マスターのビデオで この人は エマーソンの言葉を 聞いたことがあります エマーソン アメリカ人哲学者ね

はい 彼は言います 「この境界で神の レベルに到達するのは 難しいことです」と 私には分かりません

この世界からですね はいこの世界からです 私には分かりません 私達が神レベル或いは 神に到達できるか 尋ねたとしたら お手伝いできます 分からないのですが マスターの教えに 反していないですか (いいえ) それでマスターは 言われました「神に 仕事させなさい」と 「私達のために 私達を通して神に 全てをさせなさい」と 私にはマスターの 導きが必要なのです ありがとうございます 彼は「難しい」と言い 「不可能」と言いません ええ そう言いました もちろん 神に到達 するのは難しいです それで私達には マスターの導きとが 必要でマスターパワー からの加護が必要です そしてその後 私達は 神に加護され導かれ 私達を通して全てを 神にしてもらうのです エゴでせずにです

私が言った事は すべて正しいです 何も矛盾しては いません ただあなたが違う風に 理解したのです エマーソンは「大きな 重荷が肩にのしかかる だろう 私達が神に 宇宙を動かさせない なら」と言いました 私達の大抵は「宇宙を 動かす」からです 私達はこの事を心配し あの事の世話をします そして私達は神の力に 頼っていないのです それで私達はあまり 成功する事なく勝手に 疲れきってしまします 私達がベストを尽くし 物事を行っても 何であれ神に結果を 手配させていれば 私達はそれ程傷つかず にすみ 失望したり 疲れません いい? それを意味しています

彼女は言います やはり神が全てこんな 事を動かすべきだと 思っていますが

こうした問題全てに 直面しています と 彼女は賢いので それはずっと彼女の 重荷になるでしょう 彼女は神に自分の望む ことを期待しています それは あなたが 期待しないのではなく 神にどうするのか 命じているのです それで神は聞きません 障害や問題は あなたが克服すべく そこにあるものですが 神は結果を 命じるのです あなたはただベストを 尽すしか出来ません 何も期待しないのです それが期待されるべき 姿でしょう あなたが「神様 ここに百ドル置きます

明日千ドルにして下さい」と ね そうはなりません いいですか あなたは 期待しすぎています なぜ以前にそれを 求めなかったのですか それはより現実的です より個人的な事を 気にしすぎています

ほら ほとんどの場合 私達は何かをし 結果をあれこれ 期待します でもそういう風には なりません 結果は異なります それで私達は 失望し 悲しく感じ 傷ついてしまします

でもその方が良いかも 三番目の結果の方が 期待した一番 二番目 よりも良いかもです 私達には分かりません ただベストを尽し それで良心は穏やかに 休めます「よし 私は ベストを尽くした」と 結果が私達の好みに 合わなくても あるがままです そういう風にすれば あなたは重荷に感じず 疲れを感じず 傷つく 感じもしないでしょう 少しは傷きますが 最後には起こった事は 何でも自分に最良な ことだと気付きます 委ねること 神の意志に委ねる 物語を沢山話しました インドのある話を 覚えていますか その人は戦時中 爆弾が落とされていた ときにある家に一夜の 宿を申し込みました

その家主と家族は 彼を再び 通りに押し出し 家に泊まらせず 一夜の宿を彼に 提供しませんでした それで 彼は出て 神は自分を守らないと 文句を言いました でも彼がその家を 出るや否や その家は爆発しました 爆弾がその家を 直撃したのです 彼は蹴りだされ たった一人の生存者と なりました 私達には 決して何が 良いのか分かりません ベストを尽くし 何でも受け入れた方が 良いのです でも常にベストを 尽さねばなりません そうする事で穏やかに 休めるのです そうする事で 自分の 強さと智慧をテスト したことが分かります

ありがとうございます

一九九七年の八月二十九日 彼は教会で祈る中で イエスの手の ビジョンを見ました イエスの手の意味とは 何でしょうか イエスの手で彼の手 ではない意味です それはイエスの足だと あなたは思うのですか 全てを見たのは貴方で それを私に尋ねます 貴方は加護されてます 手でも足でも 関係がないでしょう

一つ質問があります どうぞ これは個人的な 質問なのですが どうぞ

マスターが他界したら なおも私達には霊的な 導きが与えられますか 明確に言えば他界した マスターは彼の弟子を 引き続き導くことが できるのですか 自分の弟子に出来ます 他の人には出来ません もっと説明しましょう マスターが在世中に あなたに印心を 授けたとします

そのマスターが他界し あなたは生きています 彼は他界した後でも あなたを引き続き 助けていきます でも在世中に マスターが印心を 授けていない人達を 助ける事はありません 必ず在世のマスターを 探さねばなりません 他界したマスター ではなくてです 彼の人類との縁は 切れてしまって いるからです そして彼の後 他のマスターが 別の人達に 別の縁を結んで 続けていくのです ありがとうございます マスターが他界した後 パワーがないという ことではなく 人類との縁が消えて しまうということです 彼は他のことをして 他のマスターが 引き継ぐのです

親愛なるマスターチンハイ ありがとうございます ここに来たいと 思って下さり マスター 本当に ありがとうございます 私に言えるのは ありがとうございます

どう致しまして この人は目の手術を 受けました 彼は目の手術後 また視力が戻るよう 加護して頂きたいと 求めています

自分の霊眼を心配した 方がいいですよ それが開くように でも医者を信頼して 神を信じて下さい すべて良くなります マスター 今夜私は 母と来ました 母は私を応援し 私に 菜食料理を作ってくれ 心からマスターに 会いに来たかった

幸運です そんな良い母親と 良い奥さんを持てて でも 問題は 最初母は心から マスターに印心を 授けてもらいたいと 望んでいました でも前回彼女は 私に言いました 二時間半の瞑想が 出来るかどうかと 心配しています

彼女に話せますか ここにいますか(はい)

中国語が話せます はい分かりました 私が話します

二時間半の瞑想で 二時間半 いっぺんに座る必要は ないのです 疲れてしまうでしょう 多分しばらく瞑想して 例えばですが 三十分座って それから もう三十分座ります 瞑想したい時は いつでも構わないです 出来るだけ長く 瞑想をするのです

一度に二時間瞑想する 必要はありません 分かりますか

マスターどうか 私を加護して下さい そうすれば  私は瞑想が進歩します あなたには常に 加護がありますよ

尋ねることは あまりありませんが 私はいつ印心を 受けられるのですか それだけです ありがとうございます いつ受けたいですか あなた次第です 出来るだけ早くに 何人の人が 印心を受けたいですか

私達はジャカルタから 来ました

いいです 今夜します 今夜時間がある人で 今夜留まりたい人は だれでも この後で 印心をしましょう 今夜時間のない人は それでは明日の夕方 もう一度します マスター ありがとうございます 彼女の八歳の姪が 菜食したいと 望んでいます

