会場のみなさま スプリームマスター チンハイの 開悟した智慧を 体験する時間です
ありがとうございます マスターと仰いますが 皆さんがマスターです 皆さんは 忘れているだけです 私達が一つになる時 私達が 宇宙の統一性を 思い出す時 私達も含めて 神と一つだと 遍在の知性と 一つだと思い出します これを忘れて しまった時 私達は全てを 忘れてしまうのです そして 他の方法で 思い出そうとします 例えば祈りや経典 ヨガや瞑想のような ものを通してです これらは良いものです 私達にとって良いです ある日 私達は 皆がマスターだと 本当に思い出します この部屋にも 他のどんな所にも マスターでない人は 存在しません 私達は遍在している マスターと 離れ離れには なれないからです 私達は その遍在の中で 一つなのです それが私達を創る 唯一のものです 私達の存在を 創り上げているのは 神の本質 最も 偉大なものだけです 私達は宇宙の 最も偉大な存在を 真理 智慧 神 女神 仏陀と好きな ように呼んでいます
それは 私達と一つであり 私達皆と一つです ですから 死の時には いわゆる私達自身 肉体は ただ 地面かどこかに 横たわっているだけで 動きません なぜなら 全ての動きや 活動の本質が この時 肉体という 道具を去る選択を したからです たぶん 他の道具を 探すためかもしれない 私達が 神と呼び 事実 私達と 一体である この偉大な存在の 無限さ 広大さを 体験するために いったん 再び この遍在する 知性と愛との 一体性を 見出せば これを開悟と呼び これを神の認識 自己認識 悟りの境地への 到達と呼びます 様々な国において 別の語で知性 智慧 最も偉大な愛と 名付けていますが それは人々が 異なる言語を 話しているからです たった一つだけ 存在します 同一性は 私達自身も含み 全てを取り囲み 私達が努力しても 決して 同一性と離れ離れに なりません この同一性から 離れてしまったと 感じる唯一の理由は 一体性を忘れることを 選んだからです ゆえに私達は偉大さを 再体験できます 完全忘却を通して 私達自身を 再生できるのです 天国の至福や 神との一体性を 再び思い出せます それは私達自身 最も偉大な本性です
例えば 多くの人がいつも 私に尋ねます 死んだら どうなりますかと 私はいつも答えます 死んでないので 分りませんと でも私達は最も深い 祈りや黙想の最中に 死の感覚を 体験できます 最も深い祈りの中に ある時 私達を含め 周囲のものを すっかり忘れて しまうでしょう 全ての悩み事が 離れてしまうのです これがインドの ヨガ行者が言う サマディです この瞬間 私達は神と一体感を 体験します ちょうど死んだ時と 同じようなものです それで聖書では こう述べているのです 死ぬ事を学べば 生き始めるだろうと また ある聖者は 私は日々死ぬと 魂のために肉体を 捨てる者は皆 神を 見出すであろう等 どう肉体を忘れ 捨てるのでしょう 毎日 生活や 生きていく上で 多くの問題があります 私達の周りで見る どんな些細な事でも 暮らしの中で出会う どんな事でも 私達に常に 私達は肉体を持った 衆生であり 単なる肉体で 弱く脆弱な人間だと 運命の前で無力だと 喚起しようとします
では どうすれば 忘れられるでしょう できます 修行すれば 方法が分ればできます 非常に簡単です 私達みなが行えます 六歳の子供たちから それより幼い 五歳の子もいます 既に神との一体感を 体験しています 肉体を捨て 魂と一つになったり 生存中に天国を 訪れるというような 珍しい感覚を 体験しています ちょうど私が皆さんの 美しい国を訪問しに アフリカに来て 明日 明後日と 他の国に戻って 行くようなものです 私の家がある所に 戻るようなものです それほど簡単な事です 私達は天国を訪問し 地球に戻って来ます 肉体ではなく 私達の存在の 本質によってです それを魂や霊と呼び それはいつも 神と一体なのです 肉体は単に 焦点のようなもので 肉体的な体験を 集めるために 魂が体験したい事を 集めるために 魂は全意識をそこに 向けられるのです そして一時的に彼は 魂が彼なのか彼女か いずれにせよ 言わねばなりません
この物質的存在内で 何か体験したいと 望むと 魂や偉大な 神の存在の一部は ある場所に焦点を 定めねばなりません しっかりと定めるため 魂は神と一体なことを 完全に忘れられます その瞬間 私達は生れます 物質的世界に生まれ 肉体を得た というのです そして 魂や神意識の一部で ありながら なお肉体の焦点に 集中するのです 魂が集中しようと 選んだ肉体にです 私達はそれを彼や 彼女と呼びます 人間や某という風に 呼ぶのです 実際 魂の一部は 私達は個々の魂と 呼びますが 決して全神意識から 離れません ですから 決して 生れることも 死ぬ事もないのです しかし 私達は 神について また私達の全統一性を 完全に忘れることを 選んで 肉体的存在に焦点を 当てているだけです そうすると 遍在する神を 決して体験できません しかし 目覚め 思い出すことを選べば できるのです しばらく自身の 注意力を捨てられ 肉体的存在には 焦点を当てません 統一性に焦点を 向け直すのです
すると神を見出せます 私達は神から 離れたことなどなく 神と一体であると ずっと 決して神と 離れないと認識します それは宇宙における 秘密なのです 私達自身の 意識以上の何ものでも ありません それが常に選択 させているのです 私達は人間になる ことを選択し 肉体に焦点を 当てているので 人間を体験します あらゆる悲しみや 苦しみ 幸福 肉体でする冒険 快楽 苦痛をです 肉体的な体験を 十分したと感じた時 十分したと感じた時 私達は何か違った 体験をしたいと思い そのため 別の選択をします 天神になるのを 選ぶかもしれませんし ひょっとすると 花になる体験を 選ぶかもしれません それも可能です そうやって 生れるのです 輪廻転生の論理です 異レベルの存在へと 霊魂が 輪廻する論理です しかし 実際 私達は 決して どこかへ 行ってしまう 訳ではありません 永遠に宇宙の生命力 内で漂っているだけで 神レベル内に永遠に 存在しているだけで その中で永遠の己の 快楽や楽しみのために 違った焦点を 体験しているだけ しかし 私達が肉体でいる間 自分の智慧を 忘れてしまっている ことがあります
