智慧の言葉
 
一緒に輝かしい未来を作りましょう    Part 2
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私はとても幸せです 実際 貴国のことを 嬉しく思います 私は常にこのことを 言ってきました いつもシンガポールの 人々のことを とても 嬉しく思っています 国民にとって この国は 非常に発展していて 秩序よく管理され 人々は とても自由です もちろんまだ多くの 法の規制はありますが 回避できないものです 整然と平和に 暮したいと思わない 人々も多くいますから 彼らは危険を 冒したいと思い 危険な企業や事業を 持ちたいのです これらの人々にとって 法は不可欠です

秩序正しい人や きちんとした市民は 平和と自由を尊重し 危険な人生を 送りたくありませんね それでもちろん私達は それを理解すべきです そうでなければ シンガポールに来る時 私は圧力を感じません 意味が分かりますか ある国々では その領域に入った途端 圧力を感じます 意味が分かりますか ただそこに足を 踏み入れただけで 緊張の雰囲気を感じて とても「抑制」されて 何かそこにあるように 感じさせますが 何か分からないのです たとえあなたの生活が 危険ではなくとも あなたには 何も起こらなくても あなたが外国人で 訪問者なら 問題はありません

それでもなお何かが 空中に渦巻いていて あなたを緊張させ リラックスした感じを 与えないのです シンガポールには この感じはありません そうですね(はい)ええ それに昨日 家で私は何人かの 弟子 修行仲間と 話をしました ある人が私に言います シンガポールでは 政府が何を言おうと 私達は平気です」 そうですか(はい)はい それは良いことです 私もそう言いますから 政府は良い事だけを ここでは行うからです それで皆さんは 政府を信用しています 何であれ 政府の言うことには 文句ないですが 政府は皆さんの信用を 得ているからです

そうですね(はい)はい もちろんどこでも あちこちで 幾らか誤りや時には 試みていないこと 試験中のこともあり 人々は自分達の意見を 声にします でもそれが良ければ シンガポールの人々は 非常に政府に支援 されている人々です それでシンガポールは 強くなったのです 意味が分かりますか 政府だけの力では ありません それは皆さん国民が シンガポールを強く 繁栄させ 団結させて きたのでしょう 皆さんが団結するので 強くなったわけです

同様に 霊修行においても 私達が一つの魂として 一緒になり 一つの 目的に向かうことで 私達は偉大な恩恵を 自身で得られます 私達が愛する人誰でも この恩恵を共有でき 誰でも共有したい人と 共有できるのです 同じ考えを持つ 友人らが皆さんと 一緒になることで 本当にそれは 大きな支援となり 恩恵となります たとえ世俗の方法でも 貴国の発展を見れば お分かり頂けますね なぜなら人々は団結し 心を一つに共にして 政府の 指導の下で働けば 私達には 問題はないのです

私はまた車中でも 私達の修行仲間と 話したのですが 私はアジアで 発展した国と 一種欧州 及び米国の 発展した国の間の 違いについて感じます なぜならアジアでは シンガポールのように たとえ発展していても 私には人々はまだ 温かさも感じます まだ隣人の親切をうけ 多くの価値を 大切にしています 霊性の価値や 私達の祖先からの 古い遺産も 幾らかの良き習慣 人間関係における 幾らかの温もりなども そうです

例えばシンガポールで いくら非常に発展して いても これも車中で 話したことですが

貴国は非常に発展して いても冷たさはなく 隣人との関係も 断ち切っていません そうでしょう 友人や 多数の市民の 間においてもです 皆さんはまだ幾らか 繋がりがあります それは責任の為でなく 国境のためでもなく 共有の国のためでは なくて ただ自然にあるのです

アジアの人々は より親密だと思います そではないですか 私はそう思います これは西洋の生活では 欠けている部分です 彼らもこのように 発展していても 温かさもあれば 素晴らしいと思います 従ってこの部分が いかなる共同体にも 見つけにくい所です 毎週日曜に教会へ行き 少しパーティーをして 隣家でビールを飲み 家に帰ります これとは異なります 私達の共同体や親友の 支援なしで霊性の道を 一人で歩くことは 非常に孤独であると あなたは 理解するでしょう

特にあなたがまだ 初心者で まだ霊修行者として 完全に進歩の途中なら なおさらです あなたは家族を 想像するでしょうね あなたは結婚して 多くの人々は 結婚していますが 家族が調和していて 何でも一緒にできて 順調ならそれで あなたはより活力が みなぎるでしょうね あなたがすることは 何でも容易に成功し またあなたが 困難に遭遇しても 克服することは 比較的簡単です そうですね しかし家族が 調和していなければ 非常に難しいです

あなたが何をしようと もう何もしたくないと 思うでしょう そしてあなたには その結果に到達する のは不可能に思えます そうでしょう 私達が 神の霊的な 大邸宅まで歩きたいと 思うならなおさらです あなたに魂で支えあう 仲間がいるなら とても素晴らしいです 互いに発する エネルギーがあります 一緒になることは 信じ難いほど素晴しい 例えば水がただコップ 一杯なら少ないです そうですね

コップ一杯にするには そのコップに適量です でも沢山のコップを 一緒に集めれば 数百数千のコップを 一緒にしたなら それはプールくらいに なります それ以上なら 湖のようになり 更には 川となって 海となるでしょう 意味が分かりますか 意味が分かりますか そういうわけで グループ瞑想は あなたにとって非常に 重要なことなのです 恐らくあなた自身 体験から学んだと 思います そうですね (はい) 出てきた時あなたは 浄化され活気に満ちた 感じがします そうですね (はい)

エネルギーを 分かち合ったからです 「まあ いいや」 「コップ一杯でいい そうでしょ 二杯もあればいいや」 でもコップ一杯では 浄化できなくとも 一緒に合わせれば 湖のようになり皆が そこで泳ぐことができ まだそこにあります 意味が分かりますか (はい) 恐らくカップ一杯しか なければ身体を清める こともできず水もなく なってしまうでしょう 意味が分かりますか (はい) グループ瞑想に 行けることは特権です 本当に 本当に偉大な 恩恵が人類にも同様に もたらされるのです

なぜなら湖がそこに あれば あなただけが 恩恵を受けるのでは なく 社会における 多くの他の人々が 湖に入っていない者も 利益に預かれるのです そうですね (はい) 近年 私達の世界には 沢山の災害があります 干ばつ等 そうですね 気候は乾燥し 地球が 温暖化していくことで 気候は大いに 変動しています 私達は自然資源を 乱用してきたからです 同様に 幾つかの災害 自然災害は 例えば 森林火災などですが それで雨が減少し その事で惑星はさらに 加熱していくのです

それで 温度が上れば上るほど 更に乾燥します 乾燥すればするほど 木々が減少します 木々が減少すれば するほど雨が減ります 雨が減れば減るほど 樹木は減り これは 悪循環となります 地球のあらゆる片隅の ことでも 地球全体に 影響が出るのです ご存じですね よく知っていますね なぜなら最近の インドネシアの火災は シンガポール全土や マレーシア近隣全体が 影響を受けたからです それで事実この種の 自然からの教訓により 私達はこの地球の一人 または一つの場所が 私達の地球に影響を 及ぼすことが分ります そうでしょう

従って あなた自身が あなたの心 頭脳 言葉 行動をすべて清浄に 保つなら どれほど この惑星に利益を 与えられるでしょう これは論理的です 議論も実演の 必要もありません そうでしょう 例えばすべての場所に 独自の雰囲気が あります そうですね あなたがお葬式や 病院へ行ったら 教会へ入った時とは 違った感じが するでしょう そうですね または食肉処理場へ すべての動物達が 肉の為に殺される所に 入った時には 異なる感じがします あなたがどうか分かり ませんが私は感じます どうですか 感じられますか(はい) ええ もちろんです

例えば 私達は先日 香港のホワイトヘッド センターの 難民キャンプに 行きました ああ そこは本当に 恐しい感じがしました

私は泣き出さずには いられませんでした 歌う声さえ 私は失いました そこのキャンプの 雰囲気に喉を絞めつけ られる感じがしました もちろんそこから 超然としてられますが 私達は苦難を共有し 他者の苦しみを 理解したいと 思うので 私達にはそれが 感じられます 意味が分かりますか そのことについて何も したくないと思うなら もちろん超然として いられますしその事に 関ることはありません ちょうど泥水の中の 蓮の花のように 汚染される必要は ありませんが 私達はこの世界で 生きているので 私達の兄弟姉妹と 幸福も悲しみも 共有したいのです

