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真理、高徳そして美の再発見1/2 1993年四月二四日 フランス、 パリ(フランス語)       
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こんばんは 本日は 大変特別な日とだけ 言わせて下さい スプリームマスター チンハイの 初めてのパリ訪問です このようなイベントで スプリームマスター チンハイは普通 講義の下準備をせず お話しをされます 彼女はいつも 大衆と場所に応じて 自然に話されます でも彼女はフランスと フランス語を 深く愛しているため また 二十年以上 フランスに 戻る機会が なかったので フランス語で講演を なさりたかったのです 私達は昨晩少しだけ 仕事をしました 素敵な夜の ひとときに 何行か書いてみました それで フランス語で 彼女の言葉に親しみ より理解するのを 助けるのです ですから彼女の講義は 準備したものでないと 言いたいのです ですが本日は 状況が 少しだけ特別です 彼女はあらゆる 問題を避ける為 皆さんの言語で 伝えることを 申し出されています 私はこの機会に 私と スプリームマスター チンハイとの 体験を皆さんと 共有したいと思います 私は何年もの間 真理を求め 沢山の本を読んだ後で 約四年前に彼女に出会いました 私はカトリックの家で 育ちましたので 聖書を学び 学生時代の大部分を カトリック系の学校で 過ごしました 私の兄が亡くなった時 私は十三歳ぐらいで 兄は十八歳でした 私は死について 沢山自問しました そして私は 突然気付きました

死の瞬間と死後は私達の 所有物の一切を 私達の人生で努力して 得たもの全てを 手放すのだと 実際 私達は 全てを置いていきます その日以来 私は本当に 自分の人生の目標を 自問しました たとえ私達が 全人生を 財産を貯めることや 社会的地位や名声を 得ることに費やしても 死の瞬間には 一切を手放します

何か別のものが 存在するはずで 私の人生は明確では なかったのです 何か 別のものがあるはず それで私は 西洋哲学だけでなく 東洋哲学も 少し勉強しました なぜなら一つの事が 確かだったからです  東洋でも西洋でも 存在する真理は 同じということです 私達は 同じ場所から来て 同じ不安を 同じ要求を抱きます それゆえ 私は 別の哲学を学びました 時々 より具体的で より明確な別の答えを 得たこともあります あいにく この知識は常に 書物からでした 私は大変 読書に興味があり それは私の心の中の 大きな好奇心を 刺激しました そして知的な部分では 私にある程度 内面の 安らぎを与えました ですが私はまだ むなしさを感じました 私はカトリックや 他の宗教の 聖人の物語も 読みました 残念なことにこれらの 聖人達は他の問題と 他の誘惑があり 別の機会になりました これら全ては 常に私とは相対的に 離れていました

ですから私には 少し不満がありました 私は幾つかの 瞑想法を試みました 私はあれこれと 方法を変えていました その結果は ゆっくり現れましたが ラマクリシュナが 話した通りでした 時間を費やして 庭に小さな穴を 幾つも掘っても 絶対に泉に到達しない あなたは場所を選び 一つの穴を 毎日泉に到達するまで 掘り続けるのだ 恐らく私は 自分に合う方法を 見つけずにいたのです 私は 全ての宗教が 全ての哲学が 同じ方向に焦点を 当てているという 解答を多く得ました しかし  聖書に記載されている 神の王国や 経典や 他の聖典で 述べられている仏性と 私達はどう接し 到達するか分りません 残念ながら  書物は私達に この分野の十分な 情報を与えません メニューのようです 美味しい料理の話を されるだけで 私達は 決して味見できません それで空腹のままです ある日 私は 私にとって 一番大事な課題である 地球に存在する理由を 探す案内人と方法を 発見していないことに 絶望的になりました

人生は多くの「偶然」を 提供すると思いますが 偶然であったとは 私は思いません 私は本で読んだ 具現化した真理を スプリーム マスターチンハイの 中に見つけました 憧れの象徴や 誰かを持ち上げようと 言うのではありません なぜなら スプリームマスター チンハイや 過去 現在 そして未来の マスター達はみな 訪れて 教えてくれ 私達自身の中に 永遠に保持する全てを 私達に 「再発見」させるのです 私はほとんどの場合 私達にはできないと 思います この地球にやって来た 全ての聖人や偉大な 人物の特性である 清らかさを 保有しているとは 思いません こうした理由で マスターの存在は 非常に重要です 私達の素晴しい品性の 確かな鏡であり 忙しい日々に 埋もれてしまった 可能性の反映です 家庭でも職場でも 私達は奔走します あらゆる 責任があるからです また過去を振り返る 時間さえなく 時は流れます やがて 私達は年老いて多くの 習慣を取り入れます それでもまだ 少しだけ 満たされない 自身の部分を求めます 私が スプリームマスター チンハイに出会った日 自分の外部に 基づくものではない 喜びを 発見しました

