智慧の言葉
 
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あなたはイエスが 神の一人子または 神からの使者だと 信じますか もう一つの質問ですが 全てのキリスト教徒が 解脱して 天国に 行くことはできますか はい イエスは 神からの使者の 一人でした イエスが在世の時 彼を信じ 彼に従う人々は 誰でも天国へ行きます 永遠に天国に行くでしょう なぜならマスターが 生きていた時 マスターを通して 天からの パワーがあるからです そういう訳でイエスは 「この世にいる限り 私はこの世の光であり 道である」と 言ったのです 彼は「私がこの世に いなくても 永遠に 光であり 道である」 とは言いませんでした

悟りの状態について 説明して頂けますか 既にお話したように 悟りには多くの異なる レベルがあります 低いレベルに達しても もう非常に良く非常に 自由だと感じます それで悟りの 最も高い状態に  到達した時 私達は完全に自由で 全く欲望がないと 感じるでしょう 人類の起源と 進化について 説明して頂けますか それは長い話です 今日はそれを説明する 時間がありません でも私は色々な カセットテープで  時々説明してきました ですから恐らく 見つけるでしょう あるいは悟りを得て ご自分で発見する ことを提案します 直接の体験は 間接のより良いです

仏教で 最も重要な経典は 何ですか あなたが内容を 理解するなら 全部の経典が 重要です さもないとそれらは ただの空虚な言葉で あなたには 何の違いもありません 印心を受けると マスターが過去の 全ての悪いカルマ (報い)を取り除くと おっしゃいました それは本当ですか すべての悪いカルマ (報い)を取り除く ことは可能ですか それは本当で可能です 前に説明したように それはコンピュータで 情報をいかに 消去するかを知ってる 人と同じです それはただ専門的な 質問です なぜあなたは 今生のカルマ(報い)を 残すのですか そうしないとあなたは すぐ死んでしまいます

そうすると 悟りを開くことの 意味がなくなります 私達はこの世界を 去る前に悟りを使って この世界や全人類を 助けなければ なりません そして兄弟姉妹の親切に恩を返す 必要があります 彼らがいないと私達は 成長できないからです 天国とは何ですか 地獄とは何ですか 宇宙には全衆生から 発生する異なる エネルギーがあり 異なるエネルギーが 異なる境界を作ります 良い思いは エネルギーを発生させ 良いエネルギーは 天国を作ります 悪い思いや悪い行動は 悪いエネルギーを 発生させ その悪い エネルギーはいわゆる 「地獄」を造ります

だから五戒を守る事が 要求されるのです そして愛ある慈悲深い 人生を送ることと 菜食者になることも このような良い エネルギーが多ければ 多いほど多くの天国を 作り 地獄は僅かです もう分かりましたね 天国と地獄は 私達が作るのです

悟りを開くために 私達はどうして 印心を受けなければ いけないのですか 悟りを開く方法を 公に私達に 教えて頂けませんか はい 印心の時 教えてあげます 「印心」はそこに座って その方法を学ぶ時に 使う名前だけです ちょうど大学で 自分の名前を登録して 学び始めるのと 同じです 印心は沈黙の中で 行われるので 私は言語であなたに 伝えられません 魂だけが理解します あなたの仏性が 理解します 仏性と魂は 言語を必要としません 現在私が話す 言語での話は何でも ちょうど沈黙の教えの 導入に過ぎません

私が水について 話すことは何でも 水自体でないのと同じ 悟りは決して言語を 通しては為されません 頭脳の起源は 何ですか 私達が 非常に高いレベル 天国あるいは涅槃から ここに下りて来た時 多くの異なる 意識レベルを 通過しました この地球から数えて 二番目のレベルを通り抜けるとき 私達は頭脳を拾ったのです 頭脳は意識の 第二のレベルから 来ています それで私は言いました 悟りを開きたいなら 私達は頭脳さえ通過し 頭脳のレベルを 越えなければ ならないと コンピュータを 取り扱う人と コンピュータは 違います

