聖人 または 勤勉に 修行をしている人が 神の意識に 達した時 物事をとてもはっきり 論理的に理解します そして 物事を 正しく行う方法を 人々に伝えます 最短の時間 最低限の 努力で 最高の 結果を得るのです ただ 運転手を起こす 手伝いをすれば 私達は車を押す 必要はありません 車に乗って楽しむ事も できます この世界で 不幸や 問題が色々起きるのは 私達が真の自分を 起こさないからです また ただ懸命に働き 沢山考え そして さまざまな方法で この世界での仕事を 自分の限りある 能力 体力で また 知識で しているからです ですから たとえ 世界でも最高の 大学を卒業しても 私達は完全に 賢くは ないのです 智慧と知識は 別のものだからです
知識的な格闘と 同じことです 何時間も何日も 神について議論しても 分らないでしょう それが知識的なのです 話し方は知っています 文章を並べて 議論をする方法は 知っていても 話している事の 本質は分っていません 智慧なら 話さないと 私達は知っています 話す必要もありません 伝えるのは人類全体の利益のため 一部を伝える 使命がある時だけです 使命がある時だけです しかし言語だけで 終わる訳ではないです 言語を使っても 内面で認識した 真理の二割か三割しか 伝えられません けれども 目も使えますし 無形の愛を 使ったり 癒しのエネルギーを 使って 聴衆の心に触れて リラックスさせ 再び神への信心を 持たせる事もできます 社会の 重圧によって苦しむ 不幸を癒やし 神の存在への 疑いを解消し 自らに関する疑いや 自らの内なる王国に 存在する本当の力に 関する疑いを 解消します
ただ 私達を見たり 話を聞いたり 私達の 愛のエネルギーにより 肉体的な 癒しを得る人もいます これは神の認識から 得られる利益の ほんの一部です 自分自身だけでなく 私達に近づく誰もが 利益を得られます ですから 私達の 悲しみはそう多くなく 宇宙のあらゆる 神秘を知ります なぜこれこれのことが 起こるのか なぜ誰々は貧しく 誰々は裕福で 誰々は幸せで 誰々は不幸なのかなど そして それによって 彼らを癒します 内なる神の力によって 沈黙の中で 私達は彼らに答えます 私達は神と一体に なるからです 「私は父と一体です」と イエスが言ったように 神と一体になる時 できない事など 何もありません 分らないことなど 何もありません 達成できないことなど ありません 全てが分り 遍在します
また 何も知らず どこにもいません 内面では 言わなくても これらの事が分ります 私がそう言うと 皆 思います 「知る事と知らない事 いる事といない事って いったい何だろう」と イエスも同じことを 言いました 「私は働く」 そして言いました 「私ではなく 神が私を通して働く」 聖パウロも言いました 「私は生きている いや 生きてるのは私でなく 私の中のキリストだ」 これらの人々 聖人は エゴがなく「私」という 感覚がないからです まさに神そのものに なったのです イエスが「私と父は ひとつ」と言っても 彼が尊大だった わけではありません 彼が「私は神の子」と 宣告した時 高慢だったのではなく 真実を言っただけです 医大を卒業して 医者になり 「私は医者です」と 言うのと同じことです
でも みな驚きます 時々 この世界で 自分の兄弟や 姉妹の反応に 驚かされます 誰かが卒業して 医者になった場合 彼がそう言っても 誰も非難しません 又は 誰かが誰かと 結婚して 「今 私は夫です」と 言っても 誰もそれについて 何も言いません 皆がこう言うでしょう 「おめでとう!」と 違いますか? しかし イエスや 仏陀のような人が 自分は神と一体に なった 神と結婚した 神と一つになった 「私と私の 父は一体です」と 宣告したら 人々は彼らに石を 投げつけます 驚きですよね? この世には 多くの学問があると 知らねばなりません ある人は医学を学び ある人は工学を ある人は建築 農業を勉強します 大学によりますね 卒業した後 例えば その大学を出て エンジニアになるので 言います「OK 私はエンジニアです これこれの機械を 修理できて これこれを 作れます」と しかし 私達が 知るべき 非物質的な 研究もあります
大いなる自己や 内なる神の見えない パワーを知る方法や 航空機を使わず 惑星間を旅する 方法などが分ります これも 一種の科学です そして 世のはじめから この科学を人々に 教えるために 常に 学校があります こういったものは 非物質的な ものなので 博士号も 医師免許もなく 卒業証書もありません 従って 誰が卒業して 誰がしていないか 分りにくいのです しかし 私たちは 彼らの話のパワーや 彼らから放たれる 愛の波動 力強いエネルギーで 知ることができます 彼らの生き方の チェックや 彼らの誠意から 或いは私達に示すよう 神に祈る事でも 分ります 「それは あなたから送られた 本物ですか?」と 純粋な心で 誠心誠意 尋ねれば 神は答えるでしょう そして 誰が 真の神の使者で あるかを確信します
イエスや仏陀の 時代の人々が 時間をかけ 根気強く そうしていれば 仏陀やキリストの 使命である事に異議を 唱えなかったでしょう しかし 無知で 乱暴で非道徳的な 生き方に慣れていた 彼らは 神人 つまり 神を理解した人を 確かめるのに必要な 時間を取らず 忍耐も ありませんでした 現代では そのための 時間は いっそう 少ないかもしれません ですから最高の方法は 神に祈り その人が 神の存在を 証拠できるかどうか 尋ねることです しかも すぐに 長年の試練や 弟子になること なしにです なぜなら 昔は マスター いわゆる マスターや神の使者を 得る事は困難で 見つけるのも難しく 彼らから 何かを得るのも 難しかったからです それでよく聞くのは 人々が マスターや 聖者のもとで 長年仕えて やっと 内なる秘密を明かして もらうという話です
