智慧の言葉
 
We Must Find our Real Self - Part 1 April 03,1993 Los Angeles, CA, USA    Part 3
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私達が他人に役立つ 精神を持って  自分と家族を 支えるために 正直で 清潔で 愉快な態度で 金を稼ぐ限り それは 十分良いでしょう 彼らが伝えたかった メッセージです 非常に真実と思います

つまり 能力があるなら 先生になってもいい さもなければ 農民 又はタクシー運転手に なることもよいです 普通の霊修行者に とってよいでしょう 社会 家族と自身に 役立てるなら それは十分よいです なぜ貴方は常に悟った マスターになることを 願っていますか 簡単な仕事ではない 神があなたを悟った マスターになれと指名 するなら泣くだろうと 以前話しました 生まれた時  更に大声で泣きます あなたが悲しい運命で あると知っているから その時からあなたの 楽しい三十八年間が 終わっています

あなたは本当に悟った マスターの苦しみが 分かっていません 彼らが笑って あなたと冗談を言って 彼ら自身又は他の人を 笑うのを見るだけで それが素晴らしい 仕事であると あなたは思います 彼らは素晴らしいと 感じるかもしれないが 彼らも非常に苦しみ 他の人の悪いカルマ (報い)を背負います 彼らは一切衆生より 苦しみます そういうわけで インドで人々は神が あなたを罰したいなら 神はあなたを マスターにさせると 言います  インドで本当にそう 言い それは真実です 私を信じないなら 彼らに尋ねに行っても いいです

今 私はますます 理解します 苦しみは時々うまく 言い表せないのです 私はそれを表す方法が ありません そして 誰にも分かりません 人が私の周りにいる時 私はより苦しみます それについて話すほど さらに苦しみますので 話さない方がいいです はい インドに飛んで 戻りましょう 釈迦は 仏陀に世々代々 入浴させ食べ物を 供養する天使について 語りました その後 彼は天使に 予言を授けました 「あなたは 百 阿僧祇劫年後 仏陀になります」 百 阿僧祇劫年と 言うのは彼の都合です 誰もこの時間を 数えることが できないからです

彼は阿僧祇劫年 数えきれない劫年の後 仏陀になると いう意味です 私は同じ事を言えます 「あなたは阿僧祇劫年 数えきれない劫年後 仏陀になる」と 確かに誰でも仏陀に なる日があります 一劫年でも既に かなり長い時間です まして阿僧祇劫年 しかも  百阿僧祇劫年とは 釈迦仏陀は 間違うことはないので  そう言うのは本当に 賢かったのです 「彼は浄身という 名の仏陀になります そして最高の世尊の ような十の肩書きを 与えられます

また 彼はそれから 無数の一切の 衆生を教化します」 仏陀の追随者と私は 阿難の意味ですが それを聞いて  非常に喜びました 一緒に言います 「仏陀が降臨し 衆生は真に利益を得る 少し供養しただけの この天人さえそんな 阿僧祇劫年もの 大きな功徳を 得られて 最後には 仏陀になれました これは本当に 考えられないです」 それが彼らが一緒に 言ったことでした そして釈迦牟尼仏は 「これを言うのは 非常に良いです 本当に正しいです」と 彼らを称賛しました

彼は続けて言いました 「仏陀が降臨する 唯一の目的は 衆生のためです 衆生を苦海から 救い出して すべて種類の 衆生のために なることです」と そして 彼は皆に 本当のダーマ(真の 教え)を説きました 講義の後 あるいは 印心かもしれませんが 多くの人々が異なった レベルに到達しました ある人は最高の真理を 探すと誓いました 皆は非常に幸せであり 崇敬をもって別れの 挨拶をしました」 おしまいです 物語はまだちょっと あります 次に暇な時 皆に教えますね 今 すぐに 「丹田」法門を 修行に行ってください 胃袋を満たしてから 帰って下さい 仏陀の食事を楽しめる ように願います 聖名を唱えることを 忘れないで下さい 急いでいるなら ステンレスカップを いっぱいにして よくふたをして 車で食べても良いです 聖名を 唱えると 車内にも 浄土になります あなたはただ幸福で 食べ物もよく 消化するでしょう ではまた会いましょう 愛をありがとう

皆とても幸せです 皆が笑っています

マスターはとても 美しいです

ありがとうございます

あなたはどんどん 美しく見えます

ありがとう さようなら バイバイ

ありがとうございます

今修行をすれば もっと賢くなり 知的になり 成長して

いけば知的である事に 慣れるでしょう 分かりますか(はい)

三〇才をすぎるまで 修行を待っていたら 遅過ぎます 自分の習慣を変える のが難しくなります 分かりますか(はい)

