ありがとうございます 確かに 沢山の拍手でした まだ話し始めもしない 誰かのためには 観音法門を 修行してからの ここ一年半の 自分の思いや 自分が受けた感覚や 経験を お話する機会を 頂けることを 大変光栄にまた 特権に思っています 話したいことは やまほどあります そして 幸いにも 男性修行仲間の一人が ちょっと前に私に 思い出させました 私達は今晩ここで 二時間しかなく 二日間ではありません それで私は話を 簡約しようとします 私はおよそ一年半 観音法門を 修行していました
私が印心して 修行する動機は今夜 ここにいる皆さんと 同じように霊性と 存在に関する疑問を 求めるためです 私達は皆 その点を 自分自身に尋ねた ことがあるはずです 本当に絶対的な ものがあるだろうかと または万物がその 全能の力からきていて そして皆そこへ 戻るのかどうか 皆がその一部に 所属するものにです ある点で 私は それを見出しました この力が本当にあれば 私達はもっと深く このような抽象的な 霊的な質問疑問を 探索してみなかったら 私達は人生に おける 最も重要なものを 失うでしょう
私がこれらの問題を 考えれば考えるほど 私達の周りの すべてや 宇宙での環境や 義理人情の関係など 私達につてのすべては そんなに完璧で きちんとしている事は 絶対に偶然でない事を より理解しております 少なくとも私は それを受け入れるのに 苦労したと言うことが できます それで私は霊性を 求める道では もっと実用的に この信念を使って 日常生活を改善したい と思い始めました ですから 私が 私がこの本当の本性や 全知全能の力を より良く理解する ことができました
ある点では ただ本を読んで 人々と霊修行を 討論するだけで もう私の切望を 満足することが できないと思いました また発見し始めました すべてが神の手配で あることを信じれば 信じるほど生活も より平滑になると ですから観音法門と 接触してから そしてそれ以来ずっと 多くの霊的な質問は 何らかの方法で 答えられました そして 実を言うと 私はどんな答えのない 質問についても それほど心配しません
たった今 私にとって 最も重要なことは すべての分野の知識を 超え 神に対して 私達の天なる父に 対して もっと 強い信心を もつことです それは 私と他の皆も 神と一つであると 毎日思い出させます 私達の周りのすべてが 常に変わっているのを 見ることができます 体の中の細胞さえ 少なくとも あるレベルで 常に違っています すべてはサイクルの ように常に変わります 残っているような 唯一のものは この絶対で 全能の力です
ですから再度こうした 思いを分ち合える事を 感謝するとともに 大変光栄に思っており そして 皆さんが何をしようと 皆さんが将来 どの道を選ぼうと この大きい力の源 より良い理解に 導かれるよう望みます 私がこの 偉大なる力の源を 思い出さなければ 人生における全ての事 喜びのあらゆる形 科学のあらゆる形と 他のすべての事は 長期的に見れば ほとんど 無意味なことです 他のすべては消えます
ご清聴ありがとう
この国がとても好きで 国王と王妃が好きです とてもロマンチックで お城 宮殿 全ての川 湖 水辺の風景
美しい緑の風景 すべてが好きです 沢山の木々 緑豊かで 目に大変心地良いです ここにご招待下さり ありがとうございます つまり ご来場に感謝します 私は 神の王国を探す とても簡単な方法を 皆さんにご紹介します それをご存じですね お話しましょう ご存じのように 偉大なる宗教の 全経典が言っています 私達は神から生まれ 神が私達を創ったと そして 私達は神と 同じ本質であると ただどうやって私達が 忘れてしまったのか 神からとても遠く 離れてしまったと感じ 祈ってる時でさえ 神が聞いてくれて いるかどうかも 答えを得られるか どうかも分りません
たいていは 神からの答えが 得られないと感じます でも実際 私の体験から言えば 神は常にそこに 二十四時間いるのです 神は私達の内にいます 私達の外や周り どこにでもいて いつでも私達は 神と繋がれるのです 私達が生まれた時 たぶん三、四歳頃まで 五歳くらいまで 私達はまだ 神を覚えていられます 私達が神と意思疎通を 図るのは幼少の頃には より容易いことです
