Heart-Touch Tour of the Supreme Master Ching Hai: Eden on Earth Arts Gallery Exhibition - Part 1 July 5, 2008 - Formosa (In English & Chinese)    Part 1
Part 1


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よろしいでしょう 皆さんがよく見える ように立って話します 拍手はいりませんよ 男性の皆さんお元気? 私が若かった時 今も若いですよ はい 内面でです 内面で若返ってます 若かったころ 時々気づいたんですが 自転車に乗っている時 あるいは歩いている時 誰かが話すのが 聞こえるんです それは言葉ではなく 一種の考えです 私が振り向いても それは まだ続いて いましたから テレパシーだと 思いました こういった人達は カリフォルニアでは 多くの問題に 遭遇しています 話声がすると 言っても(はい)誰も 信じてくれません はい 分ります 彼らは検査され 音が聞こえるかと 尋ねられます 思うに 彼らの問題は   頭脳がテレパシーを キャッチしても それに どう対応し それが 何を意味するか 分らないことです 恐れ コントロールも できないのです 要するに 彼らは 他人の考えを 任意に感知するのです (そうです)それは よくないことですが 頭脳をオープンすると 聞こえこう思うのです 「誰かが話しかけてる」 普通 どういう事を キャッチして 聞こえるのですか 否定的な事ですか 肯定的な事ですか 世間話です 世間話ですか 人の考えが 読める人や 聞こえる人は いるのでしょうか (います) そうですか わかりました ただ 人の考えを 聞いたとき 彼らは それが第三の目による 光と力であると 分っていません ただこんな感じ 「私は 他人の考えを聞ける」 「私はこれが聞こえる」 「私は神を信じてる 神は全ての人の中に あるのだから」 などと思っていて 更に高い境界について 分っていません (無論です)彼らは はまってしまいます (そうです) 以前は 私も分りませんでした しかし こういった 人達はやはり問題が あると思います ステーキを食べます

瞑想しなくても 私の考えが分るのです 何故私が慌てるのかと 思うのですが 慌てているのは彼らに 掻き乱されたからです そうですよね 自分の内面を 探求しなかったら その低い境界から 出て来た時 とても残念に 思うでしょう (その通りです) 私の質問は テレパシーと 理解の欠如に ついてです

人々は 自分の信じて いる事に満足してます そういう事はあります

まあ いいでしょう それが 私が 知りたかった事です けれども 最高の 意識レベルでは ありません

ただ 頭脳の レベルに過ぎません コンピューターのインターネットでの 交流の様なものです 実際 私たちの内面に インターネットが あって ある人は それが利用でき ある人はできません それだけのことです 私達が互いに 頭脳のレベルで コミュニケーション すると 利用できます 人はテレパシー 又は催眠術などを 訓練することで 身につけられます 大したことでは ありません 光と音とはあまり関係 ありません 光と音は 私達を最高の境界に 高めてくれます 実際 時には 私達は この種の能力を持つ こともあります 頭脳がはっきりして 特定のことに 注意を集中して いない時 人の考えの波動を キャッチする ことができます ラジオのようにです 大した事ではないです 気にしないでください 邪魔されないように? そうです それに気を 取られないことです 貴方が瞑想していれば または何か瞑想法を 知っているならば 心や注意を いつでもどこでも 聖なる名に 又は呪文に 集中する ことです そういった世間話は 気にしないで下さい 貴方によくありません

私は当惑しています 簡単な質問があります (かまいませんよ) とにかく お伺いします 私は新米で 緊張していますし 興奮もしています 私は観光する ことよりも 観音の方が 困難です 観音する時 なかなか その状態に入れません どうしてですか 分りません とにかく困難です そんなに簡単には できません 出来る範囲で やってください 一歩一歩やるのです 次の日に一、二分 時間を増やして みてください  翌日 また一分増やし 必要とする時間に なるまでやって下さい 有難うございました どういたしまして 有難うございました 時には 最初 難しい事があります 頭脳がいつまでも 干渉してきて 別の事をするよう 騒ぐのです 最善を尽くすことです よろしいですか まあ 厳粛なこと 笑ってください 面白い話をして あげましょうか まあ やめます 皆さんは自ら 楽しくならないとね いつまでも私に 頼らないことです 私はいつも皆を 溺愛して良くないです 自分で やって下さい 周りで問題に遭って いる人達が なぜ よりよい人生を 探し求めないのか 分りません 注意を自分の レベルに集中する ことです 自分は何を求めるのか これが大事です 分りました 自分が純粋であれば 人に影響を 与えます 分りました

