智慧の言葉
 
To Convince People By Magical Power is to Interfere With Nature - Part1 April 17, 1993 - Canada(In English)    Part 1
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過去のマスターや 預言者はどのような 瞑想を勧めたのか? 本日の智慧の言葉を ご覧ください
皆様 こんばんは 今夜 マスターチンハイの 講義を始める前に 伝統にのっとり 果物と花を 贈呈致します これは毎回 マスターが講義を される時に 弟子が捧げることです では果物を 提供致します それでは 献花を致します 皆様 スプリーム マスターチンハイは オゥラック(ベトナム) カトリック教徒の 家庭に生まれ 祖母は仏教徒でした ですから東洋と西洋の 両方の世界の最高の ものを得たと言えます 若い頃から マスターチンハイは あらゆる衆生に 思いやりを示しました

動物に限らず 植物にも思いやりを 持っていました また大変幼い頃から ベジタリアンでした 通常子供が 読めるようになる頃 既に読み方を 知っていました マスターのお父様は 自然療法医で 非常に興味深い書斎は 哲学の本で いっぱいでした マスターは 七才になる前に 哲学の作品を 読み始めました ある日お父様は 彼女の読んでいる本は 全部理解できるのかと 尋ねました するとこう答えました 「分らないなら 単に読み続けることは できないわ」 その頃から すべての偉大な 哲学者に触れるように なりました

そして大変高潔な 生き方をしました 戦争中 助手として 病院を手伝い 患者と負傷者全員を 手伝うよう努めました 後にヨーロッパに渡り 赤十字の通訳を しました そこで多くの難民に 接しました アフガニスタン オゥラック(ベトナム) そしてアフリカ諸国 からの難民などで それで人間の苦しみに 気付きました この期間 マスターは高潔な 生き方を続け とても厳しく 菜食を守りました 後にヨーロッパに いる間にドイツ人の 医師と結婚しました 

そのドイツ人医師も 菜食になり それから 二人は一緒に 生活を共にしました ですがマスターは 真理を探し続けました 全人類を助けられる 真理を探すために 自身のエネルギーを すべてつぎ込むべきと 感じたときに 夫の元から去り 夫の元から去り 真理と開悟を 求め続ける 決心をしました 観音法門を見つける迄 何人ものマスターから 多くの法門を 試しました 観音法門を通じて 大きな開悟を得ました マスターは常に 自身の謙虚さと 大変陽気な性格で 知られていました

そして「面白い聖人」と 呼ばれています マスターはフォルモサ (台湾)と縁があった為 フォルモサ(台湾)に 滞在しました フォルモサ(台湾)では 最初はご自身の メッセージを公に したくなかったけれど フォルモサ(台湾)の 偉大なマスターは 生けるマスターだと 明らかになったために 人々がやって来たので マスターは彼らに 印心を授けました 要請にも係わらず まだこの仕事を始め たくありませんでした ですが多くの人が 印心を授けることが できると明かされた 人々から強く勧められ マスターは 数人の弟子に印心を 授け始めました

そうやって マスターは光と音の メッセージと 残りの世界のための 真理をもたらす仕事を 始めました マスターは世界中の 多くの地域で講義を しました ブラジル アメリカ  アルゼンチン コスタリカ インドネシアや マレーシアと多くの アジアの国々でも 最後に今年六月に コスタリカを訪問し そしてついに パナマの人々に 良い知らせを届ける為 パナマに来ました それでは サンホセにいる マスターの弟子の 一人に少し体験を ここで話して貰います

その真実はマスターの 弟子は皆直接 マスターの元に行く為 私達を導いた多くの 経験があるからです ありがとうございますありがとう こんばんは 今夜はマスターと 出会った体験を皆様と 分かち合いたいです 十九年前 私は 様々な法門で 真理を探していました 私はハタヨガを十八、 十九年修行しました またヒンズータイプの 瞑想を九年 禅仏教の瞑想を 十年修行しました ですが どれも私の求めている ものを与えられません 大変残念に思いました 時には絶対に得ないと 自分に言い聞かせて 殆ど不可能でした