無知でいる習慣を 変えるのは 難しくなります 知的な習慣を 変えるのは難しくなり 無の習慣も 変えるのは難しいです

物語を聞きたいですか (はい) 物語をしばらく 話していないですね 先に物語か ゼリーが先ですか  先に物語です いいのですね はい 知りませんよ 本当に物語を 聞きたいですか はい 昼食は十分に 食べましたか はい 菜食には 慣れましたか はい 皆さんは常に 一緒に答えますね はい 慣れました これが良い話なのか 分かりません 一緒に読みましょう まだ読んでいませんが 短いですから ちょうど良いです

二、三個の 物語があります

一つは 「百個の頭のある 魚」です

あなたは瞑想をして 智慧をもって 成長するのです 成長を待ってから 瞑想を 始めないで下さい 遅すぎるからです 皆さんは中国語の ABC音声を 幼い時から 学んでいますね(はい)

それを 成長した後 例えば 今学ぶと 遅くなりませんか はい

今は 忙し過ぎて 学べません 他の事で 忙し過ぎたり 中国語音声を学ぶ 時間がありません

私は 言葉を 成長するまで 学びませんでした 中国人じゃないから 皆さんは 幼い年から 中国語音声を ABCから学んで 良いですね だから成長して 読み書きができます 同様に  霊修行を幼い時から 修行した方が最善で 智慧は成長する共に 共に広がるのです 時に  霊修行を成長してから 学ぶのは 遅すぎる事があります それは 無知になる ことの習慣を 変えるのは とても困難だからです では 百の頭と魚の 物語から 始めましょう それを聞いたことが あっても 阿難が 聞いた事にしましょう

釈迦牟尼仏は マガッダと言う 国に住んでいて 竹林に居ました 彼はそこに僧侶の 弟子と一緒に居て 時に彼は 竹林の中で 講義をします ある日 世尊敬が 誰が世界的に尊敬され ているか分かりますか 釈迦牟尼仏 それは 釈迦牟尼仏です なぜ彼は世界的に 尊敬されているか 分かりますか 私達は分かりません 世尊 と言うのは世界に 最も尊敬されていて 私達は自分たちの 尊敬をその人に 崇拝するのです ただ彼の名前を 釈迦牟尼仏と呼ぶ 代わりに 彼を 世尊と呼び 崇拝します 皆さんも両親を同じ ように扱いますね

彼らを尊敬している から 名前で チェンウェンチェンと 呼んだりしませんね お父さんと呼びますね 彼らを名前で 呼ばないのは 尊敬しているからです 同じ様な事です 一度  世尊は ある比丘 それは何ですか 男性の弟子や 僧のことです 「比丘」の 意味は男の僧です 女性の僧の弟子は 何と呼びますか 尼僧です 比丘尼です 重要ではありません それを知ってるかは 関係ありません 仏教に使われる 梵語があります それは中国人に 関連していません そのような言葉は 使われ 中国人も 仏教を学ぶのです これを皆さんに 言うのは聞かれた時に 皆さんも答えられる ようにです  はい

その日 世尊と 比丘は別の国 バイシャリと言う 国に行ってました 彼らは歩き疲れ 河の岸  名前は黎越で 休んでいました 五百人の遊牧民と 五百人の漁師が 川沿いにいました 漁師は三つの種類の 網を使ってました 小さい方の二百人で それを引いていました 大きい方の三百人は 大きい網が 必要でした 五百人はそれを引いて 釣りをしていました 五百人必要な位 網は大きくて 大きな魚を 捕まえることが できます

五百人で網を 引くのですから 沢山の人がいます 世尊と 比丘は彼らの 近くに座っていました しばらくして  五百人の漁師が 網を引くのを見て そこに人がいる事さえ 彼らは 動きませんでした 彼らは長い苦悩の後 網を引くのに 失敗しました 漁師はそこへ行き 五百人に尋ねました 不思議 なぜ彼らは 正確に数えているの いつも五百人なのです 彼らは引くのを 手伝ってくれる五百人 を探しに行きました 最後に 多くの努力をして 彼らは網を引っ張って 魚を揚げました 百の頭のある 巨大な魚でした

様々な動物の頭が ついてます 例えば 馬の頭 駱駝の頭 虎頭 狼の頭 豚の頭 ねずみの頭 獅子の頭 蛇の頭 巨大な象の頭 小さい象の頭 鹿の頭 羊の頭などなど 様々な動物の 頭があります 百もあります しかし 人間の頭がありません 動物の頭しか ありません ごめん  人間の頭がありません 皆集まってこの異常な 魚を見に来ました 仏陀も とても不思議でした しかし 仏陀だから 人込みに行くのは 厄介なので 阿難を調査に 送らせたのです 従って 阿難は 魚を見に行きました 百の動物の頭がついた 魚を見て当惑した 阿難は仏陀に 報告しました

仏陀は自分の好奇心に 耐えられなくて 僧団と一緒に 見に行きました 「君はカペレですか」 と仏陀は尋ねました 魚は「はい」と 魚さえ話せるのです けれども どの頭が 話したか解りません たぶん魚の 頭からでしょう 彼は質問に「はい」と 答えたのです 仏陀は再度尋ねました 「今生では あなたが魚ですが 来世はどうなるか 知っていますか」 魚は 「来世は間違いなく 無限地獄に 堕ちてしまうだろう」 阿難と他の人々は なぜそんなことが 魚に起こるかを 知りたくて 仏陀に尋ねました

