智慧の言葉
 
Be Practical and Spiritual - Part 1 Mar 27,1993 Honolulu, Hawaii - USA    Part 3
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スプリームマスター チンハイ 真理を求める全ての 衆生に悟りを開いた マスターの生きた 経典としての講義 「阿修羅の衆生」を お届けするのを 承諾頂きまして 心から感謝します これらの縁ある者が 苦海から解放され 阿修羅界まで 上昇することを お祈り致します

人生が終わるとき 私は死を見つける おお持って行くものに 何を選ぶだろうか 陰が私を飛び越える時 私の旅が始まる おお持って行くものに 何を選ぶだろう 名声と富は 持って行けない 愛する仲間を 持って行けない 家や庭は 持って行けない 城や峡谷は 持って行けない

生と死の話題は 地球それ自体と 同じぐらい古く でもこれは人間が 存在する どの瞬間にも 直面している ことなのです ほとんどの人は話題を 無視し  この世界を 去る時その時を 思い出さないようにと 願っています まさに「今後」または 「来世」の概念は 人々の根拠の無い 論争を刺激します 人間には一つの人生 しかないと信じる人と 物質的な人生は はかなくて 本当の人生だけが それを超えて存在する のを信じる人がいます たとえお葬式でさえ 違った一族や人種の 死後の信念によって 変わるのです

愛する人の 死に対して 嘆き悲しむものや パーティーや音楽で 祝福するものもあり 彼らの信仰での死とは 戻ることで旅立ちでは ないからです 死体を土葬する 宗教もあります 海に死体を流す 宗教もあり 火葬する宗教もあり 防腐する宗教もある 仲間がハゲワシが 消費するために死者を 捨てる種族がいます なぜならば 土葬すると 体が腐って ウジでいっぱいに なるというのが 彼らの信仰です ある地域では 愛する人の死体を 食べることがあります

彼らの信仰によると 愛する人の肉と骨が 永遠に 彼らの体の中に 残るからです 実際 人生ははかなく 肉体は単なる外側の 衣服に過ぎません 私達がこの世界から 旅立つ時 体は腐ります でも魂はどうですか 死が全てを終わらせる のは真実ではなく 魂は違う世界へと 運ばれ 他の意識レベルへと 移行するのです 神や仏陀の光に 満ちた場所に 解脱した人は 生死の輪廻から 逃がれられるのです 一方  地獄や阿修羅界の 暗い地域に 沈む人もいます

それでカルマ(報い)の ために地球に戻って カルマの負債を 返す人も 中にはいます 本日はスプリーム マスターチンハイの 言葉の智慧を ご拝聴頂き皆様が心を 開くようお招きします 皆様が生死 霊修行の意味を 完全に理解し そして真偽の 区別をして  最終的に 生死の輪廻から 解脱しますように お祈り致します

死の暗い 高速道路を ぶらつくとき 私の魂の 隣には何もない 使い古した人生の スクラップブックを 最後に見るとき 私の魂には何も 隠すことがない

それではスプリーム マスターチンハイの 講義からの 抜粋をご覧下さい 題して 「阿修羅の衆生」 一九八七年三月十三日 フォルモサ(台湾) 台北にて

この講義は スプリームマスター チンハイが一般との 活動を始めた初期に 収録されました 従って音質は 現在の収録基準を 満たさないことも ございます ご理解頂きますよう お願い致します フォルモサ(台湾) だけでなく 私がドイツに居たとき そのような状況を 経験した 沢山の人々に 逢ったことがあります 真のマスターに 従ってない人々で 彼らには内面の音が 四六時中聞こえ 本物の素晴らしい 超世界の音ではなく うるさい会話で 彼らを寝たり食べたり させないように するのです

彼らが聞きすぎると 疲れてきて 寝ることができません 精神的な問題を 起こすこともあります 実際 神秘的なことは なにもありません 阿修羅の衆生は 沢山います 彼らが何か 知っていますか 死んだ後 大きな 功徳がないと 天国には行けず 天の衆生や菩薩に なれません 大きな功徳を 持っている者だけが 菩薩になれ 数少ない者だけが 仏陀に到達できます しかしこれは今日の 話題ではありません そんなに福報が ない人でも 重大な罪を 犯していない人は 死後 地獄に行くか  幽霊としてうろつき 家ではない所を 走り回ります 

