マスターと皆さんに 一連の舞踊を 披露したいと 思います 最初の踊りは ダオワドゥン踊りです この踊りは 天国の天使に 関連しています この天国のレベルが 「ダオワドゥン」です 歌の歌詞は すべての天使の 美しさと幸福を 説明しています 二番目の踊りは 「ロップブリ」です この古代の踊りは ロップブリと呼ばれる 時代の踊りです この踊りは ロップブリ時代の 仏像の姿勢を真似た 仏像の姿勢を真似た 踊りでした これはとても 美しい踊りとして よく知られています どうぞ踊り手を歓迎し お楽しみ下さい みなさん スプリームマスター チンハイを 歓迎致しましょう
私達の修行仲間の 一人の体験を 共有したいと思います
親愛なるマスター こんばんは 皆さん 私はマスターの 弟子になって ほぼ三年になります 私の最初の体験は 音の瞑想を している時に 起こりました 私は音楽のような 美しくて 大きい音を 聞きました 頭の中で 聞こえるようでした その後は 穏やかで 心地よく感じました 自分の体が存在して いないようでした 私が感じたことは 言葉で説明するのは 難しいです その瞑想の後は 私はいつも 内面の音を聞きます 瞑想中に起こります 現在 私は毎日 美しい音楽にとても 幸せを感じています 瞑想中でも ベッドから起きる時も どちらもです
別の機会ですが 瞑想中に 何らかのエネルギーが 体内から ここら辺まで 出てくるように感じ 前へ前へと 突入してきます それは部屋を越え 壁を通って 突入しています これは 自分の体を 持ってないように感じ ただ継続的に 前へ突入して いるように感じます 部屋を出ると 私は美しい場所へ 行きます 今までに見たことが ない程美しい場所です そこは説明が できないぐらい 美しい場所でした しばらくの間 動き回って 私は戻りました このような状況が まだ 継続的に 起こります 毎回の瞑想の 時間によります 長い時間 瞑想したら それが長く起こるのです
それも私が瞑想に 対してとても幸せに 感じている理由です どんなに忙しくても 私は常に時間を作って 瞑想をしています これらの話している 小さな 体験の他に 物質的な変化が 見られました 印心後 健康状態はどんどん 良くなっています 昔は よく友人に 「薬の保管庫」と 呼ばれていました それは私がいつも 薬を持ち運んでいて 私は小さい頃から 不健康な 人だったのです そして今より もっと痩せていました 十年 二十年間 そうだったのです
しかし 印心後 健康状態は より良くなりめったに 医者に行きません それに 体重も増えました 人は菜食になると 体重が減ると 言いますが それは違います 菜食になって 私は数キロ増えました その瞑想からの 体験は 観音法門は 解脱に導くという ことを 私に 納得させてくれました マスターは常に 私とともにいます 内面的な体験の他に 人生全てが より円滑になり 何をするにしても 速く感じます ありがとうございます
これが 私達の 修行仲間の一人からの 体験です
では皆様お待ちかねの 時間になりました これからスプリーム マスターチンハイの 講義をお聞き下さい 皆さん どうどスプリーム マスターチンハイを お迎え下さい
ご機嫌いかがですか 昨日はタイの国王の お誕生日でしたか それではしばらく 国王陛下の ご健康と功績と タイの人々と タイの国を 繁栄と平和な 未来へと導くことに 成功するように 祈りましょう ありがとうございます ご機嫌いかがですか 皆さん幸せですか
今日は扉を 開きましょう
私達が 開こうとする扉は 最も重要な扉です それは解脱の扉 自由の扉 人生の扉です この扉が開かないと 私達は常に この幻想の 苦しみの世界に 転生してしまいます 天国と涅槃(最高の 天国)を知るのは この重要な扉が 開く限り とても簡単です さもなければ 解放 涅槃つまり天国は 私達にとって ただの童話であり そこに達したり 天国を知るなど決して 夢みないでしょう 多くの宗教と 異なる修行者は 古代から この扉のことを違う 名前で呼んでいました ある人は「第三の目」 ある人は「天眼」 ある人は「仏眼」 ある人は「扉無き扉」 ある人は 智慧眼 などと呼んでいます
しかし一つしかなく 出来るのは 私達の誰もが この能力を所有し この扉を開き 向こうの世界に入り この世界の 幻影の存在の上にある 何かを理解すること つまりこの世の知識を 超越したものです はるか昔から 異なる国 過去 人種 信念 宗教を持つ 異なる人々が この扉を開き智慧眼を 知ろうとしました この扉を知るために 多くの人々が 生活や快適さや 贅沢な生活や 愛する家族の 愛のある関係さえ 犠牲にしました