世尊 この魚を「カペレ」と呼びます なぜですか 教えてください 仏陀が言いました 「よく聴いてください この魚の本来の 正体を教えてあげます 遠い昔 迦葉の時代 バラモンの ある人は息子を産んで 彼をカペレと 名付けました」 この子は皆さんの ようにとても知的で 観音法門を 修行しました 恐らくしてなかったが 非常に聡明な子でした 「彼は勉強で 一番だった 最も賢く 最も有名でした とはいえ 霊修行に 関してはあまり 知識がなかったです」 聡明だけでなく 霊修行にも励む 皆さんとは 違います 分りますか(はい)

たぶん彼には 霊修行と ダーマ(真の教え)の 概念がなかったのです 彼は単に世俗的な 知識に精通しただけで 非道徳的です その後 彼の父親が 臨終の際 彼を呼んで こう言いました 「気を付けるべきだ 他の誰かと議論しても よいが仏陀の修行者と 議論してはいけない なぜなら あなたは 間違いなく負けるから 彼らの偉大なる智慧に 勝てないから 彼らと議論しない ほうが良い 敗北なら 恥を かくのだ 解ったか」 彼は「これを頭に 入れて彼らと 議論しません」と 父親が死んでから 彼は勉強を 続けて 全省で非常に 有名になりました

彼は議論で 大変雄弁で 誰も彼に勝てません それで 彼は全省で 有名になりました しかしながら 彼は在世の仏陀の 弟子たちと議論する 勇気がなかったのです 彼の心配や 修行者と決して 議論しないことを 観察した母親は 彼に尋ねました 「お前は偉大な智慧と 知識を備えている 雄弁な人だよ この時代に他に誰か お前を打ち勝てるか」 息子は答えました 「仏陀の 弟子達は 私より優秀です」 彼の母親は尋ねました 「彼らはどこが お前より偉いの」 彼は答えました 「これら修行者は 私が知らないことを 明白に説明できますが 私が彼らの質問に 答えたり 言い返す  こともできません ですから 彼らに匹敵 するものではない」 彼の母親は 「それならなぜ 学びに行かないの」 「彼らから学ぶのは 僧侶でいなければ なりません 僧侶にならずに 私のような在家の人は どう学べるのですか 彼らは僧侶以外の人に 教えませんから」 昔では 彼らは観音法門と 智慧眼に関する 知識を決して外の人に 伝えませんでした

この法門を学ぶには 僧侶になることを 誓わねばなりません 自由に伝え なかったからです 今 私はこの法門を 自由にさせて子供さえ 気軽に学べるように なります 規則は大変 緩やかになります 昔の悟りの マスターは より厳しかったです 観音法門を学ぶのは 容易ではなかったです 何年も渡って試験を 通過せざるを得ません 仕事で苦労して 数多くのテストを 通過せざるを得ません 秘密の方法は あなたが僧侶に 値すると思われた 場合のみ伝えられます 秘密の方法が 誤って伝えられたり 無作為に伝わるのが 心配だからです

誰も簡単に信じられず その僧はこの世界の全てを放棄しました 僧は 親戚 友人 夫 妻を 持たなかったので 問題を 起こしませんでした 僧侶はマスターに カルマの障害物を 持ってこないのです

それが古代に 部外者や在家者でなく 僧侶のみに 教えられた 理由です その男性は言いました 「秘密を学ぶために 修道者になるのです どうやって修行者から 学べばいいのですか」 彼の母親は言いました 「しばらく僧侶の ふりをしなさい 学習が終わったら 母の元に戻りなさい 何か問題がある」 息子は同意して 言いました 「命令に従います」 彼はまさに子供でした まもなく彼は 頭を剃り 偽者の僧侶に なるために 托鉢椀を持ちました 彼は非常に 頭が良かったので そこに行った後 短時間で 全てを学びました ある日彼は 母に会いに行きました 母は彼に聞きました 「他の僧侶の 弟子達よりも 優れているの」 彼は答えました 「教えを学ぶのは 匹敵しているけれど 瞑想では 負けているよ」 彼はまだ瞑想に 慣れていないのですね 僧侶は毎日 長時間瞑想します 彼は偽者の初心者です どうやって長時間 座れたでしょうか 瞑想で他の僧に 負けました

母は息子に聞きました 「どうして競争 できないと分かるの」 息子は答えました 「瞑想は本当に難しい 具体的な勉強と違って 瞑想は 長期間の 訓練が必要なんだ 座っているのを 見ているだけでは 勉強にならないんだ」 たぶん彼はまだ 印心していませんね 彼は教えを 学べましたが 印心は受けていません 瞑想とサマディーは 自分の心の中で 深めて行きます 自分自身の中に 深く達せられないので 議論すると いつも負けます 印心を受けていない ので内面の智慧を 見つけられないのです 母は言いました 「今日からはいつも 議論に負けたときは 説教して侮辱すれば いいだけよ」

