おはようございます 皆さん 私はここで 皆さんにお会いでき ポルトガルの友人達が 呼びかけに応えてくれ 大変嬉しく思います
今宵は 普通とは違います 今宵は スプリームマスター チンハイと 皆さんの夕べなのです 今回初めてスプリーム マスターチンハイが ポルトガルに いらっしゃいました
私達に 観音法門の瞑想を教えるために 遠くからはるばる 来て下さいました でも皆さんは 彼女から直接聞けます 彼女の会場入りを 待つ間
カルフォルニア出身の ティナが ベジタリアンの食事が 彼女の生活に どう影響を与えたか 少しお話しします 皆さんの座席に ベジタリアンレシピと その情報が 置いてあったかと 思います ベジタリアンの食事は 本当に観音法門を 修行するための 条件の一つです
観音法門は 無条件で 無料で 教えて貰えます というのは それは マスターからのもので マスターから 伝授されるもの だからです ただ誠心誠意と 修行に対する渇望と 菜食でいることが 要求される条件です 一生を通じてです ティナがその事を 話してくれます
ティナにお願いします 約四年半前 私はベジタリアンでは ありませんでした 私はちょうどその頃 酔っ払い運転の 車にひかれて 麻酔科の看護婦の職を 失ってしまいました しかしこのマイナスな 出来事が 今私の人生で プラスの経験となってそれこそが私を マスターに 導いたものだからです ある人は 霊的探求の道にいます 他の人は探求する前に 神が彼らを屈服 させねばなりません 私は後者のグループで 私は失業してしまい 絶望的に 落ち込んでいました すると医者の奥さんの 一人が言いました 「ティナ あなたに 話したい事があるの あなたの家まで 行くわね」と 働いていた病院から 医師が大勢 私の家に やって来て 皆で散歩に出掛けた時 友人のマイが 私にマスターの教理を 紹介してくれたのです 私は自分の霊性を 非常に喜んでいました 私は毎日 神に祈りました 自分は良き人間だと 思っていたのです でも私は彼女が 言うべき事を聞き ずっと心を開くよう 努めました でもマスターの声を テープで聞いた時です 私は言いました 「ああ 大変 彼女は在世の聖者だ」 何かが私を打ちのめし ただ私は言ったのです 「ああ 大変 彼女は在世の聖者だ」
私はその日一度も 肉を食べず それが 私の肉食の最後でした それは決心ではなく ただ止めたのです 世界の あらゆる大宗教の 最初の戒律が 「殺生することなかれ」 というものです 私達は自分より小さな 兄弟姉妹である動物 衆生である動物を 尊重し愛するからです 私達は食物とするため 彼らを 殺したりしないのです これは聖書の 創世記の最初の章で 読むことが出来ます 神は全ての果実を 食物として私達の為に 創ったという所です バガヴァッド ギータ でもそれを読めます イスラム教にさえも それは述べられてます 大宗教全てに それは 述べられているのです それで今私には愛する 生き物を食べるという 罪悪感はありません やめてしまったのです 食肉処理場を 訪れる人はだれも やはり動物も 死ぬ時には 苦しむのが 分かるでしょう でも肯定的な 利益としては 今 全女性が喜ぶことを お話しましょう あと四年で 私は五十歳になります 菜食と観音法門を 始めてから 顔のシワが全て 消えてしまいました それで美肌のために 整形手術を受ける 必要はないのです
医学的にですが 菜食における 医学的な利益が 幾つかあります 私はポルトガル人の 家系で スロバキヤ人 フランス人 沢山の 欧州人が遺伝性の 病気の因子を持ち 高コレステロールの 遺伝子を持っています それで父の死を見て 又姉が今週の月曜日に 心臓のカテーテルの 検査を受けたのを見て どちらも大変な 肉好きだったのですが 彼らのように人生を 終りたくはありません 私に危険因子が あったとしても菜食が 助けになるのです ガンに罹る危険性です 菜食がその危険性を 断ち切ります それは単に戯言でなく 本当の事です アメリカの酪農協会は 言います「もっと 牛乳を飲みましょう 骨が強くなります」と でもそうでありません 彼らは真実を 何が 本当に強い骨を作るか 言ってはいません 真実は 動物の肉ばかりという 高タンパク質の食事は 骨からのカルシウム 浸出の原因となり それが骨粗そう症の 原因となるのです そして 腎不全や 人工透析を行うような 患者には まず初めに 医師が 低タンパク質の 食事をさせます 観音法門と組合せた ベジタリアンの食事は 健康と幸福な 人生のための 最高のレシピです 皆さんは何一つ 諦める必要ありません 全レシピが揃ってます 葡萄牙語は読めません
でも家庭で肉を使わず どんなポルトガル 料理でも作れ おいしいです どなたかピロシキとか ゴウォンブキ カプスタを ご存じですか ポーランドの人は 分かります こうしたクッキーとか ケーキあらゆるものが 焼けるのです デザートをあきらめる 必要はないのです 食べるのを諦める 必要はないのです ありがとうございます 私の話を終わります 有難うございました 皆さん 来て下さって ありがとうございます
何て美しい国でしょう 初めてここに来ました 皆さんの国の人は とても優しくて 親しみ深いです 今宵おいで下さって 誠に有難うございます
皆さんは 観音法門に 親しむような時間を 持った事がありますか 実際 観音法門とは 音に集中する事です 「観」というのは 集中で 「音」は音です 音は 内面の振動の事で 外的な音でありません 聖書で 「ことば」と 述べられているのが 「音」です 次のような下りがあり 「最初に ことばあり ことばは神と共にあり ことばこそ神である」 この音は内面の耳で 聞こえます 私達がこの音を聞ける ようになるには内面の 耳と目を開いてくれる 能力のある マスターを 探さねばなりません それで観音法門は 私達を 高い意識レベルに 到達させてくれ 神の王国に 接触させてくれます そして すでに こうした世界を 超越した高いレベルの マスターのみが この法門を伝授でき 観音法門は 私達を神の下に導き 戻す道です マスターチンハイは 私達に内在の光と音に 満ちた神へと導く道を 教えてくれるのです 私達が選ぶ どんな道であれ 神を見つけるには 光と音が必要です 観音法門は皆さんに 内面の光と音を 提供するのです それは完全に開悟した マスターによってのみ 伝授されるのです それは 無料で 無条件で 提供します スプリームマスター チンハイ お元気ですか 快適ですか 瞑想について 話をします もちろん 神への瞑想です ある人はそれを 「祈り」と呼び ある人は 「集中」と呼びます ある人は 「内面に向かう」と ある人は 神と自分を結び付る などと言います しかし瞑想は必須です 瞑想なしでは 私達の人生は 私達が望むように 完全でも幸せでもなく 満たされません ある人は 教会に行くと言い ある人は家の中で 祈ると言って それで 大丈夫だと言うのです ではなぜ私達が瞑想の 事など述べるのか そうです 瞑想も 一種の祈りですが もう少し絞られた物で 私達が望む結果を 得るために 私達の注意をどこに 集中すべきかが より明確なのです それは 私達が直接神と 意思伝達をする為には もう少しはっきりと 絞り込んだ 祈り方を知らねば ならないという事です 瞑想は非常に 自然な行為だからです それはとても 自然な行為なのです それは私達はすでに 毎日人生における 様々なものに 瞑想しているからです
