悟りを開く前 この世に何回 生まれて来なければ なりませんか この肉体を離れると 私達はどこへ 行くのでしょうか 自分が選んだだけ 何回も戻って来ます 例えば ある人は既に 他界しましたが 彼らの家族は泣いたり 彼らを愛して 彼らを必要とします すると彼らは即時に この肉体に 戻って来ます それは「生まれ変わり」 復活ということです また時には 既に天国に 行ったのですが 楽しみや 自己成長のために 再度人間として 生まれ変わります
そして時には 愛する人が 私達に呼び掛けて 一緒にいることを 望んでいるので この世に戻って 来ることを 選んだのです そして この世にいた時 神を認識してなければ 時々この世に 戻って来てより高い レベルの神の存在を 認識しようとします この肉体に 縛られていなければ 私達はいろんな所に 行けます 私達はより自由です 自由自在です 鳥のように 一瞬のうちにどこでも 行くことができます 例えば 私が死んで ドイツへ行きたいなら 飛行機はいりません 思うだけで すぐにそこにいます ほんの一秒 一瞬です 体がないことによる 自由です
しかしそうであっても 生きているうちに 高次に考えるような 高次の真我を思い出す 自己訓練を していなければ 死んでこの肉体を 離れた時 私達はただ 低い意識レベルに 留まり 神性の高次の面を 認識できません それでそこに泊まり やがて退屈して この肉体に再び戻って 来るかもしれません あるいは運が良ければ 霊性の友に出会って 少しずつ進歩して 行きます あるいはこの肉体に 生まれ変り 先生を 見つけて正しく学び 「ビュン」と 去っていきます ですから この世を離れて どこへ行くかは この人生での 選択次第です 瞑想中の 霊的な体験と 自分の想像による 幻想とは どんな違いが ありますか
自分が幻想していると 思っているのでしょう 幻想は空想ですが 体験とは違います あなたがただ何かを 空想したり 夜に夢を 見るだけなら 体験とは違います しかし霊的な体験は 本物です 今 私達が 本物なのと同じです 例えば 霊的な体験の間 私がここに座るとして それで 天国に行くことができ イエスや古今の 聖人を見ることができ 彼らと話すことも できます 何らかを学ぶ目的で 天国や宇宙の 異なる高次元へ 行くことができます それはちょうど 飛行機であなたの国に 行くようなもので それほど本物です
それで私達の存在は 日々良くなってきます 霊的な知識を用いて 私達の生活や 私たちが愛する人の 生活を改善すると共に この地球全体の意識が 引き上げられるように 助けられます それが霊的な体験です というのも私達は 変化するからです 私達は神としての 自分自身を知ります 本当の真我を全て知り 少なくとも高次の 真我の一部に気付き 私達は力強く 幸せになります 観音法門の 印心を受けた後 その人が 毎日二時間半の 瞑想をすることが 出来なければ 何が起こりますか 一日八時間でなく 二時間しか 働かなければ 何が起こりますか 給料が減りますね
パートタイムの仕事か フルタイムの仕事か 分かります パートタイムなら 収入が少なくなります それだけです 二時間半というのは この位の時間が 必要だという提案です 二時間半できれば あなたにとって良く 出来なければ 可能な限り ベストを尽くすのです 瞑想をすればするほど ますます良くなります 警察のようにそこに 立ってあれやこれや すべきだというのでは ありません 違います ただ皆さんを助け 何が良いか伝えます でもできるだけ 従ってください
何故なら瞑想すれば するほど気分が良く 気分が 良くなればなるほど さらに瞑想するよう 勇気づけられ 霊性の道に 安定して留まるのです 瞑想があまりにも 少ないと時には福報が 非常に少なくなり 私達はがっかりして 挫折感を感じる それだけです ある人が観音法門を 修行したいと 決心して 家族や その他の人々がそれを 受け入れなければ この問題を どう克服したら よいでしょうか
それはあり得ません あなたはただ より良くなり家族は 更に受け入れ愛深くて 殆どの修行仲間は 印心後家庭が より良くなります
修行仲間自身もまた 良くなるからです たぶん彼らの 数人は最初は・・・ なぜなら家族は彼らを 愛していて彼らが 悪い人々に従ったり 悪い事をしたり するのではないかと 心配しているからです でも後で あなた方がこんなにも 愛に満ち 寛容で 慈悲深く 自分自身を 進歩させそれを 示すので 家族は あなた方をより一層 歓迎するでしょう 私達が神なら この人物 つまりいわゆる神 地上に降り立ち 皆が話題にしている この人は誰でしょうか 神としての人など おりません すべてが神なのです 私達は全体の中の 一部であり 一部でありながら 全体を形作ります だから神は創造主です いいですか 神は自身を沢山の物に することができます