彼らは悪霊には なりません その代わり 彼らは 阿修羅の衆生になり 阿修羅界に住み そこは地球に最も近く 天国はやや上です 阿修羅界は 二つのレベルに分かれ 最初のは 地獄 もう一つ高いのは 天国なのです しかし天国と地獄は どちらも多少なりとも 同じです 両方とも 阿修羅界だからです 地獄にいる人は 自由がなく 刑務所の 囚人のようですが 天国は自由を 楽しみ 望む場所に 行ったり来たり することができます 彼らには神通力が ありますが 

争いや 他をからかうことや 人々に厄介を もたらすことが 好きなのです 人々にあれこれ するように言えますが 本当は 時にただ 人々をもてあそんで 楽しんでいるだけで 傷つける意味は ありません ある人々は より繊細です 彼らの魂は より繊細です 誰にでも魂 つまり 真我があります 時に 魂が出て 身体だけを 残したとき 阿修羅の衆生が  しばらくその体に住み 恐らくそれは何か 俗世の悪いことや 楽しいことを しようとする 意図があるのです

時に 人の肉体は 沢山のこのような 衆生に占領される ことがあるのです それを悪霊に憑かれた といいます 彼のものではない 様々な声で彼が話して いるのを聞けます 時にそれを言いたく ないことがありますが 彼は口を制御する ことができないのです 彼は色んな 声を発します その時は 沢山の阿修羅の衆生が 彼の体を借りて やりたい放題 やっていますが 彼は それを抑制できません 中には わりといい 阿修羅もいて その人としばらく 遊んでから 離れて行きます それで問題ありません

しかしある阿修羅は とても貪欲で 人間の体を使って いつまでも 自分のものにしたがり 出ていきません

人が空き家に入って 住み着き 追い出しても 出て行かないのと 同じです 独占欲が強いのです 敏感な魂の持ち主や 正しくない修行法を 学ぶ人 または よいマスターについて いない人 保護して くれる力のない人は 阿修羅の衆生が 入り易いのです 入られても それに気がつきません 時々耳元で話している 声が聞こえますが 誰も見えません 時々見ることも あります あなたがどれだけ 敏感かによります 幽霊と魔を見ることが 出来る人は 阿修羅の衆生が 見えますが

阿修羅の衆生が 来るときは 自分達の 本当の姿を見せません 彼らにも神通力が あるのです 彼らは自分達が 神聖に見えるよう 化けることができます 例えば釈迦牟尼仏や 阿弥陀仏に化けます 私の姿に化ける ことさえできます けれども 真のマスターに従って 修行する人は すぐにそれの真偽を 見抜くことができます 例えば 阿修羅の衆生が 光輝く私の姿に化けて 「私はマスターの 化身であなたと話して いる」と言ったと します 私の弟子なら すぐ見分けられます でも私について 修行していない人や 開悟したマスターの 指導のない人は 騙されて 彼らの化けた 姿を本物と信じ 本当の阿弥陀仏 仏陀 イエスキリスト 観音菩薩や他の 仏陀だと思います 本当に仏陀を見たと 思い込み 彼らをとても尊敬し 彼の前で 平伏します

そして彼らの 言いなりになります 彼らはめちゃくちゃに させます そして他の人達に 印心を与えなさいとか いろんな手まねを させて 人は興奮して 飛び回ったりします または耳元で いろんな事をするよう 指示します いずれも 無意味なことです それら偽物の仏陀でも 預言することが ありますが ほとんどの場合 間違っています 例えば 明日何かが起こると 預言しますが 起こりません ほとんど間違ってます そのうちの1%は 当たることもあります それらの幽霊が 私達に近寄る時 真の修行者は 見抜くことができます

しかし修行していない 人には分かりません 阿修羅の衆生に 入られた場合 または 暫くの間占められた時 彼らは私達にいろんな 事をさせケンカさせる ことさえもあります 八カ月前 私がドイツにいた時 ある寺院に 泊まっていました あるオゥラック (ベトナム)の婦人が ずっとその種の声に 騒がれていました 彼らは 彼女に いろんな事をさせます それらの霊は 彼女に 息子やお嫁さんは 彼女が病気の時 ちゃんと世話して いないなどと言います 実は事実ではないです