よろしいですか 多くの私の隣人は 私がしたことを 覚えています 彼らは私に イエスの 話をすることで 私を変えようと しています 助けの必要な人も いるのです でないと 例えばイエスは 天なる父の所には 沢山の邸宅がある と 言っていますが 誰がそこに住んでいる かは言っていません モーセはイエスより 先に往生していて 彼はきっとそこに 住んでいると思います 彼を探しに行きなさい 私は祭壇を作る必要が あります 私の祭壇は 少し変わりました ちゃんと世話して 頭脳もちゃんと世話し 使わねばなりません 仕事をすれば 私の内面の未解決の 問題が分ってくる と思います 例えば (いいでしょう) 私に 何ができるかなど もう一度仕事を探す 努力をしています 有難うございました 私は先週 印心を 受けたばかりです 何が本当の光で 何が幻想の 光なのか 区別できません というのは 目を閉じると 瞑想しなくても 光を見るのです そうですか  それが問題ですか? そうです 私の問題について 教えて頂けますか 光はいらないのですか それとも何ですか いいえ 欲しいです 私が知りたいのは どんな光が 幻想のものなのかに ついてです 光は幻想から くるものだと 思っていますか? 私はただここに座って この部屋に光があると 想像するのですか? いいえ 目を閉じた時 同じことです 目を閉じると もっと見えません 光がないなら 光を見ることは できません 光は光です 想像の光などないです 有難うございました

まあ いいでしょう 大変良いことです 集中しなくても 光が見えるのですから 当然そうである べきです よろしい? ただ光が見えない事も あるのです それで座って瞑想する 方法を教えるのです しかし 普段でも 光を見るとしたら それを分析する 必要はありません 楽しんでください それは気分を良くさせ もっと智慧に満ち 幸せにさせるのです 心配ありません 光は悪くありません 光が見えないと 不満をいう人もいれば 光が多過ぎると愚痴を こぼす人もいます どうしたらいいですか 質問は以上ですか? なんて素晴らしい 聴衆でしょう では家に帰って お休みなさい よろしいですか もう十時ですね まさか そう? もう十時ですか 私と久しく会って いないので 沢山の質問が あると思って いましたが 皆さん 大変開悟しています 良いことです もうよろしいですか? 質問があります 私の質問は 貴方は 傷つけられた人に ついてどう思いますか

傷ついた人ですか (そうです) 心の面でですか 心の面です 分りました かなり深刻です 癒す方法はありますか 何か助言は ありませんか 事情によります その人が どんな心の傷を 負ったかに よります 具体的に 言って頂けますか 見捨てられました 愛する人にですか はい 友達です 女友達に? 妻ですか 友達です 友達? 女友達? 女友達です ガールフレンドですか 友達とは違いますね ええ もっと傷つくからです 大丈夫 時間です 時間は全てを癒します 外に出て 友達を見つけて 貴方の悩みを 訴えてください ダンスに行ったり 楽になる所にね 言っておきますが 天国に行っても 楽には なれませんよ 時間が必要です これは人間にとって 最も苦しい経験です 愛する人や信頼してる 人が 離れて行きます 時には理由もなく 時には ほんの ちょっとした理由で 時には合理的な理由で どんな理由にしろ 苦しいものです 時間だけが癒せます 癒しを求めれば 与えてくれます 時々 苦しみの中にいると  魂を癒す薬も何も ないように 感じるものですが 大丈夫 保証します

普通の人間で この経験から 逃れられる 人はいません 人生の中で私達は 色んな事を経験して 成長し 成熟していきます 自分で自分の運命や 感情 才知 智慧 自分の考えなどを 左右するためです これは人間が必ず 経験する苦しい 体験です 自分の 最も苦しい 感情を自分で 支配するためです これから逃れることは 誰もできません 貴方は孤独ではない それを 経験にして下さいね 彼女が死んだから 彼女を失った とか 貴方が死んだので 彼女を失ったと思って ください あるいは より良い人に出会うと 貴方も彼女を離れます 色々な形で 失う人もいれば 得る人もいますし 失う事も得る事もない 場合もあります 彼女は他の人のために 離れたのですか? ただ離れたのですか? 戻ってくるかも しれませんよ 私はそんな経験を よく知っています つらいですが 経験せねばなりません 耐え難いことです 病気するよりも 飢餓より 歯痛より 耐え難いものです 心痛は耐えがたいです

