智慧の言葉
 
真理、美徳、美しさを再発見    Part 1
Part 1
Part 2
Download    

釈迦牟尼仏が 悟りを開く前 無数の過去世において 善行をしてきました 私達凡夫は今生で どのように近道をして 開悟して 天国に至ることが できましょうか こじつけですか そうではありません あなたは過去世で 善行していないと なぜ分かりますか あなたはは過去世で 悪いことをしたと 証明できますか 釈迦は過去世で 良いことばかりしたと 証明できますか これは彼が言った事で あなたも聞いた話です それが真実かどうか あなたは分かりません あなたは 自分の過去世が良いか 悪いかも分かりません

なぜそんなに 悲観的なのですか 私達は自分の価値を 信じるべきです 神は全ての人は 神の姿に似せて造った と言っています 私達は神と同じ姿です なぜ自分は劣ってると 思うのですか 今言っておきますが 私は釈迦が過去世で 良かったとか 高尚だったことは 分かりません ただ彼が悟りを 開く前は何も いい事をしていないと いうことは分かります 彼は宮殿に生まれて 過保護に 育てられました 結婚してから 正妻の他に五百人の妃がいました 多くの美しい女性達が 踊りを踊り 彼の世話をし 日夜彼のために 踊ったのです そして四季それぞれの 宮殿を持っていました 彼は国の納税者の お金を三十年間 費やしました 今皆さんは私に 彼は色んなよい事をし 悟りを開く資格がある と言います さっき私が言った ように開悟は神からの 贈り物であって 道徳や善行を通して 得るものではないです

私達は皆開悟でき 皆が仏陀になれます 少なくとも 解脱できます さもないと 何の見込みもなければ 神はイエスや釈迦 ムハンマドを 送る必要もありません 道徳的な人間だけが 悟りを開くことが できるとしたら 誰が道徳的なのか 私には分かりません すべての聖人には 過去があり すべての罪人に未来が あると言われています 私達は罪深くないです 罪も一種の幻想です これが分ったら 悪も善もありません ただ真剣に修行して 初めて分ります すると自由です

観音法門は 自分自身の 本来の面目を認識する 最速の道を提供します するとあなたは自分の 過去世を見て 私に 自分は良い事をしたか 悪い事をしたかを 言ってくれますね 各宗教の指導者は 地元または地域で 弟子や信者を作ります あなたは多くの国で すばやく 信者をふやして います 例えば中国大陸 台湾 香港 アメリカ パナマ ブラジル コスタリカなどでです あなたが人々を引き 付けるのは何ですか 私には持論があります でもあなたの理論を聞きたいです はっきり言って 私にも分りません

何か理論があったら どうか教えて下さい すると私は自分の事を もっと分るでしょう 私はただ呼ばれると そこに行くだけです 私には教義を広める 計画などありません いろんな所で 私を呼んでいますが 全部は行けません あなたに解釈して もらうと私も原因が 分るかもしれません 私は人々が私を引き 付けているかそれとも 私が人を引き付けて いるか分かりません こんな状況です あなたにいい見方が あれば教えて下さい ご遠慮なくどうぞ なぜでしょうか

マスター多くの人が あなたを愛していると 言っています なぜですか 質問した人の 意見を聞きたいです 上がってきて下さい オゥラック (ベトナム)人は私の話し方や 伝道の仕方や 教義が好きだと言い 別の人は私を愛して いると言っています 他は分りません しかし私を愛する事は 容易ではありません 難しいです 私はとても早く働き ついて来られないと 叱るからです 私は完璧を求めます できるだけ早く完璧に なって欲しいです 従って私を愛する ことは難しいです 人はなぜ私を愛するか 私は分りません 意外です

その人は私に教えたく ないというのですか

私に開悟して欲しく ないのですか いいでしょう 今日では多くの私達を 助ける人 霊指導者が 偉大なマスターがいて 一大市場です そのうち幾人かの人と 話をしたことが あります ある人は 見るからにとても 大変開悟し 私達は彼らから 霊性の覚醒を得られる という感じがします しかし彼らの 振る舞いは相応しく ないように思います ご説明頂けますか さっきあなたは 開悟した人はすべて 神の意志によるものと おっしゃいました 開悟した人は どのように神の意志に 従って行動し 彼又は彼女は 自分の行為に対し どう責任を 持ちますか

誰が開悟した人なのか どのように分りますか 彼らを信じられますか 信じないことです あなたは誰が開悟した 人なのか分りません 自分以外の人は 信用しないことです 人を信じることが できなければ神に祈り 自分に聞いて下さい 自分が真摯で 純粋であれば 真摯に開悟を 望むとしたら 真の マスターに会えます すべて自分次第です マスターではないです あなたが純粋なら 類は友を呼び ます ひどいマスターでも 人のせいにしないで 自分のせいです これは一つ目の 質問に対する答えです

どんな人でも運悪く よくないマスターに 会った場合 これは 本人の落ち度です 彼らは反省しなければ なりません 自分の動機が 純粋かどうか 真摯か どうか内省すべきです そして神に祈ると 神は別のマスターの 方に導いてくれます これが需要と供給の 法則です 「求めよ さらば 与えられん 叩けよ さらば 開かれん」親愛なるマスター 両親は 私が印心を 受けるのを阻止します これを信じない わけではなく 私が多くのことが できない事を恐れるからです 私には両親も道であり 彼らに従うべきだと 思います どうしたらいいですか

これはあなたの両親が 私の教義を信じるのを 阻止するのではなく あなたがしっかり できない事を心配して あなたが 中途半端にやって 問題を起こし 信仰を失いマスターに 迷惑をかけないよう 守るためです 自分はできると 両親を納得させる ことです 自分は 本当に開悟したいし 一生菜食し 瞑想もできると 納得させることです 礼儀正しく 愛を込めて両親を 納得させるのです これは簡単な問題です 両親があなたに従わせ たくないのではなく ただあなたにそれが できないかもと 意見を表したのです