しかし現代人はそんな 時間はありません 私たちはマスターを 見つけるために 丘を越え 川を渡り 山や寺に行って 何年もそこに滞在して 叱られたり打たれたり 酷使されたりして 多少の悟りを得ると いうことはできません 負担が多すぎます! 子供や妻の世話を する人もいません 昔は 子供や妻が 残されても 裕福な家で働くか 街で物乞いをするか 農場で働くか 又は単純な仕事 手工芸などで 生きていかれた かもしれません しかし 今の時代 妻子を残して行ったら 彼らは死んでしまうと 私は思います 家を借りなければ なりません 昔の様に 何処ででも暮す訳には いきませんから 昔は 家がなくても 町でも 野原でも どこででも キャンプできました 誰にも煩わされません しかし 今は至る所が 人に所有されています あちこち歩き回り 好きな所でキャンプし 単純な生活を 送る事などできません
現代は 誰でも家で 使用人を雇う余裕が あるとは限りません 職探しは難しいのです 今の時代は 非常に文明化していて 私達はものを多く持ち 生活を快適にする物も 多く持ちます ただ その為に懸命に 働かねばなりません これらの 快適さを得るには 古代より懸命に 働かねばなりません より快適であるほど より働かなければ ならないのです 時には 地位のために 日産ではだめで ベンツを持たねば なりません 農村ではなく 高級な地域に 住まねばなりません 社会的名声により これらの高級なものを 示さねばなりません 名声があれば 高価な車の為に おそらく毎月 支払わなければ なりません 地価のうんと高い 地域で家を借りて 沢山の費用も掛ります それらの費用により 地位を手放せず 高級品を買う為にその地位に しがみ付かなければ なりません 仕事を失うのが怖くて 自分の地位の 奴隷になります
もし こういった 贅沢なものがなければ この地位もないのです 私達が稼いだお金は 殆ど 地位と贅沢を 保つために支払い 消えてしまいます 「ダブルロック」です こうして 現在 私達は 重荷や プレッシャーから 解放されるのが 難しい状況にあります もしも とても小さいけれど 美しい家に住んで 安い車を持てば それほど働かなくても いいかもしれません 10年か20年後に 退職したら 余暇の時間と趣味を 楽しむのです ところが 私達は 仕事や名声を同様に することを望み その体裁を保つため それと共に走り続け 長年働かなくては ならないのです その渦中に いるので 逃げ出せません 虎の背に乗っている為 首にしがみつき 一緒に走らなくては ならないようです 時には 恐ろしいことと知って やめようと思っても やめられません それは いかに文明が 私達に提供する 快適さで私達をきつく 縛るかということです さて 「そんなことは もう分ってる なぜ彼女は話すのか」
私は解決方法を 提供したいので お話しするのです このゲームには 別の出口―出る方法が あるはずです 私達は地位や 贅沢を放棄する必要は ありません しかも 私達の首をつかまえ 窮屈で 居心地悪くする 重圧を捨て去ることが できるのです それは 私達が 神に伴われ 自由を見出す事です
私達は既に神の 存在の中にいます ただ 私達がそれを 認識していない だけです それでこの世の 重圧とともに 切り離され 孤独だと 重荷に感じるのです 私の目的は 私達は 神の存在を 一目 若しくは 何回か垣間見られ 神の助け 愛と助言を 再確認できると 伝えることです 従って 皆さんは 再び神と直接交信する この方法を 提供されるのです そして 人生の 毎日 毎分 再び 神の存在から 離れる事はありません その認識 その悟り そして 神の力と 直接連絡した後は 皆さんの人生を ずっと維持し 宇宙で最も パワフルで 持続する力を決して 忘れないでしょう そうして この圧倒的に 強烈な愛により 私達が現在感じる 重圧は 一切なくなるでしょう 私達は 自分の 地位や 贅沢を 重荷なしに 享受できるでしょう
すると 神は 真の愛であり 本当に 安らぎのみを与える事が分ります この時 神が私達に 悲しみを少し 与えるとしたら それは人のはかなさや 神の王国の 安全なとりでに 戻らねばならない事を 思い出させるためです 私達が神を 忘れれば いつでも 思い出させてくれます 神は まず優しく 思い出させます その後 私達がこの優しい 助言を聞かなければ やや強く そして かなり強くなるまで 私達を押すでしょう ですから 神に強く 押されていないなら 強く押されるまで 待たないで下さい すでに強く押して いるなら どうぞ 直ちに神の王国に戻り 神が提供する 内面の安らぎを 享受して下さい 皆さんが 既に 方法をご存知なら 喜ばしいことです ご存知なければ どうか お手伝い させてください すべては 無料で 無条件です 仕事 地位 信条 宗教 妻子も そのままで よろしいのです
では今から皆さんの 質問にお答えする 時間を設けましょう どうか遠慮なく 何でも聞いて下さい
皆さんの心温かい ご清聴に感謝します 皆さんと再会できて 楽しかったです