智慧の言葉
 
神通力による得心は自然に背いている 1/3 一九九三年四月十七日 カナダ   
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マスターが 講義をされる前に 少しお時間を頂き 皆さんに 私の個人的な体験 印心を受け観音法門を 修行してからの 体験を共有させて 頂きたいと思います 私は マスターチンハイに 会う前から何年も 霊修行者でしたが 私がそれまでに してきた瞑想法 つまり霊修行は 私が探し求めていた 霊的な満足を 十分に与えては くれませんでした それに多くの時間と 努力を費やしたのです ある友人がマスターの テープをくれて それで私は マスターを知りました そのビデオを見て そのビデオを見て 彼女の教理を 聞いた後 私は即座にこれこそ 私がずっと 探し求めてきた師だと 認識したのです 印心前でもマスターは 私の面倒を見ました

印心を受けるまでに 私は数ヶ月間 待たなければ なりませんでした 当時 印心はなかなか ありませんでした そしてマスターは 私の心からの切望を 知っていて下さり 私の夢に現れ そこで 印心して下さいました 印心前 私は長時間の 仕事をしていました 私はあらゆることを 心配していました 私はあまり幸せでなく つまり心が平安では ありませんでした しかし印心後 より良く集中できる 能力を得たので 私は物事をずっと早く 効率的にこなせる ようになりました 以前それをするのに 数時間かかったのが 今は一時間ほどしか かからないのです

私はもはや物事を それほど心配する ことがなくなりました きちんとやらないと いうのではありません ただ何であれ する事は 望んだように結果が 得られなかったと しても  大丈夫になったのです 何が起きたかというと 結果にこだわらず あまり気にしなく なったのです 他には 私は多くの愛 更なる平安を感じ どんな関係においても 協調できるように なりました そしてその愛は 人々を受け入れ彼らが 私の為にいるという よりむしろ私が彼らの ためにそこにいたいと 思う種のものでした これらの変化は 印心後 非常に素早く 起こりました そしてそのために この瞑想法が いかに強力か いかに効率的かを 非常に明確に 私に示したのです 仕事をするときは しばしば難しい状況を 切り抜ける指導や 助けが必要になり 私が内面で彼女に 祈ると 彼女の存在が 非常に強く感じられ 困難な状況にある 私を導いて下さって いると分かります 一見恐ろしい 驚くべき状況の中でも 彼女は 保護しているのです

重要なのは 時々 予測不可能な 状況になり 彼女に助けを祈る暇が なかったとします でも  そんな状況でも 彼女は保護し面倒を 見てくれることです

これらは 在世の聖人 つまり 完全に開悟した存在の 特質の一例です そして彼らは 遍在し 全能で 全知です 「遍在」の意味は その人はいかなる 時空も超え 同時に多くの場所に 存在できるということ 「全能」の意味は 全てにパワフルです 「全知」は全ての事が 聞けるということです 全ての霊性の師が この特徴を持ち合わせ 全ての霊性の師が 真の在世の師という 訳ではありません しかし 助けや 指導を必要とし マスターに祈った時 彼女はその祈りを どこにいても そして状況に関係なく 聞けるのです こんな個人的な 体験があったら よりリラックスして 落ち着き 非常に幸せで平和だと 分かります 保護され 世話されていると 知っているからです この法門を修行する人 あるいは 他の法門を 修行する人が 観音法門を修行する ことになったなら マスターチンハイは 真のマスターで 彼女は最高で 最も偉大で この地上において 最も高次な存在だと 認識するでしょう

それでは マスターチンハイを お迎えする瞬間が 参りました 本日はお越し頂き ありがとうございます また この素晴らしい 国に滞在できて たいへん光栄です この国は 繁栄 平和 愛ある思いやりのある 人道的な国です というのは 貴国は 多くの国々が 持ち合わせてはいない 温かさ 人間愛を 互いの間に通わせ 霊的な基準も 高い国だからです 貴国に 死刑がないことを知り 私は感動しました この国で愛だけが 何にもまして 支配する事を示します そして他の国も 貴国を模範として学び 神に正義で支配させ 復讐がなくなることを 望みましょう また私にはこの国に 住むある人々と 話す機会が ありました 例えば 移民の方々です また 貴国に愛をもって 差別されることなく 温かく迎えられた オゥラック (ベトナム)難民です 彼らは皆 この国で 幸せでいられます ですから 更なる恩恵と加護が この素晴らしい国に 起こりえることを 確信しています 非常に霊的に高い 国だけがこのような 品性を 優しく思いやり 人種差別がなく 区別しない品性を そなえています そして全ての国が こうなら 少なくとも 世界は小さな楽園に なるでしょう しかし 残念なことに 多くの事柄が人々の 基本的な真理を 理解することの 妨げとなっています

つまり愛が最も偉大な 宇宙の法であると いうことです ですから多くの人々が あるべき人生を 楽しめないでいます 私達は強引な方法で 人生に執着すれば するほど それを味わえません 従って 開悟した人々は より幸せで より満足しています そして その非常に 落ち着いた心の状態に よって 彼らは多くの 奇跡が行えるのです なぜならどこに 彼らの智慧があり どこに彼らの偉大さが あるか十分理解して それを使うからです 非常に忙しい時や パニックになった時 急いでいる時 ほとんどの場合 何をしたかったのか あるいは物事を完全な 方法で行うことを忘れ ですから 開悟した人の穏やかな 心は より物事を 明確に見られます これだけが科学的な 論理といえます 「私が神だというのを 知っている」ことです 誰が「私」なのか それが私達の内に 住む「誰か」本当の 「真我」のことです よって私達が神です この認識は 人々が話すことを 聞いたりとか あるいは信じること のみから来るわけでは なく 自己認識を 通してなのです ちょうどその他の 科学がそうあるように そこには特別な技術が 必要になります 私達がこの世で学び 習得することは 自身の体験を通して すべて行われます 同様に開悟は 幾らかの忍耐と 自身の体験を通して 到達できます ですからそれは 永遠に続くのです それがどの時代の 多くの聖人賢者も 神は私達の内に あると言う 理由です