私達は仕事に 集中しています 恋人に集中したり お金に集中したり 所有物に集中したり 自分が関わっている あるプロジェクトに 集中したりなどです 神を知るには やはり それと同様なのです ビジネスをするのと 同じように 集中するのです しかし どこに 集中するのでしょうか それが唯一の疑問です それで神を見出すのは とても簡単なのです 私達はすでに 集中方法が 分かっているからです ただ少し どこに どうするかという 知識に欠けています それで私達は すぐに神に 触れられるのです それで私達は この方法を 即刻開悟と呼びます 神は私達の中にすでに 存在しているからです どこか分れば 私達は 神を捕まえられます
それこそが 私達の多くが神に接触 できない理由なのです そして 神との接触は 何か想像も できないような 私達の利益を超えた 常道を逸した もののように 決して 出来ない事のように 思ってしまうのです 過去の聖者のみに 出来る事のように 仏陀とか イエスとか 聖ペトロ 聖トマスなどだけだと 違います 違います 私達は皆 神と接触できるのです 私達は皆 平等に 神の子だからです そうです 平等です 私達は皆等しいのです 私を信じる 必要はありません 聖書を出して 読んで下さい 私達は皆神の子である そこにそう書いてます
仏陀も同じように 言っています 私達には皆 仏性があり 皆が仏陀になれる と 彼だけが唯一の存在で 他の人は 仏陀になれないとは 決して言っていません イエスも言っています 私の成した事は何でも 汝はより良く成せる また「汝も出来る」と 過去の全マスターが 私達は神の子であり 望めば私達は等しく 神を見出せると 私達に言っています 勿論 望む人もいれば 望まない人もいます それはまた 別の問題なのです そうです 誰であれ 神を見出したい者は 神を見出すのです 長くかかる事もあり 短く済む事もあります 機が熟すためにです そうなれば私達は 方法を教えてくれる 人を見つけるのです すでにその方法を 知っている友や 導き手や誰かが 私達に教えてくれます そうすれば 私達は それをすぐ行えます 私達は既に持っていて ただそれを見つける 場所を忘れてるのです ええ ポケットに 何かを入れて 忘れてしまい あちこち走り回って 尋ねるのと同じです 「メガネはどこだろう 私のメガネはどこ」と そういう事があります
またメガネや サングラスなど 頭に上げておいて 頭に上げておいて 何か重要な事で 頭が一杯だったり 悩んでいたりすると 忘れてしまいます あちこち走り回って 尋ねるのと同じです 「メガネはどこだろう 私のメガネはどこ」と ずっとそこにあります 誰かがたまたま 通り掛かって言います ここですよ あなたの 頭の上にありますよと 簡単ではないですか 簡単ですね そうすれば 簡単に すぐに探せるのです そうですね そうです ええ 神を探すのも 同じくらい簡単です 信じようが信じまいが 私は皆さんに言えます 私に起こったからです 私はかつて断食をし 苦行をしました 一日中 ひざまずき よく 一晩中寝ないでいたり 何週間も食べないで いました 神が私に哀れみを 掛けて下さいますよう 神が存在するなら 姿を現して下さいと でも神は気にしません
正しい方法でないので 効果がなかったのです そしてある日 神は ある人を連れて来て 言いました これこそが道です 試して 効果があるよ それは本当に すぐに 効果があったのです それ以前は 私は何時間も何日も 何カ月も続けて ずっと聖書を読んだり 経典を読みました 声が 全く出なくなるまで 疲労で 倒れてしまうまでです 時にはあちこち 走り回りました 様々な国 様々な寺院 様々な教会を 問題の答えを求めて 神はどこにいるのか どう神を見出せるのか 私に教えて下さいと けれど 沢山の事をやりました 聖書を繰り返し 経典を繰り返し 数珠を繰り ロザリーを繰りました 私はあらゆる事をし マントラを唱えました ヒマラヤへ行き 大地に礼拝し 天に礼拝しました 遥か彼方まで出掛け 沢山の事をしました 方法を見つけるまでは 効果がなかったのですそういうことです 本当にたった一つの道 とても簡単なのです 私は神を見ました つまり その時 神が選んだ形をとって 現れるという意味です 私はいつも聖書と共に 眠っていました 聖書と共に眠り どこにでも 聖書を 持って出掛けました そして 毎朝 毎晩 仕事の後で 仏教経典を読みました どちらが正しいか 分らない場合に備えて 両方に祈ったのです 万一忘れてしまったら 片方が必ず聞くように でも 無駄でした それで 結果的に 正しい鍵 正しい法門 正しい道を 見つけた時 神は現れるのです それ以来ずっと 姿を現しています 神は行ったり来たり ずっとして いつでも 私を喜ばせてくれます それでいいのです 私達は常に一緒だから 神が本当に 存在してることが分り とても安心しています いつも神と接触でき 魂でという意味です いつも神と接触でき いつも 神と触れられるのです 神は常にそこに存在し 神は遍在します 神は私の内外に
空気の中に どこにでも存在します
神はマイクの中にも 花の中にも皆さんの 中にさえも存在します 皆が全員神なのです 本当に安心しています 愛されていい気持ちで 大はしゃぎなのです
それは 瞑想の後 私達は常に 百発百中で 望むものを全て得ると いう事ではありません そういう事ではなく 問題は 望むものを 得ようが得まいが なおも幸せでいると いうことなのです そうすれば 私達は 代わりに他のものを 得る道を見出すのです 地団太を踏んで 失ったり 得られなかった ものの事で 不幸せに 思うのではなく 私達は より賢明に より柔軟になっていき とても沢山の事をやれ 他のものを得る 沢山の方法を試せ ただ過程を楽しみます それが瞑想の 良い点です 私達はいつも 幸せでいます
さて言っておきますが 私はただ 皆さんに 瞑想していれば 全てが望むように 起こるという幻想を 持って欲しくないです 本当に起こりますが それがあまり 良くない事もあります 起こらないのです 時に 神は皆さんに非常に 不慣れな状況を与え 瞑想してなければ 私達はその状況が 理解できず 私達の思うような 形でなければ 不幸せに感じ始めます 自分の望むように事が 起こらない事と言えば 冗談を話しましょう 皆が今回の準備に 忙しかったので 私は彼らを 煩わせたくなくて 私のための運転手や 私のために ホテルを探したり 予約する人を望まず 全てこれらを 自分でやりました 私がここへ来ると あなたの部屋はない と言われました 吉報です またタクシー運転手は 料金をぼって おそらく 私を道端に置き去りに したのでしょう 私がポルトガル語が 分からないと思ってね
そして 入ると 部屋がなかったのです ですから私も皆さんを 煩わせたくないのです 自分が先生なのだから 自分の事は自分でと 思ったのです ほら「マスター」は 自分の面倒を見ると ですから 言いました 「いいでしょう 出て ホテルを 探しましょう」と 至る所探しましたが 部屋はありません ポルトガルは 大変有名で皆が バカンスに来ています ですから この辺の全ホテルが 満室なのです 遠くの 本当に小さな ホテルを探さねば なりませんが 構いません それから 私は二泊 するのを忘れてしまい フロントで 一泊と 言ってしまったのです そしてもう一泊したい すると言われました すみません満室です