あなたが長期に菜食 できない事を心配し 瞑想を十分できないと マスターに 迷惑をかけると 思っているのです 彼らは正直です 両親はあなたに できるならいいが できなければ ただばかなことをする と思っているのです こういうことです あなたは両親を納得 させねばなりません そういうことです 誠意と愛を込めなさい これは面白いです 訳してあげましょう こういう質問です ご存じのように オゥラック人 (ベトナム)人は沢山の 本を読みテレビを 沢山見すぎて 多くの 禅師を知っています

こんな質問です 「釈迦が 生まれた時 七歩 歩いた」そうです そうだとしても 私はそこに居合わせて いなので分りません 彼らも居合わせて いないのに信じます それが本当だと します 彼は七歩歩いて そして片手は上に向け 片手は下に向けて 「天上天下唯我独尊」 と言ったそうです と言ったそうです 自分は最も偉大だと 皆が今でも これを信じています 私は彼らに言いました これはおかしい事です 人は生まれたばかりの 赤ん坊を信じて 私を信じません

私は 数十年前に生まれ 真剣に修行し 多くのいわゆる 善行をしています これは自慢するために いうのではなく ただとても可笑しい ということのためです 生まれたばかりの 赤ん坊が言ったと 人は二五〇〇年前の 事を今も信じています 私は今ここにいて 真剣に修行し 菜食してヒマラヤに 行ってマスターを探し 多くの本と経典を 読んでいて私が自分は 開悟したと言っても 誰も信じません なぜでしょうか 私は彼らに言いました

おかしいことに 釈迦は 生まれてから 宮殿を離れて 出家するまでに 何のよい事もせず 前にも言ったように 多くの国の納税者の お金を費やして 彼のための冬の宮殿と 夏の宮殿に費やし 美しい踊り子が 二十四時間彼のために 踊り 欲しいものは 全て与えられ 何の よい事もしていません 皆さんの方が社会のために貢献している かも知れません 税金を払い 菜食し 教会に通い 教会を建て マザーテレサを助け もしくは 難民を助けるなど 一生沢山のよい事を してきました

皆さんは両親の 世話さえしています 釈迦はしていません 彼はどのように仏陀に なったのでしょうか 皆が彼を信じています 彼はインドにいて ここにいません 彼が言った事は 本当に記載されて いるかどうかも 分かっていません 今私はここで じかに 皆さんに教えています しかし多くの人は 私を信じません だから私はこの世界は 逆さまだと言います 釈迦はあんなに 悪くても仏陀に なれました なぜ あなたにできませんか なぜ自分を 見下すのですか それは皆の誤りです

皆さんが無数の人生で 魔の奴隷になることは 驚くことはありません 魔のせいではなく 自分自身のせいです 自信がなく 自尊心がなく 反省もせず 比較もせず 勉強もせず 時間をかけて物事を 分析もしません どうりで 開悟しないわけです どうりで いつまでも仏像を拝み 木彫りの又は石彫りの 仏像を拝むわけです 私達が自分の価値を 知らなければ ずっと 奴隷のままでいます 弟子になって欲しい わけではありません 皆をマスターにして あげたいのです 分かりますか

皆さんはマスターで あるべきです 皆さんは随分長く 奴隷であったのです それだけです これが私の目的です マスター なぜ私達は 前世の生死を覚えて いないのですか 全部覚えていると 余りにも多くの負担に なるからです 今世だけで多くの事を しなければなりません 納税して戦争して 子供の世話をして 自身の問題もあり カルマ(報い)が あります 自分の前世が 悪かったとか 良かったとか 高尚だったと分ったら さらに混乱して 今世の任務を果たす ことに専念できません

ですから神は つまり自然の法則は カーテンを引き あなたが必要な時だけ 分らせるのです あなたの修行の 進歩のために時々 瞑想の時 あなたにも 前世を知ってもらう ことがあります でなければ 必要がなければ あなたにも分りません イエスは言いました 「明日の事を 心配するな 今日の面倒だけで 十分である」と 明日が私達に対し どんなに重要でも 心配無用だとしたら 過ぎ去った過去世は なおさら 知る必要はありません 分りますか 私の兄弟は十二日前に 亡くなりました

彼は今苦悩に満ちて いるようです どうしたら彼に最も 良く どう助けますか 祈るか 観音法門を 修行することです すると彼は すぐ超昇します あなたはどんな絵を 描きますか 少し見せて頂けますか 持ってきていません ビデオに 一部取っています ほとんどはフォルモサ (台湾)で描いた絵で 何でも描きます 画布に幾つかの色を 投げかけて描きます どんな絵ですか 果物や 静物 風景画 自分の考えや 真理や哲学などを 表現します

例えば 色を全部説明は できませんが 一部の内容を 説明しますと 例えば 一枚の絵は これぐらい大きくて 大変明るい 色を使っています ブルーも明るくて 黄色も金色も 明るくて 強い色です 石は冷たいブルーで 砂は赤い色と 黄色で 金色は明るくて 強烈です これらの 色は強いエネルギーを 発していて 長く見つめていると 目がまぶしく感じます ビーチには石や 砂があります たった一つの石 沢山の石に 巨大な石があります 白髪の老人のように 見えます

威厳があって 印象的です 横にまた別の 小さな石があって これも目を引きます これらは紛れもなく 石です 一目で石だと 分ります しかし人間のように 見えます どこともなく 人間に似ているのです 口を開けている ように見えます 私はこの絵の名前を 「会合」とつけました 石達は会議を開いて 何かについて討議して いるという意味です 石達がどれほど長く 語っているか クールで冷たい表情が 印象的でとても頑固で ある事が見て分ります