私から奪えるものは ないという喜びです たとえ今日私が お金持ちでも 明日にはわからない 為替が暴落するかも しれず たぶん一文無しに なるかもしれません 全ての聖典に書かれた 内面の喜びとは 自身の内面にあり 誰もが見つけられます でもこのため 私達のように 疑いを抱いた者 いくらかの知識や 習慣がある者 自身がそれで 生活する者には 案内人の助けが必要 私達とは話せない 恐らく 私達の問題を 理解しない 異なる世紀に 属する者の 代わりにです そして スプリームマスター チンハイと出会って 私は友人だけでなく 案内人だけでなく 内なる道と日々の 人生の歩み方も 教えてくれる 人を発見したのです というのは  霊性が日常生活に 役立たないのなら 意味がないからです 誰もが好む 心の内側の平和を 探すためだけでなく 周りの世界も楽しむ ようにさせるのです 私は誰もが皆 世界平和を願い 他人に対する 更なる慈悲や 理解を示したいと 望んでいると 思いますが 私達は 習慣や恐れといった もので麻痺し 牢屋の中にいるのです 私達は地球に来る 全てのマスター達から 鍵を貰っていません 彼らは私達に鍵を与え 何の見返りも 要求しません ただ潜在力を発見し 彼らの足跡を辿るよう 求めるだけです 彼らは決して 自分だけが唯一 それができる者だとは 言っていません キリストも言いました 「私の行う事は 何であれ 汝はできる 上手くすることさえ できるのだ」と

ですから 本日は スプリーム マスターチンハイと ご一緒する 特別な機会なのです 初の公式訪問です

私は二十年近く フランスに 戻りませんでした 一年間フランス語を ここで学びましたが 長い間 勉強の機会は わずかでした パリに足を踏み入れ 私は再びこの都市の 驚異と美を 味わえるわけです 特に パリの夕暮れ時です たそがれ時に 街を歩き回ったり 友人とコーヒーを 飲んだりしました 私はもう少しで パリの魅力的な生活を 忘れるところでした 人々の真心 壮大な史跡や 壮大な史跡や 豊かな文化をです ある面では パリは あまり変ってませんね

私もです あなたもです 変っていません パリは以前と同様に 魅力的で美しく 優雅です つねに芸術的で ロマンチックで 典型的なフランス式の 生活を表しています なぜ誰もが美を 愛すのでしょう なぜ とりわけ フランスの人々は 私達は皆 真理 美 優しさを愛します こういうわけで 女性はお化粧し 男性はおしゃれな服を 着ているのです  人々は自分の家の 内も外も 塗装をしたり 美しい家や公園 庭 噴水や あらゆる 芸術品を造りました 当然エッフェル塔は言うまでもありません

私達は美への愛を 表現するのです 子供でも そういう 傾向を示しています 新しい服を着たり 人に見せるのが 大好きです 彼らは簡単に他者を 許せます それは  美徳の証明です 子供は嘘をつきません 彼らは真理と美に近く 内面の優しさは 神の品性 だからです 私達は真 善 美への 愛を示しますが そういう品性は 子供の頃から 備わっています でも成長するにつれ 環境に 影響されます 私達は 成功すればする程 私達の真の自性から 自身の本質から  より遠ざかるようです 私達が忘れているのは 毎日生存の為に奮闘し 社会から くだらない情報を 集めているせいです それでもう 子供の頃のように 幸せになれないのです 子供の頃 私達は 本当に純粋無垢でした 言い表せないほどの 「優しさ 善 美」が もっとあるのです 私達は現在の状況に 常に満足できる訳では ありません それは 私達と共にあった 本源からの記憶が この物質世界で 目にするものより ずっと優るからです

殆どの人が際限なく 何かを捜し求めますが それが何なのか 分からないのです 私達は この物質世界で 本源に 天国に  近づけるように 導けるものを 見つけたいと願います しかし  楽園は私達の 内面にあるのです 内面の 真 善 美を  再発見すれば この物質世界は 私達にとって より有意義になり この世界は より美しくなり この幻想の世界でも 真理を見つけられます その影を追うことで 私達は本物を 見出せるからです そうすれば分け隔ては なくなるでしょう 神の王国への 切望さえも なくなるでしょう なぜなら 私達は 今ここで この世界で 神の王国を 見るからです 印心をうけ  現在 観音法門を 修行している 私達の修行仲間は 本当に幸せです また 彼らは 周りの人々と 人生のあるがままを 受け入れ 感謝する方法を知る時 幸せも分かち合います そして瞑想を通して 得た知識により 向上します 悟った人々は悟った後 その振る舞いの 一つひとつが 内面の真 善 美に 反映します

