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神の燈火を掲げよ 2/3 一九九九年十二月二五日 南アフリカ、 ヨハネスブルグ (ペディ語)       
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この選択の準備が再び 出来ているなら 皆さんに奉仕したいと 心から思ってます 皆さんはこの人生は もう十分で 別の選択を したいのです でも そうは言っても 天国に行くために この世を捨てるのでは ありません 違います 両方を持てます 例えば  私はまだここにいて ただ毎日 天国を 楽しみ 同時に この生活も楽しみます ほら 私は宝石や衣装を 大変楽しんでいます 時に 霊修行をしてる人が 今生において 成功もしたいと 選択すれば 成功を収められます 神の愛を明示するため 個々のマスターが それぞれの 方法を選びます あるマスターは 完全な出家という 方法を選びます イエスや仏陀のように また あるマスターは 神の贈り物を 使うのを選択するか 神がそうするよう 彼らに命令します 神の意志によります 皆さんが今生で 霊修行と同時に 物質的に大変豊かに なるべきかどうか 霊的な豊かさではなく 単に物質的に豊かに なるべきかどうか 霊的だけで物質的には そうではないとか 皆が違うを歩かねば ならないのですが 皆が家へ向かって 神の境界へ向かって 歩いているのです これこそが私達が ここにいる目的です 何が人間の目的かと 尋ねるなら まさにこの事です ご静聴 本当に ありがとうございます 質問があれば 喜んで お答えしたいと 思います 神の思い出し方を 教えたいと思います

はっきり 理解 頂けたらと思います そうです 皆さん 大変聡明です 何という事でしょう 私は驚きませんよ アフリカの人々は 非常に霊的です 自然と より多くの 触れ合いをしていて 非常に霊的です

親愛なるマスター マスターに従う 利益は何でしょうか 自己決定をし 悟りへの独自の 道を歩き 自分自身の カルマ(報い)を 解決することに より良い見込みが ないからでしょうか

実際 言葉上 皆さんは 私を マスターと呼びます でもお話ししたように 皆がマスターだと 喚起したいのです それが全てです カルマ(報い)や その他の事は 自分が 宇宙のマスターだと 神と一体だと 気づいた時 すぐに消えます しかしその前に この事を完全には 分っていないならば もちろん 私は 皆さんの友達になり 全てを理解するまで お手伝いしましょう 私をマスターと呼べ 私に付いて来られます 従う必要はありません アフリカに永遠には いないからです ただ指示に従うだけ そうすることで 毎日 内面で深く集中でき 神を見出せます そしてある日 完全に理解します 今日完全に 理解することさえ あるかもしれません 神に戻りたい選択に どれほど力を入れて いるかによります ですから 誰にも 肉体のある衆生にも 天界の衆生にも 従う必要はなく 自分自身に従うのです 私はただ 方法を 示しているだけです 指示を教えています そうすることで・・・ それは皆さんが 知らないのではなく 忘れてしまったから 私達はこの世界に 暮らしていて 非常に忙しく しているからです 心配事や苦しみの下 全てが私達を忙しく しようとしています それで大変忙しく 途方に暮れ 忘れてしまうのです 私は既にその泥から 抜け出しました ロープで皆さんを 引っ張り上げ 再び 風呂に入れられます すると再び私のように 完全に清浄で きれいになります 方便法の 瞑想は 印心と同じように 提供されますか

別の形で 少し別の形です 方便法は 便宜上のものです ある人々は 例えば 菜食が完全に 出来ません アルバイトに行くか 完全就職するか 決心がつきません 彼らは毎日 ほんの僅かな時間 試したいだけです もちろん利益は 完全就職の時ほど 大きくありません しかし 方便法は 今生における 皆さん自身の 解脱を提供します 観音法門を 修行する場合 完全な印心を受けると 沢山の他の人々も 助けられます 皆さんの五、六、七 九世代も含めて 超生できます より多くのお金を 稼げば稼ぐ程 更に 金持ちになるのです アダムとイブを どう説明しますか 彼らについて 説明すべきでしょうか 自分をご覧なさい 分るでしょう 私達自身を見て下さい そうです

印心後 あなたが ここにいないなら どうあなたと意思疎通 すればいいでしょう 常に「ここ」にいます 常に「ここ」にいますよ 分ります 時々 あなたの家で 私を見るでしょう 十分に 集中していればですが