問題を作って ケンカさせたいのです しまいには 彼女に 職場に行きケンカする ように そそのかし ナイフを持って相手を 追っかけて殺すように そそのかしました 彼女は殺人には 至りませんでしたが いつも騒ぎを起こし 結局仕事を失いました 家にいても 穏やかにはなりません 彼女は 息子や お嫁さんが 好きではないため いつも彼らと ケンカをします 彼女は皆を疑います

彼女が皆を疑うのは 阿修羅の衆生が彼女に 誰々さんは あなたのことを 悪く思っていると言い これから五分後 彼女を襲ってくるとか 二時間後にやっつけに 来る と言います 魔に取り付かれた 女性は それを信じ その人とケンカします それはまったく事実で ないにもかかわらず そうします それらの霊は 人がケンカするのを 楽しむ者たちです 阿修羅の衆生は 好戦的な本質で 生前 好戦的な人は 死後阿修羅の世界に行きますが 引き続き好戦的な 性質も持ち続けてます

それで阿修羅の衆生は 敏感な人や すぐ人を信じる 人を利用して 互いにケンカさせてはそばで笑って 楽しんでいます 彼らは経の話もでき 彼の前に平伏するよう人に要求します それらしき事を 言います というのは 彼らは前に習った ことが あるからです 人間も習えるものです 彼らも当然できます 彼らは先に行って 経の講義を聴いて それを人に繰返します そして聴衆に 自分達を崇拝し 供養させます また結婚した人に 沢山の妻を めとらせます 自分が 女性が好きで 好色だからです

彼らには肉体が ないので世俗のことを 楽しめません そこで 魔に取り付かれた人に たくさんの女性と 関係を持たせ 肉を食べさせたり などしています 彼らは肉体がないので それで人の体を借りて 好きな事を楽しみます 気をつけないと こういうことが よく起こって トラブルを起こします

それらの阿修羅は 自分が仏菩薩であると 信じさせるのです もともと 私達人間は 判断力を持っていて 疑ったりします なぜ仏陀が こんなことを 楽しむのかと 仏陀や菩薩は 最も智慧に満ち 慈悲深く尊い存在の はずなのに なぜ 沢山の妻を欲しがり 肉と酒を欲しがるの だろうと 疑うのですなぜだろうと疑います しかし 阿修羅の衆生が 私達の体を使って 沢山話し それで 私達は信じるのです いったん彼らに 制御されたら 逃げることはできず 言いなりになります そして私達は 主権を失って ますます弱くなり 能力もなくなり すべて彼らに 頼ることになります

自分というものが 存在しないのと同じで 後には私達も阿修羅の 衆生になります 私達の主人が 体にいなければ 体は何の役にも 立ちません 「マスター」 または 魂 自我 智慧 つまり 「真我」のことです 「真我」「魂」 が 体にいなければ 体は何の役にも立たず 阿修羅の衆生の 道具になります この世界には 沢山の阿修羅と幽霊と 魔で満ちています 目に見える人は 皆が 人間とは限りません 見分けがつかないです 智慧眼が 開いていないからです それを見た場合 怖くなるかも しれません  その人は人間では ないことが 分かったからです もちろん阿修羅の 衆生はいくらかの 神通力があります 彼らは私達に天眼の 力を貸してくれます

彼らには肉体がなく だから私達より 自由です 自由に速く 飛ぶことができます 彼らには無形の 衆生が見えます というのは彼ら自身 無形だからです 時には 人の心が読めて その人が 何を考えているか 当てることもできます これは何でもないです いつか彼らが離れたら 私達は 前と同じで 何も知らず もっと愚かになり 前よりもっと弱く なるだけです なぜなら私達は 自分の体の使い方を 忘れたからです 阿修羅が私達の体を 使っていた時は私達の 魂を退けたのです 私達はまるで 死人と同じになります 魂は横に立って すべてを分っていても 手を出せません 体は彼らに 統制されたからです 私がさっき言った ように 多くの人は 魔に翻弄されています なぜなら彼らは繊細で 無知だからです

