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死後への即刻の方策 1/3 一九八九年五月二八日 合衆国 、カリフォルニア州、 サンフランシスコ       
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皆様 セミナーへようこそ まず簡単に 私達の マスターチンハイを ご紹介させて頂きます マスターチンハイが 生れたのはオゥラック (ベトナム)の家庭です 幼い頃 彼女は日曜日 いつも 神様と イエス キリストを 厚く信仰する両親と 教会に行きました 平日には 放課後の ほとんどの時間を 敬虔な仏教徒だった 祖母と一緒に過し あらゆる仏教の経典を 学びました この特別な 生い立ちにより マスターチンハイは 幼少時からカトリック 仏教 両方の教えを 受入れてきました

マスターの略歴に つきましては お手元の小冊子を ご参照ください 私自身は ごく幼い時分から 人生の答えを 探し続けてきました 仏教からキリスト教 まで 試しましたが マスターチンハイに 出会うまで 満足しませんでした 彼女は答えを下さり 私を目覚めさせました ありがとう マスター 今夜この部屋に おいでの皆さんも とても早い段階に 私と同じ事を 感じると思います では再び 私達の スプリームマスターを お迎えしましょう

有難うございます ありがとう 私の友人 兄弟 姉妹 お父さん お母さん 彼はボストンの方です 印心したのは 昨年ごろですか (ええ) 去年 フォルモサ (台湾)でです 私達を歓迎するため ボストンから来ました ですから私もあなたを 歓迎しましょうか 今日 皆さんが 休暇から 戻って くるのを見ました そうですね 休暇から戻って きたのですね 楽しかったですか そうですか 最高の休暇は 私達がこの世を 離れる時です― つまり 天国に戻る時です けれど それには 今日 準備せねばなりません それは  長い休暇や 短い休暇で出かける前 旅行かばん 小切手帳 ガソリン 衣類 行く途中と 休暇先で快適に過ごす ために必要なものを 用意する様なものです

ですから 私達の旅の 最後の日の為に 今日 準備せねばなりません この日にどう備えるか 殆どの人は分りません 私達は老後や病気 生命保険の  備えの方法は 知っていますが 死の保険を準備する 人はいません  けれども死の保険こそ 私達が留意すべき 最も必要な保険です 女性が 子どもを産む時 大勢の人が 手伝いに駆けつけます 私達が結婚する時 沢山の人が お祝いに来て 楽しい行事の準備を 手伝います どんな状況でも 私達には 援助と 助ける人がいます 私達が・・・ 何の場合以外でしょう この世を去る時です 死の天使以外 誰も 手伝ってくれません でも 人々は言います 「いえ いえ いえ 私が死ぬ時は 仏陀が祝福に来て 私を仏土に 連れて行ってくれます 私は仏教徒ですから」

クリスチャンなら 「いえ 私が死ぬ時は イエスが私の救世主 としてやってきて 私を神の王国へと 連れて帰ります」 しかし私達は・・・ 仏陀が言った解脱 仏土に戻ることとは 何かを 忘れています  イエスが言った 神の王国に どうすれば戻れるかを 忘れています 今お話ししているのは 新しい事ではなく 全部 聖書や 仏教の経典に 述べられています 私は 本当に 仏土 または 神の王国に入るために 私達が従うべき 助言を強調する為に それに ふれただけです さて 仏陀は  人は仏陀(覚者)に 会わなければ 生死の環を巡り 繰り返し輪廻せねば ならないと言いました 彼はデーヴァ つまり天国の衆生 あるいは人間として 生れるかもしれません 地獄か動物界に 生れるかもしれません でも 仏土ではありません

「仏土」とは どういう意味でしょう 至福の地 最高に幸せな地 或いは涅槃と 私達は呼びます では 仏陀とは何でしょう 皆 仏陀の事は 知っていますが 仏陀の 真の意味について 大多数の人は 深く考えません 「仏陀」とは 何度も言っていますが 梵語の「開悟した マスター」です そういうことです それが仏陀です 開悟したマスターに 会った時 いつも 仏陀に会っています ヘブライ語の 「キリスト」と同様 意味は 「開悟した聖人」 「メシア」「救世主」です 私達を解脱へと導き 神の天国へ 連れて帰る事の 出来る人のことです それで釈迦は 言ったのです まだそういうマスター 或いは仏陀に会って いないなら  完全に解脱する機会 完全に真理 真の世界― 見えない本当の世界 最高の世界―を 知る機会は 極めて少ない 殆ど機会はない あなたは天国 地獄 この世に生れる それだけだ― 八四の世界を 堂々めぐりするのだ―