それゆえ ここに やって来る前にした 自分の選択を 忘れてしまうのです その選択が ある痛みや苦しみへ 導くことがあります そしてとても沢山 不平を言います 私は苦しみが 嫌いですから 肉体は苦しみが 嫌いですし 頭脳は ストレスが嫌いです しかし 魂が体験したいのです 魂がストレスを 体験したいのです それで 魂は 再び神意識の 自由に感謝できます 魂が苦しみを 選択したいのです 再び永遠の至福に 入った時に 千倍もの喜びを 感じられるからです そういう理由で 私達はここにいます もっと神を知るように 私達自身を知るように 古代の国王のように 時々 王は 普通の人に 変装して 本当の国民の姿を 理解するために 人々の中に紛れ込む ことがあります そして帰って来た時 自分の地位に より感謝するのです 快適な宮殿や 仕える召使い全員や 持っている全権力に 対してです 一般人に 変装している時は あらゆる困難を克服 しなければならず 全ての一般的な事を 各々が彼の課題で あるようにです 彼は 自分が国王で あると明かせません 実際 身分を 隠さねば ならないのです
そうすることで 本当に国民と 交われて 彼らの日常生活を 体験できます 同様に 私達は 神と一体でした その時 意識の上でですが 私達は決して神から 離れていません しかし今 意識的に 覚えていません それで 肉体的生活で 十分苦しみ 世俗的体験を 十分すると 私達は飽き飽きして ここには 楽しむものが 何もないと感じ どこから来たのか 神の創造した 広大なる宇宙に 他に何があるのか 知りたくなるのです 体験したくなります これがその時です この質問をした時 どういう事なのかと 思った時 これが 悟りを 体験する時です 私達にはその準備が 出来ています ですから 今回 人間になるために 別の人間になるために 皆 やって来ました 時々 私達は 一つの焦点や 一人の人間の存在に 焦点を当て 肉体的快楽や 肉体的冒険が 十分でないと 感じると 再び 別の人間の 存在へと 焦点を当てます そうして飽きるまで 更に続けて行きます ですから
実際 準備が出来た人は 神の光や 神との一体 開悟が 体験できるのです このように とても簡単です 選択だけです 皆さんは忘れるのを 選んで来て今 思い出すのを選びます 皆が再び思い出す 選択をしようと するなら もちろん 皆に仕えるため 私はここにいます 神はそうする許可を 私に与え 命令したからです たぶんある日 皆さんが 自身のことを 全て思い出したら 神はまた同じように 言うでしょう 息子よ 行きなさい 娘よ 行きなさい 私の子供達のために 自身のために 奉仕しなさいと 私達は決して神と 離れないからです 覚えていて下さい 覚えて いないにしても 私を信じて下さい 神意識の内以外に 私達に行く所は どこにもありません たった今 神の家以外に どこにもないのです この宇宙の至る所で 神は全衆生を 取り囲んでいます 全ての花 太陽 月 星 惑星 銀河は 全て 皆 神の内にあるのです 神から免れるものは 何もありません ですから たとえ 悟らなくても 大丈夫です 実際 行けるような 地獄はありません 意識ある魂にとって 地獄のようなものは 存在しません 永遠の過程において 一時的 通りすがりの 体験として 魂が 通らねばならず 成長するために 再び幸福を 理解するために 魂が いわゆる 苦しみの体験を 選択したからです
全ての魂が 神の小さな部分でも 神の別の面を 体験するために 別の道を歩く 選択をします 全人類 全衆生の あらゆる体験は 神の全体性の中で 創られています イエスは言いました 隣人を愛せ 敵を愛せとまで言いました 皆が私達だからです その役割を演じる事を 選んだに過ぎません 敵は存在しません 私達自身です 神の 別の焦点に過ぎません 人生をより豊富に 多様に より違ったものに より多彩にするため 私達を違う皮膚の色に 創ったのと同じです それで 互いに 楽しめるのです 私が黄色いコーン フレークのようで 皆はチョコレートの ように見えます 彼は砂糖衣のように 見えます クリスマスの砂糖衣
神は多彩ですから あらゆる花々を 様々な色に したのと同じです 果物もそうです 同じ土から 私達は沢山の違う 果物や 花々を手に入れます それは皆 違った 色をしています アフリカの人々は 常に多彩な服を着る 選択をしてきました 内面で非常に 神に近いと感じて いるからだ思います 彼らは大変幸福です
ですから神や私達の 本性を見出すことに 何ら神秘的だったり 難しいことは ありません というのは 私達は 神以外の本質だった ことはないからです 神と一体であり 神の子であり 神の子孫 神の閃光 神の一部です 海の中の 魚と同じです 魚は海で生まれ 海で暮らします そして 死んで再び 海と一つになります
そういうことです 私達は決してどこにも 行きません 私が見出した朗報を ただお知らせ したいのです 行くべき 地獄などないと 永遠の闇や苦悩中で 責められることはない と知らせたいのです 永遠の苦しみなどは ありません 存在するのは唯一 永遠の愛だけだから 今の問題は私達の 考え方を変えねば ならないだけです 変えねばなりません 余りにも罪悪感が多く 全ての事で 恐怖と戦います 成功を収めても 罪悪感を持ちます 人々は 私達が 金持ちになっても 罪悪感を覚えさせます 神が少し金持ちに してくれ 仕事で 成功させてくれても 人々は私達に 罪悪感を覚えさせます 奥さんが美しければ 人々は皆さんに 嫌な思いをさせる ことがあるでしょう 彼らは近づいて来て 尋ね どうやって この美しい女性と 知り合ったんだいと または彼女に尋ねて あいつのどこを 見たんだい ヤツはとても醜いしと そんな事を言います それは全く彼らの 問題ではないのに 嫌な思いをさせます 大金持ちでも 罪の意識を 感じさせます 政治的に 仕事上で 成功を収めても 罪悪感を持たせます
