多くの人々は彼らが 十年以上修行したと 強調しました それは無意味です それは私達の十分間の 修行ほどよくないです 正しくその人のように それは 高い境界にいる時 私達が永遠の時間と 接続するからです それで 時間を数える ことはできません あそこで私達の時間は ここの時間と 異なります それで 時々 年を数えられません 「私は十年以上修行 しました」と言います 間違った方法で 十年以上修行しても 数百年または数千年 修行しても無駄で 十年は言うまでもない 何が自慢できますか
実際に 観音法門を 数分間修行するのは 長年 他の法門を 修行するより良いです 時間は数えることが できません 私達の時間はこの世の 時間と異なるからです
それで 時々あなたは 何人かのいわゆる 霊修行者か預言者から 神がある一定の時刻に 来るとか仏陀が地球に 降臨するだろうか アラーが来るだろう 等と聞きますが 彼の 計算は数年まで離れて いるかもしれません 実際 誰かが 本当に来ますが ただ人々は知りません 彼らは誰かが来たと 推測できますが その人がどこに いるかを知りません たとえば イエスが生まれる前に ユダヤ人の預言者は それを予知しました そうではありませんか 彼らは「救世主はすぐ 来ます」と言いました そうではありませんか
しかし 彼らは イエスが死ぬまで 待ちに待ち続けました 彼が既に真理を説き 終えて多くの弟子を 受け入れて この世を 去りましたが 彼らは まだ待っていました それは時間の違いの ためでした また 例えば フォルモサ(台湾)の 多くの人々は 時々 また 約三、四、五、六年 前に ある人々も すぐ聖母が降臨するか またはアラーが ある場所に現れると 言いました そして 彼らはそこで待ち続け ました そうでしょう 彼らは今もまだ 待っています おそらく 聖母は 本当に来るでしょうし またはたぶん 彼女は 既に来ていますが 彼らは知らないでまだ そこで待っています
それは彼らの予言が 違っているという意味 ではなく それはただ 時間の違いだけです 天上の時間とこの世の 時間を非常に正確に 合わせるのはそれほど 簡単でありません 例えば その人が 彼は数分間座ってたと 考えましたが 彼は 一時間以上サマディ 状態にいました 時間が非常に早く 過ぎるからです 彼は言い続けました 「残念だ ほんの 数分だけだ」それで 彼はそれを素早く取り 戻したがっていました でもできませんでした 彼に余りに多く与える のも良くありません 印心したばかりでした 先月 彼はステーキを まだ食べていました
私が彼にさらに数分 またさらに数時間 サマディの中に いさせるなら それに耐えられないか この世に戻らないかも しれません その上 その日 私は 米国に行きましたので 彼がサマディから出て 私に会うのも 良いことです なぜ彼はサマディに 留まるべきですか それは私達が年月を 数えられない理由です 私達はできるだけ長い 間修行します それは 誠実さによるもので 年数ではありません 時々 私達は瞑想中 長い間 おそらく 二日、三日、四日 または二、三週間 どんな内面の体験も ないと感じます 余りにも忙しくカルマ (報い)が重過ぎるか または人々との 付き合いが多すぎるか あまりにも多くの 「汚れ」を得て それを 「洗わない」からです
それでとても不満に 感じたり いくつかの 過ちをしたと思います 私達が戒律を厳格に 守らないで 丹念に チェックせずに食べて 衆生の肉を摂取した ならば 私達のカルマ (報い)はより重くなり 私達の瞑想は 良くないでしょう その時 私達は非常に 悪いムードでいて 非常に不愉快で 恥かしく 価値がなく 罪深く感じます それで私達は 仏陀や菩薩に祈って 助けを求めるます そうでしょう または内面の マスターに助けを祈り その時 突然 私達に 光があるでしょう
そうではありませんか あなたにはこの種の 体験がありますか (はい)いいでしょう それで 時々退行して いると思いますが 実は そうでなくて まだ進歩しています 時々 私達が ある一定の場所まで 歩くか または運転し ている時 道が大きな 岩で閉鎖されると 更に進むために 他の 道を見つけるために ほんの少し戻るべきで 退行ではありません 分かりますか 時々 私達は過ちを犯します 瞑想がよくできないか 不安定な雰囲気にいて それはすべて 私達が余りに長い間 修行して来たので 当然と思う態度が あるからです