できれば助けたいです できればすぐにでも 心の痛みを 消してあげたいです しかし 自分で努力 するしかありません 私は貴方の代りに この加持を取り除く ことはできません この痛みを 自分で癒せば  もっと強くなれます 今度は容易に傷つく ことはありません 今度また同じ事を 体験しても  心配ありません 最後ではないかも 最初かもしれませんが 最後でもないかも そして貴方は どんどん強くなる ことが分ります 最後にそれはどうって ことがないと分ります 体と頭脳が感じる 一時的な喜びに 執着しなくなります いわゆる その愛は 真の愛ではありません 真の愛 偉大な愛の 一部に過ぎません もちろん これは すばらしいもので この宇宙の愛の ごく一部でも 生活の中に取り入れ られるならば 人生は より麗しく より有意義に なります

私達は より明るく より幸せに なったりします それでも他にも私達の 魂を慰めてくれる 多くの事があるので それに取り組んでも いいでしょう 例えば 人のために なる事をして 彼らの苦しみを 理解することなどです 何が何でも 貴方は自分で 学ばねばなりません 誰も手助けできません もし私に数え切れない 経験があるとしても 貴方が恋をし 失恋で 傷つくのを 防ぐことはできません これが因果です よろしいですか  私達は人生において いかなる行為や 反応にも 責任を 取らねばなりません 恋をする時は 最高と最悪の結果を 予想しなければ なりません 両方 可能性がありますから 最もよい情況の 場合もあれば 最悪の場合も あります また 始めはよくても 後でよくなくなる 場合もあります ですから 誰かと恋愛する前に この機会を逃さず 冒険をして みたいという はっきりした意識を 持たねばなりません 痛みが怖ければ 恋愛しないことです これが私の助言です

恋をする事は わくわくして試す 価値があると思ったら 冒険してみて下さい それを保証できる 人は誰もいません 特に恋愛はそうです マスターや 仏陀でさえ 保証書を書いて 幸せな人生を 保証することは できません 私が疑念を 持っているのは  王子や王女の  物語は どれも 始めの部分だけあって 最後がないことです 子供達は皆 騙されています いつもシンデレラの 話を思い出したりして これはいずれも・・・ 彼らが一緒になって 子供ができた後 どうなったか 見てください ですから 実は 時には愛して そして別れる こともありますが 幸運かも知れません 分りますか 少なくとも美しい 思い出があります 色んな事を 想像できます もし 彼女が私から 離れて行かなかったら もし 私が彼のもとを 去らなかったらと しかし ずっと一緒に 住んでいたら  ロマンなど ありません

何かというと 税金 電話の請求書 電気料金の請求書 それにまた 子供にかかる費用 などが殺到します 分りますか 実際 私は何が本当に いいか分りません ずっと一緒にいるのが いいか 途中で別れて 苦しみはあるものの 美しい思い出があり 色々想像するのが いいか分りません どっちも 代価を払います 何でも受入れるのです その関係を 維持したければ 大きな代価を払います いつまでも 相手に寄り添うのです 自分の個性と 時間と自由と プライバシーなど 色々な事を 犠牲にして 初めて関係を 維持できるのです しかも これらを 全部したとしても 関係を維持できるとは 限りません 人によって違うのです ある人はべったりの 伴侶を好みません ある人はよく尽くす 伴侶を好まないのです よすぎる伴侶を 好まない人もいます だめな 男の子や 女の子や ややきつく悪戯な人を 好む人もいるのです 余りにも 保守的で よすぎて 優しすぎて よく尽くして 言いなりになる伴侶は かえって相手を 失うことがあります

ですから 秘訣など 決して分りません コツなど 分りません 冒険して下さい 望むならばね でも私に どう癒すかとか 防ぐかなど尋ねないで 薬はないです OK? 受入れるか 拒絶か どちらも面白いですよ OK? でも米国での 生活は少し寂しいです 米国で暮らす 多くの人が寂しいと 感じています 土地が広く 人が 少なすぎるせいかも また 現代の人は 子供の数が少ないので それで より寂しく 見えるのです それで伴侶を得て 同じ趣味を持ったり 寂しい時間を 過したりするのです しかし この歓びに伴うのは 大きな責任と 犠牲です つまり試す価値の 有無を決めるのは あなただけです 誰にも保証できません ですから 今度 恋愛するなら 前に 知っておくべきです よろしいですか 再び同じような事が 起こりうる事を もっと悪い可能性も 例えばこんな風です あなたは結婚に成功 したとします ね 彼女は去らず 貴方も彼女から去らず 二人は結婚しました しかし その後人生は 味気なくなります もう最初の頃の ようではありません