それで世界中の人が 多くの事に罪悪感を 覚えているのです そのように教わって きているからです この教理は全く 間違っています イエスもモーセも 私達を自由にするため 来る必要があり 自己犠牲だけでなく 神とは全愛だという 教えにより 私達を 自由にするためにです 叩けよ されば開かれん 求めよ されば与えられんと どこを叩くのですか
私達はもう叩くこと さえ出来ません 弱すぎるのです 私達は 執念深い 神の罪と恐れを 背負っているのです そのような執念深い 神など存在しません 神が執念深いなら 神は私達や皆さんや 私のようです 戦争の神です お前は私に何か 良い事をせねばならぬ これは神ではないです そんな神を 想像できますか そんな心の小さな 狭い人間を 崇拝する 必要はありません 神が一人の人間で そんな神がいたら 神を崇拝することで 思い煩うべきは ありません それなら 単に権力の乱用者と 同じですから この惑星ででも それを考えて下さい 皆さんには 子供達がいて 妻や夫がいます 時に 妻が 間違いを犯したり 夫が少し 道を逸れたりしても それでも 彼を許し 彼を抱き締めます OK 許します 二度としないでねと 子供が沢山の迷惑を 掛けることがあり 頑固だったり 言うことを 聞かなかったりして 頭痛の種となります
それでも許し 彼らを愛します 親は出来る限りの 最高の愛を与えます お金や全ての事を 犠牲にして それなら 神 全宇宙における 最も偉大な父母なら どうして執念深く いられるでしょうか 皆さんを地獄へと 追い込めますか 単に皆さんが人間で より良いものは分らず 時に 間違いを 犯すからといって この種の恐れは 世々代々と 私達に押しつけ られて来たのです ですから 私達は今 自分自身が弱すぎて 祈りに応える神の 存在さえ 信じられ ないと思っています それで 祈る時は 心の底から 祈りません 私達の祈りが 聞き届けられると 確信が持てません しかし聖書にあります 叩けよ されば 開かれん 求めよ されば与えられん そういうものです
神とは 本当に そういうものです 何をするかに関係なく 神は常に 祈りに応えています ただ聴く事が必要です 私は神の声を聴く 方法を教えます これは自分の考え方を 変えねばならず 今日から神は許しと 愛に満ちた存在だと 信じねばなりません 神が許しや愛に 満ちてると信じられ なくても イエスが 皆のために犠牲に なった事は信じます それで 私は彼が 言った事は真実だと 示そうとしています 神が本当に存在すると 示そうとして― 神なる父 神なる母 仏陀 誰であれ 皆が信じている存在 アラーもそうです 皆さんが全ての愛 全ての美 全ての 信心を込めて神の名で 呼ぶ誰であろうと それは神です 常に愛に満ち 決して一瞬も皆を 非難することは ありません 常に神の方を向けば 皆さんが人生で どれほどひどい事を したかに関係なく 彼はドアをすぐさま 開きます ですから 私達は この方法を即刻開悟 と呼んでいるのです 即座に起こるからです
そして 今生で 得られる唯一の ものは神であり 神はどこにでも 存在すると 皆が 完全に思い出すまで 繰り返し 修行できれば 皆さんは幸せになり 神の光を 見た最初の日から 幸せになるでしょう 既に初日からです 今日からかも この奉仕に応じるほど 私を信頼すれば すぐに手に入れます 何の問題もなく 何であれ聖書に 述べられている事は 一〇〇%真実であると 分るでしょう モーセが神を見た事 イエスが 神と一体だった事 それで 彼は・・・ 彼は常に 神の子でしたが 唯一の神の子では ありません 私達もまた 神の子なのです 神は不能ではなく 一人の子しか作ら なかったのではなく 彼は沢山の子を作り ただイエスは 神と結びついている 最高の自己を 覚えていたに 過ぎないのです 彼が全ての事を 覚えていて 私達が覚えていない それだけです 王に二人の息子が いました 一人は国をあちこち ほっつき歩いていて 自分が王子なのを 忘れてしまいました もう一人は 父親といて 自分が王子であると 覚えています 両方とも・・王子です 何の違いもないです ある日思い出せば 彼は戻って来ます 同じことです
そう ですから 私達は 神の迷える息子であり 娘なのです 私達が家に帰りたいと 思った瞬間すぐ そこに存在します 全ては思いだけで 創り出されるのです 例えば今 私達は 肉体の中にあるので イエスや仏陀の 教理を それほど 理解できません こう述べています 何であれ求めるものは 天なる父があなたに 与えるであろうと 何であれ あなたが 考えたり 望んだり するものは叶えられる という意味なのです でも 信じられません 私達が肉体と呼ぶ この物理的束縛で 厳重に監禁されてる からです ですから 無限の 愛を体験するために 無限で 遍在し 無条件の 永遠の神の愛を 体験するために 肉体の上に浮かび 上がらねばなりません 私はその方法を お教えします とても簡単です バスの中でも 飛行機の中でも 公園でも どこでも出来ます 何の条件もなく あっという間に その方法を教えます そして 私はより深く 肉体を捨てて進む 異なるレベルについて 教えられます
より深く進みたいなら 更に知らねば ならない事があり それを説明するには 二時間ぐらい かかります しかし 悟り自体は 数秒で起こります 説明に時間が かかるのです なぜ説明が必要か 家で一人でせねば ならないからです それなら 全てを 知らねばなりません 自分の面倒を見て己の マスターになります もう私をマスターと 呼ぶ必要はなく 自分をマスターと呼び 厄介な事は不要です 私達は友達です 私達 皆が平等で 本当にそうです