例えば父母 夫や妻 子供や友人などをです それは開悟している マスターや 開悟している 友人の所へ行き 彼らに導いて もらうためです こういった人々は 扉が開かないと 智慧の知識がないと 永遠に苦しみ続ける ことを知っているから それは彼らが どれ程裕福であろうと どれ程多くの快適さが あろうともまたは いかなる社会的地位を 持っても関係ないです 例えばシッダールタ 王子のように 彼は仏陀になる前 僧になるために あらゆる喜びを 放棄せねば なりませんでした 将来の王位 美しい妻 息子をです
そうして 彼は霊的知識を追求し 解脱できるのです 彼は 開悟した後でさえ 息子にも 霊修行を追求する ように話しました この世の王に 留まっている 代わりにです それは沢山の 重要な人物が 歴史の中で 同様に行わったことで 究極な智慧に 到達したのです この世界では 何千人もの人々が 毎日死んでいます 死後どこに行くか 事前には知らずに また彼らは この世から次の世界に 移動するその時に 目的地を管理する こともありません 多くの道徳的な人々は 時に彼らの一時的な 「死」を迎え そしてその後幾らかの 死後の世界を体験し この世に戻って来て その話をしています
これらの人々の殆どは 非常に道徳的な生活を 送っていたり 少なくとも心の中で 非常に謙虚で 神へ畏怖の念を持ち 仏性を知りたいと 思っている人なら 彼らの出発の時とか 一時的な出発の時に 彼らは多くの 素晴らしい天国の ビジョン 光 音楽を 体験するでしょう でもこれらビジョンを 見るためや涅槃つまり 天国を発見するために 死ぬまで待ったり 一時的にこの世界から 離れるのを 待つことはありません 私達は存命中 健康なうちにできます
仮死状態になった人々 あるいは医者が 「臨床的な死」という 人々や再び復活した 人のほとんどは この世界からの 一時的な脱出の間に 天国と天国からの光を 体験した後 幸福感や 至福のような 変化に 関連しています 異なる国々の 多くの医師の 研究によれば これらの人々は その一時的な死の間に この肯定的な変化を 体験します 彼らはこの宇宙の 高い境界からの光を 見ることが出来 音楽を聞くのです この種の光と 音楽のような教えは 私達自身の仏性であり 私達自身の智慧であり 各自が所有するもので それを私達は常に 日々の生活や私達の 解脱のために使えます
この世界の人々を 目覚めさせ この光と 神や仏陀からの 教えを知らせるために 多くのマスターが この世界に来て 彼らの永遠の教理と 無条件の愛で 地球を加護します 彼らの犠牲と 慈悲のおかげで 私達には幾らか偉大な 教理が今日残っていて そういう訳で 私達の惑星は進化し 誰もが住むのに良い 場所に発展したのです こういった偉大で 賢明な過去 時に 現代の教師は 常に世界の向こう側 存在の向こう側の 言葉に表せない程の 壮大さついて 私達に教えています これを四界 五界 七界 九界と 科学的な用語で 呼んでもいいです
私達の地球を保ち その霊的な意識を 向上させ続けるために またこの地球の人々の 智慧を向上させるため 私達はマスターの 仏陀の道を 修行すべきです つまりこの世において 高潔で良い人と なるために 智慧を開くことを 学ぶべきです この肉体の存在と 霊界との間を分かつ 幻想の扉を 開けるためです 様々な国々において 多くの霊的な センターがあり 多くの尊敬に値する 教師は公共に向け 多くの方法で 開悟に到達する教え この智慧の 扉の開け方を 提供しています どの国にも独自の 宗教があります 各国の大部分が 一つかもう一つの 宗教に従っています
過去のマスターが 残した教理を読んだり また宗教の 儀式的な 教会 寺院 モスクで 修行する他にも 多くの開悟した マスターがいて 人々に自ら 開悟の方法を教えたり 天国を 神の王国や 涅槃を知る方法を 彼らの存命中に 教えています なぜならこの開悟した マスターの寛大さに よって 何百万名の人々が より自身を 覚醒するようになり 開悟した聖人の 人生に導かれ 彼らの智慧が 開いた後 家庭や社会において 多大な貢献を するようになります
