世界宗教会議 1/2 一九九九年十二月一、二日 南アフリカ 、ケープタウン(ペディ語)   
Part 1


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Part 2


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本日 私達が全てを 伝道すべき時が やって来ました すべての命と人々と 友達になるのです 私達はここに 人権と 尊厳を得るべく戦い 奮闘してきた人々に  敬意を表するために 集いました 苦しむ人々全ての苦悩が 和らぎますように 恐れる人々全てが 恐怖から 解放されますように 有難うございます神父 ありがとうございます 兄弟姉妹である皆様 皆様はアフリカの為に 祈るためにここに いらっしゃいました また共に世界のために 祈りを捧げます 数秒間沈黙して 主への私達の願いを 再確認致しましょう ありがとうございます

本当に感謝致します 私はここに来る前も いつものように 皆さんの住む地や 世界のためにずっと 神に祈ってきました 私は神に言いました 天の父は全てご存じで 私達が願う前でさえ 聞き入れて下さいます あなたが私達に 手配したすべてが きっと私達の霊性の 成長に最良なのです この瞬間がどれほど 荒涼と映ろうが あなたの意志は無上で 常にあなたの意志は 最も賢明で 最良で 結果的には 最も慈悲深いのです これを私達に教えて 下さるよう祈ります

決して忘れないように 常にあなたの意志が 宇宙の最高真理で 最も愛深いと いうことを また 今日このような 美しい街に 地球で最も美しい 場所の一つに 集う機会を頂き 感謝いたします これらの美しく純粋で 単純な心の人々に会う 機会を下さったことに 多くの転生において このような機会を いただけて光栄です なぜならあなたの 意志でここにおり ここに住んでいて あなたの意志で あなたへと戻るのです

けれども物理的には 私達はあまり 会う機会がありません たとえこの物理的な 世界は大いなる幻想で すべてがあなたの 創造であっても それでも大変美しく 私達の家なのです この意味において 本日 私達は あなたに捧げます この地や いかなる地においても 望む人々に家を 持たせたく  神の子としての全ての 尊厳を持ち平穏なる 人生を送らせたいと あなたが願うなら その願いのままに あなたに 私達の心を 愛を捧げます

完全に委ねます 手配した全てが あなたの意志なのです しかしながら 私達はこの物理的 条件の下にあり 多くの幻想的困難に 耐えねばなりません それが精神を傷つけ あなたから引離します ですから主に祈ります 基本的平和の尊厳を 私達に少し与えて 下さいますように そうすれば私達は 本当に穏やかで 完全に委ねられます 毎回の人生ごとに あなたを覚えていられ なぜならあなたは栄光 あなたは美  あなたは富 あなたは私達の 記憶の中で最も完全な 素晴らしい ビジョンなのです

ですからこの完全性も 地上にお現し 下さいますように 恐らく 地球のある地は 他の地よりもっと 加護が必要でしょう 私達は喜んで 共に 仕事をさせて頂きます 若干 不幸せな地 若干 不幸せな 世界の片隅 あなたが創られた この小さき片隅などを 助けるために 我が主よ お守り下さい アフリカの片隅の 私達を覚えていて あなたのすべての子が あなたの愛と加護に 値しますけれども この片隅は更に多くの 愛と加護に値します これが本日の私達の 祈りです アーメン ありがとうございます 兄弟姉妹の皆さん ありがとうございます

皆さん ようこそ スプリームマスター チンハイは 古代から伝わる 観音法門の瞑想を 教えています 「観音」とは 内在する振動力を見る という意味です それぞれの文化や 宗教は 内在する 天界の光と音を 説明する各自の名前を 持っています すべての聖典で 語られていて キリスト教や ユダヤ教では「言葉」 「天国の音」と ヒンズーはシャブダ 道教では 「天国の音楽」 シーク教は「ナーム」 イスラム教では カラムアクワディン 仏教では「内在する 音流」というように この無上の振動力は 宇宙的な愛と偉大なる 知性の言語なのです

この神聖なる振動力は 全生命の中で振動し 全宇宙を支えています 内在するメロディーは すべての傷を癒せ すべての望みを満たし 世俗の渇きを癒します それは最高の力で 完全なる愛なのです 私達はこの音から 出来ているため それと接触すれば 平穏と満足が私達の 心にもたらされます 今日の講演終了後 スプリームマスター チンハイは 観音法門の 印心を通して  神聖な内在の光と音を 体験する機会を 提供いたします 学びたい人は 今後完全な菜食を続け 適正な道徳的生き方を せねばなりません

瞑想における進歩を 確かなものに するためです その段階への準備が 出来ていない人は 方便法という瞑想法を 学べます それは観音法門への より一般的な手引きと なります 講演の後 より詳しく お知らせ致します 皆さん スプリーム マスターチンハイを 温かくお迎え下さい ありがとうございます 神のご加護を ありがとう もうして下さいました でも 更なる歓迎も 素敵です 世界宗教会議に ようこそ 私達が出会い 互いに学び 友となる機会を 与えてくれた この招待に 心から 感謝申し上げます

彼らに神のご加護が 彼らの高尚な努力が 続きますよう 世界宗教会議に 加護がありますように 世界宗教会議の プログラムに従い 私達はここで 私達皆に内在する 神の王国から得た 知識を皆さんと 分かち合いましょう 神が私達の内面に いるのを皆知っていて 少なくとも そう聞いてきました 皆が神の存在を 最も偉大にして 全能なる全宇宙の 創造主を知っています その宇宙には 非常に美しい 私達の物理的惑星も 含まれます 私達はこの美しい 地球を見ると  その芸術家が必ず 存在すると分ります

きっとその人は 実に偉大で 全能で だからこそ  私達の美しい地球を 創造できたのだと しかし私達皆が 神がどのようなものか 知っている訳ではなく 私達は 自分が栄光に満ちて 美しく最も素晴らしい 衆生であるのを 忘れてきました なぜなら 全ての物質的な存在も ある意味美しく 私達を魅惑しています 時間と空間という 元素は  神とは相容れない 力によって 備えられた道具で 私達を盲目にし 縛るためのものです 私達に全てを 本当に神であることを 忘れさせます 神は私達の内に 宿っているのです 全宗教的経典が 伝えています

かつて私達の地球に 恩恵を与えてきた すべてのマスターが 神は私達の内に宿る 私達は神であると 伝えています ですから 実に簡単です 私達は忘れています 神が内在するなら ポケットに紙が 入ってるのと同じで それを取り出すことが どれ程難しいでしょう 実に簡単です 余りにも簡単すぎて 信じ難くなったのです それで 古代より それで 古代より マスターからの メッセージは 信じ難いのです 彼らが簡単な真理を 述べるので傷つける こともありました 私は神を見せられます 神はあなたに内在する 故にあなたが神であり あなたが自身の本性を 見られるのです

私達は今日ここに 同じ目的以外では 集まっていません 単純な真理のためです 既に私達皆の中に 私やあなたの中に 存在します 私達は実際 自分達を 人間と呼ぶべきでは ありません こう呼ぶべきなのです  「歩く神」 「生ける神」 「神の複製」 「神の本質」 「神の一部」 「神全体の一部」 「個別化した神」 「スプリームマスター」 「全能なる存在」と それが私達そのもの しかし 古代より 誰でもあえて自身を その名で呼ぶなら それは本当に その人の名字であり 真の名前なのですが 人々は彼らをあざけり 信じようとは しませんでした