でも同時に 光を失うことは生きる 感覚を失うことです 去年の六月に 六月四日に マスター チンハイに会いました 最初の数分間 マスターの目が語る 言葉を通して 私のマスターは 彼女こそが長い間 探していたマスターで あると明かしました その後 印心を授かり 一連の驚くべき 体験が始まりました 印心のとき 私の心と頭脳は 何が起きていることと 速く同化することが できませんでした 私は泣き始めました しばらくして 何とかマスターの 導きに成熟しました 現在人生は滑らかに 感じ自由に感じます

私は身体に縛られて いるのを感じません 私は物質的なことに 執着していると 感じません 私は他者への愛を 感じますが 人に愛してくれと 見返りは期待しません 観音法門は 私が求めていたものを 私に与えました この法門を通じ 神へと導かれる力を 与えられました 私は神と一つになり 真我に気付きました そこから知識は 現れます そこから真の智慧が 出現します 本からではありません 私はしばしば個人で マスターに尋ねること なく知っていました 私の内なるマスターが 伝えてくれたからです

今夜皆様にお伝えしたかったのは以上です 有難うございました 皆様  光栄にも 大変光栄にも 今夜 チンハイ大師 スプリームマスター チンハイの メッセージを 皆様にご紹介致します ありがとうございます こんばんは 私の兄弟姉妹の皆さんこんばんは 今夜 私の兄弟姉妹に 会える名誉をあずかり 神に感謝します また皆さんの貴重な 時間と愛ある注意に 感謝します この神聖な集いに 来る前に 私はナザレのイエスの 生涯についての 本を読んでいました

そして読み終えて いないのに イエスの生涯 智慧と犠牲は 私の心を最も高貴な 感情で満たしました またこの高貴な 集いに来たので 私の目はまだ 涙でぬれています その涙は ナザレのイエスへの 計り知れない愛と 敬意から来たものです 人間の歴史において 私達はイエスのような 高潔で貴重な存在とは めったに出会える ものではありません 何がイエスを 数百 数億もの 何世代にも渡って 人々の心で不滅で いさせるのでしょう イエスが行ったことは 奇跡ではありません

それはイエスの智慧と 思いやり 慈悲と 高徳の 彼の教義でした イエス行った 奇跡は 短命だったからです またたとえ彼らが 偉大であっても 私達の知性に 多くの印象を 作れませんでした ですからイエスを 人々に愛され 尊敬されるように したのはイエスの論理  智慧と思いやりでした 人々の病を癒すには それができる人が 大勢いるからです ある人々が 音楽や絵や 文章を書く等の才能に より多く授かるように そんな癒す力を 授かった人もいます 一般の医師の中にも 他よりも才能がある 医者もいます ですから

イエスが病を治したり 盲目を癒す時 人々はとても 大いに驚きました でもそれらのことは 私達がよく考えると 不可能ではありません ですからイエス自身も 断言しているように どんな奇跡があっても 幾つかは イエスより前にもあり イエスの後 未来の他の人々も 持っているのだと ではイエスの伝説を 一緒に調べましょう そして彼の教理に 従うよう熱望し いかなる苦痛 誤解からも解放される ために そうして 神に近づくのです

イエスは言いました 「唯一の偉大な神」 この神は永遠に慈悲 深く 賢く 愛情があり 彼は 「私の父」と呼びます または「私達の父」と ええ その神は 私の父でもあり あなたのでもあります よって同じ父を持つ 原則によって私達は 兄弟姉妹になります あなたの信念 信仰や 理解や 社会的地位は 関係ありません 皆 異なる信念があり 異なる思考があり 時に 彼らの 限られた智慧や 周りからの 影響に よるからです

私たちの智慧と 思考を高めることで 私たちは自由になり 全ての先入観から 先入観のある 思考から 自身の無知から 自由になるのです 私達を自由にするのは 奇跡ではなく 私達が理解し 従うべき 教義なのです 私達はただサマリア人 女性とイエスの 物語を思い出そうと します イエスが人々に教えた教義の 一部を 調べるためにです イエスがこの女性から 水を欲しがった時 水を欲しがった時 女性は彼に言いました 「あなたが ユダヤ教徒なら 水をあげたり 話す ことは許されない」