恐ろしい母親です 確実に地獄行きです 本当に恐ろしいです 彼は愚かではないので 言いました 「お母さん 僧院の 人達はとても 慈悲深く優しいよ 僕が叱らなければ いけないことを 彼らはしたかな」 母親は言いました 「彼らを叱ればお前は 負け犬にならないわ それどころか勝者よ」 カペルは少し間抜けで 子供すぎたので母親が 話した通りにしました 議論に負けるたびに このように叱り 侮辱しました

「お前は動物みたいに 愚かだし無知だ」 まるで馬の頭や 雌牛などの 頭みたいだと 侮辱したのです 彼は僧侶を動物の 頭に例えたのです 彼は他の僧侶を 馬や雌牛の頭だと言い 屈辱を与え 愚かで人間ではないと 暗に伝えたのです 暗に伝えたのです そのようにして彼は 僧院の人々に ひどい事をしたのです 話し終わってから 釈迦牟尼仏は 言いました 「阿難 カペラは悪意を持って 修道院の人々を 叱ったのだから 今度は彼が 報復を受ける番だ 百匹の動物の 頭がある魚になる」 どうして百匹の 頭がある魚なのか 阿難と僧侶は 仏陀の言葉を 恐れましたが

魚に大いに 同情も感じました そうであるから 一切の衆生は 行動 言語 思考に 気をつけなければ ならないのです この話を聞いた後 五百人の漁師と 五百人の牛飼いは 釈迦牟尼仏に ひれ伏し 出家して 修行者になる 了解を得るため 懇願しました この世のカルマの 結末がこんなにも ひどいと知ってからは 魚を捕まえたり 牛を飼うことは しなくなりました 仏陀は言いました 「もう比丘です」 すぐにあごひげと毛髪 全ての毛が突然消えて 衣類は僧衣に 変わりました 彼らは簡単に 僧侶になったのです 仏陀から学んだ後 彼らは阿羅漢に 達したのです はい これで物語は終わり

もう行きますね さようなら マスター 分かりました

私達の霊修行に 誠実になることは いかに重要なのか スプリームマスター テレビジョン 十二月二日木曜日 智慧の言葉で 預言者と聖人の賢明な 助言をご覧ください

本日の スプリームマスター テレビジョン 智慧の言葉で 誠実さに関する 預言者と聖人の賢明な 助言をご覧ください
次は この方に 印心を受けた後の 体験を話して いただきます 彼が言ったことは すべて心からのもので 真実で 愛であると 信じています

今夜はここでチンハイ マスターについて 語ることができ 大変光栄に存じます 最初に目についたのは 菜食レストランに おいてあった 無料で配布する サンプル本でした この世界で残念ながら 無料の物はほとんど ありませんのでこれは 大変誠意がこもって いるように感じました

私は 自分自身と神を 直接繋げる方法を 見つけることが どんなに重要であるか どんなに重要であるか このチャンネルを通し 開悟することが どんなに重要であるか 語り尽くせません

私を含め 殆どの人は 自分の力で これをするのは 不可能だと思います そこで私は案内者に 導いてもらう必要が あることを知りました その案内者は チンハイマスターです 有難うございました

皆様にお会いできて 本当に嬉しく思います でないと 何千年も 何百万年経っても 互いに知り合うことは ないと思います

神の光は永遠に 自身の内面にあります それを分かっていても いなくてもです

スプリームという 名前に困惑されるかと 思いますが これは 私のものではないです 大昔に 私は自分を 神に捧げているのです 従って私が話して いるのでも何かをして いるのでもありません チンハイは この肉体の名前であり スプリームマスターは 神の姓です 経典に 全ての人は 神の子であると 書いてありますから 皆さんも自分のことを スプリームマスター それにスミスやジョン チャーチルなどを加え 呼んでいいと思います 名前や肩書きは 重要ではありません どう思うかによります

謙虚さは 平凡な 肩書きからではなく 内面からくるものです 私達は皆神の子で 私達は神と一つである ことを知って 初めて 真の謙虚の始まりです 多くの人は自分の事を スプリームとは 呼んでいないものの 自分は最高だと思って いるのと同じです けれどもこれも 間違いではありません 皆の内面には 無上の力があります 神の名で 祈りを捧げる時 または宇宙の 無上のパワーを 代表する名前に 出会った時 それは私達が 来たところであり 私達の真も故郷であり 遺産であり 私達の本性である事を 思い出すべきです