ですから いわゆる印心の時 私は話しません なぜなら仏陀が仏陀に 話しかけるのです 人は人に話しますが コンピュータは コンピュータに 話しません コンピュータはそれを 知る必要がありません コンピュータは中で 打ったものを知ります コンピュータは何でも 二人の人に登録する ことはできません コンピュータは仕事の 交渉も出来ません ですから私達は 仏陀ビジネスは 智慧で交渉します すべての言語は 役に立ちません それは世俗の世界で 役に立つだけで 仏陀のレベルでは 役に立ちません

あなたは イエスと釈迦牟尼仏が 同一体であり キリスト教と仏教も 同じだと言いましたが ではなぜ違うことを 教えていますか 違うことを教えては いません 違って 理解しているだけです 開悟した後 あなたが違う宗教から 同じことを理解すると 約束します さて 基礎から見れば 例えば仏陀は 五戒を教えました 時には十戒です このように始まります 「殺生をしない」 「嘘をつかない」 「盗みをしない」 「隣人を傷つけない」 「余分な性的関係を 持たない」等々 またキリストに教も 十戒があります

「殺生してはならない」 「盗んではならない」 「嘘を言ってはならぬ」 「隣人の妻をとっては ならない」等々 類似したことです 基本的に 良い宗教は この世界で 良い市民となり同時に 天国を見つけるよう 人々に教えています それで教理に従えば 同時に天国を 見つけられ それで 本当に信心深く 真のキリスト教徒で 真の仏教徒となります そうでなければ 宗教的な理論を 議論し続けるのは 全くよくありません 他の惑星には 人間のような衆生が 存在するか あなたはご存知ですか ええ沢山います あまりに多く 数え切れないほどです

ガンジス川の砂ほど 沢山います あなたは既に 仏陀になり 完全に 悟りの境界にいます あなたに印心を受けて 私が仏陀になれると 保証できますか もちろんです この世界には 沢山の霊性の指導者が いますが 別の霊性の指導者から 印心を受けるのと あなたから印心を 受けるのとでは 何か違いがありますか いわゆるどの教師でも あなたに天国の境界を すぐに見せられて あなたが天国の光や 天国の大邸宅を 見ることができて 天国の音や音楽の様な 天国からの教理を 聞けるのなら その教師はあなたを 手助けできます

だめなら私の所へ来て 私が知る限り 恵能は 観音法門でなく 金剛経で 即刻開悟しました 違いは何ですか 彼を知っている限り 開悟は必要ありません 観音法門によってでは ありません 彼が開悟したのは 観音法門に よるものではないと 彼は理解しています なぜ分りますか そこにいませんでした 私は観音法門を通じて 彼が開悟したと 知っています あなたが開悟すれば 同様にそれが分ります これらのことは 時々 書籍や カセットテープの中で 説明しています 違うマスターを 比較しています

例えば観音菩薩や 六祖恵能や 釈迦牟尼仏など 参考までに 最初の本の 中国語版の中にあると 思いますが たぶん韓国語にも 翻訳されています 肉体のある 生きているマスターと いわゆる肉体のない マスターとでは 何か違いがありますか 肉体がある 生きているマスターは あなたと話し 質問に答え 困っているときに あなたを助けられます 肉体のないマスターは それができません それが異なる点です 生きている夫や妻は あなたと一緒に 暮らせますが 死んだ夫や妻は 暮せません 私達は物質界に 住んでいるので 生きている肉体の マスターが必要です

私達が物質的な レベルを通過した時 肉体は必要なくなり ただ霊的な仏陀だけを 必要とします 肉体のマスターは 高い次元で 私達を霊的な仏陀と つなぎます そしてそこで多く 学ぶことができ 後ほど 私達自身が 仏陀になります なぜなら 私達が肉体なら 霊的な仏陀の 言うことが聞けません 私達が 肉体の中にいたら 霊的な仏陀と つながれません マスターは物質界と 霊界の間の 橋のようなものです 韓国では 現在多くの仏教徒が 公案を修めています この種の修行で 解脱可能ですか 公案とは 自分自身に質問します とても難しい問題を 完全にそれを 理解するまでです これを解決したら 解脱できるかも しれません でもとても疲れ 長い時間がかかり とても難しいのです