その上 私に 手紙を書いたり Eメールを 送れます 今日では 非常に 便利になりましたが 最良の意思疎通は 内面で行うものです なぜなら私達は 全宇宙と再結合 されるからです ですから皆の問題は 何であれ全宇宙が 知っています 私も知っています そのネットワークに 繋がっているためです 何かを尋ねれば いつでもすぐ その答えを 得るのです でも初めの頃 まだ 確信が持てない時は いつでも私に 手紙を書けます しかし 答えは 常に内にあります 繋がりがあるから 二十四時間電話  サービス無料です そう それが開悟の 不思議です なぜなら 先生が常に 弟子と共にいる 必要があるなら それは不便で十分 力強くはありません 先生がどれほど 力があり 強いか 関係ないからです

先生は肉体によって 二十四時間弟子を 保護できませんが マスターが既に 繋がっている 宇宙の力では 出来るのです 私は 私自身でもなく 肉体でもないのです それが皆さんを 保護していくのです それは私を通して 宇宙のパワーと 繋がっているのです それが皆さんを守り そういう訳で 皆さんがどこにいても その力は知っていて 皆さんを守り 質問に答えるのです 理解するでしょう  叩けよされば開かれん  求めよ されば与えられんと 皆さんの祈りは 常に聞き届けられ 質問は常に 内なる繋がりにより 答えを得られます そして それが この開悟の人生に 存在する不思議です さもなければ 再び 川や大海を越えて マスターを探すことに 価値がありますか どれ程長くマスターと 共にいられますか

マスターはたとえ 印心の後でも 保護し 導き続けます マスターが この地上を 去った後もです それがマスターである ことの意義なのです さもないとマスターに なるべきではないです 沢山の仕事ですから 私達は第三の眼で 千里眼を 習得するのでしょうか

それは大したことでは ありません 子供のお遊びです 目標ではありません これはゴールでは ないのです もちろん 皆さんは 物事を見るでしょう 全てが分るでしょう でも 全宇宙を 見るのです ここかしこの わずかな事でなく 単に自分の未来や 過去だけでなく 皆さんは 全生命力 全宇宙を マスターするのです それがゴールです

私は聖書を理解 したいと思います それだけ(はい) では勉強して下さい 読んでください ええ 分っていますよ 理解するのは 難しいです 沢山の物語と 専門用語があり 一種神秘的な部分が あります 私達が 同じ意識レベルに ならない限り 理解するのが非常に 困難に感じます ただ開悟する事です そのままいて下さい そうすればどのように 聖書の真実の体験に 入るかを 教えましょう というのは  聖書は多くの体験を 記録したものであり 過去の 霊的指導者たちの 悟りの体験です

例えば イエスが 砂漠で四十日間 瞑想していた時に 当然 神と意思疎通を 図っていたのですが 悪魔も彼の所に やって来て 三界の力で 彼を誘惑しました 三界が何であるか ご存知ですか 大変大きなものです この世界も既に 十分大きいですが もし誰かが全世界の 王にしてくれると したら 皆さん それを 受け取りたいですか 当然既にそうしてます

彼も 三界の王の座を 提供されました この世界に加えて もう二つの世界です それが 悪魔が統治できる 全てなのです すると 彼は言いました 「私の視界から失せろ」 イエスが言った事です つまり「あっちへ行け」この種の体験は すみません 私達はたとえ悪魔を 見たくても無理です なぜなら まだ 霊を見られませんから だから イエスが 体験したこと 悪魔に言ったことさえ 何を教えたかを 勉強すべきです 彼の道を歩んで下さい 瞑想するのです 小部屋に入れ は 瞑想の意味で 黙して 正しく祈りなさい ということです 目を一つにしなさい そうすれば全身は 光に満たされます 私は 目を一つに する方法を教えます ここに一つの目を 見出す方法を教えます 天国が見えます 真の命が見えます それは全て この肉体的容貌の せいです 私達は騙されています 真の命を見てなかった でも見えます 本当の目を使えば そのために私はここに 来ています 後でお教えしましょう