そしてこの地球の それぞれの場所では 私達は違いを 感じるのです これは場所が異なれば 雰囲気も 異なるせいです このグループの人々が 作り出す雰囲気は 他のグループの人々や 他の人が作り出す 雰囲気とは 違うのです 時々貴方がここに来て 友人か親戚に会い 少し前に話をしたり 握手したりしたとして 彼らが感じたことを あなたは感じます そうでしょう 米国に ある人がいました 彼は悪い青年でした 小さい頃から 彼はとても不良でした 彼は誰でも打ったり 殴ったりしました 彼を怒らせたり 彼が 気に入らない者には ただ殴りつけました 彼はとても暴力的な タイプの人でした 彼が天国からの稲妻に 打たれるその日までは それで 彼は暫く死んでいて 医師から死を 宣告されたのです

仮死状態です そして天国との狭間に 彼は行きました 彼はある場所へ行き それで他の衆生が彼に 彼がこれまでに 行って来たような ことをする 暴力的で不正で 人々を抑圧する 人々の所を見せました その後彼らは彼に 「お前がこんな事を 続けるなら あらゆる 災害がお前の身の上に 起こる」と言いました それからまた彼らは 彼にその時から 現在まで 世界で 起きているような 多くの災害も 見せました 彼に見せた ほとんどの事柄が 既に起こっていました

彼らは言いました 「お前がしてきた ことを続けるなら あらゆる災害が お前の身に起きる」と それでもちろん 彼はそれを良く直し 生き方を変えようと 努力しました それでその後 生き方を変えるという 約束によって 神は彼に多くの能力を 与えました 例えば人々の心の内を 読む能力と 彼らの病気を知る能力 その日何が起こるか 知る能力などです 誰であれ彼の側に 来る人は ただ 彼の側に来るだけで 手を握るだけで その人にその日 何が起こったのか すべて確実に 知ることができました

それでその人が 悲しんでいるか幸せか 時々あなたは分かると いうわけですね この超能力がなくても あなたも 知ることができ 何か感じ取れますね 時々その人は 何も言いませんが あなたは聞き続けます 「どうしたの ねえ 何か心配事なの」 「何かあったの」 「何かあったの」 そうでしょう (はい) なぜならその人の 雰囲気があまりにも あなたには明白であり あなたの内面で何か 彼に問題があることを 感じ取ります 彼らが微笑み 続けていても 話し続けていても それでも何か問題だと あなたは感じます

そして尋ねます 「どうしたの 何か問題があるなら 話して」と 彼らは 言います「いいえ 何も 何もないです」 しかしあなたは何か おかしいと思います それは雰囲気に よるからです 個人の雰囲気で それは時にあまりにも 明らかなのです その感覚が 非常に強ければ 他の人々に影響を 与えることになります 彼らの顔に印象を表し 彼らの眼の中に 書かれているでしょう そういう訳で超能力を 持つ人々は人の考え 感覚を読むことが できるのです 彼らはあなたが何を 考えてるか分かります

これは私達が 醸し出す印象により 超能力者には明確に それが分かるからです マスターはこの事を 必ずしも 知る必要はありません いい? 心配しないで 私の手を握っても その事を心配するのは 不要です 私は中を 何も見ませんから 時々起こりますが 必要なら私は時々 知ることになります あなたが教師に知らせ たいなら彼らは知り 必要ない場合は 知りませんいいですか 何でも悪い事をしても 私は気にしませんよ でも私は何も悪い事を しないと信用します

もう知っていますから あなたは何が恩恵を もたらすか知っていて 自身の内面を純粋に 保つ事を知っています ですから前向きで  純粋でいたいかどうか あなたの選択であり 決断なのです マスターが言ったから とか 脅かされたから ではありません 好きにして下さい 例えば最近 チャン知事も 人々に健康的な 生活様式を薦めます シンガポール政府は すべてに対して 心配しています 甘やかされた子供の 両親のようです 政府は良いと思います かなり良いです 忙しくても 国民に 目を向けています この健康的な プログラムに参加し 会員になり  人々と一緒に 運動しますね そうでなければ ここへ来ませんし

上下運動中に 鼻を突っ込んだり しません そうですね(はい) 他の人にとっては 良く見えません 他の人を 失望させるでしょう そこに座り続けて 鼻を突っ込んだり 運動しないで 立っているのです 自身を純粋にし 言葉 体 考え そして精神も 純粋にするのです そうでなければ グループ瞑想が 役に立たなくなり 進歩しなくなります 分かりますか それを維持するのです 先生が英語を 教えようとして 毎日宿題をするように 言われたら ABCでさえも 学びたくないとしたら それで毎日 授業に出席する目的は 何ですか 先生に迷惑を掛けたり 他の級友の時間を 無駄にします 彼らも貴方との時間を 共有しているからです または先生があなたの 知らない事を質問し でもあなたはそれに 時間を掛けています 分かりますか 先生から そして 例えば シンガポールの 高級地を 占有しているのです

シンガポールの土地は 高いですね (はい)例えば 学びたくないなら その場にいる 必要はありません 分かりますか シンガポールでは少し でも金で測定されます 他に質問したいことは ありますか

親愛なる マスター どんな方法でも 方便法でも 私を開悟できますか それは安全ですか それは精神的に 影響し 不安定に なることはありますか この方法を 修行するにあたって 恐れる事はありますか すみませんが 教えて下さい 知らないことに 挑戦するのは  少し心配になります よろしくお願いします 私を恐れていますね ちなみに精神に 問題はありますか (いいえ)問題ないです 「問題ない」です ええ ほら 彼らは何年も すでに修行していて 「問題ない」と言います ですから自国の人を 信じるべきです いいですね 私が何か言ったら あなたは「ああ 彼女は外国人だ」と 「彼女は穏やかな 売り込み方をしてる」 これは皆 シンガポール人です いいですね(はい) 精神障害はないですね (ないです) うつ病は(いいえ) その後は 何が得られますか (幸福と喜びです) 他は何ですか (より知的になる)

他は何ですか (元気)(元気) 他には(至福) 穏やかさ (物事がとても 早く出来る)

物事が早くできる 他は(効果的です) 効果的 (超世界が見える) 超世界が見える それは 少し ほんの少し高い 超世界がみえる それが見えますか そこに何がありますか (水晶の宮殿です) 水晶の宮殿 分かりました 水晶が好きですね ダイヤの宮殿は 見なかったのですか まだ安いです 低級マンションです 他には(より賢くなる) より賢くなる いいでしょう 賢さ 他には (思いやり深くなる) 思いやり深くなります   本当  分かりました いいでしょう 皆さん  印心後にそれらが 得られます

より愛深くなり 知的になり 効率的で 何をしても 早くなるでしょう 心配しないで下さい 今のところ誰も 私を含め 精神科医に 行っていません 私が一番長いです まだ 私に何も 起きていません 今まで何も 将来的に あるかもしれません たぶん将来 早く行き過ぎて 恐らくこの世界には 住めなくなります そう起こりえます 皆さんも住みたく なくなるでしょう 皆さんも恐らく すぐにでも仏土 つまり天国に 移住したくなります 過去に麻薬の 経験のある人は 瞑想で 進歩できますか 自分を変えると 決心したらですが はい できます でも難しいでしょう

多くの精神力と 人生を変える 強い決意が必要です でないと難しいです 麻薬は 最初 人に至福を与え それが天国だと 彼らは思い それが好きになり  それでもっと摂取し そして最終的に 依存するのです こういった人達は とても哀れです  望むのは天国だけです この世界で プレッシャーを感じ 至福の思いを したかったのですが 間違った「店」へ 入ったのです 私達の「薬局」が良く 永続的です 副作用はありません 永遠の至福で 副作用がなく 毎日向上します 薬物は 毎日 あなたの価値を下げ どんどん下げていき 恐ろしいことです

親愛なるマスター 神はどのように最初の 地を創ったのですか 地球を加護した 最初のマスターの事を 教えて下さい 私はいませんでした 私は皆さんより 若いのに そのような 質問をしています 私が尋ねるべき事です 灰色の髪の方 そこにいらっしゃる人 何が起こったか 教えて下さい 最初は またはいつも神は ご自身で楽しんでます 神は全宇宙に 充満する 偉大なエネルギーで それが休んだら 湧き上がってきません 何も出てきません でもそのエネルギーの 中に沢山の種があって 意味が分かりますか 異なった種です