他に移って下さいと すでに 講演会に必要な物を 全部広げていたので それらを再び かばんに詰めて それで 別のホテルに 自分で運びました 幸運にも 一泊できる 部屋を見つけました ええ でも面白かったです でも その前には 私は違うターミナルで 降ろされました スペインでです 別のターミナルを 探すのに何マイルも 歩かねばなりません それも 面白かったです それで 荷物を半分に する事を学びました もっと減らすべきかも しれません それで終わりではなく ポルトガルに来るまで 沢山のテストがあり 沢山のテストです ここにやって来る時 私は自分の部屋から タクシーを呼びました 私は言いました 「タクシーを 呼んで下さい 五分後に行きます」と ですから 私は特に 前もって頼み フロントに言いました 運転手にメーターを 倒して待ってて下さい すぐに行きますからと 伝えて下さいと そして 行ってみると おや 誰もいません 降りてみると タクシーがないのです それで 私は道に出て 自分で手を 挙げたのです 思い通りにしたいなら 自分ですることです よかった やっと一台が止まって そして 彼は 角を曲がって 坂を上り始めたのです どうなったと思います
私達の車の前に大きな ミニバンがいました こんな坂で押していて タクシーの真ん前で 坂を押しているのです 信じられますか
私のタクシーはまだ 坂の真ん中あたりに 差し掛かった所です 私は彼に言いました 「バックして下さい
誰も後ろにいないから ゆっくりバックして 違う道を 行きましょう」 すると彼は言いました いえいえ待って下さい 私は急いでいるんです お願いですバックして バックしなかったので 別のタクシーに乗り 換えねばなりません タクシーから出て 元いた所へ歩いて戻り 別のタクシーに 手を振ったのです どうして彼らがそんな 大きなバンを坂を ずっと押し上げて行く のか分らなかったから どうやって 十分で 上れるか分かりません 神は最近 私をとても からかいます ですから 瞑想をしていれば 万事が常に順調に 行く訳ではないのです
常にそうとは限らず でも 私達はその事を 泣くのではなく 常に 状況を笑えるのです 私達が障害に 出くわしても 常に 出来る事があるのです 私達は内面に智慧を 蓄え 悟りを通して それを手に入れた後で 出来るのです
そういう理由で 多くの人々が 聖者や出家者 神父 僧侶などを 崇拝するのです 真の僧侶であり 真の神父 本当に内面で 悟っている人達をです なぜなら 彼らは 幸福に満ちており 充足し 信頼できるからです そして 沢山の人が 彼らの後に従います たとえ彼らが 名誉や富や 信者を 求めていなくても 人々は やはり側に寄り そういう聖なる人々と 友人となりたいのです しかし たいてい 霊修行をしている人は マスターを除いて きまって運が良いです マスターは 違った運命に耐えねば なりません ええ それでイエスは 例えばですが 悪いカルマ(報い) ゆえに 血を流さねばならず それは在世中の弟子の いわゆる カルマ(報い)や 罪のためです 彼はとても沢山の人を 受け入れたからです 時に 彼は目に見えない 彼らの重荷を 背負わねばならず 苦しむ必要があり そうでない限り 開悟したマスターなら どんな困難も経験する 必要はなかったのです 全宇宙が 彼を崇拝して いたからです いつの時代においても 他の霊性の師も 同じことです 時に たいてい 彼らは沢山の不快さを 経験せねばなりません 肉体的な苦しみ あるいは 精神的な 苦痛であったり でも彼らは苦難として 感じないのです 彼らは神への奉仕が できて光栄だと 感じるでしょう しかし一般的に どんなマスターの 弟子であれ 幸福を享受し 幸運を 人生で持つ 望みの成就を 享受するのです 肉体的に 精神的に感情的に もちろん霊的にです そして彼らが肉体を 去る日 真っ直ぐに 天国へ行きます 間違いはありません
この肉体での人生でも 幸福になるためにです 天国についてなど 言うに及びません ここで幸福になり 快適な人生を送り より知的な人になる為 私達は瞑想を しなければなりません 皆さんが気にしないと いいと思いますが 私達は まだ自身の頭脳を 十分に使いこなしては いないのです ほんの5%か10% しか使ってないのに 既に大変賢明です 私達は沢山の物を 発明します ですから 瞑想すれば更に自分の 頭脳の力を使うように なり もちろん もっと賢くなります 皆さんを侮辱している 訳ではありません ええ 平均的な人は 脳の力をほんの10% しか使っていません それは科学的に 証明されている 既知の事実です 残りの80%90%を 私達は無駄にどこに 置いているのでしょう それで私達は完全な 存在になれないのです 完全だと感じられず 私達はイライラして 弱いと感じます 完全な力を使った ことがないからです ですから 瞑想を 別の言葉で言うなら 私達の完全な力を 使いこなすと いうことです それこそが 瞑想の目的です
あるいはそれが 瞑想の意味です 私達の完全な力を 利用することです 神のように万能になり 少なくとも 神の子の ようになります そうでなければ 私達は些細な問題や 物事を処理する エネルギーが十分なく 常に満足した 完全なことが できないのです 私達には力や智慧が 欠けているからです だから神を知ることは 自分自身を完全に 知ることなのです そして自身を 完全に知った時 私達は神を知るのです 私達は神と一体 だからです 私達は私達を創造した 神に似ているのです 神は人を自身の姿に 似せて創ったからです そうです そういうわけで 時々瞑想中に 神が出現するのを 見ます 私達のような 人の姿をしています ある形を取るのです そうすれば 私達は 見たり 感じたり 話しかけられるのです それ以外に もちろん神はどこでも 存在します 神は無形です でも たいてい神は 無形なので 私達は 光に接触することで 神と触れられるのです 神は光だからです そして言葉なのです 永遠にあまねく 発している振動であり 宇宙中にうごめいてる 振動なのです
ですから 私達に その光が見えた時 この鳴り響いている 音楽が聴こえた時 その時こそが 神を 知ったと分かる時です これを 説明出来るような 言葉は存在しません ただこのパワーに 接触した瞬間に 私達は分かるのです ですから 聖書はこう述べてます モーセが神を見た時 炎の姿で現れたと 燃える柴です そして ある過去の聖者が 神が話すのを聞いた時 神の声はまるで大水の とどろきのようでした また聖書の中で 述べられていますが 聖ヨハネが 天国へ行った時 トランペットの音を 聞いたなどと これら全ての振動 宇宙の音楽は 神の教えなのです 私達は賢くなるために それを聞けるのです 光は神の栄光の姿を 変えたものなのです ですからそれで私達は 自分達も光の要素だと 分かるのです そして 私達がその光を見ると 私達はより輝きを増し より愛深くなり より 満ち足りるようになり ますます自身が 良く 分かるようになります 自身の偉大さを 理解し 天国の栄光が分ります もちろん私達は 内在の世界について 話してきました 目を閉じると この肉体や 周りのものを捨て去り 私達は神の王国へと 入って行きます 私達は天国を見ます
天国もまた存在します