だから私達がその事に 思いを馳せる時 それは実に不思議です 私の父の名が テンだとすれば 私はテンさんです 違いますか 彼の娘なので 名字は父と同じです ですから 私達は 神の子なのです 私達皆がそのように 言われてきて そう感じています 私達は神から来ました 他のどこから 来れるのですか 私達が神から来たと 思いますか どうですか(そうです) ありがとうございます 神のご加護を 私達は神から やって来たので 名字はどうなる べきでしょうか 神です そう

自身をそう呼びます 皆さんが自身の身分を 受け入れて下さって 私はうれしいです 少なくとも まだ天なる父に 会っていないとしても それを理解することで 自分の身分を受け入れ それだけでも 実に重要なのです 今もし皆さんが本当に 自分の名前と 素性について 信じたいなら 私がお見せしましょう 皆さんが神であり 神以外の何者でも ないのを証明できます お時間があればです 少し時間があって 私達が共に座れれば 私達がもといた場所へ 帰る方法を 皆さんに説明します

そうすると  すぐさま起こります いったん説明を受けて 目を閉じるだけです それだけで到着します 私達は決してどこかへ 行く訳ではなく 内在する神 私達の天なる父母の 抱擁の中にいるのです この宇宙には 神のパワー 神の愛以外 何も存在しません 私達は決して それから離れません ただ見るべき所を 見ていないのです 美しいものすべてに 魅惑されすぎています それも構いません 楽しむためにあり 天国の栄光と美しさを 思い出させるために あるのですから しかし 非常に粗末な見本です

神が私達を この 物理的な星に送っても 神は私達に あらゆる慰め 栄光  美 豊かさを残すのを 忘れなかったので 私達は決して 天国を忘れないのです たとえ とても粗末な複製でも なおも美しいのです 本当の天国の光景が どれほど 栄光に満ちているか 想像できますか 真の天界の花々を 想像できますか 私は見た事があります どんなに美しいか 説明する言葉が ありません 皆さんが天国を見た時 私達の王国に 継承される 本当のもの 私達の本性の 真の身分を体験した時 皆さんはもうここには いません

この物理的な 境界ではなく 霊的世界にいるのです それで ここに戻って来た時に 説明し難くなります 修行仲間が皆 天国の体験を 様々な形で 説明しようとしても 私達が 集まった時にですが 彼らには あれこれ意味が 分からないかも しれませんし 内面で見た光景の 意味が分からないかも ダダ ナマステ さあ こちらの とても特別な神父様を 歓迎しましょう どうぞ 貴賓席へ どうぞ 貴賓席へ ご案内して下さい どうぞ ご起立下さい この本当に素晴らしい 聖なる方を歓迎下さい インドから来られ 私はご臨席頂いて 本当に光栄に思います 大変 驚きました インドのプーナから いらしたのです

彼は本当に優しく 私達は皆 私達の父が そうならと思います そうです 父とは大抵 厳格で 厳しいですが 彼は本当に寛大で 忍耐強いです 甘えさせて下さり 深い愛が伝ってきます 私達の 天なる父もそうです 私達のいわゆる罪を 見たりはしません なぜなら彼の目には 私達は全く罪深くなく 過ちを犯しただけです 高貴なる 衆生だったことを 忘れているだけです ですから 神は常に私達に ある 特別な人を送りました イエスや仏陀 クリシュナムハンマド グルナナク いくつか名前があり ジャイナ教マスター等 全宇宙で 私達が 本当に想像し得ない 最も偉大な衆生だと 私達に示すために再び  思い出させるためです 天使さえ私達を羨み 最も偉大である 天使でさえ 私達に 仕えねばなりません 想像できますか これが想像できますか

いつも私達はずっと 偉大な守護者で あるように 天使に祈ってきました そうであるようにと しかし 私達が 自身の栄光に 無知な間だけで 自分達が誰かを 思い出した瞬間 待機し私達に仕えます 私達は神の姿に似せて 創られているからです 私達が天国に行く時 行こうとすれば 印心以降 いつでも行けるのです より高い天国に行くか 低めの天国に行くかは 皆さんの集中次第です けれども皆 行けます 私達は皆 違った形で 神を見るのです 日々の熱心な 修行を通して より高次の悟りに 到達したとすると 私達は天国へ行きます

全天使や偉大なる衆生 考え得る 最高の光を伴った 彼らが 両側に一列に並んで 皆さんを 迎えるでしょう それが本当の私達です 赤じゅうたんの 待遇よりも良いのです 神が本当に 私達に 真の姿を与えるに 相応しいと思ったなら それは人間の言語を 使っても 説明できませんが 六月の太陽の下での ヒマラヤの氷のように 私達は 溶かされていきます 私達は赤ちゃんの ように感じ途方もない 至福を感じます 人間関係で 人々が描写する 最も驚くべき体験は セックスの エクスタシーです

これは比較になります 私は言わねば なりませんが それで 皆さんは比較できます そうしない限り どう天国の至福を 説明するか分りません エクスタシーや サマディの中にある時 神と向かい合ってる時 神はある姿や外観で 現れるに相応しいと 思うことがあります それは私達が どれほど神を 見たいかによります 神は母や父として 現れたりしますが 単に光の輝きや この姿を囲む 何千という太陽の 光だったりするのです あなたの周りも 何千という太陽の光に 囲まれています

その時 魂は 解脱しているからです 魂がこの種の光を 放っているのです あなたはその光です それこそが 全聖書が言う 「私達は光であり 光の本質である」です 光の本質である」です 言葉(音)も光であり それは振動力です 光の振動力が より凝縮されると 音になります その音は この世界の 旋律のようなものです それで私達は音楽が 大好きなのです 天国の音楽に 神によって語られる 言葉にとてもよく 似ているからです

宇宙言語を聞くと 私達は全てを理解し 全言語を理解し 互いに理解し 愛し合います 内在する振動力 神の言葉 天国の音楽は 私達に大変な滋養を 与え活気づけます それで私達は 新しい人になるのです そういうことで 多くの人が印心後 すぐに皮膚の色艶が 良くなり完全に 変わってしまうのです 時には  印心前後では 判別できないほどです それほど劇的に 変化します 毎日瞑想を すればするほど ますます若くなります 細胞が 新しくなるからです それで  子供のようになり より天真爛漫に より聡明により純粋に より心が単純になり より天国に近づきます

聖書では言っています 「再び子供のように ならない限り 神の王国には 入れない」と 子供のようになるには 洗礼と呼ばれる過程を 経なければなりません 聖霊の炎による 洗礼です 聖ヨハネは言ってます 「確かに私は水で 洗礼した しかし 私より後に来る者は 聖霊の炎によって あなたを 洗礼するであろう」と 聖霊の炎とは 何でしょうか 神自身が 私達を浄化し 彼自身と再び繋げ 再び全体の一部へと 戻す事です 大海のしずくを この広大なる愛の海に 溶け込ますことです これが洗礼なのです

