天国 仏国土は 単なる私達の頭脳の 想像に過ぎませんか 誰でも違う形式の 仏国土を見ます 現実ではこのような 物質存在がないですか それは想像の産物では ありません ある境界は 幻覚による幻想です 酸素が 不足しているとき 疲れているとき 薬物やアルコールが 入っていたり 苦しみを経験して いるとき 本当に 幻覚が生じます これらは非現実で 再びその境界に 戻ることはできません しかしいわゆる それらの仏国土や 本当の天国は 本当の見えない物質を 有しています

その後 いつでも 戻ることができます 境界が真実なら 何度も訪れられます 誰もが違う境界を 見るのではありません 私の弟子の多くは 同じ境界を見ますが 境界がそんなに 多いのでもちろん 誰かがそこに行き 誰かがここに行きます まるでこの世では そんなに多くの国が あります 幾人かがアメリカへ それは勿論です 疑いはありません でもイギリスが確かに 存在し 2人以上が 同時にそこに行けます この世界には 霊魂がありますか 或は単なる霊魂の レベルと無関係の 心理的な現象が私達の 心に働くだけですか 確かに魂は存在します

魂とは 中に閉じ込められた 霊のことです 私達の魂は 体の中に 閉じ込められていて この世界を離れる時 体を離れます これは解脱を意味する のではありません 依然 他の体に 包まれています 家に沢山の門が あるのと同じです 以前拘置所を訪れた時 小さい門 鉄の門など 十三の門があって 入る時一つ一つ開き 入った後は 一つ一つ閉まります 犯人達に合うためには 十三の門を潜り また十三の門を通って 出てきたのです 看守が 一つか二つの門しか 開けないとしたら 依然 拘置所内にいて 自由になっていません

必ず最後の門 外に通じる門を 出てこそ 再び 自由の世界に 戻れます 同様に私達が 肉体を離れることは 他の体からも 離れたということでは ありません 私達は肉体以外にも 体も持っていて  時には別の眼で または陰陽の眼で 魂を見ることが できます それら阿修羅の体を 持った魂は時々 あちこち飛び回ったり 時にはトラブルを 起こすこともあります 時にはおとなしいです ある徳の高い出家者は 過去や未来を 見ることができます 運命は定められて いるのですか ということは人は 運命を変えることは 難しいということです 過去や未来を見る事は 難しくないです

とても簡単で 低いレベルに 過ぎません 自慢したり誇りに思う ほどの事ではないです 私の弟子達は人に 過去未来を教えては いけないことに なってます いわゆる 運命は自身の努力と 道徳と瞑想の力で ある程度 変えることが できます 完全に変えると 死ぬことになります この世界に残る理由が なくなるのです カルマ(報い)が ないと この世界を 離れねばなりません 従って時には カルマ(報い)が あって初めて この世界と関係があり ここに残って責任を 果たすことができます なぜ高僧は 強い意識の力で 雲を動かしたり 事実を変えたり病気を 治療したりしますか

その背後の原理と 仕組みは何ですか それはただ意識を 集中した時の力で 特別なことはなく ただの集中力なのです これも低レベルの ものです 申しわけありませんが 神通力といったものは 第一世界 つまり 阿修羅の世界のもので そこは神通力と魔術で 満ち溢れていて 意識の力です 魂の力ではありません 魂の力は より高いレベルです 地獄をも変えられます 雲を動かすなど 取るに足りない事です 私達も何回か やったことがあります 面白がってたので 見せるために わざとではないです 時々私の弟子たちは 私と一緒に 瞑想をする時 曇った夜なのに 私達の頭上の空の方は きれいに晴れていて 星まで見えるのです

私達の頭上の空だけが 丸く囲まれたように 晴れています 弟子達は大変不思議に 思っていますが 私は 不思議な事は何もない と言いました 開悟したマスターの 光はとても強く 何でも貫通します しかも遠くまで 照らし とても熱く 異なる 無形での熱さです 雲を払いのけます しかしそれら いわゆる高僧達は ものすごい力を使って 雲を動かします また故意にやらないと できません やった 後は力が尽きます 私は高僧達がこれを しているのを知って いて やった後は 力が尽きた感じになり 何日間も休まなければ なりません

