智慧の言葉
 
Benefit the World with Spiritual Practice - Part 3 Nov. 12, 1989 São Paulo, Brazil(In Chinese)   

この世界には 多くのいわゆる 霊的な法門があります ある人々は山々を 崇拝したり 水を崇拝します また ある人は山々へ 巡礼しますね

彼らはそこへ行き 崇拝します 彼らはそれら霊的で 宗教的に有名な 場所を崇拝します 例えば ブッダガヤ エルサレム 預言者 ムハンマドの地 メッカなどです 彼らはこれもまた 霊修行と信じています 例えば 毎日 懺悔したり崇拝したり 仏陀や イエスキリストに祈り 経典を唱えたり 仏像を拝みます 彼らはそれらが皆 霊修行だと思います これらのいわゆる 霊的な法門は ある意味役立ちます それらは 解脱や輪廻転生からの 解放を切望する人には あまり役立ちません これらの修行は 単に福報をもたらす だけだからです

私達は山々を 水を 遺物を崇拝し 塔や寺院を建立したり 僧や尼僧に 供物を捧げたりします これらは全て 沢山の福報を得ます このような福報は 私達を天国へ 行かせることが出来 非常に長い間 至福の 境界を楽しめます ある人々は 数百年間 何千年 何万年と 天に昇れます これらの大きな福報の おかげです 彼らがこの世界に 生まれ変わった時 彼らはまだ非常に 美しく優雅で親切です これらの人々には 多くの福報があります また 彼らは非常に 裕福になるでしょう でもこのようなものは すべて私達を 三界内に束縛し 私達が永久に 自由になることを 妨害するのです 従って私達が 解脱したいなら これらの福報は 私達の役に立ちません

福報だけが 欲しいなら これらの行為は 非常に役立ちます 裕福になりたいなら もっと慈善活動に 寄付すべきです 美しくなりたいなら 人々をもっと 称賛するのです 更に寺院を建立し 仏像を立てて 更に僧や尼僧に供物を 提供したりすれば 私達は美しく 裕福で 高名で 強力とかに なれるでしょう 私達は世々代々 裕福になり 天国にいるその間 非常に幸せになります 地獄に落ちることも ない などなど でもあなたが 解脱したいなら それらの事は 二の次です 解脱したいなら 私達は他の道を 取るべきだからです

例えば 私達がここから高雄へ 行きたいとします 私達は車で行くか 電車に乗ります しかし米国へ 行きたいのなら 私達は飛行機か船に 乗らねばなりません 海岸線とか 海の中を運転しては 行けません 月に行きたいなら 宇宙船に 乗るべきですね 異なる目的地には 異なる輸送手段が 必要です それだけです 地獄へ行きたいなら もちろん 私達は皆そこへどう 行くか知っています 行き方が分かりますか (はい) 言う必要はないですね

それは簡単です それで聖書で言います 「破壊への道は 非常に大きく 広い とても多くの人々が そこを歩いて行く 自由への道は 非常にせまく そこに 入る者は大変少ない」 この意味は破壊に 導く道は私達を傷つけ それは大きく広いが 多くの人々が そこへ駆け込みます しかし私達を解脱へ 導く道は非常に狭く ほんの数人しか 歩いていません そういう訳で 多くのいわゆる 霊修行者は私が 教える法門が嫌いです なぜなら菜食を 要求されます 殺さない浮気をしない ただ夫または妻だけを 伴侶にして下さい 彼らにできましょうか

例えばそういう事です 更に 嘘は言えません どう仕事したらいいか 酒を飲まなければ 人々は男として 十分でないと思います 中国の人々は普通 男で飲酒しない者は 風のない旗のような ものだと思います そうですね だから非常に困難です 数人の人々は私に 安売りさせようとして 「私は全ての戒律に 従います 飲酒は除いて! それは止められない 顧客の接待をせねば なりませんから 仕事上とか 社交の目的において 私は人々と飲酒せねば なりません」と 私は言いました 「飲酒はだめです」 言い訳は一切なしです