それが湧き上がったら 神エネルギー即ち神が 湧上がるか目覚めます 私は目覚めと言います 神が目覚め そして 全てが存在するために 湧き出してくるのです それから 種子に従って それは異なった形 異なった外見 異なった構造に 湧き出しました 私達はこのようになり 宇宙が存在するように なりました  そして しばらくして たぶん 神は再び眠り すべてが 眠りへと戻ります それからしばらくして 再び湧き出します これを人間の言葉で 説明するのは非常に 難しく なぜなら 神秘的だからです 科学的に話すことが できます 

例えば それは「ビッグバン」の 理論に非常に似てます 分かりますか 知りませんか シンガポールの人には 多くの新聞があります はい 分かりました しかし説明するのは 難しいです 私はこれをかなり前に 説明したと思います 違いますか 説明しなかったですか (ここではありません) シンガポールではなく たぶん 時々私が 個人的に一人か二人に 話したのでしょう その時私はもっと 雄弁で 簡単に話せて 時々皆さんが 異なった時間に 質問するとき 時々それは異なります それでこれは いわゆる神ですが 眠っているエネルギー 潜んでいるエネルギー そして目が覚めると 種の中の品性に従って すべてが生まれます それからこの地球を 祝福した 最初の マスターは忘れました あなたが瞑想して直接 見なさい いいですか

自尊心と憎悪はどう 癒しますか マスター ありがとうございます 瞑想しなさい 瞑想は沢山の方法で 皆を助け また多くの 悪い習慣を消します 自尊心も習慣です 皆は自尊心と傲慢さを 持って生まれて きたのではなく 憎悪を持って生まれ せんでした これらは 皆が生きている間に 受ける蓄積された 習慣にすぎません あなたが他の人々 他の環境と接触して 結果的に あなたは その状況と 他の存在との 相互関係の副作用を 引き出します 意味が分かりますか これはただ習慣であり 習慣は変えられます

習慣は変えられます 以前あなたが歯磨きに 慣れてなかったのと 同様で しばらくして あなたはしばしば 歯を磨かないと 歯が抜け落ち それで 歯医者に行きます 歯医者は歯を削り 痛くさせます それであなたは変わり それから一日に 3~4回歯を磨きます それはだたの習慣です 心配しないで瞑想して あなたが瞑想する時 外面の教師は 毎日の肯定的な 問題を保つことを 教えるでしょう それからあなたは 徐々に習慣の否定的な 面を忘れるでしょう それが第一歩です 二歩目は 内面のマスターが 内面にも案内します

それであなたを 肯定的な傾向と道へ 曲げます それであなたは一層 否定的な面から更に 遠ざかるでしょう 心配しないで下さい あなたは聖者にも 罪人にも生まれません それはただの習慣です 自身を聖者に培うか または罪人に することもできます 単に選択に過ぎません 分かりますか 親愛なるマスター 臓器を寄贈するのは 大丈夫ですか 死ぬ前にもです 例えば腎臓などですが 寄贈された臓器を 受けるのはいいですか もちろん大丈夫です 大丈夫です

あなたと人に良いこと なら何でも あなたが 提供できるなら それは大丈夫です 何が問題ですか 悪いカルマ(報い)を 受け取ります カルマ(報い) 他人を助けるとき あなたは悪いカルマ (報い)はもはや 気にしません いいですか あなたは 人の為に地獄にも行け 問題ありません カルマ(応報)について 心配しないでください もちろん必要ない時 物事をやりすぎ ようとしたり 物事をするとき 慈善活動をするとき あなたは報酬を期待し 「私は善良な人で 私は菩薩で 私は聖人です 

神は 私を更に愛してくれ もっとお金をくれる」 このようなことなら それがカルマ(報い)で でもあなたが愛で それをする時 愛は宇宙で 最も偉大なる法です 真の愛によって何でも 洗い清められます それで慈悲深い方法で 物事を行うとき 愛を 込めてそれをしなさい 悪いカルマ(報い)を 心配しないでください 私が悪いカルマ (報い)を心配するなら 私はあえて出て来て 皆に印心を 与えないでしょう なぜなら たくさんの 悪業(報い)だからです
聖書に  神はノアに 肉も彼と子孫のための 食物であると言ったと 書かれています 私はたぶん何らか 特別な理由がない限り 神がそのような許可を したとは信じません クリスチャンの友人に 説明しにくいです どうぞ ご教示願います よろしくお願いします 神はノアに舟に多くの ものを貯えるように 言いました ミートは必ずしも 肉を意味しません 古代の聖書に出る 古語の 「ミート」は 「ミール」の意味です MEAL 単なる 食べ物のことです 例えば インドでは インド人はある種の 飴をスイートミート つまり「甘い肉」と 呼んでいます そうでしょう

そうです その飴を 甘い肉と呼んでいます インドのあらゆる マスターは 有名なマスターも 無名のマスターも すべての聖人もグルも 甘い肉を食べます 彼らは「肉を食べる」と 言えるでしょうか 意味が分かりますか インドに行きましたか その飴を食べたことが ありますか とても甘くて 砂糖より甘いです 一回食べたら 永遠に インドを忘れません とても甘いのです インド人はその飴を 「甘い肉」と呼んでます 例えば こうです ですから 神がノアに 貯えるように言った ミートは 必ずしも 「肉」を意味しません 食べ物の意味です 分かりますか

聖書に書かれた 多くのことは 在家の人にとっては 分かりにくいです でもこう考えて みましょう たとえ 神が肉食を許したと しても 神は私たちが 個人的に愛の意思で 肉を食べないことを 禁じないでしょう あなたが自分の犬を 愛しているなら  例えば犬とか猫を 飼っているなら 殺して食べませんね ですから なぜ自分の ペットとしての 犬 猫 鳥と 外の猫 犬  あるいは他の動物 例えば 鶏 アヒル 牛などを 区別するのでしょうか 意味が分かりますか 自分の犬と猫と 子供を愛する方法で 牛と豚も同様に 愛することが できるでしょう

それはつまり 愛の方法です ですからただこの愛の 法からしても 神は 私たちに動物を殺して 食べることを許すとは 信じられないでしょう しかも聖書で 神は はっきりと言いました 誰があなた方にこれら 雌羊と雄牛を殺して 私に供えるように 言ったのですか 無垢の命を殺すのを 止めなさい さもなければ 私に祈っても 私は聞かない 神ははっきりと言った ので 私にこのような 基本的な質問をする 必要はありません もっと聖書を読んで ください 聖書には 多くのヒントが 隠されているからです

ヒントに限らず 肉に 触れないように命じた 神の明白な言葉が 載っています 肉は腹のため 腹は肉のため 神は肉も腹もどちらも 滅ぼすだろう そうでしょう 肉を食べないことを 意味しています 神はまた言いました 肉を食べる者  酒を飲む者と 交わってはならない そうでしょう(はい) ええ 明白です だから神はノアに そう言い 肉を与える はずがあるでしょうか とても矛盾する神に 違いないでしょう このような神が本当に 存在しても 誰も 気にしないでしょう 私達はそれより 一貫性を気にしますね 聖書では 肉について あまり取り上げず 菜食はたくさん 取り上げています 私は既に参考情報を 提供しました  「なぜ菜食なのか」の 中に書いてあります 覚えていますか (はい)いいでしょう

インドでは人々は ハンセン病の人を 助けるのを拒むと あるキリスト教の 宣教師から聞きました ハンセン病は過去世の 悪いカルマ(報い)を 受けているからだと その結果キリスト教の 宣教師はハンセン病の 人のために病院を 建てねばなりません インド人のこのような 態度は正しいですか どの国にも いろいろな人がいます  そうでしょう 極少数のインド人が 全インドの 社会を代表するとは 言えません インドでインド人が ハンセン病人を助けて いるのを見ましたよ 例えば  ラダスワミの 一つの支部もそうです 彼らはハンセン病の 病院も建てました

そうですか ええ そう 事実です インド人が病人の 世話をしています もちろん西洋人の 医者がいます ラダスワミ支部の マスターを知ってます

ラダスワミには多くの 支部があります

ハンセン病のための インドの病院を 多く見てきました 例えば リシーケシに ハンセン病の人の 共同体があります そこで西洋人を 見たことはありません ですから ごく少数の インド人が拒んでいる だけか 彼らにはその 権利があります 彼らは 世話をしたくなければ 世話をしません 他のことをします いいですね 例えば タイ人の ある歯医者は HIV陽性者患者への 治療を拒否しました それで  政府はその歯医者に 罰金を課しました また 