阿修羅の衆生に 利用されやすいのです 利用されやすいのです もう一つの場合は 修行者でも 良い法門の保護がなく 彼らを導ける 良いマスターの 指導がないか または 修行の動機が 純粋でなく 早く目的に達したいと 焦せったり 神通力や 大きなパワーを 求める場合です 彼らの目的は 神通力を得ることで 有名になり人に 崇拝されることです この場合 阿修羅の衆生は喜んで 彼らの体に入ります そして超自然の パワーを見せたりして 信じさせます

そしてこう言います 「私は仏菩薩だ 天界のどこそこから 来ている あなたが真理のために 修行しているのを見て 訪れてきた」と 彼らも経の話ができ いろんな事を教えたり 偽の境界に人を連れて 行き 面白がります 例えば 偽物の 極楽世界などです 阿修羅の衆生は 想像力があり 思うことは何でも 目の前に現れます 福報が多い 阿修羅の衆生ほど 神通力が大きいのです 彼らはごく一部の 極楽世界を模倣しては 人にそれを見せて 面白がっています 一般の人は 本当の極楽世界を 見たことがないので それが本物かどうか 分りません

これは 酒に酔って 催眠術に かかったのと同じで 人の言うことは 何でも同意し 智慧と 判断する明晰な 頭脳がありません 自分が見たのは 本当の仏陀かどうか 分からず 彼らの前に 平伏します 私達は遠くにいて 彼に近づくことすら できません 偽物の仏陀は あなたはもう仏陀に なった あなたには 人を教え導く 使命があるなどと言い 方法を教えては それを皆に教えるよう 指示します だから今多くの いわゆるマスターが いるわけです 人はそれを学んで 感応する事もあります

跳ね回ったり 揺れたり 手まねを するなど または 耳元で話し声が聞こえ 明日 明後日 何かが起こるなどと 預言したりします 阿修羅の衆生が病気を 治すこともありますが ごく一部の病気です 彼らの力は 限られているからです 信じれば信じるほど 彼らの言うことを よく聞くようになり 時には阿修羅の衆生はUFOつまり 宇宙船を作り出して 一人か二人 中にガイドをつけて 人を乗せて回り 面白がります 私達は本物のUFOに乗った 天国から来た 人だと思います

実は楽しみのために 私達をどこかに連れて でもそれらの場所は皆 阿修羅の世界です 阿修羅の世界も 大変美しいので 私達は天国に または 永遠の涅槃(最高の 天国)に来たと 錯覚します とても美しく 本物と 見分けがつきません 彼らの世界は 私達の世界より百倍も 美しく 女性達も とても美しいです 従って真のマスターの 案内がなければ 道に迷ってしまいます 自分でそこに 行ったか 阿修羅が連れて 行ったかに関らず そこが本当に 素敵な世界だと感じ 彼らを信じるとしたら 死ぬ時彼らが 来て連れていきます 生前何の福報も 積んでいない人は 死ぬとすぐ地獄に落る

少し福報のある人は 「一流の地獄」に行き 即ち 阿修羅の世界の 天国です 「二流の地獄」は 本当の地獄です 両方とも地獄です 阿修羅の 世界だからです 阿修羅の世界でも 長く生きることが できます 千年 二 三千年 数百万年 生きる人もいます あるいは百万年です 問題ありません そこが最高の 永遠に存続する世界で  西方浄土だと 感じさせます 更に高い境界がある ことを知りません
在世の開悟した マスターの指導は とても重要なことです まずマスターは私達に 修行の基本的な規則を 教えてくれます また私達に 純粋な心と 高い理想を持つと 魔に取り付かれないし 魔に騙されないことを 教えてくれます 私達は沢山の法門が あると聞いていますが どれが最高の法門か 分かりません 多くの人は 自分は最高の師だと 自認しています 呼吸を コントロールする 法門をする人もいれば 丹田修練する人もいて   得るものもありますが 究極ではありません 多くの人は自分は 修行者だと言いますが 仏陀になった人は 誰もいません 宇宙の法則を 知らないからです だから阿修羅の衆生に 騙されるのです そして「あなたは今 仏陀になった 私は何々仏であなたに これを告げる それら些細な事に 捕らわれることはない