誰もあなたに飲酒を 強要できません 皆 自由なのです それは私達自身の頭脳 がそう考えさせます 飲酒を強要するような そんな悪友が 本当にいるなら 彼らを排除すべきです そうでしょう そんな友人は 持つべきではないです 私も以前は普通の 社交生活を送って いました 私の元夫は 医者でしたから 私達の友人は皆 科学者や弁護士 技師 医者 教師 教授とかと いった人々でした よくパーティーを開き 私達は食事を持参し 彼らも持参してきて 彼らは幸せでした 彼らは私達の菜食を よく食べていました

ただ他者に従うべき ではないのは本当です 自分自身の独立した 権利があるのです 人々は私達を尊敬し 私達の道に従うのです 以前私も仕事をしてて 赤十字社で 働いていました そこには多くの 同僚がいました 事務所には私だけでは ありませんでした そこには多種の 人々がいました そこの全ての人は私が 菜食だと知っていて 特別な会合がある時は 私に菜食の食事を 用意してくれました 彼らがしなかったら 私も要求などしません いずれにせよ食事は 自参します 皆が知っていました 私は菜食の食べ物を 彼ら用に持って行き ちょっとした軽食など 分け合いました 皆が喜び 全く何の問題も ありませんでした 菜食になると社会的 地位に或いは仕事に 影響を及ぼすとは 言えません ええ 私は以前そうして いたからです こうは言えません

「私はよく旅行します 外食することが多く 菜食になるのは 不便ですから」と 私もまた旅をしていて 三〇カ国以上へ 行きましたが 一度も どの国でも肉を食べた ことはありません これは私が尼僧になる 前でさえもです 私がまだ若かった ころのことです 私は元夫と あるいは一人で 旅をしました 私には一切問題は ありませんでした 私はまだ生きています これはあなたもできる という意味でしょう 私の人生を話しました あなた一人ではないと 分かります 私も全て体験しました それが大きな問題では ないことを知ります 質問はどうして 適切な手配を 取るかです それで人々は菜食に 強要されていると 感じたり 私達はおかしいと 感じることです 私達は正常で 普通でシンプルで 平和的なはずです 菜食でいる事について 理にかなった 選択として下さい

この方法で人々は 私達の勇気を 信頼を 楽で自然な感覚を 感じるでしょう キマリが悪いと感じ 自分が菜食な事を 隠さないで下さい どうか嘘を言わないで 「いいえ私は今日 調子が良くないのです それで私は今日菜食に します」と言わないで もちろん 人々はこのようでは 不快に感じるでしょう 分かりますか 私達は自信を持って 自然で優雅でいる べきです 私達が食べる物の事等 他者には関係ないです

私達が仕事を 上手くこなす限り 正当な人である限り 私達の責務を 果たす限り誰も何も 言う事などできません 私達の事について 彼らがそうするなら ただ微笑んで言います 「自分の食事が あり私にもあります」 そうですよね(はい) 私達は一人か二人の 友人のために 私達の選択を言い訳の 妥協に使わないで あなたが死ぬ時 友人は誰も 助けに来ません その時 あなたの話を する人もいません 「ああ地獄の閻魔大王 どうか私の友人に お慈悲を」と 彼はワインを飲み 私のために肉を食べた 代わりに私を罰して 必要なら 私を地獄に 留めてください 彼を放してあげて」と 誰があなたの為にそう 言いますか(いいえ) 彼自身地獄に落ちて しまう事も可能です あなたもあなたの 友人も両者が一緒に 地獄に手に手を取って 落ちることです その時誰が助けて くれるのでしょうか 従って私達は言い訳を すべきではないです 精神修養のために 理由を見つけて下さい そうしない言い訳など 作らないで下さい