皆は遅かれ早かれ これを知ります これを知れば知るほど もっと謙虚になります ですから イエスが 「私と天なる父は一つ」 とか「天なる父が 私を通してやった」と 言った時にエゴが 感じられないのです 傲慢や尊大だとは 感じられないのです そうですね それを感じますか まったく感じません しかし 一般の人が または私達の友人 または時々 親戚が 何かを言う時 自分は偉大だなどと 言わないものの 私達は 彼の傲慢さを 強烈に感じます 従って名前のことは 重要ではありません インドでは 生まれたばかりの 子供に神聖で偉大な 名前をつける 風習があります

例えば「雷神」など 神に ちなんだ 名前です たとえ低いカーストの 家庭であっても 霊修行の背景のない 人でも または壊律を 持つ人でもそうです インドでは 親は自分や 自分の子供が 体と世俗の名前よりも 崇高なものを求めて 欲しいと願うのです これもいいことです ユダヤ人も 似たような伝統が あると思います ミスター神の愛 といった名前です とてもいい伝統です 聞くからに とても神聖な名前も 結構ですが もっといいのは 自分の神性を 知ることです

私達はよく 神の王国は 私達の内面にあるとか 私達は 神の神殿であるとか 神は私達の内面に 宿ると聞きます 私達は 神は一体 どこにいるのか なぜ 神を知らないのかと 思う事がありませんか 私達は彼とか彼女を 神は女性だと 思うのであれば 知ることができます 私達は 誠心誠意の祈りと とても深い 無我夢中の祈りを 通して内面の最高の 本性と繋げられますが 最も早い方法は すでに内面の 最高の本性を 見つけた人のもとで 見つけた人のもとで 学ぶことです 神に近づく方法は 色々ありますが 早くて安全な 方法もあれば 遅い方法もあります

長い間苦行し 何も食べず 祈りを捧げ 沈黙の中で 得た境界は 方法さえ分かれば 私達は一秒で 正しく直接的な やり方で それを得ることが できます またはこの面で経験の ある人の力を通して 得ることができます 彼らは私達を引き上げ 助けてくれます すると早くできます 同時にその人は この天国に通じる 道のりで私達の安全を 確保してくれます 神は決して不自然な ことではありません 神は愛だとしたら これは事実です 神と直接 繋がってこそ 初めて神は愛だと 言えるのです 私達は神の愛を感じ 知り 見ることが出来ます 日々の生活の中で 希望が叶ったことや 日増しに大きくなる 智慧からです

さっきの私達の仲間は 私とは以前からの 知り合いではないです 私は一度も直接彼に 個人的にどう考える べきかとか 自分を どう表現すべきかなど 指導していませんが 彼は修行に励み 本当に真理を知りたい と渇望したので 進歩が早いのです 彼は昨日初めて 私に会いました 無論私達は 常に直接 意志相通しています ここでいう 「直接意思疎通」とは 決して 私が香港や フォルモサ(台湾)で ボタンを押して 相手の考え方を 操るようなことでは ありません

それは内面の 最高の本性 スプリームパワーと 繋げることでこれを 神の王国とも言います そのように これと繋がると 徐々に修行は進歩し 自分もスプリーム マスターになります これは皆の権利であり 私達がこの世界に 来た目的でもあります 何故なら私達はすでに 進化の段階の 頂点にまで上っていて 万物の頂点に 達しているからです これを知らないと 私達はもう一度 学び直さねば なりません これを「輪廻」または 「生まれ変わる」と 言います 私達が止まって しばらく考えた場合 どんな宗教も 人間は 最も崇高で 万物の最高の 存在であると 言明していることが 分かります

ではどこが崇高で なぜ崇高な地位に 値するのでしょうか 生まれながらにして 動物とは 違うからでしょうか それとも飛行機が 作れるからでしょうか または子供を育てる 能力があり 働く能力があるから でしょうか 何がゆえに私達は 他の衆生の上に 立つのでしょうか それは内面の無上の パワーのためです 私達はとにかく 随時天国から天国へ 行き来し 天国から 地獄へ 地獄から 地球に来て 地球から 天国に戻る権利と力を 持っているからです これは私達の権利で 特権でもあり 私達は 来世の生まれ地を 選択し毎日何をするか 死後どこに行くか 選択できるのです

この無上の性質が 私達と他の 衆生との違いです ただしその使い方を 知らねばなりません 私はこの使い方を 身につけました そして世界各地にいる 私達の修行仲間も この性質の使い方を 身につけています 私達は聖書や 仏教 ヒンズー教の 経典で何を言って いるか理解できます 経典を読んで暗誦して 理解するのではなく 体験で理解します この方法を喜んで 皆様に提供します どんな条件も 費用も義務も 要りません 皆もこれで利益を 受けられるからです

これを知ることが この世界に来た 目的であり 人間に生まれた 理由であります またこれこそが 私達が他の地球上の 衆生と異なり 他の惑星の衆生とも 異なる理由です 科学研究によって 他の惑星にも生命が 存在していることが 明らかにされ 証明されていますが 確定できていません しかし私達が この無上のパワーを 使うと宇宙を 自由自在に行き来し 探索することが できます