悟りを開くためには 菜食者になるのは 重要ですか 重要です まず 愛を生じさせるため 愛を修行しなければ ならないからです 天なる父のように 遍在し 愛するために 私達は全衆生を 愛すべきです これこそが 菜食の背後にある 意義なのです 健康のためでなく イエスや仏陀が 禁じたためでなく 私達が愛の化身に なるためです この惑星上を 歩く神にならねば ならないのです 神が生きるように 生きるべきです ですから神に 近づくために 神は私達を罰しません 類は友を呼ぶです 何かに近付きたければ 私達はそこに 同じ方向に 行かねばなりません 神が全衆生を創造し 自然に死ぬように 私達も そうあるべきです 創造できなくても 少なくとも 私達は壊しません 聖書の 第一の戒律は 汝 殺すべからず  人間のみとは 言っていません  こう言っているのです 汝 殺すべからず 何でも殺しは殺しです 霊治療者について どう思いますか すべきでしょうか

生活のために治療費を 取ってもいいですか 許されますか ええ 霊治療は 患者にとっては 非常に良いのですが 時に 癒し手には あまり良くありません その人は患者の 悪いカルマ(報い)を引き受け なければならず それが非常に圧倒的な ことがあるからです 霊治療は神意識の ある一つのレベルに すぎませんから そこに到達すれば 人々を癒せます そう こうした人が 人々を癒すのには 霊力が強いのです 霊治療者は精神的に 非常に強いのです でも 癒すことなく 癒すために ちょうど イエスがしたように 私達は更に高い所に 高い所に行けます そうすれば 人々に 手をかざさなくても 癒せます ある人が イエスの服に触れたら それだけで 癒されたように 彼女が礼を言うと 彼は「いえ あなたの 心が癒したのです」 彼は決して 主張などせず 天なる父の御業だと 分っていました 「行ったのは私でなく 天なる父である」と それこそが 霊治療の 最高レベルです 様々な治療レベルが あります 自分のレベルに よるのです もっとも偉大な 癒し手は癒しません ただ癒されます その人があなたを 通して癒されるのが 神の意思なら ただ癒されます

マスターや 例えば イエス等は決して 何もしませんでした 彼は信用するように 主張しなかった そう 真のマスターは 非常に謙虚です どうやったら 日々の生活の中で 子供達にこの方法を 嘲笑されないように 教えられますか お話ししたように 人々は嘲笑します たとえ皆さんに素敵な ボーイフレンドや 妻がいてもです なぜ恐れるのですか この生活は長い間 間違った方向へと 導かれてきました それで私達は今ある 私達になっています 私達が世界を 変えられないとしたら 少なくとも 自身を変えるのです 私達の環境を変え 誰であれ私達が 影響を与えられる人を 変えていきます 子供達がこの方法に 進むよう導かれたい なら 私達の義務です 誰が何と言おうと 皆さんはイエスの道を 歩まねばならず 人々は投石し 冒涜し 彼にレッテルを貼り はりつけにしました 彼はこの道を諦めた? いいえ キリスト教徒なら 誰であれ 神の道を歩くのです いいですね 他の衆生の手本にならねばなりません 既に誤っているので 彼らの後には 従えません 彼らは間違っている 皆さんは灯の掲げ手に ならねばなりません 皆さんが変わらねば すると誰か他の人も 変わるかもしれません 最初は受け入れない かもしれませんが 彼らは家に帰り その事を考えます 「ああ この方が いいようだ」と 後で言います

「確かにこの方がいい  よし従おう」と ね 私達は今もイエスに 従っているのです 2千年後です それこそが人生を 送る唯一の方法だから 私達は従ってますが 修行をしてません もっと修行すべきです

神は内在しますか 潜在意識の 心のことでしょうか でなければ何ですか ええ 神は内在します それは意識です 私達なしでも存在し どこにでもいます 神は皆さん自身です 私は神の力を 感じたいのですが 方法が分りません 助けて頂けますか 私は強く 信心深く なりたいのです