しかしイエスは彼女に たとえ容姿が 異なっても 皆同じ 父なる神であり 兄弟姉妹が お互いが必要なとき 面倒を見て 助け合うのは 義務であると 神は 気を悪くします 彼がのどが渇いて いる時 姉妹が 水をあげるのを断る 場面を見たなら とても簡単な 哲学に思えますが とても深いのです 全ての人種 カースト 異なる国と 異なる信念での 人々の間の違いを 一掃させる からです 常にこの原則に 従って行動すると 決して間違った人生は 送らなくなるでしょう この原則は何を 提示しているのですか 人間の兄弟愛の 原則でしょうか 私達が皆を 兄弟姉妹のように 扱ったら すぐに すべての違い すべての憎悪 すべての誤解が 消えるでしょう それで私達が毎回  行動を取るたび 神が私達の行動を どう思うかを 反映させるのです 神を喜ばせるなら 私達がしている事は 正しい事です どんな行動が神を 喜ばせるでしょうか

兄弟姉妹を助ける どんな行動でも良く 苦痛から和らげ 彼らの言葉 身体 思考を悟らせることが 神を喜ばせます また兄弟姉妹に 害を与えない どんな行動もです 皆さんは知っています しかし時に 多くの人々にとって 知識を 実質的な行動に 移すのは難しいです ですから戦争があり 憎悪があり 沢山の殺害や 悲しい事が世界中で 起こっているのです 私はイエスの人生を 読んで とても 感銘を受け  また彼の人間に対する純粋さの展望にも 感激しました

もちろん 彼の高潔な考えが すぐに終結するのは 悲しかったです それでもなお 彼は私達に従える 永遠の原則を 残してくれたのです この原則の 最高位で 最も前にくるものは 「最初に神の王国を 求めよ すると すべての物事が 汝に加わるだろう」 「すべての物事が 汝に加わるだろう」 これは最高の道徳で 最高の原則だと 思います 同様に仏教では 仏陀もこう言いました 「まず開悟して 仏陀になり そうしたら人々に 奉仕できる」と 例えば  中国人哲学者の一人 孔子は言いました 「まず  自分自身を知り  自身を磨けば  家政の世話ができて そして国を 統治でき そうして世界を 平和に出来る」

同じような考えが 異なる国異なる言語で 表現されています ほとんどの 大多数の宗教で 見ることができます 最高の原則は まず 「自分を知る」ことで つまり私達の中にある 神の王国を求めること 聖書には「神の王国は あなたの中にある」と 述べられていて 私達は 神の寺院であり 神以外の何者も 内在しません 仏教の教義も 同様に述べています 「仏陀はあなたの心の 中に住んでいる」と あなたの内という意味 では この仏陀や 神が中に居ることを 忘れたら  もちろん私達は 沢山の不幸や悲しみに 直面します

自然の法則を 無視したせいで  神から私達に贈られる 智慧の不足の せいなのです ではどのようにして 内の神が無知の私達に 引継ぎを許すのですか どのようにして 中に眠る仏陀が 私達に沢山のいわゆる 悪行を取らせるのか 私達が元々の栄光を 忘れているからです 神を忘れ 私達はこの世界の 状況に影響され 過ぎていて この劇の中での 自分を失っています この智慧と栄光と 本性を 取り戻したら 再び 人生を統治できる でしょう

智慧によって得た物は何でも 永遠に私達に影響し それは本性から 自然に来ているから 自身の本質から 来ているのです 神の王国とは この 智慧という意味であり すべてを知っていて すべてを調整でき 最も高潔な 思考と感情で それ自身で 表現できているのです 表現できているのです 神の王国を 知ったとき 法則も知るでしょう 法則を知らないで 間違った行いを したら  自分自身に 問題を起こします 例えば  この国に住んでいれば 国の法律を 知るべきです