しかし社会制度の中で 成長していくにつれ 大人として ますます責任を 負うようになると 私達はとても忙しく この栄光ある繋がりの 記憶が薄れていって しまうのです まさに自動的にです 子供をよく見れば その目の中に 幸福と 天国の純粋さの きらめきを見ます なお神との接触の中に いるからなのです 私達が成長して たまたま 聖人に会うと 神と再び繋がった人 神を思い出した人に 会うと 彼の目に 同じきらめきを 見るのです その聖人にもまた 子供と同じ 幸福があるからです
彼は戻ったのです 再び生まれて 子供に戻ったからです 聖書が言うように 「再び子供にならない 限り 神の王国には 入れない」のです 実際 逆説的に聞こえますね 唯一私達が神と 再び繋がった時のみ 再び子供のように なれるのです 完全に純粋で 完全に幸福で 完全に自由になれます どうしたらこの自由の 状態を得られるのか 私達は生死の過程を 遡らなければ なりません ちょうど私達が再び 生まれるようにです そうすれば出来ます 私達がやって来た道へ 戻れるのです 私達は旅を遡るのです
そうすれば 私達は 幸福の本源を見出せ それこそが神なのです 私達が自分の家から ある場所へ来て 家への帰り方を 忘れたら 唯一 家へ帰る方法は その道を思い出すよう 努力することなのです 或いは 家への道を 知ってる人に尋ねます そうすれば やって来た道に 間違いなく戻れます ただ家への帰り道を 忘れてしまったからで 帰り道が存在しないと いう事ではないのです ただ私達が神と私達の 本来の家を 忘れてしまったからで 神と本来の家が 存在しないのでは ありません 私達は神から創られて 神から命を与えられ 神へと戻って行きます
それこそがこの宇宙の 唯一の真理なのです どれほど多くの人が 私達を悪く言おうが 私達が罪深く神の愛に 値しないと言おうが 関係ありません すべてこうした事は 単なる脅しでしかなく 非論理的な脅しです 全く真理などではない 王子がたまたま 宮殿から離れて 迷ってしまえば その間 彼は生き延びるために あらゆる不快な事を せねばならないのです それで家への帰り道を 忘れてしまうのです それは彼の過ちでなく 彼の罪ではないのです たとえ自分が 王子であることを 忘れてしまっても 彼はなおも 王子なのです
彼が王宮に戻りたいと 思えば なおも公式に 再び王子の位に 就けるのです ですから同様に 神の子は常に神の子で 私達の存在にどれほど 多くの塵を被ろうと 関係ないのです この物質界のどれほど 多くの無知が私達を 曇らそうとしても 関係ないのです 私達は元々 神の子なのです 私達はそのようであり 常に神の子に なるのです たとえその王子の様に 彼が迷っていて 多分汚らしく見えたり やつれて見えたり あらゆる尊厳を 欠いているようでも いったん風呂に入り 世話を受け 栄光ある王室の衣装に 身を包めば 彼は再び尊厳を 取り戻すのです
この世の王国でさえ 王子が常に 王子であるなら どうして神の子が 神の子以外の 他の何かに 成り得るでしょうか 私達はずっと 洗脳され続けて 真の存在以下のもので あると信じたのです 私達は 生き延びるために 多くの事をやってきて 神の王国での 宇宙の 真の地位での 自信というものを 失ってしまったのです でも 私達が望む どんな瞬間でも 常に取り戻せるのです 私はその方法を 皆さんに教えます 本当にあっという間に 取り戻せるのです
すでにその存在だから 因果の法です 「蒔いた種は刈らねば ならない」という法で 罪を科す法 罪の法 地獄の法 何であれ 私達の上に 積み上げられてきた 悪の否定的な考えの 法です 人が作ったもので 神ではありません 私達は時々誤った事を するのをどうする事も 出来ませんが いったん分れば 私達は徳と正しき 行いへと戻っていき 皆きれいになり 全て 許され 再び全ての 尊厳を手に入れます 私が神の王国に 連れて行かれた時 愛以外の何も見ません 罰もなければ 裁きもないのです