多くの人はヨガや 瞑想といったことは とても難しいと 思っていて 一人で寺院や教会や ヒマラヤのような所に 隠遁するものと 思っています それを望むのであれば 一定期間は そうできますが 皆がこれを必要とする わけではなく 修行の 必須条件でもないです 皆がヒマラヤに 行ったらこの世界は どうしますか それにヒマラヤは 決して無限大ではなく オーストラリアの人が 皆そこに行ったら 交通渋滞になり 人口過剰問題が 起こるでしょう ですからこの美しく かつ他の国々の人々が 羨むような国に 留まっていた方が いいのです

言うのを忘れました ここの環境はとても 美しいです 皆さんはすでに知って いるかも知れません 美しいビーチと 素敵な森林が あります 昨日少しばかり 見て回りましたが ここに住みたく なりました 神が私に皆さんと 同様ここに住むことを 許すとしたらです 貴国は どこも美しいです ここだけでなく とても美しいです ここは理想的です 窓越しには山と 海が見えます ストレスを 解消できそうな感じで いつでも海に 入れます

前はそう思いましたが しかし今は どんな事が起こっても 内面に 即ち 神の王国に逃げるのが 永遠に安全です 多くの人は私に 「あなたは 西暦二〇〇〇年に 世界の最後の審判が あると予言している ことを知っていますか あなたはどうしますか これについて どう思いますか」と 私は「何もしないし 何も考えない 私達が死ぬ時が 世界の終末で 遅かれ早かれそうなる から」と答えました 従って必ず永遠の神の 王国を見つける事です

約十年前 私が香港にいた時 寺で瞑想していました ちょうど 香港に寄ることになり ある友人の関係で そのお寺に泊りました 私はそこに座って 聖書に書いてある事を 考えました つまりいつか世界は 終末になる話です 私はとても悲しくなり 神に愚痴を溢しました 「あなたにはそうする 権利がないです 人々を苦しませる 権利がないのです 世界を壊滅すると したら それも 結構ですが 一秒で やって下さい」と 聖書の最後の審判には 多くの苦しい状況と 長引く死が書いてあり 恐ろしいものです

「あなたは神です そんな事はできません なぜそうしますか あなたは人々に もっと尊い事があって それを追い求めるべき だと教えるべきです 彼らに自分を変える 機会を与えて下さい あせらずに 彼らに時間と チャンスを与えて 過ちを直し やり直す ようにして下さい あなたがこの世界の 人々の行為が 不適切と思うなら 彼らを教えるべきです 何かの方法で彼らを 教え導き 世界を良く すべきです」と言い その時 私は幾らか 感情的になっていて 神と議論したのです 神は「ではあなたが やりなさい」と言い 多くの問題を 私に投げました 私は冗談だと 思いました

当時 私には弟子もなく また自分がある日 マスターになるなんて マスターになるなんて 考えたことも なかったからです 神は私に「いいだろう あなたがやりなさい やってみることだ」と そう言うのでした そしてビジョンが消え 全てが元通りに なりました 大分前のことです 今日皆様に 言いたいのは 世界終末が 心配だとしたら 行動して下さい 人を改善し 自分をも改善し 世界を改善して 皆に神こそ私達の 最も大事な財産である ことを知らせるのです 神 即ち 私達の内面の 無上の智慧を 見つけねばなりません それで自分を幸せにし 周りの人々を言葉で 沈黙の中で形で 又は目に見えない形で 祝福するのです

簡単です 多くの 六歳くらいの子供の 修行仲間でも毎日 二十分か三十分ぐらい 瞑想しています まだ子供なので長く 座っていられません 中には長く座る 子供もいます 時々知らず知らず

禅定に入り 数時間も 座ることもあります 完全に無我になり 神と意思疎通し 周りに対し知覚を 保ちながら 内面の天国の喜びを 味わうのです 子供達は 天国を見て 直接 イエスや仏陀など 自分と縁のある聖人と コミュニケーションを とることができます 又は過去 現在 未来のマスターとも 接することができます 六歳 十二歳の子供でも できます 達もきっとできます 私のような小柄な 人でもできました 皆さんもきっと成功 できると確信します

体の大きさからすると 皆さんは私より二倍の 強さで もっと成功 するはずです しかも 早いかもしれません ここに座って 自分が 皆より優れていると 言うつもりはなく 皆さんこそ 最も素晴らしく 偉大である と言いたいのです 自分の偉大さを 見つけたいとしたら とても簡単です 時間もかかりません 印心の時 ただ静かに座って 私の助けを 受け入れるだけで 即座に 開悟した体験を 味わうことが できます 二、三日前 シドニーで 五十代の それ程年取っていない 男性がいて 印心の場に 座っていました 皆がとても静かに していました 彼はそこに座って突然 大声で泣き出すのです 抑えられません 彼は服で涙と鼻水を 拭きながら 少しも恥ずかしいとは 思っていない様子です 私は彼に ティッシュと ちり紙を渡しました 印心が 終わってから 私は彼に なぜあんな大声を 出すのかと聞くと 彼は 「信じられません