国によって 人々も違います 彼らも 非常に危険な病気を 拒否します もちろん 彼らには その権利があります 医者としては 差別するべきでは ありませんが 時には起こり得ます でもすべてのタイ人が エイズ患者を拒否する わけではありません 分かりますか(はい) インドには 数億人もいます 一つや二つの 村だけではありません いいでしょう 「世界の終末」を 信じますか シンガポールは とても幸福で平和だと 思われたので たぶん 誰も考えていませんが 「世界の終末」を 説明して頂けますか 世界が終わっても シンガポールを 去って天国に行くのを 望んでいないのですか

天国にある物と比べて シンガポールなど 何でもありません (ええ)とにかく 私達は世界の終末を 変えることができます 世界を変えています 証拠はありませんが これらのことについて 話したくありません 分かりますか 過去には予言が現実に なったこともあります 例として ノストラダムスは 沢山のことを予言して 現実になりました ですから  世界の終末は現実に なる可能性もあります

なぜなら 私達は この地球を破壊し 爆弾を製造し  自分に影響している そういった方法で 自分自身を殺し 麻薬 否定的な考えで 私達の魂 体 精神を 傷つけています また 互いに殺し合い 家畜を飼育するために 森を破壊し 動物などを 大量に殺害し または戦争という 無知を通して 人間を大虐殺します それでこの世界はすぐ なくなるかもしれない 私に聞く必要はなく 皆さん聡明な人なので 新聞を読んで 正確に判断できます 私達の環境が どれほど危険な状況に なるかについて 皆さんは沢山の本や ニュースを読んで 知っています 私達の地球を守る オゾン層さえも 破壊されました 例えばそういうこと 私達は多くの 不正行為にふけり その結果 自分自身や家族の 生命に病気や災害を もたらしたのです

例えば 男性は外に出て 女性を見つけます 例えばですが 不注意で 致命的なエイズに 感染します それで 家に持ち帰って  時には奥さんや 子供にも感染します 読みましたね 意味が分かりますね ですから彼だけでなく 最愛の家族も 傷つけました これらの人は更に 他の誰に感染させるか 誰にも分りませんね これらは致命的です ですから このように 世界は終わるかも 爆弾でなくても 病気や 自己破壊的な習慣や 人間の利己的な 傾向によってです

でも私達はそれを 変えることができ  災害を回避できます 地球を愛するなら 自分自身を 浄化すべきです 分かりますか それで この地球の雰囲気は 私達の居住に適し 子供の成長に適する ようになるでしょう それが「世界の終末」を 回避する方法です さもないと 「世界は終わらない」 「世界は終わる」 と言っても大した 違いがありません 意味が分かりますか 私達がこのように 行動し続ければ世界は 終末を迎えるでしょう

この社会のある人達の ように振舞えばですが 私達は変えています

私達の世界はより良く 変わっています まだ もっと良くなる ように望んでいます このことで皆さんに 感謝します 皆さんが 変えたからです シンガポール人だけ ではなく つまり  私を手伝い この世界を助ける 修行仲間にも 感謝します 彼らは自分自身の 雰囲気を変え 愛情深くなり その愛を全世界まで 発しています この世界は大いに 変わりました とても多くの 大きな変化です

沢山の国がより良く より自由になります もちろん最初は 混乱しているようです ちょうど 家を 引っ越すようなもので 最初 引っ越した時 または取り壊し 建て直す時は ひどく見えます 分かりますか 混乱しめちゃくちゃな 様子ですが その後 より良くなりますね そしてより多くの 人々が愛ある優しさを 修行すればするほど より多くの人々が 天の愛ある優しさ光を 地球に向って発して 世界がより良くなる ことを望みます 大災害を経験する 必要ありませんね

あなたはそれを変え 変えていますが かすかです 証拠はなく 証明はできません 瞑想をすることでのみ 認識できるのです 何があったか内面で 見たとしても 外面で他の人に 証明はできません ですから私は このことを話しません 私達は知っています それで十分です 続けて行います そして私は皆さんが 誠実に修行している ことにとても感謝し 皆さんは 世界の人々と私を 大いに助けています 世界のあらゆる場所で 被災者に 皆さんの 愛をもたらしています 皆さんがいなければ 私一人ではできません

たった一人ですから 私は監督し指示ができ 皆さんを励まして 何が良いか理由を 教えられます それで皆さんが実行し それでいいのです 本当に感謝すべきです いいですね あなたはどの宗教にも 所属しないと 言いましたが 「道」は重要だと 話しました さらに説明して下さい 「道」はどんな宗教にも 所属しません 「道」つまり神や仏陀は どんな宗教にも 所属しません ですから私はどんな 宗教にも所属しません 私は時々「道」と言い 時々「神」と言い 「仏陀」と言います

名前ではありません これは全能の神の 名前ではありません 仏性のための名前は そこにはありません 私はどんな宗教にも 属していません キリストもまた どの宗派にも属せず 仏陀も誰も どの宗派にも 属していません 宗教とは何ですか それはただ生き方で 私達が従うべき 神のような生き方です 神のような生き方を 私達に教えるなら それは本当の宗教です 本当の宗教はただ一つ したがって私達は この宗教 あの宗教に 属する必要ありません

全ての宗教は一つです 神の宗教は一つ 時には私達人間が 無知であるため 途中で誤解を 招きます 私達は違うレベルで 違う経典を 解釈しています そうですね それで違いを作ります 私には そこに違いはなく 宗教に違いはない ただ一つです 「道」の意味は必ずしも 道教ではなく 「道」は道 すべての いわゆる宗教が同じ 道を説明しています ただ違う名前を 使っているだけです

英語で水はウォーター 中国語で シュイと言います 実際それらは同じ 性質を言っています 「道」「仏性」 「神の品性」または「天」 それらは皆 同じことです 私達はあまりよく 理解していません したがって かなり 異なる状態になります それらすべてが同じ 道を示すのを 知っているので 私は 宗教の間には違いは 全くないと言います 私達の異なった 理解のため 私達は戦います 仏陀が生まれる前に 仏教はまったく ありませんでした イエスが生まれる前は キリスト教はなかった そうでしょう 後で人々がマスターの 名前をその宗教に つけたのです すべての宗教は ほぼ同じです 親愛なるマスター 戦争は主に肉食の ためだと言いました マスター その背景の理由を ご教示頂けますか

カルマ(報い)の法則で 「汝は殺すべからず」 なら私達は 他の衆生を殺す べきではありません 殺したなら 返って来ます 例えば  科学の研究で あなたがそこに立って 空間に何かを投げると その後いつか 長い時間をかけて それはあなたに 戻ってきます それは科学的に 立証された カルマ(報い)の法則で 蒔いた種は 刈らなければならない あなたが放つものは 何でも結局は あなたに戻ってきます 教えましょう クリスマスの時期 多くの人々が贈り物を 買います そして 他の人に贈ります そして時には その贈り物は 彼らに戻ってきます

人間が猿から 変化する前に 猿は知能が高い 惑星から来た 種ですか 猿は知能が高い 惑星から来たかですか これはあなたが 彼らに聞くべきです 私は猿ではありません どうして分かりますか 私は印心していない にもかかわらず 昨晩私が瞑想をして いた時にマスターの 存在を感じました 一つ質問があります 瞑想をしているとき それが瞑想に影響 するか否かに関係なく 私の脳で音がします この音は私が沈黙の 中にいる時に現れます いいえ それは 沈黙の音と言います

それは大丈夫です 大丈夫です 私達が静かな時 この沈黙の音 この神の音は 音声がなく アルファベットはなく 言語の強調がなく 私達の意識に入ります これは神の教えです ただ受け入れ楽しんで より賢くなります 神は言語で教える ことがないからです 神はこの音楽の振動で あなたを教えます それであなたは 非常に幸せになります 心配しないで下さい あなたが禅定に入る時 天の加護があります それでマスターは 智慧を開く手伝をして それであなたは光が 見えたり 音が聞こえたりします

マスターがその場に いるか いないかは 関係ありません 本物のマスターは 印心のためにその場に いる必要はありません 正式な儀式を行う 必要もなく どんな状況下でも 印心できます あなたが更に成長 したいなら そして あなたが学ぶものに より確信が欲しいなら 肉体のマスターを 求めねばなりません それから更に 指示を学んで 更に修行すれば 後で より明白になります それだけ いいですか 私はもう印心しました それで五世代が 解脱できます でも私の姉と 姉の夫は 解脱できますか 私が子供の頃から 彼らに世話をして 頂いているからです