そこには何もないです 私達がどんな姿で あろうが神は私達の 帰宅を待っています この世界の 全ての徳 全ての罪 でさえも単にこの 物理的な雰囲気の中で 作り出されたのです それらは本物ではなく 実は 私達もまた ここにはいないのです 体は本物ではないです ここの何でも ただ 大きな幻想に過ぎず ですから皆さんが仮に 今 非常に 悟りを開いた人で 今そこに座り 集中していたとして 皆さんは集中する 必要さえありません 皆さんの意識レベルが とても高ければ 今そこに座っていても ここにいる誰も 見えないのです
皆を包み込んでいる 光の海しか見えない かもしれません 皆さんは愛だけを感じ 神の臨在だけを感じる それこそが真理です 私達は そういう風に ものを見るべきです 私達は ますます こうしたものを 日々の集中の中でも 見れるようになります 私が皆さんに教えます とても簡単です 私達は 天使や 天国 聖人 天国 聖人 天界の王国のあらゆる 妖精の話を聞いても 多くは見ていません 彼らとの繋がり方を 私は皆さんに教えます 彼らは本物です すでにこうした 体験のある人が いる事でしょう 聴衆の中には きっとこうした 体験のある人がいると 確信しています
あるいは 今それを 体験しているかも いったん 私達が この種の体験を知ると 私達は新しい人間へと 変化していき 聖人の輪に入るのです するとこの世の汚れは 二度と再び 私達の智慧を 覆うことは出来ません 私達は洗われて 子供のようにきれいに 純粋になったと感じ そういう理由で 聖書では言うのです 「子供になれ さすれば 神の王国に入れよう」 この神の王国からの 光のみが私達を まっさらに洗えますす
そして 私達が本当は 何者なのかに気づき すべての罪の感覚を 忘れられるのです 世界が私達に科そうと してきたものをです 全てのこの劣等感 社会が私達の考えを 洗脳しようと してきたものをです 私達は無価値であり 取るに足らない者で 罪の中に生まれ 罪に死ぬというものを 神の子には そんな ものは存在しません どうしてダイヤが他の 何かになれるでしょう たとえそれに泥を こすり付けたとしても 何トンもの砂や泥を かぶせたとしても ダイヤがどうその形や 価値を変えられますか
世俗的で 低レベルの物でも 石や ダイヤのような その質や形は 変えられません どうやって 神から創られたもの 神の本質 神の子 神の似姿に 創られたものが その質を変えられるか 何をしようと関係なく 栄光の地位をどれほど 状況が非難しようと 関係ないのです だから神を信じるべき 私達の真の価値 真の本来の本性を 信じ切るべきなのです 他の否定的な考え方を 信じるべきではなく それは私達にとって 有害だからです それは 私達の魂を 神の子を堕落させ また神も堕落させます 彼は 私達の父だからです 彼が悪いと天なる父が 良くないという事です
そうですね 子供達は善悪が 分らないのです 何か問題が起これば 私達の社会では 両親が多少なりとも 責任を取るのです 同様に私達が本当に 神から来て他のどんな ものも 私達を二度と 説得できないことを お見せしましょう いったん 皆さんが神の体験を すれば それを維持し 再びそれが 真の本性になるまで 毎日毎日 それを 新たにしていきます 最初に生まれた時 全く自由で神の 愛の中にいたように 皆さんが母親の胎内に 宿っていた時 羊水の中で 暗い中で 逆さになり ひっくり 返ったりしてましたが 皆さんはとても幸せで 素早く成長します
二十四時間 神の栄光と愛の中に 浸されているからです 神を再び知るのは とても簡単なことです 瞬きほどのものです ただ私達が 世俗的な 考え方の中に この物質界の先入観に 本当に どっぷり浸かって きてしまったために 再伝達の時には 私は時間をかけ どうすべきではないか 言わねばなりません そして それでただ 皆さんの面倒を 見るためにそれで 安全な方にいられ 肯定的にやるには どうすべきか分ります 再び洗うのに時間が かかるのであって 悟りではありません