分かりますか 花が良い香りなら それを嗅ぎますね バラを嗅いでないのに その香りを私に 尋ねるような質問を 続けられなくなります まずあなたにバラの 嗅ぎ方を示しますから 家で試すのですよ いいですね そうして神を知ります またはあなたがもっと 広く深く知りたいなら 印心を受けてください 神は自身が体験する ためにあり 私が描写 するためではないです 描写は不可能ですから 二人の人の間の 愛を述べることなど できないのです あなたは恋人を愛し 夫や妻を愛しますが 愛が何かは 説明できません
でもそこにあります 愛の説明は とても難しくて 人間同士の 単なる肉体的な愛でも 説明は困難ですから どうして神の愛を 説明できるでしょうか 人間の言葉は 神の基準には 達していませんが 神を知れば皆さんは 神を体験できるので 愛を感じ 自分自身を感じ 智慧を感じ 安心を感じ どこででも家にいる ように感じるのです 私が言える全てです 私達が眉間にある 智慧眼に 集中する時 目もそこに 集中するのですか いいえ違います 身体は全て忘れます 忘れ去るのです 考えるのはただここに 集中することだけです 目や身体の 他の部位に 注意を 向けないで下さい 時々 身体は 小さく揺れますし 暑さや寒さ 時には 素晴らしい感覚を 覚えます それは例えば その日に食べた物や 奥さんにどれだけ腹を 立てたかによります 彼らが質問する理由は 彼らが集中する時 目はセンターに従う と言ったからですね いえ 目は従いません
死んだ人を見たことが ありますか はい その人の眼は 上を向いていて 白目しか見えません 死んだ時そうです
私達は霊修行をする 最中にそう死にます だから聖人は言います 「私は毎日死ぬ」 「肉体を捨てれば 魂のことが 分かるようになる」 「死に方を学べば 生き始められる」と サマディーに入った時 私達の目は 上に向きますが 気づきもしません 行ってしまってます つまりより高い境界に 行って楽しんでいます しかし肉体は ちょうど「死んで」 死んだ人のように 反応する理由です 戻ってきたら 「車」を再び取り出してドライブします つまりこの「車」です マスター どうして 朝 瞑想するのが 大切なのですか
いつでも瞑想できます ただ朝 ほとんどの人は 一晩休んでいて そして 朝 まだ静かだからです 三時~六時の間 ほとんどの人は まだ寝ていて 車 騒音 子どももいなく 電話もなりません 頭は 一晩休んだ後 落着いていて 体はまだ完全に 活発になっていない より座りやすく より早く天国を獲得できます 今二秒で やるより 早くなります 家でする時 もっと良いです もっと落ち着くし もっと安全に静かに 感じるからです そして 朝は 一番いい時間です でも 朝やらなければ ならないという わけではありません
私はいつでもします バスの中 車の中 私達の団体メンバーは どこででもします 運転する時以外 お願いしますよ 私は時々 上のマスター達の 導きと存在を感じます 私は本当に遠くから 人間を助けられますか ええもちろん 私達は一体ですから あなたが開悟したら 彼らは影響されます 以前想像できますか 大昔 つまり 黄金時代の後 地球は全部破壊され 生き残った人は そう多くなかったです その時 人類の状態を 創造できますか 皆 暗闇に 屈服したような感じで 全員互いに 影響しました
お互いに影響するから この道を 歩んできたのです 今 私達は何年も 修行し続けてきたから 私達の地球は よりよくなったのです そう感じませんか 私達は進歩した と感じませんか 感じますかどうですか いえす? そうです つまり 観音法門を修行したり あるいは 天国を 経験したとかではなく そうしなくても 今私達の地球の 違うエネルギーを 感じられます 違う より幸せで より開放的で とてもリラックスして 仏語で「レジェー」で リラックスしています 人類は 以前より 二、三十年前から とても違っています
