智慧の言葉
 
どのように死後の幸せな世界を選択する方法    Part 1
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こんばんは 私は韓国で生まれた 中国人です 両親は中国人です 私は亀浦で生まれて 育ちました 私は亀浦市民と 言えますね でも私は高校卒業後 フォルモサへ 行きました 韓国を離れて以来 十年以上の月日が 経っています それで私は多くの 韓国語を忘れました 私は上手く話せるか どうか心配です 下手でもどうかお許し 頂きたいと思います 私はマスターに 約二年前に会いました マスターに会う前には 私は宗教について 何も知らず特に興味も ありませんでした

しかし二年前の ある日タクシーに 乗った時 私は非常に 美しい若い尼僧の 写真を見ました 私はちょっと 不思議に思って 運転手にこの人は 誰なのか尋ねました 運転手は 彼女は 彼のマスターだと 答えました そして彼女は 観音菩薩だと 在世の 観音菩薩 釈迦無尼仏だと 彼は言いました

その時私は 何も考えずに 彼に尋ねましたが その運転手は 彼のマスターについて 際限なく 話をしたのです 彼は言い続けました 「マスターが講演を していてもいなくても その体は全て 黄金の光を放ち 時には彼女の肌は 黄金で出来てるようで 時々彼女が 講演をしている時に 黄金の光は とても輝き 全ての 聴衆が目を開けて いられないほどだと 光は とても明るく 講演しているホールが すっかり光に包まれ 聴衆はすっかり 包まれてしまいます ちょうど全ての聴衆が 黄金の光の服を 着ているようです」 つまりホール全体で 空間全体のことです 私達が韓国語で言う ホール全体に 光が満ちるのです

その時私はその話が 信じられませんでした 私はこの種の神秘的な 話を信じません タクシーの運転手は 少し変だと私は そんな風に思いました とにかく私は彼の話を 止めたいと思い 何か くだらない事を言い 彼は話し続けました 私は聞かねばならず 私は既にタクシーに 乗っていましたから 私は彼の話を黙って 聞いていました 彼が言い続けた事には 「マスターが 講演をしている間 聴衆の中には 病気を患っている 人々や 他にも自分では解決 できない問題を抱えて いる人々がいます

それら全ての病気の 人々がマスターの顔を 見るか彼女の体の 黄金の光を見たり マスターの声を 聞いただけで自動的に 彼らの病気は 癒されてしまいます そして問題を抱えた 人々の問題は 徐々によくなり自然に 治ってしまいます 彼は多くの 魅惑的な話を車中で 話してくれました 私は黙って聞きました それで私はこの世界に このような人は本当に 存在しているのかしら と思いました

それで車を降りた時に 私は小冊子を 運転手から 受け取っていました 私は家に帰りその本を 読み始めました 読み終えた時 私はまず驚きました 理由は私には常に 何か内面に問題が あったのです しかし私には何が 問題なのかさえ明確に 分りませんでした しかしこの本を読み 終えた時 私の問題の 答えはその本の中に あると分かりました その時 私は更にこの尼僧の 言葉や仕事について 知りたいと思いました それで私はフォルモサ (台湾)台北の 瞑想センターへ行き 本とカセットを幾つか 家に持ち帰りました これらの本とテープは 韓国語にはまだ翻訳 されていませんでした でも英訳版は ありました 読めば読むほど 驚かされました

なぜこの尼僧は 私の深く内面の問題を これほどよく理解し 私を知って いるのだろうか 彼女は私の質問に 全てすぐに答えて くれるのでした その日の後私は彼女の 弟子になったのです 私は印心しました タクシーの運転手が 話した通りの事を全て 私は見て体験する ことになりました

私はマスターに 本当に近く驚くべき パワーを感じられ 多くの信じられない 事柄が起こりました その事はとても世俗の 言葉では表せません 私は自分自身がどれ程 幸運であるか 信じられないほどです 私は自分がこれほど 幸運で幸せで 幸いで あるか知りません 私の故郷釜山で 今日 美しい韓国語で 私のマスターのことを 話せます 真の喜びです ここが私の元々の 故郷です 私はただ韓国語を 美しく 素晴らしく 話せることを望みます この願いは 私が懸命に試しても 私の韓国語はそれほど 良くはありません どうかお許し 頂きたいと思います ありがとうございます

こんにちは素晴しい韓国の 素敵で  賢明な皆さま 私は長い間 あなたの 国を尊敬しています 私に薦められた 車の一つは ヒュンダイでした 韓国製の車で 本当にとても 良い車です 車で 貴国を 尊敬している わけではありません 貴国の人々の 気迫が 私と世界に 強い印象を与えてます 私が米国にいた時 そして 他の 別の国が この「仕事」を する前に 多くの韓国人の 僧侶に出会ったり 在家者だったりが 寺に通っていました 毎回 韓国に 寄るときはいつも 朝鮮人参とキムチを 買うことを 忘れません