神が私達の内にある なら 私達と神は 一つということです 私達と神が一つなら 私達は神です しかし たびたび そのことを聞いても 何度も聖書の中で これを読んでも 多くの偉大な人イエス 仏陀 ムハマンド等の 人がそう述べたのを 聞いても 私達は本当には それを信じられません 神を見つけることも できないのです 自身の内に宿ると されているのに 自分の体験が 欠けているからです 発見することで 知るのではなく ただ聞くだけです 古代 科学は今日ほど 高く発展してなくて 私達には多くの 問題がありました 雨でさえ私達に 問題をおこし 雪でさえ私達を 邪魔しました 何でも ほんの 小さな事も大きな事も 日々の生活の 障害となりました 例えば 雨でさえ 現代は傘があり レインコートがあり 雨の中でも歩けます 私達は雨を 楽しむことさえでき 雨の中で 働くこともできます 更に良いことに 車が あり バスもあります 自然の さまざまな天候から 身を守るものが 色々あるので とても快適です 古代に 会議が あったとしたら 多くの人々が 遠い所に留まり ここに来られなかった かもしれません ただ距離があるという ことだけでなく 雨のせいでです 天候などの ためにです それで古代 人々は 洞窟や山中 木の下に身を隠し 自然の不利な状況から 身を守ったのです 現代多くの人々が 発展途上国では まだそういう生活です そうであってはならず 開悟も そうです

私達の人生により 快適さを加えるよう どんな状況でも 幸せであるようにです レインコートが なくても 傘がなくても 車がなくても 今日雨が降れば 私達はすべての活動を 止めることになります 行いたいと思い 成し遂げたいと思って いたことをです そうではないですか 同様に 開悟したなら 人生は素晴らしいです 私達の人生に「苦難」 「恐怖」「問題」と いう名のものは 何もなくなります ただそうあるように 思える防御に欠けて いるからなのです なぜなら 雨を例にとれば 雨がなければ 私達には水がなくなり 全ての樹木 花々が成長できず 私達が生存するために 不可欠な全ての穀物も なくなるでしょう 従って雨自体悪いもの ではないでしょう でも傘を持たずに 寒さの中を 何キロも歩けば 私達は震え カゼをひき 病気になり 命を 落とすかもしれません そのような 無害で 役に立つ 自然現象によってです 非常に自然で 美しい現象でさえ 自身を守る装備に 欠ければ 私達には 有害になります

ですから多くの人々が 世界を変えたい 生き方を 変えたいと思いますが 開悟した魂の 聖人は言います 「いいえ あなた自身を 変えるのだ」と なぜなら 自身を変えることは 取り巻く世界を変える ことだからです たとえ世界が そのままでも 私達は もはや影響されません 一人ひとりが この方法で変わるなら どんな戦争も 不要になります そして災害も なくなるでしょう 皆に傘や レインコートがあれば 季節を変え 雨を止める 必要がありますか あるいは超能力で 雨期を コントロールするなど 多くの人々がこれを 学びたいと思います 多くの人々がこの 超能力をもちたいと 雨を止め それを長引かせたり 他の地区に降らせる よう押しやったり こういう超能力を 学ぶには時間がかかる でもなぜ気にしますか なぜ気になりますか ただレインコートを 着るのです 安くて簡単です 皆が使用できます かつて仏陀が船で川を 渡ろうとしたとき 船頭は乗せたがり ませんでした お金を 持ってなかったから 当時 彼はそうでした 当然ですね 彼は出家して僧でした 財産など ありません それで仏陀は 仕方なく 川を歩いて渡りました 今もインド チベット ほかの地の ヨギが大勢 そうしています 多くの人々が私に 超能力の事を尋ねます 人々は 説明不可能な事に 興味を示します また 科学的に考えて また 科学的に考えて 不可能なことにも それで私は言います 「ええ こういう力は まだ存在します」 しかし でたらめに 使われるものではなく 見せびらかすものでも ありません イエスにも多くの 超能力がありましたが 常に使った訳ではなく 気が進みませんでした ですから彼はただ 一人死の淵から蘇らせ 二、三人の盲人を 治しただけで 常に走り回って死者を 蘇らせたわけでは ありません それは自然の法に 混沌をもたらす からです

それで開悟した聖人は そういうことを しないのです 一人ひとりが心の中で 彼自身を知ること 神を知ることを願う ことを学ぶべきです すると神の王国が やって来て マスターがやって来て その人を助けて くれるでしょう 超能力を使ったり 他の超自然な方法で 人心を得るなら人々を 知らずに誤った道に 導きかねません なぜなら私達は 超能力の術の中で 神の力を限定させる からです それはある 専門家から学びます またそれを使うことで 私達は自然の摂理に 反するのです もちろん自身にも 災害がもたらされる ことでしょう 私達が探求するのは 永遠のものだからです 例えば 智慧 愛 偉大な 宇宙の力であって 片隅の 低レベルの ゲームではありません しかし私達が 偉大な智慧を得れば 無数の奇跡の 力も手にします その時には 非常に多く どれほど あるか分からないかも しれません それは自然に出て来て 自動的に 意図せずともその事が 行われるのです それで聖人は何もせず 事を成し 考えることなく 望むことさえせず それを行うのです ちょうどとても裕福な 人のようです 自らの資産がどれほど あるか知りません 数えることなどできず 自分のすべての宝を 見ることもできません

それで 開悟した人は いつも幸せなのです 少なくともほとんどの 時間幸せです たとえ 不幸に遭遇した時も それは彼が愛している 大変近しい人が もたらしたのですが たぶんそのときは 影響を受けるでしょう その人への 愛のために その人の苦しみや 不幸を共有する かもしれませんが それでも内心は  非常に穏やかです また不幸は ほんの 束の間の性質のものと 分かっています 殆んどの人々のように 不幸に引き摺られて 溺れるようでは ありません ですから 私達が今生で ただ 幸せになりたいなら 悟りを得るべきです もちろん 皆さんに話すべきです  カナダの偉大な人々に 神を求めなければ なりません 神のためだけに 今生の幸せのため ではありません でもこれらも一緒に やってくると思います 開悟したら 幸せです より幸せになるほど 開悟を信じれば 信じるほど 神に より感謝する でしょう 私達が全人生を ここで暗闇と 惨めさに 屈服している間 天の永遠の幸せを 期待して何の役に 立つでしょうか 開悟した人は両方の 世界を楽しみます 天国を楽しみつつ 同時にこの世を 楽しみます 