天国もまた 場所として存在します 行きたいと思えば ある場所として存在し 心の中で感じ取る 至福として存在します 私達の瞑想と共に 日々成長していく 愛の中にも存在します 説明できないものを 全力で説明しようと しています 描写できないものを 描写しようと 全力で努めています 人間の言葉には 悟りの瞬間に 私達が感じる幸福を 描写する力は ありません 私達が 正しい瞑想を始め 自分で天国と つながるなら 人生において 悟りは 毎日得られます ですから 昔イエスや 偉大なマスターの 時代にイエスや仏陀が 天国とつながる この方法を人類に 教えたのです 人々は 大変感謝し幸福になり 神を崇拝します 私達があるマスターを崇拝したいなら 良いことですが 必ずではありません ほとんどのマスターは 非常に謙虚です 彼らはいかなる物質的 精神的な崇拝も 望みません 彼らはただ皆さんを マスターにしたいだけ 皆さん自身が 神の子であり 皆さん自身が 偉大だということを 気づかせたいだけです そうあるべきほど 偉大にしたいだけです 彼が他の誰よりも 優れていると思うかは 関係がないからです なぜなら 彼は全てが 平等だと分っています この世界でも天国でも どんな意味において 平等だと しかし それが 人の性なのですが 誰かが大変至福に 満ちた 稀なものを 地上での天国のような ものを教えてくれたら もちろん大抵の人が その人を崇拝します いかなるマスターでも 崇拝する必要があると 感じたら崇拝できます でも崇拝の最高の形は 皆さん自身が マスターになる事です自身の人生の 自身の智慧の 自身の運命の 自身の 誠心誠意における マスターになり 日々 そのものになる事です
私達は自身が 本当は誰であるか 完全に分かった時だけ そうなれるのです 正直になれるのです 私達はマスターの様に 人生を生きられます
幾らか さらなる ご質問がありましたら お答えしましょう
瞑想とは瞬間に 訪れるものですか あるいは瞑想が出来る ようになる前には 長い訓練の期間が 必要なのでしょうか それは瞬間に 起こります また訓練も必要です 今 瞬間には 起こりません 皆さんは方法を 知らないからです 私達が教えた後で それはすぐ起こります しかし 訓練も必要です 瞑想のために訓練が 必要なのではなく ただ神の声に耳を 傾けるために 静かに する必要があるのです それを私達は 瞑想と呼びます 大抵私達は忙しくして いるのを好みます
もちろん生計を立てる ためには 一日に 八~十時間 それ以上 働かなければ なりません それだけで大変忙しく 騒々しいです 映画に行き テレビを見たり 電話もかけたり しなくてはなりません 友人に電話をかけたり しなければなりません
そうして神のための 時間がなくなります ですからある時間は 静かにするために 自分を訓練すべきです そうすれば 神と 接触でき 神が何を 言いたいのか聞けます
それは初期の頃です 後になるとそれはただ 自動的にやってきます
私は本当に集中して やってみましたが 一度も光を見ることが できませんでした 私は自分の中を 見よう 理解しようと したのです では残って下さい お手伝いしましょう あなたが 光を見たいなら この講演後に お手伝いしましょう 私は本も沢山 読みましたが よくできません もちろん たぶん 正しい道を試みて いないのでしょう 時間があれば 講演後残って下さい 質疑が全て終わった後 お教えしましょう こんな風に光を見ます
スプリームマスター チンハイ より高次の境界に 接触できるに足る 静けさを得るには どうしたら いいでしょう ありがとうございます ええ残って下さい 講演後私がその方法を お教えしましょう そうです ちょっとした技です 心を静められる技が あります それで 神をちらりと 見られるのです 一旦 神をチラッと 見られれば 他のものは日々 どんどん 静まっていきます 神の愛さえ再び 開けられれば 全ての 渇きが癒され 私達の イライラは解消します
神を認識したい明知を この一生の中で 得たいと深く望む事は 間違っていますか ありがとうございます いえ間違っていません それこそが私達が唯一 成さねばならぬ事です 他の全ての事は ついでの事です 私達の全人生は 神を知るための思いに 捧げられるべきです しかし 私達はそれでも 仕事ができます お金を稼げ 家族を持てるのです こういう事はついでで でも神に集中する事は 必須です 私達は神を知るべきで あなたが知りたいと 思えば それこそが 唯一の目的です すべての他の事は 移ろいゆくものです 全ての他の物は私達が この物質界を去る時に 置いていかねば なりません 私達が神を 知らなければ私達には 何も残りません あなたの神についての 概念を教えて下さい
私はずっと頑張って 来ましたが それでも 理解してないのですか 最初から講義を やり直しましょうか でも非難はしません ケーキがどんな味か 知るには 食べて みなければなりません 話したり 聞いたり 広告だけでは 決して満足できません 神を知りたいなら 私と同じ事をすべきで 私の神への概念を 知りたければ私がして いるように 神を知る 必要があります 誰も水の説明を 聞くだけでは 渇きは癒されません そうではないですか 私は百年でも 水の説明ができますが 皆さんはまだ渇きます ですから残って下さい 神を知りたいなら 私がお教えしましょう それで 自身の神の 概念を持てるように なります ええ すぐに知る事が 出来るようになります その鍵は何でしょうか いかにして私達は鍵の 使い方を学び 内面の 本性の声を聞けますか 祈り 真言とは別に どのようにして広げ 自分の内の神の存在を 理解できるでしょう ありがとうございます ええ残って下さい 講演後 教えましょう
神と意思疎通を 図るには 音を使って ことばを 通してだけですか
ことばを通してです 音 ことば バイブレーション エネルギーそうです それを通し私達は神と 意思疎通が図れます ことばが神だからです あなたは瞑想に 唯一の条件を おっしゃいました 肉を食べてはならない 菜食者になりなさいと タバコやお酒は 瞑想に大丈夫かどうか 分かりません
ダメです やはりタバコは やめるよう忠告します もちろんすぐには やめられないことも あるでしょう 徐々にやめて下さい 何であれ 不自然な事や ビジョンを 曇らせるような事は 瞑想には 良くありません そういうものは 頭脳を騒がせ 混乱させます 麻薬とか酒とか どんな類の刺激物もで また強烈な 肉や興奮を 促すようなビデオや あらゆる興奮を促す 挑発的な読み物などは ひどく心の平穏を 乱します それゆえ瞑想には全く 相応しくありません それは 私達は静かに 座りたいからです
ですから肉 お酒 タバコ 麻薬 そういうものは全て 私達をより挑発し イライラさせ 静かに 座れなくなります 私達が全てを置いて 静かに出来なければ 神のメッセージを 受取るのが困難になる それだけです 私達が厳格だとか そんな事でありません 動物のエネルギーは 非常に落着きのない もので恐怖と憎しみに 満ちています それで私達が肉を 食べてしまえば私達の 磁場に影響を与え 非常にイライラして しまうのです 時に私達のビジョンを 曇らせ 神をはっきり 見れなくなってしまい 神の声をはっきり 聞けなくなります 可能かもしれませんが 比較的粗野なレベルで 物質界により近い 物質界により近い レベルです しかし私達がより高い 最も洗練された バイブレーションの 所に行きたければ こうした粗悪なものは 一切取っていけません 特に動物の エネルギーです 菜食のエネルギーは 比較的軽く 処理しやすいのです 私カジミーラは霊的な 問題を少し抱えてます