しかし 私達の観音法門では あなたは 即座に解脱できます 頭痛なしで 多くの 事をしなくてもです

私はここに座っていて 何が良いか良くないか 批判したくありません 私はただ最良だと 思うものを提供します でもあらゆる瞑想の 修行は異なる方面で 人々の役に立ちます 今あなたは自分自身の ために選択すべきです どんな修行が最も あなたを引きつけるか あなたは知るべきです パーセントがいくらか 公案の修行があなたを 引きつけるならそれは あなたに適していて 私達の法門が70%か 80%あなたを 引きつけるなら この法門は あなたに適しています なぜならそれぞれの 縁が異なるからです あなたは 額のチャクラより 下に集中するのは よくないと言いました

しかしプラーナヤマ (宇宙エネルギー)は マニプラチャクラに 集中しています 胃です 太陽神経叢 そう それで それは良くないですか それは少し低い レベルのチャクラです 古代 人々は七百年 八百年または千年まで あるいは千年以上 生きました 低いチャクラから より高いチャクラまで 修行する時間があり 足から上へ 太陽神経叢 そして心臓の 中心のチャクラ のどのチャクラ 目のチャクラ そして 頭頂のチャクラまで 「チャクラ」とは体内の パワーセンターです 体の中の エネルギーセンターで それは宇宙の 異なる発電所 異なる レベルのパワーに 繋がっています

でもすべてのヨギは 正確に知っています 最終的には 第三の目のチャクラへ 行かねばならないと ですからなぜそんな 面倒なことをしますか それで私はここ 第三の目のセンター  このチャクラから 始めるように教えます なぜなら私達は 遊びまわるほど 長生きしないからです 私達はとても忙しく 自分の仕事のため 家族のために 国の仕事のためにです 分りますか ある魂が私の心にいて 幽霊が 私の邪魔をします どのようにこの状況を 克服したらいいですか

取り付かれていますか (はい) あなたはとりつかれて います あなたがある 他の魂があなたの体 あるいは心を占有 するのを許すからです ですからもうそれを許さないでください 誰かをあまり長く家に 留まらせると 追い払うことは 難しくなります あなたが強くない限りは あなたは再び「家」の 所有者になり得ます それで私は提案します あなたは自分が仏陀で あると知るべきで 悟りを開かなければ ならないと そしたら不法入居者は 自然と去ります 私達はどんな欲求でも 取り除くべきですが 悟りを開きたいのも もう一つの欲求では ないでしょうか ええ では悟りを 開かないでください

それほど良いなら 私達が開悟した時 開悟したい欲求は その後 なくなります 空腹な時は あなたは 食物を欲しがります 満腹になったら もう欲しがりません すべての欲求を 取り除く方法は 悟りを開きたい 欲望をも含めて 開悟を得ることです 開悟も欲求であると いうなら あなたは 仏陀を非難しています 仏陀は私達に開悟 しなさいと言いました 彼自身も開悟を 望んだのです でも仏陀に成った時 だけ仏陀は言いました 「もう仏陀のことなど 構わない 涅槃(最高の天国) など構わない 開悟など  構わない」と 思うにあなた 心配し過ぎです ありがとう 皆さんの愛を有難う
印心を受けてから 一年以上経っていると お伝えします

私も以前 教師でしたが マスターとは 全く比べられないと 認めねばなりません マスターは 大小の事柄を沢山 教えてくださいます マスターは 最も慈悲深い人です 例えば 今回の 海外講演ツアーでは マスターはアメリカ コスタリカ ブラジル  アルゼンチン 香港を 回ってきました マスターは 何千キロ旅したかは 数え切れません マスターは他にも 骨の折れる仕事を 沢山なさっているのに

マスターは講演をし 印心をなさいます フォルモサ(台湾)では もっと大変でした 修行仲間と共修に 参加したり

講演をしたり毎日 とても忙しいです 時には寝る時間さえ ありません マスターからの愛と慈愛を感じられます

マスターの純粋さにも 触れたいと思います マスターは一切 寄付を受けつけません

マスターにお辞儀をしたらマスターも返礼 します マスターには 私達は皆平等で すべての衆生が仏陀に 見えるからです マスターの自在さにも 感服しております マスターは毎日 とても少食です またとても質素な 服を着て  テントに住んでいます 夏の季節には ハンモックで 寝たりしています マスターはとても 簡素な生活を過ごし ますが自由自在です これら小さなことから 偉大なマスターの 生活を垣間見られます マスターの智慧を 見ることも出来ます