真の洗礼とは 一秒もかかりません すぐに天国に 私達の存在すべき 場所にいます 私達自身を神から 引き離すものは 何も 存在しないからです 私達の注意力と 思い以外には そういうものが 引き離していたのです そうして私達は神から 離れてしまったのです 私は違った場所や 境界へ 注意を変えてく方法を 示すだけです 今 私が皆さんを 見ているように 皆さんを見ているので 後ろは見えませんが 振り向けば分ります それは何ですか ああ 「スプリーム マスターチンハイ」と 「生きている間に 神を見ましょう」と 私達は生きている間に 神を見れます 死ぬ時さえ選べます 天国に行く前に 自分のレベルを 選ぶのです ちょうど不動産屋に 行き 様々な家を見て 自分にとって  どれが良いかを 見るのと同じです 同様に 天なる父の家には 沢山の邸宅があります

私達の理解度 意識のレベルに 合わせて 一つ選べます 私達は決して神から 離れていたことはなく それが皆さんに 言いたいことで 私が発見したことです 瞬きを一回するだけで 私達は 神意識の中にあります 一回すると 再び戻って来ます もう一度すると天国に 戻り 一回の瞬きで ここに戻って来ます 時に 天国と物質界の 境界線が 非常に ぼんやりしていて 入ったり出たりします また同時に 両方にいたりします 殆どのマスターの 意識がそうである様に 同時に両方の世界に 存在します 彼らは物質界と 天界との境界線を消す 超越的な芸術を 修得してきたのです

意識の中の空間と 時間を消したのです 神になったからです 神と再び 一体になったからです それは非常に簡単で 私達皆に出来ます すでに皆が 神だからです ただ別の方向を 覗き込んでるだけです それだけです 私は 皆さんのどこを 見るべきか どこが神との接点か どこに神が宿って いるかを示すだけです 神が私達に住まって いるなら それは どこですか 内面です それなら内に行くべき 外に行くべきではない 外に行けば  私達は物質化した 神を見ます 歩く 肉体を持つ 神を見ます

私達の後ろや横に座り 物質的な形で 私達を愛し 共に食べ  冗談を言い 笑う神なのです 内面で私達は 全創造物の真相を 神そのものを見ます 神は物質的では ありませんが 無数の姿を 持っています 神には 名前がありませんが 何千もの 愛すべき名前で 呼ばれてきました 私達が愛する者を 呼ぶように 「ハニー 私の親愛なる者 アップルパイ 砂糖 キャンディ」など 「私のもう半分  伴侶 最愛なる者 愛する人」など 何でもです 皆さんは愛する人を 呼ぶのに名を発明する ことさえあります

ある人々は妻を 「私の麺」と呼びます それでも構いません ある人々は神を「花嫁」 とさえ呼ぶのです 「永遠の愛する者」 「忠実なる配偶者」 何でもです  私達は本当に神を愛し 彼女は本当に私達を 愛してるからです 私達は一体ですから 何とでも呼びます 私達皆が この愛すべき存在と 再び本当に一体に なる方がいいのです 未来の婚約者や夫を 沢山語るばかりで 結ばれる事がないなら 何の役にも立ちません 夫についてたくさん 聞いていながら一度も 会った事がないなら 決して結婚の幸福を 経験する事はないです 同様に私達が 神について語るすべて 紹介するすべて 讃えるすべては 私達の耳や魂には 素晴らしい歌です しかし 魂はもっと しっかりした体験 本当に神と面と向かう 事を望んでいるのです 私がお手伝い出来ます

神は皆さんを本当に 本当に愛しています 何か質問がありますか

はい 死後どんな事が 起こるのか ご存じのことを 教えて頂けますか 死後 何が起こるかですか 私は一千冊もの本が 書けますが 簡単に言ってしまえば 死後には 天国があるだけです でも それには 準備が必要です そうしないと 自身のカルマの報いで 天国から 引離されてしまいます それで 人は 地獄の事を言います 地球上の全人類の 行為の結果も 皆さんに影響し 天国から皆さんを 引き離します ほとんどの人は たとえ 観音法門の印心を 受けていなくても 生きている時に神を 見なかったとしても 彼らが仏教とか ジャイナ教などの 十戒や五戒のような 人間的道徳基準を 守っていたり コーランや シーク教などの 生き方を守っていれば 死後 すぐに 天国を見るでしょう

でも最高の天の父では ないです もちろん でも天国は待ってます 大抵 私達皆を 待っています しかし私達の思考で 天国から私達自身を 引き離しています 死後でさえもです 私達の行為の結果 全人類の 集合意識の結果から 自由になるまでの 少しの間 私達は 迷子になるでしょう そして再び ここに生まれるか 違う場所に生まれるか 再び神と結びつくかを 選択するのです 死後 見るものは 沢山あります 準備しておけばおく程 多くのものを見ます 本当のマスターを 見つけた時どうやって それが判りますか

光を見るからです それが基準です 私は神の声を聞き神を 見て 神の光を見ます それで私は彼が 本物だと判ります 一人の求道者として どうやって本当の マスターと判りますか

神の求道者として マスターを見つけて その人がゴールへの 導き手だと どうやって判るかです そのマスターが神を 見せられれば誰であれ 本当のマスターです 親愛なるマスター これから五、七  これから五、七  十年先の将来について 何か話して頂けますか ミレニアムの ことですか そうです それとその直後です それは皆さん次第です 私達皆にかかってます 私達の意識が より目覚めて 向上していれば 地球は光り輝く中で 更に続いていきます 以前のようなことを 続けたり それより 悪いことをすれば もちろん結果は明白で 私達が未来を決めます

今以外にミレニアムは ありません それを今 私達が決定するのです ありがとうございます 「私は神である 名字が神である」と 「私は神の一部である」 との違いを 説明して 下さいますか 「私は神である」と 言った時 神のすべて だと言ってるのですか (分りました) 「私は神である」と 「名字は神である」と 言った時は  自身を神として  神の一部として  神と一体として神から やって来た者として 見たということです もう一つは 単に 噂で聞いていたり 言われていたり そう理解しているので 「私は神からやって 来たに違いないから 名字は神のはずだ」と 言ってるにすぎません

もう一方は 自分で 神を見てるのですね 「名字は神で 私は神の一部である」 と言っている人は その人自身が神を 見てるという事ですね いいえ 二つあります 自分の名字が 神であると認識 理解していても 神を見ていないかも しれません 別の人は同じ事を 言っていて「私は神だ 名字は神である」と 言ってますが 神を見た事があります 意味が分かりますか ですから 後者の方が より確かだと言えます 分りました 後者だと 神を見た人が 「私は神の一部です」 とか「私は全部です」と 言うのでしょうか その人の到達した レベルによります どれほど神そのものを 見たかに掛ってきます 一歩一歩進むべきです 完全なる神を見たなら 「私は神と同一体だ」と 言うでしょう イエスが言ったように 「私と天なる父は 一つである」と 完全な神を見るまでは そうは言いません こう言うでしょう

意思疎通を 測ったことがある 私は神の一部で 神を見たことがある」

でも 皆さんはすでに 知っています あなたが神と一つだと 心では確信しています あなたが 完全なる神を見た時 自分が一〇〇% 完全なる神と 一体だと思うのですか それとも  神の小さな一部だと 理解するのですか 肉体や 物理的境界においては あなたは神の一部です それを超越して 見た時 神と一体になります その瞬間あなたは 神と一体であると 宣言します 百%ですか (百%です)