なぜか それはこの世に 現れているものは 何でも天の意思と 知っているからです それも より高い神の 王国の本物の具現の 複製品であると そして大変リラックス しているので 恐れや不安などなく 何を楽しんでいても 最大限に楽しみます 多くの人々は 開悟の後では もう妻の愛し方が 分からないとか 夫や子の愛し方が 分からないだろうと 思いますが それは逆です 幸せで 真の価値を知っている 時だけ 他者を愛することが できるのです なぜなら相手の 考えが見えるのです 相手の中に自分の 考えが見えるのです その人を尊重し 神がその人に与えた すべての良い品性を 愛します 神が自分に 与えたものに 気付いているからです それで神は全衆生に 同じ量の品性を与えた ことが分かるのです でも私達は 時々 反対方向に 進むことを選びます ですから苦しみ それで神を呪います こう言います「なぜ 神は全能なのに この楽園を 天国にしないのか」 その力は 神の手にはありません 皆さんの手の中です 私は体験を通して この全てを知ってます 本からではなく聖書からではないです また 私の弟子の 人生での 経験を通して 知っていますし それもまた 今日 互いに会える 理由なのです

私の弟子の優しさに よります 自身の発見を皆さんと 分かち合いたいと 思っています それで多くの問題と 出費や 時間をかけることを 経て 今日の集いを 組織しました 私達の道に皆さんを 促したいという 熱い野心で しているのではなく ただ幸せな人の とても幸せな考えで しています ですから 皆さんに 感銘を与えるために特別な袈裟を着ること など気にしません 皆さんを改宗させる為 大変神聖な外見に しようとは思いません 私達の 輪に入れようと 贈物や 超能力などを あげようとはしません 私達は 兄弟の義務として 別の兄弟にするだけで 実際には行なうために 行なうだけです 皆さんが納得して いるか否かに関係なく 私達は幸せです 皆さんが来ようが 去ろうが 私達は満足です 私達にはもう それほど深刻では ないからです してもしなくても 私達には同じことです 私はフォルモサ (台湾)の山頂で よく座り 入定を楽しむことが できるでしょう あるいはここに座って 地球の より多くの人を 知ることができます 私には同じことです ですから 皆さんが この幸せへの 真の幸せへの準備が できていると思えば それは根本からやって 来ているからです 皆さんは天と地と 地獄からのすべての ものを知っていて すべてを知ってるので それでなにを 楽しみたいか 選ぶのです それで 皆さんの幸せは 本物で永遠になります そうでないなら この世のいわゆる 楽しみの大半は 自由に選べません

時々 パーティーに 連れて行かれて 楽しもうとします 政治や商売の 動機によって 時に無理やり 結婚させられて 最善を尽くそうと します 時に大家族に 連れて行かれ 彼らを養おうと 朝から晩まで働き 家族を養っているので 自分をえらいと 考えようとします でもそれは必ずしも 選択ではないのです そのため  することの殆んどを 幸せには感じません これらすべてを 制御しているのは 自分ではないと 感じるからです 主人ではなく 客のようです 風に吹かれて どんな状況でも ついていくのです 自分がなぜ あれこれ すべてしているか 知らないことで 人生の多くの関心や 喜びを失います でも開悟した後は 違います 楽しむことは何でも 本当に楽しみます 生命の価値も この生命を越えた 価値も理解します どの惑星にも 二種の生命があります ひとつは 物質的存在です もうひとつは 永遠に続く自然です 私達がこの世の 殆んどの人のように 一つだけ知っていて 他方に欠けていれば いわゆる生命の 物質的存在を 楽しむだけです でもこの投影の 本当の姿を 知りません 影しか知らないのです ですから物質的な 人生を楽しみ それを 失うのを恐れます でも本当に開悟した 人は 永遠のものと その複製品の 両方を知り 同時に両方を 楽しめます あるいはどちらを 楽しむか

選べますし 両方楽しむことも 選べます でも私は ここにいる間は ただ楽しむほうが よいと思います この世には 楽しんではいけない ものはありません 本当に  他の衆生の生命を 傷つけるもの以外は それで菜食を お勧めするのです いつも魚が存分に 海で泳げるように また牛が牧野で 草を食み 自分に ふさわしい場所を 思い出せるように そうして私達と彼らは 互いに楽しめるのです
開悟した人の中には どんな程度か 知りませんが あの世で 霊的世界で生きるのを 選ぶ人もいます そのため人々に 開悟した人は そうであるべきだ ヒマラヤに 行くべきだ 洞窟に行くべきだ 仏陀になるための この世の 一切の美しい物を 犠牲にするべきという 印象を与えますが そうしてはいけません 私達はこの世俗から かけ離れているので 多くの人は 私達とかかわるのが 難しいと思っています また人々が 私達とかかわるのが 難しいと分かれば 人々はどう自分自身を 助けられますか 私達が知っている事を どう知るのでしょう もちろん 聖人や 開悟した者にとって この世の せわしなさから 遠ざかり また自身の道に 憂いがないことが 好ましいでしょう でも一方で 大勢の他の兄弟姉妹が 私達の手を 必要としています この世のすべては ある人の役に立ちます そして 開悟した聖人が 役立たずなら それは自然の産物の 無駄になります そのためこの世に 居続けるべきですが 超越しているべきです 私達は家や車を 所有できますが もはや 所有物の奴隷では ありません 所有しているなら 楽しみます 物がないなら ないだけです とても簡素な生活です

ですから この世のものは あるのなら 楽しみます たとえなくても 私達には 何ら違いはありません これが開悟した魂の ありかたです 物質的存在から 物質的存在から 逃げる必要はなく 超越しています またそれがこの地球の 大半の人にとって より実用的だと 思います 私達は物質的環境に 物質的存在の中に いるからです この物質界を 去る時まで待って 完全に本当の人生の 霊的雰囲気を 楽しめます ではなぜ急ぐのですか すべての人が 悟りを得て  永住するために ヒマラヤに 行ってしまうなら  開悟している人はもう いなくなってしまい そして他の者は決して 悟りを知ることが なくなってしまいます 誰もがいなくなれば 繋がりもなくなるので メッセージもなく お手本もなく 共に歩んでくれる人も いません この世での 善い時 悪い時を共に 分かち合う人がおらず この人生を神のように 天使のように歩もうと 励ます人がいません 古代は どこに 悟りを得たマスターが いるのかを知るのが 非常に困難でした