そして周りの石や 木々は 燃えている感じです 余りにも長いからです 余りにも長く 無意味な事を語ります 周りのものはすでに 燃えようとしますが 石達は依然 冷たい表情で そこに 座って語り続けます そこで私は「会合」 と名づけました これは哲学的な 意味を持つ絵です 他にもいろんな絵を 描いています コスタリカの風景を 描いたのもあります 丘に広がる 美しい花の眺めと 瞑想センターを 描いたものです またコスタリカで 蘭の花も描きました パナマでも 花とかいろんなものを 描きました 時々これらの絵を 通して生活における 禅の道を表します あなたが見たいなら 私もどうしたらいいか 分りません

一部はコスタリカに 一部はフォルモサ (台湾)にあります どうしたらいいですか ここで絵の展覧会を したらどうでしょう 皆さんはそれを 見たいですか 考えておきます 一部は売れました 三枚ほど売れました 大体 一枚につき3万ドル 一枚は3万ドルで 一枚は2万9千ドルで もう一枚は4万ドルで 六枚売れて三枚 持っていきました 残りの三枚はすでに 予約されています この三枚売るかどうか 考えているところです しかしすでに 注文されています 彼らは買っています 一枚はフォルモサ (台湾)ドルで 百万NTで売れました 約3万ドルです 他の二枚は 150万NTで 約四万から五万米ドル 相当です

あなたは自分は在世の マスターで 過去の 釈迦やイエスと 同じだと思いますか あなたはそう言えます 私は自分自身について 何とも思いません そのことは考えません 私は必要な時だけ 考えます 必要な状況に 応じて考えます

私は 自分が 誰なのか何がしたいか など気にしません 神が私に何をして 欲しいかと言った 抽象的なことは まったく考えません 仏陀の智慧とは どんなものですか 明らかな論理ですか 直感的ですか 又は これらを超越しますか 仏陀の智慧とは何か どっちでもないです 全てを超越していて 私達が考えられる ものはいずれも仏陀の 智慧ではありません 仏陀の智慧は 私達が 仏陀になって初めて 分ることです しかし説明できません ただ黒と白のように はっきり分ります 仏陀の境界に達した時 はっきり分かります あなたは一日中 歩き回って 自分の仏陀の智慧を 宣伝したりはしません

自分はその中で共に 生きていて 自分は それだと分っています 私は仏教では 男性だけが 開悟することができ 女性はできないという ことを知っています あなたが解脱して 涅槃(最高の天国)に 達したことを どう説明しますか ではもう一度男性に 生まれ変わります 女性は仏陀になれない ことが本当なら ことは本当なら 男性も仏陀に なれません 男女の分け隔ての 考えがあるとしたら 成仏のことは 考えない方がいいです なぜ私が女性の姿で 仏陀になったか というと 私が仏陀になったと して なぜ女性の姿で 現れたかというと その原因は 男性の仏陀は 十分多いわけで 変化が必要です

分りますか なぜ仏陀を工場の チョコレートや キャンディーのように 固定したパターンや 型に はめるのですか なぜそのように してしまいますか 仏陀を商品の ように扱い 勝手に形作ることが できる物にして 男性とか女性に 分けたりしますか でたらめです こんなでまかせを 信じる人がいるなんて 理解できません しかし例えば 私が仏陀だとします これを議論するために 信じるとします ではなぜ私は女性では いけませんか なぜ人はそう言うのか というと人類は 長い間無明の状態に いるためにこのような 質問があるのです

私達はいつも 女性を見下し 全員ではありませんが 一部の人は女性を 道具として扱っていて 家庭主婦として 家事を切り盛りし 子供を生み 性の 相手としてみています 今は時機です 女性はより高尚で より知的で より合理的で 論理的であるはずです そして神のパワーの 伝達道具で あるべきです 概念と態度を 変えて初めて 自身の偏見と 低レベルの考え方や 狭い見方から 解放されるのです ですから自由になる べきで全ての束縛から 自由になるべきです

私達は自分の広い 視野で物事を 見るべきです 物事の真相を 知るべきで 先入観で物事を 判断してはいけません 神は無限です なぜ女性では いけないのでしょうか 釈迦が生まれた ばかりの時すでに 七歩歩いて 自分は 唯我独尊と言ったと 皆が信じるなら なぜ女性を 信じないのですか 女性は全ての仏陀を 生んだ母親です 私は仏陀である だけでなく仏陀の母親 なのです 分りますか 女性がいないと男性は どう生まれますか 真実はこうです いくつかの オゥラック語の (ベトナム)質問です

彼らは私をオゥラック (ベトナム)人だと 言います 私は そこで生まれたから です 私が 難民を助けることを 約束した以外に 何かオゥラック (ベトナム)の国を 助けて生活水準を 高めるための計画は ないかという問題です 彼らを裕福にするとか または経済的に 政治的に 安定させるなどです 私は 計画はあると 答えました オゥラック (ベトナム)人に 観音法門を教えると その国は変わると 答えました しかし物質面の 計画はありません なぜなら私達の カルマ(報い)を 変えなければ 環境は変わりません 私達の環境は 因果からできたもの だからです

仏陀ができるとしたら 開悟したマスターの パワーが環境を 変えられるとしたら 仏陀はとっくに 変えたでしょう 釈迦が存命の時 彼の国は 戦争をしていました 今でも 彼の国の人々は 貧しいです ですからオゥラック (ベトナム)の 状況を変えない と 私を非難しないで 釈迦やイエスさえも できませんでした 歴史において彼らは 私よりも偉大でもっと 多くの信者がいました

彼らもできなかった 事が 私にできますか どうしてできますか 分かりますか 私達は考え方や 概念を変えてこそ 環境が変わるのです 神の王国は私達の 内面にあります 即ち 私達が内面の 神の王国を知れば すべてが神の王国です でないと私達は 神の王国を有する ことができません これが神の王国は 内面にあるという 意味です