はい そうなります 解脱します あなたが愛する誰でも 彼らと一緒にいる事を 望んだなら 彼らも 天の加護を得ます  彼らも共有します 神の加護は無尽蔵で 個人的ではありません あなたは多くの人々と 分かち合え それは 決して減りません さらに多くなるかも しれません 親愛なるマスター 肉を食べている動物は カルマ(報い)の法則の 結果として悪い 輪廻に捕まりますか あなたは本当に 慈悲深いです あなたは自分自身や 人間について 心配しません それで トラなどの動物を 心配しています 放っておきなさい いいですね 大きなお世話です

自身も肉を止めて それでこれらの動物を 助けられるでしょう そうでないと 彼らはあなたの解脱を 一口で助けてくれます 親愛なるマスター ビジネスマンとして しばしば旅行して 私には戒律を守る ことの問題があります 例えば菜食主義ですが ビジネスマンである ことは霊的な成長への 障害でありません これらの人々は皆 ビジネスマンです  大きいビジネスマン あそこに立ってる人は 皆ビジネスマンです 見ましたか 今日私をここへ 連れて来た運転手 私のドライバーですが シンガポールの大きな ビジネスマンです

彼は弁護士です 多くは覚えてません 彼らが実際何をして いるか気にしないから 彼らがどれほどお金を 稼ぐか知りません あなたが印心を 受けに来てグループと 一緒にいれば 社会的に多くの 著名なエリートを 知るでしょう あなたの隣に座って 彼らが 非常に発達した魂だと 理解もするでしょう 彼らは現代の 偉大な聖人です 彼らは聖人のように 見えませんが 本当の聖人です 彼らにあごひげを 伸ばすように言えます ターバンをかぶれば 見かけはちょっと インドの菩薩に見える さもなければ  彼らは本当に聖人です

昔の聖人たちも このようでした 彼らが異なる服を 着ない限り それで 彼らはより威厳ある ように見えます でも彼らは皆聖人で 聖人のような人々は 歩いて 呼吸して 普通の言語であなたと 話をします そして あなたのするように 普通の生活をします 彼らにできるなら あなたにもできます 私の弟子には多くの 実業家と政治家がいて 活発で 非常に忙しく 社会に役に立つ人生も 送っています 彼らも菜食主義者です 彼らはある国から 次へと旅行します 時々 弟子の一人ですが ずっとホテル住まいで 一度も家で生活せず 時間がないからです

彼には家がなく 彼の家はホテルです 彼は出かけるどこでも ホテルに泊まります 二、三日 二、三週間 それから彼は別の国に 行きます 彼は世界銀行のために 銀行取引の交渉を せねばならないのです この世界銀行は 本当に世界の銀行で 世界の至る所に 銀行があり そして 彼は上級代表です 彼は銀行のために 様々な関係をつくり 異なる業務を しなければなりません 従って 決して家に いることができません ただホテルに泊ります そして彼は非常に 強くて健康で そして 十分に有能です 生活の全ての面で  何も彼に影響しません 時々彼は妻を料理の ために連れてきます 時々菜食レストランへ 出かけて食事します いいですか ですから自分の 方法を探しましょう あなたが他の何より 神を望むなら 二、三切れの牛肉を 犠牲にするのは 構わないでしょう

親愛なるマスター この世で私達に起こる 事は皆神の計画ですか それらはすべて 私たちに役立ちますか ええ あるものは 良いものですが 時には良くない ものもあります 私たちは何かするため この世界に来ます 私たちは創造計画の 支援精神に参加すると 神に約束しました そして私達が 自発的にここに来て この地球を加護し 神の使命を遂行し 創造計画を推進し 何かをします しかし私たちは 生れた後 忘れました 時々私たちは 神の意志に沿わない ことをします

それで自分自身と 他の人たちに 問題を起こします それで神はそれを 修正せねばなりません 意味が分かりますか ある方法や他の方法で 時々この修正は 私達に肉体的や 精神的な苦痛を もたらします 私達は間違ったことも します 時々 内面の神の声を聞かず 神との約束を 忘れます 私たちは自分の高潔な 目的を忘れます 自分や他の人々に 良くないことを します その時 神は他の誰か もう一人の志願者を 派遣して 状況を修正するため 降りて来させます そして時々  状況を修正する任務の ために この人は 多くの問題で 苦しみます

意味が分りますか 任務のために苦しみ 犠牲にならねばならず そういう訳で 多くの災害や 時々 非常に不幸な 不運な出来事が この世では起こります でも何が起こっても 最良なのは神の意志に 身を捧げることです ただ私たちの最善を 尽くし 非暴力の道を 守る努力をして下さい それで遅かれ早かれ 神は私達のために それを除きます 私たちが自分で それをしようとしたら 出来るかも知れないが この状況の上に 更に間違いが起こるか 時には自分に悪い カルマ(報い)が もたらされます

現時点で私は菜食 主義者ではないですが すぐに印心して ゆっくり菜食主義者に なることができますか あなたがすぐに 印心したければ すぐに菜食主義者に なる必要があります ゆっくりとはでなく  なぜなら 菜食は身体に良いです あなたの霊性  あなたのオーラを 浄化させ あなたの 内面と外面に綺麗にし あなたを保護します 菜食しなければ ならないのは 私のためだけでも  戒律のためでもなく 動物などといった 他の衆生に対する 愛のこもった 優しさのためです 分りますか  

それは取引ではない スーパーではないです 印心したいと思う前に より多くの本を 読むべきです 「なぜ菜食か」など そうする事ができれば それに同意できたら 印心を受けるべきです あせらずに 強制しないことです なぜ印心したいか はっきり知るべきで 他の何ものより 神を望む場合です たとえ今すぐ 死なねばならなくても 神を見ます できます 数切れの肉は 放っておきなさい それについて話す 必要もありません

特に 現在 変化する時間は まだ少しあります 今すぐ行動する必要が あります  つまり  このいわゆる私達を 待つ破滅的な未来を とめるためにです 人類全体の為に今こそ  行動せねばなりません 自身の生存と健康と 共に 危うい状態に 陥っている全体地球が あるからで地球を 救う為皆がビーガンに なる必要があります
フォルモサ(台湾)の 人々には福報があり 加護と熱望と誠実さが あります ある日私は 在家の弟子と 生地を買いに 街へ出かけました 店に着いて 私達が生地を 購入する前に 店主が霊修行について 話していました 店主には一人 七~八歳くらいの 子供がいました とにかく八歳以上では ないようでした 彼は母に「ママ パパが今朝また仏陀を 見たって言ったよ」 父親はこんな風に 彼が寺院へ行き またどのように仏陀を 見たかついて気楽に 話をしたのです

「それに今日は 菩薩も見たんだよ」 子供は言いました 私はその子に 「なぜそれが菩薩だと 分かったの」と 尋ねました 「パパみたいだったの パパを見たら分かった でも説明できない」 それで私は彼の父 店主に尋ねました 「どうやって 仏陀を見ましたか」 単なる会話です ただ何とはなしに する世間話です その人は言いました 「何でもないことです 私の師の寺院へ行き 暫く瞑想をすると 幾らか映像が見られる という訳です」 私は彼に「その師の 寺院はどこですか」と 尋ね 彼はどこそこの 場所だと答えました 私はその場所の名を 覚えてはいませんが また彼に「その師とは 誰ですか」と尋ねると 彼は「広欽老和尚です」 と言いました 私は「もちろん 彼はこの世を去って しまって残念です」と 言いました それで私は他のことを 話しました

彼に「広欽老和尚には 多くの弟子がいます 沢山の 良い弟子に 会いましたよ 皆良い人たちで 素晴らしく親切で 霊修行においてとても 誠心誠意です」と 私は彼に言いましたし 本当に思ったのです 多くの修行仲間は 広欽老和尚の 生徒でした 彼らは とても良い人たちです とても親切で 熱心で 信仰心が 厚いのです 私達は更に霊修行に ついても話しました 今日霊修行については 非常にオープンです 釈迦牟尼仏が存命中 人々は内面の体験を 気軽に話し合うことは できませんでした

容易に布屋の店頭で 話すようにはいかない 昨今は子供でさえ 話すことができます 昔は 霊修行とは 非常に神秘的で 信じがたく 非常に 秘められたものでした ですから 蓮華経で 釈迦牟尼仏は 生きた観音菩薩に ついて 観音法門の 修行者についての 体験を話していますが 弟子にはこの経典を 他者に見せないように と話しました 気楽にこの情報を 他者に与えることは できませんでした 言いませんでしたか 知っていますか 知らない(知ってます) ええ 知らなくても 構いません 仏教徒でない人々も いますがそれは仏陀の 子供達ではないという 意味ではありません