私達は何もしません そこに座って 瞑想するだけです 何も構わなくても 雲は独りでに動きます それを見たいですか 印心を受けて下さい すると 自分で 雲を動かせます  子供だましのような 神通力に対し 不思議がる 必要はありません 神通力は実に 子供じみた 達成感です 肉を三十年も 四十年も食べて いきなり止めると 病気になりませんか 直ちに止めると 病気になるどころか 健康になります 病院は食肉の人で 溢れています アメリカ人は 肉を大量に摂ります ご存じのように 癌発生率が 世界一位です 研究者の研究を見れば 分かることで 私を 信じる必要ありません アメリカの癌発生率は 世界一で 肉の消費も世界一です

私は内面の光を 体験してみたいと 思っていますが 印心後 数ヵ月後 再び 肉を食べると どんな 影響がありますか 自分で分かります 分かるはずです 今その話は早いです その種の逃げ道を 前もって用意しない 方がいいと思います ある女性と結婚する のと同じことです 結婚するのは あなたが本当に相手が 好きで真摯に彼女と 一生一緒にいたいから あなたの誠意で選択し 約束するのであり 軽率に ある女性の手を取り あなたと結婚したい しかし数ヵ月後 別の女性とデートする かもしれない というのはいけません

これは不公平です そうではありませんか もちろんあなたは 故意にではなく 状況に迫られてすると 思いますがこのような 心持ちでは 印心を 受けてはいけません いっそのこと受けない ことです でないと 問題が生じます 仏陀を 騙すつもりですか 印心で 悪いカルマ(報い)を 洗い落とすことと キリスト教の洗礼で 原罪を 洗い流すこととは どう違うのですか そうですか 原罪は洗われましたか なぜ日曜日ごとに 懺悔に来るのですか 原罪が洗われた感じが しないからです 真の洗礼はキリストの ような人から来ます

洗礼者ヨハネやイエス キリストのパワーが 洗い流すのであって 儀式ではありません 例えば小切手を 振り出しても銀行に お金がないのと同じ 小切手を振り出しても 背後にお金があると いうのは違います 洗礼は キリスト教の 素晴らしい儀式です 仏教にもあります 仏教では洗礼を 「帰依」といい 仏陀の庇護を求めます 帰依するとき 大きな声で 読み上げます 仏陀に帰依した後は 悪いカルマ(報い)が 洗われて 地獄に落ちたり 動物に生まれること などないとしています 多くの帰依者が地獄に 落ちたのを見ました

言葉や 儀式だけのものです 目に見えない神の力で こそ洗い流せます  というのは 原罪は 目に見えないからです 分かりますか 儀式や形式 外面の音で洗われる ものではありません 無形のパワーでこそ 形のない原罪を 洗い流せます 道理にかなって いませんか 修行は論理的でないと いけません 盲目的に 人の言うことに 従ってはいけません 笑いものになり からかわれ 馬鹿にされます そうしてから 後できっと 誰かに懺悔します すると少し安心感を 得るかも知れませんが 再び罪を犯し 少しも高揚された 感じがありません

イエスが人々に洗礼を 施す時は 本当に 罪を洗い流したのです 洗礼者ヨハネが人々に 洗礼を施す時も本当に 罪を洗い流しました だから人々は 天国の光を見たのです イエスがヨハネの 洗礼を受けたとき 天から鳩のような 光を見ています 印心の時 このような 光を見ます 少なくとも同じ光を 見て するとあなたは 少なくとも罪が洗われ 天国と繋がったことが 分かるのです でないと どうやって 分かりますか 突然 大変楽になります 山が肩から 降ろされた感じがあり 石が胸から退けられた 感じがします これこそ罪が 洗われた印なのです でなければ ただの 言葉と儀式です