ここには沢山の事が あり過ぎます ゆっくりして下さい 神はとても早口です 私は早口ではなく より高い境界では 話すことさえなく 私達は 理解し合っています 頭の中で 自分に話し掛ける ようにです
メッセージはとても 素早く伝わります 忘れることがあり 追いつけないのです
私達が神と 一体であることや 望む事や思い出そうと する全てが すぐ鼻先にあるのを 知らないのは この肉体に 束縛されているから なのです 肉体を超越するために その方法があります 私達はイエスや仏陀 ムハンマドにさえも 接触できます 物理的環境を立去り 別の境界に入った 過去のマスター 誰にでも 接触できるのです 彼らに会うため私達は 彼らの境界へ入り 彼らに会うのです とても簡単です 最多のアフリカ人に 会いたくて ここに来たのです イギリス人に 会いたければ イギリスに行きます 時に 私の所へ 来る何人かの イギリス人もいます 数人の南アフリカの 修行仲間がいますが 私の所へ来ることは 極めて少ないですね 全アフリカ人に 会いたければ 私がここに来きます 皆さんが 全天国 神のレベル ある天界の住まいを 見たいなら 彼らの所へ上がって 行かねばなりません 私達はそれを思いに よって 非常に深い 思いによってします ここにある この門を出て いつでも随時 別の境界に 入るために 想念の力をどう 獲得するか教えます 修行すれば いつでもどこでも 出来るようになります
ですから聖者が 死ぬ事を学ぶべきで それで生き始める と言ったのは 皆さんが 深い思いの祈りへの この深い黙想を学べば 私達は天界の 衆生の境界に 入れるからなのです 多くの人や 一般の人にとっても それは死の瞬間と 同じなのです 修行者 ヨガ行者 とか言う必要は ありません 一般の人でも良心が 澄み渡っていて 人生を 善の完全なる 手本として 過ごしていたなら 死んだ時 自分が 本当に解脱したと 分ります 自らが遍在しどこにも 同時に存在している と気づくでしょう 存在しない所はない と気づくでしょう そして 何かを 望んだ時はいつでも 彼らの真ん前に 現れるでしょう 彼らが誰かのことを 思えば その人が 彼らの真ん前に すぐに姿を現します 言葉を変えて言えば 彼らは 望んだものや 会いたい人を すぐに自分の真ん前に 投影できるのです
ですから 私達が 死ぬことを学んだ時 この肉体を離れ 一時的に死ぬと いうことですが 私達にもこの種の 体験があります そして 何であれ 私達が望む事は 本当に神が授けると はっきり分ります 神が与えるのです この肉体において 私達は 余りにも 至天界の福や 神の愛が見えず 聞こえず 実に無力に感じます この肉体に入った時 私達は 最も無力です 箱に閉じ込められて そのカギを 川に 捨てられてしまった ようなものです 非常に無力です ですから 私達は愛の栄光を 体験するために この肉体的牢獄を 超越することを 学ばねばなりません そうすれば どこにいようが 関係なく 毎日幸せになれます どれほど所有して いようがいまいが 関係ありません 常に満ち足りて 幸せでいられます
ですから イエスは 死に直面した時 動じなかったのです 彼は言いました 父よあなたはどれほど 栄光をもたらしたか 彼は はりつけを 受け入れ 逃げませんでした いつでも そう出来たでしょう その力と 知識のある人なら 何でも出来たのです 彼はしたくなかった なぜ 彼は逃げねば ならなかったのか ただ彼に より栄光と 幸福と自由を 感じさせてくれると 分っていることから なぜ彼がこの小牢獄に 執着を感じなければ ならなかったのか 天国の広大さを 知っていながら なぜ彼はこの肉体の 境界での親戚や友に 執着しなければ ならなかったのか 天なる父に 会えると 分っていながら 全ての兄弟姉妹 全ての親戚 友達は 結果的には 彼と一体だと 分っているのに それが真の解脱です 神の認識での自由と 比較できる自由は 何も存在しません それが私達が 探し求めねばならない 真の 唯一の自由です
使徒について どう思われますか 天国とはどこでしょう 宇宙の一部ですか 使徒ですか 彼らはイエスの 最も近い弟子でした イエスがいない時に メッセージを広め 人々に印心をし 瞑想方法を 教えていました 天国は宇宙の 一部ではありません 天国は私達が 創造したもので 私達自身の態度です 例えば 幸せで 愛の中にある時は 天国にいると 感じます どこにいても 小さな小屋でも 幸せです 悲しい時 誰かに脅されたり ストレスを 感じている時 王宮に住んでいても 地獄のように感じます 神と接触していれば 毎日天国のように 感じるのです それで 天国は 今ここにあると 言っているのです 「これはいかに! 神の王国は 手の内にある」と 遠いものではなく 私達の文化では いけにえに 動物を殺します これは罪ですか あなたの生活様式です 望むのなら そんな 生活を選択します 皆さんが神ですから 自分をどうするか 決定するのです 神に捧げるために 動物を殺すような人の 代表に 自分をしたいなら そうして下さい ある日 自分を屠る人に したくないと 決心したなら 変えて下さい もう屠ることは しません 自分自身を 非暴力の 非殺生の代表に していくのです あなたの選択です
神の目には 何ら罪はありません ただ それは 自分自身を どう見せたいか という選択です 世界や神に対して どう見せたいかです 自己紹介することが あります 例えば 私は技師です 私は牧師です 私はヨガ行者です 私は菜食の 霊修行者です 私は動物を 殺す者ですと ええ あなたが望むように あなた次第なのです ここに誰かをとがめる ためにいるのではなく ただ 皆さんの前に 別の選択を 示すためにいます 選択できて 選択したいと思い 選択しようかと考える ようなものをです 私達はいつでも 別の選択をして 人生を変えられます
間違いがないですね 神の名の下に 罪はなく 神は常に 私達を愛しています 私達がする事は 自身の経験のためです