愛の関係が 始まる前にその事を 知っておくべきです しかし 時に私達は それを全て知りながら 防げない事も あるのです だから何でも結構 続く限り楽しむのです それを私は言うのです そして愛が去れば バイバイ ね つらいけれど任せます 痛みもまた一種の 経験でしょう 拒絶しないで ただどうなるか見る いいですね 痛みは承知してます いいでしょう 私達は心に まだ痛みがあっても 日々暮すのです まだ愛が  あった時と同様に 全てをあるがままに 受入れるのです 大げさにしたり 悪化させないことです こだわらないことです 他にたくさん 他にたくさん 楽しい事があります 幾つかの前世に おいて 私は何度も恋に落ち 傷ついてきました 痛みを伴いますから しかし  毎回 自らの仕事を 続けました ね 「OK いいわ 今日とても傷ついた 多くの痛みを受けた 恋人が離れて行った でもそれが何なの? すべき事は沢山あるわ 例えば朝は起きないと 何をする? そして昼は 何をすべきか? 午後は 会わねばならない 人がいる そして夜は 何をすべきかしら?」 意味がわかりますか 自分を日常の 仕事に投じて 日々の責務に 身を捧げれば 傷や痛みは みな早く 癒されると分ります 痛みが まだある事は 分っていても  それに負けません 冷静でいられる為です ただ仕事をすれば 全てが 自然に 面倒を見てくれます 痛みは 思ったよりも 早く癒されます こうすれば早いのです

それに その事に 注意を払わなければ その関係を考えず 普通は 長く続くことは ないでしょう 振り返ってみれば 二人の間にある 性格上 合わずに衝突するもの 興味の違いが 分かるでしょう 振り返って チェックすべきです その時 自分に 分別がなかったと 気づくでしょう その事は始めるべきで なかったのです 例えばこういう事です 十分話しましたね 私は今 ロマンスと 愛の中にいます OK 他には ありがとうマスター 私は医学生です 安楽死について お尋ねしたいです 安楽死です 何のためにですか 私を煩わすのですか あなたの事でしょう 皆 医師が決めます 私は 医学生なので 恐らく将来 その選択に 直面します なぜですか 米国にはその法律が あるでしょう ここには安楽死の 法律がありますよね 分りません 私はフォルモサ (台湾)出身ですから なぜ私が全国家の 責任を負うのですか 法律は違いますよね 安楽死にはいろいろ 種類があります 私が話しているのは 受動的な安楽死に ついてです 例えば ある人が重病 或いは重傷を負って まだ息をしていて 例えばですが 人工呼吸器をつけてて 生きている兆候が 何もないとします 人工呼吸器に頼って 呼吸を維持して 心臓の鼓動がある 以外にはです 時々 その様な人々で 六ヶ月後 六年後に 気がつく人もいます ご存じでしょう 誰を殺し 誰を生かす というような事を 私があなたに 告げるのは難しいです

勿論非常に困難です ですから 家族が 決断すべきです 医師が決断すべきです それに患者もです もしも 意識があるならですが もし この植物状態は 保つ価値なしと 私があなたに言ったら  長い昏睡状態から 目覚めた人のことは どうしますか 分りますね 何を言えるでしょう? また 私があなたに 延命すべきと 言ったとしましょう しかし 実際 その状態に長くある 人々も多くいます 二十五年とか 昏睡状態から 目覚めません だからやはりここでは 分りますね 判断するのは困難です その患者の 直系の親族か 医師が 決定すべきです どの場合ならいいか 分るはずです また 神が 面倒を見るでしょう 有難うマスター どういたしまして この世界には多くの 問題があります ハイ マスター 短い質問です 神とは何ですか 私には神と何かという 明確な概念が ないものですから 私は宇宙哲学を 勉強してきました 学生として教育され 物質の法則についても 多分小学校から大学迄 約二十年は 学んできたと 思います

また この物質世界には 物理の法則がある事を 知っています 全てが物理の法則の 下にあります すると 神とは高次レベルの 宇宙の法則で 霊性を 管理するのですか つまり 様々な霊的レベルを 又は別の何かですか 神について 何かお話し頂けますか 質問は短いと 思いましたが (ええ でも・・) つまり なぜ神は 世界を救いに来ない のかという事ですか そうですか いいえ つまり・・・ 私にはただ 神とは 何かという明確な 概念がないのです 神は人ですか 又は 単に宇宙の法則ですか 或いは神は・・・ 神は そんなふうには 形容しがたい存在です 神について多くの 書籍に記述する事は 私にはできません 実際 あなたは私に今 質問していますが 私には神が何なのか 分りません 考えられる人いますか いませんね 愛があって 肉を 食べない明師ですか 彼はこう言いました 愛があり  肉などを食べない マスターですって まあ 実際 私達が神を知るのは 神が分らないと 思う時です