洗礼で原罪を 消すことはできません 洗礼者は高いレベルで 開悟して 力がないと できません なぜ呼吸を抑える 法門はマスターの 法門と矛盾しますか それは私達の体には 二種類の気流があり 一つは発電の気と言い 実際に熱を発し 血液の循環や 消化系統の面倒を 見ています これは呼吸によって 行われるものなので 呼吸を コントロールすると 体の整った秩序を 乱してしまいます 神は私達に 完璧な体を創って くださいました やるべきことは 全部面倒を見ていて いじる必要はないです 私達がやるべき事は 魂を自由にすることで 体のシステムを 乱す事ではありません

時には 危険が伴います それに呼吸は 無常のもので 寝る時 呼吸に対する 感覚がなくなったり 気絶した時  事故に遭って 倒れた時 呼吸しているかどうか 自分でも分かりません その場合どうやって 呼吸法を修行しますか どうやって 魂を高揚させますか ですから 私達の法門は 魂が永遠に冴えた 状態でいられる法門で 寝る時も 事故に遭って 倒れた時も 災難に遭った時も 常にはっきり 自分の問題や事態を 処理することができ 明白に決定する ことができます 私達は魂を 呼び起こして 家の主である魂に 働いてもらいます すると二十四時間 働きます 私達は何も 考えなくてもいいです

祈る必要さえないです というのは内面の マスター 内面の仏陀 聖霊が 目を覚ました からです これが 真我です 分りますか この頭脳つまり愚かな コンピュータの話を 聞かなくもいいのです そこで 何をしても 正しいのです 分かっていても 分からなくても 常に正しいです 内面のマスターが 管理しているからです 下僕ではありません 呼吸を乱したり 体の気脈を乱すと 体の正常な秩序を 乱すだけで 幻想または幻覚が 現れたりします それは真実の世界では ありません これでは 智慧は発展せず 少しも賢くなりません

私もやったことがあり 多くの呼吸法を 高いレベルにまで 修行した人が 私の所に智慧を 求めにきています ある人は 中国で とても有名な マスターについて 呼吸法門を習っていて 名前は出しませんが 呼吸しなくても済む レベルまで 呼吸 せずに生きていられる レベルに達しましたが 智慧は少しも 発展していません 彼は 印心を受けにきました 今は大分違います あなたはヒマラヤで 誰に学んだのですか 一人のマスターです 偉大な人ですが すでに往生しています 彼にはたった一人の 弟子 私しかいません 私は彼の仕事を引き 継がねばなりません

彼は数百年も 生きましたが 一人の 弟子しかいません 山から下りた事がなく 偶然か定めでしょう 私は彼に会いました 私は沢山のマスターに ついたことがあります 初めて観音法門を 習ったわけでもなく 初めて開悟の体験を したわけでもないです このマスターに会う前 すでに開悟の体験を しています 法の伝授は 最後のマスターから 頂いたもので 私に法を伝授して 間もなく 彼は往生しました マスターあなたは今日 仏国土や天なる父の 住んでいる所に 沢山の家があると 語ってきましたが 語ってきましたが 詳しく述べて下さい

なぜ仏国土が存在する 必要があるのですか 私達が住んでいる 世界はあなたの目から 見れば浄土でないかも しれませんが 私にとって この世界は 純粋ですが あなたには違います 従ってあなたは自身の 浄土を見つける事です 維摩経には この世界は浄土だと 書いてありますが その意味は ここに座って 浄土を見て ここに座って仏土を 見ることができる それが目の前にある ということです これがいわゆる 自分のいる土地が即ち 浄土だという意味で これは本当ですが 皆がそうとは限らず 私と 私の弟子たち 比較的高いレベルまで 開悟した人にとっては そうですが 皆ではありません

人は皆ごみを見たり 山を見たり 川を見たりします そうですね 私が 浄土はここに すぐ目の前にあると 言っても それを区別しなければ なりません 私はいつも人に あなたは今 浄土に住んでいます 別の所に行く必要も 練習する必要も 道徳的なことも 瞑想をする 必要もなく 世界は即ち浄土です とは言えません これも正しくないです 阿弥陀仏の 極楽世界と 観音菩薩の世界と 私達の世界は どう違いますか 大いに違います あまりにも違います そこの世界は 悲しみもなく 恨みもなく 戦争もありません 互いに愛し 尊重するのみです この世界は 悩みと悲しみと 不幸に満ちていて 一分間の幸せと 十分間の苦しみと いった具合です