ご両親はどうですか 許してないの 許していません そう では彼女は 待つしかないです ご両親に懇願するか 待つしかないです または家族に話すのを あなたが話すのを 助けたらどうですか 彼らに話しました 試したの?(はい)

七、八歳の 他の子を連れて 行ってもいいでしょう とても健康で 頭の良い 学校でも優秀な 菜食の子をここから 紹介してもいいです すると彼らは徐々に 納得するでしょう 私は小さな少女に 大変同情します 多くの子供達が 菜食を望んでいますが 自分たちの運命を コントロールできない 彼らの望むことが できないのです それで多分その姪は 肉より多くの野菜を 食べようとしています そして徐々に両親は 彼女が肉や魚が 好きではないと 気付くのです そしてたぶん彼女に 許可を与えるでしょう

もちろん多くの 両親達が 子供のためだけに 菜食料理をするような 不便さは好みません 異なる食生活をせねば ならないからです 野菜だけを食すのでは なく 蛋白質や色々な 物を豊かに摂るべきで それで子供は 正常に育つのです それはたぶん両親に とってはやはり 不便なことでしょう あなたが責任を 持ったらどうでしょう 「私がその子と一緒に 食事して良いですか 私が彼女に料理をして 食べ物を持っていく」 あなたの出来ることで 助けてあげましょう

菜食に同意する 両親 配偶者 父親 母親がいる人は 幸運です 彼らが菜食でなくても 支援してくれれば そういう人は幸運です そんな子はいますか

いいえ 彼女にリンゴを一つ あげますので 帰宅時に渡して下さい 私はここに 集中できません  でも時々集中できます そしてそれはとても 良い気持ちになります だけど私がここに 集中できない時は 他の事を 考えてしまいます 他の多くの事ですね はい大丈夫ですか でもそれをまだ感じ ここに大変集中できる いいでしょう 続けてください でも私の考えは・・・ 分かっていますが それは良い事です 何もないよりましです ありがとうございます

どう致しまして 一点に集中できるまで 頑張って下さい 考えが生じないよう いいですか まだ浮かんだとしても 構いません 始めたばかりです 分かっています 最善を尽くしています 努力を認めます あなたは向上しました いいですね 常にあちこちを 走り回っている想念を 助けられません なぜなら一日中 頭脳を使い処理せねば ならない事があるから 私達はこうすべき それをすべき 何をすべきか考え 人々への答え方を人々の喜ばせ方を 考えます 瞑想してもすぐに 深く出来ません

だから二時間半 瞑想せねばいけない さもないと 私は 皆さんに二分半で 十分と言います 長い時間座れば すべてのものが 落ち着くのです コップの中の 揺れる水と同じで  置いた後  十分すると収まります 全て悪いものが 底に沈み 水は澄んできます 自分に時間あげなさい だから いつでも 瞑想をするように 努めなければならない 私達ができるどんな 瞬間にも バスや   飛行機の中 公園でも 休み時間でも 集中出来るように いつでも努めます

そうする事で 実際に 座って瞑想する時  いくらか 準備が出来ています やってみましょう それは難しいです 私達の任務は ただ神を待つこと 神が来なくても 構いません 次回です この人には印心を 受けている子供が 二人います 一人はいつでも 両親の言う事に 従順です もう一人は従うのを 避けています 一人の子は瞑想を きちんとやります もう一人は時々それを するのを拒否します それで子供に無理やり させようとしています 子供に無理強いし 子供を叱った後 彼女は否定的な力が その子に入ったことを 反省し懺悔します

彼女はどうしたら いいのでしょう 彼をほっといて下さい 彼をほっといて下さい 彼に強制しなければ 彼は近づいてきます

実際 彼こそが印心を 求めた子なのです まあいいです ほっといて下さい 彼が求めるようなら 自分を律するでしょう 時々 子供というのは あなたの気を引こうと 思ったりするのです あなたが注意を払えば 払うほど地獄のような 状態を作ろうとします 故にほっといて下さい

愛を持って導いても 彼が聞かないのなら 彼をほっといて下さい ありがとうございます イスラム教の家族が いて 私は三カ月前に 印心を受けました 妻は私のために菜食を 作ってくれますが 私がセンターに瞑想に 行くのが気に 入りません(ええ)

でも家で瞑想するのは 許してくれます 問題がありません

私はセンターで 瞑想するともっと ずっと進歩するように 感じます もっと進歩する最良の 方法は何なのか教えて 頂けないでしょうか 奥さんをもっと愛して 望むことをして下さい ありがとう マスター

彼女はたぶんあなたが 私を崇拝しすぎて 彼女を愛する以上に 私を愛してるのではと 感じるからです 私のために心の中で 彼女を拒否するかもと 感じるかもしれません ですから彼女が貴方の 人生で最も大事だと はっきりさせて下さい

私は単なる先生です 謙虚に明白にして いいですね 彼女を最も愛してると 間違いなく知らせます 必ずですよ そう毎日言って下さい 物を買い与えて下さい 様々な場所に連れて 行ってあげて下さい 瞑想の時間は別として 彼女に注意を払います 心を込めて 何が一番好きか見極め そうするよう努める そして愛深くいつでも 優しく話しかけます そうすれば 彼女は あなたが良くなったと 前以上に彼女を愛して いる事が分るでしょう あなた次第でね

彼女を責めないで 彼女を責めません ね 機転を利かせるように いいですね

でもそれならあなたは 克服せねばなりません 彼女に「これは違う 僕は君を愛しているよ よりずっと」と知らせ 見せねばなりません 言うだけではダメです それを見せて下さい 彼女が必要とするもの 彼女の愛に注意深く あらゆる形で 彼女を 満足させて下さい 私に従った後 より良い夫になり もっと愛深い人に なった事を 彼女に見せて下さい 彼女は興味を示し 「この女性は 本当に 私から夫を取って しまうんじゃないわ より良い夫に なるよう 彼を 助けているんだわ」 それこそが私の目的で 実際それが目的です あなたは行動で言葉で 現さねばなりませんね

愛していると伝えて 宝石とか花とか買って あげたり食事に連れて 行ったりして下さい 彼女と再びデートをし 彼女が愛されていると 彼女は美しいと感じ させてあげるのです 例えば初めて会った日を望んでいるのです

女性も同様です 私を愛するのは 構いませんが 前以上に自分の夫を 愛さねばなりません もっと注意を向け もっと愛深く もっと 忍耐強く より柔軟に より優しくなるのです そうすれば教えが実を 結んでる事が分ります それで皆さんは より 良い人になりより良い 家族の一員となり より愛深くなるのです そして 共修会ですが そして 共修会ですが 家族の多くが 皆さんの妻や夫を含め ここで集まって 何をしているのかと 思っているのです