でも言っておきますが 私達は責任を負う 必要があり皆さんを 本来の居場所に帰して あげねばなりません そのために教えて おかねばなりません いいでしょう 皆さんは数歩 歩けば 何かを見 自分がどこにいるのか 分ります これが家へ帰る道です 私は皆さんに道を教え 目印 風景をです そのために 時間がかかるのです ですから 皆さんに 少し時間があれば たぶん二時間くらい 通訳も入りますから 二、三時間かかるけど 私は教えられます その後皆さんはそれを 本当に一人で行えます 自分で 家で静かにです
誰も知る必要もなく また誰かに聞く必要も ないのです 必要な時はいつも すべての答えが 自然にもたらされます 必要な時はいつも すべての助けが 自然に差し伸べられ あらゆる奇跡が 皆さんに起きます 口を開いて 天なる父に 祈る前にさえです 神はすべてを 知っているからです 今私達は 神が何を 言っているか分ります 修行仲間の愛に 私はここに来るように 要請されたのです そうでなければ彼らは 本当に印心後 もはや 私を必要としません
彼らには神がいて 自身のスプリーム マスターが内面にいて いかなる肉体を持つ 師の臨在も 必要ないのです でも 人間的感情があるので 私達はなおも 私達が愛する人に 私達にとって良い人に ついているのです 私達を愛してくれる人 私達にある良い事を 教えてくれる人にです 繰返し何度も彼らに 会いたいと思うのです つまり「類は友を呼ぶ」 ということなのです それで 私達と似た 同じ種類の人達と 会いたいと思うのです それで私達は時々 会いますが 本当にその必要がある 訳ではありません
何ら肉体を持つ師は 必要ないのですが ただ神がどこにいるか 私達が忘れてしまって いるので それを指摘してくれる 人が必要なのです 別の蝋燭に再点火する 蝋燭が必要です それだけです その蝋燭のあと 私たちは思います 「よし 私達には 互いに何も必要ない」 でも 人間として 頭脳が 心が自分達の 愛している人を 同じレベルにいると 感じられる人を 簡単には 忘れられないのです ですから構いません 皆さんは私にまた会え 或は私が会いに行くか 万が一 皆さんの中の答えに まだ疑念が残るなら 私に手紙を書いて 尋ねて下さい
あるいは 私達が 皆さんに更に必要な 情報を全て送ります それで家で勉強でき なおもこの物理的な 教えが必要ならです でも それ以外は 高いレベルの修行者は ただ天国から 神から 直接 学びます 私達は皆 存在の内に 宇宙の智慧を 持っているのです 実際 何ら物理的な 教えは必要ないのです ただ忘れたからです 私は 皆さん自身の 智慧の思い出し方を 皆さん自身の師となる 方法を教えます 天国と 皆さんを 邪魔しようとする 否定的な力との 見分け方を 自分の守り方を 安全に 瞑想する方法を 毎日 神と話す方法を 教えます
すべてこうした事を 教えるのでちょっと 時間がかかるのです これまでとても沢山の 講演会をしていて とても沢山の様々な 指示の仕方をしてきて テープやサンプル本を 手に入れられます 無料のもあります 皆さんの家に 二週間毎とか 毎月 送ります それで家にいられて 自由時間に静かに 自分の本性と 接触するのです 全く努力を要しません 全てこうした事は 皆さんに 最も大いなる加護を 最も大いなる 幸福を 喜びを 自由を 与えてくれるからです
今まで知らなかった事 世俗の仕事とは 違います 私達は 月に二、三千クローナ 稼ぐだけで疲れ 体や心が疲弊して しまいます 神のために働くのは 純粋な喜びです それは私達の体 心 精神を 向上させてくれます 病気さえ治してくれ 鬱を追い払い 智慧を開いてくれます 私達の心をより愛深い 優しさへと開いてくれ 知性を開いてくれます それで 私達は 困難な状況の 処し方が分るのです ですから 瞑想すれば するほど ますます自身の中の この神に集中し 全く異なった人に なっていきます 天使 聖人 自由な魂に 皆さんは瞑想が ヒマラヤのマスターの ものだと思っています ヨガ行者のための 彼らは一日中座って 足を組んで そして いえいえ 違います とても簡単なのです 私はいつもそう考えて そしてやってみました 神と接触するために この汚れた世を 去るべきと思いました ヒマラヤの澄んだ 空気の中で そう考えました