親愛なるマスター 貧困者や病人へ奉仕し 命を捧げるべきですか 私達は 彼らの選択や カルマ(報い)に 介入すべきですか いいえ いいえ 私達は兄弟姉妹を 助けるために 霊的に 物質的に いつでも出来る時に 命を捧げ 出来る事を捧げます 私達は一体です 彼が空腹なら あなたが空腹なのです 彼がのどが渇いてれば あなたがのどが渇いて いるはずです 絶対ではありません それは内なる感覚です 例えば
ある人が空腹で のどが渇き 死にそうに見えたら 自分がその状況に あるかのように 大変苦痛に感じ その人を助けるのです それがあなたの 愛や慈悲の レベルを計る 物差しなのです 必須ではなく 従わねばならない 戒律ではなく 心の中の感覚です その人を助けるべき と感じていたら あなたの心に愛がある という意味であなたは 幸せに違いないです あなたに愛があるのが 分ることが 唯一のご褒美です それなら すべきです ありがとうございます 愛を感じていますが 内面で罠にかかって 全宇宙に広めるために 私を助けて頂けますか それを広めるのです それはあなたの愛です 愛していれば 何かして下さい ボーイフレンドや ガールフレンドを 愛していたら 相手に愛していると 告げ その人のために 何かします 花をあげ 抱きしめ キスし 愛したり 何かします 同様に全人類を 愛しているなら 何かをして下さい 人々があなたの 愛を知ると思える ことをして下さい あなたの愛を彼らに 示すようやって下さい すべき事は分ってます あなたの内には 神がいるのですから 自分の気持ちに 正直にやって下さい 皆が違った形で やっています どうすべきかは 言えません あなたが言うように 死後地獄がないなら 何が起こりますか 主の指示や 経典に従わない 人々にとってです 何が起こるかですか 再び愛のレッスンを 学ばねばなりません 困難な形で学ばねば ならないかもしれず それを地獄と呼びます 苦しみも 経験せねばなりません 苦しみは 良くないものと理解し 二度と 経験しないためです ある意味で 入院して 悪いところを 治すようなものです
誰か他の人に 苦しみを与える人は 苦しみを与える人は その霊的存在の どこかが病気です ですから 治れば 再び完全になります
地獄も罪もなく ただ人々が自分達の 生活を送る選択の 仕方があるだけです それが違った結果へと 導いていくのです 聖書は次のように 言っています 自分が蒔いたものは 自分で刈らねばならぬ 裁くな そうすれば 裁かれることはない
将来 悪い結果を 刈り取りたくないなら たった今 良い種を 蒔かねばならない 分りますね それで 聖書は次のような 手引きを与えています 殺すべからず 嘘をつくべからず 盗むべからず などと言ってます それを生活を通して 手引きにして下さい そうすれば 私達は将来より良い 実を収穫します 神への信心があるのに なぜ苦しまねばならず 祈りが聞き届けられ ない事があるのですか これを知るためには 神意識へと上がる 必要があります そうすれば 満足するでしょう この物質的 生命に戻って来ても 霊的知識を通して 神がどれほど 私達を愛しているか 知った後で この命に 戻って来たら もはや不平は ないでしょう 全て分っています なぜ あれこれ起こったか 全ては 私達の 最高の利益のためです 私達は毎日感謝に 満ちているでしょう まず皆さんは神を 知らねばなりません 稼いだものの 十%がどれほど 重要なのでしょうか 神に対して重要ですか
重要です あなたが 愛しているからです それはあなたの愛です 十%ではありません それに伴なう 愛なのです 持っている物を 恵まれない 他の人々と 分かち合う愛です それは重要です 人が肉体から 上昇した時に 真実の状況と 例えば 錯覚を どのように 区別できるでしょうか 区別する 方法があります 印心の時に 教えます でも 霊的境界へ 深く入って 行きたい人のみが この全てを多く学ぶ 必要があるだけです 方便法の人等は それほど 必要がありません そう長く瞑想せず それほど深く入って 行かないからです 危険度が低いのです
大きな仕事は 危険も大きいものです それで 私は皆を 守る方法を教えねば ならないのです でも 十分や 二十分だけの瞑想なら 構いません 煩わしいものは 何もありません ただリラックスして 自分の心を静め より良い商売をし 良く眠り 良く食べる それだけです 時々 神を知るのです 危険はありません 喚起されるよう 毎週 日曜に教会へ行く 必要がありますか それとも 心で神と通じれば 自分で 思い出すでしょうか 心で ええ できます 心で神との 意思疎通ができれば 聖書で述べている ような形で 小部屋の中で 祈れます 教会はイエスの後で 生じました 教会は 神への信心があり 共に祈りたいという 人々が集まる 人々が集まる 組織です 私達の団体と同様です
毎週日曜日 私達は共に一カ所に 集まります それも教会と呼べる かもしれませんが 私達は瞑想センターと 呼びます そして一日中 瞑想をします 他の日以上に 集中的に神を 思い出すためにです 毎日忙しいですが それこそが 本当に毎日教会に 行くことの意義です 私達の本性と神と より多くの より深い 意思疎通を 図るためです
共に瞑想すると
