません または妻に呼ばれたり 子供達に呼ばれます それで 必ずしも 大涅槃を体験するとは 限りません この世界との繋がりを 断った後 常に涅槃に いることが出来ますよ

仏教で言われた 多くの生涯の教義は キリスト教徒の 一回だけの生涯の 教えと一致しますか いいえ それは誤解です キリスト教は 生涯が一回しかないと 教えていません それは聖書が 長い間に人々に よって削除 検閲 整理され 多くの 真実を隠したからで 私達が明確にそれを 理解しないからです さもなければ 覚えているなら イエスがまだ地球上に いた時 人が彼に聞きました 「あなた以前の偉大な 予言者の誰々の生まれ 変わりですか」と 彼は沈黙を守りました その当時 彼が沈黙を 守ったのは受け入れた ことを意味します

さもなければ 彼は 激しく否定するはずで 彼は拒絶して言います 「いいえ いいえ それはでたらめです 他の生涯はない輪廻は ない 何にもない」と 分かりますか あらゆる宗教は 輪廻について話します 多くの生涯の教えを 意味します 一回の生涯しか ないとしたら 徳高くなり 善行を する必要がありません その後終わりました 分かりますか 下線部はそれです 多くの生涯です 又聖書は言います 「蒔いた種は 刈らねばならぬ」 他の生涯がなければ 蒔いたものを どう刈り取りますか 多くの人々を見る ことができるからです

彼らは悪いことをして 非常に快適な 生活を送ります ある人々は非常に 高潔で良くてとても 謙虚ですが 彼らは非常に哀れで 時々抑圧された 生活を送ります それで神がいるなら どのように神の慈悲を 正当化できますか 私達が蒔いたものを 刈るために 輪廻があるはずです 私達はより知的で なければならず 理解を広げて ただその「輪廻」又は 「輪廻しない」言葉に 執着しないで下さい 多くの先生は 異なる方法で その意見と 悟りを表します 分かりますか 昨日既に話したように 奥さんを「ダーリン」 「ハニーパイ」 「シュガーキャンディ」 「スイートハート」と 呼びます 心が甘くなると 想像してみてください

心を味見したことが ありますか スイートハート  あるいは何でも 異なる表現の形です いいですか ある人が言います 「妻をとても 愛している」と これはとても 標準的で 正しく  明確な表現ですが こう言う人もいます 「妻がいなければ 生きていけない」と 分りますか 彼の意味を 理解すべきです 彼は妻を非常に愛して いるという意味です 最初の人が 言ったのと同じです 「妻をとても 愛している」と もう一人は言いました 「妻がいなければ 生きていけない」と またもう一人は「妻と 一日でも別れたら  生活は無意味になる」 と言ったりします 同じことです 皆ラブストーリーに 精通しているのに 聖書は分からないとは 驚きです 多くの人にとっては 恋の表現は 理解できますが  神聖な教えには 馴染みがなく 当惑してしまいます

なぜ 理解できません 同じことです 開悟は修行の 最高の果位ですか イエスキリストは 究極の開悟に達して いないと言われます マスターは 究極の開悟に 達していますか 最高レベルは何ですか 「究極」は 最高の果位のことです 開悟は 究極のレベルを 意味していません 分りますか 開悟は単なる 始まりに過ぎません 完全に開悟して はじめて 究極の レベルになります 開悟には多くの レベルがあります イエスキリストも既に 最高のレベルに達した ことに触れていました 彼は「私と父は一体 です」と言いました 父とは神のことです

神と一体です 彼は神である意味です 最高レベルではない 訳がありますか 冗談でしょう 私が究極の開悟を 得たかどうかは ゆっくり確認すれば いいでしょう 得たと言えば  信じてくれないかも 得ていないと言えば 嘘つきになります こういう質問でしたね 開悟は 究極を意味しますか イエスキリストは 自分は最高レベルに 達していないと言った ことがありますと 三番目の質問で  私に「究極の開悟  最高のレベルに 達したかどうか」を 聞いたのですね それで  これが私の答えです 開悟は最高レベルを 意味していません

開悟には多くの レベルがあり 完全に 開悟して初めて  最高レベルに達したと  言えます 卒業した ことになります それでも 学ぶものは まだまだ多くあります そこは終わりではなく あなたに無尽の宝と 智慧があります 完全に開悟して 止まれるでしょうか 卒業しただけです 医学博士を卒業しても 実践する時 まだ多く 学ばなければ なりません 永遠に学ぶのです でも あなたは 既に卒業をして  医者になっています だから あなたは 仏陀になりキリストの ようになり  仕事を始めるわけです  経験と実践から もっと多く学ぶのです

いいですね 以上最初の質問でした 次は二番目の質問です イエスは最高レベルに 達してないと言ったと どこで言いましたか 「私と父は一体です」 と彼が言ったことしか 覚えていません 「私と神は一体です」 彼が神と一体なら 彼は何でしょうか 彼は何ですか 神です これは最高の果位です 文字にしがみつく のではなく 行間を 読み取るべきです これこそ人々が 戦い合う原因です 宗教間で血まみれの 戦争を始める原因です 言葉はその原因です 他に何もありません 悲しいことです 本当に悲しいことです こんなに無知なレベル まで落ちているとは 分りますか このような 言葉のために  全世界は戦っています

だから ずっと平和を 得られないわけです 兄弟愛を得られない わけです お互い理解し合えない わけです 世界を見てご覧なさい どんな低いレベルに 落ちていますか こんな簡単なことさえ 理解できません 三番目の質問です 私が究極のレベルに 達しているかどうかに 関してです 彼に自分でゆっくり 観察し チェックし 結論を見付けるように アドバイスしました 「はい」と答えたら 信じてもらえません 「いいえ」と答えたら 嘘つきになります これが答えです

イエスキリストは 「私は真理であり 道です」と言いました キリスト教は唯一の 真理だという意味です はいキリスト教徒は 唯一の真理です でも仏教徒も 唯一の真理で 道教徒もまた 唯一の真理です 偉大なマスターが 話す事のみが 唯一の真理です 全宗教が キリスト教徒であり 全宗教が 仏教徒なのです ありがとうございます マスターが 開悟した時 神と一つになります 彼は真理であり 道であり この世の光なのです いいですか あなたも彼のように なることができます だから彼は言いました 「今日私にできた事は あなたは明日更に よくできるだろう」と 彼は「私だけが偉大な 事をなせる」とは 言っていません 仏陀も「宇宙の中で 私が唯一仏陀である」 とは言っていません 彼は「私の前に ガンジス川の砂ほどの 無数の者達がいる 沢山の仏陀です 「私の後にも沢山いる」 と言っています 同じ事です 「私は仏陀になった 皆も仏陀になれる」と 皆平等です