今どこでも神を見ます バスの中でも神を見 三流のホテルの 人ごみの中でも見ます
タクシーでも公園でも 飛行機の中でも どこででも見ます
神は様々な姿で やって来ます 神には元々 形はありませんが 私達に見えるように 抽象的な形へと 化身できます 神は私達の元に 千の太陽の光として 出現できるのです 大水の声で 雷鳴の声で 天界の美しい音楽の ような声で 私達に話し掛けられ 私達の全存在を開き 私達は最高の天国へと 舞い上がり 永遠の 自由を享受します 私達は世俗を去る 必要はありません 家族から 妻や夫や子供達から 去る必要はありません 私達は 私達が いる所にいるのです
屋根裏部屋で瞑想し 居間で瞑想します ベッドの上で 神に集中します トイレで ソファーで 皆さんが選ぶどこでも 神はそこにいるのです 常に神は そこにいるからです 決してどこか他の所に いるのではありません 私だけがこの体験を しているのではなく 同じやり方を学んだ 同じやり方を学んだ 私達の全修行仲間が 多かれ少なかれ 同じ体験をしています もちろん 皆さんの誰でも 同じ体験をすると 私は保証します 瞑想するとはこのよう いいですね
例えば ただここに座るだけ また こうも座れます 横にもなれます 立つことも出来ます どんな姿勢でも 神は気にしません ヨギのみが 神に到達 できるという概念は 消し去って下さい あるいは 特にとても 厄介な痛みを伴う あぐらなどは 神は足を組みません 神には足がないのです だから とにかく神を見出すことは そのくらい単純です こういうことだけ ですからどう座っても 構わないのです ただ皆さんに お話しすべき ちょっとした事があり より高い所に上って 行くために避けたり 集中したりすること それだけです
それ以外 いわゆる 伝達 印心というのは 全く言葉を用いません 神が皆さんに 姿を現すからです 私の話は神をあなたの 所に連れて行きません 神は皆さんの中にいて 皆さんの準備が出来て 望んでいれば 神はただ姿を現します その指示はすべき事と してはならない事だけ それで皆さんは 家で 安全でいられるのです それこそが 神の最も驚くべき力です 神は全環境を 浄化できます どこであれ皆さんが いる所が天国です 神の創造物とは 実際どこででも 完璧です この惑星でさえもです この物質的な 汚れた世界でさえも 神の王国です
この物質的な エネルギーが 凝縮した幻想の力が 天から離れていると 私達に感じさせます 私達は人間であり 神ではないと 感じさせているのです 時間でさえも 幻想です ですから 私達がすべき事とは この物質界の時空を 横切ってしまう事です それで私達はそこに まさしくそこに 神の王国にいます 天国の門というのは 剣の刃ほどの薄さだと 聞いた事がありますね 天と地は髪一本ほどの 隔たりに過ぎないと 聞いたでしょう それよりも薄いもので さえあります 地上と神との間には 隔たりはありません
地と天との間にはです ただ私達が この物質界の力に 惑わさせています 私はその消し方を 皆さんに教えます そうすればあっという 間にそこにいるのです 私達には 集中することに ちょっと問題があり それでそれぞれの人の 体験に 違いが生じることが あります ですから 私が今日 皆さんに神 天の光 天国の風景を お見せしたとしても 毎日 それが元々の ものになり再び元々の 習慣へ戻って行くまで それを新たにして いかねばなりません それだけが 私達がすべき事です 全ては習慣にすぎない だから子供のようなら 神を繋がるのが より易しくなるのです
私達は他の何も 考えたりしませんから 他の何にも 集中したりしません 他の何も私達の魂を 妨げないからです 私達は完全に純粋で 全く幸福で 全く責務がありません ですからとにかく神は 常にそこにいます 再び生まれるために 再び子供になるために 私達は過程を 遡らねばなりません 自分を妨げず 神に 集中するために 日々 自分を訓練しようと 努めねばなりません 私は皆さんに教えます そうすれば それが 本当の習慣になり 常に神を見られます 皆さんは何一つ私から 学ぶものはありません