以前私達は神を知って いるつもりでした 神はああだこうだ 神は愛 神は正義 神はパワフル 神は全てだ 慈悲だ 神は恩恵だと でも後に 多分私達が 神を知ったなら 神の事を知らないと 思い始めるでしょう つまり 私達はもはや 記述できなくなります 私達は彼により存在し ですから難しいのです ただ私達の方法を 試してはどうですか 誰もが神が分ると 言います だから 試して下さい ありがとうございます どういたしまして ちょうど 水の中の 魚のようなものです 魚が母親に 尋ねます「ママ 海って何? 海洋って何? 水って何?」と すると母は言います 「今 そこを泳いでるの そこで暮してるのよ お前は水の中で生まれ 水の中で死んでいくの お前は水の中で 存在しているの 水は周りにあるの お前は水中で生まれた お前は水と一体なの」 神とはそんなもの 私はそう思います ええ これが十分な 答えかどうか 私にも 定かではないですが 今 私が人々に 神とは何かを 説明する事は困難です 道(タオ)とは何か 修行とは何か等という こと全てです 私には以前より説明が 難しくなっています 現在は 修行仲間の 人達の方が 私より 上手く説明できると 思います ね そう思いますよ 皆さんの方が私より 上手く説明できます おかしいですね 皆 私はあちこち行き 人々に説いていると 思っていますよね 或いは例えば 私がドミニカ共和国の 大統領や 首相の所へ行き こう話していると 「どうか野菜を食べて」

いいえ 彼らには 本さえ渡してません でも弟子達はその事を 考えていました 本を持って来ました 私は言いました 「貴方達にあれば結構」 私は一切 思いつかなかったので 私は何を渡すでしょう 時には たとえば 男性用の品 タイやカフスボタン等 その様なものですね 女性には 指輪を贈ります 空港の免税店の物や そんなものです 免税店の贈り物など 分りますね それを買って 贈りますね そんな感じです 又はその国が寄付を 子供のため 又は 高齢者 病気の人々に必要なら 少し寄付をします それだけ でも知っていますか 三人の人々が 菜食をしたんですよ わずか三日間に 私が出会った三人です その三人はなぜか 菜食を始めました 私は何も言いません 彼らは私が菜食なのを 見ただけです 彼らは「OK 私達も 今日から菜食を 始める」と そう言って始めました 本当にそんな感じです

つまり もう 話はしません 道を説けないのです ただ不自然に 感じるのです なぜか分りません ただ人々に説教以外の 何かを贈ります そして時に弟子や スタッフが 本などを渡すのです ええ 小冊子や 「私は貴方たちを家に 連れ帰る為に来た」等 そんな本をです 気恥ずかしいです ええ なぜか分りません ただ恥ずかしいのです 分りますか たぶん 本当に必要な場合は 講義をしに出向きます でも そうする事は 想像できません 以前のように 熱狂的ではありません もっと自然に 話をするよう感じます 今は 話をしない方が 自然に感じます それでも時に 皆さんの要求や愛が 大きく 私が話す事を 聞きたいと思えば 私も皆さんを 喜ばせるよう努めます そうでなければ  私にとって ただ 何もせずにいるのは 辛いし 皆さんも それを受入れるのは 辛いでしょう かまいません 質問があれば 私にも良いことです 答えられますから 親愛なるマスター 私は四年間 あなたを待ちました 私がマレーシアの 難民キャンプにいて 偶然 あなたを 知って以来です その時 私はあなたを 素晴しいと思いました

あなたはこの地球上の 人々に多くの良い事を されています  特に オゥラック(ベトナム) 難民に対してです 実は 私の心には あるマスターが この七年います 彼はよく現れます 私が 起きている時も 眠っている時も よく来るのです そして私に言うのです 多くの重要な事柄の為 あなたを探せと ここでは言えません なぜなら 内在のマスターからの 重大なことなので それで私は 次の 土曜か日曜に手紙を 書いてもいいですか もちろん 私はあなたを お訪ねしたいと何回も 思ったものですから カナダから来ました あなたに会おうと フォルモサ (台湾)に 四回行きました でも会えませんでした なぜですか 今日まで 当時は あなたの 弟子ではなかったから でも弟子であっても なくても 私に 会えたはずです なぜ会えなかったのか 分りません 私がそこにいたなら 誰でも会えたはずです ええ 日曜日は開いています ですから今日は 本当に幸せです  弟子になれましたから ですから 私の内在の マスターから得た 多くの重要な事を 書こうと思います OK 書いて下さい 土曜か日曜に 送ってもいいですか 勿論 いいですよ