あなたは無限(はい)

あなたは それを見ます あなたは もはや自分自身を 神の使用人でも 一部でもなく 完全なる神であると 考えるという事ですね あなたより優れた 真理はないのですね その瞬間あなたの内で 働く神以外に 何もありません あなたには神とは別の いかなる個人的 身分もないのですか その通りです おっしゃる事によると 私達自身大変な存在で 内面にあるわけですね 私達が直面してる貧困 苦しみ 問題に対して あなたのメッセージは 何ですか

個人的な 本性は別にして 差別や貧困の問題を 教理を通し どう処理しようと 思っているかです

非常に長くなるので 短くしてみましょう 私は人々に精神と物質 両方で奉仕しています 精神的助けが必要なら どこででも助けてます 私が持つ物は何であれ 貧困者と分け合います 私に出来るすべてです そのために 美しい服や宝石を 作っています それを売って収入を得 貧困者に与えています

私の世界市民としての 義務です 皆さんの兄弟 姉妹としての 私の義務は 天なる父の知識を 皆さんと分ち合うこと ですから両方してます それが第一点です 第二点は  この世の全ての苦しみ 不幸せは 時に人間が 作り出した物です また 私達がやって来る前に 選んで来たものです この惑星での 私達の不注意な 行為により さらに大きくなります これを救済するには 私一人では 出来ません 全惑星の意識が より高いレベルに 上がらねばなりません 何であれ持ってる物を 比較的 不幸せな人と 分かち合わねば なりません それは必須です 私一人で出来ないので 参加をお誘いしてます
それでは マスター なぜ世界宗教会議に いらっしゃる 選択をなさいましたか 招かれたからです 私達全員 私を含めてですが 私達自身を私達自身に 結びつけるどんな 活動も支援すべきです 私達は互いに 隔たりや誤解を あまり感じていません 話し合える 機会があるのは 良い考えだと思うので この高尚な理想を 支援すべく来ました 観音法門が どういうものかを理解していない 知らない人々のために お話しいただけますか 一体どういう ものなのですか

私はフォルモサ (台湾)で始めました 「観音」とは 内在するエネルギー 内在する旋律 天国の旋律を 意味する中国語です 聖書では  神の言葉として 述べられています 「言葉は神と 共にあった 言葉は神であった」と これが「観音」です そのエネルギーと 私達を再び繋げます 全てを創り出している その言葉とです それゆえ 神と一つになるのです ここに存在する目的を 理解するのです 天国を訪問でき同時に 私達は神の教えを 直接受けられます それが瞑想ですね 生活様式ですね どう暮らすのでしょう

まず再び 思い出すという過程を 経ねばなりません 私達の多くが 忙しいからです 私達はこの物質世界に やって来てから 忙しくしているので それで再び思い出す 必要があります 私は人々に 彼らの神性 内なる神の王国 私達が 神の一部であることを 思い出す方法を お教えします それを思い出すために しばらくの間 静かに座り 私達の 内なる神を通して 再び神の力に 結びつかせるのです その過程で 神の光を見たり 神の光を見たり ちらりと天国を見たり 天なる父を見たりし また何か 神との直接的な 接触があったりします

それは私達の集中力の レベルによります 光や振動力 内なる言葉を通して 私達は多少なりとも 天国と接触できる ようになります そうすると理解したい すべてをより理解する ようになるのです そして私達は毎日 違った姿の神を 見れるのです 光や天界の 音楽を通して 神の旋律化した 教えを通して イエスの姿形や聖人 仏陀の姿を通してです 彼らは私達に 直接的な教えを 与えるのです 私達がより高次の 意識状態に入ると 彼らと直接 接触を持てます 今 彼らが より高次の意識に 存在しているからです

私達はこの肉体に ある時 より低次の 意識の中にいます この直接的な教えを 受け取るために 私達は自身を 肉体よりも高く 上げねばなりません 方法を思い出せれば 私達はそういう過程を 経ねばならないのです 私達皆が分ってますが 多くが忘れて しまったにすぎません 私は思い出しました 再び思い出すよう 教わってきました それで人々に 教えられるのです いったん 思い出せば 思いのままにいつでも 天国へ上がれます そして昔の聖人 イエスや仏陀 ムハンマドや 誰からでも直接 教えを受けられます 彼らは皆 神の子です

太古の時代から 神の使者です 直接的な教えを 得るために 彼らの所へまっすぐ 行かねばなりません 体で行くわけではなく 彼らは地上を去り より高い天界へ行って いるので私達はそこへ 行かねばなりません 皆さんに会うため私が ここに来るのと同じで 米国では会えません

皆さんここに住んでて ですからイエスに 会うには住んでる所に 行かねばならず 神に会うため宿る所に 行かねばなりません 例えばですが どんな人々がこの 教えに従っていますか 皆 どの位の人数ですか どこの出身ですか 違った宗教の人達ですか 何百万人もです 異なった宗教を持ち 異なった生活様式で 異なった生い立ちや 職業の人々ですが 一緒になると 一つの 家族のように完全に 信頼し愛し合ってます この集合エネルギーを 利用して自身や世界の エネルギーを共に 向上させようとします

この啓示と どのように 出会いましたか 生涯ずっと 探し求めていました ヒマラヤに行き マスターに会うまでで その方が記憶を 喚起してくれました 天国を巡る技を 修得した後で 私が人々を 喚起してるようにです あなたに思い出させる 手助けをした マスターは誰ですか クーダチと言いますが この世を去りました 正統派キリスト教 主義について また 今ここで 行われるような 異教徒間の運動や 対話に反対する 宗教的人々や団体を どう思われますか 彼らには そうする 理由があるのです

それぞれ自身の宗教を 持っています 神や宗教に対する 理解度の 違いによって 違った反応をします 全てに時間が必要です すべての変化  人々の理解や融合には 時間がかかります 私達には忍耐が 必要なのです 人々がそちらの方向に 変わって行くべきだと 思われますか ええ彼らが変わりたく ないなら構いませんが 少なくても反対すべき ではありません たとえ私達が 人が彼らにやりたい 事をやらせておくなら 彼らも 他の人々のする事を やらせておくべきです 世界宗教会議が 人類や如何なる 国や宗教をも 何ら害さない限りです

彼らは支援すべきで 少なくともそっとして また参加したくない 人々もそっとして おかれるべきです 彼らの権利ですから 他人の安全性や 信念を侵さない限り 誰にでも自分が 変って行きたい方向に 向かう権利があります 多くの人々が 様々な宗教の性差別 主義について語ります 彼らが女性に平等性を 与えてないといった ええ そうです この会議でも大問題 として取り上げていて 宗教での女性の立場を 論じています (ええ) それについて どう思いますか 私の考えはあなたや 世界の大多数の人々と 全く同じです

それは私達は皆 神の子だという事です イエスや仏陀 ムハンマドも決して 女性が劣るとも 男性が優れているとも 語っていません 一切言っていません ですから それを守るべきです 全宗教が 人類の同胞性を 強調していて 女性も含まれています あなたは人々が 苦しんでいる場所や 災害に見舞われた 場所に出掛けていると 聞いていますが はい  なぜそこへ行くのです あなたが私だったら やはり行くでしょう あなたに人々を 助ける方法があり 神があなたに 必要以上を与えてれば 出向いて 持っている物を人々と 分かち合うでしょう そのために与えられて いるのですから 多くが求められ 多くが与えられます より多く食べれたり 眠れたりするために 神は私に与えてません 分け合うためなのです