人々は山を登り 人々は山を登り 海を渡り 多くの 苦労と問題を抱えて 悟った人を見つけねば なりませんでした というわけで 古代の世界は 発展しなかったのです 人々は多くの快適さの 欠乏と不安の中で 生きたのです  だからそういうのは 理想とは思いません 悟った人は この世の中で 暮らすべきで するべきことは 何でもやるべきで 神の手中にある人なら 誰であれ 面倒を見るべきで  そして幸せでいて 悟るべきだと思います たとえ 森の中へ逃げても 宇宙からは 逃げられませんから まだここにいるのに どこへ逃げましたか そうですね ばかげた話ですね 多くの人は 開悟した人は 非常に特別な外見で 長い髭があるとか 思っています たまたま私には どれ一つありませんが けれど今日 科学技術の発展で あご髭を伸ばすなど できると思いますが 例えば 化学物質か何かです

また多分 悟った人は ずっとヒマラヤに いなければならないと 思っています 何人かはいます ヒマラヤにいて 悟っている人も おそらくいるでしょう しかし必ずしも そうではありません 全ての人がそうある 必要はありません

ですから必要なものは 直接の教えです そして二種類の 教えがあります ひとつは そのマスターの 理論上の教理です そのマスターが 生きている間に教える 社会での振舞い方を 弟子に教えるために マスターはいます それは心のためです そして 習慣や その特定の期間での その国の法律に 従うためです 弟子のいくつかの 悪い習慣を正し 生活の様々な面で 彼らを導くためでも あります 例えば 政治面 ビジネス 婚姻 その他のことなどです しかし皆 世俗的で 全部が物質的存在の レベルです もう一つ 本物で本来の永続する 教えがあります この教えは 言語を必要としません それは 私達が言う 「思想移転」を通じて 弟子が内面を見詰め 天国からの教えを 聞く時に出来るのです 印心の時 そのやり方を教えます 私達が教えたから 皆さんが出来る訳では ありません 皆さんの 準備ができたからです マスターパワーは 皆さんの中に眠ってる 今までの 何回もの人生での  古い智慧のスイッチを 入れます 電気をつけると すべての暗闇が直ちに 消えるのと同じです それが 即刻開悟の過程です 極めて可能なことです

誠実で 誠実で 自分がいかに偉大か 知りたいすべての人 自分が宇宙全体と いかに繋がっているか 神はいかに自分の中に 居住するか ずっと 知らなかった人には すると人生でのその他 すべてが自ずとうまく 行きます 本当です すべての弟子に 聞きましたが 以前より幸せでない と言う人 以前より 満足していない人 以前より 知的でない人 以前より才能があって 力強くないと言う人は いません 何週間後でさえ あるいは 何日後でもです それは人によります その人の感受性に よって違ってきます 印心のすぐ後 何分か後 あるいは印心の最中 自分が永遠に変わった ことが分ります そして加速します 皆さんは人間の 水準ではなくなり 聖人の仲間に入ります 外見を一切 変えることなく どこかに 駆けつけたり 人生で何か劇的な事を することもありません 私達がいる場所にいて 両方の世界を楽しみ 現実を楽しみ また 真の命の投影である つかの間の 本性も楽しみます それは私達が 発見したものであり 私達が発見し続けて いる事であり 皆さんと 共有したいものです

一つ目の質問です なぜ私達は悟りを開く 必要があるのですか 私達が存在し続ける 願望のためなのか それとも 私達が生死への理解の 欠如と その巧妙な幻覚に 過ぎないからですか よろしくお願いします 平和でありますように なぜ私達は悟りを開く 必要があるかですね

誰か知りませんか

話してみてください なぜ私達は悟りを開く 必要があるのか

神である自分自身を 知ることになります

はい 自身を知らない人は 何もかも 欠けています 私達は沢山の事を 知りたがりますが 自分自身が だれか分りません なぜここにいるのか そして何をすべきか 「紳士の道」とは 少なくとも 自分自身を 知ることだと思います それでそのほか全てを 知ってると言えます でないとおかしいです 自分の家が 分らないのに 国中の 全ての家を知っている というのは おかしなことです どうして 他の瞑想修行をやめて 観音法門を学ぶ必要が あるのでしょうか いえ 必要ありません すでにあなたの修行に 満足しているなら それに幸せで あなたの人生を より実りある 愛情あるものにし  智慧が拡大したなら あなたの道が 正しいと思い 天国の光が見つかり あなたの中にある 天国の教えを 直接聞いてきたなら この法門を求める 必要はありません それがない時のみ ここに来て頂くのを 歓迎します 日常生活での 憎しみ 暴力について どのように お考えでしょうか 例えば 偏見 人種差別 または聞く耳を 持たない人達が 提言を得る方法ですが それらすべての現象は 悟りを開いていない 心による結果だと 思います 私達が悟りを開いたら 全てが解決され 互いに話す必要もなく 説教する必要も ありません 実際 それらすべての事は 怒り 憎しみ 貪欲 その他全て その人の 中に悟りが欠けている ことによるものです なぜなら その人は 人生にあるもの 彼の生活の構成に とても不満だからです それで自然に 興奮したり 攻撃的で 怒りやすく 貪欲になります それらの事が もっと彼を満足させ 幸せにさせるだろうと 考えるからです 実際 これら全ての 根本はもっと幸せな 生活状況への熱望です それは悟りへの 深き熱望です 従ってこれらすべての 病気を治したければ 悟りを人々の生活に 導入し 幸せに させねばなりません 人生で初めて 人生で初めて 幸せに近づいている ように感じます 私は正しい決断を していますか やはり不安だらけです

分りません 人生で初めて 幸せに近づいている 幸せに近づいている ように感じるなら 正しい方向に向かって いると思います その方向で 続けて下さい

どうやって 苦痛を克服できますか 私は自分の父親に 虐待されてきました どうか マスター 私のような毎日苦しむ すべての女性に 安らぎの言葉を下さい

それを忘れ 新しい生活を始める 方がいいと思います 時々私達の人生では 物事が起ります 好きでなかったら 切り捨てて下さい 他のページに切替え 終わりです あるページを読むのが 好きでなければ 自分を満足 幸せに させないもので 一杯なら 次の ページにして下さい 新しいページを始め または  その本全部を捨てて  新しいのを買います

もう一人のマスター 他のマスターから 印心を受けた人にも 印心されますか もちろん もっと高い向上を 求めるならそうします

瞑想して神を愛しても 平和を見つけられない 理由を 知りたいのですが ご回答をお願いします よかったら私達の 法門を試してください 沢山のいわゆる 瞑想法がありますが もちろん瞑想法が皆 真の永遠の幸せと 繋いでくれるとは 限りません 私達の 法門を試して下さい