昨夜マスターの講義を 聞きに来たら 既にマスターの無限の 智慧を体得しただろう と思います マスターはとても 簡単に聞こえる 一言で 私たちの深い懐疑を 払拭したり 多くの疑問に 答えを与えたり なさっています さらにマスターは 言語も言葉も使わず 智慧を見せて くださいます マスターは一つの 動作 つまり 体の動きで私達に 悟りを開かせます たぶん多くの方々も 同じことを感じてます フォルモサ(台湾)の 多くの人たちは マスターを見ただけで 多くのことを学べ 多くの収穫を得たと 感じています マスターはそれ以上 何も話す必要は ありません 私が知るマスターは このように完璧です

マスターから印心を 受ける機会があれば 私が言ったことは 確かに 決して 誇張ではないと 分るでしょう もう一人の修行仲間に 私の言葉を証明して 頂きましょう 台湾の修行仲間を ご紹介致します 彼も一年前マスターに 印心を受けました 彼は多くの外面的な 体験があり 沢山の ことをマスターに 話したがっています マスターから 印心を受けてから 彼が体験した変化を 紹介して 頂きましょう どうぞお迎え下さい

マスター 会場の皆様 こんばんは フォルモサ(台湾)から 美しい香港に 参りまして 皆様にお会い出来て ご光栄に 思っております 楽しい講演会です 去年の四月に 縁があって マスターを知りました

その時 自然に マスターを親戚か 友達のように感じ  講演会に行きました 講演会の一、二週間後 ある夜  マスターが 夢の中に出て来て  私に「観音法門を 修行することは いいことです」と 話しました なぜマスター チンハイが夢の中に 来てこれを教えたか 不思議でした 夢のようですが  夢ではなく真実の ように感じました 数日後 またマスターの 講演会に参加している 夢を見ました 前列に席を見付け 真剣にマスターの 講義を聞いていました それで 偉大な マスターだと 悟りました 印心の後  五つの戒律は 殺生せず 盗まず  邪淫をせず  嘘をつかず お酒 ギャンブル 麻薬など体を毒す ものは摂らない ことだと知りました

霊修行に 誠心誠意であれば  マスターは 自然と私たちを助け 私たちの環境を 変えてくださり  無上の観音法門を 修行する自信を 与えてくださいます

世界の一六〇カ国の 中からマスターは 香港を選ばれました

私達の祈りに 答えて下さったのです

皆さんにとって ここに座りマスターの 講義を聴けることは 幸運であり 素晴らしい恩恵です 恐らく 私達の魂は むしろ頭脳よりも 探求しているでしょう 私達に内在する魂はその小冊子を読むと 私達はマスターに 引きつけられます 私達の魂は 彼女こそと言ってます 彼女は私達の友人で 彼女は開悟した マスターで 私達がずっと 捜し求めていた方です 観音法門は 釈迦牟尼仏が修行し 開悟に到達した 法門です それはまた保険の法門 でもあります どういうことでしょう 印心を受けることは 保険を購入するような ことだからです その時 マスターは蓄積された 何世代にも渡る 私達の悪いカルマ (報い)を消し 即座に私達を 護衛する化身を 送ってくれます

従って 観音法門は 真の宝物です ありがとうございます

では 偉大なる マスターにお話頂ける ようお招き致します

今日少し遅れました 多くの人々が外で 入ることができずに いたからです それで私は彼らと しばらく話をして 少し飴を配りました お許し下さい

この世界は完璧でなく 私達がこの世にいる間 何かが欠けています 昨日 私が去った後 ある女性が車に近寄り 私に質問しました 彼女は「なぜこの世は これほど苦しみが あるのでしょうか なぜ仏陀は私達を 助けないのですか」 私は「彼は助けました」

仏陀は私達を助けます ですが私達凡夫は 違った風に物事を 見ているのです いかに仏陀が救ったか 明確に理解できません 例えば今 貧困 病気に 苦しんでいます 私達は仏陀にイエスに いかなる聖人に 神に助けてくれるよう 祈り続けています でも彼らは聾唖者の ように思えます 私達は未だ病気貧困で 困難を抱えています でも仏陀が私達を 救っていない訳では なく ただ仏陀は違う 方法で助けています また私達の誠心誠意が 十分ではない時もあり 本当に真摯になったら 私達の祈りは 常に答えられます いかに私達の真摯さを 進化させるのでしょう