また聖書にも 神の王国を 見つけると全てが あなたにもたらされる とあります しかし私達はまず 世俗のものを探して その後で神の王国を 探します 天国が世俗の欲望の 一つになっています とても変な見方です

どのように 呼吸や心臓の鼓動が 停止してもまだ生きて いる法門が習えますか

彼らは私に呼吸と 心臓を停止する 瞑想を教えて下さいと言っています 私は急ぐ必要はないと 言いました 死ぬ時に これらのすべてが 起こります これをする 必要はありません 私達は自然の 機能に介入する 必要はありません これは開悟する 方法ではありません どう修行すれば エネルギーの流れを加熱してサマディー クンダリーニに変えられますか 何ということ 彼らは私に 体の熱を 加熱して サマディの炎 つまり サマディのパワーに 変える方法を 教えて欲しい といっています 私はそんな必要はなく 炉に飛び込んだらいい と言いました これも無意味です 悟りを開くことと 無関係です たぶんヒマラヤの マスター達や 修行者達は 十分な暖がないので 彼らは丹田の熱を 鍛錬して 体を温めて ヒマラヤの寒さを しのがなければ なりません そこはとても寒いです しかしここには セントラル ヒーティングや ヒーター何でもあって それを必要としません 一つ例を引用します

ある人が 釈迦の前で 自分は水面を歩けると 自慢しました それはどれぐらい 練習したかと 釈迦は聞きました 彼は 二十五年と答えました 釈迦はそれは時間と お金の浪費ではないか 私は五銭払って船を 雇えば川を渡れると 言いました これらはいずれも 間違った概念です 私達は開悟するために 練習をし 人類のために何が 貢献できるか 宇宙とどう繋がるか 宇宙のために 何ができるか 宇宙は私達に多くの ものを与えています また苦しみから解脱し 生死の輪廻から 解脱するためであって 自慢するために修行 するのではありません

熱も冷気も 増やす必要もなく 呼吸も心臓も止める 必要もありません みな無常な現象です 私達は自然の 働きと機能に 介入しないことです 分りますか 仏性は 呼吸や心臓の鼓動に あるのではなく 丹田の熱にあるの でもありません 仏性はもちろん そこにもありますが ほんの少しの仏性です 私達が仏性の全部を 見つけると全ての 細部も分ります 細部を掴んで 全体を忘れては いけません 従って間違った概念を 正してこそ私達の レベルを高められます

少なくとも 智慧のレベルを 高めてこそ もっと分ります それらの概念と 古い偏見を 固守していると より文明的で 知的になる 見込みはありません ずっとそのような 古い偏見に固守する なら オゥラック (ベトナム)のための 計画など 私に聞かないで下さい どんな計画も それを支える高尚な 概念がなければ 失敗します 私の意味が 分かりますか 例えば私達が素敵な 家とかベンツが 欲しいとします 私達はそれを有し 支えるための 経済力が必要です 買うだけで ガソリンも入れず ローンも払わず 払う信用も なければ 運転できません

意味が分りますか オゥラック(ベトナム) 人民または 他の国の人々が 概念を変えなければ なりません でないと どんな計画も 役立ちません 彼らは理解水準を 高めねばなりません そして真相を 知るべきです これは唯一の 前進する道です いいですか 菜食者は魚を 食べてもいいですか イエスは菜食者で なかったら これは 彼の妨げなのですか イエスは菜食者です 菜食者は魚を 食べてはいけません 魚は野菜ではない からです この方はイエスが 菜食者であったことを 知らないようです 聖書にありませんか

イエスは菜食者です 私の本を読んで下さい

「なぜ菜食なのか」の 文を読んで下さい 中で詳しく 述べています

無料のサンプル本を 読んで頂けば分ります 疑問があれば 私に手紙を下さい

今菜食者になる 心構えがなければ なりません

あなたが菜食は 問題だと思うとしたら またイエスが菜食者で ないと思うとしたら 後ほどさらに研究を 重ねて次回の経の 講義に来るか次回の 印心の時来てください 菜食は生活様式で なければなりません これ以上これについて 議論しないことです 私達が本当に 「汝の隣人を愛する」 生活を送るとしたら その隣人には 動物を含みます 特に動物達は決して 私達を傷つけません 私達の生活を 素晴らしくします 可愛くて 私達の 生活をより活発に 多彩に面白くします 私達は 彼らを守り 彼らを 見守り 愛し 彼らの 存在を楽しむことです

神は明白に言いました 「私は全ての 動物を創って 汝を助けさせる」と 神は動物を食べなさい とは言っていません 神は私達が 誤解するのを恐れて はっきり言ったのです 神は知っています そこで神は言いました 「すべての 野の植物と果実は 見た目も美しく 味覚にも良い これが汝の食物だ」と 神は決して 私は 動物を創り汝の食物に するとは言いません 彼はまた言いました 「動物を統治せよ 彼らは私達を助け 私達の友人だ」と ですから神の名誉を 毀損しないで下さい 神ははっきり 言いました 神は我々のために 植物と果実を創った と言っています 私達は神の指示に 従って食べるべきです 議論する必要もなく 何も証明する必要も ありません 私達は神の 戒律を守り 神の意思に 従うべきです そうではありませんか なぜいつまでも 議論し  論争するのですか

神にカルマ(報い)を 減らしてくれるよう 祈ってもいいですか 悪いカルマ(報い)を いくつかの来世に 振り分けることが できますか すると苦しみは 減るかもしれません できます 誠心誠意祈れば できます 誠心誠意祈ることは 一種の瞑想だからです 分りますか 私達が 深い瞑想状態に入ると 私達の内面の 慈悲の宝庫に 私達の功徳に 天の恵みに繋がります すると 洗い落とせます 私達が 誠心誠意に懺悔し 神の許しを求めてこそ 役に立ちます 二つ目の質問で カルマ(報い)を 来世に振り分けて 苦しみを減らすことは できるかですね できます ただもっと苦しいです なぜかと言うと それぞれの世には すでにその人生の悪い カルマ(報い)があり 今生のカルマ (報い)を加えると なるともっと苦しく なるからです