つまり八万四千種類の 衆生として― けれど 決して 仏陀にはならない 決して 開悟して―本当に 完全に開悟した完璧な 聖人にはならない それが 仏陀が 言った意味です ではキリストの場合 私達は キリストの 神の王国に 帰りたければという 話を忘れています ではキリストは何を? 「私を通さなければ 誰も父のもとに 行かれぬ」 ではその 「私」とは何でしょう 「私」とは 神の息子を意味します 神を完全に知る人 内面で神を 認識する人 心の中で 神の国を発見した人を 意味します

なぜなら 「実に 神の王国は あなた方の中に ある」からです 神の王国は外にあると 言う人はいません 皆 仏陀は あなたの心にある 皆 神の王国は 手元に あなたの中に あると言います それは 仏教や キリスト教の聖典で そう言うだけでなく 他の全ての経典が 同じ事を言います 私はシーク教の経典を もっと時間をかけて 勉強すべきですが ぜひこう言いたいです シーク教の経典は 本当に完璧だと その書物の名前は 『アーディグラント』 中には 世界中の 偉大な古代の マスターのあらゆる 言葉があります そして 彼らは皆 内なる神の力を称え 内なる光 内なる振動 宇宙の音を 称えました 打たない・・・

グルナーナクが言った 「打たない音楽」を 彼は「打たない音楽が 私を養い  賢くし 謙虚に してくれる」と言い  それを知っていました この打たない音楽を 通じて神を知りました グル ナーナクとは シーク教の開祖です 彼はイエスや仏陀と 同様の事を多く述べ この内なる振動を 大いに称賛しました 聖書では「言葉」 仏教では 観音「クアン アン」 「音流」と言います 「音流」と言います そして その他の 全ての宗教の経典に 私は この内なる 音に関する記載を  見つけました 全衆生を解放し 養い 時間が来たら 神のもとに 連れ戻すのです イエスは言いました 「私を通さねば 誰も 父のもとへ行かれぬ」

彼の言う意味は大きな エゴの「私」 傲慢 無知な「私」ではなく 彼が言う 「私」 とは 真の自我であり 目覚めた人 内なる人 光り輝く人 智慧のある人 何でも知る 何でも持っている 何でも作れる 何もすることなく 何でも 成し遂げられる人です 老子の言葉 「する事無くしている」 「為無為」と同様です 「する事無くしている」 状態に達すとは どういう事でしょう エゴを無くすこと エゴがない状態の達成 つまり「私と私の父は 一体である」時です

同じような意味が 「する事無くしている」 或いは仏陀が言った 「布施していると 自分で知らずに 布施する」― それが本当の布施です 或いはイエスが言った 左手で誰かに ものをあげるとき 右手に分らないように するのと同じです すべて同じ 開悟したエゴのない 状態を意味します イエスがこう言う時 「私を通さねば 誰も 父のもとへ行かれぬ」 彼の意味するのは 開悟した人 「私」です イエスはその時 開悟していたからです 私達が彼 開悟したイエスに 従えば 父のもとへ 戻れるのです それこそ彼が 意味する事です イエスがこの世を 去った時 私達は 地球にいる 別の 開悟したマスターに 従わねばなりません ヒンズー教徒 インド人 米国人 どんな国の人でも 関係なく従います

米国人には最近偉大な開悟したマスター  エマソンがいますね エマソンが言った 極めてエゴのない 状態とは何でしょう 彼はこう言いました 「神に宇宙を 支配させれば  肩の重荷が降りる」― 私達が神に宇宙を 支配させればです そして今 私達に 何が起っていますか― 私達が全宇宙を 支配しています 私達は限られた知性と 非常に弱い 物理的な力で 全ての面倒を 見ています それで 疲労困憊で 脳も疲れて 混乱しているのです 神に宇宙を 支配させずに 宇宙も 神も 支配するからです 神にする事を伝えます 毎日 神に言います 「お願い神様 助けて 必ず 息子を試験に 合格させて下さい」 「娘が よい結婚が できるように 面倒を見てあげて 下さい」 「商売がうまく いってない もっと 速く回るように」 毎日 神様に やることを要求します

そして それからは 何も得ず 得るのは怒り 不満 また 時には自分の 宗教から離れます 神が聞いて くれないと思うのです 或いは 私達は 迷信深い人間で 宗教はよくないと 思うかもしれません それは宗教の献身に あかしが 見えないためです しかしどんな宗教でも 敬虔な人は 何らかの解決策や 神の存在する力を 少ないながらも 見出します ですから聖人について よく耳にします サンフランシスコ サンノゼ サンタクララ みな 過去の偉大な 指導者のスペイン語の 名前に因んでいます そうですね サンフランシスコは 聖フランシス 合っていますか スペイン語では サンフランシスコ そういうことです 同じ有名な 聖フランシスの 名前です では 何が彼を 聖人にしたのでしょう