皆さんの町にある 大きな水の塔と同じで 塔は貯水のために あるのではなく 全市に水を供給する ためにあるのです ですから私もパイプの 一本にすぎません 私はその水を必要と される所に運びます

私一人や 私の全家族でも 私が稼ぎ出したお金の 全てを必要としません 神は必要以上に沢山の お金を私に与えてます 私の家族や弟子が 必要とする以上に ですから分け合います そうするのが普通で 何の疑問もありません 寄付のことを 耳にしましたが どのぐらいのお金を 誰に贈ったか 話して頂けますか 理由は何ですか

ごく自然にですか 何が起こったのですか 実際それは もう済んだことです 他の人と同じように 三分間の祈りを 終えた後で 私はステージから 下りました すると女性が やって来て言いました 「子供達が 待っています」と どこか非常に 遠い所から来たのです 彼らは言いました 「三十時間バスに乗り 眠っておらず 何も食べていない」と 彼らはここに来て私に 会いたかったのです

私は下りて行き 彼らに挨拶をし 抱き締めました そして彼らがどこから 来たか そこに何が あるのか尋ねました 彼女は彼らの窮状を 訴えました 学校もなく トイレや水も ないのです 人間の尊厳として 基本的に必要な物さえ 奪われている所に 住んでいるのです 「私に何が出来ますか」 と尋ねると  彼女は「何でも与えて 下されば結構」と言い 私は尋ねました 「学校とトイレなどに いくら必要ですか」と 彼女は「四千ドル」と 答えました 私が「差上げましょう」 そう言うと 彼女は泣きました 私は 「何でもないことです 余分に差上げましょう

何か他の場合に」と 一万ドルをその村の 子供達にあげました 村の名前は 忘れました ただあげて去りました 覚えていません

お金は 子供達の元へ行き 学校を建てます 学校長も村長も そこにいましたので そうするでしょう それだけです 私は立ち去りました すると他の団体の 女性が来ました 全員が地元の人です チョコ色の人々です ステージの上で 祈っていた女性達です 覚えていますか 火を使って 祈っていました ただ私の元へ来て 踊り歌って くれました その時 彼女達に 第六地区の出身か 尋ねました 私達が祈ってた所です 彼女達は 「そうです

でも今は 別の場所に 住んでます」と言い 彼らの中には 絶望的な状況の 人がいました 一家族十六人が 粗末で衛生設備のない 小さな家に 暮らしていると いうのです 私は いくら必要か 尋ねました 彼女は二万二千ドル 必要だと言いました 私は差し上げました 三万ドル以上を差上げ 水道設備を直したり 作ったりする 場合に備えてです 彼らに必要な事だから 素晴しいです

水道管とか蛇口とか 全部です 私は言いました 「もっと必要なら 後で教えて下さい」と 何人くらい弟子が いらっしゃいますか 何人 印心を受けていますか また あなたは何を 教えていて 彼らは どうすべきなのですか 分りました 数が多すぎて 私には思い出せません

少なくても 世界中に数十万から 数百万は いると思います 彼らは私達と連絡を 取ることもありますし ただ家で一人で瞑想 してることもあります

印心の時に全てを 話していますから 一、二時間掛りますが それで彼らは すべき事や すべきでない事 自分自身の保護の仕方 本当のイエスの姿と 人々を惑わそうとする 幻想との 見分け方が 分かるのです 二時間の内に 人々に 話す事が沢山あります それで人々は自身の マスターになれます 彼ら自身の中に 無上のマスターが いるからです 私達皆が所有してます 私はただ思い出し方を 人々に伝えてるのです 思い出す方法が あるのです

例えばあなたの息子が 長年 行方不明で 彼の体のどこかに 生れ付きの痣があれば 彼が見つかった時に そのあざで 彼と判るのと同じです 私達の天なる父母 神においても 同じです 私達が見極められる 何かがあるのです 戻って行く道が あるのです 私達は そこから来たのです ここに来た道が あるのですから 帰る道も必ずあります 他の全てと同様です 生活様式ですが 生活様式はありますか 生活様式ですか そう 道徳的で高尚なる 思いであるべきです 例えば私達は 聖書の戒律を守り 仏教の五戒を 守りますが それらは ほとんど同じものです

そうです私達は全ての 命を守り尊重します ですから私達は 完全菜食で 卵さえも食べません

また人が苦労し稼いだ 財産を尊重しますので 私達は盗みをしません 互いを神として 尊重します 嘘を言い騙し合ったり 足の引張り合いなどは しません 例えばですが 私達は伴侶との 愛の誓いを 尊重します ですから 結婚外の関係を 結ぶことはありません 他の人と手当たり 次第にセックスをして 愛を卑しめたり 冒涜したりしません 例えばそういう事です 私達の伴侶以外とです こういう事は簡単で 基本的な生活様式です 私達の水準の目安に 覚えておくべきです

私達がそれに達したか 霊的レベルに達したか それだけです 本当は 戒律ではなく 私達が どこにいるかを知る 尺度でしかないのです それに達していれば 私達は大丈夫で 次の段階に 聖人の域に入れます 夫婦関係とか 交際相手のことを 言っているのですね 交際相手もそうです 誓いはここに あるのですから その人を愛するなら 一緒にいることです 神の贈り物である 性的な喜びを 悪用しようとして自分の愛を損なったり 卑しめてはいけませんでは戦争と貧困は いかがですか 殆んどは人為的ですね人為的です 

ええ  戦争は 互いに理解し合わず 時間を掛けないからで 宗教内でさえ 同じ宗教内でさえ 戦争があります 戦争を始める ほとんどの人々が 宗教のためではなく 個人的な利益や権力の ためだったりするので もちろん何ら宗教が 目指す物ではないです そして悲しいことに 社会には 異なった人達がいて 彼らは自分達が選んだ 道を歩こうとしますが 常に神が意図した 方向とは限りません こういう人々に対して 耐えねばなりません 私達には神の教えを 広め人々を喚起する 多くの方法があります それで一人一人が 正しい道へと戻れば もはや戦争は なくなります そして貧困は  分け合わないからです 以前あなたは なぜ 私が被災地へ 赴いたり物を与えたり 会のメンバーも人々に 直接与え激励してるか 尋ねました 彼らは常に与えてます

私達は公式に 与えることも ありますが 非公式に 日常的に 何かを与えたりします 私達は道で 人々に与えたり 赤信号で車を 止めた時に与えたり 今日の子供達に与える ように与えたりします そこにテレビがあって 人々がそれを 見たのです でないと それを見る事なかった 公式に与えることも 私的に与える事もあり 私達は常に与えてます 貧困の問題ですが 世界の人々が 各自の所有物を 分け合ってたら貧困は 決して起りません 私達には 十分な食料があります 地球を養うに余りある 本当に十分すぎるほど すべての物が この世界にはあります ただ ある人々が多く 持ち過ぎていて その分け前に預かる 機会がない人もいます 彼らが生まれた 場所ゆえに 彼らの生い立ちゆえに 時には政治情勢が それを阻んだり するためにです