昨日とても良い質問を した人がいます でも明確に書かず それで抜かされました 彼は私に外で苦情を 言いそこで 私に再び尋ねました 彼はここにいますか (いいえ)いないですか

彼の質問は 私達が観音法門を 修行する時 私達自身に加え 他の人々をも眼に 見えない衆生も恩恵を 受けるのでしょうか 私は「はい」と言い 私達自身が恩恵を 受けるだけでなく 私達の両親 家族 五、六、九世代に渡り 恩恵を受けます そして彼はまた尋ね「無数の衆生がいます どうやって皆 彼らを 助けられますか」と 「まず自分を 親類を 救って下さい」と言い そこには多くの他の この世を去りたくない 他者がいます そうですねただ彼らを 放っておきましょう

多くの子供達を見ます 毎年生まれます そして私達は思います 「私はいつになったら 教師として全ての子ら に教え終えられるのか もう今止めたい」 それは合理的ですか (いいえ)いいえ 私達はちょうど 私達の世代の子供達を 教えます 次世代を教える 他の者たちが います 私達は私達の教師の 義務を放棄する事は できません なぜなら 無数の子供達が 次々に生まれ出て 来るからです それは論理的ですね 私達自身が自分の 霊修行に取り組み そして他者が恩恵を 受けるのです 皆が観音法門を 修行するなら皆が 解脱する事でしょう 多くの人々を救わねば というようなことは 私達は心配無用です そうですね でもあなたはここで 待っています そして 皆が他の人々が始める のを待っているので それで誰も修行しては いないのです

マスター 観音法門を修行する 弟子だけが 死後三界を超える所へ 行きます これは「貪欲しない」の 戒律に違反しますか なぜ違反するのです 違反ではないです 皆がこのように 「貪欲」なら仏陀は皆 喜ぶでしょう 何が貪欲なのですか この世界への執着と いう意味です 高名 金銭 地位というような それが貪欲です でも私達が手放すなら この世を去りたいなら どう貪欲になりますか ええ多分それもまた 貪欲なことでしょう でも高い境界です 世俗的な貪欲さより ずっと良いでしょう あなたが全く貪欲に なりたくないなら 三界を超越するよう 貪欲でいて下さい ささやかな世俗の 事柄にではなく この種の貪欲さは いいでしょう マスター より良く理解するため 観音法門の修行の 進歩のために 私は家族や仕事を あきらめてあなたと 共にいられますか

いいえできません すべきではないです あなたの夫 妻は どうしますか あなたが家を離れます でもあなたの子は 非常に落胆します あなたの両親も面倒を 見る人を必要とします あなたの両親が 他界しているなら あなたが独身で 子供がいないなら もちろんできます でもしなくていいです あなたに何も責任が なければ 両親が同意するなら 独身で多くの責任を 抱えてはいないなら あなたは私と 共にいられます でなければ あなたは 家で菩薩になれます 両親の面倒を見て 社会的な責務を 全うするのです 観音法門を 修行するのと 同時にです それは最近では カセット ビデオ 書籍等入手可能です

あなたは旅をして私に 会いにも来られます 余裕があれば 毎週末 彼らは苗栗に来て ここでキャンプして 一緒に瞑想します あなたにもできますよ 毎日私と共に過ごす 必要はありません

マスター私は菜食の 食事を食べたいですが 両親は私に肉を 食べるよう強要します 良い子として 彼らに従うべきですが 「殺さない」の 霊修行の戒律に 違反する事になります このジレンマを どうしたらよいですか それは問題ですね 今生で それが未解決なら 来世でも同じ問題が 起こることでしょう なぜなら各人生で 両親があなたを 誕生させるのですから 最良の方法は今生で 問題を解決する事です 両親に愛を持って 話をすることによって 彼らに説明するのです