超越瞑想の法門と あなたの法門を 同時に修行することは できますか

ぜひしたければどうぞ でも多くの 超越瞑想を習う人が 私達に習っています そして後から 超越瞑想の法門を 止めて 私達の法門だけを 学んでいます 一つに専念した方が あなたにとって いいと思います 私達の法門を まだ完全に 信じられなければ 引き続き超越瞑想の 法門を習って下さい 急ぐ必要はありません よく考えて下さい この法門を信じるなら それ一つに 専念した方が あなたにとって いいのです 私は 何も禁止しません 導くだけです 銀河系は 限りがありませんが 私達は自我の霊体で 銀河系を 渡り歩くことが できますか 物理的にそうする 必要はありません 疲れ果ててしまいます いったん 大開悟の境界に至ると 一秒間で すべてが見えます 買い物するように あちこち歩き回る 必要はありません ありがとうございます まさに私が 聞きたかった事です

印心後 肉を食べても 開悟を保つことが できますか どれくらい かかりますか

肉食はこの世界の 戦争と苦しみの 根源であり 自身が苦しむ原因です 肉食をしないことは 地球の平和に 寄与することです 殺生の根源を 断つからです 従って 殺されるとか 傷つけられる報いが 私達に回ってきません また 肉食を 控えることは 「殺生しない」という 戒律を 間接的に守ることです またすべての衆生に 対する 私達の慈悲心を培い 彼らを神の創造物と して平等に扱う事です 従って 動物性食品を控える 方が一番いいのです また たとえ印心後 開悟したとしても 肉食すると 重い悪いカルマの 重荷のため 沢山の 苦しみに悩まされます というのは浄化せねば ならないからです 時には あなたがある程度まで 修行した場合 副作用を 経験します 浄化されてない肉体と 天国からの 完全に純粋な力が 衝突します 肉体や心が まだ純粋でない時は 内面の強力なパワーに 堪えることは そんなに 容易なことでは ありません

どうして 私のエゴはますます 大きくなるのですか 私も分かりません あなたの事です あなたを叱る人が いないか 社会的地位が高いか おそらく あなたの商売が 順調にいっているか または 妻や夫に 大事にされ過ぎる からでしょう

私は開悟したいですが なぜこの社会に 留まっていなければ ならないのですか

分かりますが そうしなくてもよく あなたの選択です もちろんです  でもなぜ選択するか 面倒な選択をするか なぜなら私達は この社会に生まれ 社会に借りがあるから 社会で生存して成長し 今のような楽な生活を 享受しています ですから 社会に留まって 恩返しするのも いいことだと思います 留まって 社会の一員になり 分け隔てしない事です 私は 開悟している 彼は開悟していない 私は開悟した人だから 開悟していない人と 交わるわけに いかないなどと 考えてはいけません 常に 内面に集中すると 周りの人が 気になりません 時には自分が 社会の中にいるか外に いるかも分かりません 自分は自分で ただ現在すべき事を するだけです 常に現在を生きます

これが 真の開悟した人です

霊修行を 渇望する人にとって 二人以上の 先生がいる場合 今現在 どの人が 最も適した先生なのか どうやって分りますか

はい 自分自身に聞くか 神やあなたが 信じている人に祈り  導いてもらうことです そしてあなたが 最も引き付けられ 最も信頼できる人が あなたに適した人です いいですか

霊的指導者なしに 開悟することは 可能ですか

はい 可能です 大いに可能です ただ 案内者がいないと 遠くに行けません

開悟するのと 完全に開悟することは 異なります

一人のマスターが 物質的な次元から 高い霊的次元まで 旅したことがある場合  案内できます これが 最良で 早く安全です

あなたは有史以来 地球に加護を与えた 最も完璧な存在だと 紹介されました

そうですか

これに対し どう答えますか

そうですが そうでもありません 私は自分が完璧か どうか分かりません 弟子がそうだと 証明したのです あなた次第です いいですか 実際 あなたも 完璧な衆生です ただまだそれを 知らないだけです これは大したことでは ありません あなたが 聖書を信じるなら 聖書にはこうあります 汝が神の神殿で 「聖霊は 汝の中に宿る」と あります 「天なる父と 同じく完璧だ」 「神は自身の似姿で 人を創った」と 神が私を創ったのなら 私は完璧です これを知らないのは 残念です いいですか

開悟と印心を通して すべての人と衆生を 最高の開悟に導き 否定的な事や苦しみを なくす事ができますか

私達は自分が 開悟したからといって 全ての人を 開悟に導くことは できません しかし私達 開悟した人にとって 全ての衆生 全ての 苦しみは存在しません

これが最も重要な点で あなたが開悟し 禅定の状態に入った時 衆生もなく 苦しみもなく 何も存在しません 開悟の状態から出た時 禅定の状態から 出たい場合 それらの 開悟していない人達や 苦しんでいる人達と 接したい場合 彼らを 助けたいと思うのです 誰でも苦しみのない 境界を知りたい人は あなたの所に来て 学ぶでしょう

興味がないなら結構で 彼らは自分の勉強を すべきです あなたは 自分の子供達全員に 大学の教授になるよう 強要してはいけません 自分が教授だからと いう理由でです ただ一歩一歩 導くことはできます 彼らが成長して十分 教育を受け あなたと 同様になるまでです

死に対する恐怖を どう取り除きますか

私は毎日「死にます」 死がただこの部屋から 別の部屋に入る ことだと分かれば 恐怖はなくなります とても早いです 私はここに座ったまま 死ぬことができますが あなたには分りません とても早いです 一つの次元から 次の次元への移動が いわゆる 死の過程です 一瞬の内に 実現します 一秒もかかりません 従って恐れることは 何もありません 死が怖いのであれば 私の所に来て下さい 私が毎日死ぬ方法を 教えます すると慣れます 初めて運転する時と 同じです 最初はどう運転するか 分からず とても怖いですが 毎日運転すると 慣れます

即刻開悟は 可能かもしれませんが あなたはこのために 沢山の時間をかけ 簡単には見えません あなたが 開悟した過程と 難しかった体験を 少し 話して頂けますか

即刻開悟とは あなたが来て 印心を受けるとき 即座に開悟する という意味です ただそれを育てるべき あなたに 子供がいるのと同じで 子供に毎日 食事を与えて 初めて成長します 開悟も同じです 開悟も同じです 子供は 腕白かもしれないし いい子かもしれません あなたの修行の 背景と カルマ(報い)と 家族の状況によります 従って印心の時 即座に開悟しますが それを育てるのは あなたの権利であり 義務でもあります

