智慧の言葉
 
戦争を終わらせるための方法    Part 1
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マスター 女性が出家した場合 生涯 八敬法を 守らねばなりません そのうち一つでも 破った場合 仏教の秩序を乱します これらの八敬法を 広める必要が ありますか

ありません

八敬法の 経緯はこうです 釈迦牟尼仏陀の お母様は 彼に従って 出家したいと申し出た 女性初の人です 元々 インドの女性は 出家できません 中国の女性が 外に出られないのと 同じです これは知っていますか (はい) 彼女達は高い塀の 内側に閉じ込められて 男性を見ることも男と 直接話しをすることも 禁じられています インドの女性も これと同じです 今日でも状況は ほぼ同じです 外に出るときは 同伴者が必要です 一人で 外出すると 襲われたり なめられたりします そこで 釈迦牟尼仏が 女性の出家を 認めたことは 革命的なことでした そして多くの人に 攻撃されましたが

避けられないことです もともと 彼は女性に 出家させたく なかったのです  良くない雰囲気や 人々の攻撃 社会の彼に対する 排斥を恐れたからです そこで彼は女性に出家 させたくはなかった 釈迦は叔母を テストするため 八敬法を設けました 叔母は子供の時から 釈迦を育てたので 釈迦にとっては 母のような存在です 親孝行のため 釈迦は叔母の要求を 拒めません このため この方法を取りました 釈迦は「八敬法を 守れるなら 尼僧に ならせてもいい」 と言いました

八敬法の第一条 「私のすべての男の 弟子に会った時 僧になってどのくらい 経つかにかかわらず 僧にお辞儀を しなければならない 僧がいくら若くても いくら年寄りでも 僧に敬意を払うべき」 となっています 守れますか 彼女は「はい」と答えた テストのため釈迦は あらゆる無理難題を 述べ続けました 彼女はこれらすべてを 守れると言いました ですから釈迦は 彼女の強い信仰心と 謙虚な姿勢を 拒否出来ませんでした 釈迦牟尼仏は もともと叔母は 国王の妻である 妃として また釈迦牟尼仏の 育ての母として 非常に傲慢で ついてきても サンガ(僧団)の 規則を守れる はずがないと 思っていました

ここまで厳しい規則で 彼女を試した理由も ここにあります 釈迦は叔母の尼僧に なろうとする思いを 留まらせたかったが 母はすべての条件を 飲み込んだので 釈迦も前言を 撤回できませんでした 釈迦は母を尼僧に ならせました その日から釈迦の サンガ(僧団)に 尼僧が存在するようになりました 八敬法は その時代に限って 有意義です その時代では その時代では 釈迦の男の弟子 つまり僧侶たちは皆 非常に謙虚で しかも ほとんどは阿羅漢の 位を得ていたため 釈迦はここまで 厳しくしなければ 尼僧になったばかりの 叔母はそれら阿羅漢 つまり菩薩たちを 尊敬しなかったら 叔母は大きな悪い カルマ(報い)を 作ってしまいます

結果として彼女は 霊修行に成功できなく なってしまいます だから「老若と年齢に かかわらず男の弟子に 敬意を払うべき」と 言ったのです これで釈迦は 彼女が傲慢になったり また以後の尼僧の 行動が軽率で 僧侶に 近くなり過ぎたりする ことを防いだのです そうしないと 女男が 深い関係になり 多くのトラブルを 起こすかもしれません

その時代には 八敬法が必要でした

マスター 怒りを 制御することと 怒りを抑えることの 違いは何でしょうか 怒りに どう対処すべきですか 観音法門を修行したら 対処の仕方が 分かるようになります 対処の方法を 教えるのは難しいです 修行すれば 智慧を得られますので その時に どう対処すべきかが 分るようになります 簡単に分かります 普通の人は時々 怒りを制御したくても 出来ません 私たちには 力が足りないからです まず内面の力を 持つようになれば 制御の方法を 知るようになります これは教えられません 自分で悟らなければ なりません 悟れば分ります

親愛なるマスター 以前の講義で 悪い定まったカルマ (報い)例えば ひどい交通事故は 軽減できると お聞きしました その後間もなく 観音法門の修行を 始めましたが 交通事故の 夢を見ました 命を救って頂き 有難うございました

親愛なるマスター 観音法門の修行では ずっと智慧眼に 集中する 必要がありますが 太極拳をやっても いいでしょうか 古代のマスター達磨も 健康と座禅を 向上させるため 人々に拳法を 教えていました 呼吸のコントロールと 全く 関連がなければ 太極拳をやっても いいですよ 運動として やってもいいです

太極拳ですね それは中国の伝統的な 武術ですね (はい) 人を死なせますか 違いますね ならやってもいいです 人を死なさないなら やってもいいです そうならやらないで マスター 目の良くない人は 観音法門を 修行できますか はい 私たちの修行では 目は使いません 親愛なるマスター 観音法門は 浩然の気を高めます 世界終末は 事実ですか 世界が壊滅したら 浩然の気を修めても 役に立たないのでは ないですか 違いますか いいえ でも世界がある日 終わってしまうと いうなら 何もする 必要がありません