科学的側面の観点から 菜食は健康に 有害ではない事を 時に両親は 菜食は栄養が 不十分なのではと 心配するからです 私達は 健康そうで強い ゾウの 馬の 僧侶の写真を 見せたらいいでしょう 菜食になるにあたって 何も問題がないことを 彼らに提示しましょう 時に両親は私達が 僧になる事を恐れます 菜食になるのは 僧になる訳ではない ことを教えるのです あなたがまだ結婚する ことを考えていると 知らせ 心配するのを やめさせます あなたは両親の愛を 理解すべきです

何であれする事は 自分にとって良く そこには何も悪い意図 等ないことをです 彼らは菜食では栄養が 不十分ではと心配し 私達はその事を知らず 又は僧 尼僧になり 家を離れるのではと 思うかもしれない事を 彼らの愛の為あなたを 止めさせようとします それで適切に彼らと 話をしてあげて下さい よく説明をするのです それで大丈夫でしょう マスター 私は 印心を受けてませんが 瞑想の時 内面の 白い光と赤い光と 黄色い光が見えます この光は どういう意味ですか 開示をお願いします これはいいことです

あなたは自分の本性を 少しみることが できたということです でもあなたはまだまだ 沢山のことが 分かっていません 従ってやはり 観音法門を修行する 必要があります すると一歩ずつ あなたの成長に合わせ 私が指導します この方が あなたにいいのです でないと マスターなしでは 体験があっても分らず 間違った道に入るか 魔に取りつかれ やすいです マスター 釈迦は分け隔たての 心がありませんか なぜ阿難を他の弟子 より可愛がるのですか 釈迦はもう 入滅しています 彼にどう確認しますか 阿難を特にひいき したのではありません

彼が阿難を選んだ のではありません 仏典を心を込めて 読んでいませんね 釈迦には他の 世話係がいました 世話係がいました 後から人は 阿難を推薦したのです 阿難は三回も 断りましたが 無駄で 彼は仏陀の 世話係の役を 引き受けたのです 人々は阿難には 釈迦の世話係としての 資質を持っていると 思ったからです それで阿難はそれを 受け入れたわけです 釈迦が彼を選んだ 訳ではありません マスター なぜ仏菩薩達は 高い境界から降りて 来た時 自分の仏性を 忘れるのですか 忘れている人もいれば 覚えている人もいます

インドに 一人の有名な女性 修行者がいました もう往生しましたが 彼女はインドで 国際的にも有名で インディラガンジー インドの元首相も 彼女の弟子でした 彼女は生まれる時の 事を完全に覚えていて 弟子達に自分の 生まれる時のことを 語りました 彼女は 生まれる時 肉体は 母体と繋がっておらず 現れたかのように 生まれたのです 私達も 釈迦が生まれた時 釈迦が生まれた時 七歩歩いたと 経典で読んでいます 釈迦は自分の栄光の 地位を忘れていません

大半の仏菩薩が 無明に見えるのは 私達に 平凡で無明な衆生でも 霊修行できると 分からせるためです 仏菩薩達が 自分の 地位を生まれながらに 見せてくれるとしたら 私達は首を横に振り この人達は 本々聖人で 偉大な存在なんだ 彼らが真理を得たのは 当然のことだ 私達は生まれた時 自分が誰だかまったく 分からなかった 私達には霊修行が できっこないと いうでしょう マスター 我が家は 皆クリスチャンです 四十年来 初めて マスターの 経の講義を 聞きました 私は解脱したいのです どうしたら専念でき あなたと同じ体験が 得られますか 助けて下さい 有難うございました

もちろんです 問題ありません クリスチャンでも 他の宗教を 信仰していても 皆解脱できます 全然問題ないです 印心を受ける瞬間 あなたの魂は解脱する ことが保証されます 霊修行を 続けさえすれば  必ず解脱すると 私が保証します 印心を受ければです あなたは 何もしなくても 何も変えなくても 必ず解脱します ご安心ください