いつも家で過ごして いたのに どうして 今は集まって過ごす ようになったのだろう それはどんな グループなのかと ですから 時々自分の 家族をセンターに 招いてはどうでしょう 彼らに命じて来るよう 強制してはなりません 彼らの事を誇りに 思ってると言うのです 例えば 奥さんに言うのです 「君はとてもきれいだ 私は他の修行仲間に 見せたいんだ こんなにきれいな 奥さんがいるって事を 本当に僕に良くして くれて僕に菜食料理も 作ってくれるんだよ 彼女には本当に面倒な ことなのだけど菜食の 食材を買って 料理してくれるんだ 君を誇りに思ってるよ 本当に感謝してるよ 僕は君をセンターの 修行仲間に 見せたいんだ 皆が君のことを 聞いているんだよ 君がとても良い人で そんな風に菜食料理を 作ってくれて皆は君を 知りたがっているんだ 来てくれないかな」と 来てくれないかな」と それで彼女が来たら 皆が歓迎します そして私達は何もして ない事を見せるのです

そうすれば彼女は そんなに不安を感じず 何をしているかを 心配しないでしょう あなたはどうすべきか  知らねばなりません 人々にどう言うかを 知らねばなりません 彼らを説得しようと して無理やりここに 来させれば 彼らはこう考えます 「あの女性仲間に 引入れようとしてる」 そんな風に言わないで それは違うのです 「君を誇りに思ってる 君は本当に綺麗だね 毎日綺麗になるね 君はとても良い人だ 君を本当に愛してるよ 君を皆に見せたいんだ 来て 見てみないか 沢山の人が君を知り たがっているよ」 等々 例えばそういう 感じです

彼女はいつか来るかも そしてここでは本当に 無害だということ あなたは大いに 引き上げられたこと より愛深くなることを 分かってくれます ですから両方 愛と 思い遣りと知性を 持って処理するのです 嘘はいけません 彼女か彼にあるものを 称えねばなりません どんな人にでも 良い点があります 奥さんは素晴らしいよ 菜食をしてくれるのよ おお 彼女はイスラム 教徒だ とても良い 多くの妻はしません 菜食さえ 禁止したりします

彼女は非常に良いです 奥さんか旦那さんの 良さを認めなければ なりません

その前向きな点を 成長させていくよう もっと成長させるよう 彼らを励まさねば なりません  そこに座って何もせず 批判するよりましです

私は 一年半前から 菜食を始めました ネットであなたのを 知ったからです 私は菜食を始めました 私がしたいのを 彼女が知らないままに 菜食を始めたからです (分かります) そして突然 瞑想を始めました

だから彼女の疑いを 払拭せねばなりません 可能なら彼女を 修行仲間の所に誘って ただ友達に会いに 行こうとか言うのです ベストを尽くします 色々考えて下さいね 先ず彼女にある 良い品性を 称えねばなりません 彼女をもっと愛して より注意深くして 彼女の欲しい物を 買ってあげるのです それで彼女を仲間の 所に誘ったりします 遠足に行ったりとか そういう事をしてみて 興味あることに彼女を 引き入れるのです

そんな風に すると 彼女は何も秘密がなく 何も害がないと 分かってくれます 先ず試してみましょう 彼女は分りますね でも更に更に愛情深く ならねばなりません それで彼女は本当に 安心するでしょう 瞑想したいと思うなら 奥さんとか旦那さんに 言う方が良いでしょう 彼らが分るなら愛深く 抱き締めたり話したり しておくのです

それで言うのです 「さて 一時間か 三十分ぐらい 瞑想に行ってくるわ でも君が本当に 僕を必要とするなら 会いたくて抱き締めに 来たくなったら どうか来てね」 分かりますか 「そうでないなら 僕は静かに 瞑想したいんだ でも今は良い関係を 持って親密な 話ができる」 そういう事が前もって 出来ているので 相手はこう思うのです 「まだ私を愛してる」 「まだ僕が必要だ」 ただ今 休もうと しているんだ 精神世界に心を集中 させて 精神的により 健康になり 仕事にも よく集中出来るんだ」 など そういう風に 説明して下さい それはあなたにとって 休憩の時間ですが その前に愛し合ってる ことをはっきりさせて おかねばなりません そうすると彼女か彼は あなたを繋ぎとめて いると 感じられるのです そして瞑想後 また抱き締めて愛深く 話してあげて下さいね

愛情表現をし 愛を込めて抱き締め どんな仕草や話し掛け であろうと 行なって 自分のパートナーに 喜びと愛と美と安全を 感じてもらうのです これが分かりますか ただ仕事から 帰って ゴシゴシと洗って 少し豆腐を食べて さあ 瞑想時間だと そんな事をしたら 自分のパートナーには 決して会えません 一日中仕事をして 家に帰って 食べて 話をしないんです

「今から瞑想時間だ」瞑想時間だから 話しをしてはいけない そして 瞑想後 エネルギーを無駄に してはならないから 話しをしてはいけない 眠る時間だ やはり話しません 人間でもあるべきです

ユーモアがあり 愛深く 生き生きと 活発でいるべきです 印心を受けた後 木や石やテーブルの ように 木製の仏像の ようになってはなり ません 誰がそんな 仏陀が好きでしょう 私は好きではないです ただ普通でいて下さい 普通でいるんです 前より良くいて下さい そういう事を私は望ん でいます いいですね 皆さん全員が 私の 言ってる事をよく理解 してくれたと思います 自分をその人の立場に 置き換えてみるのです そうすれば 私に 聞かずに済むでしょう 愛深く無私でいるよう 努めれば分ります

ありがとうございます 私達がマスターを 探せなければ 自分 自身の努力とパワーで 智慧眼を開く機会が あるでしょうか どんな面においても 私達には先生が いる方が良いのです 間違わないからです 一人で進むのは危険で 時間がかかり 時に 実を結びません

友達のために尋ねます 彼の友達の質問です 瞑想をして 高い境界に 到達したら 死後も その高い境界に いられますか より高い所に 彼は私にこういう風に 聞いたのです 彼がサンプル本を 通して 読んだ事についてです

マスターから印心を 受けた弟子が 話をしてくれました 彼らの中には すでに (西方浄土)が 見える人達がいました それで 私の友達が 質問したんです 死んでからも 西方浄土が 見えるものかと 見えますか その弟子それとも私が 死んでですか 人々です 弟子です

弟子が死後もその レベルを維持できるか ということですか はい 彼らはより高い所へ さえ行けるでしょう 維持するだけではなく 更に高い所へ行けます なるほど 今度は私の質問です マスターの本を読んで 以来  ある本で読みましたが 第二界を通過し・・・ (第二界ね ええ)

第三界に到達すると もう私達にはカルマが ないということですね それで終わりです 均衡が取れるのですね 私の質問ですが まだ 意味が解らないのです

どんな移動手段ですか 一種の移動手段で そこに行くんでしょう どこに行くんですか 神に 西方浄土に こういうものにです それが分らないんです ありがとうございます そこに行くのに 飛行機を使うのです 交通手段は ありません どこへも行く必要が ないからです 彼が言いたい事は 私達が第三界へ行くと 私達にもうカルマ (報い)がないということですね でも ここにいれば カルマ(報い)と 共に生きてる(ええ)