修行者は何にも 執着すべきでない

彼らはこう言い 聞かせて私達に自分は 偉いと思わせます あなたのレベルは あんなに高いのだから 宇宙の法律に囚われる ことはないと言います それはあり得ません 修行者は智慧がないと 騙されやすいです 騙されたらもう 幻影から逃げることは できません大変強力で 逃げたくても 離れられません 悪霊は彼を行かせません 彼らに連れ戻され 大きな障害物を 前に置かれます インドに有名な 修行者がいました

偉大なマスターに なる前 彼は 数十年修行しました 彼が仏陀に なる前 つまり 金剛の体  阿耨多羅三藐三菩提に なる前 完璧な智慧を 得る前に 彼は一人の女神を 大変崇拝していました 私達が観音菩薩を 崇拝するのと 同じです 彼はその女神に 最高の敬意を表し 彼女に会いたいと 願っていました ある期間崇拝すると その女神の像が 生き帰って彼と語る ようになりました 彼は寺院に行くと 仏像が降りてきて 彼と語り合ったり 教えたりしました

彼は女神がすぐそばに いると感じるほど 大好きでした 後に彼はマスターに 出会い マスターの経の講義を 聞いてからそれは 最高の境界でないと 分ったのです 後に彼はマスターが 教えた法門を 修行し 進歩も早かったです しかしある所まで 達するとそれ以上 突破できません その突破口に至る度に 以前彼が崇拝した 女神が 前に立ちはだかって 通してくれません 大変長い間 彼は「音色の世界」を 超えることが できませんでした ある日彼はマスターに 愚痴をこぼしました

彼のマスターは なぜできないのかと 怒って鋭い石で 弟子の額の 真ん中に押すと 血が流れました 普通の人から見ると こんな事をする 彼のマスターは残酷で 弟子を殺すところだと 思うでしょう  マスターは言いました その境界を 乗り越えるべきだと そして彼は座って 誠心誠意に 瞑想し始めました あの女神が 現れた時 彼は智慧の 剣で彼女を 真っ二つに切りました 最後に彼はそれを 乗り越えて行きました 言うことは簡単ですが 皆さんは その境界に居合わせた ことがないので それがどんな状況か 想像もできません 簡単ではありません

ほとんどの人間は 死後 阿修羅世界へ 行きます もう言いましたが 阿修羅世界には 百以上もの補助的な 境界に分かれています ちょうど大学や短大の ように そこは多くの 学年があります 例えば一年生 二年生 三年生など 異なる学年です それぞれの世界にも 異なるレベルがあり 二界にもまた多くの レベルがあります 一界にも 多くのレベルがあり 最初の世界ですね そして時には 光の強さが異なります 一界 つまり 阿修羅の世界へ 行った人々は 明るさの異なる 強さの異なる 色の異なる光を 見ます

それは 彼らのレベルが異なる ことによるのです 分かりますか いいでしょう ほとんどの人間は 観音法門をしていない 慈悲深いか 悪意を持つ者は または他の真剣に 魂を救う霊性の法門を 修行していないなら 阿修羅世界へ 生まれ変わります 彼らは百年 二百 三百 五百年ほど あるいは 時には何千年か 彼らの福報によって そこで生きます そして彼らは人間に 再び生まれ下ります 分かりますか 人間になる前に 私達は幸せな人生か 苦痛の人生を 異なる境界で送ります 地獄で苦しんだ人々は 人間として生まれ 上がりたいと思います

彼らは苦しみから 解放されて 幸せです 天国に 住んでいた者 阿修羅世界でも 崇高な世界の者は とても幸せです 彼らはただ欲しい物を 考えただけで 手に入れられます そのことは阿弥陀経で 言及していますね 彼らは何でも 手に入れられます 衣服 食物 彼らの考えによって どんなものでも この種の非常に 美しく壮厳な境界で 生きているので彼らは 人間には生まれたくは ありません 分かりますか でも彼らがその境界で 生きる間 彼らは 教えられます 人間になった時のみ より高く優れた境界へ 上昇することと 霊的進歩が得られる事 彼らは皆それに ついて知っています