けれども全ての教師や 人々が修行する 全ての法門が 最高の智慧へと 導く訳ではありません 従って たとえ私達がすでに ある種の瞑想法を 修行したとしても まだ私達の心には 解脱の正しい法門を 選択したか どうかという 疑問が残ります 答えはこうです 私達が勉強したり 今勉強している 法門が 短期間に 心を平穏にさせたり 超世界の知識を 私達に与えたり 提供してくれるなら またとてもとても 愛ある慈悲の心が 芽生えるなら つまりその教理により 私達がより良い人に 変わり 凡夫から いらいらした人間から 聖人に変わるなら その法門は正しいと 言えるでしょう
そうでなければ どれほど長い間 修行していたり 誠実でも関係なく おそらく最高でも 幾らかの 神通力の 治癒の力の 未来を占う力の 壁を通し透視する力のその種の いわゆる天眼の力や 過去や未来等を見る レベルに到達する 程度です それだけです そしてこれら すべての力は私達の 勤勉な瞑想を通じ ある程度得られますが それはまだ不安定で まだ過去の カルマ(報い)に束縛されており 私達が内面で認識する 真の幸福を感じる事は 稀です 私達が完璧な法門 完璧に涅槃(最高の 天国)に到達できる 法門を見つけられない限り無理です ですから 神通力があっても 私達の人生は 無意味で 空っぽで 時に 非常に落胆し 私達が望まないような 悪習慣を 克服するのが 非常に困難です 例えばある人は ギャンブルが好きで ある人々は 麻薬をやるのが好きで 例えば ある人は 止めることもできない 深酒をします これらの神通力では 私達の惨めな 悪いカルマ(報い)から救えません
壮大な第二天は
喜びと宝石の場所
帝釈天は
ダイヤの矢を持ち
神の戒律の順守に 抜かりがない
敵である阿修羅は 破れた
彼のくびきの曲がった 二輪馬車は美しく
精巧で 空飛ぶ玉座
威厳ある獅子の装飾が 周りに施されている
御者は 王の車に乗る
全力で速く駆ける 風のように
釈迦牟尼仏が 在世の時 彼は神通力を 使うことを禁じました 弟子達に神通力を 見せびらかすことを 禁じました でも一番近い弟子の 一人はいつも神通力を 示すことが好きでした それで彼は修行に 励んでいましたが エゴは減りません このように 彼はしばしば神通力を 誤用した結果 結局 死んでしまいました しかし現代でも 以前世界中を旅した時 気付いたのですが いわゆる 霊的なセンターで 多くの人が 神通力を学ぶことに 大変執着して このような能力を 崇拝しています それで彼らは幾らか 神通力を得るために 多くの時間 お金と 努力を費やしました
例えば 数秒間 床上約20cm 飛ぶようなことを 素晴らしいと 思っています しかし 11秒間 地上僅か20cm 飛ぶだけなのに 何年間も練習せねば ならないし 沢山のお金を払わねば なりません 実証できる限り 素晴らしいのですが それで 科学者らは 精神力や人間の力は この世界の 物理的な障害や 重力など 物理的法則を 乗り越えられない ようなことは 論争しないでしょう 私がヒマラヤにいた時 先ほど話した 神通力よりも もっと衝撃的で 素晴らしい神通力を 見ました
浅見と私見ですが これら物質的な能力 霊能力は 超世界の智慧と 知識を得るために また今生で 解脱するために 何の役にも立ちません 多くの時間を 無駄にしてしまいます それはより高度な法門 より霊的な概念を 追求するために 使われるべきです 無上の智慧を 得るように 自分自身を認識する ようにすべきです 愛する人々や天国の 衆生のためにもです なぜ天国の衆生の ためにも なるのでしょうか なぜなら 悟りを開いたら 私たちの意識レベルが 高ければ高いほど 宇宙を助けることが できるからです
国だけでなく 全宇宙です 多くの様々な惑星で 人々はまだ 進歩していませんし 霊的な意識も 低いのです 霊的に進んでいる人は 先生になることが できます 縁があれば 彼らを助けることが できるでしょう ですから釈迦牟尼仏が 在世の時 「一切衆生の導師」と 「一切衆生の導師」と 讃えられました なぜなら 自性を見つければ 私たちは天国と地獄を 行ったり来たりする ことができ 宇宙の至る所の衆生を 助けることができます 私達を知らなくても 彼らを助けられます 仏陀 イエスが 残された教理に従って 私たちはもっと大きく 深く考えるべきです
私たちは宇宙で唯一の 人類でないことを 知るべきです 少なくとも宇宙には 多くの惑星が存在する ことを知るべきです 仏陀の法門を 修行すれば 私たちは 仏陀になれます 仏土は内在する 意識レベルの ひとつに過ぎません 天国はただ宇宙の 一部でしかありません 正しい法門を 修行しないと 方法が分からないと 永遠に知らないだろう 少なくとも 死ぬまで 知らないでしょう しかも 死後 必ず愉快な境界を 見られるわけでは ありません