私達の技術 科学 私達の技術 科学 すべてがとても速く 花を咲かせています 最近の発見は 非常に驚くべきです 想像できますか Eメールなどや インターネット わあ 信じられない 彼らが発展させた 皆さんが知らない事が ほかにも沢山あります 私達の敵を 愛すべきですか 彼には それ以外 何をすべきですか 現実問題 彼を殺したら 彼の奥さん娘や息子は あなたを殺すでしょう 延々と続きます ですから私達の敵を 愛した方がいいのです 彼を「殺す」より はい あなたの敵を愛したら あなたの友達になり 敵が消えます 永遠にです 彼の家族から 多くの友達ができます 彼の奥さん 子ども 彼の親戚 彼の友達まで 一人の友達を作ったら 沢山の友達ができます 一人の敵を作ったら 沢山の敵ができます 敵を憎んだら 仕事を失います 印心後 戒律を破ったら どうなりますか
ちょうど聞かれました 「妻と結婚した後 不倫したら どうなりますか」 どう答えるべきですか 心を決めて下さいね あなたに強制する人は 一人もいません あなただけです 自身で あなたと 神にも約束して下さい こう言います「ええ あなたを最優先します あなたを知るために 何でもやります 私は生き残るために それら馬鹿馬鹿しい ものはいりません それらなしで生きます 隣人を殺さないで 生きられます 嘘を付かないで 生きられます 麻薬とアルコール なしで生きられます 私は強いです これらの代用品や 酩酊を必要としません 神に陶酔することが できます そばを通る全ての 男女とセックスする 必要なしで 私は生きられます
あなたの心が決めます あなたが現したい 存在として 自分を現して下さい あなたは 自分を他の人に 現したい人であれば 「そうそう 私は うそをつく人です」 「私はいつも酔って 麻薬をやって いる人です」 「私は隣人の妻を 望む人です」 「私は殺すことが 好きな人です 人々を 殺害する人です」 それがご自分を 現したい方法であれば どうぞやりなさい あなたの選んだ方です 悟った存在として 賢い人 幸せな人として 助けになる 同情心がある 愛する 正直な人として ご自分を現したければ その選択が あります 2つの選択肢があり いずれも貴方の選択 それは私の戒律でなく 生き方です 世界 神及び ご自分に対し あなた自身を現すと いう選択肢です あなたが鏡を見るとき どのような人を 見たいですか 戒律がありません 戒律を必要としません
どんな人になりたいか 自分が分りますね 誰でも仏陀であれば なぜみなは惨めで 幸せでないと感じるか 彼らは惨めな仏陀 だからです 彼らは単なる惨めな 部分だけ知ってますが 他の楽しい部分を 知らないため そういう訳で私は 悟って下さいと言い ます そしてあなたは 楽しい仏陀になります たとえ私が 人々が ビーガン又はベジに なりたい理由や 健康に有利である等と 知っていても 瞑想と悟りは 飲食習慣を問わずに 一般大衆に どんな形式の 必要がある個人に 提供すべきであると 信じますが それについて ご教示下さい 素敵です
素敵です 私達は豚肉 牛肉を 食べに行き そして 動物園仏陀または 何かになります 私達は全ての動物を ここに収容し 自分を動物園にします もちろん素敵です いいでしょう あなたはなお 悟っていて 自分を動物園にする ことができます しかし 動物の エネルギーは修行する 人に相応しくないです より高く昇りたい場合 より高く昇れば 運ばなければならない 荷物はより少ないです 動物のエネルギーは 非常に重いです 彼らも生を貪って 死を恐れるものです もちろん 動物も 霊的な存在です あなたが本当に やむを得ずに 食物を必要とすれば 彼らに話すと 彼らは分かります
あなたのために自身の 生命を放棄します どんな動物でも でも 私達の大部分は 慈悲なしで 理由なしで殺します 私達は単なる 太くなる為に食べます 健康になるためでも ありません ごめんなさい そうです そして 多くのお金を費やし クラブとダイエットに 行き 上下に跳躍し そして多くの お金と時間を費やし これらの毒物を体外に 排出します それから病院に行き 注射 手術 電撃治療 などを受けます 単なる 食べるべきでない物を 食べ過ぎますから それに万物は一体です 私達が誰かを殺せれば まるで自分の指を 切ったようです 私達は現在盲目であり それが見えず 感じません
それは 指が麻痺してるように 神経を感じません しかし 誰であれ 植物などでさえ 彼らを傷付ければ 私達は自身を傷付け 菜食するのは生き残る ために できることの 最低限です だから 私達は野菜を食べます 実は 野菜には 恐れが少ないのです 彼らの90%は水です 一つの茎を切れば もう三つ 四つ 五つ 生えてきます それで 植物がもっと 大きく生えるため 時々 その枝を切る 必要があります それで植物にたよって 生き残れば 私達は 自身の霊性を発展する ことができるのは 一層論理にかなった ものです