時々ひどいゲップをし 変なゲップです どうやったらその変な ゲップを止められるか 知りたいのです あなたはどんな事を しているのでしょうか あなたがどんな瞑想を しているか分りません もう少し詳しく 言ってもらえますか タマネギか何かの 食べ過ぎかもしれず 霊的な問題には 何ら関係ない かもしれません 消化機能の 問題かもしれません 医者に行って診断して もらったらどうですか
これはとても複雑です どうやったら神を見れ 霊的な道を見れますか 今からはっきりと 見れるのでしょうか いつ どういうのが 瞑想に良い 瞬間なのでしょうか 本当に神を知るには どうしたらいいですか いつ神は続けて 姿を現すのでしょうか 神はずっと私の道に 私の家族に 遠くでも近くでも 光明を与えるのですか
犬や猫も含まれますか ええ 神はどこにでも います もちろん でも私達がどのくらい 心を静められるかで どれ位静かになれるか どれ位 誠心誠意か どれ位神を知りたいと 本当に望んでるかです 神はいつでも あなたに相応しい時に 現れます 神は常にそこに存在し ですから 神が姿を 現すか否かなど 聞く必要さえないです でも神を見たければ 私達は静まらねば なりません ですから 静まりの 程度によるのです もちろんいったん 私達が神を知れば 印心後は 過去や現在の五、六、 七、九世代だろうと 神に引き取られ 同様に 明知を与えられ 守られるのです 彼らはあなたの努力や 福報を通して 神を見られる事も あるのです それは誰にとっても 計り知れない 加護なのです あなたの猫や犬でさえ 冗談を言ってません あなたの友人や恋人に とっても そうです 誰でもあなたが思う人 面倒を見る人に あなたを通しその人に 加護が流れていきます いったんあなたが 悟ればです ですからお尋ねの様に ご家族をそんなに 愛しているなら 皆も含まれますが 急いで何かして下さい 神を知って下さい それこそが 私が信じ 最初にすぐさま 印心を受けた 理由の一つです 家族の何世代もが 利益を得ると 聞いたからです 理由の一つです 皆さんと同じです それは素晴らしいです 大変素晴らしいです
このポルトガルで いつどこで 瞑想を学び 修行が出来ますか 今すぐです ここです 外へ行き名前を書いて 下さい 今夜です 基本的な事を いくつか教えましょう そうすれば 毎日家で行えます 後でもっと 質問の必要があれば 私に手紙を書いても 私を訪ねてもいいし また会いに来ることも 出来ます 何でもです 集中するのは 私には大変難しいです 始めると 嫌なイメージが 心に浮かんで 瞑想を始める 集中力を 妨害するのです そうです ですから私達は何度も 繰り返し 自分を訓練 する必要があるのです 私達が集中しないと 神が現れないのでなく ただ私達が 集中していないと 神を見えないという ことなのです ですから新しい方法に 慣れるまで 私達は自分の頭脳を 少しずつ訓練して いかねばなりません 全ての事が単に習慣で 形成されたものです 私達が何度も繰り返し 行う全てのことが 自然になり パッと 出来るようになります 今日私達は皆さんに 神を一目お見せします でも皆さんが 神を何度も繰り返し 見たいのでしたら もっと神を見れる ようになるために 毎日すべきです そういう訳で皆さんは 神に瞑想する方法を 知らねばなりません 必ず菜食にならずとも あなたの意見では 悟りの境地に 到達することは 可能でしょうか 肉食を捨てることなく 光を見れるでしょうか 例えばです
ある程度の悟りは 得られるでしょう すでに前に話しました あなたが高い境界に 行きたいなら 私達は動物製品の 粗野なエネルギーを 捨てねばなりません 私が言っている事が 本当でないとしても 神を知る為の犠牲なら 僅かな代価ですね 神を知り愛と慈悲 そのものになりながら なおかつ 他の衆生の 苦しみを楽しんでると したらどんな良い事が あるのでしょうか 神は全愛であり 全慈悲なのです 私達はもっと神の様に なりたいのです 慈悲だけでも十分 菜食になる理由です それで悟りを 得ようが 得まいが 慈悲は一つの徳であり 私達が持つべき物です もちろん皆さん次第で 皆さんが自分の人生を 歩む道を選ぶのです 皆さんが 尋ねたので 私はお話しています ありがとうございます 今日私達は その法門について 情報をもらえますか ええ もちろんです 外に用意してあります もう少し聞いてみたい とお思いなら 外に行って法門に ついて尋ねて下さい 彼らもお伝えできます また一般論を言えば これは 法門ではありません それは沈黙の伝授です それを法門と呼ぶのは 皆さんがそれは何かと 尋ね続けるからです 印心中は話しません 沈黙です すると神から沈黙の パワーが降りて来て 皆さん自身のパワーを 開くよう手伝うのです
例えばですが パワーを通すのに 神は私を電柱として 使うのです それ以降 神と直接 意思疎通が 出来るようになります それに掛かる費用は 今も今後も死の前後も 一切ありません 無料です 私の教えは全て無料で 皆さんは私に対して 何かする義務は 一切負いません ただ毎日自分のために 瞑想して下さい 自分の家でです 私に会いたければ たぶんどこかに 場所があるでしょう 私に会いたければ 歓迎します 再び私に会うことが なくても構いません そしていわゆる法門 皆さんに教えるのは 法門ではないのです ただ快適に座れる様に 座り方を教えるのです より良く 神が 見れるように集中する 場所を教えるのです いつ瞑想すべきか より心が静まるのは いつか あるいは 皆さんにとって一日に 何時間位が最良かなど それだけです これらは実際 真の法門でありません これらは単なる指示で それで皆さんは より気持ち良く 座り方が分かるのです それを除くと 法門は沈黙だけです 法門は記述されず 法門に痕跡もないので それで私達はそれを 聖書や経典の中にも 見つけられないのです
仏教 キリスト教 イスラム教 シーク教 ジャイナ教何であれ どこにも見当りません それらは神について 語っているだけで 神の見つけ方を教えて ないのは言えないから この事は生きた 電柱を通して以外 伝授できないのです 古代よりそうでした なぜ神が電柱を選び 他を選ばなかったのか 私に聞かないで下さい 神は神の望むことを するのです しかし後に自分自身を 完全に知れば 私達は電柱になれます ある日神が 言うかもしれません あなたですよと その時あなたが 生きた電柱に なりたくなくても 逃げられません それが運命なら 神は必ず それを成します その時私達にはもはや 自分の意志がないから 抵抗したり「はい」や 「いいえ」と言う エゴがもはやないから 神が私達に せよと望む事全てに 必ず はいと言います 生きた伝授者が 必要なのです それだけなのです そして皆さんは自分の マスターになるのです 皆さんはもはや何も 私に負う所がないです まったく 何であれです
私は瞑想の最初の形は 直感で現れ 答えは夢を通して もたらされると 信じています それは正しいですか ええ それぞれが違います 皆が同じではないので 皆の瞑想の体験は 同じではないのです でも正しい方法は ほとんど 誰に対しても同じです それは非常に科学的で 例えば 宇宙に沢山のレベルが 存在するとして 皆さんがその第一界を 通過する時 どんなものを 見るかというように また第二界を 通過する時 どんなものを 見るかというように 皆さんが同時に 第一界と第二界で そうしたものを全て 見る訳ではないですが 第二界にあるものは 何であれ見れます 同じなのです