簡単ではないです 時々 私達は仏像の前で ひざまずきます あるいは教会で イエス キリストに 祈りますが私達の心は 混乱しています 一点に集中して 祈ることができません それでもちろん私達は 何の結果も得ません ですから私達は助けて くれないと言って 仏陀を非難できません この救いの力を 受け取るために 私達はまず自身を 救うべきです 例えば この世に 生きている間 私達は全ての衆生と 協力し合うべきです 孔子の言葉で 「己が欲せざる所 人に施すことなかれ」 とあります

しかし私達はよく 他の人々に対し 自身には望まない事を 行ったりします これがいわゆる カルマ(報い)であり 私達の 体にまとわりつきます 多くの キリスト教徒は私に カルマ(報い)の法則に ついて言いますね これは仏教経典 キリスト教経典 だけではありません 実際そこに 言及しています 聖書に記載されて います「蒔いた種は 刈り取らねばならぬ」 あなたは正直に蒔いた 物を刈り取ります 「蒔いた種は 刈り取らねばならぬ」 これが因果の法則で いわゆる 英語の カルマ(報い)で 原因と結果のことです

私達は実際この カルマ(報い)の法に気がついています この意味は私達が 蒔いた種はその果実を 収獲するという事です 例えば リンゴの木を植えれば リンゴを収穫し オレンジの木なら オレンジを収穫します 私達は「種を蒔く」時 注意せねばならず 私達は良い種を 蒔かねばなりません 例えば 私達が裕福になったら 私達は人々に 施すべきです そして後に 富とお金が私達の道に やってきます 美しくなりたいと 思えば来世生まれて きた時 私達は可愛く 今生においては 変えられません 今生において物事を 変えるのは困難です

しかしながら 後で変えられます 来世で私達は 美しくなりたいと 願ったとします それなら私達は人々に 優しく話しかけるべき で 私達は美しい 言葉を使うべきで 人々を叱ることは 控えるべきで そう すると醜くなります 私はこれらについて あまり言及したくは ありません それらは すべての経典に記載されていますから 私がただ言いたいのは 全ての教理 経典は 役に立つという ことです 仏教経典は 役立ちます キリスト教徒の場合 聖書を読むことも 役立ちます しかしながら殆どの 人々が経典を理解する ことがありません

彼らは私の教えは 新興宗教と考えます 例をあげましょう 金剛経には非常に 有名な記述があります 金剛経は とても有名な 仏教経典です 皆が知っています 「私達が光と音を通じ 神を探求するなら 私達は決して 神を見つけられない その意味は私達は 仏陀になれないです」 それで誰かが私に 「なぜあなたは人々に 光と音を静観し 内在の映像を 見ることを 教えていますか それは光と音では ないのでは」と尋ね 私は「いいえ その光と音は物質的な 光と音の事を示して いるのです」と 例えば これは花で これはティッシュです それらに触れ  見ることができますね あるいはそれらは 物質的な光で ライトの光で 太陽や 月からの明かりです これらは物質的な 映像です 外側からの音楽 鐘の音 教会の鐘 あるいは寺院の 銅鑼は 物質的な音なのです

しかしながら 私が教えている 静観する光と音とは 異なる種の 映像なのです 一種の光と音では ありますがこの世界を 超越したものです なぜならこれらの種の 音と映像は目で見る ことはできません または耳で聞くことが できませんが 内在の 智慧から来るものです 私達がこの内在の 智慧を得た後 私達は何もかも 理解できます 私達は何でもできます

非常に便利でもあり 私達は飛行機を 乗らずにどこへでも 現れることができます 現代の交通機関は 非常に便利です 米国へ行くのにほんの十時間ちょっとですね 以前なら 飛行機など想像を 超えたものでした この時代は違います 皆にとって 非常に便利な時代です 望めば月にさえ 行けるのです しかしながら 月よりも高次の 世界があります 月より更に 美しい惑星も 存在します そこに住む人々は 私達のようではないが 超越した世界には 他の種の 衆生がいます 私達は彼らを 天の衆生 仏陀または 天使と呼びます それらの世界は 私達の世界よりずっと 文明的で この世界 より文明化しています 例えば この地球には 多くの国々があり ある国はより進歩し ある国は 遅れています