それで今日のような 公式的な会談の前に 私は 韓国の方々に 縁が あるのだと思います この機会を持てて とても 非常に 光栄に思い この機会に この素晴らしい 国の人々に 伝えられます 私は ソウル空港で 飛行機を降りた瞬間 沢山の愛情と 良い精神 良い意志を 感じました 人々の圧倒するような 愛情が 私を なぜか少し恥ずかしく 感じさせました でもそれは  皆さんが 内面の愛情を 外面に表現している ことなのだと 感じました この町に着いてから 何人もの人々が 私を 歓迎してくれて 小さな部屋で お会いし  温かい感情が まだ私の心を 圧倒しています 私が出来る限りの ことで貴国に貢献する ことを願います

特に 皆さんの国は 現在とても良く 発展していて 物質的な支援は 必要ありません 皆さんの国は 急速に成長していて 人々の意識も 上ってきていて また 全世界からも多くの 尊敬と感心を呼ぶ 責任ある態度も 上がっているのです 昨日と今日 皆さんの関係者と 連絡を 取って以来 なぜそうなったか 私は理解できます 神または仏陀は 貴国をとても 祝福しているのだと 理解しています 沢山の寺 多くの僧侶を 見ました 町中に 町の中でです 町に そして 首都にも 沢山の異なった 宗教の寺を 見ました キリスト教会も 他の宗教と 共に成長しているのを 見ました

それで貴国を 理解しました 皆さんは  精神的に高く 高揚しています 精神的に高く 高揚している人の 心だけが とても オープンで 考えが寛大で とても広いのです それは 沢山の 良い宗教を 理解でき 主要な 宗教の基本は 人間の幸福の 意味なのです これが私の呼ぶ 文明というものです 文明は 財産や 機械的な 発展だけで 測られるのではなく 人々の霊的な成長で 測られるのです 霊修行は この世の達成とは 無関係だと よく人々が言うのを 聞きます

菩薩 または 神の王国に 到達するためには 全世界を捨てて 全世界を捨てて 隔離された 場所で ただ一人で 修行したり 集団で修行をする のだとよく聞きます その中に真実があり 私達が霊的に 成長すれば良くて そして物質的に この世界の世話したら この世界で 生産的に 良い人生を 暮らせるのです 心地よく感じ それと同時に 智慧を 成長させるのです 韓国の素晴しい 皆さんは 両方を 管理出来ているのです 世界的にも珍しい 平静さなのです 私は心から 皆さんに お祝い申し上げます

そしてこの傾向で 韓国は 霊的に そして 物質的に成長し 平和と幸せと 繁盛を国民にもたらし 続けるでしょう 私達人間は皆 虚弱な体を 持っていて 考えも時に弱いのだと 私は思います とても心地悪い人生で 親切心や物質的な 快適さに欠けていて そうしたら それは 健康と心の平静に 影響し そうしたら 内面的に 穏やかに集中するのが 難しくなっていきます 私達がヒマラヤとか 市場にいても 高いレベルの 瞑想での体験を 求めているところまで 達せません

私達のほとんどには 家族があり 国務 国際貿易 そして 出席する仕事があり それで  皆が山やどこかの 洞窟に隠れ ただ霊修行の 心配だけを することはできません 従って とても 現実的で ただ 家族の世話をして 国務 そして 私達の居場所を 探すのです ヒマラヤに いるのはとても 心地良かったり 離れた静かな場所で 瞑想の成果の至福を 楽しむのは良いですが この至福と 修行を 修行の成果を 大勢の人々と 共有するのもとても 楽しいことなのです これに気付くまで 時間がかかりました

涅槃(永遠の至福)を 捨てるのは 難しいことです 内面の平和と 幸せに達したら この世界に まだ多くの人々が 苦しんでいるのに 気付き  思い出すのは 難しいのです さほど難しくはないが 再び世界に出て 納得するのは そんなに簡単では ないことが起こります なぜなら私達の心が 至福の状態にあるとき 違うように考え 違う感覚になります 皆が仏陀だと 感じるのです 世界は完璧に 見えるのです それは精神状態が 違うからです だから「道徳経」の 中で老子は言いました

天下には何も することがない でも実際にはする事が 何かあります なぜなら 私達が開悟する前の 無明を 思い出すと 霊的な苦痛のようにも なります それで誰かが来て 出かけて彼らに それを教えるように 言ったら 拒否する ことは難しいです しかし 誰かが来て 開悟について尋ねたり 霊的に助けるように するのは良い事です さもなければ どのマスターも 世界に出て すでに達成した知識や 至福を共有したいと 思わないと考えます 先ほど言ったように マスターは 自分本位ではなく 開悟した人は 違うように考えて 違うように 感じるためです そういう訳で 老子は強いられて 本を書いたのです

この素晴らしい本は 「道徳経」と呼ばれます 強制されて書きました その本に加えて 無形の秘密の啓示を 強いられました 数人だけに 明かされました 重要なのは 本自体でなく 記録されてない 選ばれた数人に対し 老子が明かした 言葉の秘密こそが 重要なのです 仏陀が開悟した時も 世界に出て 誰かに教えたくは ありませんでした 涅槃を楽しむべきだと 考えたのです 分らない人が いるといけないので 「涅槃」とは サンスクリット語で 意識 至福 平静が 非常に高い状態にあり 無欲な精神状態を 指します