貧困は 人為的でなものです

神は沢山与えています 本当に沢山です 皆に十分以上の 物があります それを取上げてるのは 私達自身なのです

あなた自身と あなたの人生について 簡単にお願い致します

私はオゥラック (ベトナム)で生まれ 少し中国人の血が 混じってます そして私は英国民です 私は全生涯を通して 皆が求めてる「私達は どこから来たのか」 「どうすれば内在する 神に会えるのか」の 答えを探し求め そしてついに ヒマラヤでの リトリート中に 見出しました

リトリートの期間は どの位でしたか 私は探求をしながら 二年インドにいました しかし悟りは 一瞬の閃光のように 起こりました 探求期間は長いです あなたはどのように これらの教えを 発展させたのですか 何があったのですか 実際それを大衆に 普通の人々に 伝えるのに どのように 発展させたのですか 分りました 私も基礎的レべルに ずっといましたので 私が知っていることを 人々に伝えるのは 難しくなかったのです 探求の時から それが 起こった時までです 非常に簡単です

神は常に神自身の メッセージの伝達に 人間の使用人を選び 人々に伝えているのは 私ではありません 人間としての 私ではなく 私達の 内なる神の声なのです 私の中では たぶん よりはっきりしてます 私はずっと探し求め 落ち着いて 耳を傾けていますから 私達の多くは内面に この言葉この神の声が ありますが ただ忙し過ぎて その言葉を聞けません 神が自身の メッセージを 伝えるのですから 私達各々の 内なる神にとっては 理解しやすいはずです

視聴者の 皆さんのために どの思想や概念が あなたの概念に より近かったり 似ていたりしますか 類似点は何ですか 分りました 私は全宗教経典を ほとんど研究してきて イスラム教 キリスト教 仏教 ジャイナ教は 同じだと 気づきました 常に唯一の神が私達に 話し掛けてるからです しかし好みや文化に 合わせて 彼を 別の名前で呼んでます 言語 用語に おいてさえ同様です サンスクリット語の 「仏陀」はヘブライ語の 「キリスト」の意味です ですからアラーが神で イエスの天なる父と 同じなのです

唯一の天なる父だけで 私は皆さんがその事を 理解するよう望みます

私は全宗教と 一致しています 唯一その本源しかない と分ったからです 神は全宗教の本源です そうです あなたが見つけた ものをどうやって 広めたかもう少し 話を広げて下さい

実際 見出したものを 説明して頂けますか いいでしょう 探求は他の皆と 同様です 私達は常に神はどこに いるか いかに神を 見出すかと思ってます その探求は私達誰に とっても一般的で 悟りはそれを思い起す 幸運に恵まれた者に もたらされます 幸運を得るために 私達は本当に深く祈り 誠心誠意になるべきで 大きな助けとなります もし私達が既に 光や神や 内なる神との繋がりを 発見した人を 得られたならばです その人が教示すれば それは即座に起ります

各々の宗教で 内面に 神がいると言ってます それが私達が 見出すべき神なのです 神をアラーと呼んだり 「天なる父」と呼んだり 「全能の神」と呼んだり 「ビシュヌ」 「ブラーマ」と 呼んだりします そうです そして悟りの瞬間 悟りとは 「光」 「照らす」という意味で 私達は光から やって来たのです 神は光であり 愛なのです 悟りの瞬間 私達は 全宇宙が光に 満ちているのを見ます 私達はまた神を 光の姿として見ます

時には  イエス 仏陀 ムハンマド グルナナクのように この惑星にかつていた マスターの姿で現れて 私達が彼らの レベルなら 天界からの 直接の教えを学べます この物質的世界では 私はただ物質的な 言語でしか 教えられないからです しかし宇宙の多くの 奥義を手に入れるには より高い境界へと 上がって行かねば ならないのです 私達が幼稚園で学び 小学校で学ぶのと 同じです より高い 教育的知識を 得たいなら 大学まで進むべきです

更に前進ですね 更に前進するのです 精神的境界で 前進するには この物質世界では 学べないのです その精神世界への道を 私達に示す肉体を 持った導き手を得て 私達は進んで行きます またこの肉体を持った 導き手は肉体に 在りながら常に私達の 道連れになれなくては なりません 私達が初心者の頃 神の王国に戻って行く 過程で何か 問題に出会うと 到達するのに時間が 掛ってしまいます それで その導き手は 私達が自分に完全に 頼れるようになるまで 助けねばなりません

すると時間掛りません

様々な宗教で 神には別の名前が あります アラーとかエホバとか そして それぞれ 別の姿があります キリスト教では 神の三位一体 すなわち子 天なる父 聖霊というように 例えば 仏教では ハレクリシュナの 観点から言うと 沢山の神の姿が あります 実際 あなたは どうやってそれらを 一つに統合して 行くのでしょう

説明してみましょう 例えば三位一体ですが 天なる父 子  聖霊とは このようなものです あるマスターが生存中 彼は神を 代表する子です それで彼は子です 天なる父は私達の神で 私達の天なる父です そして聖霊それは子に 内在し同じく私達にも 内在する魂です 私達が この肉体にある時  私達は私達の本質を 知るべきです それが神です それは天国の神であり 同様に 地上の私達の 内にあるものです ですから私達はそれを 認識し 知る方法を 見出さねばなりません それを 知っている人は私達に すぐに教えられます そうしないと 私達は 一生懸命集中し自分で 方法を見付ねばならず その道は より困難で 長いでしょう

さて 仏教では 三宝と言います 三宝とは 仏 法 僧です 仏は私達には 見えません ちょうど神のようで 僧は子を指しています 僧は仏の弟子を 指しています 彼の教えを修行し 彼と結びついている 弟子を指しています そして 法とは教えです しかし真の法とは 不可視の教えで 聖書の中の「言葉」です 言葉は 神からの直接の教えで 仏陀そのものの 教えなのです お分りですね だから 同じもので それは 人々自身の異なった 概念で 彼らがそれを 異なった風に見ている ということですね その通りです

また同様に 別の言語で 別の表現をしてます 母に対する言い方でも それぞれの国には 別の呼び方があります ええ 同じ事です 分りました では 別の質問ですが 創造主 実際の神と この物質的な姿と 霊的な姿としての人間 また全体 そのものとしての 宇宙との関係は どうお考えですか それについては どうお考えですか 起源において 太古の起源へ遡れば 唯一の全体 神の下で 一つの全体となった ものしか存在しません

私達はその中の種です 私達は 全体と一つです 神が 内なる神が それぞれ 様々な形で 別れ別れになり 互いに楽しみ 神を楽しむという 全決定をするまでは 私達は一つなのです 仮にあなたがこうして そこに座っています あなたは自分の様子や 自分が何なのか 分らないとします 自分がハンサムか 見るためにあなたは 鏡を覗き込みます 鏡はその姿に過ぎず 本当のあなたでは ありません しかしあなたは その鏡を通して 自分を理解するのです