もしかして もっと低いレベルに 堕ちてしまって この世よりも 苦しいかもしれません 従って 私たちが生きている間 選択肢がある間 違う惑星を回って 様々な境界へ 行って見て 死後の家を選んだ ほうが良いと思います すると この世を 去ってから どこへ行くかを 知るでしょう なぜなら 私たちは神の子です 仏陀の弟子です 偉大な存在です 私たちの運命を 支配できず この世を離れてから どこへ行くか 何をするかも 知らず 動物のように 引きずられてしまう べきではありません
この世に生まれたのに どこから生まれ 先はどうなるのかを 知らないのは 既にまずいです だが ここにいるなら 私たちが選択でき 未来を作るチャンスが あります なぜなら 生死の境界線を 超えないなら 私達に徳があっても 三宝に捧げるとしても あるいは 聖地へ巡礼し 過去の聖人の 経典を唱えても 私たちは仏陀 聖人のような永遠の 命を得られません 仏教経典には このような物語が 沢山あります 人々は在世の 仏陀に供養しても 解脱を望めないため 本当の解脱の法門を 見つけるまで 彼らは世々代々に 渡って 物質的な利益しか 得られません
つまり 数千年もかかります 何をしても それに応じて 報いを受けます 物質的に捧げるなら 物質的な報いが 得られるでしょう 霊的な報いが ほしいなら 霊修行を しなければなりません 肉体ではなく 物質的でもありません 神通力は 仏土ではなく せいぜい神通の境界に しか導かれません そこにさえ 行けるならの話です 広い宇宙の中で 近道が分からないと 第一界へ行くのでさえ 既に難しいです 例えば 生きている時 ある神通力を 持っていても 死後 それはなくなります 高いレベルの 修行者によると 神通力と ほかの超能力は 第一界に属します
つまり 阿修羅界です 阿修羅界だけでも 数百以上の様々な レベルが存在します 天国があれば 地獄もあります 苦しみがあれば 楽しみもあります 阿修羅界には 違うレベルがあります 解脱の法門を 解脱の法門を 修行しない人々は 死後 違うレベルの 阿修羅界に 行くでしょう それは 神通力の世界です そこへ行くと 全てが神通力で なされます 釈迦牟尼仏が 在世のとき 彼の弟子は 神通力を使って 宇宙を回って 見ましたが 彼は阿修羅界に 高くないレベルにしか 行けませんでした
でもそれは 霊体離脱と 呼ばれる 不思議な領域に 属しています 私達はこの肉体を 置いて行き 全ての体を置いて行き 阿修羅界に行きます 私達は違う身体を持ち それが 人が死んでから 一種の天国に 到達したとしても 解脱しない理由です 遅かれ早かれ その人のカルマ (報い) あるいは 天の判断により 違う姿で物質界に 戻る必要があります 霊体離脱は 一時的に死んで 天国に行く人々と 同じかまたは 永遠に死んだ人は 阿修羅の天国に行き しかしその場合でも たとえ阿修羅界で あるとしても 本当に美しいので 到達した人は この世界に 戻りたいと思いません
たぶん皆さんは アメリカの医師の 臨床的な研究の物語を 読んだことが あると思います 一時的に死んだ人が この世界に 戻ってくる話です その人達は 美しい世界を見た後に この世界に いたくないので 数週間か数か月 泣くのです なぜなら内面の世界は 霊的レベルが 本当に至福なので 阿修羅界のような 低いレベルでさえも 決してこの世界で 私たちが味わえない 幸福感や自由を 与えられるからです いくらお金を 払いたいかまたは どれだけ一生懸命 働くか 仏陀に何百回 頭を下げたかは 重要ではありません
それが古代から 多くの人々が 森の中や ヒマラヤなどで 修行するために 楽しみ 地位 財産を含む 全てを放棄する 理由なのです この幸福に満ち溢れた 感覚を楽しむことは 霊的な瞑想から 与えられるのです 私達がいったん 天国の光と 神または仏陀の 教えを知ると この世の 世俗的なものはもはや 欲しくなくなります たとえ 私たちがまだ自分自身 家族国民を助け 続けていてもです この世には何もなく この世の幸せで 一時的に天国にいる 間に得られる幸せと 比較できる幸せは 瞑想中または 睡眠中かもしれません