私は開悟するのに 余りかかっていません 私は六ヶ月間 弟子としていました 皆さんは 六年か 六十年 かかるかもしれません しかし 永遠にかかる わけではありません 印心を受けた後 あなたのレベルが どの程度であっても 必ず解脱します 解脱と マスターの境界は もちろん違います

仏陀と弟子は 異なります ただ皆が解脱します 例えば私達皆が カナダに住んでいて ある人は裕福で ある人は高貴で ある人は社会的地位が 高いのと同じです またある人は 平凡な暮らしを しています しかしいずれも カナダの市民で 同じ権利と 同じ 平和な雰囲気と 同じ大国の特権を 享受します

多くのことが どうして分るのですか

何を知っていますか 私に全てが分りますか 皆さんの質問は皆 一般的なことです 私の知っているものと 比べて皆さんに与える のは一握りの砂です 私は全世界の海と 全世界の浜辺の砂を 掻き集めたぐらいの ことを知っています

私を称えないで下さい 皆さんも持っていて もっと知っています 自分を知ることです すると私が今日 話したことや私の本や テープでの話がほんの わずかだと分ります 自分の偉大さと 全宇宙を有していると 分ります これこそがあなたが 知るべきことです 自分を称えるべきです 私を称えるべきでなく 私達は同じです
処理すべきですか

いいえ ただ楽にして下さい すべてのエネルギーと 性的欲求と 葛藤する努力を 瞑想することに 使った方がいいです

なぜ自分の体を 苦しめるのですか それはとても 自然な現象で 時間が経つにつれ 欲求は弱まります

結婚しているとしたら 情熱も何でも 減少していきます しかし瞑想を すればするほどもっと 天国の素晴らしさを 見出せます 性関係はいわば 天国の幸せの 代用品に過ぎません 大半の人は真の 幸せが欠けているため 低質の代用品に 執着します いったん私達が 本物を知れば 他のものは魅力を 失ってしまいます 私達が成長すると すべての玩具や プラモデルの車などは 無意味になるのと同じ というのはベンツや キャディラックや ロールスロイスや どんな車であれ 本物があるからです 私達は本物の車は速く 役に立つことを 知っています ですから性関係は 心配ありません ただ開悟すべきです

開悟した後すべてを 失うのではないかと 恐れる事もありません かえってもっと 楽しむことができます でも いつどのように 楽しむか分るのです 開悟する前のように 享楽の力を 乱用するような ことはありません 必要であれば性関係を 持ってもいいし 望むなら 楽しむこともできます しかし 開悟こそが 人生の主な目的です 印心後 悟りは 永遠にあなたから 離れません  後押ししてくれます 前に進まないわけには いきません 再び無知になることは あり得ません たまに妻と 「運動」するとしても なぜそれが いけないのですか 神はその種のことは 気にかけません あなたは色んなことを 心配し過ぎます ちっぽけな性関係の 事まで心配するなんて 恐れる事はありません

あなたにとって 肯定的とは何ですか 何が肯定的ですか

分かります これは 人々の一種の態度だと 思います ある人はなるべく 全ての事はいい事で 素晴らしい事だと思い 人生は全ての可能性が あると思いがちです しかし思うだけでは あまり役立ちません 私達が開悟の光で 生活における すべての問題の 根源を照らせば 問題をよりよく 解決できます 肯定的だけでなく 肯定的であれ 否定的であれ 正しい 方法を取るべきです 肯定的な面だけを 見ると私達は生活に おけるとても重要な 面を疎かにします これは男性だけを 選択し 女性は 無視するのと同じです これでいいでしょうか

これはいけません 開悟した人は 肯定的な事と否定的な 事を処理できます どっちも拒否しません 今生と死後のために すべての事を フルに活用します 私は極端なことは 教えません

容認の限度は どこまでですか

あなたが答えて下さい 質問した人は きっと何かの事で もう堪忍できないほど 追い込まれた ようです それで 私は 限度はないと思います そういう状況に おかれたとしたら ページを捲って下さい それ以上耐えられない 時は またページを めくって下さい

生活の中で別の事を やってみて下さい ただ座って耐えて ばかりいないことです 先ず開悟することです

それから次に何を すべきか見ることです

私達若い世代の未来に ついてどう思いますか 私達の後世に対し 自信を持っていますか

はい 未来はとても 素晴らしいです この時代には 開悟した人は イエスや 釈迦の時代よりも 地球史上いかなる 時代よりも多いです 従って私達の未来は 大変明るいです すでに明るく なりつつあります

世界の政治的情勢も 大変希望が 見えてきました

多くの 敵対していた大国が 互いに握手し 平和と経済復興の 話し合いを進めてます 従って楽観的で いるべきと思います

自分を愛することは 他人や全ての衆生を 愛するより重要ですか 人は皆 思いやりが あるべきだと 望むだけでいいですか

それは無理だと 思います  そう願うだけで 裕福になれますか 誰かがお腹が空いて 戸口に来ているのに あなたは 偉大な衆生だから座り 瞑想するとします そして彼に食べ物が あって欲しいと思う だけで役立ちますか 願うことと実践する ことは違います 私達が開悟したら 実際 誰も助ける 必要はありません そう願わなければです 私達は物事に対する 見方が違うからです 私達は内面から 幸せなのです 時には衆生の 苦しみが理解しにくい ことがあります それを知らないのです しかし助けたいと 願うのであれば 私達は高いレベルから 降りて 他の兄弟姉妹達が まだ無明の中で 苦しんでいるのをみて 苦しんでいるのをみて できる事は何でもして 助けてあげます これが真の 慈悲心というものです 望むだけではだめです

二人とも 性関係を持つことに 同意すれば してもいいですか

もちろんいいです もちろん事前に 双方の同意が必要です なぜ性関係についての 質問が多いのですか それがそんなに 重要なのですか 知っての通り 動物は これを語らなくても よくできます 何でもない事なのに 一体何が聞きたいか 考えさせて下さい 邪淫するなという 戒律のことですね