法律を破ったら 問題がおきます 私達の人生は 危険にさらされ 妨害され 困難な状況になります 神の法則を 分析すると 例えばこれらは モーセや 聖書やイエスによって書かれ 彼らは私達の 期待と理解によって できていることを 知るのです 仏教や他の偉大な 宗教も 同じ法則です 人々を守ろうとし 人々を啓発し 人間の純粋さを 保つなら どんな法則でも 神の法則であり 神の法則は決して 人間に反していません

神は 宇宙の中の規則を 制定した際に 遵守しねばならない 一定秩序を作りました それは 私達が 高速道路を作る際 あるいは多くの道路を 交通と輸送を 便利にするためですが 人々を守るため 運転手 歩行者を 守るため 一定の 交通法律を作り 社会に強制施行し 取り締りを しなければなりません これらの法律に従って 運転すれば 事故に遭いません 従わなければ 事故に遭います ケガをし  命を落とすかもしれず自分自身と 親戚や 友達に苦しみを 招くでしょう

ですので この世の 全ての苦しみは神に よるものではなく 神は私達を試しません 不幸と苦しみは私達の 信心と献身を試そうと 神から送られません いいえ 私達自ら作りました それでこう言います 「自ら蒔いた種は 自ら刈ることになる」 どこでも 私は人々が どんな事でも神を 責めるのを聞きます あなたの事故なのに 交通法を作った人を 責めるのと同じです 少し多く飲んで 右側ではなく 左側で運転したら それは政府の過ちでは ありません

私達の過ちです 法律では 飲酒運転を禁ずると 言います 法律では左側ではなく 右側を運転することと 言います 私達は法律で 守らなければ トラブルが起こります 法律は 「殺してはならない」 と言っているのに 見て下さい 祖先が 多くの国々でした事を 私達の一部の兄弟が 未だにしている事を 神の名 イエスの名の下でさえ 彼らが敢えてお互いに 戦争をすることは これは非常に 残念でなりません これは神の意思でなく イエス キリストの 意図でもありません

ある人は他人を殺し 他人は彼らを殺し 子ども達は彼らを殺し 他人の子ども達は  復讐する このように 終わりがありません 戦争はその国の中に 沢山の災難をもたらし 戦争は 国の経済構造を弱め 人々の体力を弱め 彼らの道徳性も衰え 彼らの信心も低下させ 多くの人々が再び 神を責めます 彼らはこう言います 神がいるなら どうして神は 戦争を進行させ 人々の殺し合いを 無視するのか などと
今 現在起こっている 事があります

例えば  私達の世界に影響した 天気の変化 食糧不足 あらゆる病気など 一部の 殆ど信心のない人々は 再び神を責めます 私がどこに講演に 行っても 聞かれます 神がいたら そうしてあれこれ あれこれの災害が 起きるのでしょうか けれどその人々は これらすべては 神の仕業ではない事を 思い出すべきです 私達自身がこれらの 苦しみを作ったのです 例えば いくつかの国がいつも 原子爆弾と水素爆弾の 試験を行い 大気の構造を乱し 地球の安定性を 揺さぶります 彼らは空気に 打ち出しただけだから 問題ないと考えるか 海の中でやれば 問題ないと考えますが

やはり問題を起します なぜなら宇宙は 多くの種類の材料で 構成されているので 固体の物質や 見えない物質 それで見えない物質を 乱すことにより 宇宙の安定性と 自然界の自然な進化も 妨害するでしょう 例えば 家を建てたとして 窓や ドアと いくつかの空室付きで 一つの場所が壊れたら 部屋の温度が 変ります 夏でさえも 夜になって 空いた穴が 修理されなかったら 非常に寒いです なぜなら時々 冷たい風と冷たい雨が 入る事があるからです 神は原子爆弾を作れ とは言いませんでした