それを大事にしないし 用心深くありません 罠が誘惑するためか 恥かしい思いを させるために戻ります 一方 彼らは修行する ように喚起させます これは大きい岩を見た 時と同じで周囲で別の 方法を見つけるために 逆にすべきなのです 分りますか これは退行ではなく ただ少し更に進む 回り道なだけです 私達はまだ進む途中で どんな状況でも 絶望を感じません 私達の心が 霊修行を忘れない限り 内面のスプリーム マスターを 忘れない限り 私達は 進歩するでしょう はい 私は皆さんの 幸福を願っています
あなたは 霊修行に関する質問が ありますか 内面のビジョンに ついてお聞きします いいですよ 瞑想で特定の映像を 観たのと光を観たのと どちらが より啓発性が ありますか このようなビジョンの 背後にある意味とは ただ観たものを 観てください 執着しないことですね 光あるいはビジョンに 執着しないことです 私達の責務は前方に 集中し 聖名を 唱えることです 二番目の質問です 時々 昼間 車の中で 瞑想すると 外に自然光がある 時があります 外の自然光のため ビジョンが突然 明るくなる時が あります
続けて観るべき でしょうか そうですね 初心者に起きますが すべての人に起きる 現象ではありません 初心者は集中力が 足りないので 外の光も 少し助けになります 霊修行が進歩すると 暗い部屋の中にいても 昼間の光より 明るい光を 観ることができます しばらく光の 瞑想をすると 様々な音が聞こえます その時聖名を 唱えるべきですか はい 聖名を 唱え続けるべきです その音を聞かず 光を 観続けてください 音はただおまけの 祝福です 無視してください これら小さな問題は 「使徒の手紙」に 回答があるかどうか チェックすると いいですよ
「使徒の手紙」を 読んで いないですか 私はこれらの回答を 編纂するため大きな 努力をし それは 一冊の本になりました なぜ真剣に 読まないのですか 私の本を真面目に 読まなかったら 何を読んでいますか 次の質問です 昨夜 瞑想の時 私はどうも 宇宙空間に 入ったようでした 星は見えなかったが 宇宙空間にいると 知っていました 多くの入り口を 通過したと感じました 光のスポットを 見たわけではなく 幾つか入り口みたいな ものでした 真ん中は霧がかかって 暗かったです だいじょうぶです
小さなビジョンです もっと多くの 入り口があります 一つでなく幾つかの 入り口があり一列の 入り口を通過しました 分ります 後で 通過すべき入り口は もっと沢山あります とても疲れて 休憩 したいと思いましたが 内面のマスターに 祈りました 「ここにはいたくない 暑過ぎるから ここにいたくないです 通過したいです」と するとマスターが私を 連れて通過しました 私には分りません とてもいいことなのに 何を聞きたいのですか 体はほてっていて 振動していました
天国の光と振動は 私達の世界のものより 何百万倍も 高いものです 分かりますか 私達凡人の体と魂は まだそれに慣れて いません だから 初めて新次元に 行った時 このような 感じがします 後で 慣れるように なります まさにこの世界で 生きているようで 何も感じなくなります 新生児のようで この世界の雰囲気に 耐えられないようです 肌はまるで千本の針に 刺されている ようです だから 泣くのです とても苦しいです 肌はとても繊細です 母の胎内では 胎児は 全身 水に包まれ 水に守られていました
一旦生まれたら 粘液は消えて 子供の体は 完全に厳しい環境に さらされてしまいます 子供はとても苦しく 泣いてしまいます この世界に長くいたら 慣れてきて その 感じはなくなります いいでしょうか ありがとうございます マスター いつ 印心がありますか この講義が終わったら 一緒に印心します でも 今日ではなく 来週です 一週間後ですね はい約一週間です そちらの講義に出席し 一緒に印心を受けて ください いいでしょうか 忍耐強く もう一週間待てますか 去年から今年まで 待っていました なぜ去年 印心を 受けず 今年まで 待っていたのですか
車が無かったのです 車を買ったばかりです 車 列車には 乗れなかったのですか なぜ印心のために車を 買わなきゃならないの 冗談でしょう 方法を知りません それは口実にならない 方法を知らなかったら なぜ今日 知ったのですか マスターの本を 読まなけれれば・・・ 昨年から今年まで 待つことができるなら あともう一週間 待てるでしょう いいでしょう どうか待ち続けて あとほんの一週間で 一緒に印心が受けられ 多勢で印心を受ける時 私はもっと沢山説明を しますしあなたもより 恩恵が受けられます いいですか
明日死んだとしても あなたを連れてきます 問題ありません 印心を受けると 決心したのなら 何も起きないでしょう 障害を持つ人々も 印心を受けられます 問題ありません あなたの依存の習慣は 正しくありませんよね あなたは自分自身に 責任を負うべきです 菜食を続けて 戒律を守り 瞑想してください その時だけ私は その責任を取ります いいでしょうか あなたが私の言う事を 全く聞かないのなら 私に責任が持てますか 十分に義務を 果たした時だけ 私に言って下さい