人々は時々 心からの深い祈りの間 または 他に頼る場所がない 危機の時や 誰も信用できない時に この至福を自分自身で 持てるのです その後 完全に自分を忘れ 神か仏陀の手中に 身を置きます 短時間の 至福のような時間を 楽しめます しかし私達が時々でも 永久に楽しみたいなら 高レベルの意識に 昇る方法を 知っておかなければ なりません すると 毎日が涅槃または 天国になります それで この世の苦しみは 私たちに近づきません もちろん私たちは この世の人々の痛みや 苦しみを知っています 人々を救うために 最善を尽くしますが 私達自身が苦しむ のではありません
仏陀にはかつて 王子で 楽しみごとも 高級品も たくさんあったにも かかわらず 悟ってからは 全く不安も感じず 後悔もせず 托鉢僧の人生を 送りました 修道僧の身分が 彼を幸せに したのではありません その当時は 悟りを開いていない 僧侶が多く 名声と財産の間で 口論 ケンカ 無学 いがみ合いの 時間を過ごしたので 仏陀のために時間を 割けなかったのです 時々仏陀に危害を 加えたかったのです それは仏陀の 内面の至福 涅槃です 日々の暮らしを通し 明らかにしました 仏陀は他の人なら 耐えられない 他の宗教の修道者の 対抗意識に 耐えるなど
全ての苦難に 耐えました 仏陀は何カ月もの間 馬の餌のような 食べ物で生きる 必要がありました その時でさえ決して 絶望しませんでした 空腹を満たしたり 快適に過ごすために 父親の王に 金貨を要求したり 宮殿に戻ることは 決してしませんでした 一度高レベルの 智慧に達した 修行者は無執着を 分かっているのです 平凡な生活を 続けるために この世に残り 王や役人 実業家になることを 選ぶ人もいますが 心の中では 名誉欲や評判 利益はこれ以上 望んでいません
ちょうど 仏陀の時代に 多くの人々が 仏陀を中傷し 何度も説教を 邪魔しましたが 仏陀は全く 動揺せず 人々の 不徳の行為にも 苦しみませんでした 仏陀の心の中には 全ての願望 怒りそして執着心が ないからです 表面上は 他の人と同じように 行動しましたが もう普通の 人間ではなく 感覚も違いました また仏陀には この世に残る 選択をした 多くの在家の弟子が いましたが 彼らは自分自身の中で 霊的に高いレベルに 到達していました
例えば唯摩とか 観世音菩薩 (アヴァローキ テーシュヴァラ菩薩) 美しい衣類を着て 装飾品を飾り 普通の美しい女性の ように 見えましたが 仏陀でした 私たちには二通りの 修行方法が あることを知ってます 一つ目は この世を捨てて 修行するために 孤立した場所に行く 二つ目は この世に残り 悟りを開いた 聖人になり 任務を続けることです ジャングルも森も 私たちに悟りを 与えはしませんし 心も変えられません
霊修行を しなければ 私達がどこにいるか 何をするかは 重要ではなく 私達は無知なままです トラ ライオン ジャッカルは ジャングルに 住んでいますが 誰も邪魔しませんし 攻撃的にさせる この世の圧力もなく それにもかかわらず 生まれつき攻撃的で 攻撃的なまま生きて そして死にます そして 仏陀の弟子と聖人は この世にいますが 悟りを開いています 慈悲の心をもち 慈悲の心をもち 聖人のような人達です
この世には 異なった信仰間 同じ信仰間でも 多くの聖戦が あります 無知が原因です 立場 環境 宗教は 私達が悟りの鍵を 知らなければ 役に立たないのです 私達が着替えたり この世の全てを 捨てたとしても 悟りを追求する 道を知らなかったり 方法を知らなければ 役に立たないのです 宇宙には法則が あり 私達は絶対に 従わねばなりません 何をしたいと思っても 成功したいと思うなら 法律や規則に 従わねばなりません
私達の世界は本当に 世界の食肉産業を 廃絶し そして皆が ビーガンになれますか 事実は示します 「はい可能です」と また私達人類の 生存本能は私達に そうすべきと語ります
スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉で 十二月十五日水曜日に 生放送会議の 再放送 第一部をご覧下さい 「私達の未来を守る 指導者たち 気候変動の速度と 優先事項」は 非営利団体ワールド プリザベーション基金 およびドッズ パーラメンタリー サービスの主催で 二〇一〇年十二月三日 英国ロンドンウエスト ミンスターにて開催
本日のスプリーム マスターテレビで 「私達の未来を守る 指導者たち 気候変動の速度と 優先事項」を 智慧の言葉にて ぜひご覧下さい
牛のウォーター フットプリントの 総量の99%は牛に 供給するために必要な 水を表しています それで一切れの肉が 何を意味するかを 見るなら 私達には世界的平均で ほぼ一万六千リットル あるのです それが一切れの牛肉を 作るために必要です