非常に重要な事です ここでは言えませんが OK 書いて日曜に私が ここにいたら 渡して 下さい いいですか ありがとうございます マスター どういたしまして
皆様 アルメニアへ お越しいただいた

スプリームマスター チンハイを温かく お迎え下さい それでは スプリームマスター チンハイへ 花束の贈呈です お早うございます 皆様の多くは 今日 他へお出かけの予定が あったことかと 存じます ですから スプリームマスター チンハイの講演を ここに聴きに来る 選択をされたことに お礼を申し上げます 皆様の多くが スプリームマスター そしてこの特別な 日について質問が 沢山おありでしょう スプリームマスター チンハイは インドのヒマラヤで 神から偉大な贈り物を 授かった先生です スプリームマスターは 助けが必要な所へ 救いの手を差し伸べ 災害時には 医療や食料 などといった 物質的な形で 手助けをします しかし彼女は更に ヒマラヤで授かった 贈り物を私達に提供し 分かち合います 物質的援助だけでなく この贈り物も 提供するため アルメニアを 訪れたのです 永遠の幸せと 偉大なる本性を 再発見する 贈り物です 私達の多くは物質的な 満足感を得る為に 日々奮闘します 私達が今これほど 苦しんでいるのは 自分が本当は何者で なぜここにいるのかを 忘れたからです 生活があまりに忙しく プレッシャーが 多いために 忘れてしまったのです

この世で生き抜くため 私達はほとんどの 時間を 仕事に 充てていますが 毎日神を思い出し 祈るために 時間を確保しておく ことが必要だと 気付きません 聖書にこうあります 「まず神の王国を 探し求めよ そうすれば他の全ては 無償で汝に 与えられるだろう」 私達はまず 神を追求すべきで そうすれば人生は より円滑で 平穏になります この方法の 修行者とは 社会から隠棲する ことではなく より創造的 効率的に なれば 更に世界を 救う貢献ができます 私達自身が より穏やかで 愛情深くなれば この世界も  より平和になり 愛に溢れるからです 皆様に スプリームマスター チンハイをご紹介 できることを喜ばしく 光栄に思います どうか心と精神を お開きになり この素晴しい機会を 生かして下さい おはようございます ハラッフ  アルメニア語で いろいろな文章を 習ったのですが 皆さんを前にしたら 圧倒されて すべて 忘れてしまいました 覚えてるのはハラッフ それだけです

私は皆さんの 愛の寛大さ  もてなしの心 そして 伝統衣装の美しさ さらに 公共広場周辺で 目にした 壮大な 宮殿などのすべてに 圧倒されています 今まであのような ものを 世界でも 見た事がありません あまりに 圧倒されたので 食事の席でも あの美しい建物群が 見られるよう 窓の方を 向いていました 人々が様々な色を 合わせて あれほど 荘重にするとは まるで魔法のようです このような宮殿は 国民の並外れた 才能によるもので きっと 内からの素晴らしい 霊的エネルギーに よるものでしょう アルメニアは 実に偉大な文化を 持ってきたはずです アルメニアの古文明が 今の世でも存続し 私達がそれを楽しみ 賛美できることを 嬉しく思います そしてこれらの 素晴しい宝物を世界と 分かち合って下さり ありがたく思います 感謝します そうです もし素敵なものを  持っているなら 他の人と分かち合う べきです 同様に  神から授かった 私個人の霊的恩典を 知ることを 渇望する人々と 分かち合うよう 神は私に命じました  私が神と宇宙に思いを 巡らせ始めたのは とても とても 幼い時でした 神様ってどんな形? というような こんな壮大な質問を 誰に尋ねたらいいのか 分かりませんでした どうしたら神に会える 神様にさわれるの 神を抱きしめられるの まだ幼い私は 抱き つきたかったのです 最初の疑問が 湧いてから 長い年月の後も 私は正しい答えを 得ていませんでした 私は祖母に付いて 仏教のお寺に行き 仏陀に祈り また 父はキリスト 教徒でしたので  父に付いて教会に行き 神に祈りました 知り得るすべての 神仏に祈りました