気候緩和費用を 32兆米ドル節約 世界の人々の健康を 回復させる 私達と次世代のために 地球を救う

何を待っていますか

ベジになって エコを実践 地球を救うために

毎年 何百万人もの 気候難民を減らす 災害によって失う 人命を救う 多くの島国を 沈下から救う 多くの海洋を 酸性化と酸欠海域に なることから守る 氷河 湖 河川を 枯渇から守る 国々を 砂漠化から守る 地球の肺を 森林破壊から守る 子供を含め 十億もの市民を 飢餓から救う
なぜ私達は恩恵から 落ち 結局この境界に いるのでしょう なぜ 選択したからです 私達は冒険する 選択をしたのです ダイバーの話を しましたね 私達は通常この地上に 暮らしています 非常に快適で 十分な 空気があり問題なくて でも私達が海に潜り 新しい何かを発見する 選択をしたとします 海中にいる間は 私達にとって自然な 環境ではありません 寒さに苦しみ 痙攣に苦しみ 暗闇に苦しみます 深く潜るほど暗くなり 冷たくなります そして私達はそこで 苦しみますので 戻らねばなりません そうですね 

一度 苦しめば十分でしょう 戻りたくなります 私達は今 実際は 恩恵から落ちては いません もっと何かを学ぶ 選択をしたのです 自分の智慧や 意識や知性を広げる ためにです そして 私達はすでに幾らか 十分学びました もう十分だと感じます ある人々は十分 学んだと感じ家に 帰りたいと思います これらの人々のために 私が控えています 家に帰りたくない人も います いいでしょう 自分で対処させます 実際「恩恵から 落ちる」のではなく ただ言い方なだけです 私達は永遠に純粋です

いいですか 私達がする全てが学習 学びにすぎません 誰も死なず どの魂も死にません 実際 誰も 罪を犯していません でもあなたは後で 理解するでしょう 出かけて人々を殺し 盗み「だってマスター チンハイは誰も罪を 犯してないと言った」 からではありません いいえそうではなく そういう意味ではなく こういう事をあなたは 止めるべきなのです 既に十分学びましたね 宇宙の構造を ご説明頂きたいと 思いますが

私に付いてきて下さい 私は日々 ご説明します 今日は無理です 残念ですが 大変な任務ですが 五分でそれをしろと 要求しています 何という奇跡 イエスでさえそうする 事はできませんでした まじめに修行すれば わかるでしょう 何度も 何年も 何カ月もすれば あなたはどんどん 知るようになります でもある人々は 印心を受けただけで 既に分かっています 彼らの 最後の人生で 修行したからです 試してみて下さい 私から学ぶ必要は ありません 中古品です 自身で知るべきです あなたと私は 同じです

肉と骨の中にいます あなたは更に 偉大で 高く 太った 階級を持ちます より太って偉大で高い 仏陀になるべきです 私より偉大になるかも しれず 私から何も 学ぶ必要はないです 自身で学んで下さい 私は自分で学ぶ方法を 示すだけです どうやって自分で 立ちあがり自分自身を 知るか 真の価値を 貴重な本性を知る 方法を示すだけです 自身で行うべきです 何が本物で 何が偽物ですか 何が絶対でしょうか

満足させるよう努力し あなたにはどの質問も 重要だと知ってますが 私は軽く受け止めます しかし時に説明が 非常に困難なのです 考えさせてください いいですか 私達が内面の智慧を 発展させると 高いレベルの理解に 到達します いわゆる 意識と呼ぶものです 私達は 異なる見地から 物事を見るのです 以前 本物で重要だと 思っていた事が 突然意味を失くし さして重要でも 本物でもなくなります まるで夜 夢を 見ている時のようです 全てが本物のようで 恐れたり 裕福だったり 楽しんだり 泣いたり 笑ったり していました

目が覚めると 夢はまだ鮮やかに記憶 されてますが それは 現実ではありません 分りますか 覚えています それが夢の中に存在 したと知っています 幸せだったか 惨めだったか関係なく 現実ではありません 実質がありません 今のように 私達一般人は 物質は形態を備えた 物だと考えることを 知っています しかし形のある物は皆 異なる密度の光 エネルギーと振動に よって組成されてると 科学は証明しています それで彼らは異なる 見地から物事を見ます 理解できますか 体が本当に 非現実的に見えます それは私達の状況と 類似しています

一旦悟りを開いたら 異なる知性レべルから 物事を見ます この世の物事は 夢と同じだったり 海の泡のようだったり 私達の興味を そそりません それが存在しないと いうわけではなく 本物の人の 影のようなのです 私達はもう それを求めません 人を求めます 中国に李白という名の 非常に有名な詩人が いました ある夜 彼は酔っ払い 湖の月影を 本物だと見誤りました 彼は月が大好きで 好きな月をつかむため 湖に跳び込みました 彼は今夜それがとても 近いのを見たので 通常月は非常に高く 「今夜は こんなに近くに来た」 彼は湖の後ろを歩き 月を見ました 彼は言いました

「ああ月が好きだ」 跳び降りて 溺れました 彼が酔っ払って いなかったら 分別があったでしょう 私達が無明でなかった なら物事をよりよく 知るでしょう ですから早く悟りを 開いて 本物を知って 下さい いいですか 「究極」 とは いわゆる「道」 「仏性」 または 「全能の神」のことです いったん宇宙に最も 偉大な御方がいると 知ったら 私達はそれを衆生 非衆生  不可視の衆生とか 全能の衆生と呼びます 「唯一の御方」 「核心のパワー」 そこから宇宙の 万物が生まれます 一旦このパワーを 認識したら私達は どこから来たかが 分ります

いいですか 自身にどんな力を 備えているかも分る それは私達が 「至高の」あるいは 究極の開悟を了解する 時です いいですか どのように悟りを 開いたかもう少し 話して下さいませんか 努力してみます 誰もが他人が いかに悟りを開いたか 知りたがります なぜ自分がどのように 悟りを開くか知りたい と思わないのですか たとえ私が 開悟は突然やって来る と言っても それは段階的な プロセスですね 私は子供の頃から ときおり 多少は修行していて 多種の哲学と この世の現象に 興味があり 開悟を祈願しました 私がヨーロッパの 教会に入った時 ヨーロッパには 寺がないからです