邪淫してはいけない という意味は 故意に言葉や 行動やその他の方法で 他人の愛する人を 横取りして 彼らの幸せを 失わせては いけないことです

これは人の財産を 奪うのと同じです だからなるべく 避けるべきです しかし 男友達や 女友達をもつのは 大丈夫です これが聞きたかったと 思います 性について もう語らないで下さい 愛のない性関係は 無意味です ですから これは恋人同士の 愛の関係 または恋人同士の愛の 表現だと言うべきです これが人間に適した 表現だと思います 皆さんがどう過ごして いるか分りませんが 性は重要ではないと 思います 誰かを愛していれば 色んな形で 愛を示したいと 思うのでしょう 行動や言葉や 心で表現します 真の愛は霊性面も なければなりません ですから 性交為だけだとすると それは自分を 動物の水準に 下げることです ですからそのように 見ないことです 誰かを愛していれば 自分の好きな形で 彼 または彼女を 愛することです 双方が受け入れられる 形で愛することです ただなるべく 人の幸せと恋人を 横取りしないことです そういうことです

なるべく避ける事です

すでに亡くなった人に 会うとか 彼らを 見て分かるといった ことは可能ですか あなたはそれを 信じますか

はい 可能です 先祖のことですね それは可能です 過去の マスターや聖人達 先祖や友人を 見ることができます 私の多くの弟子達は 彼らを見ています 私は弟子達に 一人が印心を受けると 五代の先祖が 解脱することを 約束したからです 多くの弟子達は 先祖達が戻ってきて 彼らの印心と 修行によって 自分達が 解脱したことに 感謝しているのを 見ています それは可能です しかしこれはさほど 高いレベルではなく 大した事ではないです

どうしたら自分の 生計を立てながら 他人の儲ける機会を 奪わないように できますか 例えば私が この仕事をしなければ 他の人がこれをして 幸せになります 私が生計のために 樹を伐採しなければ その樹は 多くの衆生を養えます

はい 問題ありません 仕事があるのは 神が与えたからです たとえその仕事を やらなくても 誰も その仕事はできません 彼らにまかされた 仕事でなければです 罪を感じることはなく あなたが得たものは それでいいのです ただ私達が 人と競争したり その人を 引きずり下ろしたり 謀略でその人を その地位から 追い出し 自分が その代わりになる こととは別問題です 競争社会の中で 自然に得たものは それでいいのです

他の人が その地位を望む場合 あなたのように迅速で 有能であるべきです 樹の伐採については 一株伐採したら 十株植えればいいです 心配ありません

樹を沢山植える事です 私達は自然を尊重 しますが自然の奴隷に なってはいけません 樹は違った形で 私達に奉仕するために あるものです 蔭が必要なとき 樹は蔭を提供し 家屋に柱が必要なとき 樹は柱を 与えてくれます 家の中を暖かくする ために薪が必要な時 暖かさを提供します ですから樹を伐採した ことは心配ありません 貴国に樹が豊かなら それは許された事です 状況を 考慮すべきです いつまでも大自然の 崇拝者ではいけません 人間こそ最も 価値があるからです 樹を全部切って 新たに植えないのは 無論よくありません しかし一株切って 十株 二十株植えたら なぜいけないですか

極端はいけません 状況に応じて 臨機応変にすべきです

あなたの開悟を使い 世界で苦難がある所を 平和にできませんか 戦争や飢餓などです

できます 皆さんが 助けてくれればです 皆さんが 私のように開悟すれば それは可能です でないとできません というのは 例えば ある人が教授だとして 彼は成長して 知識があります しかし彼の子供や 親戚や 兄弟姉妹達が 教育を受けたがらない としたら 彼らは どうやって読み書きが できないために 強いられる貧しさを 避けられますか

あなたは オゥラック(ベトナム) 人民の未来を 予言できますか 私は何も予言しません 占い師ではないです 未来は 今現在によります 国も人も皆同じです 今 皆が開悟し 道徳的な方法で 国を治める方向に 変われば もちろんオゥラック  (ベトナム)の未来は 明るいです

これはとても 簡単に予言できます

誰でも予言できます

あなたは「自分以外は 何も存在しない」と いう言い方に 賛同しますか

はい 賛同します ただこれを知っている だけでは足りません 開悟を通してそれを 体験すべきです

夢の中で自分が飛んで いました なぜですか

これはよくある事です 小さい時 この夢をよく見ます

時には前世の 他の惑星での 違った生活の 経験のためです  例えば他の惑星では 歩かないで飛びます たぶんあなたは 高い霊性の惑星から 来たばかりで その記憶がまだ 残っているためです そこでまたそれを 体験するわけです 原因が知りたければ 開悟するのが一番です 私は宣伝しているのに 皆は分かっていません

天使になるか悪魔に なるか自分次第ですか

そう もちろんです ただ状況にもよります 生活における誘惑に 抵抗できるだけの 強さがなければ もちろん私達は 創造の反対側 つまり否定的な側に 落ちます 十分強い場合 真ん中に留まり 肯定的な力も 否定的な力も 処理できます それが 開悟した人の道です

あなたの言ったことは 正論でよく聞こえます しかし何か私達に役に 立つ事はできませんか

何をして欲しいですか あなたの国は豊かで 失業率も 高くないです あなたの政府は 素晴らしく 国は美しいです 私に何ができますか 開悟を与える以外に 私は必要な時だけ 助けます 例えば フィリピンで 火山が爆発した時 私達は数百万ドルの 援助をしました オゥラック (ベトナム)の水害も 助けました また中国や他の国で 災害があった時も 助けました 助けを求められた時 彼らは必要と しているので助けます

誰かにずっと 悩まされたとしたら どう幸せになれますか

これが 開悟すべき理由です 開悟した後 たとえ 人に悩まされても そんなに 悩ましく感じません レインコートを 着ているのと同じで 雨が降っても 濡れません 他人を変えるのでなく 自分を守ることです

私はいつも 瞑想していますが 進歩しません

方法を変えるべきです 進歩を感じない場合 瞑想法を変える事です たぶん真摯な心に 欠けているのでしょう 原因を究明すべきです いつも 瞑想法のせいにしたり 教えた先生のせいに してはいけません 瞑想法が よくないとしたら 変えてください 沢山の選択肢が あります

意識を捜す必要は ありますか それともオープンの 状態にしておくと 意識は ひとりでに現れますか

それは難しいです

皆さんの内面には スイッチがあります いわゆる印心の時 スイッチを入れます 外から見て 何もして いなくてもです 時には 深い祈りと 深い瞑想中に 偶然スイッチが 入ることもありますが 長続きしません

従って経験豊かな 友人に教えてもらう ことが一番いいのです

なぜ神は 肉食動物を創造したか ご説明頂けますか 虎やライオンなどです また菜食の動物もです これではこの二種類の 動物の間でどうやって 平和になれますか つまり 食物連鎖のことです