私はただ 皆さんが 集めてきた全てのゴミ 全ての不必要なものの 捨て去り方を 教えねばなりません そうすれば皆さんは 再び子供のようになり 私達に重荷がなく 心配がない時 子供の時のように 神を見られます 皆さんは これが十分 論理的に感じますか 簡単ですか そうです 聖書が言う事は何でも 皆さんはご存じです 私達は実践できます ただ聖書というのは 指示を書いた本です 今こそ 聖書が教えている事を 実践する時が来ました それで 私は皆さんに 聖書の実践的な面を 教えられます
全ての科学のように 宇宙における 全てのもののように 物事には二面があり 一つは論理であり もう一つが実践です ですから 私達には もう論理はあるので 今こそ実践する時です 私達は医療書を 読めますが 医師と共に学び 手術技術や診断技術を 修練する方が より安全で より良く より確実で速いのです それでご希望なら 私達はそれを この後で行います それが私がここに来た 唯一の目的です 他に不明な点があれば 何か私が 言い忘れた事があれば 紙に書いて下さい そうすれば 通訳が 私に伝えてくれます
大変 熱心なご清聴 ありがとうございます そして 本当に愛深い雰囲気を ありがとうございます 私が言った事は何でも 全て理解して下さって いると感じます そうですね 二つのタイプの 指示があります 一つは 全行程に 臨みたい人達用で 菜食になれたりなど 確信のある人達用です 「菜食」とは単に 私達の体と心を より浄化するための ものです もう一つのグループは 確信のない人達用です 菜食になるのが 大変不都合だと 思う人達は ほんの少し試して どうなるか見てみたり 菜食の練習をします そして後で 望めば やはり 全行程に臨めます 二つのグループになり 一つは 完全菜食のグループ もう一つが 臨時菜食です お試しコース 神の試運転とかです
私達はまた菜食料理の 仕方を教えます どこで食材を買うか とか 栄養の摂り方をです 菜食とは 花だけを食べている 訳ではないですから 今日では あらゆる栄養のある たんぱく質があり 肉のたんぱく質よりも 栄養価が高いくらいで それらはハンバーガー チキン 魚の形に 作られてもいて 味も同じです より栄養があり 消化にも良いのです 皆さんの魂にも良く 病気も少なくなります 減量中の女性にも 本当に良いのです とても安く ダイエット教室に通い お金を払う必要もなく ええ 少なくても 私のようになりますありがとう
マスター 来て下さり ありがとうございます 人々に良くするのは 時々とても難しいです たとえば 人に操られたり 黒魔術を掛けられると そう感じます そういう人達と 友情を切ってしまうと ひどいカルマ(報い)に なるでしょうか 私の考えが こうした人達を人生に 呼び寄せたのですか
そうした人達ですね もちろん人生で私達は 時々 過ちを犯します だからそれが間違った 選択だと分かれば 常に別の選択を し直せます それは構いません そのために 私達には 神の導きがあるのです 何が私達により良いか 何がより愛深い縁を 私達が創り出すべきか 知るためにです 宇宙の法とは 何でしょう 宇宙の法には 二つのレベルがあり 一つは 絶対的な愛と 恩恵です もう一つは 因果の法です
最初のは 愛と恩恵の法です 絶対的な愛と恩恵です 私達がより高い王国の 境界にいる時 私達にはただ愛と 恩恵しかありません それが唯一の法です そして私達がより低い 宇宙レベルにいる時 この物質界の ようにですが そうすると 私達は因果の法を 守らねばなりません つまり聖書の 「蒔いた種は刈らねば ならない」ということ ですから ほとんどの人は 神と接触のない人は 因果の法に苦しまねば ならなくなるのです でも より高い境界へと 上がれた人達は 恩恵と愛のみを 享受するのです 神は決して裁きません 私達が死んだら どうなるでしょう
どうなるかですか 私に分るでしょうか 私はまだ死んでません いえ いえ ええ説明できます 私は毎日 死ねて 命に戻って来れます 死には 二つの方法があり 瞑想中に死に 戻って来るものと 最終的な死です この肉体との繋がりを 切ってしまうことです 瞑想中の死とは 一時的に この肉体を離れ 私達の成長に応じて 神の王国に入り また戻って来ると いうことです そして最終的な死とは 私達がこの肉体から 全部一緒に去ることで 体は 決して再び 生き返りません そうなると 沢山の事が起こります 瞑想の修行者は 日々 死にます