マスター 私は九年前から 修行を始めたのですが いつでもどこでも 耳元で何とも 言えない話し声が 聞こえます 私は魔に取り付かれた のでしょうか この質問をした人は どこにいますか どんな音 どんな声を 聴きましたか この世界の言葉では ないわけですか もっと教えてもらうと 説明できるのです まあ いいでしょう

状況によりますが あなたがまだ正常で その声があなたに悪い 事をさせていなければ まだ大丈夫です それを聞かないのが 一番いいです なぜなら話し声は あまり高い境界からの ものでないからです いいですか マスター 私は七十歳近いです 私は毎月の 一日と十五日に 菜食しています あなたは私を愛して くれるでしょうか また昔 悪い事を 沢山しました 尚も愛してくれますか

私には愛さない人は 一人もいません 私には誰かを愛さない 権利がありません この世界で悪い事を してない人はいません

あなたの周りに 座っている人達は 皆同じです 印心を受けたいなら 親類に 印心した若い人がいて その人に助けてもらう 必要があって 一緒に修行すると より安全です あなたは年取った上 今まで完全菜食を していません 観音法門を修行する 場合 色んな事があり 年取った人には 理解しにくい ものがあります

ただ菜食をすべきです 完全菜食です すでに他のマスターに 帰依していますが それでもあなたに 印心を受けられますか 問題ありません 私に帰依するよう 求めたりしません 他のマスターに 帰依していいのです 私とは観音法門を 習えばいいのです あなたは引き続き その人について 彼の世話をしながら 観音法門を学び 家で静かに 観音法門を 修行すればいいのです これは別のマスターと 関係ありません マスター 印心後 いつも悪い夢をみたら どうしますか 一定期間 修行した後 いい夢をみます

これは悪いカルマ (報い)が 重過ぎるからです 時々私は彼らの夢の 中でそれを解決します 悪い夢を見るのは カルマが(報い)が 重いということです 私は皆さんが生活の 中でそれが起こって 欲しくないのです 例えば焼けどや怪我 するなど夢の中で 起こるようにします 分かりますか 夢の中で起こる ことによって 私達の体は 傷つきません 死ぬこともなく 災難にも遭いません 悪いカルマ(報い)を 夢の中で体験するのは 生活の中で それを経験するよりは いいのです

これは私達に 悪いカルマ(報い)があるということで 定まったカルマは 変えられないのです 例えば 今生で 人に傷つけられ 災難を経験する カルマである場合 これは変えられません そこで夢の中に おいて解消します 観音法門を暫く 修行した後 いい夢を見るように なります 後には 夢を 全く見なくなります マスター  仏教の弟子になるには 必ず観音法門を 学ばねばなりませんか 私は今地蔵法門を 修行しています 矛盾しませんか

地蔵王経は 読み上げるもので 観音法門は 修行するものです 地蔵王経に 何が書かれているか 皆さん分かりますか あらゆる地獄の 状況について あらゆる苦しみに ついて語っています どんな悪いカルマ (報い)を作ると どんな地獄に落ち どんな罰が 加えられるかなどです 読めば読むほど 恐ろしくなります これでは悪い夢を 見るのは当然です それを読みたければ 読んでいいですが 私は他の経典を お薦めします それはより楽観的で 私達に役に立ちます 例えば 普門品や 法華経 金剛経などは より楽観的です どうしてあんなに 悲しくて悲観的で 厭世的な経典を 読むのですか 地蔵王経は 地獄にいく人のための 経典です 彼らは地獄から 上がる事ができない ことを恐れて 地蔵王を 知っておく 必要があります 地蔵王はもっぱら 地獄の魂を救います 観音法門の修行者は 決して地獄に落ちる ことはありません

従って地蔵王経は 読むべきでないです いいですか 読みたければ それでいいでしょう マスター 霊修行をすれば  君子の相になれますか なれます ただあなたは君子の 相の意味が分かって いないと思います