仏教の経典と キリスト教の聖書を 読んでみましたが たいして 理解できませんでした そして 私は 聖書と共に眠りました 私は毎晩 聖書を 抱いて眠りました いつも神に祈りました 神様 お願いです  姿を見せて下さい 神様 私にあなたの 姿を見せて下さい 最高の神様 すべての人間の 障壁を超越し 全ての異なる 宗教を超越し 全ての憎しみと 人種差別を超えた神様 どうか私にお姿を 見せて下さい 私は他の何よりも 神のことが知りたいの 時には 神の存在を 感じられましたが 見えませんでした 会いたかったのです それで 私は神に 接触しようと 様々な方法を試しては 失敗しました ある日 神が私を この霊修行の方法に 導くようになるまでは 神はその方法が 私にとって早いだろう と教えました それで私は神を知り それからは 私は 日に日に天なる父と どんどん親しくなり 神は私に  外へ行き この世界で メッセージを 伝えるよう命じました それは神が皆さんを とても愛していて 皆さんが 神に会いたければ  私は方法を教える というものでした この仕事はとても 良い試練でした

しかし神は言いました 「私はお前に 必要な 全パワーを与えよう お前はただ 私に仕え続けなさい 全てを提供しよう」と この修行方法は 私にとって 役立ち また数十万の 神を求めている 人々にとっても 役立ちました  ですから誰にでも 役立つことは確実です 神は私達皆の前に 一様に現れています 時には キリストも 私達の前に現れ 時には 仏陀が現れ 時には 過去の他の聖人が 私達の人生に 恩恵を与え 日々の 問題や霊的進歩を 指導してくれます 神があらゆる方面で 物心両面で私達を 祝福しているため 自分にあるものを  必要とする人と 分かち合えるのです 私達は自身の 内面の神  全生命の師である この至高の力との 繋がりを失ったために この人生で これほど苦しむのです なぜなら この神との 繋がりを失えば 私達がこの世で どれほど財産が あろうと 完全に幸福には なれないからです 聖書の中には こうあります 「知らないのか  汝が神の神殿であり 自身の中に 聖霊が宿ることを」つまり ありがとう つまり 私達は人間ではなく 人間の体を持つだけで 中身は神である ということです

ではなぜ 私達は 多くの不幸や 物的安楽の不足 そして 霊的知識の不足を 被るのでしょうか なぜなのでしょう そして時に 私達は何度も何度も 誠心誠意に祈ります でも神が応えて くれないと感じます なぜでしょう それは神の居場所を 忘れているからです 私は神と直接繋がる 方法を神に教わり そして 神と直接繋がる方法を 皆さんに 教えるように 指示されました 毎日皆さんは 神の姿を見て 神の声を聞いて 神を愛し 神に愛されていると 感じられます 私は非常に簡単な 言葉を使います なぜなら 最も壮麗な言葉で 百年間 話し続けたとしても 神に愛される時の 感覚  神を知る感覚 毎日神と共にいる 感覚は言い表せない からです それは本当に・・非常に難しいことです この感覚を知る 唯一の方法は 自ら それを知ることです 自ら体験しなければ なりません それには 時間はかからず 今も将来も 代価はかかりません 神を知るとは 呼吸すること 水を飲むことのようで 神の居所を 知っていれば 見つけられるのです 神は私達の内に いるので 探すのは 難しくないはずです 私達は 神の子なのですから 私達は神の一部なので 自分自身である 神の一部を認識する ことは それほど 難しくないはずです

しかし 忙しくて 神の居場所を 忘れれば 当然 難しくなるでしょう 違う所を 探すからです 正しい所を 探す代わりに 違う所を見るのです 私達は この肉体的存在で 非常に忙しく しているので 当然 神の探し方を 忘れました しかし一度その方法を 一度その場所を 知ったなら 即座にできます 時々 私は 頭の上の サングラスを 忘れます 頭に載せたことを 忘れて そこら中を探します そういう事ありますか ありますね ええ そして誰かが それに気付いて 頭の上にあると言えば それを取れます 簡単なことです そうです 神は私達の内にいる為 見つけ易いのです 聖書はそう言ってます 神を既に思い出し 神と繋がりを 持っているなら それは良いことです 忘れているなら 私がお教えします 神はまた愛の法律 十戒に従って 生きることを 私達に喚起しています 私達が神 あるいは 神の子なら 私達は愛の道 つまり神の道に従い 生活すべきです 十戒は 神の戒律では ありません 神は 私達には厳しく ないからです