自身を心臓病から 回復させ 守るために 食べるとしたら 最も必要なものは どんな食べ物でしょう 答えは 青野菜です カロリー密度につき 最も高い微量元素を 持っている食品です すべての食品のなかで ガンに対して 最も保護してくれる 食物は何ですか そして答えは 青野菜 そうですね ほとんどの霊長類が 食べる食品です
私達がビーガン食に 移行するなら全世界で 年間二千万人以上が 肉関連で亡くなるのを 防げます 愛する者のために もはや苦しみません どんな苦悶も 早い別れも 自身や 他者へのどんな怒りも もはやありません 自然により長く 健康で 素敵で 幸せな 人生を楽しみます
スプリームマスター テレビジョンで 十二月十七日金曜日の 生放送会議の 再放送 第二部をご覧下さい 「私達の未来を守る 指導者たち 気候変動の速度と 優先事項」は 非営利団体ワールド プリザベーション基金 およびドッズ パーラメンタリー サービスの主催で 二〇一〇年十二月三日 英国ロンドンウエスト ミンスターで開催
本日のスプリーム マスターテレビで 「私達の未来を守る 指導者たち 気候変動の速度と 優先事項」を 智慧の言葉にて ぜひご覧下さい
私たちの体には 異なる機能のための 異なる器官があります どれが 霊的開悟に役立つか 知っているなら それを利用して 悟ることができます さもなければ 間違った場所を使い 間違った方法で 修行するなら どんなに長くても 何ももたらしません 仏陀も悟る前に 間違いを犯しました つまり 彼は苦行を含む とても多くの異なる 方法を行いました 何カ月も飢え続けて 最後に 彼の体 思考力および 精神力さえ 損ないました 六年間だけの間違いで 彼は最終的に中道 普通の方法を 修行せねばならないと 認識しました
おそらくその時彼は 正道の先生に会って そして正しい方法を 行いました 従って僅か四十九日で 彼は菩提樹の下で 悟りを開きました しかし たぶん彼は 仏陀なのでそれを せなばならなかった 私達が同じことを しないよう間違いを 見せるために それを せなばならなかった あるいは多分悟る前に この世に生まれる時 他の皆のように カルマ(報い)の 法則を受けなければ ならなかったでしょう 彼は青年時代に 社会と国に 何の貢献もせずに 贅沢な生活を 楽しんでいたからです そういうわけで恐らく 彼は過去を償いに 苦しんで この飢えを 受けなければ なりませんでした
たとえ故意にそれを しなかったとしても ただ「たぶん」です 私が間違っていたら 許してください とにかく涅槃 (最高の天国)に入る 仏陀を見れば 分ります 私の知っていることを 証明できないので あなた自身でそれを 証明するように お誘いします 仏陀には悪いカルマ (報い)が あったのか 又は私達の知識の為に 彼がそれをしなければ ならなかったのか 私は多くのことを 話したいですが 時間が限られていて それに私が知っている 多くの事は世の言葉で 言い表せません 悟りを開き 仏眼を開くことで 自身でそれを知れる ようにに私は皆さんに 方法を提供することが できるだけです そしてマスターや 先生がいなくても あなたはすべてが 分るようになります そして あなたが 得る知識は 永久的であり 直接の知識です
ありがとう
チャンとは何ですか チャンはレベルですか チャン? 禅ですか はい それを測るには 何を使いますか
いったん少し高い レベルに達するなら もはや測ることは 気にしません しかし執着のない レベルに 達しなかったら それを測れます あらゆる段階が 途中にあります 印心の時 すべてを話します あなたが天国への道 異なる駅について 知る必要があります 時間がかかります
どのように瞑想するか 教えてください 後ほど教えます いいですか
ファーストクラスと セカンドクラス 提供する方法は 二つあります ファーストクラスは まだであれば今日から 菜食にならなければ いけません セカンドクラスは 毎日菜食しなくても 構いません あなたの都合のいい 数日でいいのです それは「方便法」と 言います 半額のパートタイムの 仕事のようなものです
瞑想のような 霊修行を教えるために 時間がかかります 皆さんが家で間違いを しないように AからZまで全てを 話さなければならず さもなければ 悟りはほんの数秒です 残念ながら「セカンド クラス」と言います 多分「ビジネスクラス」 と言うでしょう
「エコノミークラス」も あります 節約のエコノミー クラスを意味します