私達は皆仏陀の子供で 私達が何を信じようと 信じまいと それでも彼は私達を 愛し保護してくれます 西洋 フランスでも 約一世紀前は 霊修行についてあマリア オープンではなく 例えばカトリック教徒 なら皆ベルナデッタの 話を知っています お教えしますか(はい) ベルナデッタは カトリック教徒の 貧しい家庭に 生まれました 彼女の家族は非常に 貧しく時には 子供達のパンにも 事欠くほどでした 長女の名前は ベルナデッタといい 彼女は自分のパンを 少し隠し取っておいて 弟にあげました弟は 食べることが好きで 他の者より沢山食べた からです

十分食べる 物がないと 彼は教会へ行き食べる ために ろうそくを 盗んで来るのでした ろうそく 分りますか ろうそくを食べました それ程まで範囲を越え 空腹だったのです でも家族は神を信じ 善良で 高潔な人々でした ベルナデッタが有名に なった後も多くの 人々が彼ら家族に 贈り物を施しましたが それらを拒否しました 彼らは潔癖で 政府の高官と同じ位 潔癖だったのです ベルナデッタは貧しい ながら愛は偉大でした 彼女はそれほど 賢くはなく 文盲で経典を 聖書を 暗誦することもできず 人々は彼女を 笑いものにしました

子供達でさえ経典を 暗唱できたのに彼女は 成長した後もいまだに できませんでした でもある日 洞窟に薪を拾いに 行った時 彼女は突然 美しい音楽を聴き 突然音の風を 耳にしたのです そこには風が吹いては いなかったのにどうやって聞いたのか 彼女は単なる空耳に 違いないと思いました でも再び美しい音楽を 聴いたのです そして彼女はマリアを 聖母マリアを見ました ご存知ですか ええ 知っていますね 知らなければ 説明しましょう マリアはイエス キリストの生母です 聖霊によって彼女は 妊娠したと言われて います 夫によりでは なく それで彼女は 聖母と呼ばれています

マリアは遠い昔に 地球を去りました 約二千年前ですが ベルナデッタはその日 彼女を見たのです それが聖母マリアだと 知りませんでした 大昔に既に亡くなった 女性ですから どんな見かけか 誰に分かるでしょう でも彼女はまるで 昔の古い写真のような 人でベルナデッタは 後で知ったのです マリアを見た後彼女は 完全に変わりました 病気は治りました その日たまたまひどく 具合が悪かったのです でもマリアの啓示を 見た後 その同じ日に彼女の 病気は治りました

彼女は二人の弟妹に 聞きました 「今何か見た」 二人とも見ていないと 言いました 彼らはベルナデッタが 恍惚として跪く姿しか 見なかったのです 彼らは彼女を数回 呼びましたがその声は 聞こえませんでした 仏教伝統のいわゆる 「サマディー」です カトリックでは 何と呼びますか 聖霊に満たされる 聖書にはこう 記されています その時彼女の耳には 兄弟が呼ぶその声は 聞こえませんでした 彼らは大声で二、三回 呼びましたが彼女には 聞こえませんでした その後彼女は起上がり病気はなくなりました 彼女は早く走れました

最初は 彼女は病気で 弱っていましたが その日その後は早く 走ることができました 皆が驚きました いつもパンを盗む 弟が尋ねました 「今何を見たの」 ベルナデッタは最初 教えたくなかったけど 弟がしつこく聞くので 彼女は言いました 「分かったわ 教えるわ でも誰にも 話してはだめよ」 それで彼女は二人に 「私はたった今 美しい女性を見たの 素晴らしく 美しく 輝いていたわ」 しかし二人とも彼女を 信じませんでした 彼らは家路に着くと 母親に話しました それで問題が 始まったのです

彼ら自身が信用しない のは構いませんが 他の者に様々なことを 吹聴してしまい 問題が起こったのです 母はベルナデッタを 打って言いました 「おまえは空想をして 何か悪霊に 取り付かれたんだ もうそこへ行っては ならないよ」 はい いいでしょう 小人数の家族が 知るなら良いですが でも後で子供達は 村全体に吹聴し 引っ掻き回しました 外の人々に話して 多くの人々が彼女を 中傷し始めました ベルナデッタに汚い 言葉を浴びせました

彼女を殴る者もいて 彼女に通りに 来るように言い 彼女を殴るのです 霊修行が以前それほど 容易でなかったことが 分かりますね 誰も彼女を信じません どうしてこんなに 貧しく 文盲の少女が 聖霊や聖母マリアを 見られるのか 意味が分かりますか あなたが凡夫だったと して 貧困で 文盲だったとします 偉大な慈悲のある 真言を暗誦することも できません 例えばこのようです しかしあなたが 観音菩薩を見たと 何か言ったとしたら 人々はあなたのことを 信じないでしょう 今日でも同じです

それで私は皆さんに 他者に観音法門の 修行を通じての 体験を言わないように 忠告するのです それが一つ目の理由で それだけではないです しかし重要です 私達の体験を 同様にした事がない 人々は そんなに簡単に 私達の内面の体験を 信じられません 私達が見たもの 知ったものです 後にベルナデッタは 多くの人から虐待され 彼らは 彼女が疲れきるまで 質問攻めにします 彼女は質問攻めに あうとそこに立った まま話せなくなります 彼女は同じ事を何度も 復唱するだけです

人々は彼女が有名に なり利益を得たいが為 嘘をついていると 発見したいだけです 彼女はこれほど憐れで 純粋な少女でした どうして彼女が高名や 利益を求め得ますか ですが人々はまだ 彼女を疑っていました 卒倒する寸前まで 彼らは彼女を 質問攻めにしたのです 彼女を脅かす人々も いました 彼らは言いました 「お前が何かを見たと 言うなら これこれが お前の身の上に 起こるに違いない だから何も見なかった という方がいい そうしないとお前には これこれの良い事を してやろう」 ある人々は彼女を 買収しようとしまた

他の人々は脅すのです しかし彼女は見たと 固執して自分の言葉を 変えませんでした 後に徐々に明白になり 多くの人々が 彼女が本当に見た事を 知ったのです

ルルドという場所は 非常に有名になり 後には皇帝の子息も そこを訪れ 水を飲み その病気を 治したそうです それが有名になった 理由です 後に ベルナデッタについて 誤解は消えて なくなりました けれどもこの事は 多くの問題を彼女にも 家族にも与えました これは嵐のような 出来事であり 皆その 事で疲れ果てました 一日中人々はやって 来ては疑問を 尋ねては邪魔します やってくる人々は 問題を起こします 彼らは祝福のために やって来るのです 最後には物事は 明らかになり 皆が彼女を認め 王さえも 牧師 尼僧も皆 彼女を認めました そして多くの人々が やって来て願いを言い または彼女に加護して もらおうと牧師 尼僧 カトリックの 高い階級の者達も やってきます

今ではフォルモサ (台湾)ではオープンに 霊修行ができます それで私達は 生きた観音菩薩を見た ことを聞けるのです 私達の修行仲間の 一人でやはりマリアを 見た人がいます 簡単です ベルナデッタは有名に なった後 外出する時変装せねば なりませんでした 以前と同じ衣服を 着る勇気はなくなり それでもなお 人々には彼女が分かり 認識されてしまいます 彼女の衣服は 細切れに引き裂かれ 人々は崇拝のために 持って帰りました たぶんそうしました ちぎれた衣服を 持ち帰り加護や お土産としてです

それで私は 皆さんに霊修行からの 体験を他言しない ように忠告するのです その上私達を この事で傲慢になり 興奮しすぎることから 自らを保護します これは霊修行において 私達を 妨害するでしょうから ベルナデッタの話は 天国の手配です それは人々に 真の聖霊による体験を 知らせるためだったと いうわけです この世界は物質的な 事柄で成り立ってなく 精神的な局面では 私達には説明不可能で 言語では表しきれず 科学でも証明できない 事柄があるのです

科学がどんなに 進んでもまだ掘り下げ 物質的な境界において 目には見えない世界に 入ることができません それで現代の科学者は 月やある惑星へ 行けるのです でも彼らは何も 持ち帰ることはできず そこにある種の生物は 見られないのです 私達が霊体を使い 私達の智慧で そこへ行くなら そこの衆生を見る ことができますが 物質的な手段を通して はっきり見えません 現代誰もがUFOを 知っていますね でも彼らがどこから 来るか どんな材料を 用い 空飛ぶ円盤が 作られているのか なぜそれほど早く飛べ 頑丈で信じがたいのか 誰も知りません