それで 私達はどう したらいいでしょうか

第三界に行くために そうです 印心です そして 毎日 瞑想して あなたの 意識をあなたの元々の 所まで連れ戻すのです それでは 移動手段は 瞑想する ということですか そうです(なるほど)

本当にありがとう ございます マスター 加えて 第三界に行くだけで なく それよりも 高い所へ行きます 分っているでしょ ね

実際 それは移動手段 ではありません それは単に 層を抜けていく 覚醒方法なのです 既成概念と集積された ゴミの層を抜けていき ダイヤの所に 到達するためにです ちょうど地面を 掘るように どんどん 土を掘っていくと ダイヤを見つけるのと 同じです ダイヤはそこにあり 土に覆われています そこを通って進んで 行かねばなりません ありがとうございます 神のご加護 仏陀 アラーの 加護がありますように 神を 仏陀を覚えて 私の教理を 覚えていて下さい

おやすみなさい ありがとうございます
世界的に有名な スプリームマスター チンハイです ありがとうございます お座り下さい 皆さん全てが 仏陀を見たいですね この方が仏陀です こんなに若い年齢でも 印心を受けています それはちょうど 天国行きの切符を既に 手にこの世界に 来るようなことです 永遠の解脱を 保証しながらです

それでは暖かい拍手で お迎え致しましょう 出家した弟子の一人が マスターに追従して 以来の体験を私達に 共有して下さいます

親愛なるご来場の皆様 私の同胞市民である 台南の皆様 皆様に ご挨拶申し上げます 振り返ってみると 私がマスターから 印心を受けてから 一年と十一カ月が 経ちました 私にとりこの七百日は まるで夢のようでした それはまた鮮やかで 実現可能なことでした 印心前 仕事が 私の人生の 最重要事項でした 私は一日少なくとも 十二、三時間仕事に 費やしていました でもその頃私は疲れを 感じませんでした 未来への希望で 一杯だったからです 私は沢山のお金を稼ぎ 世界中を回ることを 夢見ていました

こんな夢を見た方も いらっしゃるでしょう でも私が美容院を 購入した後 その夢は 変化し始めたのです 三年前私は美容師と して働いていました 毎日午後 ソファの上で 昼寝していました 一番最初に そこで昼寝した時 私は眠りの中で 頭のない二十七、八の 年頃の女性と その側にしかめっ面を 私にむける少女が いるのを見ました 起きたかったのですが 力が出ないと分かり 私は生贄となる 子羊のように無力で 絶望的に感じました 徐々にそのイメージは 消えていき 私は起き上がれました 恐怖でした 三十年の 私の生涯で生まれて 初めてそんなものを 見たからでした

その後私は同じような 体験を繰り返しました ただイメージは 身体が変わったり しました 若い男性らや 中年の女性らなども 出て来ました 時々ただ声だけが 聞こえますが イメージがなく 他の時は彼らを感じる だけの時もあります 私の心をかき乱し続け それで私は絶望し 事態を収拾する方法を 探しました 私は神に祈り 占い師に相談しました そして 白衣神咒 大悲咒 往生咒を 唱えました 唱えました この時私はこの世界の 他に 本当に存在する 目に見えない世界が ある事を認識しました 克服したいと思うのに 私は無力でした

ついにある日ある私の 顧客の一人がヒマラヤ から来たスプリーム マスターチンハイの ことを私に話してくれ 彼女はちょうど講演を 労働保養センターで 行うとのことでした 私はそのタイトル 「即刻開悟の鍵 一世解脱」に深く 引きつけられました 引きつけられました 講演の 一日目私は二階席に 座りました 突然マスターの回りの 出家した弟子と 観衆がすべて 消えて マスターと 私だけが取り残され 対面していました 信じられませんでした 私は目を閉じ 再び開けましたが それは同じでした

三日間の 講演の間 マスターは瞑想の 方法について話をし でも講演の終わりには 教えませんでした 彼女はただ法門を 紹介しただけ だったのです その法門は無料で 教えられるとのこと でしたが 私達は 五戒を守らねばならず 慈悲心を育て殺生を 控え そこには肉食も 含まれます 私のような肉食者には それを行うのは難しい ことでした 私はこの件で一晩中 眠れませんでした 印心を翌日に 受けるべきか 止めるかについて 止めれば絶好の 機会を逃します 受けたとして私は 本当に解脱するか 不確かでした

ありがとう でもマスターは講演の 中で非常に論理的に 説明しているのを思い 出し 全ての存在が 一つで動物には 強い意志 強い生きる 意欲を持ち死を 恐れるという事でした 従って私達が彼らを 食べるなら重いカルマ (報い)を受け 植物は比較的生に対し 意欲が少なく 死への 恐れは少ないので 植物を食べればカルマ (報い)は軽減する事 それは良い教えだと 思いました 万が一 「騙されて」も それ程悪くないです でも印心の日になって 私は再び躊躇し始めて しまいました

私は生涯ずっと菜食を 続けねばなりません 結局私は待つことに 決めましたその日の 印心への決心が なりゆきによって 決まるかどうかに 任せることに マスターはよく衆生を 救うのは非常に 困難だと言われます 私を見れば彼女が 正しいと分かります 今日ここに立ったので あなたは想像できます 私のビジネスがあの日 から順調な事が でも私の例に 従わないで下さい あの日のビジネスは 上手くいかず印心も 受けていなければ 私は今日ここにも いませんでした 従って私はマスターに 彼女の助けに 感謝致します 印心の日のあとの事を お話させて下さい

私は光の瞑想の間何も 見られませんでした マスターが私達に尋ね ほぼ四百名の人々が その印心会に 参加していて 同じ開悟の体験を したのです 二十五の菩薩らの 楞厳経の体験でした ある者は光を見て 仏陀または菩薩のです でも私は絶望はせず 後でマスターは何も 見なかった者に舞台に 上がるよう求めました 私の番が来た時 私は舞台に上がり 強烈な明るい光を そこに 感じました 私は同様の光を 目を開けても閉じても 見たのです その時 私はそれは ランプからの光では なく内面からの 映像だと確信しました

マスターが彼女の手で 私の智慧の目を触り 私がビジョンを 見たかどうかを お尋ねになりました 私はいいえと言い 三回の後 マスターは声を上げ 再び尋ねました「何 か見ましたか」私が いいえと答えたら 叱られると思いただ はいと答えました 私のその時の心を 読んでマスターは 声を変えました それは優しく瞑想 修行に精進しなさいと 言われました 彼女の声は暖かく 私の心は小川のように 流れました その後マスターは 私達にもう一度瞑想の 仕方を教えました