不可思議です」と言い 彼が見て 感じたことを 何とか表現しようと するのでした 印心の時に 三十分も続いた 至福の喜びをです 印心の過程で 彼は ずっと泣いていました

彼は 即座に開悟を得て 天国を見たのです 至福に満ちて 子供のように 泣いていました

彼はこんなに泣いた ことは一度もない 多くの人が 印心の時 または 後からの瞑想の時 こうなります

こんなにたやすく 幸せになるなんて 信じられないのです 一生懸命瞑想したり 動作をしながら 祈りをしても いつかは効果が 現れます でもこんなにも容易く 天国からの奇妙な 恩寵を 一秒で得る ことができたのです 唯一の条件は 霊性のために 肉体を手放すこと 永遠の生を知るために 死をいとわない事です 唯一の条件として 本当に神を知り 自分の最高のパワーを 知りたいと願う事です 印心の日から 私達の修行の始まりで 私達はどんどん 進化し 神と一つになるまで 進化し続けます そして私達も「私と 天なる父は一つだ」と 言えるようになります

どんなマスターでも この世界に来た 目的は 人々に 崇拝されるためでは ありません 弟子達は 修行の初段階では マスターを崇拝する かも知れません というのはマスターを 恩人だと思うからです しかし私は常に 弟子達にあなたの身に 起きた全ての奇跡と 叶った全ての願い事 そして才能が 発展したこと 瞑想で得た智慧などは いずれも自身の内面の 偉大な力の作用により それは自身の偉大な 力が目覚めた事であり マスターと何の関係も ないと教えています マスターが導いたから 関係があるかも しれません

時々あなたが どの方向に向かうか 分からない時 つまずいた時 障害にぶつかった時 マスターが 引き上げてくれます それだけのことで 全てはあなたが 自分でやったことです 皆さんが最も偉大な マスターなのです だからイエスは 私に出来た事は あなたはもっとよく できると約束しました 違いますか 約束しましたね なぜ忘れたのですか なぜいつも 自分でも 分かっていないものに 祈るのですか なぜ先ず知ってから 祈らないのですか 私はすでの天国と 直接連結する 最も古くからの 方法を見つけました これは私が発明した ものではありません 神と連結する直通の ホットラインはずっと この世界にあるもので  違う所にあったのです

昨日私達の 修行仲間の一人が 私に 「マスター あなたが 見つけてきた 修行法門は実に 素晴らしいです 大変役に 立っています それをどう表現したら いいか分かりませんが

素晴しいと分かります なぜ一つの組織を 作って この法脈を伝えていき 多くの人が 利益を得られるように しないのですか」と 言うのでした 彼は大変熱心に 身振り手振りで 語っていました 是非これをすべきだ 私達はすべきだと 私は言いました いえ そうする必要はない そうしなくていい 何であれ 神が全てを手配する もし 私と 同じような 修行体験を 持っていて 修行の道のりで 他の魂を率いて 神の王国に連れて行く 人が見つかれば それは大いに結構です

この法門を引き続き 広めていいですが  でないと無意味と言い 法門ではなく 大事なのは   案内人です でないと いい車が あって運転手がいない のと同じです 車は 運転手が必要です ある人は私に なぜこの法門はずっと 途絶えたままなのかと 質問しました 例えば ある人は イエスと 釈迦がこの法門を 教えたとすると なぜキリスト教は これを見つけられ なかったのかと 私に聞きました 私は これは 河の流れと同じで 時には地下に 消えていき 後から別の所で 現れるからだと 答えました 途絶えたのではなく 神から来た法脈は ずっと存在するのです

ただ時々場所を変えて 現れるのです 私がマスターだとして 私が 私と同じように 私の後を継いで 引き続き 他の魂を率いて 天国に戻ることが できる弟子が 見つからなかった場合 この法脈は私の所で 途絶え 終ります 多分人々は数百年間は 私が残したパワーの 利益を得るかも 知れませんが 法脈は 途絶えたままです もしかして 人々は チンハイ教団を設立し 私のための教会を 建てたり 私の銅像を 作って 崇拝するかも しれません この法脈は これで途絶えて 再び偶像を拝み 内面の力との 繋がりはない宗教が 現れるかも知れません どうしようもないです 私はもういないので 止められません

私が止めようとしても 容易ではありません ご存知のように人間の 意志はとても強いです それで今 仮に 私達の法脈が消えて 途絶えたとします 百年または 五十年後 私のとても若い 弟子達が 引き続き修行して 五十年後 六十年後に 悟りを得たとします 例えば六歳から修行し 六十歳の時に 仏陀のレベルに 達したとします すると私がいなくても 彼はマスターになれ 私がそばで 指導しなくても 私と内面で繋がって いるので 彼は突然別の場所で マスターになります 人々はまた ああ また新興宗教だ 新しい法脈だと 言うでしょう そうとも限りません 現在は多くの メディアと テレビなどがあって とても便利です それらを通して誰が どこに行ったか 何を しているか分かります しかし昔は 弟子達が色んな国に 散らばっていると 連絡をとることは 大変困難でした