仏陀が人々を救いに やって来てもそれも あまり容易ではなく なぜなら この地球の衆生は 本当にあまり進歩して いないからです 私達が他の種の惑星を 訪れる機会を得たなら 私達はそこでずっと 優しい種の生活を 見るでしょう 彼らの優れた文明を 見て戻って来たら 私達は非常に恥じ入る ことでしょう もうこの世界に留まり たくなくなるでしょう 米国の博士で 死亡した患者が 再び生き返るという 現象を専門に 研究しておられる 方がいます 彼によれば 臨死の体験を持つ 人々は他の境界に 行ったとのことです

そこで天使が 彼らに告げます 「まだ時間が来てない」 と それで彼らは 地球に戻されます 彼らはこの人生に 戻って来ると 毎日 泣き続けます 大きな悲嘆に暮れ 何週間も泣きます そう彼は言いました なぜ彼らは泣くのか 彼らは非常に美しい 世界を見たのですが またこの汚い世界に 戻って生きねば ならないからです 耐えられないのです しかしながら 命の終わりの時が まだ来ていないので 再び戻らねばならず これらの死から戻った 人々はそれ程高次の 高い文明的な世界へ 行った訳では ありませんが それでも非常に幸せで 留まることを願います

いわゆる霊修行者と 呼ばれる人達も 更にそうです 彼らはもっと強力で 優れた世界へ行く 能力があります もっとずっと美しく ずっと文明的で 信じられないほどの 想像を超越するほどの 世界です どのように彼らがこの 世から切り離されるか 私達は想像できます これらの人々にとって 全ての善悪 痛みと喜びは彼らに 影響を及ぼしません

観音法門を修行する 私達には 高次の境界に 行くことが許されます それで私達 修行仲間はこの世界に もはや しがみつく ことがありません 彼らは自然に放置でき 何の心配もしなくて よくなります 自然に 悩みの種 障害が 気にならなくなります 悩みや障害がない という意味ではなく 私達は成長し強くなり 悩みを無視することが できるようになります 例えば 私達が小さかった時 私達は大きな荷物を 運べませんでした 成長してから 必要なら私達は どんな大きさの 荷物でも運べます 同様に多くの人々が 私に尋ねます

なぜ仏陀は私達を 苦しみから救い幸福な 世界を作らないのかと 私は彼らに言います 仏陀は私達を助けて いますが私達の殆どが 気がつかないでいます では本日私は苦しみを 最小限にする方法を お教えしましょう

幾つか方法が あります 一番簡単な方法は 素晴らしい霊修行者を 見つけます いわゆる 聖人と呼ばれる人を そして彼らに奉仕して 彼らに供養し 崇拝するのです 彼らを崇拝するために 彼らの写真を撮って 家に持ち帰ります その聖人 霊修行者は 私達がそのような事を するのを好まないかも しれませんが でもそうすることで 恩恵の報いがあります 分かりますか

皆がベジタリアンに なりたい訳ではなく 皆が観音法門を 修行したい訳では ないからです 瞑想し智慧を得るとか 仏陀になるという ようなことです 他にも 簡単な方法があります ただ ある霊修行者を 信じます それから 彼に布施をして 皆さんを救ってくれる と信じています それで彼は確かに 多少私達のカルマ(報い)を 担います それで私達の悩みは 減ります そして 危険な状態にある時 彼は必ず私達を 助けに来ます 彼に供用する際に 私達は多く供える 必要はありません 一輪の花でも 一個の キャンディでもよく 重要なのは真心で お金ではありません 多くの人々は 分かっていません