実は一つ見つけるのも 難しいのです いずれにしろ一つか 二つですが 私が神に届けた 唯一の祈りは 「ああ神よ あなたが 本当に存在するなら 知らせて下さい 私に見せて下さい」 それだけを祈りました 他に何も 祈りませんでした 私はこのように 祈っていました 仏陀にも同じように 祈っていました 同様に 仏陀に言いました 人があなたを信じない のではなく あなたが 見えないからです だから私達の目を開く のを手伝って下さい

私達の目を開けて あなたを見せて下さい それで信じられます あなたを信じないと 彼らを責めないで あなたを信じるように 彼らを祝福し 助け 加護して下さい」と しばしばこのような 気持ちで常に仏陀に 呼びかけました 「人が目を開けて あなたを見るのを 私に手伝えるなら 力を授けて下さい 方法を教えて下さい そしたら人は あなたを信じ 地獄に落ちません 無明のためや 仏陀または神の 偉大さを知らない為に 苦しみません」 それが私の祈りの 全てです

そしてそれは ゆっくりと一つずつ かなえられました 私が悟りを開く 前でさえ ある種の内面の 体験がありました 仏陀からの加護で 仏陀または神の パワーによって 引き上げられた多くの 体験がありました 突然 私が悲しみから来て 目を開いたら 悟りを 開いたのではないです だからあなたが 私に近寄り  突然悟りを開いたら それもあなたの徳 誠実な渇望に よるものです 分りますか そしてあなたの率直さ ですから時間が来たら 果物は熟しますが 果物はずっとそこに あったのです 今私は悟りを開いた というふうにね

深い瞑想の間 実は 深い眠りのようです 私は素晴らしい体験を した事がありました。 天の父と一体になって いいですか それしか言えません どうしてこの成果に 辿りつくか分りません ただ来ただけです 「即刻開悟」について もうすこし ご説明頂けますか コンサートの ピアニストのように モーツァルトや ベートーベンが弾ける ように懸命に練習し 新学生は条件なしに モーツァルトの練習を 始められますか 二つ異なる質問を 聞いていますが 一緒に関連付けられて 簡単です

開悟は皆さんが 最既にも偉いレベルに 達したという意味では ないです 分りますか 以前全くピアノに 触ったことがないと それぞれの鍵盤の音が 分らないのと同じです それでいいですが ピアノの先生の所に 行けば 先生は 直ちに教えてくれます これが ド レ ミ ファ ソ・・ 楽譜や小さな曲を くれて 練習させてくれます すると何とか音が 出せます 既に そうでしょう そして クリン クリンクリンと聞こえ こう思います 「少し弾けるぞ」 二、三時間練習すれば その曲が弾けるように なります

一曲だけですが もっと練習すれば もっと沢山知ります もっと熟練して 素晴しくなります 同様に 「突然の開悟」とは すぐさま悟りを 開きますが 仏陀になったという 意味ではありません 全てを知ってるという 意味でもありません 毎日もっと 修行せねばなりません こうは言いません 「悟りを得たので 家に帰って寝て下さい 怠けて下さい」いいえ 毎日二時間半 私は要求します ピアノのレッスンと 同様に毎日 練習しなければ 少なくても一時間 二時間 三時間で 何かになりやいと 思うのであれば モーツァルトや ベートーベンを弾けて いいでしょう 先生の指導のもとで 練習したら できるでしょう そうですね ええ 明確ですね

まだ分らなかったら 聞いて下さい 説明します ピアノリストでさえ いい先生が必要です はい 皆先生が必要です モーツァルトだって 四歳から引けましたが それは 彼の前世の 印象によるもので それでも長い時間 練習しなければ ただそうはなれません 分りますか 練習が必要です 瞑想すればするほど 私が見たものは 時々本物で 真実ですが 偽者かもしれません 私は仏国土を 見たことがあって 七本の豪華な木があり 宝樹と言います 木の下に七人の衆生が 見えました その七人の衆生は 何を意味しますか

どうやって深く高い レベルに行けますか この質問をした人は 印心していますか この方は印心者ですか 誰の質問ですか 印心しましたか いえ まだです ええ あなたの方法で 説明してみましょう 私の用語で説明すると あなたは分らないので それで聞いたのです どれくらい 瞑想してきましたか どれくらい 修行しましたか もっと修行すべきです そうすると これらの偉大な衆生は 誰だか分ります 彼らの要望も私に 教えることもできます それで答えられます 彼らに光がありますか 彼らの周りに 光がありますか マスターはいません いいでしょう でも私は病気です 糖尿病です 夜眠れません 本を読んだら 寝る前に瞑想すれば よく寝られると 書いてありました それから 瞑想し始めたのです ときおりですが 四、五年瞑想しました

瞑想の間沢山のことが 起りました 例えば 多くのものが見えます 良いものか悪いものか 分りません 分ります でも 仏教の経典から 習ったのは それを幻想 偽りだと 見なしています 分かりました しかし それらを見るたびに 実生活に起るのです とても不思議でした 偽りだったら なぜ 実生活で起こりますか 本物だったら 何か・・・ 地球が回っています 回っています それで どんどん 速くなりました それで思ったのは 祖先が言う 天国の一日は 地上の十年に当たると いうのは これかもしれないと 恐らくこれはある種の 現実なのでしょう

しかし その時 私が座ったところに 戻るべきと思いました その時 私の体は見えなくて 自分自身が 見つかりませんでした それで 私の意識は どこに行ったのかと しかしこう思った時 私は元の場所に戻って 座っていました また戻ってきました (そうです)でしょう 考えない方がいいです 考えると 頭脳が働き始めます 一回 何かが見えました それは西方世界 だったと思います 霊的な世界と 呼ぶことにします つまり この霊的な世界では 交流には 言葉を使いません はい その代わりに ある脳波を使います

テレパシーを使います あるとても遠い場所で 金色の土を見たことが ありました 沢山の人々がそこで 講義を聞いていました 人々はとても 様々な王朝を代表する 衣装を着ていました 遠くにいたのですが それは西方世界だと 感じる事ができました 遠くないところに 七本の木が見えました 葉はフォルモサ (台湾)のアカシアの 葉に似ていました すべての木と葉は 透明でした 手に取って見ました 不思議な感じでした 七人の人が木の下に 座っているのが見え 中には 仏教徒 道教徒がいて その他の名は難しく 妖精に見えました