そこでどの若い弟子が 悟りを得て マスターに なったか 把握しにくいのです そうしたら 別のチンハイ教団の 信者達は 仮にチンハイ教団が あるとします その人を見知らぬ人 扱いします 信者は弟子を 意味しません 「信者」とは在世の マスターを信じ 神の愛を代表する人達 彼らの親戚友人も 利益を得る人達です しかしマスターには なれません というのはマスターの パワーと直接繋がって いないからです 他の方法でマスターを 知っただけです ですから 印心は 私達の偉大な財産を 思い起こしてくれます そして私達は毎日 それを使えるのです

在世の または 過去のマスターに 頼る必要もありません これが私達の 修行法門の 唯一の目的で 他に目的はありません

私達はこの世界で 多くの苦しみを味わい 多くの失敗を 経験して 時には神が加護して くれないと言って 責めることもあります しかし責めるべき人は 私達自身です 太古から神が私達に 与えてくれたパワーを 使わなかったのです 使わなかったのです これを使わなかった ために 私達は依然 ここに留まっていて これを使わないから 苦しみ 周りが苦しんでいる のを見るのです これを使わないから 私達は互いに 戦争するのです このパワーを使って 初めて 恒久の平和が もたらされます この世界で 一部の人達がこの パワーを使っている だけで大分いいです 地球を高揚する 効果があります

でないと 世界は 地獄になります 地獄は光が 透き通らない所です そこの人々は 完全に天国を 忘れていて 自分の宇宙に おける無上の地位を 忘れて 自身の意識の幻想に よって言い表せない 苦痛を味わっています 彼らは自分には罪が あると思い 自分で 自分を懲罰しています 開悟した人は 罪について異なった 見方を持っています 彼らの目には全てが 神の手配による ドラマに映ります そしてそれに合わせて 演じています たとえ他の人と 同じように苦しまねば ならないとしても 彼らは精神力が 強いため あまり 影響を受けません

ですから イエスは 極度の苦しみの中でも 沈着でいられました 依然一心不乱に 内面に集中し 自分のためでなく 他者のために祈り 天なる父に 彼らは 自分が何をしているか 分かっていないので 許してあげて下さいと 祈り 十字架に 磔る人が神を知るよう 許し 加護して あげるよう祈りました これが偉大なイエスで どんな状況でも常に 泰然としているのです 私達の内面にも同じ 性質があります この性質が 聖人と凡夫との 違いです この性質がゆえに 昔から私達は聖人を 崇拝するのです

しかし 自分が 彼らのような 聖人になる方が より良いです すると本当の意味で 彼らを崇拝し 彼らの偉大さが 本当に分かるのです でないと 頭と文字だけで 分かっていて 実際は分かっていなく 理解していません またこの偉大な 性質をもって 自分や 親戚 友人 世界に 利益をもたらすことも できません ぜひ自分の偉大な 性質を思い起こす 努力をして頂きたい それは人は死ぬために 生まれたわけでもなく 仕事のプレッシャーに 耐え子供を生み育てる 為だけに生きている わけでもないからです

天なる父の  偉大さを知り 私達内面の無上の パワーでこの世界を 加護するために 生まれたのです ただ数十年生きて それから死んでいく ためではありません

これは人の人生を 神の創造力を 台無しにし 私達の内面に 潜んでいる英雄の夢を 台無しにすることです 夢は 実現しなければならず やりたいことは やり 遂げねばなりません まだやっていなければ 今自分の無上の智慧を もって実現するのです 習慣や考え方で あれこれするのでは ありません 人間の知性と 人間のシステムで 学んだものは 人間のレベルにしか 通用しません それを超えようとする 場合は 人間のレベルを超越 した事を学ぶべきで これは本々持ってます 肉体は ただの道具であり ただの事務室であり 真我ではありません

でないと 人が死んだ時 どうして食べることも 話すことも 考えることも できないのでしょう 頭脳が そのままあっても 心臓がそのままでも 鼓動しません 何が体の機能を 動かすのでしょうか それは無上の力です 私達はこの力の 運用が余りにも 遅くなったために 繰り返し生老病死の 苦しみに耐え 最初から学び直す わけです 再び戻って学びたいと 思う人は それでよく もう戻りたくなくて 今 最初から 学びたい人は どうぞ私達の誠意ある 愛のこもった要請を 受け入れて下さい 全て無料で無条件です

学ぶ前も後も学ぶ過程 でも 死んだ後も すべて無料です マスターのパワーは 本当にあなたを 天国にまで 導いてくれます 世界の終末が 来たとしても 決して見放しません ですから自分で 決めてください では残りの時間を 質疑応答に回します ご清聴 有難うございました

 
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