どの聖書にも 神は人類に このようなものを 作るような教えはなく その神は人類に 武器を作って殺し合う ように教えません 皆さんこう言います 経典のある部分には 戦争があり その戦争は 神が その子供達の敵を 滅ぼすために 作ったものだと しかし 神は そんな本質ではなく その子供達の敵も 神の子ども だからです 私達は皆 神の子供です

嫉妬深く怒りやすい 神として紹介されたら 真実ではありません 普通の人間でさえ この神より 慈悲深いし 決して 怒らない人もいるし 嫉妬とは何か知らない 人さえいます 誰か神を人間より ひどく描いたら 崇拝できないでしょう 私達 普通の人間でさえ 怒りと嫉妬はよくない ことを知っているのに たとえ時々 過ちをしても 怒ったり嫉妬したり すると恥ずかしく感じ 後悔します ですから 神 天父 最も権威が高く 最も慈悲深い 最も愛情のある 最も全能なものが このように 自然を汚したり その子ども達に対して 戦争を起したり 時には ある小さな 過ちで 神の 数千もの子供達を 殺したりしません

それは本当の 神ではありません これは想像に過ぎず 人間の特徴です ですから私達は 真の神に戻るべきです 真の神はすべての愛 智慧 許しであり そしてこの神を イエスは信者の前に 示したかったのです 私も皆さんにこの神を 思い出させたいのです その真の神は私達の 中に住んでいます 神以外に 神はいないのです

オーストラリアだけで 成人の70%が 他者の飲酒によって 悪影響を受け その43%が肉体的か 言葉による虐待の 影響を受けている

百人以上の英国児童が 毎週ホットラインに 電話をかけ両親の飲酒 薬物使用について 相談をしている

呼吸を規制する肺細胞 DNAを傷つける
真の神はすべての愛 智慧 許しであり そしてこの神を イエスは信者の前に 示したかったのです 私も皆さんにこの神を 思い出させたいのです その真の神は私達の 中に住んでいます 神以外に神はいないのです いかにこの神を探すか その教義に戻ることに よってです つまりすべての愛 許し 全ての慈悲と 全ての智慧の教義です 以前 無知で犯した 悪行を悔い改める ことによってです 二度と同じ罪を 犯さないと決意し このような真の悔い改めによって 神の光が 再び芽生えてきて 私達の過去の罪は 許されるでしょう

それが真の洗礼であり 水によるものでなく 聖霊によるもので 論理的な智慧の光に よる洗礼です だから私達が 水での洗礼を受ける時 神からの光が 何も見えず 罪と苦しみから 高揚した感じが しないのです なぜならその教義は 私達に強いることなく 智慧は私達のために 開かれてないからです 魂の中で 深い悔い改めが 起こらないからです 真の洗礼の時 或いは私達が言う 「印心」の時 神の光が見え 神の言葉が 聞こえるでしょう つまり はじめに言があった 言は神と共にあった 言は神であった

ですから真の洗礼は この言葉 すなわち この神と繋いで してくれます それは真の洗礼と 一般的な洗礼との 違いです 水を使っても 使わなくても 違いはありません 重要なのは 洗礼者が 私達自身の内面にある 印象を喚起する事です ですから 洗礼者ヨハネが 人々に洗礼を施したり イエスが 説教したりすると 人々は 他の聖職者が 同じ事をする時より 利益を得ます それは洗礼者ヨハネが 霊感や神への 誠実さや献身を 持っていたからです

そしてイエスが 彼の教理を 説教する時 それは彼自身の 深い信念と悟り そして神への愛 とても純粋な愛であり 純粋な智慧で それは当時の 一般的な聖職者とは 全く違うものでした イエスの愛と智慧は 他のいかなる世俗の 利益やこの世界の 女性や権力への いかなる欲望も 混じってませんでした 彼の生活は 素朴で真実で 彼の説教のあらゆる 言葉に真実でした 彼の説教は 有名になったり人々の 尊敬を得たりする ためではなく 神への真実の愛 神から 人類への真実の愛 人々に本当の光をもたらしたいという 彼の本当の望みでした