ええ あなたが 神を見てこそ 強く 信心深くなれます 見もしないものは 信じられません お気の毒ですが 私は神の見方を 教えます そうすれば 神を信じられますね 神は光です  皆さんが神と 接触している間に 瞑想の間に 皆さんが神のために 取っておいた時間に 感じる愛です そうすると 後でどんどん 毎日毎分 より神の愛を感じ たとえ瞑想を しなくても 歩いている時でさえ 運転中でさえ その愛と一体だと 感じるでしょう それは 素晴らしい感覚です そうやって私達は 信じられるのです そうやって 私達は 信じられるのです 神が一緒にいると どう見るのでしょう あなたはいつ 聖霊と共にいると 感じるのでしょうか 常に感じています どうやって分るか? どのように見えるか

私が見るものは お話し出来ません でも教えられます 同じように見れますね 私が飲んだ物は 皆さんには分らず 私が飲んだ物は 味わえません 私が食べた物は 完全に感じ取れません しかし同じ 食事やジュースを 提供できます それで理解できます

神が物質的な花なら 皆さんに見せられます しかし 神は 花の中にも存在します ここにも存在します 皆さんはこれを 神の美を物質化した ものとして見れます これは神の存在の 物質化したものです 皆さんは神の物質化 したものなのです ですから 

神の物質的側面を 感じたいなら 隣の人に触れてみて 抱き締め キスして それが物理的境界の 神なのです 光 輝き 天国で 神の抽象的な姿を 見たいなら 抽象的な方法で 教えねばなりません 分りますか 二つの方法があります 抽象的と物理的です 物理的には見ています 抽象的には私が教え 後で時間がある時に 一緒に静かに座り それでお教えします 何をすべきかどこで 神に会うか教えます あっという間です どうやって知るのか? 誰かを愛していたら 分りますか アフリカに座ってて 分りますか 神を知るとは そのようなことです 非常に明快です 何のまちがいも 存在しません 私は 自分で見るよう 教えられるだけです 私は物質的には 教えられません なぜなら これは 生命の別の面なのです

マスター 正しい祈りの方法を 教えて 頂きたいのですが ええ  お教えしましょう

三種類提供しましょう 第一は 公的提供です 質問が全て終わった 後で ここで私と しばらくの間座り 神を体験します お望みなら 家で続けます 十分か 五分 好きな時にです 第二が 方便法です 一日三十分の 瞑想をします いいですね 第三が 神を知覚するための 完全な意識的努力で それが印心です ですから選べます

説明に 二時間程かかります しかし すぐに開悟します そして毎日 同様に さらに 高い体験ができます

準備が出来ている人の ために 私はいます 霊的であることと あなたの法門とは どう違うのでしょう 神は私達と一緒ですか 又は私達の一部ですか 印心中 どのように何を 体験するのでしょう 神を見ます 神のある面を見ます それが光です 別の面は 宇宙の旋律の ようなものです 神の話し掛け方は 人間の言語を 使ってでなく 水音のような 旋律的な声で 話し掛けます 聖書には 神が雷鳴や 水音のように 話し掛けるとあります 皆さんは体験します そして さらに沢山 聖書は全てを 記録していませんから 皆 本当に多くを 体験します 千冊の本を書いても 決して十分ではなく ですから 一冊の 聖書では不十分です けれど少なくとも 参考にはなります モーセが神を大きな 炎として見たように  聖ヨハネは三界に入り トランペットの 音を聞きました というように 皆さんは体験し それが分ります

実際 言語で説明できる ものではありません 皆さんは分るのです 神の臨在に近づくと 接触する時 再び思い出す時にです 常に神は近くにいます ただ思い出すことです 世界は今日 戦争や 汚染や病などの 重大な局面にあります 私達はこんな危機を 集合的に作って来て それで大きな栄光を 体験できますか はい でも私達は分ったので 今はもっとうまく 出来るはずです これまでは過ちでした 今 修正が必要です 過ちを永遠には 続けられませんし 「私はこの全てを 創造して 天国を体験するんだ」 とは言えません はい

創造的大破壊の一部と 創造的天国の 一部が存在します そのバランスを 取らねばなりません 環境汚染や 森林伐採や 戦争で 永遠に世界を 破壊し続けられません 目覚める時なのです

私達は既に十分 苦しんできました マスター あなたが この世界を離れたら 何が起こるでしょう 法脈を受け継ぐ 他の人がいますか 誰が 人々に 印心を授け 誰が私達を 導くのでしょうか まあ 心配しすぎです