菜食を「節約」し 瞑想の修行を「節約」し 解脱も「節約」します そして何もありません 非常に経済的です
配偶者は修行してます でも彼らは 離婚しようとしてます 彼らがいないなら 私達はどうすべきか 何を修行しますか? 彼女は何をしてますか つまり 彼らが家を出て 家庭生活を捨てて 入ろうとしていると 私は考えます 印心者ではないですね 何故なら印心者は 家を出る事を 許されません
家族の許可なしにです いいでしょう 彼らがいないなら他の 誰かを見つけて下さい 少なくても この部屋には多勢いる
どうしたの 一人暮しできませんか
深刻にならないで 彼女が仏陀の教えに 従うならまたは尼僧か 僧になりたいなら あなたの伴侶のために 幸福でいるべきです とても良い事でもある 彼らが ギャンブルに出かけ または殺人をしたり または盗んだりすれば 心配すべきですが 尼僧や僧になることは 非常に高尚ですね いいではないですか
私達の愛する者が 有徳で正しいことを したいなら私達は 喜んで支援します 妻や夫の存在がない ことよりもあなたは 悟りがないことを 心配すべきです 私達は一人で生まれ 一人で逝きます だから慣れるべきです 過去世で 印心しましたか わかりません 過去は過ぎました 印心したければ今です そして外に出て 名前を書いてください 私は内面の音を 二十四時間 聞くことができます 別のものと 内面の音の違いは 何ですか ある程度時間が必要 印心のときに 私があなたに教えます
異なった音があり 異なったレベル 音を聞く異なった方法 私が詳細にあなたに 言わねばなりませんし ある程度 時間がかかります 私はこの世界と宇宙の 人間がお互いを愛して 楽しく暮らすのを 手伝いたいと 思います マスターチンハイが 私を導くことも 願います 光栄です あなたに崇高な意志が あることは素晴らしい 希望を遂げるためには 正しい方法で修行 せなばなりません 仏陀は六年 かかりました たぶんあなたは良くて 六日間くらいで 大丈夫でしょう 印心後どれくらい かかるか分かります この人が ヒマラヤ山脈の秘密を 知りたいそうです それは長い話です そこへ行くのは 危険です 印心を得たなら 私のような 危険を負わず 霊体で 行けるかもしれません 別のテープで話をして います たぶん外で 問い合わせられます
世界の指す方角と ダーマ(真の教え)の 指す方角は 逆方向ですか
そうではありません 見かけだけです 悟りを開いた後 全ての方角が同じだと 分かります 説明が難しいですが そのような感じです
親愛なるマスター私は フォルモサ(台湾)で ある師父から ある方門を受け入れ 認めました 再びあなたの弟子に なることができますか あなたが光と音を 学んでいるのなら 必要はありません しかし光の内側と音を 受け取っていないなら あなたは外で登録した ほうがいいです 内面の天の光と 仏陀の光を 見ることがなく 仏陀の 音楽のような教えに 耳を傾けなければ 私達はそれがどれほど きつい修行でも 解脱できません 私達の殆どが天国の ようなところへ行き そして帰ってきて また行って 再び繰り返します
印心を得た人々は 解放を保証されます 彼らの多くの親戚や 友人もです 最大で 前後の 多くの何世代もが 解脱を 保証されます なせなら自己実現で 悟りを開いた人は 同様に 他の人々を解脱させる すばらしい 力を持ちます 方便法を 学んでいる人々 つまり 都合のいい菜食者 パートタイム菜食者は 個人の解脱だけが 保証されます あなたの選択です 観音法門を 修行するために なぜ呼吸の制御を 修行する方法を 阻止するのですか なぜならそれは 一時的な現象です
呼吸は 一時的な現象です 解放に達したいと 思うなら 私達は一時的な現象 真実の私達そして 永遠の自己 それを 実感でできないのを 知らねばなりません 良いマスターがいなく そして純粋さのない 呼吸の法門は 何らかの危険を もたらすでしょう いいですか マスターが去った後に 例えば私達が印心を 得たいと思うなら テレパシーでそれを 得ることができますか はい 私は悟りを ファックスできます
マスターの肉体が そこにいなくても 何の弟子にも印心を 与えることができます 口頭の指示は あなたが毎日修行する ためだけです しかし悟りは 霊性の伝達を通じて 完成されたものであり マスターが現場にいる 必要はありません このパワーは宇宙の どこでも達することが できます あなたが望むなら タイセンターに 連絡すべきです たぶんサンプル本の どこかに 電話番号または アドレスがあります 彼らが私に知らせます そして私がタイに いなくてもあなたは 印心を受けられます それは同じです 同じ結果です 私の同居者は殆んど 毎晩あなたを 出迎えると言います これは可能ですか 私は彼の話を 聞き入れるべきですか