つまり人々の苦しみを克服するためです ひとたび私達が何故 苦しむのか理解すれば 私達は変われます 私達は理解して いない時だけ 苦しみ続けます ちょうど医師が診断し どこが病気なのか 分かれば 治せるのと同じです でももっと重要なのは 患者自身が 日々をどう生きるか 知るべきという事です 長い間 健康でいるためにです さあ身体を健康に 保つために 私達は幾つかの衛生の きまりを知るべきです

私達は何を食べ どんな運動をするか 知るべきです そうすれば殆どの 病気を予防できます 霊的に健康でいるために 私達は神の法や 自然の法が どんな物か知るべきで そうすれば健全な 智慧を保ち神のように なることができます 神はご自身に似せて 人を作ったのですから

聖書に書かれています 「完璧でありなさい 天国の父なる神が 完璧であるように」 さあ殆どの人々が 聖書の この助言に従えば 世界はずっと前に 天国になったはずです でも殆どの人々は これに従わず 神の法を尊重せず だからその代償として 自分達や多くの国々が 苦しむのです 一つ最も重要な 法があります それは 「汝殺すことなかれ」 そして私達はそれを 誤解しています

聖書に書いてあります 聖職者が 神に捧げるために 感謝際に 多くの子羊や 羊や山羊や去勢牛を殺し 聖なる寺院の その場所で それはなされたと 神の居場所を 食肉解体場にしました 神でさえ抗議します 神は言いました 「誰が全て羊や山羊を 私に供えるために 殺すように言ったか」 「あなた方自身 これらの無垢の血で 洗い流すべきであり 再び同じ罪を 犯してはならない 罪を悔いるべきだ」

皆さんは 想像できますか 偉大で壮麗な柱や 輝く屋根 大きな建物 広大な中庭 華麗な構造の 美しい寺院 そこは最も崇高な 智慧と礼拝が 集まる場所で あるべきです でもその中は 食肉解体場になっていました そして聖職者達は皆 血の臭いを嗅ぎ 肉を焼く煙を 嗅いだのです 私は知的な人々が それを非常に神聖だと 言ったとは思いません モーセは「汝殺すこと なかれ」という 神の法を定めました でもそれでさえ 彼らは破りました

ですから世界が時々 苦しまねばならない 悲惨さに対して 神を非難はできません 私達の尊敬や 愛に値する 神が生き延びる為に 牛や子羊や羊の 焼き肉に頼らねば ならないのなら 私達自身の汗や 労働や あまりにも貧しくて 自分達のため肉も 賄えない人々からの 想像できるでしょうか どんな類の 恵みや祝福を 神が与えられるか なぜならその神は 依存する神だからです 普通の人でさえ そんな依存はしません どうして神がしますか 良い心根の 親切な人々の多くは とても純粋な無条件の愛で 他の人を助け 見返りは一切 期待しません それではどう述べる ことができますか いつも金銀や 焼き肉を要求し 見返りとして 何も与えもしない神を 神が何か贈り物の前に 肉を要求するのです

これは聖職者達からの 策略で神からの ものではない筈です 神が本当に 私達が神に 全ての牛肉や鶏肉や あらゆる物を 与えても神は贈り物を くれないでしょう 「それでもOKです 十分に公正です」 でも神は与えません 見返りは何もないです そんな神です その証に 捧げものをする人でも 普通の人と同様に 病気  悲惨な状況 悲しみのため 苦しんでいることです 教会の神父ですら 普通の人と同様に 苦しまなければ なりません だから 神を ばかにする人が います 神にとって不公平です

問題は私達の誤解です 神が無慈悲で 貪欲だから ではありせん 神は法を作り 私達は守るべきです 神のためではなく 私達のためです 英語ではよく 「神のため  あれこれ やらなければ」と 言います 違います もう一度 言いますが 私達は 私達のため あなたは あなたのためにします だから その言い方を 変えるべきです 私は知りませんが あなたの国でも 「神のためこれをやる」と言いますか やはり言いますね 申し訳ないですが  真実を言うべきです 神は私達から 何も必要としません