今日から食事も 止めたらいいでしょう 何をしても 人はいつかは死にます ですから 世界の終末を 待つまでもありません そうですね そうだとすると 名声や富 毎日汗を流して働き お金を稼ぎ 高い地位を得るために 競争し霊修行するなど 何の役に立つのですか 役に立ちません 遅かれ早かれ 私達は皆死にます 世界の終末が あってもなくても 引き続き 修行すべきです 私達の命もいつかは 終わります ですから自分の 未来のことを整理して おきたいのです でないと 死後どこに行きますか 死後の世界は 沢山あり私達は それを知りません

沢山の永遠の 世界がありますが 私達はまだ知りません この浩然の気の法門を 修行すれば 私達は本来の源に戻り 沢山の違った 世界を見つけてそこに 住むことができます 世界の終末を 待つ必要はありません 親愛なるマスター 極楽世界とは何ですか 言って上げて下さい 極楽世界は私達が 永遠に住むことが できる世界で 二度とこの苦しみの 世界に輪廻して 来なくてもいい 世界です 極楽世界で私達は 永遠の幸せを得ます

マスター私はあなたの 経の講義を沢山聴き 本も読みました あなたの講義は 動いている雲と 流れている水のように 完璧です 講演会場は 安らぎと喜びに 満ちています これは天国以外に この世界では 体験しがたいことです この世界では まれにある現象という 意味です 一つ聞きたいのは あなたは講義するとき オゥラック(ベトナム) 語と英語と中国語で どの言語で 考えていますか オゥラック語 (ベトナム語) 中国語それとも英語ですか 仏陀の言語を使います 三、四種の言語で 考えていては 何も話せません 古代の禅マスターは 「言葉は道を妨げる」 と言いました この意味は 人間は話をする時と 考えるときは「道」と 疎通できないという 意味ですか

彼は「言葉は道を 妨げる」とは 話をする時は 「道」と切り離され 「道」と通じ合えない という意味なのかと 聞いています そういう意味ですか そういう意味ではなく 古代の人々の意味は 私達は言葉で 「道」を表すことが できないという意味で 禅は言葉で表せない という意味です まさにその通りです そうでないと私が 話をすると「道」と 分離されることになり これは大問題です

私は話をしてる時でも「道」と一緒にいます 私は「道」と分離した ことがありません

親愛なるマスター 仏教徒が キリスト教の病院で 働く場合 朝の祈りの時 どうやって 神と交流しますか 仏法僧の三法と 仏陀の名号を 黙読すると 罪になりますか なぜ罪になりますか 彼はキリスト教の 病院に勤めていて 朝の祈りがあって 彼はどうやって神と 疎通したらいいか 分からないのです そこで働くのであれば イエスを暗唱すると 神に近くなるでしょう なぜキリスト教の所で 仏陀の名前を 唱えることで そんなに心の 葛藤が多いのですか それが三法に対して 悪いと思うので あれば 仏教の所で仕事を 探したらいいでしょう

イエスに不快感を 与えたくなかったら そこで神かイエスの 名を暗唱することです 万物は 一体であり 五大宗教は一つである と感じられなければ 自分に合った環境 作りをすることです 言っておきますが そこで唱えても 三法の気を悪くする ことはありません 彼らはもっと 喜びます あなたは仏陀を キリスト教の機関に 持ち込んで二宗教を 融合させたからです ただ神と疎通するには 別の道を探さなければ なりません 観音法門を 修行することです マスター コーヒーは 植物性の飲み物ですが 興奮剤です 修行者は飲んでも いいですか

飲んでもいいです しかし 私たち修行者には そのような不自然な ものは要りません 私達は浩然の気で 動かします 私達のセンターには お茶やコーヒー コーラなど覚醒剤の 飲物を置きません 時にはお茶を飲みます それは私達が厳しいと いうことでありません お茶を飲みたい 気分なら お茶を飲みます コーヒーを飲みたい 気分なら コーヒーを飲みます 気楽にやります そのような感じが しなければ飲みません それに没頭するように 毎日それを飲みません したがって これは異なります お茶とコーヒーを 飲まなければ 機能出来ず 体が壊れるわけでは ありません

修行すればするほど より自由になります 何かが気に入れば 持てますが いつでも問題なく 止めることが出来ます 親愛なるマスター私は 印心を受けてませんが 印心を受ける時 マスターが過去世の 悪いカルマ(報い)を すべて引き継ぐと 聞きました 印心後自分の 悪いカルマ(報い)を 自分で削除したいなら それが霊修行に 影響を与えますか はい 与えます あなたの過去世の 全ての悪いカルマを どう除去できますか 除去できるなら 印心を受ける必要は ありません でも 何回もの人生にわたり 沢山の悪いカルマを 蓄えたためそうする ことが出来ません

それは私達が 悟りを開けないことと 浩然の気と 繋がらないことの 理由なのです そういう訳で私が あなたのドアの前の 障害を排除するのを 手伝うのです あなたを妨げている 全ての悪いカルマ (報い)を取るか 焼き尽くして 広く前方が 見られるようにします

親愛なるマスター 私が静まるとき 時々一種の振動を 感じます それは 自然の力ですか まだです それは気功を修行した 結果あなたの内部で 発生した エネルギーです 浩然の気ではないです 浩然の気とは 他のものです

 
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