それは可能です 必ずしもその人では ありません でも弟子達にとって それはいつも可能です 時々 マスターが 家にいなくても マスターの 本当の身体がそこに いなくても 人々は家の中に彼を 見ることができます そういうわけで 弟子達がどこにいても マスターはいつも 彼らを助けることが できます 肉体で走り回る必要は ありません たとえ見なくても 彼は常にそこにいます 時々人々は 彼を見ませんが 存在を感じられます 彼らは普通は 見なくても 非常事態 または事故が 発生する際 マスターは現れて 彼らを助けます 大部分は非常事態で 見ることができます コーンケンで 多くの子供達が 私が外に出て彼らに 小冊子と物を与えた のを見たと言いました そこに行った事はなく バンコクにいました
霊性の力では 何でも可能です しかしこれは 神通力ではありません 私はそこにいて 足を組んで 手印をきって あなたの家へ移動する マントラを唱える 必要はありません それはただ 自然に発生しました それはマスターの力の 恩恵によります 私が「マスター」と 言ったのは 最高の神 仏陀を指します この体の「チンハイ」の 意味ではありません 私は自分を自慢しているのではありません 第三者の 「マスター」を指す ことをご理解下さい
この身体は単に 非常に粗末な 道具であるので 私は決して弟子が この身体に辞儀したり 無意味な供養をし 平伏することなどを 許しません そういうわけで 私は自分の教えのため どんな寄付も 供物もを受けません 一切は無料です 現在も無料 印心中も印心後も 無料です
私は自分でお金を稼ぎ 自分の体の面倒を 見ることができます 切符を買って皆さんに 会いに来れるので 皆さんから 何も必要としません 皆さんが得るものは 何でも仏陀から来ます 私は給料を取る 必要はありません 修行者や 農家の人は 彼らを悩ませ 植物を食べる昆虫と 戦わなければ なりません どう避けられますか
それを避けたいなら その職業に 従事してはなりません でもその時 皆が 飢えてしまいます それは良くありません
それはあなたの仕事で 続けて下さい 小さな悪いカルマ (報い)があっても 私も分担します 私もお米を食べるので
この人は家に金色の スーツを着ている マスターを見ました
これだけ言いたいです 霊的な体験は 言うべきではないです 以前の同居者に 対しても 同じです 沈黙を保って下さい 自分の霊性のレベルを 自慢しないで下さい 本当に必要な場合 以外はです 例えばマスターが 許可する場合 体験を 話すことができます さもなければ 体験がなくなり そして次回 「どうしてマスターは もう来ませんか」と 私に報告します
楽しんで静かにしてて 霊性の体験は 沢山あります 持つものは決して 十分でありません さもなければ 菩提に 終わりがあるなら 家のように 刑務所のように 自由はありません まるで天辺に着いて そこで止まるようです 屋根 屋根があります
私達は消費者に情報を 与える草の根活動を 支援する必要があり 彼らの資金を地域性を 保ち 地元の農家の 支援をするような 新鮮な生産物を 地元の小売や 農場市場で 購入できるように それらは肉食消費を 削減することと有機の 植物性中心の食事への 移行によって 過剰な価格で補えます
今は挑戦の時です まだそれをするのが 容易ではない理由は 私達は七十億の人々に 水 場所 食物を 提供する必要が あるからです 私達は七十億の人々の ための食物 水 空間と 更に加えて 四十億五千万の 牛と羊 ヤギ 豚と 一八〇億の鶏に提供 する必要があるのです それらの人間が 食物のために飼育する 動物は人間の 二倍の食物要因を 占めています 大きな要因によって 食物消費されます 私達は如何なる肉 または乳製品が 不要です 全体の人口と現在の 生産において 栄養必要量を完全に 満たすためにはです
スプリームマスター テレビジョンで 十二月二一日火曜日の 番組をご覧下さい 「私達の未来を守る 指導者たち 気候変動の速度と 優先事項」は 智慧の言葉にて
本日のスプリーム マスターテレビで 「私達の未来を守る 指導者たち 気候変動の速度と 優先事項」を 智慧の言葉にて ぜひご覧下さい