神が虎やライオンを 創ったのは 私達が非難し 彼らの 行為を避けるように するためです 私達は獣ではないから 分かりますか それらは 良き反面教師です

各宗教はそれを 習うことによって 皆が各自 開悟を得られると 思いますか

それが可能であれば 素晴らしいことです そうでなければ 私の所に来て下さい ある宗教は可能ですが ある宗教はできません それはその 宗教団体によります その団体に あなたに開悟を与える マスターがいるか いないかの問題です 師と信者が 両方とも 無明であれば もちろん開悟する ことができません

禅定にはいろんな 種類があります 永遠なものと  そうでないものです あなたは今 禅定にありますか どうしたら 永遠の禅定状態に 入ることができますか

禅定にはもちろん 色んな種類があります とても短いものもあり 皆さんが印心を受け 修行の初段階の時に 体験します また長く持続する 禅定もあります

例えば 数時間 数日も 持続し一定期間修行を した後こうなります もう一種の 禅定は 大変平凡で 皆さんがこの世界で 二十四時間働いて いるのと同じです それはマスターの 禅定状態です 従ってマスターは 外見は普通の人と 変わりませんが 智慧は明らかで 加護とパワーが 大変強いのです

全宇宙が開悟する ことができますか

開悟していれば あなたにとって 全宇宙が開悟して いることになります

私達がある霊性の 世界に入ったとすると 引き続き他の世界と 宇宙で学ぶべきですか

そうです 更に高い 世界に行くべきです マスターの境界に 至らなかった場合 引き続き 高い世界へ向かって 学ぶべきです ただこの世界にいる時 マスターに印心を 受けた場合だけです するとマスターは 私達がこの世界を 離れてからも更に高い 智慧へと導きます 私達がまだその境界を 得ていない場合です

キリストのパワーは この世界で どれほど続きますか

キリストのパワーは ずっとありますが それを使わないと それの存在が 分かりません ずっとあるのですが 知らないと 存在しないのと同じ

死んだら どうなりますか

あなたはそのうち すぐ分ります

今 世の中には 多くの 神意識のある スプリームマスターが いるようです 互いに知っていますか 皆は 同じレベルですか

そうとも限りません

内面で 互いに会っていますか

はい そうです

どうしたら自分自身の マスターになれますか 私には支障があります 何を読んでも 覚えられません

先ず弟子になる事です

私達の修行法は あなたが自身の マスターになることを 訓練する法門です ただ やや時間が 掛かります

先ず弟子になり 後で マスターになります

私達は実際 どんな 幸せを望んでいますか

空腹の時に 食べ物があると その時あなたは 幸せです 同じように どんな事でもそうです しかし真の永遠の 幸せを求めるとしたら 必ず幸せの源からの 幸せ つまり 真の世界からの幸せを 求めるべきです 真の幸せのコピー版 であるこの世界の 幸せではありません

宗教は人間同士を 分裂させる根源だと 思いますか

人間同士の分裂は 宗教のせいなのかに ついては 宗教の せいではありません それは 人々の誤解に よるものです 自分達は 何々宗教の 信者だと称し 互いに自分の信仰は 最高だと思い 互いに 競争するためです 開悟すれば すべての宗教の 教えが分り マスター達の 教えは 元々皆同じ真理を 指していることが わかります 私達が その真理を知った時 すべての宗教は 一つになります

開悟する 本当の意義は何ですか まだ

知らないことを

知るためですか

そうです

仕事もなく お金も なかったら  どう 幸せになりますか どうして幸せな生活を 送れるでしょうか どうやって 人生を楽しみますか

カナダには失業 手当てがありますか ないですか あります ではそれを受けて 政府の助けを 受けながら別の仕事を 探してください しかし開悟しないと たとえ国で一番いい 仕事を持っていても 頭の痛い問題が 山積みです

仕事のため 二時間半 瞑想できない場合 どうなりますか

最善を尽くすことです 時間がそんなに なければ寝る時に 瞑想してください それでもいいです 私達にはこの世界の 障害を乗り越える 沢山の方法があります 私が教えます

否定的で苦しみを 受ける人達に会う 重要な意味は 何ですか 彼らの否定的な エネルギーを避ける べきですか それとも 抵抗すべきですか

受け入れないことです 否定的なエネルギーに 抵抗してください

無視することです 無視し 自分の瞑想法で 自身を守ることです

右側に 白い光が現れます ご説明頂けますか 閃光のような光です

右側ですか 私の右側ですか あなたの右側ですか 私の右側ですか 人は私の周りに沢山の 光があるのを見ます 半分しか見えませんか

全部見てください あなたは 真理のビジョンで 加護されてきました

いわゆる開悟した人の 周りの 後光が見えます 普通は完全な 光の輪を見ますが 半分だけ見ますか どうしてでしょう 片目に 問題がありますか

ある人が 不治の病にかかり 大変憂鬱に なっています

その状態から どう抜け出しますか 安楽死はどうですか

もちろんできる限り 病人を慰めることを すべきです 開悟した人は この状況を

受け入れます

素敵な車を 持っているのと同じで たまたま 事故に遭ったか 古くなって 壊れたとします すると修理に出します 修理できないか 修理代が高すぎると 新しいのを買います

神は私達に数千 数十億 数兆個の体を 与えます 無数の 人生の中で無数の 体を与えられています 私達は生命の根源が どこにあるのかを 知らねばなりません 体のことは 気にしないことです 沢山あるからです 服と同じです 私達には 沢山の服があります この服が破れたら 新たに服を買うか 新しい服を着ます あまり気にしないこと 肉体に何が起きても 問題ではありませんが 霊体を 知らないのが 問題なのです 私達はいつも死に いつも病気します

クリスチャンにとって 神の愛は 神と一つになる 基本です これさえあれば 救われますか

それは ただの頭脳の想像です 私達は神を信じ 神を愛し 神と一つだ などと想像するのです 神との真の合体は 神の栄光の光に 融合することです するとあなたは 天国の光を見て 神の声を 聴きます 要するに 天地創造の時の音で この音は神と共にあり この音は神です 印心と瞑想を通して この音を聞けたならば その時初めて 神を愛し 神を知り 神と一つだと言えます そうでないと みな頭脳の想像で 新奇でロマンスに 思うだけです 自分はお金があると 想像はできますが 必ずしも持ってません

同じではありません ありがとうございます マスターチンハイ ありがとうございます 貴国のご多幸を お祈りします

 
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