生きる必要があるのは私達です 平和で幸せを感じる ため 秩序のある 社会を必要とするのは 私達です だから 私達のため 法律を守り 正しい行動を 学ぶのです 私達の生活を守り 心身の福祉を 高めるためにです  例えば 病気になった 時 医者に診てもらい 医者は薬を 処方し タバコを少なくし コーヒーを飲み過ぎず もっと睡眠を取り 沢山散歩して 新鮮な空気を 吸うようになどと 教えてくれます それは医者の ためではなく  私達のためです 同様に 神の法律は 宇宙の秩序 宇宙の調和のための ものです

この秩序の中にある 全ての衆生の平和と 幸せを確保するための ものです この法律を知らず この法律を破ったら 故意か 無意識かに かかわらず その結果のため 苦しむことに なります これは仏教徒が言う 「カルマ」のことです 因果の法律です これは聖書が言う 「蒔いた種は刈らねば ならない」ことです 同じことです だから 神の法は 私達を守るため 私達のためのものです 法律を覚えるべきです 神の法に反して 何かの過ちを犯した 何かの過ちを犯した としても 救済方法があります 懺悔しもう一度 やってみるのです

これが全てです すると 再び 神の王国に 迎えられるのです 私が言った すべての事は真実です 私の言葉の真実性を 試し 本当なのか どうか 懺悔は効果が あるかどうかを試し たいと思うなら その 証拠を提供できます それは印心の時 あるいは「洗礼」 「真の洗礼」と 言っても いいですが 私達は本当に過去の 無知を懺悔し 真に神に戻りたいと思ったら 私達は神の前に 行けます  しかもとても速く だから 「即刻開悟」 あるいは直ちに神と 繋がると 言っています

神の光が見え 神の美しい 旋律的な声が聞こえ それは私が皆さんに 言った証となります 懺悔の力ついて 美徳と神への真摯な渇望の力は 真摯な渇望の力は 全ての悲惨さ 全ての過去の罪を 浄化できます 私達は水の下に 立ちたいと思った時と 同じです 私達は埃と色々な 不潔なものに満ちて いると知っており その水は私達を 全てのものから 洗浄できます それらの汚れと 不潔なものは 何日 何か月  何年も 溜まっていたとしても 滝の下にほんの短い 時間さえいれば完全に きれいになります

私達はそれが起きる ように願い その汚れ と不潔から離れたい と思っているからです ですから全能の神の 恩恵と慈悲を 疑わないでください 私達は真摯に懺悔し 真摯に 神の王国の智慧を 求めるべきです すると本当に何でも あなたにやってきます 私は聖書 あるいは 仏教の経典で読んだ から 私は仏教徒 だから いつも他の人 説教する通り 説教しているから こう言っている のではありません 違います こう言っているのは 私はこれらを経験し これらは真実で これらの事実を自ら 検証したからです だから 私は喜んで それを打ち明け 皆さんに この希望  この美しく光栄な 体験を伝えたいのです

人生に飽きて 疲れ果てて 神の恵みを 得ようとするなら そうすべきです 何の疑いもなく 無条件で なぜイエスの話は 彼の時代の司祭らより 印象的でしょうか それは彼に内在する 信念であり 彼の内面のな 体験であるからです 従って「私の名の もとに神に祈る」と 言った時 人々はそうすれば 結果が得られます それはイエスがとても 誇りに思ったり傲慢と いうのではありません 彼自身が深く 理解しているからです それは彼の名前で 彼の信念 彼の 内在する力 彼の 最高の智慧が人々を 思い出させることです

最高で 高潔な理想が 思い出された時 彼ら自身の最高の理想 信念及び 智慧が 呼び起こされるのです そうすると彼らは 成功するでしょう イエスは自分の名前が 最高だと思っている わけではありません イエスが自分の名前 彼自身を尊敬して崇拝 することを望んでいる わけではありません 私達はイエスが非常に 謙虚だと知っています とても無私であると 彼はいつも言ってます 「全ては私を通して 父がやっている」 父は常に神のことです 父なる神です しかし彼の名で 祈るしかありません 矛盾していません