今世のカルマ (報い)を加えると いつになったら いつになったら 解脱しますか それぞれの人生には 悪いカルマ(報い)が 十分なほどあって 耐え凌いでいます

それに今生のカルマ (報い)を加えると もっと苦しいだけで 減ることはありません 分りますか 開悟しなければ あなたが何をするに してもいずれも カルマです カトリックと 仏教の違いは なんですか 両者は 基本的に同じですか 基本的に同じです 基本的に同じです 私達はここに宗教を 比較するために 来たのではないので 詳しくは述べません 私の本の中で 私の弟子が 書いた本の中で これについて 触れています それを買って家で 研究してください あなたに 違う意見があったり 何か分らないことや はっきりさせたい ことがありましたら 私に手紙を下さい
いいでしょう では 何かご質問が ありますか ある時 私は非常に 軽く感じ とても その時の感じは 素晴らしかったです そしてとても強くなり 私は進み 私の体は動いてました 本当です 制御できなくなって それで分かりませんが 少し恐くなりました 使者に尋ねると 彼は「心配無用それは 過ぎて行きます」と 過ぎ止まりました 今恋しく思います その事がです それはあまり 同じ事ではありません ただ心配していました ええ どうしますか

あなたが良い体験を 得た時あるいは何でも 体験した時はただ 冷静でいて下さい でないとあなたは 不平を言い 神も 「ああ彼女は望まない いいだろう よし」と それを引っ込めます 持てなくなりますよ いいですか あなたを傷つけない ことは 使者に尋ねないように しなさい あなたが軽く 幸福に感じる限り それは良い体験の はずです 保持し 沈黙していなさい 大袈裟に興奮するのは 良くないです 全く大した事ではない 神はあなたの内面に いるからです

あなたの望む事は皆 神には聞こえます 保持した方が良いです または次の時それが 度を越すなら ただ 祈ります いいですか 楽しいなら 話さない 方が良いでしょう 時々 そんな風です 他の人々にあなたの 良い体験を共有して しまうと 彼らがそれを好まない こともあります あなたがそれを得た ことが嫌なのではなく ただ重く感じます 「なぜ彼女にはあって 私にはないのか」 そして否定的な力が 彼女から発生します 彼女は落胆した感じや 嫉妬の波動を その時または後で 送ります

それも私達の瞑想の 障害になります だからマスターは 話すことを禁じている のです いいですか マスターがそれほど 「命令的」なのでも 不当でもありません 「なぜ良い事なのに 共有できないのか」 良い事は必ずしも共有 できる訳ではないです あなたは夫を 誰かと共有することは できますか あなたに良い事です いいえ また良い事は 人々の意見にも よります あなたにとって 良い事でも他の誰かに とっては良くないかも しれません それで体験を 話すべきではないと いうのです

不快と不安な時を 除いては そしてもちろん私達は マスター或いは教師の 指導を求められます 良い事は保持します 心に納めておきます そうでないと 沢山の障害を招きます 多くの人々に教えれば それだけ更に問題を 招きます 霊修行も同じです それは真実です 一旦それが脳か何かに 記録されるとそれは 信号を送るようになり 「それは良くない 私にとって良くない 彼女が私より良い物を 持っているのは 私は嫌だ」と あらゆる種の物質的な 所有物と同様です

あなたが車を持ち 隣人が持たないなら 彼らはまた嫉妬を あなたに感じ 時に やきもちの雰囲気と なり 感じられます いいですか それが理由で私達は皆 同じ霊体験が 得られないのです いったん 暴露してしまうと いいですね どう致しまして でも再び得られますよ 安心して下さい もっと瞑想し内在の マスターに祈ります 今日からあなたはまた 得られますよ 毎日ではなくとも あなたがした その方法で そして 更にです もっと それは最高の体験と いう訳ではありません

とにかく 心配しないで下さい ありがとうと言わねば なりません マスター あなたにお会いできて 二年前私が あなたの本を読んだ時 いかにあなたの本を 更に見つけ接触するか 分かりませんでした 私は生涯かけて 待っていたような 感じがしたものです あなたに会う前の 私の人生は 皆が私の生活は良いと 思っていたものですが 私は落胆していました 家族に多くの問題が あると思いました いかに夫と娘の面倒を 見たらいいか 私があなたのすべての 書籍を読んだ時 問題は自然に去って 行ってしまいました

あなたの本と教理を 読んだ後です 泣きそうになりました あなたに会いたくて それで今日会えて 私は最高に幸せです(何をしたのですか) 二年前エジンバラの 展覧会へ行きあなたの 本 小冊子を 私は手に入れました 他の書籍を更にどこで 買うか分りません でしたが私はそれから 二年程待ちました 私は再び展覧会へ行き さらにあなたの書籍を 幾つか買えました それで更に理解できる ようになり私の人生 疑問 問題すべてを あなたは話してました それで私は「これが 人生だ 更に人生が 理解できる」と こういう訳でした

私は「マスターは それを私に教えてくれ 子供達の面倒の見方を 教えてくれました 私は耐えるべきで 彼女はたった三歳だ」 とにかくあなたは 私に沢山教えました ありがとうございます 今はすべて より平和になり 神に感謝しています 私はとても幸せです その子のために 私もとても幸せです 素晴らしい本 瞑想も助けて下さり とても素晴らしいです あなたの雑誌が来ると 私の娘は言います 「ママはいつもその 雑誌と一緒ね」 彼女はそれが誰なのか尋ねます 私の夫と娘は 私が マスターに似ている と言うからです あなたのほうが可愛い 夫がそう言いました 「ええ 君達は 姉妹のようだね」と それ以降 彼も瞑想します