私達が最高のレベルに 到達する前 いくつか粗野な レベルを通過します この物理的な レベルのようにです それからほんの少し 洗練されたレベルへ 更にずっと洗練された 更に更に洗練された レベルへと進みます 私達が無形になるまで 神と一つになるまで それぞれのレベルには 一定の印があります その印で自分がどこに いるかが判るのです だから大変科学的です 神の方法は 科学的です 神は科学者であり 科学的だからです 神が全てのものを 創るのです いいですね
瞑想中の直感とは 何でしょうか 神を見て本当にそれを 得たとどうやって知り 心でどう感じますか ええ もちろん 神を知り 私達の心が 満たされることが 私達の目的です そう そうすれば 心が満足します それは私が約束します 私自身が経験したから それ以上の物はなくて 聖書の中で言ってます 全世界を手に入れても 自分の魂を失った 人間にどんな価値が あるだろうかと 私はそれを実証でき 私は再び神を失う くらいなら 世界を 失った方がマシです しかしそれは私です 皆さんは 選ばねばなりません 実際 選ぶ必要はありません 皆さんは全世界を 持ちつつ 同時に 神も持てるのです それこそが あるべき形です 今世界だけを 手に入れていて 神を手に入れてません それは残念な事です 両方手に入るからです 神を知るために世界を 放棄すべきではない 違います 神は私達が楽しむよう すべてを創ったのです 美しい女性を 妻にし 愛すために 創ってくれたのです 美しく 素晴らしい 子供を与えてくれ それで皆さんは 彼らを愛し 守り 犠牲になる 方法を知るのです 無条件の愛や 献身的愛が どういうものか 知るのです これらすべては 神が 貴方に所有を望みます しかし私達が 世界だけを手にして 神を手にしてなければ 半分を持つだけです 半分さえも持ってなく ほんの少し 持っているだけです それら全ては失います 一旦神を手に入れると 私達は全て手にします まず神の王国を求めよ されば 全てのものが 与えられん それこそが 私達の生前に 神が約束した事です 私達はそれを忘れ それは残念な事です 私達は自分達の 権利を 栄光を 私達の持ってた全てを 取り戻すべきなのです 私達は全宇宙を 所有してるのですから
聖者になりましょう そして同時に 世界を楽しみましょう 美しく豊かな聖者になり ええ 私はほんの少し 開悟した頃 古代の 多くの 聖者の足跡を追い 全てを捨てました 私は何も気にせず 何も欲しくなくて もはや私にはそれらが 何の魅力もないのです でも神が言いました あなたは全てを 持たねばならない 全て持たねばならない 全てを与えよう 望んだもの 必要なもの以上の 全てを あなたは 私が天なる父で 霊的覚醒も含め 全ての物を与えられる という事を世界に 示さねばならないのだ 私を愛するために 何も捨てる必要はない あなたがどうであれ 私はあなたを 愛しているのだから 神は言いました 私はそうすべきでだと 栄光ある形で 行わねばならないと 私は言いました 「天父よ 望むままに」 でも私はむしろ 質素な方が好きです する事が少ないから でも神はそれを好み 私は神に言いました でも天父よ古代の聖者 仏陀やイエスは 素足で歩きましたね
彼らは質素な衣服で 食物を乞うて 歩きました なぜ私に全てのものを 所有させたいのですか 効果があるでしょうか というのは 世界の ほとんどの人が そうした聖者の生活に 期待しているからです すべて捨て去り 何も持ってない人達や 貧しそうに見え 素足で歩く人をです
神は言いました いえ 時代が違うのです 現代に合わせなさい あなたは時代の流れに 合わせるべきだと そうです それで気にさえしない 全ての物を持ってます 皆さんが 私を通りで見かけたら 質素な私に気づきます しかし私は トランシーバー 電話 ファックス メール等 全霊的装備を備えます 片手に電話 別の手にも電話 別のファックス Eメール何であれです ええ 面白いです 少なくとも電話は 六台も持ってます 様々な国の 様々な電話番号のです 時々 一つが動かなくなると 他のを掴まねばならず 一つが壊れれば もう一つが控えてます そうしない限り私は 神が望むような形で この仕事を行えません なぜ卵を食べませんか はいお話ししましょう 卵は中にヒナが いることがあります 命が芽生えてることが ある それが第一です 第二に 卵は皆さんの霊的 エネルギーに良くない より否定的な振動を 引付ける傾向があり たとえ それが無精卵でもです 卵は生死の象徴です 生まれ変わりを 望まないなら 具体的に言えば 卵から離れてて下さい 皆さんが魔術を よく知ってれば 魔術師が時々 卵を使って 霊に憑依された人から 霊を引っ張り出すのを ご存じでしょう 悪魔払いです ある魔術師達は 卵を霊に 食べさせるのです 彼らはそれを外に出し 植物に入れます
よくご存知でしょう ええ 素晴らしいです ですから皆さんは 体に霊を憑依させたく ないだろうし そんな 卵食べたくないですね 私は嫌です 卵を体の中に取込むと 直接否定的な力を 引寄せる事になります そんな事は望みません 恐がらせたいのでなく こうした事は 私が知ってる事であり 尋ねられれば 教えねばなりません 皆さんが尋ねなければ 私は何も言いません
貴方の法門はラージャ ヨガと同じですか
古代は同じでした 本来のラージャヨガは はい 本ものです 私は人を助けるために レイキを修行してます レイキとは 宇宙生命力です それは瞑想と 反するものでしょうか
それは心霊治療です 私達の団体内では 行わない様忠告します あなたがそこに いたいなら構いません 私達は誰かを癒すのに 自分のエゴとか体とか 肉体的な何をも 一切使わないのです 私達が接触した人 思った人 誰に対しても ただ神がしたい事を ただ神がしたい事を 行わせるのです 悟ると 私達が十分な力を 得ると 人を癒すために 近づく必要がなくなり ただ神に委ねるのです 神は私達を使って 神の望んだ誰でも 癒せます 私達が実行者であると 示す必要なくです 私達はもうそんな事は 行わないのです 人を癒すのに 貴方がまだ肉体や手や 阿修羅のエネルギーを使う必要があると 感じるなら 今いる所にいた方が いいでしょう しかし私達はもう少し 高い所に行きたいです 私達は神に 全てをさせるのです 私達は動きません そう あなたが歩く所 どこでも人々は癒され あなたが思った誰でも 利益を得るのです あなたはその事を 知る必要さえないです もはや遊ぶエゴが 存在しないからです それが最高の方法です
イエスがある人を 癒した時 彼は言いました あなたの信心が癒した 私でない 我が天父が それを為したのだと 彼は決して何も 主張しませんでした それが愛の方法です エゴのない方法で 神の方法なのです 私達は行わずして行う ですから私は仲間には 自分のエゴで 遊ばないように エゴの罠に掛らぬよう 忠告するのです 神が行い手だからです 手をかざしたり 足をかざしたり する必要はありません 誰かの為にマントラを 唱える必要さえなく 祈る必要さえないです 祈る必要さえないです 皆さんが思った時 誰かを気の毒に思い 誰かに哀れみを抱く時 神はすぐ働き掛けます 結び付きが出来た後 神はあなたが望む事が 分かるのです 直接繋がってますから ね そうです そして印心後もまだ エゴと遊びたいなら 皆さんの霊的成長の スピードが落ちます ただそれだけです 何一つ禁止でないです ただ残念なだけですね 神はそれをもっと良く 行えるからですね いいですか イエスキリストは 在世中言いました