大いに違います 苦労して 建てた家も 地震で一瞬にして 崩壊し 住む所を 失ってしまい 長い間 電気も 水もない大変不便な 生活を強いられます サンフランシスコの 橋は 何年もかけて 多くのお金を使い 数億ドルを 費やし 労力をかけて 造りましたが 五十秒で消えました 浄土ではこういう事は あり得ません 永遠に安全で 愛と光と栄光の中で 過ごしています あまりにも違います 稼ぐ必要もなく 欲しいものはすぐ 目の前に現れます スーパーまで行く 必要もなく お金を替える 必要もありません

この浄土から 別の仏土に行く場合 パスポートも 必要なく 官僚主義の 問題もありません 今アメリカに行く場合 簡単ではありません 出て行くのも そう 簡単ではありません というのは お金とパスポート 他国へ入国する 正当な理由が 必要だからです 仏国土では そうではありません 行きたい所に 行けます 自由です なぜこの国では麻薬の 使用が深刻ですか 「気」とは何ですか なぜ麻薬使用が深刻か ということですね 私は分かっています 多くの原因があります

目に見える原因と 見えない原因が あります見える原因は 一般的な アメリカ人は 物質の面で 大変快適な生活を していますが 心は寂しく 孤独です ニューヨーク以外の 他の都市で 運転していると 数マイル走っても 一人の魂も 見つかりません 森と高速道路のみで 家屋が見えても 皆家の中にいて 自分は宇宙空間か 砂漠にいる感じがして 実に孤独です 隣同士の付き合いも めったになく まるで迷子のような 気持ちになるのです それに 長い時間 暗い夜で 自分が何をしたら いいかも分かりません そこで心の中は 開悟したい 生死の事を知りたい あらゆる貧困や この世界の不幸は どうしてか知りたい という渇望で 燃えています

だから 麻薬を使うのです なぜなら麻薬は 暫くの間 楽にさせ 現実の惨めさを 忘れさせるからです 人々が麻薬や アルコール または 麻酔剤を使うのは これが原因です 従って私は決して 麻薬使用者を責めず できるだけ 助けてあげるだけです だからここに来ている のです 無論弟子達の 要請があったから でもあります 解決法を提供したいと 思います あなたが孤独で 忠実で無条件に あなたを愛してくれる 友達がいないとしたら 私の所に来て下さい 一緒に いつまでも 一緒にいられます 友達が永遠にそこに いる感じになります

本当にそれが欲しくて 誠意があれば 私が 現れるのが見えます そしてあなたは 永遠の友達を得て あなたと 苦楽を共にし 苦難を共にし 常に最善を尽くして あなたにとって 最もいいもので 助けてあげます 安物の代用品で 自分の魂を慰める 必要はありません 一旦天国と繋がれば 天国には素晴らしい 慰め物があります 印心後 天国と繋がります 気とは何かですね それは体の感覚で 気の流れです 体が 暑くも寒くも感じたり 食べ物を消化させます それが気です

天国はどんな所ですか 家に帰って 阿弥陀経か  薬師経を読んで下さい 阿弥陀経 楞厳経 これらに天国について 記述してあります そこに行って 何をしますか 時空がありますか 色んな事ができます 好きな事ができます ここのように 低収入の仕事をして お金を稼いで 胃袋を満たすため ではなく 本当の意味で面白く 高揚できることです 色んな事を学び 色んな所に行き 多くの人と知り合い 沢山の新しい事を 見つけます

忙しくなります 忙しいのですが 喜んでやります 強いられたわけでなく 自発的にやります そこにも時間と空間が ありますが この世界の時空の 次元ではありません 印心はあなたの力に よるもので 私のではありません 開悟後これがなくなる ことはないですか いいえ 引き続き 修行すれば なくなる ことはないです 修行を続けないと そこでストップ したままになります 私の力は鍵を持ってる人と同じようなもので 私はあなたの 霊性面や 心の状態 魂に介入しません 傍で助けるだけです