より強力になります 眠りたいと思っても 隣人が背筋を伸ばし 座っていたら 恥かしくなり まっすぐ座ります それが目的です 集合のエネルギーの 中で 助け合うのです でも既に神を知って いるなら 座る所は どこでも教会です 日曜日だけでなく 内在する教会へ 行くべきなのです 私は真の神の秘密の 場所を知りたいですし 菜食ですが 大麻は吸えますか ええ ええ 大麻は菜食ですから そうですね 何を言いたいのか 分りますが いずれにせよ 神の秘密のありかは 自分で探します 私はその見つけ方を 教えますが あなたは自分で 見出すのです 神を物理的な言葉で 説明できません 説明するほど 誤った方向に行きます そうですね 神を見せられます それができる全て 大麻ですが 私の考えでは 菜食には必要では ありません ですから その中に 含めないで下さい たとえ 野菜であっても あまり瞑想の 助けになる 野菜ではありません だから 使うのは 避けてください 彼は大麻を 食べられるか 知りたがっています よほど空腹なのですね 吸いたいだけでなく 食べるなんて どういうことでしょう 沢山野菜があるのに 十分ではないの? 豆腐をお勧めします ええ ほうれん草を炒めて その方がいいでしょう 何であれ 何であれ 意識を鈍らせ 曇らせるものは 神の 方法ではないのです 神の方法に物理的な 助けは必要ないです 何も必要ないです 神は神ですから 神は変えられません 近くに 来させられません 自分の望む所には 連れて行けません 単に大麻とか そんなものを使って ただ神を知るだけ それだけ 純粋に 単純に神を知るのです
ただ集中し 世俗を忘れ 神の側に集中すれば 神を見ます 私はただ 方法を教えます
何も必要ないのです 私達が食べる 菜食ですがそれはただ この肉体維持のために 何か少し食べねば ならないだけです ですから 菜食主義に 余り深く突き進み 過ぎないで下さい 私達が食べるものは 肉体維持のためです 魂を生存させるのに 十分な栄養があれば それでもう本当に 十分なのです 食べるためでなく 神を知るために ここにいます 同じ人からの 質問です 私が貧しいのは 私の考えや信念の せいでしょうか 私達は私達の信念 ゆえに貧しいのです 今では遅すぎます 私達の惑星では 私達は罪深く その罪ゆえに 罰せられるという 信念の中で 導かれてきました 豊かな生活を送る べきなのですが この時代の前 黄金時代がありました 聞いたことが ありますか 黄金時代には ずっと昔ですが その時代 人々は 神を知っていて 信じきっていました 神を見て その愛を 感じていたためです その頃は 執念深い神や 嫉妬深い神といった 教えや 地獄という 教えもなかったのです いたる所が 天国だったからです しかしその後 ある悪い人々が 人々を操るために この種の恐怖を 発明したのです そして徐々に この 恐れが私達の意識に 忍び込み 徐々に こう信じるように なりました すなわち 私達は罪深く 悪い 神を知り得ないのは 見捨てられ 罪の中に生まれたから 私達は常に罪深く 私達のすることは 全て罪だと
私達の意識は そのように されたのです それで私達は 仕事に失敗し より貧しく 物質的なものも含め 多くの快適さを 剥奪されたのです でも今となれば少々 手遅れで 劇的変化は 遂げられません 惑星全体の意識が こうした考えに 深く染まって いるからです しかし 皆さんには 手遅れではありません 変わる準備が できていれば 今日 変えて下さい 信じて下さい また 毎日皆さんに 内在する神の愛を 体験してください すると 人生がどう 変わるか分ります 神が本当に愛であり 求めるものは全て そこに存在すると 分るでしょう あなたの瞑想法と 特殊な言葉で話し 祈ることの 違いは何ですか 特殊な言葉で神に 話かけるようにと 言われているからです それは真実ですか 両方が真実です 神に対する 別の理解レベルです 私達の方法では 話かけさえせず 口や舌を使って 話しかけさえせず 肉体的な道具は 一切使いません 直接天国に行き この肉体のない 自由な命を 楽しむのです 神も私達に 人間の言語では 話しません 時々そうすることも ありますが 私達はそれを 口に出さず 何もする必要もなく ただ意思疎通を 図るのです 私達は神的な形で 天界の方法で 理解するのです
親愛なるマスター あなたが人生を歩む 上で体験した困難は どんな事ですか 教えてください
何も困難だとは 考えません たとえ 私が不平を こぼす時さえもです 皆がするようにです 私は不満を言います なぜ それは嫌だ でももちろん 私には 良い事と分ってます どんな困難も 私達の精神と 神を見出す決心を 強めてくれるのです 私達がこの物理的 一時的存在に しがみ付いてる限り 常に困難に 出合うだろうと 教えてくれるためです 天国は何も困難は ありません だから 私達はこの肉体を 去って 瞑想や 深い黙想や 天国に行った時は あらゆる至福と美を 体験します そして この肉体に 戻って来てさえも まだ少し至福が 残っていますので 人生は よリ円滑に より良く なっていくのです 困難も姿を変えた 至福なのです 何の問題もないです 私は困難について 本を書けますが 自分が楽しんだ 至福について 書く方がいいです 親愛なるマスター あなたの智慧を有難う あなたはどうやって あなたが去った後 ここの物理的仕事の 継承者を選びますか まだ決めていません それは 神の 決定次第です 時が来たら 主が私に 知らせるでしょう そして私が皆さんに 知らせます たぶん 皆さんが見出さねば ならないかもしれない もしいれば 書き留めておいて 名前 場所 誕生日 そうすれば その人を確認できます 真ん中に鼻が一つ 耳が二つあり・・・ そうすれば 見つけられます まだ決めていません
見つけていません 急いでください 神はあなたに言うかも 「よろしい あなたが継承者です」 そうなら私に言ってね 悪魔とは誰でしょう どこから 来たのでしょう 最後にどこへ 行くのでしょう なぜ神はこの悪魔を 破壊しないのですか 悪魔はあなたが おっしゃる同一体の 一部ですか そうです 同一体の一部です 彼は神のために 働いています 何が正しく 何が間違ってるか分り 誘惑に抵抗することを 知るのです 私達の本性を 成長させ 神に近づいて行けます いいですね 悪魔というものは 実際 存在しません 単に試練 テスト 訓練です 自分を訓練します 自分を厳しい方法で 訓練したければ 私達は生まれる前に 厳しい形で生活する 方法を選びます 私達が 体験したい事を 経験するために 自身を訓練し 私達の 歩む道において 神を見出すためにです 親愛なるマスター タロットカードや オーラや霊気治療等は 他の人々の 利益になっても 悪い事ですか いえ 悪い事ではなく 私は全てが 神への異レベルの 理解だと言いました 看護師は悪くない 医者は良くない 彼らはただ違う形で 仕事をしています 別の仕事をしてます