すべてが 夫も家族も 何もかも以前より ずっと幸せに 感じられます 良かった 良かった 彼は障害者で 忍耐がなくなります 私はどう面倒見たら よいのでしょうか

あなたの七~八巻の 書籍を読んだ後 すべてのことで 私は多くを学びました ありがとうございます 人生の問題の解決の 方法を教え 子供達の 夫の 家族の愛し方を 教えてくれたのです 私の本があなたの 家族の助けとなったと 聞きうれしく思います

私の夢はかないました 霊修行において 私達が自身を 内省しないなら 私達はまだ非常に 自分勝手に違いなく それで私達は戒律を 覚えているべきです 崇高な思考 偉大な愛 偉大な仕事 偉大な犠牲を覚えて いるべきなのです そうでなければ全てが 私達を邪魔します 私達は自身を自由に するために即座に 全てを破壊するかも しれないけど 真の「自由」ではなく 恐らく一時的に 自由になりますが後に そうではなくなります 今私達がいる状況が どんなものでも 私達はただ耐える方が 良いです 

いいですか 私達ができなければ 尽力を尽した後ですね それが避けられない なら耐えて下さい 自由になるために物を壊したり 人を傷つけないように私達は自由ではない からです 良心は生涯私達を 邪魔するでしょうから 何人かに対する私の 忠告とは印心をしては いない人々或いは 印心している人々で 以前そんな事をしたり 良心に反する ような事や 何かをですね いいでしょう今自分を 許してあげて下さい 今もう私達は再び しないと分かります

過去の過ちは 何であれ再び犯す事は ありません それが重要な事です 誤ちはそれ程悪くない 再び同じ過ちを 犯さない限りです あなたが認識できる 限りです それを終わりにします 聖人は言います 「過ちを犯すのが人間 間違いをするのが 人間ですそして後悔 するのが聖人」と 誤ちを犯しては ならないというのでは ありません 悪事を考えても 許される訳でもない 時々コントロール 不可能なのです でも少なくとも私達は 人間です私達には 頭脳があり智慧があり どちらが自らに 良い事か知るべきです

そして私達は常に 最良の方を選びます 私達の選択は自身に よってできる事です より崇高で愛がある 又は下劣で愛に欠け 惨めで無駄な人生を 存在で 送りたいかという それで私達は常に 選択する前に考える べきなのです それが戒律を守り ベジタリアンの 食事をしたりその様な 全ての事をする目的で 私達により崇高な 選択をそうすべき事を 覚えておくために そうでなければ 私達の生涯で何でも できるでしょう 警察が私達を捕まえ ようと捕まえまいと 問題ではありません

これはただ あなたがこれほど 優しく美しい女性が プレッシャーにより 状況によって 否定的な存在になる ことを示しています それで私達は常に 自らの状況や圧力に 問題をかけられない様 面倒を見るべきだと いうことなのです 意味が分かりますか 常にどこへ行くか 何をするか分かって いるべきなのです プレッシャーの下で あってさえ私達はまだ 何か知っておくべきで 智慧がありますから それで瞑想を 修行すべきなのです 瞑想の後あなたは一切 悪く考えず悪事を再び しないということでは ありません

あなたはまだ考えます それは習慣だからです でも少なくとも コントロールできる 智慧があることを知り 最良の選択は 一番崇高で 人間的で聖人らしく 選べるのです いいですか カルマ(報い)状況 プレッシャーは人間の 魂に対しひどいです 私達はこの種の社会の 圧力と雰囲気の中 もがき生存します 私達は常に共に私達 自身であるべきです そうでなくば私達は 常に壊れかねず崇高な 目的も忘れるでしょう 時に人々は何かせねば なりません

それは 彼らのために難しく 大変そうに見えますが 実際は彼らにとって 良い事だったりします 彼らの魂を修練し 頭脳を訓練し 身体を鍛え それにより成長します それで実際人生に おいて熱狂的すぎては いけなかったりします でないと野菜も また感情があると私は 言いそして私達は何をすべきでしょうかね 印心後 私達は皆 飢え死にます 息さえもしません 分かりますか 空気中にも 生物がいますから 眼に見えないウイルス 微生物など あなたが息をすると それら全てを殺します

あなたは地を 踏み歩くたびに 何かを 生物を 殺している事でしょう そして 手を洗うと 消毒をして多くの 肉眼で見えない生物を 殺してさえ いるのです いかに両者を行います ヒマラヤへ行き 自身を閉じ込め バイバイしますか ええ私達は状況下で 生きねばなりません 自身を追いこまない 程度にです 始まる前に 心を静めるために それを使います いいですよ 幾らかエクササイズを 行って息を普通に 整えます 例えば何回か 深呼吸をしてみます 大丈夫です でも呼吸に集中 しすぎないで下さいね いいですか それはまだ物質的で 永続的ではないです

私の顔に笑顔を灯して 下さり感謝致します 私は自身で幸せに なったと思います 本当ですか 以前私はとても 惨めでしたが 今では笑顔になれます なぜ 今幸せなのですね 泣きそうです ええ泣きなさい 私にして下さった 全てに感謝致します マスター 自身に感謝すべきです 人生においてこの様な 贈り物をもたらした あなた自身にね 自分に感謝しなさい これほど賢く崇高な 修行の道を選択し 私が助ける事を許した 自分自身に 感謝することです 私達を助けるように あなたを地球に送った 神に感謝致します そうです

私達は時々そうします ここに来て 何かをします (愛してます)有難う あなたの愛を受けます そうです 反応を 聞くのは良いです ありがとうございます 大歓迎です ありがとう 私にとって いつも反応を聞くのは 良いことであり 励みになります たとえ時々 緊急な情報や 差し迫った質問のある 人全員によって 私達に時間がないゆえ できなくてもです すでに幸せな人々には 私は通常 省略します こう言います「はい もういいですよ ご質問は」 私が話したくない からではありません ただ時々人々が すでに幸せだと思えば そうさせます それでいいのです