あなたの内面の物は 失いません 発展しないだけです いいですか 私は印心は大学生に なることと言いました ある日瞑想のとき 光を見ました 私は感電死しそうに なりました 死ぬと思いました 訳が分かりません もっと分るように あれから他の事を もっと分かるように なったのですか それが開悟です その光は 強い電子の性質を もった光です この世界の言葉で 表現するとそうです だからその光が 体に接した時 強力なパワーに 化します

だから私達は菜食をし 道徳的な生活を せねばならないのです するとそんなに ショックを受けません 高い振動力のものが 粗雑なものに 触れると もちろん 摩擦が生じます 当ったものがそんなに 粗雑でなければ 両者は融合します ショックな感じは ないです いいですか 従って修行は 真のマスターの指導と 戒律がなければ 大変危険です 私達が食べた肉と 麻薬などは 体をますます 粗雑にします 肉体が粗雑に なればなるほど なればなるほど 高い振動力と 融合しにくく なります

だからショックを 受けるのです ですから私達は 自分の身 口 意を 浄化してこそ高い 振動力に対応できます 宇宙飛行士が 宇宙に入る時 違ったものを 食べて 違った 服を着て始めて 宇宙の気圧に 耐えられるのです 私達が着る服では いけません また海に潜る時 必ず酸素マスクを つけねばなりません 陸上で着る服では いけません 違った環境では 違った装備が 必要です 結構なことです あなたがこの体験に よく持ちこたえて もっと開悟したこと 本当におめでとう ございます

即刻開悟は 開悟した仏陀を 通して 伝授されるだけでなく されるだけでなく 意外にもあなたの家の 門をノックしてきた 警官を通しても でもできます 本当です その警官が 仏陀であればです 光をもたらして くれるとしたら 彼は 警官の身分で現れた 仏陀です 仏陀は沢山の外見を 持っていて あなたが 警官でしかも 完全に開悟していれば あなたは仏陀なのです 外見を変える必要はありません しかし普通の人は あなたに開悟を与える ことができません 大統領であろうと 警官であろうと 表面的な形と 地位と仕事とは 関係ありません

内面のパワーこそが 重要です 仏教の主な目的は 何ですか 人々に 良い人になり 社会の秩序を維持し 道徳を守るよう伝え 皆が睦まじく 生活できるようにする 開悟させるためですか 開悟したマスターが いればの話です 仏典を読むだけで 開悟する訳では ありません 仏陀になるためですか 仏陀に出会えば 在世の仏陀に 出会えば 仏典を 読まなくても 仏陀になれますし 解脱できます また素晴らしい マスターに出会えば 幸せで 円満に感じます 開悟したマスターが いれば全てが可能です 仏典を読むことに よるものではないです

メニューを見るだけで 満腹になる ことはありません 食べることです 印心を受ける時 皆同じ 反応がありますか これは受ける人の 智慧と関係ありますか 印心の時 皆の反応は それぞれ違うのですか これは 内面の仏性と 関係ありますか 仏性と関係ありません 開悟する時皆が 同じ体験をします それぞれ違った体験が あるかも知れませんし 同じ体験がある 同じ体験があるかも しれません というのはこれらの 体験は本当に 印心を受ける皆が 体験できるからです 印心の時体験が なかったとしても 後から必ずあります

従って開悟の過程は とても科学的です 自分のレベルに よって違ったものが 見えます 明白です 自分で 自分のレベルを 量ることができます 印心の時得た 異なるレベルは 前世の修行と 現在の道徳生活と マスターに対する 誠意と信心によります これが私の答えです 印心の時 皆の仏性は 違いがありませんが 印心の時それぞれ 違った体験をする こともあります しかし必ずしも そうではありません 時には多くの人が 同じ体験をします というのはこれは 誰もが体験するので 本当の体験なのです 本物でなければ 一人だけが体験し後は 二度とないはずです

しかしこれらは 本当の体験ですので 毎日同じ体験を することができます さらには 一部の人は 同じ体験をします また 印心を受けた 時間が異なっても 同じ体験をするのです これはとても科学的で 自分で自分のレベルを 量ることができます 印心の時 どう量るかを 説明します 印心の時のレベルは 信ずる心と 関係あります