ええ 以前この現実社会では このような経験をした ことがありません クリスチャンでした 分ります それらすべてがとても 不思議に感じました その上 瞑想するたびに 彼自身 この体が「 自分自身に身体的な メッセージを与えます 鍼灸のつぼを探し 両手をひねって姿勢を とることも出来ます クリスチャンとして とても異常です 説明できません キリスト教の教えに 従って説明することが 出来ません 私達には何ができます それで 多くの手の ポーズがある 沢山のタントラの本を 参照してきました いくつか似ている手の ポーズを見つけました

ええ分かります これまで  まだ答えを探し続けて 調べていますが 近い将来 何が起きているかを 教えてくれる 良い先生を見つける ことを望んでいます いいでしょう 天台宗の本を 読んだことありますか いいえ ないですか はい 天台宗の本に 説明が されています 修行をして ある段階に達したら そんなに高くなく 高くなる必要はなく いわゆる針治療のつぼ 気の道が開かれる つぼのことです それを開いた時  気が動き回るのです 分かりますか 体を動かすのです

しかし そんなに 高くありません それが偉大だとは 考えないで下さい これがあなたの 最初の質問の答えです 次は ビジョンについてです 比較的 高い段階にあります これをいわゆる 浄土と言います でもまた来るのですか それとも一度だけ あなたはビジョンを また見たのですか それは異なる 視覚です 異なります 戻って来ません 時に 幽霊を 見たことがあります 私に経典を唱えろと 幽霊が言います 出来ないと言いました

そのような幽霊は とても珍しいです そういうことです あなたは私から印心を 受けていないですし 問題をどのように 言えば良いか分からず あなたに秘密の方法で 認識させます 例えば ちょっとした 秘密の方法があります より良いのがあります でも印心をしていない あなたには言えません なぜなら 仕組みが 違うので  私が伝えてもあなたは 理解できないのです また これは五分で 完全に説明する ことは出来ません そういうことです どのビジョンを見ても 例えば仏陀や 仏陀の地などを見ても 戻って来た後 体はとても居心地良く 感じていて とても 幸せな精神になれば それは正しいという 意味になります

何かを見た後 戻ってきたら 体が疲れたり 消耗してたら 視覚は偽物だという こと 分かりますか また 光を持ってる人 またはとても明るい 光を持った人を 見た時 その人が とても慈悲があるなら 本物の人です 光や智慧眼を 持っていなくて 慈悲深くないなら それは魔の幻想だと いう意味です 真のビジョンと偽りの ビジョンがあります 釈迦牟尼仏は 全てのビジョンは 幻想だと言いました この世界の事です 分かりますか 上に実在する世界が ない訳ではないです 本当の世界とは どういうことですか 私達はどこへ 行くのでしょう どこも空っぽで 死ぬには寒いですか 分かりますか はい ある男性が マスターなしで五年間 瞑想をしていました

彼はマスターを 探しています 良い人がいれば 今マスターなしで 彼は自分で瞑想を しようとしています そして時に沢山の 不思議なことを体験し 時に 彼は仏陀を 見たのです 時に悪魔なども 見ます そしてある時  仏国土をみたのです いわゆる仏土 そしてある人が 七人の賢者がいて (僧侶 仏教僧) 木の下で 瞑想をしていました 彼は不思議に思い 彼はカトリック教徒 キリスト教なので なぜ仏土を 見たのか 不思議に思ったのです 以前話したように 仏国土 または 神の王国は 同じものです 一カ所しかありません

分かりますか 一カ所と言う意味では なく同じ本質です 分かりますか 異なる人が 異なる 名前で呼ぶのです クッキーとハニーパイ と同じで説明しました ですからたとえ あなたが仏教徒や カトリック教徒や キリスト教徒や イスラム教徒でも 戒律に従い 特定の方法で 瞑想をすれば 同じ結果が得られます そしたらあなたは 神や仏陀の本質が 一つだということが 分かります 道もまた同様です 一つだけです そして全ての天国や 仏国土は 全く同じ 本質なのです 東の仏国土や 西の仏国土地に 全ての仏国土に 行けばよいのです 家で違う部屋に 行くように 全てあなたの家ですが 異なる需要があります

時に 寝室に 行きたかったり 時に居間に 行きたかったりします また 仏陀が言った 全ての現象は実在 しないのか 全ての 表明されている現象や 世界は実在しないのか 彼は知りたいのです 私は彼に言いました 「虚偽もあり 実在するのもある」と 瞑想から目覚めて 身体が心地よく感じ 喜びで いっぱいなら それは あなたが見たもの 行ったところは 実在するのです 眠かったり 疲れたり 消耗したりするなら 阿修羅界 あなたのエネルギーを  崩す幻想に間違って 導かれたのでしょう

しかし どの場合でも 指導なしで 修行した場合で 時に危険なのです しかし 心が非常に 純粋で 意図意が とても正しいなら あなたは天使や 菩薩に 守られます 意図を純粋に 誠実に 保ち 高潔な生活を 送るのです マスターなしでも 守られます 分かりましたか 誰か存在する 恐ろしい者が居たとき ただ神や仏陀に 祈るのです 仏陀に祈れば 最も高位な仏陀や 全能の神が 問題を 消してくれます でもマスターから 印心を受けたら マスターがあなたに 全ての道の詳細と それらに対する 対処法を教えてくれ どのように偽者と 本物を認識するか 自身をどう守るか 助けを求める方法や 誰を呼ぶかなどです より詳細で安全です 分かりましたか 私は人生でマスターに 会い神に感謝します 本物だと分かります

彼は偉大な御方に 出会ったようですね 精霊や神というのは 私達の肉体の 本質という意味ですか そうですなる 聖霊というのは私達の 肉体の本質のことです そこから来たのです そして皆さんが 智慧の非常に 高い段階に到達すると この肉体もまた聖霊で 高度な振動から 来たことが分かります この種の形態だけに 濃縮されたのです だから皆さんが非常に 高い修行をしたり 高い修行を積んだ師は そこに座っても師を 見ることはできません それでも皆さんは より高く進歩するか マスターの恩恵を得る 必要があります

あなたにはマスターの 姿は全く見えずただ 光だけがそこにあり そしてその光は とても偉大で会場中の 聴衆を包み込みます 誰も見えません 他がどうでも関係なく その光景が見えます 本当に空っぽです その状態がいわゆる 「空」です でも「空」の状態で 皆さんは満たされ 満足しています それはこの世界の 一般的な空虚のような 空っぽで 孤独に置き去りになる ことではありません 皆さんが霊的に 空になればなるほど ますます満たされ より賢明になります 全く違うのです