ですから 死の瞬間は あたかもまた瞑想 してるようなもので 最後という点だけ違う そしてマスターが来て 彼らを家に 連れて行ってくれます 彼らはもう 自分達が どこに行くか分ってて たいてい 少なくても三日前には 分っているのです 彼らが死ぬ時にです マスターが 彼らに告げます それで 世俗のどんな 義務であれ処理できて 自由と平和の中で 去って行けるのです こうした人達は 生きている間に 彼らが到達した レベルに行きます でももちろん 常にこの惑星より 高レベルの境界です ある人達は 死ぬ前でさえ 最高の マスターレベルに 到達します
そして神が彼らに 出て行って 弘法するよう告げれば 彼らはそうするのです そうでなければ毎日 ただ神と楽しんで 死んだら マスターの居場所へと 行くのです それは王国の 第五界です でも 第五界が神の 王国の最高レベルでは ありません ただ そこが彼らの居場所で より高い所より低い所 とにかくどこでも行け 彼らは自由だからです ちょうどスウェーデン 国王のようにです ここに王宮があります でも必ずしも常に そこにいる訳ではなく 彼や家族にとって より静かな住まいが 別にあります もちろんスウェーデン 国内どこでも行けます
他のどんな国にでも そして まだ悟りを 開いていない人には 肉体的な死の瞬間に 沢山の様々な状況が 起こります 今 神は私達を 裁いたりはしません 私達の良心以外にです ですから生きている間 私達が良い事を行って いると分っていれば 私達が真 善 美を 守っていれば 私達が死んだら 瞑想を修行して いなくても 教会に行ってなくても まっすぐに天国に行き そして 生きている間ずっと 他に益のある事を 何らして来なかったと 分ってる人や 毒物や麻薬や何かを 摂取して脳や体を 害してきた人は 死の瞬間 彼らの良心が 彼らが 天国に行くのを 許さないかも しれません それで まず少しの間 どこかウロウロせねば ならないかもしれない あるいは 前回しなかった事を 再びやり遂げるために この肉体に戻って 来るかもしれません
なぜスプリーム マスターという呼称を 甘受されるのですか
いいじゃないですか スプリームマスターで 何を望んでるのですか とても低レベルな人に 教えてほしいですか
無上師のみが 別の無上師を 助けられるのです 人が無上師と呼ぶのは 私の体ではありません 彼らが無上師と 呼んでるのは 内面の神なのです その同じ無上師が 皆さんの中にも 宿っているのです これは自身の栄光を 喚起するはずです それでいいですか 実際皆さんが私を何と 呼ぼうが気にしません シスターとも呼べます ある人は私の事を お母さんと呼びます 実際彼らに言うのです 修行仲間にです 彼らに言います 「二番目の姉さん」と 彼らの多くが やはり シスターと言います ええ ある人は私のことを 恋人と呼びます
構わないし気にしない 私達が神の子である時 私達には 内に スプリームマスターが 宿っているのです もうそれは分ってます ただ真実を言うのです それだけです 何ものでもありません 愛深いマスター もう少しご自身の 神の体験を お話し下さいませんか 少なくても百年間は ここに座らないとね 皆に必ず 彼ら自身の 体験があるのです ですから中古の 体験など望まないで 私達にはとても 沢山の体験があり 覚えきれないほどです 毎日起こります どうやって 覚えていられますか それは呼吸をするのと 同じようになるのです 中古の体験を望むなら 聖書の中に 沢山あります 仏教経典 クルアーン シーク教 どこにでもです でも自分自身の 体験をすべきなのです 皆が神だと知るように それこそが最高です 時々 フッと体の外に 出てしまいます どうしてでしょうか これをどう霊的な 内面活動に使えますか それは良い体験です
でも あなたには