例えば 既に離婚して いるなら あなたの 世話をまだ夫や妻に 要求するでしょうか あなたはもう家には 戻らないでしょう 子どもの世話も しないし 家に生活費も 入れないでしょう 結婚が壊れたらなら 離婚後に まだ不平を言います 「妻じゃないか 俺の 世話をするべきだ」 あり得ないですよね 二人がまだ結婚を 続けたい時だけ お互いに責任があり 夫と妻の間に 義務があります あなたは既に離婚して いるのにまだ相手に 世話を求めている 冗談でしょう あなたは別の誰かと 暮らしていて そして まだ奥さんに世話を 頼んでいる 靴下を洗ってと どういう意味でしょう これと同様で 私の指示に従わない 弟子なら 瞑想しないとか 菜食を続けないとか あなたは私の弟子とは 見なされません
外部の人々は 印心者ではないので 私に義務はありません そうでしょう 彼らは全く何も 私に約束していません 私もまた彼らに 責任がありません 困っているのなら 助けを求めに来るかも しれませんが彼らは知りませんから
一カ月間 彼は仕事をするのを 妨げるような 音を間近に 感じています そうですね なぜ一カ月なのですか 不思議です 音は五年間なのですが しかし彼に言って 下さい 神への感謝 し続けるべきだと その出来事が毎月だと もっと悪いでしょう 布施をするように そして戒律を守り 菜食をし 仏陀を崇拝し 経を唱え 道徳的な 行いをしてください 貧困者に布施をして 彼は懺悔し 仏陀の 御名や他の好きな 真言を唱えるべきです いいでしょうか そして布施もする 自分の財産の一部を 布施として人へ与える マスター 音の瞑想の時 その音がとても大きく それがどの方向から 来るのか分かりません それでも注意深く 聴き続けてください はい 区別する必要もない いいですか(はい)
音のなすままに させてください はい 分かりました マスター あなたは 睡眠中私を連れ出し でも一度私は 逆さに連れて行かれる ことに気がつきました それはあなたの幻想 ああ わかりました それはあなたの身体で それ自体が動きます 幻想で実在ではない 実際に歩くときは 足が下で頭が 上にあるべきでしょう これは低いレベルです 気にしないで もっと修行すれば 正位置になるでしょう 五年前 私の同僚は匂い袋の お守りを見つけました 私もそれを見たので さっさと捨てるように 彼に言ったのです
しかしそれ以来 彼には一種の 騒動があるのです 彼はそれを捨てたか 彼はそうしたが絶えず 苦しめられている そのものは彼を ばかにしています はい 彼をからかっています この世界の香水は 非常に香りがよいと 思いますか いいえ それは多くの敏感な 低レベルの生命体を 私達の鼻に引き付け 香水をつける人々は 無数の異なる 複雑な生命体を 彼らの体に 引き付けます それは彼らの性格が 複雑になる 理由です 数人の人々が彼らの 中にいるようです すべては その香水のせいです 外部のすべての美しい ものと美しい人々は 私達にとって有害です
皆さんは意識して いませんが 私達が 何かを嗅ぐたびに 私達は自身または他の 人がつけているかに 関係なく 私達は 常に考えを生み出し 私達がそれを意識して いるかどうか関係なく 私達の六器官で 外部から入るものは 考えを刺激します 世俗の刺激から 生まれる考えは 低レベルのものです そして 私達のこれらの 低いレベルの考えは 電波が放送され 受け取ることによって 低いレベルの生命体に 接続するでしょう 私達はここで 受け取りますが 彼らはそこで放送し 彼らはいつも 放送しています
私達がそのスイッチを 入れるとすぐに 彼らはそっと入り込み 二四時間放送する ラジオ局のようです しかしラジオの電源が 切られれば 私達は聞きません 一旦そのスイッチが 入れば 私達はそれを すぐに受けとります それで 外のすべての 魅力的なものは 色 音またはイメージで 私達の注意を ひくものです そして私達の頭脳は ある考えを生みます 良いことを受ければ 良い考えが生まれ 悪いことを受ければ 悪い考えが生まれます 分かりますか
良いか 悪い考えの 大部分は この三界にいる 衆生に関連しています 私達は彼らを引きつけ 従って賭博師は 賭博が好きな阿修羅の 衆生を引き付けます 酒飲みはアルコールが 好きな霊を引きつけ 彼らはますます飲んで やめられないのです 賭博師も どんどん悪くなって 決してやめられません 彼らは非常に罪深いと 感じ 良くないことを 知っています