しかし 皆さんが 医者になりたければ 看護師になるのをやめ もっと勉強せねば なりません そういう事です イエスのように 癒さずして 癒す人になるのです どうすれば 問題を克服し 焦点を戻し 犯した過ちが 許されるでしょうか 私は心から人生を変え 再び良い人に なりたいのです では 変えてください まず 何であれ 自分の嫌いな所を 変えて下さい 例えば よく 嘘をついていたなら もうしないのです 真実を話して下さい 人から物を取るのに 慣れていたなら やめて 代わりに 人々にあなたの物を 与えて下さい あるいは印心を受けて 悟りを開いて下さい 不運や呪いは 存在しますか またそれからいつ 解放されますか 誰もあなたを呪えず どんな不運も あなたを害せません あなたが他の道を 歩くのを選べばです 別の道を歩いて 神の道を歩いて 全不運があなたから 去って行きます でも 時にあなたが 既に作ってしまった 悪いカルマ (報い)のために 結果が出るのに 暫く手間取るでしょう ただ耐えて下さい いつまでも生きません 心配しないで下さい なぜ印心を受けず 制限されないわけに いかないのですか なぜ肉食や飲酒は いけないのですか それでは あなたは 肉食や飲酒の神に なりたいのですね 既にそうですよ 今 肉を食べ ワインを飲むなら あなたは既に 酒飲みや肉食の神に 毎日なっています 私はあなたが 別のものになりたいと 思っていました 変わりたく ないなら 今 いる所にいて下さい あなたは既に神です
自分自身の より高いレベルへと 変わりたいなら 低級の代用物から ほんの少し 離れねばなりません 神の愛の中で高尚で より高い陶酔を 見出すために イエスの肉で軽く 食事を取るためにです
霊的なイエスの肉と いうことです 沢山の宗教があります キリスト教や 伝統的アフリカの 宗教など アフリカにはどちらが 正しい宗教ですか また 他の宗教を 修行することで 私達の祖先は 怒りますか いいえ いいえ 皆さんが信じるなら 全宗教がアフリカに とって良いものです いいですね 私はただ皆さんに 皆の宗教の本源と 確実に接触する方法を 教えるだけです 唯一の神が存在し そして 人々は 彼の下に行く様々な 道を見つけ出します ただ 時に迷路の中で 迷うことがあります それで 私はここで 人々に近道の場所を 教えたいのです 私は改宗させるために 来たのではありません 皆の祖先は決して 怒ったりはせず 彼らは皆さんの悟りや 加護を通して 解放されるからです 南アフリカへの来訪と あなたの愛と平和を もたらして下さる ことに感謝します あなたの親愛が 南アフリカの人々に 引き継がれるよう 願っています 私もそう願っています 皆さんの愛に 本当に感謝していますそう思います 南アフリカの人々は 本当に悟りが深く 知的です
私達は完全に理解し 合えたと思ってます
全てが無料ですね あなたのスポンサーは 誰か教えて下さい
自分でお金を稼ぎます 私はデザイナーです ご存知ないですか ここに私の作品を 全て持って来る訳には いきませんが いくつか写真で 見られると思います 私は宝石や洋服の デザインをします 今日のは 自分の作品 ではなくて この国の 衣装を着ています 国に敬意を表す為です 聖書で言っています あなたは額に汗して 自分の生活の糧を 稼ぎ出さねばならぬ 私はそうしています
神が することを 許した至福を 皆と分け合うのとは 別に 物理的必要性の ためにそれを賄うべく 稼がねばなりません
車など移動手段が 必要です 飛行機の チケット等が必要です それで 皆さんと同様 お金を稼ぐのです 何でも持っている物を 分かち合います 必要とする物と別に 余剰がありますから 他の兄弟姉妹と 分かち合うのです 援助は受けていません 私が人々を援助し 神が私を援助します 日曜日に集まって 主イエスキリストを 思い出すために あなたは聖体拝領を 受けますか 私が日曜日に教会へ 行く時ですか(はい) 私はパンを 頂きますが でも それは 皆には見えません そうです イエスの真の肉です 私は彼の肉を切って 食べたりしません でも彼と一つになり それが 私の聖体のパンです 毎日しています 日曜日だけではなく アフリカではHIVや エイズの発生率が 大変高いと言われます 神が私達の大陸を この不治の病で呪い 罰しているのですか どうやったら 救われますか どの国にも エイズに関する 情報センターがあり ご心配のどんな病に 関してもです いいですね 情報を 探し出して下さい 肉体的に自分の 面倒を見て下さい さもなければ 霊的に修行して 戒律を守り 菜食をし 霊的な人生を送れば こんな質問に煩う 必要はありません 黄金時代とは キリスト再臨の しるしですか 黄金時代とは何ですか 黄金時代とは 時です かつて ずっと昔 何時代も昔のような 神と一つになる 体験をする時 望んだものは全て 即座に 叶えられます 神とこの繋がりを 持てば 今すぐに 黄金時代を 体験できるのです 観音法門の修行者に とっては毎日が 黄金時代なのです
私達黒人がどこから やって来たのか 教えて下さい なぜなら 聖書の中に 出て来ないからです 私達が呪われた子で あるとは本当ですか
いいえ 冗談でしょう 分りますか これこそが 恐れ 隔離の教義で 罪の宣告の 教義であり 屈服の教義なのです 人々が長い間 人類に科し 私達を 分け隔て 操るためのものです 統合していれば立って 分離すれば落ちて 彼らは分っています