でも すべての植物の許可が 必要です 植物又は木を切るとき 先に彼らに話します 私達はそうすべきです 「すみません 私達はあなたが必要で あなたの許可があれば 私達は感謝します」 野菜でも この様に 食べるわけです この生活から取った 一切の物に 感謝すべきであります なぜなら私達は 彼らをつくらず ただ取るからです しかし この植物に 加護を与えるため 瞑想する必要があり この植物はもう一度 茂るようになります
瞑想は盗みを働く人や 麻薬を使用する人に 効果がありますか 盗みですか 飢えていれば 許されるでしょう 麻薬は 空腹を満たすために 使用する 必要性はありません 必要性がないのです イエスが飢えてパンを 盗んだのは罪でないと 言ったのと同じです しかし麻薬は 必需品ではないのです しかも麻薬は 体と頭脳を害します また親戚 家族 友人の間の 幸せな関係を 破壊します 遠ざけた方が いいと思います 今では 麻薬中毒を 治すことは容易です ただ匿名で麻薬または アルコール中毒 治療機関に登録すれば 助けてもらえます 自分を浄化してこそ 再び健全になれます
ニュージーランドに ようこそ 強い恐怖感を 感じるのは どうしてですか 人生が私達に教えたい ことは何ですか それは場合によります 怖い状況に おかれた時 恐怖感を 感じるのは当然です しかし 恐怖感に 圧倒されたり 立ちすくんだり どう反応したらいいか 分らないのはだめです 恐怖感や愛は 自然な 反応です それを抑える必要は ありません それを 分かって適切に処理 しなければなりません 私に恐れがないと皆は 思ってますがあります ここに来ることが 不安で 何を話したら いいか分りません 私が知っている事を 皆さんに分かって もらえるか 心配でした 本当に不安でした 今日私は早めについて 私は喫茶店にお茶を 飲みに行きました 昨日から私は何も 食べていないからです
沢山の人が そこに座って お茶を飲みながら いろんな事を 話していました この人達に 神について どう話したらいいかと 私は考えました 彼らは本当に神を 気にしているかしら 彼らは今の物質的な 生活に満足してるので 私は誰に何を話したら いいかと悩みました
しかしやはり来ました 分かりますか 私にも不安があります しかし克服します ないのではありません 恐怖感があっても 克服するのです 事態が重大な場合は 考える必要があります 「さて どうしたら 良くなるだろうか」と 恐い人であれば 愛でその人の恐怖感を 和らげるのです 時には私達に対し 不親切な人が 私達に 恐く感じさせるのは その人自身安心感が ないからです ですから 状況によります とにかく たとえ恐怖を感じても 私達は落ち着いて 「よし 恐いけど どうしたら この恐怖から 脱出できるのだろう」 と考えねばなりません
自分をコントロールし 恐怖感を克服 しなければなりません 自分をコントロール するとは 状況に 対応することです すると安心でき 恐怖感は消えます 私達は恐怖感を抑える ことはできません それに対処し適切に 処理せねばなりません 神が内面にある としたら私は神です すると私が 何か危険な事や 愚かな事をしたい場合 神が私に悪い事を するよう操っていると いう意味ですか そうすべきですか いいえ 私達の内面には神が ありますが 頭脳を 通して機能します 時に頭脳が悪いのです 時に頭脳が悪いのです
コンピュータが 壊れたため 悪い事をするのです 従ってそれが悪い事と 思えばそれは内面の 神の声で 止めるべき だという意味です 悪いと分っているなら 悪い事はよくないので 止めるべきです いいですか 時には あなたは運転ができて 最上級の運転免許を 持っていて 完璧に運転できますが しかし時々 どうもありがとう 時には車が 損傷したり エンジンが故障したり パンクしたりします これらを自分のせいに することはできません 運転手のせいではなく 車の問題です
順調に走れば 全てが つまり 運転手も車も 良いということです タイヤがパンクしたり エンジンが 故障するのは 車がよくないのです 運転手は立派です ですから 運転手と車 神と頭脳を 区別することです すると問題ありません 悪いことは止めて 良いことは すぐやってください とても簡単です 聖なる愛と 人間の愛には 共通点がありますか 人間の愛は 聖なる愛の一部です ごく一部です 二人が無条件で 相手を愛するとしたら それは聖なる 愛の表れです 私達は無数の生涯で 多く深いカルマを 造ったのですか 輪廻は存在しますか 存在します