そして花が常に変わる ところを私は見ました マスターは愛情深く 考慮下さり挑戦者 私達新印心者の人々の 瞑想の為に更に三日間 滞在して下さり 私達と共に瞑想して 下さいました 仕事のために 私は初日参加し 二日目は行くことが できませんでした でもその夕方 共修の時間が来ると 私はマスターに無償に 会いたくなりサロンの 仕事に集中することが できなくなりました 印心の前 私は 「即刻開悟の鍵二巻」 までを 購入していましたが 私は他の人々にその時 貸し出していました

幸いマスターの詩の本 「沈黙の涙」はあり 本当にタイトルの通り 私は最初のページから 最後まで それを読む間 涙を流していました マスターが理解して くれている感じがし 印刷の文字は 本の上で 白い光となり紙上に 踊っていました これは初めての 私の十年来の 読書において見た 不思議な現象でした 石の私の心は 涙となって 飛び散りました 即座に軽くリラックス した感じがしました その夜私は眠れません でした

灯りを何も つけずにいても未だ 昼のように明るかった からです 翌日も私は瞑想を しようと思いましたが 私は目を閉じる事が できません その 強烈な項のためにです 後に私は見ました 釈迦牟尼仏と 観音菩薩をです その後 私が 「即刻開悟の鍵」を 読んだ時その言葉が 白い光に再び 変わったのを見ました しかもある仲間が 彼ら仲間でない親類が 亡くなった時 マスターのテープを 流したら その故人の顔が 黒色からバラ色に変化 したということです この事はよく起こる ことだそうで 本当に 沢山起こるそうです

私が印心した後それら 目に見えない衆生は やはり姿を現しました でも印心は本当に 奇跡を起こしました ある時横になって 瞑想していた時の事を 覚えています

少女が側に横たわり クスクス笑ってました 私はちょっと何かが 可笑しいと考えました 私が横たわっている 所は隅でありそこに もう一人人が入る余地 はなかったからです それで私は自分の力を 集結しマスターが 教えてくれたマントラ 繰り返し始めました 最初の言葉を沈黙の 内に唱えるや否や 「止めて 怖い」と いう声を聞きました 後ろで子供が逃げ出す のを見たのですそれは 小さな悪魔でした 大きい者は対処に 困難でより時間を 要しました

いつでも私が彼らに 対処できない時 私は マスターに静かに 助けを祈りました 全ては大丈夫になった 恐らく私は海外へ 旅することにずっと 憧れていたために 私は自身が海を渡る 姿を見ました それが大西洋だったか 何か確かではないです 私は高速で飛んでいて ボーイング747並で どんどん早く飛んで いったのです急に私は 怖くなりました 私は海に落ちるのでは と恐怖を感じたのです そして事実私は 落ち始めていました 幸いにも私は自分の ベッドに着地しました 霊修行は更にもっと 興味深くなっていき 私は徐々に自信を 持ち始めました

私はマスターが仏陀と 確信しています 私は三〇歳を過ぎ  未だ独身です また全家族の中で 最も稼ぎの多い 唯一の人でした マスターが生きた 仏陀になったので私が 彼女に従わなければ 非常に残念なことです しかし私の決断が家族 内の混乱の原因になる と予期しませんでした 両親はいわゆる強力な エクソシスト 悪魔払いを 招きました 彼は大きく背の高い 男性も連れて来ました 夜中の十二時頃 彼は仏間で 真言を 唱え始めました

奇妙な音をさせて 彼が言うには私が何か 憑依されているなら それは彼の声を聞き 自動的に出てくると でも彼が長い間 唱えても私は飛び出す 事はなく彼はイライラ してきました 彼は両親に私に出る様 言えと求めました 多分このゲームは早く 終わりそうだと 私は思いました 両親のために私は彼の 前に座らねばならず 彼に私を大声で 怒鳴らせておきました 私は目を閉じて マスターの仏光を 楽しみ続けました 彼は私になぜ目を閉じ 彼を無視するのかと 尋ねました

私は疲れ過ぎていて 休んでいたと言い 彼の声はまるで最初 雷の様に始まりました それが終わりには猫の 「ニャー」位に小さく なっていました しかし私は動かず マスターに追従する 事を決心していました 彼は私に何をする事も できませんでした 彼は両親に今まで 何千もの悪魔払いを してきたが 今回初めて失敗したと 話しました 神通力は 観音修行者には 効力がありません 単に十日間修行した 者でさえ この三界以内の 神通力は役に立たない のを私達は見る事が できるでしょう 私は皆さんに言いたい と思いますが 本当にエゴのない 神通力について 知りたければ マスターの本 「マスターと弟子の 手紙」及び 「師徒神奇感応」を 読む事をお勧めします それらは追従する 修行者らの 真の体験の記録です それらを読んだ後 あなたは偉大な宇宙に 関して驚き 理解することでしょう 人間の想像の理解を 超えるものです

動物を食べるのは 重いカルマ(報い)で 植物よりもです 私の個人的な霊修行に おいてこの真理は 確認されています 最初 苗栗の道場は 草で覆われた 所でした 私達が最初に到着した 時 草刈りをしました 夜 私は眠りの中で 大きな草を見ました 翌朝私が起きた時 私は自分の体に 青あざがあるのを 発見しました 幸いそれらは痛くは ありませんでした 最近私達はパイプを 埋めるために溝を掘り 私が最初に地面に穴を 開けましたが 偶然私はミミズの体を 半分に切ってしまい 私はそこで夜中午前 二時まで働きました

突然私は自分の体を 真二つに切られ 血管が塞がれた 感じがしました 私は冷たくなり死んだ ように感じました 暖かいスープさえ 役に立ちません 私はすぐ瞑想へ行き そしてゆっくり 回復したのです カルマ(報い)は 植物よりも動物を 傷つけ肉体的な 苦しみを作りだす事に より起こります 動物を食べることなど 言うに及びません 従ってマスターに 私の智慧眼を開け この世でただの食事は ないことを理解させて くれ感謝しています 「蒔いた種は刈り取ら ねばならぬ」は真実で 私には今マスターが いて法門があり毎日 瞑想できます

そして 私のカルマ(報い)は 日々徐々に 減少していくのです 非常な喜びと平安を 心に感じられます 昨年マスターは私達を 屏東山地門に連れて 行ってくれました 私は泳げなかったので 水遊びに興味など ありませんでした でも他の兄弟が浮輪を 使って泳いでいる所を 見たら 私は誘惑されました 大興奮し 彼らの助けを借りて 快適に浮輪に 私は座り小川の流れに 身を任せ流されてみて 私自身それを 楽しんでいた所 突然兄弟が叫びました 「危ないそっちへ 行かないで」と でも私は何の危機も 感じませんでした