あなたは女性で 男性になりたいと するのであれば 失望するでしょう というのは肉体を 変えるわけでは ないからです 霊体が変わるのです 分かりますか 君子の相とは男性の 容貌のことではなく とても美しく 威厳があって 立派で 尊敬されるに値する 容貌のことです これを得るには または見たければ やはり修行すべきです 普通の人には 君子の相を見ても 分かりません 従って たとえ私達が 仏陀になったとしても 内面の境界を 持っている人だけが 見て分るのです でないと 誰も分かりません 従って君子の相だの 女子の 容貌などは 大きな問題では ありません

マスター 印心後 時間がなくて 瞑想出来なかった場合 罰せられますか 罰などはありません ただ進歩しない だけです 印心で得た パワーを台無しに するだけです 例えば 英語を習うために 先生に申し込んで おいたとします 先生は第一課 第二課と教えていき あなたは それを書き下ろし 受講料も払いました しかし あなたは 家で練習しないと 役に立ちますか

霊修行の場合も 同じです マスター 霊修行を してから何事に 対しても淡々として 以前のような抱負も なくなってしまうと

これは社会にとって 利益になりますか

社会に役立ちます そういうことではなく 物事に対し 淡白であることは 空虚になるのではなく名声や富を追求せず それに執着しない ということです 例えばあなたは高い 地位にあるとします するとどんどん 昇進することを 望むわけです しかし私について 印心を受けた後 そんな強い願望は ありません 昇進してもしなくても 満ち足りているのです その地位を 捨てなさいとか 辞職し出家して 私に追随しなさい という意味では ありません それは容認しません

あなたはその地位に いながら もっと うまく仕事しますが 結果に執着しません 最善を尽くして 国に対する 義務を果たします しかし昇進や 名声 お金のために するのではないです そんな執着心は ありません 昇進しても 浮き浮きせず できなくても 気落ちしたり 逆上したりはしません 執着心を手放す という意味であって 仕事や責務を捨てる ことではありません この違いを区分する 必要があります

マスター 皆が仏陀だとすると なぜこの世界に きているのですか 誰もが仏性を 持っていて 誰もが仏陀から 来たのです 世界を加護するために ここに来ています でなければ この 世界は不毛の地に なったでしょう 石や樹や草と 石や樹や草と 動物だけで 人間は住んで いません 私達がこの世界に 来たのは加護する為で 加護し過ぎて パワーを 使い果たしたのです 今急いで 充電すべきです そして急いで 責務を果たした後 天国に戻る ことができます 今度は他の人が降りて 来る番になります マスター 最高の 境界は何ですか 最高の境界を どう表せばいいですか それを知りたければ 私について観音法門を 習えば分かります 必ず分ります 最高の境界は説明 しようがありません

最高の境地なんて ありません 学べば学ぶほど高く 微妙で 測り知れません 仏菩薩に上限が あるとしたら それは 仏菩薩ではありません いわゆる 最高の境地というのは それを知りたがる 人々のために この世界の言葉で 説明したものです でないと人は 永遠に切りがないと 思い がっかりして 挫折感を感じます しかし 修行を 積めば積むほど 最高の境界はない事が 分かります だから私は 仏陀は 阿耨多羅三藐三菩提 (最高の完璧さ)ではないというのです マスター チベット密教の 四腕観音法は 観音法門を 同じですか

いいえ 私達には 「腕」はありません 腕と関係ありません 目も 耳も 鼻も 舌も 体も 考えも ありません その法門は四つの 腕があるんですね 私はそれを切った方が いいと思います 仏陀は最高の境界には 体も感覚も考えも ないと言ったからです 私達はこの「無相」の 法門を修行しています 分りますか 私が教えているのは 釈迦の「正法眼蔵」と 同じです また六祖慧能の 無相の法門と 同じです 相もないのですから 腕は尚更ありません 何もありません しかし 何かを得ています 無相は空っぽという 意味ではありません そうではなくて 形や様態がない という意味です 物質的な形や 世俗的に想像できる 境界はありません

 
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