普通の科学者でも 空飛ぶ円盤を作れます でもそれほど 速くは飛べません 私達の空飛ぶ円盤が それ程速く飛んだと したら 空気抵抗で 破裂するでしょう UFOの速さのもの には追いついてなく それにどんな種の 金属を 使用しているか UFOの内外の構造に おいてです この種の金属はここで 未発見のものです それらは高次の衆生 からのダイヤモンド 金 他の種の宝石に より製造されています ここでこの種の水晶は 見つけられません 水晶 金 ダイヤモンド 混合の新たな金属に 形成しています 見るだけで 分かるでしょうが 霊修行を通して 分かるのです

肉眼では水晶から できていることは 分かりません そこの水晶は ここの水晶とは 異なります 私達の水晶なら 道具で連打すると 砕けてしまいます 役立ちません そして一つのUFOを 空飛ぶ円盤を巨大な 乗り物を作るに十分な 水晶を持ち合わせては いません この世界を 超越できるほどのです この世界では飛行機は 飛ばせますが これらはこの世を 超越しています 御覧なさい 科学でさえこの宇宙の 多くの現象について 説明できないのです ベルナデッタの死後 上昇した彼女の体は 腐敗せず残り 退化しませんでした

フォルモサ(台湾)では 仏教の慣例を 覚えています 二人の菩薩がいて 体が腐敗する事なく 退化せずに残されて いたのです 皆 知っています 何という名でしたか 慈航と清厳でした そうですよね 慈航菩薩と 清厳菩薩 両者とも仏教の マスターでアジアの フォルモサ(台湾) 出身です ベルナデッタは西洋 カトリック教徒の 尼僧です なぜ三者とも同様に 腐敗しない肉体 不可思議な現象を 表している のでしょうか 知っていますか

真理は一つだけです 真理は一つだけ ええ どのドアを開いても 一つの 真理に たどり着くでしょう ドアが二つ 三つ四つあったとして あのドアから来ても 良いし このドアから 来ても良いですが 最終的に 皆 そこにたどり着きます だから私がどこへ 行っても その五つの 宗教は一つだと 私は主張し 皆同じ 事を話しているのです 古代からの その宗教を 見つけた人の案内に 従えば 少なくとも 基本のところに 達するでしょう 分かりますか 少なくとも  私達は親切で  純粋な人になり  この世界を越えた  経験をするでしょう 違いますか

ベルナデッタが マリアを見たとき  彼女はこの世界を 超越した風の音と 音楽を聞いたのです 彼女の弟妹は 聞こえませんし 見えませんでした 彼女だけでした なぜ彼女なのか 私達は聞きました その音楽と 風の音は さっきお話した 「内面の音」は 観音修行者に そう呼ばれます 観音修行者は 彼女と同じ体験を しています 彼女が体験したのは 私達が 知っているものですが すべてではありません

沢山の 異なる音と音楽があり 私達の霊体を この世界から 引き出しているのです 私達の肉体は まだここにあっても 霊体は 肉体とは 無関係で 他の領域に他の世界に 達することができ それは全く 私達の世界とは 違うのです だから 私達は戻って 他の人に言っても 誰にも分りません 誰も理解せず 信じてくれません その時 多くの人が ベルナデッタに聞き 「なぜマリアはお前の 前に現れたのか」 「なぜ王様には彼女が 見えないのか」 「その牧師と 尼僧は高い地位にあり よく学んでいて  信心深くて 長い間 修行をしているのに なぜ彼女が見えなくて お前だけしか 見えないのか」 「なぜ貧しい 羊飼いの女の子に 見えるのか」 彼女は「それは恐らく 私はマリアのように 貧しかったので 彼女が選んだのです」

マリアとイエスは 貧しかったのです 覚えていますか イエスは裕福な家庭に 生まれていません でも貧しい人だけが 聖なる体験が できるとは限りません 例えば 釈迦牟尼仏は 王家の宮殿の 出身で ムハンマド イスラム教の創始者は 裕福な女性と結婚し 家族は裕福でした 仏教の伝統では 唯摩と呼ばれる 年長者は 裕福で有力でした 彼もまた 精霊を体験し 「タオ」に達し 仏性に達しています 異なった宗教が 異なる事を教えますが それは一つのことを 指していて 内面の無限な力 全能の力なのです それが自身のマスター 私達の本性なのです

それを神やタオと または仏性と 呼ぶのは構いません 彼は同じ人で 同じ力を持っています 聖書には「裕福な人は 天国に行くのが 難しい」とあります 他のところでは 「貧しい人は純粋で 神が彼らを祝福し 愛するだろう」 とあります 私達はこう尋ねます 「愛しているなら 神はなぜ彼らを裕福に しないのですか」と そうではありません その理由を立証する ことは不可能です 神がいるとして なぜ 皆を平等に しないのですか

多くが私に尋ねます 「なぜ神は沢山の 問題を作るのですか 悪い人 良い人 貧しい人 裕福な人 なぜ 神は天国を 造らないのか それで  皆が幸せになるのに」 同じ質問は ありますか (はい)いますね 同じ質問です 理由を知っていますか 私達の智慧がまだ 開かれていないからで 私達は識別しています 良い事と悪い事の 識別です 満足していなからです これがあって あれが欲しくて これを得たら 他を欲しがるので 決して満足しません 何が本当に良くて 悪いのか分かりません

ベルナデッタは 聖霊を経験したのは 癒しの能力が 与えられたからです 彼女が盲目の子を抱き キスをしたとき その子は見えました 人を意図的に癒そうと していないからです 彼を可哀想に思い 彼を抱いて  それで彼の病気は すぐに治ったのです その子は十年以上 病気でした そのような実例は 沢山あります ルルドの水は沢山の 患者を治しました それで有名に なったのです でも彼女は自分の 病気を治せません ベルナデッタは喘息で 病気は治りません

牧師は尋ねました 「そのような治癒の 力があり ルルドの水で多くの 患者が治ったのに なぜ自分の病気を 治せないか」と 彼女には分かりません 恐らく彼女が 耐えなければならない 苦しみなのです 彼らは尋ねました 「なぜ苦痛に耐える 必要があるのか なぜマリアはあなたを 治さないのか」 彼女は「神だけが 知っています」 神が理由を知ってます 彼女の言葉は 簡素ですが 私達には 何十年も 何百年も 何億年もかかって そのような高い レベルに達せるのです 人並みではありません

これが 「不満のない」境界で 老子が説明したのと 同じレベルです 「天下に元々 何事もなし」 そのレベルで すべてを受け入れます それを「気付くこと なしで耐えられる」と 私達はそう呼びます 「気付かずに耐える」 を私達が得たら 何も知らずに 何でも耐えることが できるのです 私達のこの耐久力は 当たり前のように 受け取ります 私達はどんな状況でも 受け入れます  神が与え 仏陀が 手配したからです そこに到達すれば 私達は満足し 確信し 幸福で自由になります

何にも動揺させません 誰かが中傷しても 私達は傷つかず 誰かが褒めても 傲慢に感じません 簡単のようですが 簡単ではありません ベルナデッタは カトリックでしたが 彼女は 慈航法師と清厳法師と 同レベルに 達したのです 私達はただ 外面の身体の ことだけを観察して 話しています 内面については 議論していません 彼らの人生哲学は 話す必要ありません どの宗教でも 良い霊修行者を 生み出せるのだと 証明できます 純粋な人は道に 達することができます

最も重要なのは 純粋な心で 差別心を 持たず  幸福と苦痛を 区別しないことです 僧燦禅師 僧燦禅師 三代目の開祖もまた 差別的な心を持っては 道を得るのは 難しいと言います 彼の言う意味は 差別をしない人 純粋で満足した 心を持てば 簡単に 道を見つけられます 老子は 私達は 子供に戻り  道に達するためには 子供のように なるべきだと言います イエスキリストもまた 純真な子供になれば 神の王国に 達することができると 言いました これは仏教と 道教は同じ教えだと いうことです

イスラム教の教えも 同じです イスラム教は人を評価 してはいけないと信じ でもそれは これはそうあるべき 神の意志なのです 同じです 同じ意味です 私達は子供になるべき 他人を批判しては 行けないのです それは同じですか 同意しますか(はい) 良いです では開悟しました ですから 私は決して 宗教に対して 区別をしません すべての宗教は 同じ事を教えています 信者の理解が 異なっているので それが問題を起こす 原因なのです その人の外観だけで 霊的なレベルを 判断してはいけません

その人の洋服や 宗教を見て 判断してはいけません 代わりに  その人の教えや その知識 その理解  そして寛大さをみて 判断すべきなのです そしたらその人の レベルが分かります その人が特定の 場所に留まり  主張すれば最高ですが 彼はまだ差別的で 「差別心がない」 所に達して いなければならないと 僧燦は言います 彼は「天下に元々 何事もなし」という レベルに達してないと 老子は言います