この世界に再び戻り 進んで人間になる者も います 霊修行を行い 進歩を進める そのためにです しかしながら まだ世俗的な習慣を 持ち続ける者もいます ここにいる間 彼らは この世に執着します 一方天国にいると 更にそれに執着します なぜなら天国は ここより何倍もずっと 美しい所だからです 分かりますか 心配することがなく 幸せでいられます 何であれ望む物は手に 入れられ 疲れずに 行きたい所へ 移動できるのです まるで浮いてるように あなたは飛ぶことも 蓮の花の上にも乗れ または空の止まりたい 所で止まれます

服が欲しいなら 服が現れます 宮殿が欲しいなら 宮殿が現れます あなたが望む物は 何でも持てます ある境界の舗道は 宝石でできています そこには沢山の宝石が あり もちろんそこに いる人々はそこから 離れる事に気が進まず 下りたくありません 人間界の苦しみを 知っていますから ある天界の衆生は・・ 私達は彼らを 天界の衆生と呼びます 彼らは仏陀ではなく 高い聖人のレベルの 者ではないのです このような境界を 「天上界」と呼びます それらの天界の衆生は 人生が終わるのを見て 彼らは何日間も とても悲しみに暮れ 泣きます

彼らは離れ行きたく ないのです 彼らは 人間界がどれほど 苦しいか知っていて 下りたら戻れないかも しれないと恐れます 分かりますか 彼らは非常に厳しい 検査を受け 人間界に執着したり カルマ(報い)の鎖で 繋がれてしまいます 無数の誘惑 罠があり そして人間として 何度も世々代々 生まれ変わるのです 再び天国へ帰ることは 非常に難しいです 彼らは恐れていて 本当に恐怖を覚え 大変なパニックに陥り 彼らは人間より 何千倍もの時間を経て 死にます 私達人間には歓びも あります また多くの 苦痛もあります 天国にはただ喜びしか なく苦痛はありません 分かりますか

ほんの少し痛みが あってもその強さは とても穏やかです 非常に穏やかでさほど 苦痛には感じません 私達人間は時に本当に 辛酸を舐めた時には 自殺したくなります 耐えられない程の苦痛 非常なストレスを感じ 私達は爆発しそうに なったりします 天国にはこんな事が ありません 高い境界ほどそれは 少なく私達はより 気分が良いのです ここで私達は多くを 持たずただ紙のお金と 偽物の宝石だけです それでも私達は それらに執着します 天界の衆生は 言うまでもありません 彼らは その美しく輝く世界を 離れねばなりません

それで彼らが死ぬ前 非常な苦痛を伴い 行かねばなりません 私達人間と同様に その時が来たら私達は 行かねばなりません 誰であろうと関係なく 行かねばなりません あなたが大統領でも 億万長者でも 高官でも または誰か偉大な 魔法使いでもあなたは 行かねばなりません 天国でも同じです あなたの福報が使い 果たされた時あなたは 天国を離れねばならず 他の境界に落ちます あなたが天国で 良く修行してきたなら もちろん あなたは 高い境界へ行けます でも非常に稀です 本当に稀なことです

ただ開悟した マスターがいて あなたが人間だった時 あなたが死んで 天国へ行くその前に 高いレベルの境界に 到達している場合のみ マスターは引き続き 教え引き上げます ただあなたが霊修行に ついて知りたいと 思った時だけです あなたが凡人で 天国へ行ったなら あなたは魅了されて しまうでしょうから あなたは霊修行を 思い出さないでしょう この世界では 私達は非常に苦しみ 何も良い事がないです 男性も女性もさほど 魅力的ではありません それでも私達は 執着していますね

私達は既に 霊修行を忘れています 紙のお金にしがみつき 何度も何度も数えて 銀行に預けたり そこ ここに 隠したりして 盗まれないかと 心配しています 石は少し輝くだけ ですが身に着け そこら中で 見せびらかし いい気分になります 私達は皆これらの物に しがみつき霊修行を 忘れてしまいます まして天国では本物の 宝石が光輝いています そこら中で 私達のダイヤモンドは ここのこれ位の輝き 1センチもない位です 天国の宝石は永遠に いつまでも 光輝き続けます