その時になれば 分ります 神が決定します 引き継ぐ人がいるか 神が決定します そして神が皆さんに 知らせます 準備が整えば 全てが皆さんに 知らされます 準備がまだなら 一千のマスターが 来ても無駄です 準備ができていれば 全てが皆さんに 知らされます 心配しないで下さい 私がここにいる間に 印心を受けて下さい マスターが死んでも 魂は死にません ですから皆さんの 旅が終るまでずっと 導いてもらえます 一人のマスターに 印心を受けた者は そのままです そのマスターが この世を去ろうとも 神の意志で新たな マスターが来ます 聖書の中にあります 「汝の罪を 悔い改めれば祈りは 届くであろう」と 質問は 神はどの ように罪人の祈りを 聞き届けるのかです その質問は少し 本来の質問より 完全ではないようです これは神が生贄にする  ために多くの動物を 殺す人々に語った事の 一部です 彼は言いました 「私に捧げるために 誰が汝らに 雌羊や雄牛を 殺せと言ったのか 汝らの手は 血塗られている 無垢なるものを 殺すのを 止めなさい さもなくば 汝らが祈っても 私は応えない 求めても私は顔を 背けるだろう」と その節にあります 実際 聖書では 生贄にするためや 食べるために 殺生すべきでは ないと述べています 神は私達が楽しむ為に これらを創ったので あって 殺すためでは ありません

いずれにせよ 悔い改めれば もちろん 私達がしたことに 罪の意識を感じるべき だというのではなく してしまった事は ゲームの一部です 神を知る過程の 一部だったのです 今 私達は神らしく ない行為を十分に 作り出してきたので 今度は神らしい 行為に戻らなくては 一度神らしくない 行為を止める決心を して 神らしい 行為に戻って行くと その瞬間 神は私達に即座に 答えてくれるのです 例えば今日のように どれ程多くの人が 罪を犯そうと 関係なく 皆さんの 行いなど私に言う 必要さえありません 印心のために皆さんが 座ったその瞬間 神は全く同様に 皆さんに訪れます つまり悔い改めれば というのは もう二度としないこと すると神は現れます 後でしばらく座れば 今日も現れるはず 実際 皆さんの中に 既に光を体験している 人がいます そうではないですか 体験した人は 手を挙げて頂けますか ありがとうございます おや まあ 霊的ではないですか どうもありがとう アフリカに初めて 訪れました 神は差別しないと 私は言いました 神は私達皆を 愛しています 皆さんが神を 望めばすぐに 誠心誠意に 思慕すれば すぐに現れます  瞑想をしていなくても 私から教わることが なくてもです 神の全ては愛であり 他の何でもないのです 神を恐れないで 常に愛してくれます 神を望む限り 神はやって来ます 私達を愛し 祝福してくれます 神は今後の私達の 人生における全てに 栄誉を与えます ハエやゴキブリ ノミなどの昆虫を 殺していいでしょうか

家の中をきれいに する方がいいです そして家の外に 対策を取りましょう 匂いがあれば 近づきませんから そうすれば実際に 殺す必要はなくなり ますね なぜなら 神は罰しなくても 皆さんの良心が 悔むのです 何かを殺した時 「何てこと とても 小さく無力なものを あのように殺して しまった」と感じ たとえ それ程感じ なくても 皆さんの 良心が夜 目覚める ことがあり 何かに 噛まれている感じが するかもしれません 蟻やゴキブリが やって来て噛み付き 思い出させます 「殺すべきでは なかった」と 夢とは何なのか 説明して頂けますか 夢には 三種類あります 一つは千里眼的な 警告的なものです 皆さんにこれから 起こることを 予知するものです それは非常に深い 眠りの時  自分の未来や過去に より敏感な時です

もう一つは どんな事であれ 昼間に願った事 または昼間や寝る前 沢山考えた事が 夢に現れてくる というものです 昼間の 印象の残りに 過ぎません 最後の一つは 何の意味も ないものです 意味はありません 頭脳があらゆる ごみを集めてしまい 眠る時には 満杯になり それが 漏れ出すのです

聖書にアブラハムの 息子が父のために 動物を殺したと ありました それは罪でしょうか 古代の人々は神に 生贄を捧げるものと 考えていました 現代でも まだしています 人々は動物を更に 体内の神に 捧げるべく 毎日  殺しています