神は慈愛に富み 私達がどんなに 罪深くとも 私達を愛しています そして 十戒とは 単なる資質のことです 神の子として 持つべき品性であり この惑星を 歩き回る神の品性を 述べています 私達が神の栄光を 宣言したいなら 十戒が求める水準に 適合しなければなりません ですから当然  互いに愛し合い 互いに 分かち合い 殺しあったりしない などなど です これらは生きた神が 持つべき品性です 戒めを守らなければ 神に愛されないから ではありません この水準に 達さないなら それは 神を賛美せず 神の子として どうあるべきか自覚が なかったという事です それはさておき 私達は当然  内面で神を知れば 外面で このようにして このような品格で 神を象徴し それなら当然 誇りを 持ってこう言えます 私は神の子である  私達は 本当は 神の子供である 神を知る事は  万人の生まれながらの 権利です 唯一の財産であり 人生ですべき 最も重要なことです 聖書に書かれています

全世界を 手に入れるかわりに 魂を失った人間が 何の役に立つだろうか 神との繋がりを失う という意味です 神は常にそこにいます なぜなら 神は私達皆の内にいる スプリームマスター だからで  何もかも知っています 神は全ての祈りを聞き 全ての望みを 叶えますが 私達は神の声を 聞く術を知り 神と直接の 繋がりを持たねば なりません それで神が望む事を知ります 私達の内面にある この聖霊や 内なる神と繋がるには 魂のために 肉体を 捨てねばなりません 私は 皆さんが 生きている間に 仕事や日々の暮らしで 忙しい間に   それを行う方法を お教えします 聖書にあるように 魂のために肉体を 捨てるというのは すべてを捨て去り 何もせず 何も食べず 働かないという ことではなく それはただ まだ肉体がこの世にあるうちに 魂と共に神の王国に行くという 方法で 肉体を捨てる ということです

そのため 多くの聖人も 神を捜し より強くなるために すべてを捨てました でも私達一般人は そうしなくても 毎日  神と接触できます 少しの間 肉体を離れ 毎日戻るのです 私達の誰もが 出来ます ちょうど 頭の上のめがねを 見つけるように ところが簡単過ぎて 私達の多くは そんなふうに思えず 難しい方法を 探し続け 神を見逃します 以前 私は何年も そうしてきました どこで神を探すか 知る前のことです 面白い物語があります 単なるジョークですが 鍵をなくした男性が 外の通りに出て 街灯の下で鍵を探し続けて いました するとその時 友人が通りかかり 尋ねました そこで何をしているの 彼が言いました 鍵を探してるんだ 友人は聞きました どこでなくしたの 彼はこう答えました 家の中でさ 友人は言いました じゃ なぜ家の中で 探さないで 外で探しているの 彼は言いました ここの方が明るいから 同じような人もいて 物事を  その方法ですべきと 考えて行います

しかし 正しい方法でのみ することです 同様に神を捜す事は 正しい方法で すべきです 道や方法など 全くありません 神は常に そこにいるからです 私がどんなに話しても 皆さんは これが 神への道だと思います 違います 神への道を示す時 私は話さず 何もしません 皆さんの魂は神なので 私の魂が沈黙のうちに 言うことが 皆さんの 魂には分ります 私が話している間は 単なる紹介です ええ 本当の事は 言葉や行動など 必要ありません だから 神と接触する 道や方法を 私達は捜さないのです その方法は どの宗教の経典にも 書いてありません それは人間の言葉で 伝えられるものでは ないからです 神について 私がどんなに話そうと それは神自身では ないと思います 皆さんが どんなに長く 神について聞いても まだ神を 直接知りません ですから 皆さんが望むのなら 皆さんが望むのなら 静かに 素早く見せ 毎日家でできるように したいと思います はっきりしないことが まだあれば  お尋ね下さい 喜んでお答えします 温かく熱心に ご静聴下さり ありがとうございます

質問は 病気の治療に ついてです 腫瘍の治療法を ご存じですか

あなたはヒマラヤに 長くいらしたので 深刻な病気の治療に 効くハーブが 色々あることを ご存じですよね では あなたは 薬草治療と瞑想 あなたの瞑想方法を 何らかの方法で 結びつけていますか あなたの瞑想法は 腫瘍の治療に 良い点がありますか ええ 何にでも良いです 多くの人々が 自らの内面の神に 目覚めた後 病気やガンが 消えた事に 気付きました しかし  病気のために 瞑想をすることを 私は勧めません 神と 神を知る 渇望のために 始めるべきです 他の事は全て 神が取り計らいます あなたの宗教は 何か教えて下さい 仏教 それとも キリスト教ですか 唯一の宗教 神の宗教です 宗教とは 宗教名は 人が作ったもので 神は一つです 考えて下さい キリストの死後 人々は宗教を組織し 彼の名をとって  キリスト教として 仏陀の死後 人々は宗教を組織し 彼の名をとって  仏教としました 実は キリストと仏陀は 唯一の神を 示しているのです ありがとうございます

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