突然 浮輪が岩に ぶつかり急速に 流れ始めたのでした 幸運にも反転は しませんでした しかし流れは和らぐ 事はありませんでした それは戻ってきて 私を押し猛然と岩に 押し寄せました やっと 岩にあたり ひっくり返しました 筒が浮き出来ました 私は波に飲み込まれ 方向を 失いました 朝の寒い空気に 詰まり それでも 私は単純に マスターは 私に泳ぎを教えようと していると思いました   水の中でジャンプした けれど 低すぎました どれ位 頑張っても 頭は 平面に 届かず 足も 河の底に 触れる事さえ できません

呼吸が殆ど 止まった時  マスターに祈りました この残酷な瞬間で 三回祈ったら 内面の音が 騒々しくなり始め 外の波の音より 大きくなりました 目を閉じたら カラフルでキラキラ 輝く世界が見えました 孤児が愛する母親を 探しているようでした 私は恐れもなく 充実感と 平和を感じました 水の中で 立ってる間マスターが 世界から私を離し  霊修行するために 天国に連れてきた のだと思いました めがねがないと周りは 妖精の国のように ぼやけて見えます 至福の時 誰かの 話しが聞こえました 「まだ立っていなさい まだ来てはいけない 助けに来る人を 私が探しますから」 私は死んでいない事に 驚きました

沈んだ岩が沢山あった のに私は全く怪我を していませんでした 岸に着くと 大きな岩に座っていて 何が起こったのかを 思い出し それが夢の ように思いました 目を閉じると マスターの化身が 私を見ているのが 見えました 信じられませんでした 私は目を閉じ 頭を振りって また見ました マスターの化身は まだ私を 見ていました 私は涙がでました 奇跡的な遭遇は 本当に信じられません マスターがいる時 たとえ 不可能が 可能になってもです

観音普門品のなかの 一連の出来事として 観音菩薩の 名前を繰り返すと 火と水からの 被害が免除されると 聞きました マスターチンハイの 名前を繰り返した時 私は水にも 溺れていませんでした さらに マスターには 釈迦牟尼仏のような 無数の化身が あるのです 彼女は心優しく イエスキリストの様に すべてを愛しています 仏陀と同じ信念を 取り囲み 本当の真実を見る ことで仏陀に 達することができます また 一度印心を したら あなたは すぐに本当の真理を 見ることができます 従って 私はもっと 理解し 異なる名前の 聖人が存在するのだと はっきり分かりますが 真実は一つです 招待を受けマスターは 花蓮と宜蘭の 刑務所を訪れました 頑健で入墨のある 人達はみな涙し マスターの 講義を聞いたあと 幼い子供のように なりました

これは大げさに 言ってるのではなく ビデオテープで貴重な 瞬間を見ることが できるのです 釈迦牟尼仏は 「全ての生き物には 仏陀の本質がある 皆 仏陀になることが できる」と 人間の心の中以外に どこに神と仏陀を 見つけられますか 人間は神と仏陀の 最高の想像に 反映しています 彼が私達の 命の本質を 創らなければ 誰が 生きるために呼吸を 続けれるのですか 異なる宗教は 異なる文化と風習を 満たしていますが それが私の宗教や あなたのだと 主張すべきでは ありません

それぞれの宗教の 中で 永遠の偉大な 宗教が 一つだけあるのだと それが真実なのです マスターは人生の 究極点に達することが できて 真実と 一つになれたのです 永遠に自由なのです 彼女は名声や利益に 縛られません 代わりに 洞窟に隠れ 世捨て人のように 一人で至福を 楽しむのです この世界に生きて 霊的な真理を 教えて 他人に利益を 与えているのです 彼女は全ての生き物を 同じように扱い 高潔に実証しています

マスターはいつも 私達に内面の視覚を 暴露するのを禁じ 傲慢になるからです

でも花蓮でマスターは 講演で言いました 「愛とはお互いの目を 見るのではなく 同じ目標を見るのだ」 と言いました 従って 今日は 誰も気にしません 内面の視覚を 皆さんと共有して より多くの皆さんが 至福と平和を楽しみ 霊修行を 導き出すのです ここで 心から マスターが私たちに 愛を贈るというのは 何も恐れる ことではありません 彼女は 真の自分を 知らしめるために しているのです 来てください 勇敢に天国 (最高の楽園)に 一緒に 包まれましょう 最後に皆さんが 肉屋の包丁を下ろして 瞬時に 仏陀になれることを願います ありがとうございます

マスター 私も 次のような個人的な 経験をしました あなたとこれを 共有したいです 聞いてくれますか (ええ) 時間を取りすぎるのが 申し訳ないので 手短にします マスターと親しく なれる機会ができて 幸運です マスターに従って 二年になります この経験で  マスターを見た 驚くべきことを 共有したく おもいます まずマスターの奇跡を 聞いてください ご存知のように 全ての霊修行者は 光を放ちますが マスターの光はなんて 巨大なんでしょうか 二年前 道の修行者が マスターの光が 広大の空に見ました

普通の修行者の 光の放射が直径で 七~十センチで 全身から 丸く放っていたら 全世界が それが 彼だとすぐに 分かるでしょう でもマスターの光が 私達の目で見えない 最も遠い所に達する ことを想像できますか これは無限の光の 奇跡です 二つ目の奇跡は 光の海の化身です マスターがどこで 講演しても いつも光があります 彼女最近の講演は アメリカの バークレー大学で 行われました そこでは 印心していない人が マスターの光を見て 何のように見えたか 光は海のように 全体の講堂を 覆いました

マスターが講義を 終えて立ち上がり 去っていく時 身体がゆっくりと現れ そして 光が消えていきました 経典で 私はインド古代の太祖 龍樹菩薩に 関して読みます 彼が講演の時 彼の全身は見えなく なりました 月だけが見えます これを読んだ時 私は とても驚いていました でもマスターを知り それが大したことで ないと思っています 三つ目の奇跡は マスターの本が 光を発することです

ある人は金色の光か 仏陀の化身を 見ました マスターの本が 光を放つだけでなく 彼女のポスターにも 光があります ブラジルでは ある人が電信柱に 貼ってあるマスターの ポスターを見て「何で このポスターに光が あるのか」と驚いて 礼拝のためポスターを 家へ持ち帰りました 翌日 彼がその 電信柱を通り過ぎる時 いくらかの光が まだありました 四つ目の奇跡は 台南で起こりました 五つの異なる 刑務所で服役した 修行仲間がいます 彼は以前いわゆる ギャングの頭でした

彼は彼が若い時から 全ての悪いことをして 人々を殺しさえしたと 言いました しかし 彼は偶然 マスターの講演に出席 マスターが五つの 異なる仏陀の姿で 現れるのを見ました それは達磨 観音菩薩 地蔵王菩薩 釈迦仏陀と彼女自身の 姿でした その後 彼はマスターに従い 各地の講演に 出席しました 最後の講義 五番目の講義の時彼は 我慢できませんでした 以前重い罪人であると 感じ 彼はマスターに 印心を求める勇気が ありませんでした