アブラハムの息子が したことは 彼の問題です 私の本分はどんな 動物も殺さないこと

いずれにせよ 人の 生活様式は多様化し 神を知る方法も 選択できるのです 素早くする選択も あれば ゆっくりと する選択も出来ます

それで皆さんに提供 するものが三種類 あると言ったのです ゆっくりのんびり 行いたいという 人達のために 皆さんには永遠の時が ありますから ですから ほんの 少し味見が出来ます ほんの数分のです もう少し真剣な人は 方便法に 進んでください この人生に本当に うんざりしていて 神の他にはもう 何も知りたくない という人は完全な 印心に進んで下さい 分りましたね 私は皆さんを 批判するためにここに いるのではないのです 肉食は罪深い そうではありません 皆さんが選べる 多くの選択を 喚起しているのです ですから今決心します このままでいるのか
この選択を 続けるのか また 次の完全性を選ぶのか 次の選択をするのか このまま続けるのか

イエスは五千人の人に パンと魚を 与えました 魚は肉です それは罪ですか 彼は多く獲れるよう 漁師を手伝いました それは罪ですか 違います 罪は私達が彼を理解 しなかったことです 彼は食べなかった そして魚を食べさせも しませんでした 私達も毎日魚を 食べますが それは 菜食用の魚です それを魚と呼びます そしてハンバーガーと ベジバーガーと 呼ぶこともありますが 時に怠けて呼ぶのです 「ハンバーガー」と 鶏肉のような物や 蒸し魚のような物も あります 全て菜食用です 非常に美味しいです そして皆さんが 菜食者でなくて 初めてそれを 味わったなら 見た目は魚だし 味も魚だし きっとわからない でしょう それが魚だと言ったら 皆さんは信じます ハンバーガーだと 言ったら皆さんは 信じるでしょう

イエスは 何千年もの間 ずっと菜食だった 家系の末裔でした 主の人生について もっと研究したいなら もっと 時間をかけた方が 良いでしょう それから彼は インドに十三年間 学びに行きました 聖書に欠けている 部分で 皆さんは 説明がつきません 彼がインドで学び そこのヨガ行者や マスターは皆 菜食していますから やはり イエスは 肉を食べられますか 皆さんが見逃している 二つの要素です もちろん 聖書が 全てを記録する事は 不可能で皆さん自身も 研究すべきなのです 皆さんが怠けない ように 教会は 全てを机上に 置きました 皆さんは独創的になり 求めねば・・・

イエスの人生を 心から知りたいなら 自分で調べ 多くの 本や歴史 事実を読み 新しい発見なども 見つけなければ なりません とにかく イエスは 弟子にした漁師達に 二度と魚を釣らない ように言いました 彼は言いました 「おいで 人の釣り方を 教えよう」と そう 彼は言いました 「網を置きなさい 人の釣り方を 教えてあげよう」 彼らが 漁師だったため イエスは彼らと話す時 漁師の用語を 使ったのです 例えば「今日は 大きな魚が釣れた」 なら 印心を受ける 良い人がいた という意味です 私達も同じ事を言う ことがありますね

私になぜこうした事が 分るのでしょう それは直接の教えを 受けたからです 理解したいなら 皆さんも直接の 教えが必要です イエスからの 直接教えの受け方を 教えると言いました そうすれば皆さんは 彼と議論でき 彼は魚を食べていない と言うでしょう 可哀相なマスター

皆が 彼はああした こうしたと言います 彼は違うと言い でも 皆さんは 聞く耳を持ちません 同様に 皆さんは それがいかに イエスに困難な事で どれほど多くの人が 彼を悩ませ  彼や弟子を迫害したか 覚えているでしょう 暗号で話さねば ならなかったのです そうです 「今日 大漁だった」とか そんなことを または 「釣りに行こう」とか 本当に釣りをすべき なら 十二使徒に こう言ったりは しなかったでしょう 「それをお止めなさい 私が人の釣り方を 教えましょう」と これで分りましたね ありがとう 主は 他の衆生の 苦しみの原因に なるものを 食べたりしません そんな事はしません 彼は非常に 謙虚な人です 偉大な魂の人でした でも謙虚で 外面では 自己否定していました 生きる為に魚を食べる 必要はなかったのです この惑星に生存する ための食べ物は とても多くあります
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