この世界の言葉は ひどいもので それが 皆が仏教を虚無主義や 何もない空虚と 誤解する理由です 違うのです 全てが虚無になり 何も無い状態に なってしまうなら 仏陀は戒律を守り 良い人になり 徳のある人になる事を 強調する事は決して なかったでしょう 何の役に立ちますか どのみち無になって しまうとしたら 空虚になります そうではありません マスターによって 語られた真実は 仏陀とイエスは 一つということですね 神も一つですか ええその通りです すでにお分かりですね 釈迦牟尼仏の 教えから 向上するために 仏教徒になる必要は ないというのが 真実なのですね そうです 公的な仏教徒になる 必要はありません 「仏教徒」とは 徳のある生活をし 仏陀が説法した通りに 行う人のことです 寺院に行ったり僧侶の もとに駆け込んだり する必要はありません あなたが良い人で 仏陀の教えに従って 生きていれば あなたは仏教徒です それに名づける必要は 全くありません

死後の人生がある事を どのように 証明しますか

死後の人生がある事を どのように 証明しますか そうですね この事について まだあなたが 悟っていないなら 開悟するべきです そうすればわかります ある人々は 公式に悟りを 得ていなくても 鋭い洞察力のために 死後の世界を 見ることが出来ます ある人々は透視力を 得るためにマスターに つく必要があります ある程度の悟りを 得た後あなたは これら全ての事が 分かるようになります 証明は簡単ですが 修行が必要です これらの事は 手に触れない 内面の不可視の 知識に属します 物質的性質の 知識があり 不可視の性質の 知識があります あなたが不可視の 知識を証明したいなら 不可視の 理論や学校に進み 目に見えない法門を 修行すべきです 非物質的事柄を 証明するために物質を 使うことは出来ません でも違う方法で 私達は証明できます

あなたの開悟の方法は どういったもので そしてそれがあなたの 身に起こった瞬間を 特別に感じましたか いいえ 伝達のその時皆さんは ただそこに座り私も 座っているだけです 何もしませんし どんな言葉も 話しません 少しも動きませんが 光を得て 悟りを開くのです 私達は肉体を離れて 天国に行けます あるいは少なくとも 天国の光を観たり 天国の音を聴いたり 神の教えを聞いて 日に日に 賢くなれるのです 私が授ける法は 手順方法ではないので あなたに書いて あげられません

私は個人的不可視に じっと静かにあなたに それを開きます 為さずに為すのです 何かが あらゆる動作や興奮 動きを含むなら それはまだ形態と 物質のこの世界に 属するのです それで私達の法門は 非物質 非形式の方法です でも それは伝送し 受け取り 所持する ことができます 何故そうなるのですか それは悟りが 自身の内面に 存在しているからです 光はあなたの内面に あり 仏性はあなたの 内面に存在しています 神の王国はあなたの 内面にあります

私はそれを示すだけで 「ここです この ように見れば見える」 時々眼鏡を持ちながら あちこちそれを 探し続けるので 私は 「ここでこのように して」と言います 法門はないのです 既に持っています 私を信じて下さい あなたを悟らせる 法門はありません あなたが自分の本性を 知ってそれと接触する 必要があることだけ それが唯一の法門です あなたに すぐに仏性を見せ  すぐに天国を見せる 法門が観音法門です それは正しい法門です それは 正確な法門です 望めば どんな名前で 呼んでもいいですが 法門はありません

単なる神の力が 選ばれた 純粋な体に降り  あなた自身の神の力を 開けるだけです 神が神を救うのです 仏陀が 仏陀を救うのです 仏陀が仏陀に 悟らせるのです あなたに内在する 仏陀が目覚めることを 選択するのです 私の内面の仏陀と あなたの内面の仏陀は 一つです あなたがまだそれを 知らないので あなたの内面の仏陀は 外面の体に現れて それを覚醒させねば なりません しかしあなたを覚醒 させるのは自身です あなたの 内面の仏性が この時を選ぶのです 目覚まし時計が鳴って 起きます 難しいです

私はあなたに 何も教えません あなたが自分自身に 教えるのです あなたの内面の 仏陀が起きて  自分が誰かが分り  自分の能力と智慧を 使い始めるのです 従って その後 あなたは誰もマスター でないと理解します 誰もが平等です 誰にも同じ可能性が あり その使い方を 忘れただけです 覚えていて 知ってる人があなたに 思い出させます それだけです あなたのポケットには 既にお金があれば 私はあなたにお金が ここにあると言って あなたに何も与えず ただあなたが忘れた ものを思い出させます ですから

私はどんな法門も 使いません お金はあなたのもの しかしマスターは 私達の智慧眼を 開きます そうですね そうとも言えます でもそれは私の仕事で 私の功労であるとは 言えません ええ しかし宝物は既に あなたの内面にあり あなたに 宝物がなければ 私がどれほど広く ドアを開いても 多くの鍵を持ってても 関係ありません 中には何もないです 皆さんは レベルが高く 高い可能性を秘めた 偉大な存在です 私は皆さんが 自身の偉大さを知り 惨めさと無明から 離れることを 望むだけです

ビーガンの食事は 誰にでも出来ます それは最も持続可能な 生活様式も使用します それで気候変動を 阻止する より多くの 科学技術を開発する 時間ができるのです

スプリームマスター テレビジョン 一月十二日水曜日の 智慧の言葉で メキシコ カンクンの ラジオフォーミュラの スプリームマスター チンハイへの インタビューを ぜひご覧下さい

本日のスプリーム マスターテレビジョン 智慧の言葉にて スプリームマスター チンハイと ラジオフォーミュラ QR92・3FMとの 対談をご覧下さい
天国 仏国土は 単なる私達の頭脳の 想像に過ぎませんか 誰でも違う形式の 仏国土を見ます 現実ではこのような 物質存在がないですか それは想像の産物では ありません ある境界は 幻覚による幻想です 酸素が 不足しているとき 疲れているとき 薬物やアルコールが 入っていたり 苦しみを経験して いるとき 本当に 幻覚が生じます これらは非現実で 再びその境界に 戻ることはできません しかしいわゆる それらの仏国土や 本当の天国は 本当の見えない物質を 有しています

その後 いつでも 戻ることができます 境界が真実なら 何度も訪れられます 誰もが違う境界を 見るのではありません 私の弟子の多くは 同じ境界を見ますが 境界がそんなに 多いのでもちろん 誰かがそこに行き 誰かがここに行きます まるでこの世では そんなに多くの国が あります 幾人かがアメリカへ それは勿論です 疑いはありません でもイギリスが確かに 存在し 2人以上が 同時にそこに行けます この世界には 霊魂がありますか 或は単なる霊魂の レベルと無関係の 心理的な現象が私達の 心に働くだけですか 確かに魂は存在します