心配する必要はなく ただ困っている 人々なら 私は知るべきです それだけですよ でもいつも 反応を聞くのは 本当に良いことです

聞けるのは嬉しいです とても私にとって 励みになります だから皆さんから 反応を聞くのは 常に良いのです 印心者にも良いです 同じものを得て それに 励ましも得ますし 得ていない者が いても 大丈夫です より誠意があります 「彼女の救いになり 私も救われるはずだ」 新しい人たち 本当にありがとう 私達 新印心者にとり マスターは母親です 私達は マスターに養われ 肯定的なエネルギーを 得たり 癒されたり それらすべてを 得たことに対して 何をお返しできますか

どうもありがとう わかりました あなたの良い思いが すでに癒しです 私にそのような 良い思いを送られます それで結構です 人々があなたを 良く思うときや 心配するとき あなたのために祈る時 それが癒しの力です いいですか だからこそ 私達は互いに 親切にすべきです あなたに肯定的な エネルギーを送れたり 誰でもそれができます マスターここに 来られて感謝します 私達はお会いするのを 長い間待っていました ビデオを ビデオを見始め あなたを待ってました 現実的観点が好きです 他のマスターが いる時は 人生に描かれた ロマンチックな風景が あります 彼らは痛みを感じず

すべてが優雅で この上ない喜びです でもマスターは ご自身の痛みを話され それに他とは無関係で そのことに感謝します

私は正直なだけです 真実を家に もたらすからです

本当に感謝します 私は神に誓って 常に誠実でいます それだけです あなたはマスターで いるのを美化しません

お話したように それは宇宙で 最も困難な仕事です でも構いません

皆理解さえもしません 皆は私を理解すると 言っても 気付かない いいです

私には痛みがあり 喜びがあり それらが 何かを知っているのを 除いて皆が得てるもの すべて得ています 私を制御させたり 引き下ろさせたりする 代わりに それらを尊ぶか 特定の目的で使います それだけです それが私達皆にとって 智慧を修行するときの 目的です 私達と周囲の人に より良いものを 選択できるようにです 私がマスターになって 全情熱を捨て終わった という訳ではないです これは仏像に関して 話しているみたいです

ありがとうマスター 妻は三年九ヵ月前に 印心しました 昨日国際電話で 妻と話したときに 私はこう言いました 「今日印心するよ」 妻はすぐに泣きました どうして 幸せだから 妻は長い間 ずっと待っていました 三年と九ヶ月間です あなたはずっと 取り引きしてたのね 来年 来年 来年って 奥さんに良いことね あなたにも良いです でも考えるのに 時間をかけます あなたが続く道が 確かだと確信すれば あなたは後に 維持します 事実 私が妻に 言ったのはそれです 息子も昨年 フォルモサ(台湾)で 印心しました それでうちの家族全員 実際に 今はすでに 家族全員です

おめでとう 実際に 質問があります なぜなら いつも 特に冬の間は 道には ホームレスがいます 私達の分かち合いを 彼らに示したいのです それで 時には お金をあげたり 時には他のものを あげたりします でも時には どうも 飲み屋に行って 一杯飲むための金が 必要なだけみたいです その時 相手が そうと思えば 普段は 相手の意図は悪いので 私はお金をあげません かわりに 一袋のパンや クッキーやお菓子を 持っていたら あげます (ええ 結構です) でも問題なのは 路上には 本当に大勢の ホームレスがいます 私はサンタみたいに 沢山袋を持ってません 私達はどうすべきか 教えて下さいませんか

あげたいものをあげる 自然にです 私はいつもポケットに 硬貨を用意しています ホームレスに会えば 一つかみ上げます それをどう使おうと 気にしません あなた次第です もちろん 与えて 気分が悪くない人なら 誰にでもすべきです だから私があげる時は 考えません 私は常に この名誉を 私自身への名誉を また相手への名誉を 与えてくれる人に 敬意を払います 私に愛深い 親切の名誉を 与えてくれる人を 否定的に考えたり しません 考えずに与えるのです 結果を考えないのです

(ありがとうマスター) そう相手のことを神に 祈り 神が与えるかの ようにあげて 神が神の金でしたい ことなら何にでも 費やすようにね あなたはできます 問題ありません すべての人に親愛を 送るのに 人の自由思想を費やす カルマの関係は 何ですか それをするのに 何か責任はありますか それとも それを薦めますか 私達が瞑想するとき すでに頭脳に 大変高潔な目的を 得ています それが瞑想  神を求める理由です しかも 世界中の誰にでも 送ることができる 最も多くの親愛です

自動的に 巧徳を得ます でもある場合では 自身のために良く 私達はこう感じます 「そうだ 彼らに 親愛を送ろう 特にこの人に 特別な贈物を より個人的に」と それでも構いません 人々は常にとにかく 大変愛深く 好意的な振動から 功徳を得ます でも瞑想はそのもの よりずっと良いのです 常に心の中で 神のことを考えたり つながっていれば 自動的に 恩恵がやってきます 神は何を世話するかを 知っています その時 私達は 送る必要はありません でも もちろん 誰かが病気のときや 病気で私達の助けや 祈りが必要なら 私達はそれに向けて また大変早くて ためになります

少なくとも私達自身 考えます 「私って親切だ」 少なくともあなたは 自身の義務を果たし 良心は気持ち良いです いいですね 与えるものは皆すぐに 自身のためになります ありがとうマスター どう致しまして 私は印心して とても嬉しいです お尋ねしたいのですが 近代科学について どうお考えですか 私は情報科学の 研究をしています 今では 大勢の人が 仕事をし 学術的な研究を しています それは単に遊びです 私の仕事は 必要ではなく 単に遊びだと思います 私が国際会議に 出席するために 論文を書けば この遊びをすると 良いと気付きます 私には役立ちません どうしてですか なぜ会議を 開くのですか そうですね