彼らは より多くのお金を 与えるほど 多くの 福報を得ると思います 必ずしもそうではなく より多くの真心が 多くの福報を受けます これは最も安全な方法 私達は何も変える 必要はありません 私達は瞑想する 必要さえありません 毎日私達はただその 人のことを考えます いつでも 思い出すことができて ただ彼のことを考え 援助を祈願できます あなたの心には 彼に対する尊敬と 信用が大いにあります 分かりますか でもその人への信頼が なければなりません 彼は本当の聖者であり 本当に高いレベルの 霊修行者であり 彼には大いなる 加護とパワーが あると信じるべきです そうしてこそ始めて 内面で自然な尊敬を 持つことができます このような信頼が なかったら 尊敬しにくいです

またはこうする必要は あってはいけません 霊修行においても より進んだ 聖人がいます 彼らはとても高いです それで私達は彼に 供用することなく 福報を得られます 私達が心で 彼を信じるなら 毎日彼を考え続けて 彼に祈り 困難な時 彼を信用して 尊敬していれば それで私達は沢山の 援助を受けられます 彼の修行レベルが 高いなら 彼は現れて 私達を助けます それは私達の 誠実さによります

誠実であるべきです 私達が誠実である時 エゴは小さくなります それから 私達の無知の壁が 開きます それで 多くの異なる境界を 見ることができます または本当の体験を 得ることができます 誠実でなければ 私達は無知 傲慢 貪欲 怒りと のぼせあがりによって 覆われてしまいます それでその 偉大な修行者が 私達の前に化身で この肉体ではなく 現れても 彼を見ることが できません 彼の光は天空に溢れ それでも 私達は何も 見ることができません

恐らく私達は彼を 普通の人間とみなし ですから神や仏陀の 加護の力を見つける のは簡単でありません 時々 仏陀 菩薩 または聖者 例えばイエスキリスト 釈迦牟尼仏 または観音菩薩は しばしば化身で この世界に現れ 真理を説いて 人々を 救うことがあるのです 時には 彼らは真理を説く 必要もありません 彼ら自身が 祝福なのです どこに現れようとも その場所は加護を得て その国は 自然に利益を得ます 彼らは霊的な高揚と 物質的な向上を もたらします

しかし 時々 これらはむしろ 無形で捕えにくいです 私達人間の心は それを測ったり 知覚することが できません 時々 私達は注意しません

たとえば 仏陀 聖人 またはキリストが 生まれるか 特定の国に生まれ 変わった時 五年ないし十年後 突然変わりますます 良くなり 文化化し 安定します または何か 良いことが起こります 私達はこの人や あの仏陀やキリストが そこに生まれたことに よって 国のためになったとは 考えません そうだとは 考えません

感謝しません 私達が仏陀 聖者に 必ず感謝する 必要があるという わけではありません しかし 感謝すればするほど より彼らを知り 信用すればするほど もっと多くの福報を 得るでしょう これは問題です イエスキリストが 生きていた時 彼は 沢山の弟子を受け入れ 弟子が大いに利益を得 精神性を発展させ 智慧や内面の 不思議な力を大いに 高め また 彼らの生活も 向上させました しかしある人々は 彼を信じず 彼を中傷し 十字架に はりつけたのです そういった人々は 加護を得られません わかりますか たとえイエスに 会ったとしても 加護を得られません イエスは彼らを助け たくても できません

彼らはイエスの言葉を 信じないので 何もできません 「信心こそ全ての 功徳ある法門の基礎 である」と仏教では 言っています その通りだと思います 信心がないと 信心がないと 仏陀 聖人からの 加護を得ることは 難しいです インドに ある修行を高く積んだ 人がいました とても有名です しかし彼は人に 法門など教えません 何人かの弟子には 教えています しかし 多くの人が彼に会いに 来ると彼は飴やお菓子 ビスケットなど 手元にあるものを あげるだけです それでも皆はそれぞれ 自分が欲しいものを 間違いなくもらいます 沢山の逸話があります ただまだ書き記されて いません

例えば ある大変貧しい 女性がいました 夫はアルコール中毒で いつも酔っ払って 家に帰ってきます 夫はお酒を飲むのに お金を全部注ぎ込んで 家族は貧困状態です 奥さんは 一日中懸命に くたくたに働いても 家族の 生計を維持するのに 十分なお金が ありません 隣近所の援助が なかったら生きて いけない状態です ある日その 大修行者が弟子達に 会いに 彼女が住んでいる 村にきました 多くの人がその貧しい 女性に彼の経の講義を 聴くよう言いました 彼女はこう言いました 「何で 経の講義に 彼に会いに行けと?」 会うだけで 講義は聞きません 彼は経の講義をせず 何も語りませんでした 人に会うだけでした 何かを 言いたい場合 弟子に言わせました 決して話しません 以前彼は話もしました