同様に私達は この神でない 肉体の中に入り それで私達は振り返り 神を楽しめるのです しかし私達は悟った時 初めてそうと解ります それなしでは 私達は 単にこの肉体と世界を 本物と認識してしまい 私達が自分の目を鏡に 釘づけにしておけば それを覗き込んでる者 である事を忘れます 同様に 私達の内なる 神はたった今 鏡を覗き込んでいて この肉体の衆生が 私達だと認識してます しかし見ている者こそ 本物なのですよ その幻想や 創造の魔術が 大き過ぎるので 鏡もそこに映る物も 全部忘れてしまい それを現実として 定着させてしまいます

ですから私達は 悟らねばなりません 幻想の概念を打ち破り 本物を見出さねば ならないのです 心から望めばです 望まねばまだ待てます 私達には神を見出す 無限の時間があるので 神を見出すも 見出さないも 何ら 大した事でありません 私達は常に神と 共にありますから 私達一人一人が神で 自身を見出す為自分の 時間を掛けていきます

イスラム教に限定した 質問ですが 預言者ムハンマドを 通し神のメッセージが もたらされたことを どうお考えですか 彼に平和があるように イスラム教がそういう ものだと思いますか 預言者を通しての 神のメッセージだと そうです 間違いなく 神からです ムハンマドではなく 肉体としての人でなく ムハンマドの中の 神なのです 肉体の姿を通して 全体と結びつき 語る神です それを私達は ムハンマドと呼びます 彼は当時 預言者でした 当時 唯一無二の 存在でした しかし神は 沢山の「ムハンマド」を 神の子を喚起するため 様々な時代に繰返し 送らねばなりません

私達は運良く ムハンマドの時代に 生まれてないからです 今 生きてますから いつの時代にも ある喚起者 ムハンマドの子孫が いなければなりません ムハンマドや キリストの子孫が 神の各人種の子供達に 利益を与えるために 神の意志の下に どこにでも生まれます それが天の意志です 各々の宗教に少しずつ 違いがあるのを ご存じだと思います(文化です 文化) 全て神によるものなら 神のメッセージが沢山 あるということですか それら全ては 正しいですか 全てが指してるのは 唯一でそれが神です

全てが生存中に神を 見出すよう言ってます クルアーンも言います 「全宗教は 神に属する」と でも彼らの起源は 私達が今見ている ものとは違います 聖典コーランの別の 言葉に「神への唯一の 宗教はイスラム教で 他の宗教ではない」 とあります 他の宗教ではない それは間違いなく 一〇〇%正しいです 私を信じて下さい 当時ムハンマドは 正しい教え 神の直接的な教えを 伝えていました ですから ムハンマドが在世中は どんな人でも ムハンマドを信じれば 神の直接的な教えを 得たのです すると 当時イスラム教が唯一 本物の教えとなる訳で マスターが 生存していて 直接的な教え 真の教えを 伝えているからです 以前 存在した 他の全宗教は 論理にすぎません

キリストが生存中 その宗教は本物でした 直接的な教えだから 人々は光を見 神と意思疎通を はかれたのです そのマスターが去れば 別の預言者が来ます 最後の或は最初の 存在として来て人々と 神を再び結びつけ なくてはなりません 当時の誰であれ それが唯一 本当の宗教なのです

何であれ神が私に 理解させてくれる事を 理解しています 何であれ神が 与えてくれるすべてに 非常に感謝しています しかし私達は 永遠に学べます たとえ預言者でも 永遠に学べます なぜなら神は無限です でも私達は 全体を知り 重要な点を学べます 重要な点を 知りたいと思えば 無限の時間をかけます 私はただ 神を知って 本当に幸せなのです

私達の団体には イスラム教徒や キリスト教徒 仏教徒やジャイナ教徒 ヒンズー教徒もいます あらゆる宗教的 背景の人がいますが 決して争い合ったり しません なぜなら 私達は内へ入って行き 神こそ唯一無二と 知っているからです それが人間の論争で 違ったものにされ 人間の言葉により ほんの少し違って 描写されてきたのです 理解は別の頭脳で さらに違うものに なりました ある人の頭脳は 他の人とは 違います ある人の頭脳は 完全ですが ある人のは損傷を 受けていたりします

ある人のはほんの少し 違ってたりするのです 教育的背景も 考え方を 違ったものにし 理解力も 違ったものになります 内在の意識レベルも 彼らを違ったものに してしまいますが 私としては構いません 問題ありません 議論しに来たのでなく 彼らが間違っていて 私が正しいと言いに 来たのではありません これら全宗教の裏に 隠れた本当の真理を 知る準備が出来た人 それを認識する勇気を 持つ準備の出来た人に ただ教えに来たのです

唯一の答えは内に入り 自身の宇宙的知識を 見出し秘密を 発見することです そうすれば自分自身に 答えられます 誰一人としてこの事を 証明できないからです 内に入り 再び戻って来れば 世界は変わりますか ある意味では変わり ある意味で変わらない それが変わるのは あなたの態度や 全生命に対する 理解や尊重の思いが 変わるからです より幸せになり すべてを受け入れます なぜならすべてが 神の意志で すべてが 完璧だと分るからです 肉眼で そう見えなくても すべてが完璧なのです ここに来た魂すべてが 自身の人生を 歩く道を選んでいます

苦しみや幸福を 選んでいて そうして 彼らは違った形で 神に戻って行きます そして 彼が準備が出来た時に 私達が肉体化を 決心した時 決して良い時を 過ごしたいと思わずに 常に 「苦しんでいます」と いえ真実でありません 真実でありません 良い時もあります はい 分りましたが 天にいる時に 私達が ここに降り来てどんな 人生を送る決心を したか分るのですか そう 私達が決めます 私達が決めるのですか そう私達が神ですから 私達が両親を選び 場所を選ぶのですか 間違いなく そうです 私達は神だったのです

一度ここに来るのを 選ぶと神であることを 忘れてしまいます それが目的です それで再び 神を思い出せるのです 休暇を思い起してみて 出掛けると 自分の優しい家の方が 良いと感謝できます たとえ それが 休暇でも それでも 優しい家に帰りたいと 心から思うわけです 観音法門が南アフリカ 提供すべきものは 何ですか 犯罪と暴力の問題を 抱えている所です 一番必要としている 場所で全て他の場所の ようなら必要ないです 皆が神を必要とします 特に問題を 抱えている時に しかし どこで神を再び 見出していいか分らず 私達は苦しんでいます 私達は苦しみゆえに 再び神を喚起します

観音法門とは単に 「神の言葉に集中する」 という中国語です 神の声は 印心の時に 聞こえます この宇宙言語を通して 神は私達が知るべき すべてを教え 人生を 管理する方法を教え 天国と神の本当の姿を 私達の本当の姿と 同様に示してくれます それで自分達が神と 一つだと分るのです 更に進んで個別化した 神であると解るのです もちろんいったん 神を知れば 私達は 再び神になるのです 神は無知では いられません 神は自分の人生をどう 生きるか知っています 自身の苦しみを どう緩和していくか 分ります 神は神になるのです 再び力に満ち愛に満ち 軽快になるのです どのような環境下に あろうが関係なく 私達は永遠に幸福です 私達は神だからです 私達はどういうことか すべて分っています