これらの品性は 非常に豊かで 私達の 存在を成しますが 私達は決して  十分な真 善 美を 物質世界からは 見つけられません ですから決して この地上での生活に 満足しないのです 物質的生活は 何も間違っていません しかし 物質面に 溺れすぎると 影の後を追うだけで 最後には 真の目的を忘れます 同様に  婚約者の写真を 持っていて その写真がどれほど 美しいかは関係なく 写真に執着し  本当の人を忘れては ならないのと同じです 確かに離れている時は その写真は 役立ちますが 婚約者が 目の前にいれば 彼女こそが 喜びの源なのです 本人といる時だけ 満足できるのです それが自分の本性と 共にある場合です それを発見すれば 感謝できます 全く比類ないものです 写真を持っていたり 更に撮るのも結構です でも その写真が どれほど よく撮れていても 実物の婚約者以外に 満足させてくれません 悟りを開いた人も まだこの世界を 同様に楽しめます 夫が妻の写真を 見るのと同じです 

しかし 美しさや 真の幸福は本人による もので 重要なのは 写真からではない ということです 同様にこの世の快楽は 真の世界の 模倣にすぎません 真の世界だけが私達に 真の永遠の喜びを もたらすのです 私達は生まれる前に 真の人生を見つける 的確な方法が 与えられているのです 家への道はずっと前に 舗装されているのです この命を救う地図を 忘れれば 永遠に この生死の 輪廻のわなに はまってしまいます この道は 内面の魂の目で見れば とても現実的で 確かですが  肉眼では 見たり 感じたりはできません私達の感覚に微細なものです 誠実に探求すれば それは自然に 現われます とは言っても 経験ある案内人の 助けが必要です 殆どの人がその道を 忘れているからです たとえ思い出しても 故郷への道は長く 危険なので  そこへ導く案内人が 必要なのです この案内人はその道を  通ったことがあるので この世界と 上の世界の間の道を 知っているのです 神の加護のおかげで 私は家へ帰る道を 見つけました

私は思い出したいと 望む人皆にこの発見と  お手伝いを提供します 長い間失っていた 至福の加護を取り戻す お手伝いをします 印心を通して 私達は今ここで 再び天国を 味わえます 印心とは 真の自分を 目覚めさせ 私達を家へ帰す パワーの伝達です 印心後 私達は 完全に新しくなります 活気にあふれ 元気になります 貪欲さや欲望は全て 私達から離れます そのまま普通の 生活を送りますが 目標を 実現できなくても もう挫折しないし この世界で切望した ものを得られなくても 混乱しません これらの願望は 真の本源を 見つけてこそ 最小限にできるのです 印心すると 神から 私達の源への帰り道を 照らし続ける 強烈な内面の光を 得ます 天からの安楽な調べは 家への帰路で 私達が知るべき全てを 提供してくれます 悟ったマスター 経験ある案内人が ずっとそばにいて 私達を守ってくれ 私達が この世界を通過する 特別の旅が 終わるまで 手伝ってくれます

この案内人は この物質世界でも 私達が快適であるよう 私達のためになるよう 最善を尽くします 私達は苦悩や孤独感に 永遠に別れを 告げます この案内人は 私達が長い間 家から離れていて 疲れ切っていて 勇気もないと 分かっています それで私達が地上に いる間 できる限りの 援助を与え 天国に いるようにするのです   この案内人は 道をよく知っています 地上での生活は 案内人なしでは 非常に疲れます 真の友人のように 人生の浮き沈みに 付き添い 様々な 障害や罠に直面した時 支える人が いなければ 目的地 永遠の天国に たどり着くのは 難しいのです 内面の光と音は 永遠の命に達するのに 不可欠なのです

それなしでは  幸福は 地上にも 天国にもなく その命 美 真の優しさは 私達に 姿を現わしません 私達がどれほど 善良で 高潔で 優しくなりたくても 決して完璧な状態には なれません これらの品性は 内面の世界だけの ものだからです いわゆる美 真理 美徳というような  この世界で表す 理論はみな  やや劣った複製です 親愛なる友人の皆様 故郷へ向かう グループへの参加を 心から歓迎致します 費用はかからず 何の義務もありません

