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内面の力を解き放つ 1/3 一九八九年六月八日コスタリカ(スペイン語)       
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こんばんは 皆さま 観音法門の会議に はいる前に 果物と花の贈呈を いたします

皆さま 偉大なスプリーム マスターチンハイを お迎え致しましょう しばらく目を閉じて 神の愛と 私達への 恩恵を思い出す為に お祈り頂けます でしょうか 私達は神に感謝します 私達に与えて 下さった全てに 幸せも悲しみも 幸せは勇気を与え 悲しみは浄化します アーメン!ありがとうございます

親愛なる友よ  家に帰ったように感じます 帰って来ました この数日 皆さんが 示された愛の為です コスタリカに 到着して以来 通りの 見知らぬ人 学校の子供達 バスの乗客 レストランのお客さん 皆さんそうです 皆が私をご存知なので この国の皆と知り合い のように感じます この数日 神は私達を 愛していると感じます 見えない愛ある方法で 神が私達と一つに なったと感じます 珍しく 大変感傷的な 気持ちで一杯になり 自分でも驚く程です 涙がこぼれそうですが こらえています 一旦涙が出ると その感情が 弱まって しまいますから その言葉にできない 恩恵を 楽しみたいのです 皆さんも同様に感じて いらっしゃるでしょう そう願っています そうですか? では 感傷的なことは 終わりにして 良い話をしましょう そうでないと 私は 黙ったまま 二時間 泣き続けてしまいます

皆さんは家に帰って 思うでしょう「どんな マスターなのかしら 遥々やって来て泣いて 何も言わないとは」と 多分それは最良の方法 かもしれません でも 私達は普通に よりなじみのある 標準的方法で 対応すると思います つまり 聴衆の期待にこたえて お話しするという ことです 説明不可能な事を 最善を尽くして 説明してみましょう 私がお話ししようと するのは 人間の 言語で伝えるには 容易ではない事です それを 物語を通じ たとえを通じ 内面の認識を 通じて試みます 今日 素晴らしい ジャーナリストが 取材に来られました 彼は尋ねると同時に ある事を確認しました 彼は言いました 「大昔から 神は 多くの使者を 神の愛 メッセージ 真理 人類への 戒律を伝えるために 地球に遣わしましたが 理解し 従う人は 多くはありません」

彼の質問は私が如何に 仕事をするのかという たぐいの事でした そこでこう答えました 「人々が話を聞こうが 聞くまいが 彼らは この地上で神の役割を 果たしています」と 家に帰る準備ができて いない人もいます 彼らの仕事が未完なら 私の話に耳を傾けない かもしれません 彼らが悪いという 意味ではありません ここでの仕事が 未完なので 神の意志で この世の楽しみ 富 喜び 仕事 義務 あるいは愛情に  執着や愛や 束縛を 感じるのです  地球上での責務を 完結した人々は 家に帰る事を望み 焦がれます 彼らは神への回帰を 神の王国への道を 切望します そして私の伝言を 理解し それに 従うでしょう こういった人々は この世にうんざりして いるからです

ここではもう何もする 必要がないと感じます 望むのは 神の元へ 戻ること 万物の源へ 帰ることだけです そこでこの人々の為に 私は 目標を認識する 手助けをしています これが唯一の目的です たった一つの責務です 神の王国へ 人々を 連れ帰るためです 他の人々には彼らの 責務があります 私の唯一の責務は 準備のできた魂を 天の父の家へ 彼らの来た所に 戻す事です 他の人が続かずとも 私は気に留めません 不快に思いません 憤慨も不快感も 幻滅もありません  たとえ人々が 私の話に怒り 軽蔑し 信じなくともです その人々は 私にも 私の使命にも  何の関係も ありませんから 理解していないだけの事です 将来 多くの 人生を経た後 百年後 千年後に 理解するでしょう

それは 例えばですが 仏陀 キリストの 存命中 彼らの メッセージは常に皆に 歓迎されたとは 限りません 当時はそうでした でも現在の信者の 数をご覧なさい 数千年経った今では 如何に多くの 崇敬者が いることか ちょうど 子供が成長して  理解したことも 幼かった頃には 分らなかったのと 同じです 神へ戻る事については 既に多くの 方法があります 隣人を愛す 敵を愛す 慈善を施す 日曜日に 教会へ行く 毎朝 毎晩 お祈りをする 又は瞑想する イエスの名を唱える 聖人の名を唱える 数珠を爪繰る 唱えて 数珠を爪繰るなどあるいは断食 巡礼をするなどです ですからこう言います チンハイはいったい 何を話したいのか? 私達は既に何でも 知ってるのに」 ノー? イエス?

皆さんは既に全て ご存知ですよね イエスと言う人も ノーと言う人もいます 「はい 知っています」 「いえ 知りません」と 知っていますね 神の 存在をご存知ですから 神は存在するはずです 或いは 偉大な力が 人知を超えた 偉大な力がです 一つあると知ってます 「はい」という理由は 私達は時々試みるから 時には誠実に 時には 無意識に そのパワー 至高の全能の力に 触れようとするから そして「いいえ」は 殆どの私達の誠意は 仕事の忙しさと 日々のプレッシャーの 苛立ちの中で 失われるからです そのため 努力し 時間をかけて祈り 瞑想し 聖名や経典を 唱えても 神に届かないか ほんのたまにしか 届かないのです それで時には 努力が 徒労に終わるのです また 時には真の神を 知ることを切望します