ああ 何という事 どうしてこんな事を 尋ねるのでしょう 決して思い浮かぶ ものではありません ただ 違う色というだけです ここの花と同じです 何色あるか ご覧なさい みなが白だったら あるいは私のように みなが黄色だったら この星は退屈では ないですか 南アフリカまで やって来たりしません 見るべき別の色が ないのですから 皆さんを見てチョコを 思い出しました 美味しいですね 私の大好きな色です そうです お分りですね 全ての色が美しい 何の違いもなく ただ違う花々です なぜこんな質問が 浮かぶのか 分りません 理由を知っています 既に説明したように これが罠です 悪い人々の 権力を 振るおうとする人の 策略なのです 私達を神から 引き離そうと 神を恐ろしい人や 執念深く 罰する 神のような存在に するだけでなく 人類として 人々全体から 引き離しさえします 白人には 黒人は悪いと 言おうとし 肌の黒い人には 肌の白い人は 悪いと言おうと します 全世代を通して こうした考えに 洗脳されてきました そうして 私達は 混乱したのです そして 再び 考えようとします 「彼が言った事は 本当だろうか 多分 本当なのかも」
なぜ黒人が呪われるか 理由を言って下さい なぜですか 正当な理由を 答えられますか 答えられないなら 呪いは存在しない ということです 色黒と色白の違いで しかないのです 黄色と赤との違いで しかありません どんな違いがあると いうのでしょう どうして黒かったり 濃かったりするか お分りでしょう とても太陽に近い所に いるからです 家の中に 隠れていなさい! いえ 既に言いました 神は多彩な存在です 彼は芸術的です 様々な果物の色を 創り出しました 様々な花の色を 創り出しました 様々な犬の色を 創り出しました 様々な象の色を 創り出しました 様々な鳥の色を 創り出しました 様々な人間の色を 創り出しました 幸福でいるべきです 彼は偉大です 私達も偉大です 私はチョコが好きです 気にしません 決してこんな事を 考えてはなりません 決してこんな質問を 心に起こしては なりません 皆さんは偉大です 皆さんには 非常に長く深い 霊的な伝統があります 聖書に黒人が 述べられていないとは どういう意味ですか エジプト人の クレオパトラはどう? 彼女は黒人でした モーセは? エジプト人々の所で モーセは育ちました 彼らも有色人種です 黒い色です 聖書の中に彼らが 述べられていないと? 自分を 証明するために 色黒とか黒いとか 必要がありますか 皆さんは人間です 黒でもなく 白でも黄色でもなく 何でもありません 私達は神の子です それだけです 何の問題もないです どんな問題も 理由も見えません なぜ花々の色に 問題があるように 見えるのでしょうか 私には理解できません 何ですか
オランダに行ったこと ある人はいますか 何人かいますね オランダの黒い チューリップの栽培を ご存知ですか 最も高価で 希少価値があります 沢山はないから そうですね 黒いのがなければ 創り出さねばならない 分りますか 黒人が居なければ 私達は創り出さねば なりません 黒いのを得るために 遺伝子を 組み替えれば そうすれば 何て事だ 彼は黒いと なるでしょう 分りますか 黒いチューリップと 同じです とても黒いものです 元々は違います 遺伝子を組合せ 科学的手段により 創り出したのです 一面に広がる畑を 見たことがあります 美しいです 黒くて美しく 非常に珍しいのです
庭全体が様々な色で いっぱいなのです 一角の小さな畑だけ 黒いチューリップ 夜の帝王とか 夜の女王とか そういう名前で 呼ばれています 美しい名前です ここに肌の黒い人 チョコレート色の人が いなかったら 何か寂しい思いが するでしょう 黒人の赤ちゃんを 作り出すために 研究室で一生懸命 試みなければならず サンプルを作れれば こう言うでしょう 見てご覧なさい 美しいですねと 分りますか 神は既にその事を 分っていたのです 私達のために神が 創ったのですから 感謝して喜び 誇りに思うべきですね
色があるのを誇りにね
ありがとうございます
余りにも長く続いて きたことなので どれ程長く語っても 問題ではありません 長い間の 神が 創造した色への 誤解を消し去るには 十分の長さとは 思えません
他の国では 誰もが 浜辺で過ごすのに いくらお金を使うか ご存知でしょう 焼け付く太陽の下で 皆のような 皮膚になるために どれほど苦痛か ご存じでしょう どうか冗談は やめて下さい
ですから 皆さんは歩く 生来の億万長者です アフリカやどこかの 億万長者だけが 皆さんのような 皮膚の色になれます 彼らは太陽の下で 沢山の時間と お金を使っています 知っていますか 次回はこんな質問は しないで下さい 自分に生来の 億万長者だと 言って下さい 浜辺で数時間も ぶっ通しで焼く 必要はありません アフリカの人々の色を
手に入れるのは 大変な苦痛なのです
知りたいのですが あなたの写真を見た時 何か感動し あなたに会いに行き 実際 肉体で お目に掛かるのだと 感じました あなたがホールに 入って来た時 泣きたくなりました あなたを 感じたからですか 神への認識に 満たされつつあるから でしょうか そうかもしれません 私の内なる神を 感じたのかもね あなたに対して 愛が現れたのです 神があなたの内に 出現できないのでは ありません 出来ます 神の道を選べば 神も現れるでしょう 私は 神の道を 選択したので 皆さんは より明確に 感じ取れます 私は神と一緒だからで 他の人は より世俗と 共にいます 世俗をより気にして いるのです 私は神を考えています それで そんな人の 内に より神の臨在を 感じられます 例えば多分私のように それであなたは幸せに 感じ 感傷的に なったのでしょう そうでなければ 互いに知らないのに 私を見て なぜ泣くのですか 私を愛し 握手し 抱きしめたいと なぜ思うのでしょう きっと何かあるのです 自分が種を蒔き 自分が刈り取りとる 世俗の中にいるか 神と共にいるかです 世俗と共にあれば より世俗的な 雰囲気を醸し出します 人々には より はっきり分ります 私達が 神と共にあれば より神の雰囲気を 放ち 人々は感じ取ります 内在する神が 感じ取るからです マスター南アフリカの 来訪に感謝します
私達は心から あなたを歓迎致します どうもありがとう