心にはもはや何の 憎しみもありません 万人が神を知れば 私達は再び天国に 居ることになります それこそが黄金時代で 真の黄金時代です スプリームマスター チンハイ 世界宗教会議終了後に 残るものは 何だとお考えですか 人々が学び合い 互いの違いを 受け入れ合うように なると思います しかし真の同胞知識は 実際 私達が一つだと 知ることで もたらされます それを知る唯一の 方法は神の知識を 通してです 自身の悟りを通し 再び神と一つに なる事を通してです 日々学び そうなって行きます 印心の時に 即座にその味を 学べます

南アフリカ 全体に対して あなたのミレニアム メッセージは どんなものですか 私のメッセージは 全ミレニアムのためで 神を知りましょう そうすれば すべて 他の事は手配されます 神を知りましょう すると幸せになります すでに知っているなら 結構です 知らないなら 知っている人を 探して下さい アフリカ人やドイツ人 インド人であろうが あなたに神を知る方法 神の光を喚起する 方法を示せる人を 探して下さい 神を知っている人は あなたに 神を示せる人です あなたを 悟らせられる人は あなたに光を 見せられる人です 誰であれ 光を見せられるなら あなたを 助けられる人です ありがとうございます スプリームマスター チンハイ ナマステ どう致しまして あなたを愛してますよ

私達は自身の 神の知識の代わりに 自身の限られた理解に 頼っているからです 永遠に論じられます なぜなら 私とあなたは違うと 理解しているからです

私はそこにいたので 皆さんを愛してます 誰もすべて理解して いるとは言えない 偉大な知識があるのを 知っています

でもそれはクルアーン メッセージへの真の 矛盾の中にあります なぜなら皆さんは 神を見てないからです だから言葉と概念と 理論を議論するのです 皆さんが目を閉じれば 私は一瞬で 神をお見せしましょう それで皆さんは神と 語り アラーに 尋ねることができます 本物は何ですか 何が真実ですかと 皆さんはとても 信心深く献身的です 私はその信仰心に 感動しました でも唯一欠けている ものは神です 私達は四六時中 神について語り 最後の預言者について 真理について語ります

でも見ていません 私の見たものを 見た場合だけ 二度と 論じなくなるのです 今 神を 見たいですか 光を見たいですか お見せできますよ 皆さんの内にあるので お手伝いできます アラーは内在します 私達がこれを 理解しないなら 神を見ないなら 私達の知識は とても限られます またクルアーンは 真の教えですが 人々は理解できません ムハンマドの言葉を 理解するには ムハンマドのレベルに 達すべきで 少なくとも同レベルに 上がらねばなりません そうでないと 沢山の間違った解釈が 出てくるでしょう
God continues to bless Africa through a living Master, whose mission of sharing the love from the Most High with humankind, brought her to this land. In 1995,Supreme Master Ching Hai came to Cote D'Ivoire, the Ivory Coast, in West Africa.

The First Lady of the Ivory Coast, Mrs. Henriette Bedie invited Supreme Master Ching Hai to the Presidential Palace as an honored guest. Upon learning of the condition of the local hospitals, Supreme Master Ching Hai immediately made a contribution to purchase necessities,equipment and medicine.

She then was accompanied by the prince of the Ivory Coast to the orphanages in the city of Abidjan. Supreme Master Ching Hai then continued on her journey to the kingdom of Benin, once one of the most advanced of African civilizations.

The Royal family had arranged for a grand reception at the airport to greet their national guest. King Aguli Agbo and his Queen welcomed Supreme Master Ching Hai to their palace and expressed their honor at receiving her in their country.

During her stay in Benin,Supreme Master Ching Hai also visited hospitals, poor villages and several orphanages run by convent nuns. Supreme Master Ching Hai showered the children with her love and gifts. She also made a contribution to the orphanage of Saint Enfant Jesus in order for them to add more facilities.
Before her departure from this country, the First Lady of Benin, Mrs. Nicephore Soglo,invited Supreme Master Ching Hai to her official residence, where a friendly meeting took place between them.  


Q(f): So Master, why did you choose to come to the Parliament of World’s Religions?

Supreme Master Ching Hai : Because I am invited to come here. And we should, every one of us, including myself, should support any activities that unite ourselves to ourselves,so we don't feel too much division and too much misunderstanding between each other. We have a chance to talk to each other. That is a good idea, so I came to support that noble idea.

Q(f): And can you describe for us or just sort of tell us for people that don't understand and who don't know about it, what the Quan Yin Method is, what it actually is all about?

Supreme Master Ching Hai : Right. I started in Formosa (Taiwan), and Quan Yin is the Chinese term for the inner energy, the inner melody, the heavenly melody, which is mentioned in the Bible as the Word of God: "The Word was with God and the Word was God."

This is the Quan Yin, that we reconnect our Self with that energy, with that Word, which creates all things,and therefore, we will become one with God nd we will understand our purpose of being here, as well as we can visit Heaven and have direct teaching from the Most High.

Q(f): So, is it meditation? Lifestyle? How does one live it?

Supreme Master Ching Hai : First we have to go through a remembrance again. because most of us are busy –since we came to this physical world we are busy. So then, we have to remember again. And I show people how to remember their God-Self,that the Kingdom of God is within and that we are a part of God.
I will show people how to remember.

And in order to remember that, we sit down quietly for a while and let God's power take place to reconnect Hirmself to Hirmself within us. And during that process, we will see the Light of God or we see some Heaven, the glimpse of Heaven, or the glimpse of the Father, or have some direct contact with Hirm.

It depends on our level of concentration, we will access to more or less contact with Heaven through the Light, through the Sound, the vibration, the Word within us.

Then we will understand more about everything we want to understand, and we can see God every day in different forms through the Light or the music of the spheres, through the teaching, the melodious teaching of God, or through the form of Jesus, the vision of Jesus, or the saints or the Buddha, who will give us direct teachings, while we ascend to this state of higher consciousness.

We can contact them directly, because they are in a higher consciousness now.
We are in the lower consciousness in this physical body. So, in order to receive this direct teaching, we have to raise ourselves higher than the body, and we have the process to do that, if we remember how. We all know that, it's just many of us forgot.

And I remember it because I have been taught to remember again. So, that's how I can teach people to remember. And once we remember, we can rise up to Heaven anytime, at will. And then we have direct teaching from the past saints, like Jesus, Buddha, Muhammad, whomever –they are all the sons of God, they are all the messengers of the Most High, since time immemorial.

In order to have direct teaching from them, we have to go direct to them – not with the body –because they have left, they have gone into a higher sphere. We have to go there. Okay. Just like I have to come here to see you.

I can't see you in America; you live here, you see? So, to see Jesus, we have to go where he lives.
To go see God, we have to go where Hes lives, for example.

Q(f): And who are the people that follow this teaching?

Supreme Master Ching Hai: All walks...

Q(f): How many are there? Where are they from? Who are they? Are they from different religions?

Supreme Master Ching Hai: There are millions of them. They are from different religions, different walks of life, different backgrounds, different professions.But when we are together, we are like one family, all trusting, loving. And together, we harness this collective energy to better ourselves and better the world's energy.

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「誠意と決心で神を認識する」1/3 一九八九年三月二三日フォルモサ(台湾)花蓮(フォルモサ語)(中国語)




 
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仏陀は内面の神の智慧と交流する 1/3 一九八九年七月九日‐香港(中国語)




 
超能力で人心を得ることは自然の摂理に反する 1/3 ‐ 一九九三年四月十七日 カナダ、モントリオール




 
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