けれども その後 梵天は出かけて行き 切望する人々を 教えるために 現れました 恐らく当時 彼は どこかに隠れていて 悟りのために 現れてくる人が 彼の 近くにいなかったため 梵天がそうせざるを 得ませんでした さて なぜ梵天は このように 要請したのでしょうか 多くの人々が 加護と悟り 救いを 梵天に 祈り求めたからです 梵天は 第三世界の神です ヒンズー教によれば 梵天は世界の 宇宙の創造者です そこには沢山の 他の神がいます けれど 私は彼らを 招いて来なかったため ここで彼らに 触れるべきではなく 今日は韓国の人々を 招きたいのです 多くの神々の 集会でありません

いずれにせよ 単なる冗談です とにかく神々は ここにいます 一人ひとりが神です ここに三、四千の 神がいます では 質問に 答えましょう なぜ当時  梵天は悟りの教えを 世に広めることを 仏陀に求めたのか 梵天は  宇宙の体系の中で 最高でない神々の 一人だから 彼には 世界の苦しみが聞こえ 見えるのです そのため その時 最高の悟りに達した 仏陀には 分かりませんでした それで 梵天などが 彼に気づかせます 私達は大抵 仏陀や全能の神は 祈りを聞いてくれると 思っています

けれど私の知る限り そうではありません なぜなら 最高の力によれば 世界はすでに 整然としていて 全ての苦しみは 私達が成長し 成熟するための 課題だからです 最高で全能の神や 最高の仏陀は さほど心配しません ある種の神や より低い菩薩には 私達の苦しみが分り 同情します 教育制度で 最高権威にいる 人のように 彼は試験のテーマや 問題を出すだけです

でも彼は 生徒が 答えられる 答えられないとか 生徒の苦しみを 心配したりしません それで ある先生らは 学生を世話し これら全ての障害を 克服するのを 助けねばなりません

仏陀が 最高の悟りに 達した時 本来の面目に 再び戻りました この最初の偉大な 本性は常に至福と 永遠の平和にいます ですから 彼は 彼が達した 悟りの境地に 達していない 無明な人々の苦しみを あまり理解 できませんでした そして 梵天は この世界の幸福を 世話する人であり 誰が善行を 悪行をしたかを 見る人なので より知っています 国の大統領や 国王が 彼の大臣や より低位の部下を 信頼せねば ならないのです 人々の望みを 彼に報告する 議員のように 大臣等のようにです ですから 

私達 人々は 無明という刑務所で 大いに苦しんだ時 全能の神や 最も偉大な仏陀に 救い求め祈ります それが全能の神に 報告された時 苦しみを持つ これらの人々を 導くため ある人が ここに送られます 仏陀は送られ 降りて来た中の 一人です イエスもそうでした 他の多くの聖者が この世界の人々の 悟りを助けるために 時々送れられ 降りて来ました けれども 彼は忘れていました 仏陀は忘れていました

およそ三十年間 当時  インドの 人々の苦しみを その目で見る時まで ですから 私達は仏陀かどうか 分りません 私達も偶然 悟った マスターの恩恵で 悟るまでは もちろん  皆さんが仏陀か 仏陀でないか自身で 知るようにすれば それで分るでしょう

仏陀が言ったことが 本当であると 皆さんは仏陀です 皆さんの内面に 発見されるのを待つ 仏陀の本性があります けれど もちろん 自己を発見する 能力は それぞれ違います 従って 悟りの レベルも違います でも二人が 同じ意識のレベルで あったら 彼らの体験は ほぼ同じです そういう訳で 修行の道は 「タオ」と呼ばれ つまり道路です それが道であるので 同じ道を旅する 人々はそれぞれ 実際 同じものを見ます 歩んだ道の長さに 基づいて ものが 違って見えます 二人が 同じ距離を歩けば 同じ景観を体験します

そうですね 道が違うなら なぜ 全ての仏陀が 菩提の境地に到達し 他の所に 到達しないのでしょう 道が沢山あれば 人々の体験は それぞれ違うはずです けれど  仏典によれば または別の宗教の 他の神聖な本によれば 神聖な道を修行する 様々な人の経験は 同じか 大体同じと 言っています もちろん 内面を理解した時 沢山の素晴らしい 体験があります けれど実用的な例を いくつか引用します 例えば あらゆる宗教で 神の偉大な光や 仏国土からの 仏陀の偉大な光に ついて 言及しています

私は異なる宗教の 様々な聖書を 勉強しました そこで述べられている ことは 他の聖書と 非常に似ています 悟る前にこのことを 見定めるのは 難しいですが 悟った後 小さい程度の 悟りでも これが非常に はっきり見えます そういう訳で 先ほど言ったように 韓国の素晴しい人々は 非常に高潔で 意識レベルが 非常に高いです インドの人々も一緒で 彼らは 多くの宗教の 基本的な類似点を 理解しているからです

 
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