彼を導く素晴らしい 開悟したマスターが いたかもしれません それでとても偉大な 聖人になったのです もし彼が自分で修行し 本当に献身的だったら もう少し低い聖人に なったかもしれません 彼は慈悲深く とても謙虚で とても・・とにかく 神にとても献身的に なるかもしれません しかし 真の聖人 最高位の聖人は 仏陀 グル ナーナク イエス キリストの ようです 彼らは最も高い 階級の聖人です どう知るのでしょう 彼らの生活の模範から 分りますし いかにして 衆生を救うかで 他者を苦痛と不幸の 生死の束縛から 解放させるかで 分ります 仏陀も同時に どこにでも いることができます イエスも同時に どこにでもいられます 彼には瞬間的に 他者の苦しみを 癒す力がありました

シーク教の グル ナーナクや ヒンズー教の クリシュナ 過去の その他の 聖人も同様です 過去の聖人は 数えきれないほど 大勢いるので とても言えません より高い聖人もいれば 階級の低い聖人も います さて「その成果により 汝は知られる」 ですから私達は聖人の パワーとその行為から 判断ができます 聖人は有名になり より偉大な聖人になる と言う意味ではなく― 必要ありません 大抵は 聖人が 生きている時は あまり有名ではなく 多くの嫉妬深い人々に 迫害されます イエス グル ナーナクや シーク教の第十代グル グル ゴビンドシング ゴビンドシングは 彼がした事で 追われて 転々としました 人々を助けたためです 彼は人々に 真理を説き 体験を得た彼らに 崇拝されました 彼の言った事は正しく 彼の言った事は 本当のことであり 騙していなかったと 知ったのです

人々は 開悟の証拠を グル ゴビンドシング グル ナーナクや クリシュナなど その時代の人から 得られ それで 彼を信じたのです イエスを信じたのは 証拠を与えたからです 仏陀を信じたのは 即刻開悟の証拠を 与えて くれたからです それで彼らを 崇拝したのです 崇拝する 弟子が多ければ 嫉妬する人も 多くなり 彼らを 苦労させました そういうわけで マスターが在世の時は 必ずしも その人生が 順調で 気楽で 誰もが彼のもとに来て 崇拝したとは 限らないのです そんな人もいましたが 違う人もいました それどころか 古代 マスターの命を 守るのは非常に大変で 公然とマスターでいる ことも難しいのです

では イエスの 「私」に戻りましょう なぜ皆 彼に従わねば ならないと言ったか というと さもないと 地獄の様な創造のより 低い階級に行くから 開悟したマスターが いなければ 一人で 存在の海を泳いで 解脱の 自由の地の 彼岸に渡るのが 難しいからです これが その意味です 自分で泳ぐことを 学べそうですが 危険です 泳げる専門家に 学ぶ方が良いのです 泳ぐ方法を知り 何度もその川を 泳いで渡れる人です 彼は どこに渦があり どこが危険で どこが深い どこがこれこれで どこの下に 岩があるか分るので  たやすく助けられます 船長のように 何回も大きな海域を 航海したので 分るのです

そして 殆どの クリスチャンは イエスは唯一だったと 信じています 殆どの仏教徒も 同様です 釈迦牟尼仏は 世界で 唯一無二の仏陀で 数千年も 生れておらず 生れて来ないと 信じています 今私達は釈迦が言った ことを忘れています 昨日話しましたが 彼はこう言いました 私は仏陀になった あなた方も仏陀になる 誰でも一世で 仏陀になれます イエスも言いました 全ての衆生は神の子で 私に出来る事は 貴方達にもできる 私よりすばらしく もっと良くできると これがイエスの言葉 こうではありません 私はより良くできる 貴方達は絶対できない 私達はそれを忘れ 自分を見下すのです 私達には内在の王国が ある事を忘れています

では 聖書に あるように 王国が 私達の中にあるなら なぜ内面を見て その場所を探したり 内面で見つけた人に 聞かないのでしょうか それほど容易なのです そして 仏陀が 仏性は内面に あると言い 皆にこの仏性が あるなら なぜ私達は お寺に行き 木の仏像に お辞儀する代わりに 内なる私達の仏陀を 探さないのでしょうか 私達の仏性の場所を 知ってこそ もっと仏陀を 崇拝できるのです もっと熱烈に 釈迦牟尼を 崇拝できます つまり より忠実に より真摯に より積極的にです そして 私達の中の イエスを キリストを 内在の天国を 見てこそ 本当に いかにして イエスを愛するか いかにして彼に 感謝するか分り そして 本当に神を 崇拝できるのです