しかし  私達が知性と技術しか 持たず 他者への誠実な 思いやりがなければ 人生は完全ではなく 内面では分離した ように感じ 言葉に 表せない程の悲しみと 不安を感じます 全く当然の事です この世界に天国を もたらしたければ そこに存在するように 生きるべきです つまり調和して暮らし  全生命の自由と 存在の権利を尊重する ということです 私達は自分で因果の 悪循環を創ります これが戦争や意見の 相違の原因です 私達は 個人や 集団の争いで  もう十分苦しみました 五戒と菜食は 強制的な規則ではなく 公正で高潔な生き方の 側面なのです また君子や 慈悲と偉大さのある 聖者の振る舞いです 彼らは全衆生を包む 愛を持っています 地球上の全衆生の 頂点にある者として 世界に平和をもたらす 為に行動として自身の 真の愛と優しさを 実践すべきです それこそが実際 地球に平和を もたらすものなのです これは愛と優しさを 行動に移すことです では皆さんの質問に お答えしましょう ご静聴 ありがとうございます

私達は 心理的問題を どうすればよいですか また霊性の発達に対し 何ができますか

心理的問題は 私達の社会からの 多くのプレッシャーの 結果です 仕事の問題 家庭の問題 個人的な問題等です 時には そのプレッシャーが 肉体や精神力にとって 重すぎるために 心理的問題に ぶつかるのです しかしこの問題が 霊的生活の 渇望の源なのです ですから 悟りを得れば こういった問題は 全て消えるのです 一旦悟ったら 何もすることがないと 心配する必要は ありません 多くの事ができます 私達を見て下さい 沢山の仕事があって いつも時間が 足りません この世界には 私達の助けを必要と する人が大勢いて すべき事が 沢山あるからです それに 私達が悟れば 更に効率よく 問題を解決できます どんな仕事でも 関係ありません これが私達の 悟るべき理由です

内面のレベルの違いを お話し下さい

私は このテーマで 国連で明確に 話したことがあります 私達の配布した 小冊子を持ち帰り 時間のある時に 読んで頂ければと 思います

即刻開悟 というのは 具体的には何ですか どう達成するのですか

即刻開悟は 可能です 私達はもともと 内面で覚醒して いるからです ダイヤモンドのように 元々ダイヤなので 少し綺麗にするだけで それを得られます 既にここにあるので 私達は即刻開悟を 得られるわけです それがどこにあるか 忘れている だけです でも私は知っています どこにあるか お教えすれば皆さんは すぐに発見できます

すべての 邪淫を慎むとは どういう意味ですか

つまり  妻が一人いるなら それで十分で あるいは恋人がいれば 男性も女性もそれで 十分ということです 男性や女性が 沢山いすぎたら 問題を抱えるでしょう また自身の偉大さを 発見する冷静さが 不十分になるでしょう 印心を受ける前に すでに パートナーが二人いて 両方が幸せなら 問題ありませんが それは印心前の話です それ以降は他の人を 探してはいけません

自分が悟ったと どうやって分りますか その兆候とは どんなものですか

難しくありません 「開悟」とは「光輝く」 「悟った」と言う意味で 私達が悟れば 私達は 内在する光を見ますが 肉眼でではありません あなたが高められれば すぐに内在する 明るい光を見ます これが悟りの 現れです すぐそうなります 私達の本質は 天国の光だからです 私達はこの肉体では ないのです 肉体はただの洋服で 私達は 脱ぎ着できるのです 方法を知っていれば いつでもできます どうするか印心の時に お教えします はい できます 私に必要なのは 励ましです 

魂の向上には 苦難は 不可欠ですか

いえ必ずしも必要では なく 状況次第です 中にはこの世の苦難を 全く体験しない人も いますが それでも 神への渇望があります これらの人々は 多くの善良性と徳と 優雅さがあります きっと過去世の 影響でしょう

なぜ動物は苦しむのか 私達同様に苦しみます 私達は動物でなくても 時々苦しみます それは死 生 病 苦の サイクルです その循環から離れれば 私達は二度と 苦しみを経験しません 動物は もう少し 彼らが人間になるまで 待たねばなりません そして故郷へと通じる 道を進むのです

現存する経験豊富な 悟った案内人なしに 印心の道を進む時に 遭遇する危険とは 何ですか

手伝ってくれる 案内人がいなければ 遭遇するであろう 危険が幾つかあります 私達が 方向や 道の先にある罠を 知らなければ 時々 失敗を犯し 家路は大変長く 険しくなります それで経験ある 案内人が必要なのです 危険とは 心の障害 肉体的苦痛や 他の霊に取りつかれる ことです

いつでもどこでも 瞑想できますか

ええ でもどの瞑想と いうのではありません 人前でできる瞑想と 私的にした方がいい 瞑想があります 印心の時に 全てを お教えしましょう

卑しさとは 何だと思われますか それにどうやって 立ち向かうのですか

本当に悪い人は いません ただ人々は 安全や智慧 自身や他人のために 好ましい方法で 生活していく知識を 持っていないだけです たぶん内面に 多くの問題があり  自信がないからです 彼らは 常に自分自身と そして 戦環境とっています 彼らには より多くの 社会の愛が必要です これが私の考えです
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