しかし マスターの 講義を聞いた後 彼は菜食を選択し 彼の犬さえ 菜食をしました それで 高雄における 最後の講義の後に 彼はマスターに手紙を 書かざるを得ません 彼のような人間が 弟子として認めるか どうかを尋ねました マスターは問題ないと 今良い内在の体験が あるだけではなく 家庭生活を後にして 苗栗道場で 園芸師として 働いています これは台南からの 実話です 五つ目の奇跡は 刑務所の囚人も感動し 変えることができます ご承知のとおり  通常受刑者は非常に 賢くて機敏です

獄中にいる時 彼らは他の人を 信用しません したがって 彼らに 講義するのはどんな マスターにとっても 最も不愉快なことです 又 彼らから感応何か 得るのも難しいです 彼らが「来た また 説教しに来た」と 言うからでしょう しかし マスターが 花蓮刑務所と宜蘭 刑務所で講義した時 受刑者はマスターの 無量の愛によって 感動し変えられました 何人かが印心を 求めました 印心を受けてない人も 瞑想の方便法を 習って 素晴しい利益を 得られました 従って マスターは 本当に悪魔いわゆる 罪人を天使に変える ことができます

マスターのパワーは 計り知れません 六番目の奇跡は マスターの写真が 巨大な光を放つことで 屏東での 最近の講義では 取られた写真は マスターが金色の光で 輝くのを示しました 写真を見た時 私達はフィルムが 悪いか撮影技術が 良くないのでは ないかと思いました どのように 人が衣服と皮膚を含め 金で 塗装したように できますか しかし マスターは 写真は素晴らしいと 金色の光と言いました それを考えて下さい 寺の金色の仏像は それに似ています マスターの写真は 様々な光を放ちます

第二の点は マスターの法門を伝え 印心する パワーについてです この頃 最も人気が ある経典は 観音菩薩の普門品です 観音菩薩の普門品は 無盡意菩薩が印心を 受ける時の内面体験を 記録したものです 私が知っている限り これらのビジョンは ただ普通でした 私にはいくつかの 最近の印心会の期間中 護法として働く幸運と 祝福があったからです マスターが毎回 印心会を終了する時 新しい印心者の 内面の体験に関して 質問しました 彼らの多くには 無尽意菩薩より良い 内的体験がありました

とても多かったです 釈迦牟尼仏の 弟子が印心した時 彼らは阿羅漢の位に 達する事ができました マスターの弟子達も 同じ経験がありました そして各期間中には 内面の体験をした人が 多くいました 第二に マスターがフォルモサ (台湾)に来る前に 最高の内的な幻視は ある有名なマスターに よって報告されました 彼は一日中十八時間 座禅し 一日一食し 三十年間隠遁しました 彼は三十年間一人で 禁欲的に修行しました 彼の内的な体験は 雷の音を聞く事でした あなたが私達の 印心修行者に 尋ねるなら 雷の音は 低レベルの音です 大した事でありません けれどこの導師の話は 大騒動を惹起しました また 非常に有名で あった他の在家の 修行者がいました

私は常によく彼の本を 読んでいました 彼の内面のビジョンは また 高い水準の 音でないエンジンの 音を聞くことでした 我々修行仲間はずっと 高い水準があります 三番めの点は 印心の時 マスターは 世々代々蓄積された 私達のカルマ(報い)を 断ち切れることです

私たちは世々代々 この俗世界と六道で 輪廻しました そして 沢山のカルマ(報い)を 作りました 私達のすべての カルマ(報い)を 取り除くことなしで 三界から 逃れるのは不可能です それは私設貸付業者に 関わっているようです ローンのお金を取って それのすべてを 費やして あなたは 逃げたがっています 債権者は確実に貴方を 見付けようとするし 自由に国を出る ことができません 従って マスターが 印心を与えるとき 彼は 多くの生涯から 蓄積された弟子の カルマ(報い)を 除去せねばなりません

それは医王と 薬師如来の 両方が印心を与える 悟りを開いた マスターの功徳を 讃嘆した理由です 彼らは 我々に千万の 肉体があって 香りを それらに塗りつけて 仏に供養するために 我々を焼身しても 悟ったマスターが 私たちに与える印心の 功徳に恩返しできない と言いました 台南で ここ十年間の 統計によりますと 以前は言うまでもなく 私は統計を読みました 一年の肉類の消費量は 四人が大きなブタと 十五羽のアヒル 魚に にわとりを 消費できる量です

それで 幼少の時から 私たちはどのくらいの 肉を食べてきましたか 前世で 私たちは どのくらい更に 食べましたか 無数の累生の間には あなたは 私たちが どれ程カルマ(報い)を 招いたか想像できます しかし マスターは それを除去すべきです マスターは一度に 数百人に印心を与えて 全てのカルマ(応報)を 運んで それを消化し なければなりません 彼女に無限のパワーが なかったら 気楽に 留まる事ができません 今日 ここに座って いないでしょう 彼女の力がどれくらい 大きいか想像できます

一度 私はマスターに マスター あなたの 偉大な力は恐ろしい 悟ったマスターが弟子 一人のカルマ(報い)を 消化するのはすでに 信じられません しかしあなたは同時に 沢山の人を印心します その後 あなたはまだ 何事もなかったかの ように気楽に見えます 翌日あなたはそれでも 講義に出かけます 苗栗での印心の後に あなたは私達の退屈な 演技を見るために  まだ出て来ていました あなたはとても偉大 三番めに 私たちが阿弥陀仏経で 知っているように それは記録されてます 「釈迦牟尼仏は わずかな祝福された 恩恵と功徳を通しては 西方浄土に行けない」 と言いました

彼は阿弥陀仏の浄土を 彼は阿弥陀仏の浄土を 讃嘆しました 死後西方浄土に行きた がっている人はただ 親切のわずか幾つかの  種 少し祝福された 恩恵または若干の因縁  以上を持つべきです 阿弥陀仏の浄土の 衆生は少なくとも 阿羅漢のレベルに あるからです 彼らの多くは菩薩です 彼らの中にはもう一度 修行するため人間娑婆 世界に来る事によって 成仏を達成する準備が できてさえいます 彼らは多くいます でも私達がマスターの 弟子を見ると 彼らは同じです

彼らには多数の 善の種を持っていて 多くの福報と 縁があるため 浄土に行けるのです 釈迦牟尼仏の弟子で 須陀垣 (聖人の流れに入った 者)にいる人がいます ですがマスターは 約束してくれました 印心後 彼女の方法に 従って修行すれば 須陀垣でなくても 少なくとも 阿羅漢になれます 最近 二、三日前 屏東に住む ある修行仲間が なくなりました なくなりました 彼は一貫道の リーダーでした 印心後 彼は病気になり それでもマスターの 方法に従って 修行を続けました 一年半後に 阿羅漢のレベルに 到達しました