魂とは 中に閉じ込められた 霊のことです 私達の魂は 体の中に 閉じ込められていて この世界を離れる時 体を離れます これは解脱を意味する のではありません 依然 他の体に 包まれています 家に沢山の門が あるのと同じです 以前拘置所を訪れた時 小さい門 鉄の門など 十三の門があって 入る時一つ一つ開き 入った後は 一つ一つ閉まります 犯人達に合うためには 十三の門を潜り また十三の門を通って 出てきたのです 看守が 一つか二つの門しか 開けないとしたら 依然 拘置所内にいて 自由になっていません

必ず最後の門 外に通じる門を 出てこそ 再び 自由の世界に 戻れます 同様に私達が 肉体を離れることは 他の体からも 離れたということでは ありません 私達は肉体以外にも 体も持っていて  時には別の眼で または陰陽の眼で 魂を見ることが できます それら阿修羅の体を 持った魂は時々 あちこち飛び回ったり 時にはトラブルを 起こすこともあります 時にはおとなしいです ある徳の高い出家者は 過去や未来を 見ることができます 運命は定められて いるのですか ということは人は 運命を変えることは 難しいということです 過去や未来を見る事は 難しくないです

とても簡単で 低いレベルに 過ぎません 自慢したり誇りに思う ほどの事ではないです 私の弟子達は人に 過去未来を教えては いけないことに なってます いわゆる 運命は自身の努力と 道徳と瞑想の力で ある程度 変えることが できます 完全に変えると 死ぬことになります この世界に残る理由が なくなるのです カルマ(報い)が ないと この世界を 離れねばなりません 従って時には カルマ(報い)が あって初めて この世界と関係があり ここに残って責任を 果たすことができます なぜ高僧は 強い意識の力で 雲を動かしたり 事実を変えたり病気を 治療したりしますか

その背後の原理と 仕組みは何ですか それはただ意識を 集中した時の力で 特別なことはなく ただの集中力なのです これも低レベルの ものです 申しわけありませんが 神通力といったものは 第一世界 つまり 阿修羅の世界のもので そこは神通力と魔術で 満ち溢れていて 意識の力です 魂の力ではありません 魂の力は より高いレベルです 地獄をも変えられます 雲を動かすなど 取るに足りない事です 私達も何回か やったことがあります 面白がってたので 見せるために わざとではないです 時々私の弟子たちは 私と一緒に 瞑想をする時 曇った夜なのに 私達の頭上の空の方は きれいに晴れていて 星まで見えるのです

私達の頭上の空だけが 丸く囲まれたように 晴れています 弟子達は大変不思議に 思っていますが 私は 不思議な事は何もない と言いました 開悟したマスターの 光はとても強く 何でも貫通します しかも遠くまで 照らし とても熱く 異なる 無形での熱さです 雲を払いのけます しかしそれら いわゆる高僧達は ものすごい力を使って 雲を動かします また故意にやらないと できません やった 後は力が尽きます 私は高僧達がこれを しているのを知って いて やった後は 力が尽きた感じになり 何日間も休まなければ なりません

私達は何もしません そこに座って 瞑想するだけです 何も構わなくても 雲は独りでに動きます それを見たいですか 印心を受けて下さい すると 自分で 雲を動かせます  子供だましのような 神通力に対し 不思議がる 必要はありません 神通力は実に 子供じみた 達成感です 肉を三十年も 四十年も食べて いきなり止めると 病気になりませんか 直ちに止めると 病気になるどころか 健康になります 病院は食肉の人で 溢れています アメリカ人は 肉を大量に摂ります ご存じのように 癌発生率が 世界一位です 研究者の研究を見れば 分かることで 私を 信じる必要ありません アメリカの癌発生率は 世界一で 肉の消費も世界一です

私は内面の光を 体験してみたいと 思っていますが 印心後 数ヵ月後 再び 肉を食べると どんな 影響がありますか 自分で分かります 分かるはずです 今その話は早いです その種の逃げ道を 前もって用意しない 方がいいと思います ある女性と結婚する のと同じことです 結婚するのは あなたが本当に相手が 好きで真摯に彼女と 一生一緒にいたいから あなたの誠意で選択し 約束するのであり 軽率に ある女性の手を取り あなたと結婚したい しかし数ヵ月後 別の女性とデートする かもしれない というのはいけません

これは不公平です そうではありませんか もちろんあなたは 故意にではなく 状況に迫られてすると 思いますがこのような 心持ちでは 印心を 受けてはいけません いっそのこと受けない ことです でないと 問題が生じます 仏陀を 騙すつもりですか 印心で 悪いカルマ(報い)を 洗い落とすことと キリスト教の洗礼で 原罪を 洗い流すこととは どう違うのですか そうですか 原罪は洗われましたか なぜ日曜日ごとに 懺悔に来るのですか 原罪が洗われた感じが しないからです 真の洗礼はキリストの ような人から来ます

洗礼者ヨハネやイエス キリストのパワーが 洗い流すのであって 儀式ではありません 例えば小切手を 振り出しても銀行に お金がないのと同じ 小切手を振り出しても 背後にお金があると いうのは違います 洗礼は キリスト教の 素晴らしい儀式です 仏教にもあります 仏教では洗礼を 「帰依」といい 仏陀の庇護を求めます 帰依するとき 大きな声で 読み上げます 仏陀に帰依した後は 悪いカルマ(報い)が 洗われて 地獄に落ちたり 動物に生まれること などないとしています 多くの帰依者が地獄に 落ちたのを見ました

言葉や 儀式だけのものです 目に見えない神の力で こそ洗い流せます  というのは 原罪は 目に見えないからです 分かりますか 儀式や形式 外面の音で洗われる ものではありません 無形のパワーでこそ 形のない原罪を 洗い流せます 道理にかなって いませんか 修行は論理的でないと いけません 盲目的に 人の言うことに 従ってはいけません 笑いものになり からかわれ 馬鹿にされます そうしてから 後できっと 誰かに懺悔します すると少し安心感を 得るかも知れませんが 再び罪を犯し 少しも高揚された 感じがありません