神の真の姿は どんなふうで 神とはどんなものかと  そして知りたがります 「なぜ 『愛ある神』が私達に 多くの災いや困難を 送りつけるのか」と そうですね OK 私も皆さんに お答えはできませんが 神の見つけ方をお教えする方法は あります ですから 皆さんは 神の髭をつかんで ご自分で尋ねて下さい 神に尋ねられますよ 「なぜですか?」と 怒って地団駄を踏む 子供の様に 天の父に 「なぜですか  皆があなたの事を 愛だ 神は愛だ  慈悲深く 非常に 力強いと言いますが  なぜ地球は 苦難で 一杯なのですか」と そうしたいですか 神に直接 尋ねられます 自らの通訳を使えば 皆さんが信じても 信じなくてもです 私は神に尋ね 答えを得ました 

神は多くの秘密を教えてくれました 幾つかはご紹介 しますが 幾つかは それに該当する 言葉がありません というのは 理解できて 人知で把握でき 人の言語で表現できる ものもありますが 不可能なものも あるからです そういった意識レベル その様な経験や 内面の認識に見合う 人の言語がないのです ただひとつ お勧めできるのは 自ら探索する事です もし私が この表現 不可能な意識レベルや 認識について 話を 続けたら 真の意味を 強力な意味を台無しに してしまうかも しれないからです 現在では  多くの方法で 神に近づけます それを耳にしたり それに関する 本を読んだりします 現在では どれも ある程度 役立ちます また その方法を 使う事ができ 多くの様々な 意識レベルに 達する事ができ 異なるレベルの神に 近づけます けれども 観音法門 すなわち 神の光と神の言葉― 聖書にある  「言葉」と音―に 連絡する方法が 最善の方法だと なぜ言うのでしょう

それが私達を苦しみや 精神的苦労から すぐに解放して くれるからです それは私達をすぐに いわゆる罪の重荷 原罪の プレッシャーから 解放してくれるので 即座の解放を感じ 即座に 神のそばにいると 感じられます この方法はもっとも 強力だからです なぜ 観音法門は そのような 強力な  即座の開悟を もたらすのでしょうか それは これが 私達自身の力  生れながらの神の性質だからで これを 仏性とも言います 私達は先天的な性質 真の力 自身の力を 目覚めさせ 外部に 頼らないのです 仏陀が言っています 「自分に頼り 他の誰も頼るな」と この自分とは 仏性のことです この人間ではない 偉大なる自分 ええ 本当の自分です これがキリスト教の 言葉で言う 「内面にある 神の王国」すなわち 先天的に 私達の中にある 神の本質です 聖書にもこうあります 神は人間を ご自分の 似姿に造られた つまり 私達は神の 本質を持っていて 神と同等なのです

内面的に言えばです もちろん 私達が 神と同等ならば・・ または生まれつきなら 少なくとも 私達は神の子です もし あえて神と 同等と言えないなら 神の子だと 言っても良いでしょう なぜ神は輝かしく 超然として 愛に溢れ 美しく 皆から 崇拝されるのでしょう なぜ私達はこの世界に 這いつくばり 避けがたい痛みや 悲しみが あるのでしょうか それは私達が 外面で何かを 手にすること 何かをすること 何かを考えること 何かを計画することに 忙しすぎて  休み 委ねる事を忘れ 内面の神の本質 真の魂 真の人 真の自分を 自分の為に働かせ 助けさせることを忘れ 自分の最強の力の源 内面の力を使う事を 忘れたからです それこそが神の王国 神の本質 神の姿 仏性なのです 神は 私達の中に 宿っているからです

神は 私達を造った時 命を救う力を与える 事を忘れませんでした ただ私達はその存在を 忘れているのです 私達は外面の 自分だけを使い 真の 自分を使っていません 例えば 車が動かず 路肩に 止まっているとします 運転手は眠っているか 酔っ払っています さあ この人を 起こすか 目が覚める薬や 冷たい水を与え 彼の眠気を 払う必要があります そすれば 彼は車を 動かせるでしょう ところが 私達は 車を押すのです 車はドアも窓も閉まり 運転手は眠っていて エンジンは動きません 私達は 押して押して 押し続けます 不運にも その車は とても重いので 手に負えません ひどい車です 車のメーカーも ひどいし  ブランドもひどいので こんな車は 二度と買いません 私達は押し過ぎて 疲れているからです

では 皆が普通の 感覚の大人なら 誰か あるいは子供が こういうことを しているのを見れば 当然 この子供達は 賢くないし 理屈を 知らないと思います 私達は彼らに言います 「ねえ 子供たち」 又は 「貴方達 そんな事を しないで! 止めて 静かに  運転手を起こせば 彼は何でもします」と 同じことが聖人にも 起るのです 聖人 または 勤勉に 修行をしている人が 神の意識に 達した時  物事を とてもはっきり 論理的に理解します そして 物事を 正しく行う方法を 人々に伝えます 最短の時間 最低限の 努力で 最高の 結果を得るのです ただ 運転手を起こす 手伝いをすれば 私達は車を押す 必要はありません 車に乗って楽しむ事も  できます この世界で 不幸や 問題が色々起きるのは 私達が真の自分を 起こさないからです また ただ懸命に働き 沢山考え そして 様々な方法で この世界での仕事を 自分の限りある 能力で  体力で また知識で しているからです ですから たとえ 世界でも最高の 大学を卒業しても 私達は完全に 賢くは ないのです 智慧と知識は 智慧と知識は 別のものだからです
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