亡くなるとき 非常に良い内面の 体験がありました 亡くなる際に 修行仲間が 彼のために祈る間 非常に明るい光を 見ました 二番目に 阿弥陀経の中で 言われています 西方浄土に 住んでいる衆生は 一回の食事の間に 十万億の仏土へ 旅できるとあります ですが マスターと 共に修行すれば 同様にできると 発見しました 短時間で マスターも多くの所へ 連れて行き 沢山の 事を学ばせます 一回の食事の間 または三十分 または二十分で 十万億の仏土へ 旅できます 何をしにそこへ 観光ではなく 学習のためです マスターの弟子も 同様にできます

これは非常に 不可思議なことです 次は マスターの無限の 愛と忍耐力です 知っている通り 在世のマスターの目を 一目見れば 私達は解脱します むかし 楞厳経の中の 物語を読んでいると 阿難が 間違いを犯したため 釈迦牟尼仏は 彼を連れ戻すよう 文殊菩薩を送り 釈迦牟尼仏は手を 阿難の頭に置き 彼を加護しました この物語を読んだ時 とても感動し 羨ましく思いました 釈迦牟尼仏は それほど慈悲深く 仏の手を使って 阿難の頭に 触れたのです それが私達だったら どれだけいいのか マスターに付いて 修行した後 何でも ないと思いました 私自身の経験からして マスターから 頭を十数回 触れられました

マスターが弟子を 加護した最高記録は 去年七日間の リトリートで 参加した在家の 修行仲間全員に 加護したときです 約千人に及び 正確には八八六人です 七時間かけて 加護しました 一回の加護で 頭に触れたり 目を見るだけでなく 抱擁したりフルコースの加護です ビデオ撮影をする 出家人の修行仲間で 非常に優れた 霊修行者ですが

長時間でなく 形としての加護を すれば良いと 思ったくらいでした ですがマスターはなお 最大の忍耐力と愛で 修行仲間の皆を 加護しました 釈迦牟尼仏が この世で伝法した時 すでに十方の如来は 最も尊いお方と 彼を称えました ですが この末法時代で マスターは私達 頑固な弟子を 教えているので 如来はどうやって 彼女を称えるでしょう 後になってみないと 分りません 四番目に 仏陀のレベルです 開悟したマスターや 仏のレベルを知るには もちろん 人間の頭脳では 見当付きません ですが 他の仏陀と 比較できます マスターはかつて こう比べました 彼女は 約三種の 仏陀のレベルがあると 言いました 例えば 一般の霊修行で 到達した 金山活仏もまた 金山活仏もまた 非常に慈悲深くて 磁場を持っています 彼は 唾液や汚物 仙丹や鼻水で 病人を加護できます 唾液や鼻水を 食べた病人は すぐに病気が 治りました

他の仏陀のレベルは 唾液などで 人を加護しません 彼らの名を唱えれば 病気が治り 解脱できます 観音菩薩も 阿弥陀仏も そのレベルです 念仏することによって 涅槃(極楽)に 達せます 誠心誠意に仏陀に 祈れば 仏陀は あなたを救いに来ます いったん病気が仏陀に 癒されたら  二度と病まないのです でも  一種の最高レベルの 仏陀がいます 彼あるいは彼女の 名前を呼ばなくても  彼あるいは彼女は あなたの苦痛を知ると  直ちにあなたを救いに 来ます 誰がこの最高の仏陀 でしょうか マスターは以前誓願 したことがあるが 恥ずかしくて人々に 言えないのです だから 私達弟子は それを教えましょう マスターは言いました マスターになる前 フォルモサ(台湾)に 七日間のリトリートに 参加した時のことです マスターは仏陀の名を 唱えた時  内面で 阿弥陀仏と コミュニケーション する 光景を見ました

「あなたは偉大で 慈悲深く四十八誓願を しました 人々があなたの名を   唱えると彼を救います でも 誰もがあなたの 名を知るわけはない 例えば アフリカの 人々は知りません だからあなたの誓願は 彼らには無用です」 マスターはこう 言いました「いつか 私が成仏したら  衆生が私の名を 唱えるのを待ちません 彼らが苦しんでいると 知ったら 直ちに 救いに行きます」と ご存じの阿弥陀仏の 誓願の一つですが 阿弥陀仏の名を 七日間唱え続けると あなたを西方浄土に 連れていくものです でも一心不乱に七日間 阿弥陀仏の名を 唱えねばなりません 容易ではありません

試したことがあるから 知っています 私は朝も 夜も 唱えていたので 容易ではないことを 知っています 一番簡単な方法は 死の時阿弥陀仏の名を 十回唱えれば 往生できることです つまり  あなたは死に際に  阿弥陀仏の名を 集中して 十回唱えると  阿弥陀仏が 迎えに来るそうです でも ご存じの通り 死ぬ時は非常に 苦しいです 魂が肉体を 離れようとする時 体から一切れの肉を 剥がすようで とても苦しいです その時 人々は 世俗的な財産や まだ見送りに 来ていない 子供たちに 執着します

仏陀の名を唱える事に どうやって 集中できますか これも容易ではない 最後に当初はあえて 話したくなかった 個人的体験を皆さんと 分かち合いたいと 思います 数週間前 体験の中で ある仏陀が教えを 説くのを見ました 彼は多くの 菩薩や阿羅漢に 囲まれていました 教えを説く時  その仏陀は 急に眼を閉じ 一瞬中断しました 一筋の光が 下りて来ました すぐに再び一筋の光が 上がって来ました ほんの一瞬の ことでした そして その仏陀は 話を続けました 彼は地球に行って 帰って来たと言った あっという間に 彼はこの世界へ旅し また戻ったのです

でも 彼の弟子の 菩薩や阿羅漢たちは こんな短時間に 彼らのマスターが 地球を往来したとは 信じられませんでした その仏陀は言いました 「信じないなら  待って見ればいい」と 直ちに 片側から 極めて光り輝く 多くの菩薩と 阿羅漢たちが現れ しかも彼らよりも レベルが高かったです 仏陀は説明しました 「彼らは 今私が 地球に行って 救った人々です」と そして仏陀は 教えを続け  この世界は 霊修行の 一番良い場所だと 称えました 地球の衆生には 体があるからです

更に 地球に多くの 変化する状況と 感情があるからです 成功も失敗もあり 千変万化の状況も あります 「彼らは浄土にいる あなた達より 早く進歩できます 下の地球での 一日の修行は  上のここでの 百年の修行以上です」 仏陀はこの世界は 信じられないほど 霊修行の理想の場所と 称え続けました 皆は彼の話に 魅了されました それで彼は言いました 「非常に偉大な 古い仏陀が 降りています 助手が必要ですが 行きたい人いますか」 皆が手を上げました その古い仏陀は 誰でしょう ほかならぬ 私達のマスターです 降りて来た羅漢と 菩薩は誰でしょう 印心を受けに来た人は その答えが 分かるはずです