誰一人として 私を通らずには 天父の下へ行けないと 誰一人として 彼を通らず 天父の下へ行けません 様々な宗教が存在し キリスト教だったり そうでなかったり その事実を どう説明しますか またキリスト教にも 違う慣習や修行法が 幾つかあります ある人は天国に行くと 信じある人は違います イエスが在世中に 復活について 語ったなら 人が死んで 説明通りに 天国に行き いったん行ったのに この様に復活するには 何の目的がありますか ええ 良い質問です マスターは 在世中は 生きた柱です それで誰であれ 彼の下に来た人は 天父に受入れられます その瞬間 天父が 生きた柱となるために 彼を選んだからです しかしその人がいなく なると 誰か他の人が 仕事を引き継ぎます これが私達人類が してしまった 最大の誤解です 唯一の人と思い込み 仏教徒は仏陀だけで 他の人は存在せず 他の人は皆無心論者と 信じています そして キリスト教徒は イエスしか存在せず 誰一人彼のレベルでは なく 彼こそ唯一の 神の子であると 信じています
またイスラム教徒では ムハンマドを信じて いたりなどです それで私達は沢山 血を流してきたのです 宗教をめぐる沢山の 血を流してきたのです 私はこの誤解を 明確にさせたいです いつでも神が選べば 皆もイエスのように なれるのです 神が使えるように 自身を十分浄化しさえ すればです それが皆さんの運命と 神が思えば 神は 皆さんを取り上げ イエスのように 偉大にします 神は私が真理を語って いる事が分っています 私はそれが真理だと 分かっているからです 神は常に人類を救う為 ここに愛する子を 代わる代わる 送っています そうでなく たった一人だけ 送るなら大変惨めです イエスの事を知らない 人達はどうしますか イエスを知らない 紀元前に生まれた人は どうしたのでしょう 皆地獄へ行くのですか 分かりますか いつの世代においても 少なくともイエスと 同じくらい偉大な師が 地球上にいます 私は常に真理を語って います 私が知る 真理であり 神は その事が分っています
ラージャヨギは 菜食ですが ニンニクや玉ネギを 禁止しています 従った方が良いですか それらが霊的進歩を 遅らせると言います ええ 時折それを 食べても構いません 食べなくてもいいし まあ皆さん次第です 玉ネギやニンニクは より性欲を刺激すると 言われています そして皆さんは自分の 心を静めたい時は たぶんよけいなものを 望まないでしょう それだけです しかし皆さん次第です 皆さんが既婚で 気に しないなら構いません 自分で試して みるべきです 私達は狂信的に あまり沢山のものを 禁止したりしません すると 人々は恐れで 瞑想出来なくなります まず人々に瞑想を させましょう そして 彼らは自分で 何が最良かを選びます 私達はただ人々に ある一定の 本当に深刻な有害物 肉 酒 麻薬を 摂らないようにと忠告 します それだけです 私達は輪廻しますか あるいは 一度きりの 人生なのですか 何回か生まれ変わりが あるなら それは 完全な神への 到達までの成長過程 なのでしょうか その通りです 質問が 答えになっています その通りです
死をどう見ていますか 私はそれを毎日見ます 体から出て 上る時に 毎日見ています そして帰って来ます 私は毎日生まれ変わり 毎日復活しています 大した事ではないです ただ汚い袋を置き去り 出て行き 時々 戻るのが嫌になります
神との直接な繋がりに 焦点をあてていますが あなたは潜在的な神と 人との仲介者である 天使や大天使ケルビム セラフィムという様な 大宇宙の天使群を どう思いますか
彼らは私達の友人です 問題ありません 彼らは皆さんが上って 行く間皆控えています 私は彼らへの挨拶の 仕方と迂回して素早く 進む方法を教えます 皆さんが方法を知らず また先生に紹介されて いなければ 彼らが問題を 起こす事も 本当の事です しかし私達は皆さんを 彼らに紹介し皆さんを 世話する様に言います 彼ら天使たちは時に 私達の召使なのです 皆さんが高く上れば 上る程 彼らは崇拝し 時に皆さんが更に高い 境界に入ると 全ての 天使その星の全衆生が 一列に並んで皆さんを 崇拝します 彼らは皆さんに 奉仕できて大変幸せで 自らを召使と呼びます 印心中マスターの側に いるのとマスターから 遠く離れた所にいるの とでは何か差が ありますか
いいえ ありません とにかく誰が師ですか あなた自身です いかなる肉体を持った 師など必要も ありません 仮に例えば ですが 私がマスターだとして 皆さんは私の臨席を 必要としません なぜなら いわゆるマスターが この星に存在すべき なのは そのように 物質的雰囲気とだけ 結び付けられる からなのです しかしマスターは 皆さんを助け 悟らせる為に必ずしも 皆さんの真ん前にいる 必要はありません 神の方法は 遍在だからです 全てこのような質問を 私に尋ねる必要はなく 既に答えを持ってます 皆さんがすべき事は 自身の智慧を目覚め させる事だけです 私はあっという間に 教えられ無料で 義務もありません 費用は私持ちです 試してみたらいかが 失う物は何もないです そうすれば全質問の 答えが非常にはっきり 分かります 皆さんが マスターだからです 皆さんは私の魂となる 天の父と全く同じ魂を 持っています 全く同じものです ええ 私を先生にしないで 自分を先生にします 私を良き 存在であり 高貴であり 実に賢く聡明であると みなさないで 皆さんがなって下さい 出来ます 試してみたい人に 皆さんが偉大であり 今日から偉大になれる 事を喚起するために 私はここにいるのです
瞑想するには必ず 阿修羅世界を旅すべき なのか 又はその方が 都合がいいのですか 霊的な導き手は 存在するのでしょうか 彼らと接触できますか ええ 出来ます 瞑想中にです イエスにも会え 話も出来ます 仏陀も モハメッドも 過去の 皆さんのマスターも 誰であれ見られます 彼らに会えます しかし私達は 印心後の 偽者と本物の 見分け方を お教えしておかねば なりません 全てを人々に教える 時間が必要なのです ここで同じように お教えできないのです 皆さんに教える事が 沢山あります
一人で瞑想しますから 全部知らなければ ならないのです それで後であなたは 家で瞑想できますね 分かりますか 悟りは即座に起こり ますが 皆さんは毎日 それを更新すべきで また何が良く 何が 好ましくないか知って おかねばなりません 私達は既に天国を 忘れてしまっていて 再び知るべきなのです 天国を訪問する前に とても沢山の事を 知る必要があるのです それで全ての事を 皆さんに教える必要が あるのです 瞑想中 皆さんは このような場所を全て 訪問しますので 対処法を知る必要が あるからです とても深刻な状態なら 後で私に質問する 必要もあるかも しれません 皆さんが 自分の足で立ち 自分のマスターに なる時まで 印心は単に 始まりなのです ですから皆さんは私に でたらめに無責任に 教えろとは頼めません 危険を覚悟で やってみる事は できます いいですか でも万が一質問する 場合に備えて 私の住所を控えておき 皆さんが自分の住所を 教えたくなくてもです 皆さんが導き手なしに 勝手に瞑想したなら 問題にぶつかるかも しれないからです 皆さんは本当に 初心者ですから 全てを忘れてしまい 再び学び直すべきです 質問はレイキの 印心を受けている人が 印心を受けたいと 思っていたら どうすべきですか それならレイキを 忘れねばなりません 私は既に答えました 或いはそのままでいて 準備ができる迄待って 私の所へ来て下さい 何であれ 修行に 全霊をつぎ込まねば なりません そうしないと両方から 結果が得られないです 菜食と瞑想で 印心を受けられる歳に 制限がありますか 菜食を始める 年齢がいつかと いうように 六歳から六十歳 小さすぎれば 理解できません 歳を取りすぎると 非常に大きな変化は 時に体や心に良くない 事があります しかしいくらか例外も あります いくらか例外も あります