更に導きが必要ですね そういう理由で 印心が必要なのです 私は適切に教えられ あなたは後で どうすべきか分ります ただの幽体離脱では トイレとか シャワー室の辺りを ウロウロしてるのでは 本当に良い訳ではなく それは役に立ちません 冗談ではありません 本当です ええ ある人達は 魂でスーパーに 行ったりします
私は自身の道への 向かい方を教えます そうすれば 皆さんは 天国に行きます 幽体離脱は別に 何でもないことです 単に阿修羅界の現象で 私達は時々 睡眠中に そういうことを してしまいます 私が高度の瞑想を 選択したら 観音法門ですが 私は他の祈りとか ヒーリングの練習を やめて 毎日二時間半の 瞑想をしなければ ならないのでしょうか 瞑想を出来るだけ 多くして下さい すればするほど より良いのです でも 最善を尽くして 提案として 二時間半なのです あなたはもっと 瞑想したくなります
それを本当に 楽しむでしょうから 他のヒーリングですが 私があなたなら やめます ヒーリングをせずに ヒーリングする技を 教えるからです ヒーリングしてると 知らずにヒーリングし 神があなたを通して 行うヒーリングです あなたは何もせず その事に気づきさえ しません その事を 考えさえしないのです あなたといるだけで 人々は癒されます それこそが 最高のヒーリングです
どうやったら人間は 悟りが深まったと 分るのでしょうか それはマスターに なるのと同じですか どうやったら いつ神との 意思疎通力が 上ったと分りますか 奥さんがあなたを 愛しているかどうして 分るかと同じです 私には説明できません ただそれが分るのです 神がそこにいる時に どうして分らないこと などあるでしょう これは言語と論理 知的説明を 超越しているのです 魂は自身で分ります 皆さんの内なる神が 分るのです 私達の問題は 頭脳があることです
いつもこの頭脳の 考えにしがみついてて 私達はこの体であると 考えてしまうのです 頭脳が瞑想中に 少しの間 ちょっと 捨て去られると 神のみが残ります 皆さんには分ります それは開悟前の 無知な生き方とは 全く違うからです 内面のビジョンに 神が現れるのを 見る人もいるでしょう 完全なる光 栄光 完全なる愛を伴って 皆さんはただ幸福で 身震いするでしょう 「どうしたら分るか」と 誰かに聞く必要は ありません その時 あなたは 私に言うでしょう たとえ時々 神が光の瞬きのように 現れても再充電された と感じるでしょう
しばらくの間 再び新しくなったと とても幸福に 新しく なった気がします とても若くなり熱意が 持てるようになったと 皆さんは毎日どんどん 若くなっていくようで ですから 沢山の素晴しい奇跡が 人生で起こるのです いったん神を知れば そのためには ただ 単純な事をするだけ ある人達は 十五年前に 印心を受けました そして再会すると 若くなってないものの 全くその時から 変わってないみたいで 内面の栄光が やはり 体の外に反映し 態度 性格 そして人生観に 現れるからです
皆さんには分ります 宇宙での人類の役割は 何だと お考えでしょうか 親愛なるマスター 私達は他のすべての 知的感情を持つ生物と 平等なのでしょうか 結果的に他の 惑星体系で繁栄してる そうした生物達とです 私達は皆 霊的に平等です でも ある他の星は 霊的進歩で私達以上に もっと進んでいます また ある他の星は 霊的進歩で 遅れています ある星は 技術がもっと 進歩しています ある星は技術の進歩が 遅れています
宇宙には あらゆる 種類の衆生がいます ええ 神が彼らを 創ったのです あるものは荒々しく より密度が濃いのです 存在エネルギーが 私達以上に凝縮して ある星は密度が低くて 目に見えにくいのです でもこの宇宙の すべての衆生が 必要です 創造物全体にとっての 本当に本質の一部で この建物の すべてのレンガが とても重要なように 私達は皆 目に見えない愛の力で 共に結びついています ですから私達は互いに 愛し合うべきなのです 戦争すべきではなく 憎しみ苦しみの原因を 作ってはなりません 私達は 依存し合って 生きているからです ただ忘れたのです それで 私達は動物にも 優しくすべきです 菜食になるべきです