彼はとても影響力の あることをよく 知っているからです 個人的な影響力が 非常に大きい人に 内在する力です だから 私達は歴史を 見れば分かるでしょう 多くの賢明な人は 人々を栄光と 智慧の道へと導きます 一方 多くの邪悪で 無明な人は人々を 破壊と暗闇の方向に 導いてしまいます これは個人的な 個性と影響力の ためなのです それを知っていますかそうです 従って 高貴な人に なるのは私達の義務で すると 他人に影響を与えたり 正しい道へと導く ことができるでしょう それゆえ 彼は 「まず 神の王国を 求めなさい そうすれば全ては汝に 与えられるでしょう」 だからこそ仏陀は 「先ずあなたが 仏陀になりなさい すると 衆生は 救われるでしょう」と だからこそ 孔子は 「まず自分の身を 修めよ」と言いました 身を修めることは スペイン語で 表現できますか はい その意味は 自分自身を浄化させ 自己を鍛えることです

人と呼ばれるために 立派な人になるように 尊敬すべき高貴で智慧 ある人になるように それはいわゆる 身を修めることです ですから 孔子は 「天下を収めるには 先ず自分の身を修め 家庭を平和にし 国を治めれば 天下は治まる」と 教示しています 従って  高潔で 称賛に値する 活動を行うのと共に 例えば人を悟らせること 道徳のことを 人に唱道すること 寺を建てて神と 仏陀を礼拝すること 貧しい人々と 病人に慈善を施すこと 全ての国に平和を 呼びかけることなど その一方 自分自身も 治めるべきです すると 全てが 効果が得られます 人々に間違いなく 影響を及ぼすことが できるでしょう そして 全てが 成功するでしょう 今の時代では 私達は とても幸運です

どんな信仰であれ どんな神を礼拝する ことであれ どんな教義に 従うことであれ 多くの国の法律に よって尊敬され 支持されています イエスの時代とは 違います 彼は孤独で無力で 多数の無明な人々 及び非常に狡猾で 残酷な司祭職と 戦ったのです 彼を守る法律さえ ありませんでした ですからただ今 神やキリストのように なりたいなら 良いチャンスです この機会を失うべき ではないと思います 来年あるいは百年後 この世界はどうなるか 誰も分からないだろう そしてどんな運命が 子供を待つでしょうか 私達の次世代のために 私達の子供のために 未来世代のために 良い基礎を築かねば なりません

全ての良い親は 子供の明るい未来を 願っていると思います ですから  子供達に快適な 生活を提供するために 彼らは一生懸命働いて 全ての力と 若さ及び智慧を 犠牲にしています でも彼らを教育したり お金を与えるほかに 平和と調和の世界を  彼らに残すべきだと 私は思っています ですから仏教の教義を 説教したり キリスト教を伝道 したり 私の宗教を 信じさせようとは 思わないでください 違います  私はただ次世代 及び現代の人々に 平和な雰囲気を 貢献できるように 努力したいだけです

私は決して 仏教 キリスト教 ヒンズー または どんな「宗教」の 排他性を説きません 私はそれらのすべてで 善良さを見るからです 私はまた殆どの人々が 詳細に彼らの宗教 信仰に従わないのが 分ります それで この世界の 市民の一人として 私は 人々に彼らの 教理を忠実に守って 彼らの隣人にとって 良くなり そして 敵を愛せよと 思い出させ 人々に神の法則と 永遠の原則を思い出さ せる義務があります

それで 現在の世代の 苦しみを少なくし 未来に円満な雰囲気を もたらします 永遠な法則は 私達が 神から来ている事で それは唯一無二と 愛と全能の神であり 私達は皆兄弟と姉妹で あるということです それで 私達がどんな 信仰を信じているかは 重要でありません 私たちは互いに愛し 互いに尊敬し 互いに助けるべきです 可能な限りの能力で 毎日神を思い出すのを 忘れないでください 私達が神を思い出せば 思い出すほど 私達の生活は さらに平和で 滑らかになるからです

 
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