それらは光より 明るくて あなたが初めて 観音法門を修行した時 例えば 今日は1センチ 明日は2センチと いうようにです 私達の生存中に マスターがいなければ 私達は天国で 修行することは できません ほとんどのものが 落ちこぼれます 時間が来たその時 上がる代わりに 分かりますか 彼らが落ちこぼれると 非常に苦痛です 彼らは人間界がどんな 所か知っていますから そこに再び戻るのは 容易ではなく彼らは 非常に苦しみます

人間界では 霊修行ができないかも しれないと 心配します 彼らはこの世の悪い 集合カルマ(報い)に 誘惑され包囲される ことを心配します 逃げられない ことをです ひどく苦痛を感じ そこに彼らを教え 引き上げる者がいれば そうでもないです それはちょうど彼らの 先生が開悟した マスターの代わりに 普通の天界の衆生が 引き上げた場合 開悟したマスターは 天界の衆生の マスターでもあります でもこれらの衆生は 開悟したマスターから 学び福報を得られる 訳ではありません

それは厳格なことです 全ての天界の衆生が 開悟したマスターから 学べる訳ではないです 分かりますか 在世のマスターは 全衆生を教えられます でも全人類がマスター から学べる訳ではない ただ弟子として受け 入れられた者だけです 彼は最後まで教え 問題を引き受けます 天界の衆生でさえ 彼から学べないのです 彼らはまず人間として 彼から学ぶために この世に降りて 来なければなりません それで凡人は 死後天国へ行きます ただ天界の衆生が 彼らを 教えます 彼ら自身が 他の人々から学んだ その事をです 分かりますか

彼らは繰り返します 仏陀や開悟した マスターは言いました こんな風に 「天国はとても良い でも永遠ではない 人間として降りた その時あなたは 修行を良くし 勉強も良くすべきです そうすればこれらの 天国より更に高い 場所へ行けます」 でも彼らは教えない かもしれません こう言うかもしれない 「すぐ戻って来て 私達の所は良い場所 私達はここの場所が 高い所だと思う」と 全ての天界の衆生が よく真理を教える 訳ではないからです

ええ 彼が教える時 彼のパワーは 開悟したマスターとは 同じではありません 彼は加護できません できるとしても 彼のレベルによります その加護を受け入れる には彼の所まで あなたが行けた時です その後あなたは 再び落ちるでしょうが また再び上がります これは役に立ちません 殆どの人々は彼らの 天国での時間が終わり 彼らは降りて来ないと なりません そして 彼らが降りて来た時 多くの罠や課題を 学ぶことを 皆が知っています

阿修羅の世界に行って 適切なマスターが いないと いろんなものを得ます 神通力を含めてです 本当の事を言いますと これら阿修羅の 神通力と富と 美しさに抵抗できる 十分な力と純粋な心を 持った人はいません だから阿修羅の網に 引っかかるのです ある人は 多くの境界と 美しい天使を見て 自分は禅修行は いい所まできたと 思いがちですが 実は違います また修行を通して得た 神通力といったものは いずれも 何でもありません だから私は皆さんに 決して神通力を 求めないよう戒めます 騙されないことです だから私は内面で 誰かがあなたに何かを 与えようとする時 保護の力を持つ仏陀の 名を繰り返し 唱えるよう教えます 傷つかないようにです 大半の人は阿修羅の 罠に引っかかります 保護してくれる 案内役がなく いいマスターがついて いないから分りますか

彼らは自分で瞑想し またはレベルの低い マスターに学ぶので とても危険です 彼らに強要されたと したら幸運なのは 彼らを見抜いて 抵抗することです しかしあなたを 美しい少女や女性で 魅惑して 富と神通力を 与えるとしたら もうおしまいです 阿修羅の女性達を見た あなたはおしまいです 意志は炎天下の 氷のように溶けます というのはこの世界で 阿修羅の女性ほど 美しい人は見たことが ないからです 時々真のマスターに ついて学ぶ弟子は 愚痴をこぼします 私は何も見えません