イエスが人々に洗礼を 施す時は 本当に 罪を洗い流したのです 洗礼者ヨハネが人々に 洗礼を施す時も本当に 罪を洗い流しました だから人々は 天国の光を見たのです イエスがヨハネの 洗礼を受けたとき 天から鳩のような 光を見ています 印心の時 このような 光を見ます 少なくとも同じ光を 見て するとあなたは 少なくとも罪が洗われ 天国と繋がったことが 分かるのです でないと どうやって 分かりますか 突然 大変楽になります 山が肩から 降ろされた感じがあり 石が胸から退けられた 感じがします これこそ罪が 洗われた印なのです でなければ ただの 言葉と儀式です

洗礼で原罪を 消すことはできません 洗礼者は高いレベルで 開悟して 力がないと できません なぜ呼吸を抑える 法門はマスターの 法門と矛盾しますか それは私達の体には 二種類の気流があり 一つは発電の気と言い 実際に熱を発し 血液の循環や 消化系統の面倒を 見ています これは呼吸によって 行われるものなので 呼吸を コントロールすると 体の整った秩序を 乱してしまいます 神は私達に 完璧な体を創って くださいました やるべきことは 全部面倒を見ていて いじる必要はないです 私達がやるべき事は 魂を自由にすることで 体のシステムを 乱す事ではありません

時には 危険が伴います それに呼吸は 無常のもので 寝る時 呼吸に対する 感覚がなくなったり 気絶した時  事故に遭って 倒れた時 呼吸しているかどうか 自分でも分かりません その場合どうやって 呼吸法を修行しますか どうやって 魂を高揚させますか ですから 私達の法門は 魂が永遠に冴えた 状態でいられる法門で 寝る時も 事故に遭って 倒れた時も 災難に遭った時も 常にはっきり 自分の問題や事態を 処理することができ 明白に決定する ことができます 私達は魂を 呼び起こして 家の主である魂に 働いてもらいます すると二十四時間 働きます 私達は何も 考えなくてもいいです

祈る必要さえないです というのは内面の マスター 内面の仏陀 聖霊が 目を覚ました からです これが 真我です 分りますか この頭脳つまり愚かな コンピュータの話を 聞かなくもいいのです そこで 何をしても 正しいのです 分かっていても 分からなくても 常に正しいです 内面のマスターが 管理しているからです 下僕ではありません 呼吸を乱したり 体の気脈を乱すと 体の正常な秩序を 乱すだけで 幻想または幻覚が 現れたりします それは真実の世界では ありません これでは 智慧は発展せず 少しも賢くなりません

私もやったことがあり 多くの呼吸法を 高いレベルにまで 修行した人が 私の所に智慧を 求めにきています ある人は 中国で とても有名な マスターについて 呼吸法門を習っていて 名前は出しませんが 呼吸しなくても済む レベルまで 呼吸 せずに生きていられる レベルに達しましたが 智慧は少しも 発展していません 彼は 印心を受けにきました 今は大分違います あなたはヒマラヤで 誰に学んだのですか 一人のマスターです 偉大な人ですが すでに往生しています 彼にはたった一人の 弟子 私しかいません 私は彼の仕事を引き 継がねばなりません

彼は数百年も 生きましたが 一人の 弟子しかいません 山から下りた事がなく 偶然か定めでしょう 私は彼に会いました 私は沢山のマスターに ついたことがあります 初めて観音法門を 習ったわけでもなく 初めて開悟の体験を したわけでもないです このマスターに会う前 すでに開悟の体験を しています 法の伝授は 最後のマスターから 頂いたもので 私に法を伝授して 間もなく 彼は往生しました マスターあなたは今日 仏国土や天なる父の 住んでいる所に 沢山の家があると 語ってきましたが 語ってきましたが 詳しく述べて下さい

なぜ仏国土が存在する 必要があるのですか 私達が住んでいる 世界はあなたの目から 見れば浄土でないかも しれませんが 私にとって この世界は 純粋ですが あなたには違います 従ってあなたは自身の 浄土を見つける事です 維摩経には この世界は浄土だと 書いてありますが その意味は ここに座って 浄土を見て ここに座って仏土を 見ることができる それが目の前にある ということです これがいわゆる 自分のいる土地が即ち 浄土だという意味で これは本当ですが 皆がそうとは限らず 私と 私の弟子たち 比較的高いレベルまで 開悟した人にとっては そうですが 皆ではありません

人は皆ごみを見たり 山を見たり 川を見たりします そうですね 私が 浄土はここに すぐ目の前にあると 言っても それを区別しなければ なりません 私はいつも人に あなたは今 浄土に住んでいます 別の所に行く必要も 練習する必要も 道徳的なことも 瞑想をする 必要もなく 世界は即ち浄土です とは言えません これも正しくないです 阿弥陀仏の 極楽世界と 観音菩薩の世界と 私達の世界は どう違いますか 大いに違います あまりにも違います そこの世界は 悲しみもなく 恨みもなく 戦争もありません 互いに愛し 尊重するのみです この世界は 悩みと悲しみと 不幸に満ちていて 一分間の幸せと 十分間の苦しみと いった具合です

大いに違います 苦労して 建てた家も 地震で一瞬にして 崩壊し 住む所を 失ってしまい 長い間 電気も 水もない大変不便な 生活を強いられます サンフランシスコの 橋は 何年もかけて 多くのお金を使い 数億ドルを 費やし 労力をかけて 造りましたが 五十秒で消えました 浄土ではこういう事は あり得ません 永遠に安全で 愛と光と栄光の中で 過ごしています あまりにも違います 稼ぐ必要もなく 欲しいものはすぐ 目の前に現れます スーパーまで行く 必要もなく お金を替える 必要もありません

この浄土から 別の仏土に行く場合 パスポートも 必要なく 官僚主義の 問題もありません 今アメリカに行く場合 簡単ではありません 出て行くのも そう 簡単ではありません というのは お金とパスポート 他国へ入国する 正当な理由が 必要だからです 仏国土では そうではありません 行きたい所に 行けます 自由です なぜこの国では麻薬の 使用が深刻ですか 「気」とは何ですか なぜ麻薬使用が深刻か ということですね 私は分かっています 多くの原因があります

目に見える原因と 見えない原因が あります見える原因は 一般的な アメリカ人は 物質の面で 大変快適な生活を していますが 心は寂しく 孤独です ニューヨーク以外の 他の都市で 運転していると 数マイル走っても 一人の魂も 見つかりません 森と高速道路のみで 家屋が見えても 皆家の中にいて 自分は宇宙空間か 砂漠にいる感じがして 実に孤独です 隣同士の付き合いも めったになく まるで迷子のような 気持ちになるのです それに 長い時間 暗い夜で 自分が何をしたら いいかも分かりません そこで心の中は 開悟したい 生死の事を知りたい あらゆる貧困や この世界の不幸は どうしてか知りたい という渇望で 燃えています