私達は 実際カルマを 集めているわけでは ありません いろんな 事を体験するだけです これをやったり あれをやったりする ことを選択したのです いったん経験すると もう要りません あとは神に向かい 真我を思い起こします この時が 開悟する時です 私達は皆 神の創造物として 平等であるはずですが なぜ一部の人は 他の人間に比べて もっと苦しみ ある人は悪を 働きながら物質的に 豊かなのですか それは 選択した道が それぞれ違うからです
物質的に富と快適さを 得たことは 決して その人が祝福された いい人であるという わけではありません その内死んだら 私達は全部を置いて 離れるからです 私達が霊性の知識の 富を得ると それは永遠のものです ですからそれら 物質的に豊かで 霊性の面では 何も持っていない人を 羨ましがらないこと すぐなくなります しかしあなたは 物質的には豊かでは ないですが 心は豊かです 博愛と 慈悲 奥深い知識と 智慧があります 仏陀のように イエスのようにです
彼らは裸足で歩き お金もなく 車もありません 何も持っていません それでも人々は彼らの 足元にひれ伏して 彼らを崇拝します また彼らが言うことは 何でも耳を傾け 二、三千年 経ってもいまだ 崇拝しています どっちが豊かですか 外の億万長者 でしょうか イエスと仏陀ですか 答えはすでに分かって いると思います 自分と他人を 比べる必要は ありません 自分の価値は内面に あると知るべきです これが大事です
地獄に対するあなたの 定義と知っている事を 教えて頂けますか 地獄はあまり 知りたくありません そうではなく 地獄は苦しむ時または 誰かを苦しめた時の 状況です
地獄は場所ではなく ある人は確かに そこに行き苦しみます 生前の 間違った概念を 洗い落とす ためです 私達は自分自身の 神であることを 分かっているため 生前何か ひどい事をした時 時には 浄化する所 病院のような所に行き 悪い細胞を 全部切り取ります すると再び 健康になります 地獄は 苦しみの所で この物質の地球にも 存在します あなたが 精神的に 肉体的に 強い苦しみを受ける時 または 他の誰かや 動物に激しい苦痛を 与えた場合 その人に とっては地獄です
私が知っている 限りでは観音法門は 瞑想を通してする 修行法だと思います 瞑想でどうやって 世の中を平和で 調和の取れた 理想的な世界に 変えられるのですか ええ いい質問です 瞑想は世界を 変えません あなたを変えます 皆が自分自身を 変えるとしたら 世界は平和でしょう 私達が戦争を 起こすのは私達が 平和でないからです というのは 自分のそばにいる人も 神であることを 知らないからであり 私達が神である事を 知らないからであり 私達が殺した相手や 銃で撃ち拷問する 相手も神である事を 知らないからです
だから世界は 平和でないのです いったん瞑想すると 瞑想せねばならない というのではなく 内面に入るべきです 私はあなたの内面を あなたに見せます 私があなたの真我と 再連結する ことが瞑想です 彫像のように座って いる事ではありません 必ず神と実際に 再連結してこそ 真の瞑想です いったん連結できたら あなたの存在は永遠に 変わります あなたはこの世界で 歩いている神の 平和の手本になります たとえ何もしなくても 人はあなたを見た時 平和を感じます 彼らはあなたの 振る舞いを見習いたい と思うのです
あなたに近づきたがり あなたのアドバイスを 聞きたがり あなたを手本に したがります これが世界が平和に なる道です いいですか とても論理的で何も 神秘的ではありません 祈ることは瞑想ですか ええそうです 一種の瞑想です ただその瞑想は 一方的な瞑想で 一方的に神に語ります 「神よ これもあれも お願いします」と しかし神の話には 耳を傾けません だから一方的なのです 瞑想は 双方が意思疎通する 過程です 私達が自分の苦痛と 悲しみと 幸せ 感謝の意を 神に捧げると 神は私達に今度は何を すべきかを教えます
または 神と繋がり 神と意思疎通を 図ります 祈りは一人で 語るばかりです 神の言葉にはまったく 耳を傾けません 瞑想では私達は神の 導きを聴き それが 分ります 神は私達の 内面で数千個の太陽で 生命を照らします 神は私達を内面から 輝かせ愛と知性に満ち ユーモアにあふれ 美しくしてくれます
これが違いです