前にカーテンが かかっているだけです どうか少なくとも 阿修羅の世界を 少し見せて下さいと 私は弟子のことを 彼ら自身より よく知っています ある弟子は とても意志が弱くて 美しい女性を見ると 「麺」になるので 見せられません 彼らは永遠にそこに 留まりたがります そして阿修羅の力に 屈服し 自分の価値を全て 失ってしまいます 私はいつまでも 数千万人の弟子達を いちいちそこから 引き離すわけには いきません

さあ 戻るんだ 上へ 行くのよというふうに たまには一人や二人 三人ぐらいは 連れ戻せますが 数千人はできません ですから 彼らを箱に入れて 一番早い便で できるだけ速く 直接送り出します 私の力も大いに節約し 議論をさけられます 人の意志は とても強くて 尊重せねばなりません 皆さんは私が どうすると思いますか そこに留まって永遠に 飽きるまで付き合うと でも思っていますか 私の責任を果たすまで 弟子を見放しません 阿修羅の世界に 数千年留まることは 実に面白くない事です

高いレベルの 修行者にとっては 神通力や その他霊能力は いずれも も第一界のものです 即ち阿修羅の世界です 阿修羅の世界も 沢山の何百もの いろいろなレベルに 分かれています 天国もあれば 地獄もあり 苦しみもあれば 喜びもあり 様々な異なった レベルがあります 解脱の法門を 修行していない 人達は皆 死後 阿修羅の 異なるレベルの 世界にいきます そこは 神通力の世界です そこに至ると 全てが神通力によって 運行されます 釈迦牟尼仏が存命の時 彼の一人の弟子は 神通力を使って 宇宙の隅々を 見て回りました

しかし彼が行った所は いずれも低レベルの 阿修羅の世界でした これも一種の 神通力です いわゆる 阿修羅の神通力です この体を残して 意識は別の体と一緒に 阿修羅の世界に 行きます 私達は異なる体があり だから人は死後 ある天国に行った としても 解脱できないのです 彼らは遅かれ早かれ 彼らのカルマ(報い)と 天国の判断によって 違った形で 物質世界に 戻ってきます 意識が体を出たことは 一時的に死んで 天国に行く 現象です もしくは実際に死んで 阿修羅の天国に 行くことです

しかしたとえ 阿修羅の世界だけでも とても美しく そこに行った人は 誰一人この世界に 戻りたいと思いません アメリカの 臨床医学の話を 読んだことがあるかと 思いますが それによると 一時的に死んでから 生き返った人は この世界に戻ってから 数週間も数カ月も 泣くそうです 彼らはあんなに美しい 世界を見た後はここに 留まりたくないのです 内面の世界 霊的境界は あんなにも美しく 喜びに満ちて いるのです 阿修羅の世界でも 私達は無上の 喜びと自由を感じ この世界では到底 体験できません

どんなに大金を 払っても  払っても  どんなに懺悔しても 何百回も仏陀に礼拝 しても得られません だから 古代から 多くの人が 全てを捨てて 快適さと 地位と富を捨てて 森やヒマラヤなどの 所で修行したわけです 霊的瞑想を通して得た このような 喜びをずっと 感じていたいからです 一度天国の光と 神と仏陀の教えを 体験するとこの世の ことに対し二度と 執着しなくなります 社会で引き続き 仕事をし 自分や家族 国もために働きますが この世界には 瞑想の時と 寝ている間に 天国に行き 暫く留まった時に 得る喜びと匹敵できる ものはありません

いえ 違うわ あなた 初めての死という ものはないの 決してありません 最後の死はありません 私は自性を知ってます 石は丘を 転がり落ちます 杏の枝の上に その石が落ちます 杏の小さな花を 散らします 鳥達は別れを告げる 歌を歌う

あなたは苦しむもの すべてを抱きしめる あなたは苦しむもの すべてを抱きしめる ひどく疲れ その足は 休む椅子を探す この身体も疲れ切って 永遠に大地に 横たわる ほら 多くの人々が いまだに この辺りを 巡っている ほら 多くの人々が いまだに この辺りを 巡っている ほら 多くの人々が いまだに この辺りを 巡っている

 
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