イエスキリストに よるとまだ子供の 心に達していないです ベルナデッタは 貧しかったのですが  神は彼女を愛し  マリアが彼女を愛し  彼らが聖霊授けるのは 彼女が貧しいから ではありません 彼女の心がとても 純粋だったからです 世界にとって 彼女は輝いてはなく 批判的な目で見れば 彼女は輝いてはなく 教養的な目で見れば 彼女は輝いてはなく なぜなら聖書の 短い一節さえ 覚えられなかった 昔 私は 楞厳マントラが 覚えられませんでした 楞厳マントラ以外は どれでも 覚えられたのです

長過ぎるからです 楞厳マントラは 知っていますか 何千もの 言葉が並んでいます 歯を磨きに行く時 私は 楞厳マントラを持って 読んでいます 歯医者が私の歯を 削っている間 私は楞厳マントラを 読んでいます 彼は「一分でも 良いから本を 置けないですか」と 私は「できません 暗記しないと」 彼はこっち側を 削っていて 私は 反対で読んでいました 彼があっちを 削っていたら 私はこっちに戻します 彼は驚いて 聞きました「いつも 持ってないといけない ものとは何ですか」 私は「これは仏教の マントラです とても重要です 覚えなければ 解脱できません」

その当時は  とても心配でした それを覚えなければ 尼僧になれないと 思ったからです 私はベルナデッタの 状況に同感しました 彼女は聖書を 暗記できなかったけど 聖霊を体験した後 彼女は 雄弁に話しました 彼女は牧師たちと 明確な論理について 討論したら それで彼女を称賛し  自由にさせ  彼女が精霊を体験した のだと信じられました それは彼女が 以前と違って 普通に話せて 偉大な 智慧があるからです しかし彼女の智慧は 外部の知識とは 違うのです そのようなレベルは 学校に通ったり この世界のことを 学んだことでは 取得できません

彼女は知っています 彼女は心から 確信があり 誰に言われても 動揺しないことをです 私達観音修行者と 同じです 私達修行者は人々と 議論するのが 好きではありません 本当のところ 修行すればするほど 議論は減ります しかし議論する 時になれば 私達にはできます 状況とその人次第です ある人は筋が 通っていませんので 私達は頭を振って 言います 「阿弥陀仏」 違いますか いいです ですから状況を見る 必要があります マスター 私の家の 近くに八万ワットの 発電機があります 私が瞑想をすると 影響しますか

いいえ しません 悩みがあるなら 聞いて下さい マスター 感情や 物質的な欲望を捨て それらに 邪魔されない 方法はありますか 解決法は簡単です 結婚するのです 霊修行の視点で 説明する 必要はありません 若者はエネルギーが あり 欲望が もっとあります 年を取っていくと それ自身がなくなる これが修行の 最初の方法です 二つ目の修行は 観音法門です 内面的に もっと役立ちます 外面的な治療は 少しの間しか 効きません ですから殆どの人は 自分の強欲と 嫌悪 そして無知を 減らせません それは外面的な薬を 使っているからで でも続けても良いです

例えば 何かの 欠点 例えば人に 親切ではなかったり 慈悲深くなかったり 他人を愛せなかったり と欠点があることを 知ると 自分の 考えを変えて 変わるのです ですから毎月 一日 どの日でも 二日でも 専念すれば  霊修行が毎日 できなくても 月に 一、二回専念すれば 最初の日と十五日目に ベジタリアンになり 良いことをしたり 布施をして  皆を愛せば 良いのです それらの日に 私達は修行したり 嘘をつかず 殺生せず 盗みをせず 邪淫せず 飲酒や賭け事は しません 不道徳なことや 不法なことは 一切控えます 月に一度だけ これを修行します

一度修行をすれば もう一日追加します その日 私達は嘘をつかない とか 人を傷つけず 愛するのだと決めます 古代の聖者が記した 古典的な経典を 読むよう決めます 分かりますか 例えば道教が好きなら 道教の経典を 読むでしょうし カトリックを 信じるのなら 聖書を読み 神に祈るはずです 仏教を信じる 仏教徒なら 金剛教や 菩薩の経典などを 読んで 自分自身に 人間の道徳的行いを 思い出させるはずです 例えばそんな感じです 一貫道を 信じるのなら もう一度一貫道で 教わった道徳的規則を 読むのです

私達はその日に読むと 決めて ただ読むだけでなく 同様に実行するのです また私達が 儒家に属すなら 仁 義 礼 智 信 といった 孔子の教えを 読むでしょう 荘子の道徳同様に 孔子の話も 読むべきです 古い時代の 人々の振舞い方を 学ぶのだと決めます こうして私達は 孔子や道家 仏教徒 カトリック信者の 真の生徒になるのです 私達はお寺や教会に 行けないので 経典を読んで そのすべてを 神に返します それは無益な方法です 代わりに私達は 月に一度 愛と慈悲を修行し 古の聖人の教えを 学ぶのです 月に一度出来たら すでに大変良いです

後に二日増やし それ以上でもなお良く 週に一度増やします その日 私達は 良い事すべてをして 一切の悪行を 控えます 経典を読んで 適当な服を着ます 厳然と振る舞い 人々の注意を引いたり 人々の注意を引いたり 誘惑するような 服は着ません 私達は 昔の霊修行者みたいに 完璧に威厳があります 後に週に一度 増やします このように毎日 実行するのが最良です 出家者になるために 家を出る目的は こうして毎日 修行するためです でも簡単にできません

週に一度 最善を尽くしてみて 少なくても一日 すべてを手放します 霊修行を するために この世での あらゆる責任と 物事をすべて手放して 自分の宗教の 創始者の名前を 唱えます 自分が信じている人の 名を唱えられます 例えば 浄土を信じているなら その日は心から 阿弥陀仏を唱え 完全に信じます 心から阿弥陀仏と 繋がるよう 試みます カトリック教徒なら その日は心から 神を思い 神に祈ります イエスキリストや マリア 聖ヨセフ 聖フランシスコなどの 名前を唱えます 自分達が聖霊に近づく のを彼らが助けるよう 救うように祈ります こんな感じです

イスラム教などの 他の宗教を信じるなら ムハンマドの名を 唱えるのです 孔子の哲学を 信じるなら 自分達の孔子の方法を 修行します 道教を信じるなら 道教の方法を 修行します 週に一度 既に良い結果を もたらすでしょう ご自宅で試して下さい より良い結果を お望みなら 私と一緒に毎日 観音訪問を修行する のを学べます 寺院の住職が 高潔ではないなら 仏陀の存在に 影響しますか いいえ影響しません 仏陀はその僧侶には 頼らないからです 住職に頼って 存在していません 自ら存在します

マスター 観音法門は 自身を得るのを助ける 最高の法門です 観音法門を 修行することは 人間の人生の 究極の目標ですか そうです すべての 経典がそう書いてます 先に触れた ベルナデッタですら 聖霊を体験するために 内なる音を 得ました あなたが私と共に 学ばず 自分自身で 内なる音を得るなら あなたも 同様に開悟し 同様に 観音法門を 修行しています 観音法門は 私からではなく 私達の内から現れます 自身で見つけられない 私は早く見つける 方法を知っています そういうことです

分かりますか 私達は 観音法門の修行を 通して内なる音を 得るべきです 私達は自身の 真我を知った時だけ 解脱できます 私達は言葉を使う 必要があるのでそれを 「法門」と呼びます だから私達はそれを 「観音法門」と言います ですが 必ずしも 「法門」ではありません 一種の「ノウハウ」で やり方を知ること 自身の力の開け方 内なる振動と音に 繋がる方法を知り そうして 私達は解脱します これが 観音法門です 時々自分自身で 音が聞こえますが 開悟した マスターなしでは 失い易く レベルはあまり 高くありません ある音を聞く時は 自分のレベルは 分かりません どんな音が良くて どんな音が悪いかは 言えません だから私達は 学んでマスターした 人が必要なのです 私達はその人物を 開悟したマスターとか 仏陀と呼びます 不思議ではありません

気食者クラブ 彼らは不食で生きます ある人は六カ月 ある人は五十年以上も 彼らは気 日光 水 または宇宙の エネルギーで生きます 気食 日光食 水食 プラーナ食の 人々を紹介します

 
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 魂の再会 1/3 二〇〇〇年四月二七日 ニュージーランド 、オークランド
 国際人権会議 1/5 一九九四年五月二五日フォルモサ(台湾)台北(中国語)