とても短い質問です カバラを 知っていると 便利だと思いますか
今やとても多くの人が カバラを 勉強しているからです カバラですか とても沢山の人が 何でも始めています あなたは どちらが 自分にとって最良かを 知らねばなりません 沢山ありますから とても沢山の理解度も 存在します 私はとても たくさんのことを 試してきましたが これこそが唯一です 即座に起こります 即座に起こって永遠に 結果が得られます 他のすべての事には 責任が負えません
危険覚悟でやりなさい 瞑想にはイメージとか 象徴というのがあると 私は信じています 「永遠の狭き回廊」が どういう意味を持つか 知りたいのです
話す事が 沢山あります 取るに足らない事です 私達には数え切れない 知るべき事があります ですから印心を受けて みたらどうでしょう もっと学ぶべき事が 沢山あります OK 数え切れないほど 無数にあります 後になれば すぐにその回廊から 去りたいと思います もっと面白いものを 見たり 知ったりするからです
不幸を前にしながらも 瞑想で 穏やかさや心地良さを 得られるなら それは私達が感情を 失うという意味ですか
戦争やとても沢山の 差別を目の前にし 悲しむべきでしょうか 悲しむべきです 私達は より正直になるのです 私達は泣く時 本当に泣きます ある人達に 同情する時 本当に同情するのです 私達が何かを 失う訳ではありません 私達はただ得るのです 真実そのものになる そうです 私達は何も失いません あらゆる人々を助ける ために 私達はなおも お金を稼ぐべきです 私は戦時下の人を 気の毒に思います それこそが 私が今回 欧州ツアーを行う 唯一の理由です 私達の回りにある 全ての良きエネルギー 同じ思いが 見ず知らずの人々の 苦しみを最小限にする 事を希望してます なぜ あなたはそんな 質問が出来ますか 何かを失うなどと なぜ考えられますか ただ更に深く更に真実 そのものになります 瞑想中 時々 第三の目の方向に 光を見ます 星のような小さな光で それは 神の化身でしょうか そうです そうです それは最低レベルです 肉体のレベルの次の 永遠の 一瞬のきらめきです でも もっと学ぶ事が あります 注意して 菜食になった方が もっと清浄な生活を 送った方がいいです そうすれば もっと 高い境界に進んでも そんなに多くの障害に 遭わないでしょう 体に それほどの 苦しみを感じず もっと純粋な エネルギーを帯びれば 上って行けてより良い しかし もちろん 印心を受ける人には 私達は 全てを 教えます しかし これは単に 該当者向けの軽い 質問に対する答えです その人がしている 瞑想法が 何であれです 人生における全て 他の事と同じで 副作用を避け 最高の結果を得る為に 皆さんは学ぶべきです
私達が菜食になって 子供達が学校で 肉を食べるのを 受け入れられますか どうこうした社会的 制限を克服できますか 或いは 介入すべきではないか 子供達や夫であれ なおも肉食を 望むのであれば 構いません させておいて下さい
皆が自由なのです たとえ子供であれ 自由なのです あなたが彼らに 菜食の素晴らしさを 告げて彼らがあなたの 忠告を受け入れれば OKです さもなくば
ただ料理をして下さい 普通でいて下さい 印心を受けて下さい もっと良く分ります あなたが分ってる事は 非常にわずかな事です 全てを教える訳に いきません 皆さんを 守らねばならないから あまりにも多くの事を 知る事は出来ません それで 導き手なしに 瞑想を続ければ 問題が起こるのです ちょうど初めて アフリカの ジャングルに入り ガイドもいなくて 危険に陥るのと同じ 宇宙が常に優しいとは 限らないのです 私達の周りを 見回して下さい ほんの小さな星です とても沢山のまやかし 罠があり すでに とても沢山の危険が はびこっています 霊的世界に入っても やはり 危険が 待ち受けています 守ってくれ 方法を教えてくれる 導き手がいなければ 軍人をしていたら 霊的進化において 何か良くない事が あるでしょうか いえ誰でも大丈夫です 社会で非常に 閉鎖的に行われている 秘教グループの役割は 何でしょうか どれですか 私達は堂々と行い 閉鎖的ではありません ですから 分りません 私達が閉鎖的にすべき 理由など分かりません 良きものは 公開されるべきです 分かち合うべきです
リンゴは素晴しいです 皆が食べるべきです 少し残念です もっとおおっぴらに もっと時間やお金や エネルギーがあり より沢山の人が ここに来て 良き事を 学べればと思います いいでしょう
二〇一〇年十一月 三十日~十二月十日 メキシコ カンクンで 開催された国連 気候変動会議 (COP16)には この地球を 気候変動から守る 解決法について 共に働くために 一九三カ国からの 代表が集まりました スプリームマスター チンハイは多くの 首脳レベルの セッションに出席し 自らの支援と励ましを 提供しました 官僚や気候専門家は 温かく彼女を歓迎し その出席に感謝の意を 表明しました
来てくださって ありがとう (どうもありがとう) 地球への気遣いに 感謝しています
ええ ありがとう ありがとうございます ぜひ支援して頂きたい
ありがとうございます あなたの肯定的な エネルギーと祈り すべてに感謝します 神の祝福を
もちろんです 皆さんを愛しています
ありがとう
私達は世界の人々を 愛しています
長い間 あなたの勇気ある 行動に従ってきました
まあ そうですか ありがとう
神の祝福を 嬉しく思います 探していました お会いできて嬉しい 素晴らしいです この目標のため 努力しています
あなたとあなたの 組織に神の祝福を どうぞこれからも 努力を続けて下さいね
ご親切にありがとう あなたは世界的な 組織を創設なさったし あなたはとても 情熱的に (とても素晴らしい) お仕事なさっています
とても素晴らしいです 彼らの奉仕の心と 誠実さに 謙虚な心になります
あなたの指導力に 感謝します
スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉 二月二十日日曜日の 放送をぜひご覧下さい 「スプリームマスター チンハイ 国連気候変動会議に おいて」
スプリームマスター テレビジョンの本日の 番組をぜひご覧下さい 「スプリームマスター チンハイ 国連気候変動会議に おいて」は 智慧の言葉にて
メキシコカンクンでの 気候変動に関する 国連サミットの間 スプリームマスター チンハイは多くの メキシコのメディアを 代表する新聞 ラジオ テレビとの対談を 承諾されました さらにカンクン市長 尊敬すべきジェイム エルナンデスザラゴザ 市長とスプリーム マスターチンハイ 国際団体が 共同主催の 「最高の エコヒーロー祭」にも 貴賓として 招待されました スプリームマスター テレビジョンの 智慧の言葉 二月二十二日火曜日の 第二部を ぜひご覧下さい 「スプリームマスター チンハイ 国連気候変動会議に おいて」
スプリームマスター テレビジョンの本日の 番組をぜひご覧下さい 「スプリームマスター チンハイ 国連気候変動会議に おいて」は 智慧の言葉にて