数年間説法もして 経典も数冊書きました その後停止しました

ただただ口を閉じ その後は手振りで 言いたいことを 表現しています そして弟子たちが 彼のメッセージを 人々に訳してあげます ですからその女性は こう言いました 「彼を見たくないね 仏陀や聖人など 信じられるもんか  誰も助けてくれない 私は一生貧しかった そこに行くと何の ご利益があるだろう 何も得られず 一日の日当を 失うだけだ」と 彼女はそう言って 行きませんでした しかし彼女が 他の所に行った時 ある人が同じことを 彼女に言いました 「あなたはその聖人に 会いに行くべきだ ご利益があります」と 多くの人が彼女に こう言いました 結局彼女は行きました

彼女は大勢の人がその 聖人に会うために列を 作っているのを見て 並びたくなかったです しかしすでに来たので 列の中に入りました 彼女はためらったため 一番後ろに 突っ立って いました 彼女はその聖人が そこに座っていて 皆が一列に並んで 平伏して 加持物をいくらか もらってから 家に帰るのを見ました それだけのことです 彼女は心の中で 変だと思いました 「不思議だ これだけのことか」 だれが労を厭わず ここに来て 一握りの飴やお菓子と ビスケットをもらうの だろうかと 彼女は こう思いました

でももう来たからには 列に加わりました 最後に その大修行者は 彼女に加持物を 一袋あげました 彼女はそれをもらって 出て行きました しばらく歩いてから 彼女はその袋を開けて 中を見ました わあ 中に何があったと 思いますか お金です 数十万台湾ドルでした 数十万台湾ドルでした その聖人は人に お金を与えたことが ないと弟子は言います ではなぜ その女性はお金を もらったのでしょうか 彼女が一番必要なのは お金だと彼は 分かっていたからです 彼女はこの もらったお金で 家に帰って食品 雑貨店を開きました

それ以来 彼女はお金に 困らなかったのです その日以来 その女性は 毎年行ってその マスターに会いました もちろん皆が マスターに会いに 行ったり 経の講義を 聴きに行くのはお金の ためではありません そうしないことです しかし私達は 多くの他の 利益を得られます 好きなものは ただ誠実に祈れば それを得られます 誠実であることです でないと役に立たない 皆さんはその女性は 少しも誠実でなかった と言うかもしれません そうですね なのになぜお金を もらったのでしょうか 彼女は誠実でした 彼女の状況からすると 誠実だったのです 彼女は一日の仕事を 止めたのです 彼女の家庭には元々 お金も食物もなく 彼女にとって一日の 日当を失うことは 大きな犠牲でした

その上 彼女のお金に対する 渇望は強烈です そうですね ですから彼女は誠実で ないとは言えません 誠心誠意でした 誠実さとは決して 形式的に 平伏して大声で 私達はとても 誠実ですと宣言する ことではありません これは役に立ちません 誠心誠意とは とても自然で 強い考えのことです 意味が 分かりますか 求める物に関係なく 内面で強く切に 望むのであれば それが得られます これが誠心誠意です 人に見せる 必要はありません ですから仏陀の 助けを求めたい場合 経典を唱える 必要はありません

自己流でやることです

仏陀と意思疎通をして 彼に自分の要望を 話すのです 誰かによって 書かれた経典を 読み間違えないように 気にしながら暗誦する 必要はありません  それでは心は 誠実にはなれません 皆がすらすらと読み 上げているのに自分は ゆっくりはできません ですから私達は 自分なりの祈り方で 欲しい物を求めた方が 一番いいのです

すると本当に集中でき 誠心誠意になれます いつもすでに 書かれた内容を 読み上げると 気が散ります

すると私達は 一心不乱の状態 真の誠実さの状態には なれません

ですから私達が いつも何かを祈っても 失敗するのです 祈りによって最も 良い結果を得るには 在世のマスターを 見つけることです 彼らは生きているので より効果があります

 
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