この世の多くの教授は 一部の研究科学者は これらの類のことを 調査しています 私は大勢会い 一部は 英国の大変有名な 教授や科学者です

つまり 彼らは 自身の仕事をしている それでこの世の 科学について どうお考えですか 私達が考えるべき事は 科学に関することでは ありません 科学を運用する人に 関するものです 科学は広大で 私達はもちろん 人類の利益のために 多くのことを追求し 研究するべきです でもある人たちは そうしなかったり 博士号のために ちょっとの間する だけの人もいますが それは各自の選択です 人はより高潔に より献身的になるのを 選ぶか或いは ただ無明で 利己的であるのを 選ぶことができます

私達は何ができますか それは科学ではなく 個人の品性です いいですか はい問題なのは それら作業全般の すべての人の 例えば 教育にとって 若者にとって 現代は大勢の学生が 勉強しています 科学の勉強により多く 時間を費やしています 恐らくそれらは 霊性の生き方と比べて 役に立ちません この世は良くなく 私達は高いレベルに 行くべきです (ええ そうです) なるほど分かりました 分かりました 霊的な人々も まだ食べ物が必要で 薬や衣服 何もかもが まだ必要です それで科学の仕事を します 

いいですか それにもちろん あなたは科学の学生 全員が最高になるとか アインシュタインや 他の偉大な科学者の ように偉大な科学者に なるのを望めません でも 少なくとも 学生は例えば 手の洗浄や 実験室の消毒 細菌が試験管から あなたの喉に飛んで 入らないようにする などの方法を 知っています すでに役に立ってます 文学の教室で 学生全員が 後に文学教授に ならないというような ことです 何か別のことを するでしょうし 学校で学んだことは 何でも利用できます 私達はただ中道を ゆくべきです すべてが正しいのです 科学は良いです

霊性も科学です そして物質科学が あればそれも 人々に役立ちます 大勢の人は 霊修行をせず より物質科学に 依存せねばなりません 一切を切り捨てるなど できないでしょう それで構わないのです 構いません たとえ千人のうちの 一人が卓越した 素晴らしい科学者でも それがこの世に ある方法です それがダイヤと 金の方法で 石やちりや 石やちりや 森林の葉っぱでは ありません こんにちはマスター エゴと自信の 違いについて お話頂けますか 「自信」とは 自身が何者かまた 自分の得ているものを 知っていることです

「エゴ」は 何も知らずに 自分の方法で行うのを 主張することです 例えばです いいですか 「自信」は単に 事実にのっとり 「私はこれができる それを習った 以前にしたことがあり もう一度できる」です 問題ありません それが自信です 事実に 自分の得ている能力を 述べているだけです 「エゴ」は そうです 誰とでも もめたり 全ての答えに 要求に ノーと言い 自分が正しくないと 分かっていても ただ「ダメだ そんなの無理 嫌だ」と言います そんな感じです 単に事実や 知識によって 議論するのではなく 主張するために 議論するからです

意味が分かりますか 他者の利益のためや 単に議論の 公平さのため それが自信です 自分が知っている事を ついて話し 自分ができることを 保障します エゴは 大変厄介なだけで トラブルメーカーです すべてを否定します 良いことでも すべてを傷つけます たとえ自分にとって それがどれほど 役立つか知らない 時でもです 絶えず あるいはほとんど常に 正しいと主張します どんな事実も 知識の利益にも かかわらずです 自分が本当は そうではないのに 自分が最高と思い 自分は何でも 知っていると思い そうではないのに 何でも知っていると 公言します 例えばそんな感じです これがエゴです

こんにちは マスター 英国に来て下さり 感謝致します(ハロー) 印心する前 私は 呼吸の訓練をしていて それらは集中の助けと なりました (ハタヨガですか) いえプラナヤーマです (プラナヤーマですか) 視覚化し観察します (はい) それらはよく私には 役立ったものでした 印心以来それらは 霊修行上弊害を もたらすと言われたの ですが この理由に ついて説明頂きたいと 思うのですが 私には大変助けに なったからです

あなたは数回の 深呼吸ならできます それで十分なはずです なぜなら 智慧眼以外の 他のどこに集中する ことも有害となる からです あなたの霊修行上の 弊害になります あなたはそれが属す 元の所に意識の集中を 取り戻すのに 懸命です その魂の種が 鼻孔 のど 更に低いレベルの チャクラに移るのは あなたの時間の 浪費と いえましょう あなたは 今から一時間 狂ったように汗をかき 智慧眼の集中に 努めます そして半時間後 あなたは再び鼻孔に そして明日には 再び戻すのだとしたら あなた自身困惑します 分かりますか 既に智慧眼に注意を 持って来るのが 非常に難しくなります

 
全ての番組を検索
 
 
一番人気
 道士 柴 鄭 珍の物語 2/2 二〇〇八年九月九日
 指導者の本拠のための吉祥地、世界平和への恩恵 1/2 二〇一一年八月二四日
 私達の未来を守る指導者たち:気候変動の速度と優先事項1/7 英国 二〇一〇年十一月三日
 黄金時代への人類の跳躍 -ワシントンDC気候変動会議 第一部/10  二〇〇九年十一月八日米国
 「子供達の健康と持続可能な地球」済州島国際会議 第一部/8 二〇〇九年九月二一日 韓国 済州島(英語)
 在世の生けるメシア 1/4 米 、ハワイ 一九九四年九月三日
 美しい星への解決法 1/9 二〇〇九年八月十五日 タイ ノンタブリー
 地球の結束:共に生命を救う 第一部/8 二〇〇九年十月三日 香港
 魂の再会 1/3 二〇〇〇年四月二七日 ニュージーランド 、オークランド
 国際人権会議 1/5 一九九四年五月二五日フォルモサ(台湾)台北(中国語)