だから 麻薬を使うのです なぜなら麻薬は 暫くの間 楽にさせ 現実の惨めさを 忘れさせるからです 人々が麻薬や アルコール または 麻酔剤を使うのは これが原因です 従って私は決して 麻薬使用者を責めず できるだけ 助けてあげるだけです だからここに来ている のです 無論弟子達の 要請があったから でもあります 解決法を提供したいと 思います あなたが孤独で 忠実で無条件に あなたを愛してくれる 友達がいないとしたら 私の所に来て下さい 一緒に いつまでも 一緒にいられます 友達が永遠にそこに いる感じになります

本当にそれが欲しくて 誠意があれば 私が 現れるのが見えます そしてあなたは 永遠の友達を得て あなたと 苦楽を共にし 苦難を共にし 常に最善を尽くして あなたにとって 最もいいもので 助けてあげます 安物の代用品で 自分の魂を慰める 必要はありません 一旦天国と繋がれば 天国には素晴らしい 慰め物があります 印心後 天国と繋がります 気とは何かですね それは体の感覚で 気の流れです 体が 暑くも寒くも感じたり 食べ物を消化させます それが気です

天国はどんな所ですか 家に帰って 阿弥陀経か  薬師経を読んで下さい 阿弥陀経 楞厳経 これらに天国について 記述してあります そこに行って 何をしますか 時空がありますか 色んな事ができます 好きな事ができます ここのように 低収入の仕事をして お金を稼いで 胃袋を満たすため ではなく 本当の意味で面白く 高揚できることです 色んな事を学び 色んな所に行き 多くの人と知り合い 沢山の新しい事を 見つけます

忙しくなります 忙しいのですが 喜んでやります 強いられたわけでなく 自発的にやります そこにも時間と空間が ありますが この世界の時空の 次元ではありません 印心はあなたの力に よるもので 私のではありません 開悟後これがなくなる ことはないですか いいえ 引き続き 修行すれば なくなる ことはないです 修行を続けないと そこでストップ したままになります 私の力は鍵を持ってる人と同じようなもので 私はあなたの 霊性面や 心の状態 魂に介入しません 傍で助けるだけです

あなたの内面の物は 失いません 発展しないだけです いいですか 私は印心は大学生に なることと言いました ある日瞑想のとき 光を見ました 私は感電死しそうに なりました 死ぬと思いました 訳が分かりません もっと分るように あれから他の事を もっと分かるように なったのですか それが開悟です その光は 強い電子の性質を もった光です この世界の言葉で 表現するとそうです だからその光が 体に接した時 強力なパワーに 化します

だから私達は菜食をし 道徳的な生活を せねばならないのです するとそんなに ショックを受けません 高い振動力のものが 粗雑なものに 触れると もちろん 摩擦が生じます 当ったものがそんなに 粗雑でなければ 両者は融合します ショックな感じは ないです いいですか 従って修行は 真のマスターの指導と 戒律がなければ 大変危険です 私達が食べた肉と 麻薬などは 体をますます 粗雑にします 肉体が粗雑に なればなるほど なればなるほど 高い振動力と 融合しにくく なります

だからショックを 受けるのです ですから私達は 自分の身 口 意を 浄化してこそ高い 振動力に対応できます 宇宙飛行士が 宇宙に入る時 違ったものを 食べて 違った 服を着て始めて 宇宙の気圧に 耐えられるのです 私達が着る服では いけません また海に潜る時 必ず酸素マスクを つけねばなりません 陸上で着る服では いけません 違った環境では 違った装備が 必要です 結構なことです あなたがこの体験に よく持ちこたえて もっと開悟したこと 本当におめでとう ございます

即刻開悟は 開悟した仏陀を 通して 伝授されるだけでなく されるだけでなく 意外にもあなたの家の 門をノックしてきた 警官を通しても でもできます 本当です その警官が 仏陀であればです 光をもたらして くれるとしたら 彼は 警官の身分で現れた 仏陀です 仏陀は沢山の外見を 持っていて あなたが 警官でしかも 完全に開悟していれば あなたは仏陀なのです 外見を変える必要はありません しかし普通の人は あなたに開悟を与える ことができません 大統領であろうと 警官であろうと 表面的な形と 地位と仕事とは 関係ありません

内面のパワーこそが 重要です 仏教の主な目的は 何ですか 人々に 良い人になり 社会の秩序を維持し 道徳を守るよう伝え 皆が睦まじく 生活できるようにする 開悟させるためですか 開悟したマスターが いればの話です 仏典を読むだけで 開悟する訳では ありません 仏陀になるためですか 仏陀に出会えば 在世の仏陀に 出会えば 仏典を 読まなくても 仏陀になれますし 解脱できます また素晴らしい マスターに出会えば 幸せで 円満に感じます 開悟したマスターが いれば全てが可能です 仏典を読むことに よるものではないです

メニューを見るだけで 満腹になる ことはありません 食べることです 印心を受ける時 皆同じ 反応がありますか これは受ける人の 智慧と関係ありますか 印心の時 皆の反応は それぞれ違うのですか これは 内面の仏性と 関係ありますか 仏性と関係ありません 開悟する時皆が 同じ体験をします それぞれ違った体験が あるかも知れませんし 同じ体験がある 同じ体験があるかも しれません というのはこれらの 体験は本当に 印心を受ける皆が 体験できるからです 印心の時体験が なかったとしても 後から必ずあります

従って開悟の過程は とても科学的です 自分のレベルに よって違ったものが 見えます 明白です 自分で 自分のレベルを 量ることができます 印心の時得た 異なるレベルは 前世の修行と 現在の道徳生活と マスターに対する 誠意と信心によります これが私の答えです 印心の時 皆の仏性は 違いがありませんが 印心の時それぞれ 違った体験をする こともあります しかし必ずしも そうではありません 時には多くの人が 同じ体験をします というのはこれは 誰もが体験するので 本当の体験なのです 本物でなければ 一人だけが体験し後は 二度とないはずです

しかしこれらは 本当の体験ですので 毎日同じ体験を することができます さらには 一部の人は 同じ体験をします また 印心を受けた 時間が異なっても 同じ体験をするのです これはとても科学的で 自分で自分のレベルを 量ることができます 印心の時 どう量るかを 説明します 印心の時のレベルは 信ずる心と 関係あります

 
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