今のところ まだ 神を知らなければ・・ もし知っているなら お許し下さい つまり 大多数の人が まだ神のことを 知らない時 神は「何でもない」 抽象的な概念だけです 神とは何か分りません 皆 神は愛だと 言いますが 何を愛するのでしょう 愛とは何でしょう 「神が私を愛するなら なぜ毎日 こんなに 惨めなのですか なぜ お金がない時 くれなかった のでしょう 病気の時治してくれ なかったのでしょう 困っている時 神を呼んでも 助けに 来ないのでしょうか」 神と繋がらなければ 私達は神の愛を 知ることができません 私が言いたいのは 私には 皆さんが この愛の力 内面の王国 内なる仏性と 繋がる方法があると いうことです

そして 毎日 その愛が分り それは神の愛だと 分るのです 神は一人か二人の このような長い あご髭を生やす人 ではなく 神は真の愛 L―O―V―Eです それで神は愛と言う時 神と連絡を取れれば 愛されるのです どんな意味でしょう その時から毎日 24時間 面倒を見て もらうのです 一日の毎分 神がいて 愛はそこにあり 私達を取り巻き 私達から発し 私達を包み それから あらゆる 方向へと放出し 多者を利する事が 分るのです それこそ真の愛です 抱き合って 「愛してる」などと 言いませんが 宇宙の 愛の感覚そのものです 皆さんはこの愛を持ち この愛と共に眠り この愛と共に食します 皆さん知っています ただ 決してそれを 語ろうとしません 確信しているので 言葉は無用です それで今私達は あちこちで叫ぶのです 「愛 愛 愛 神は愛 貴方を愛す 誰もが愛し合う」と

ところが 一分後には戦います 沢山語りますが 何も得ていません 皆がこのように 叫ぶが如く 「お金! お金!」 そして何も得ません 百万長者なら あちこちに行って こうは叫びません 「私は金持ちだ!」― 彼はお金を持っていて 確かに知っているし とても確信しています 彼は笑いながら 歩きまわります 皆が お金について話し 通りで わずかの お金で口論する時 彼は笑います こう言います「小さな お金で なぜそこまで 喧嘩するのか」と 分りますか 彼は沢山あるので 小銭で口論することが 信じられないのです 同様に  開悟した聖人が 歩く時 彼は神や仏陀を 語りません― 決して議論しません― 神を知っています 彼は神と共にいます 神の中にいます 彼は 神と一体とも言えます イエスが言ったように しかし その人は  いつも 毎日 歩き回って誇らしげに こうは言いません 「私は神と一体だ」 人々に感じさせません いいえ いいえ その人は とても謙虚で とても愛すべき人で ごく普通なのです ですから

道教では こう言います 「平常心是道」 「平常心は道である」 「平常心は道である」 今 私達は 平常心が道であると 聞き こう言います 「では 私は 平凡な人間だから 平常心があるわけだ 瞑想も 神に祈る必要もない 何もする必要は ないのだ 悟りを開く必要など ない だって 「普通の心が道」だから 「普通の心が道」だから 皆さんが 真の道を 得たときのみ 本当に平凡なのです つまり とても賢明で 平凡で普通― けれど凡人は普通では ありません なぜか? 私達の心は あらゆる考え あらゆる悩み事に かき乱されているので それは「平常心」 ではありません

平常心とは 疲れたら寝る お腹がすいたら食べる その脳波には 悩み事がありません 自分が 悟っていると思わずに 悟っているのです 仏陀だから 自分が仏陀である事を 心配しないし その地位を 自慢しません 皆と同じように 食べて寝ますが 彼は仏陀です 心の中は 普通です すべての衆生に対して とても穏やかで 調和しています 彼には憎しみ 心配 不安 悩み事がありません それこそが本当の 平常心 開悟した人の 心のあり様です 食べている時でさえ 彼らは その体を 生きとし生けるものを 救うため 全ての国と宇宙に 現すことができます 彼らが 寝ている時も その化身は 全宇宙 地獄 天国を 飛びまわります 全ての衆生を救い 全ての衆生を 教えますが 彼はとても普通です それがいわゆる 「平常心是道」 「平常心は道である」 なのです

私達凡人には この道がありません 持っていますが まだそれを十分 認識していません 十分静かで 内面が とても穏やかな人が 道を認識するのです それを知っているから 悟ったのです 彼らは仏陀 聖人 キリストになり 神と一体になりました それが 「平常心」と 「平凡な衆生」との 違いです では なぜイエスは 「私を通さずして 誰も 父のもとに帰れぬ」 と言ったのでしょう まだ彼にはエゴが あるからでしょうか いいえ 彼は他の人を 啓発する目的で 真実を話しただけです さもなければ 気にしないでしょう 彼は疲れ切った体 健康を犠牲にして  多くの無知な人に 話す代りに ただ 話す代りに ただ 食べて寝るでしょう

主クリシュナが バガヴァッド ギータで言及した時 彼もこう言いました 私を崇拝する時 真の解放を 得るだろう 私に専心し 私を崇拝し 私の指示を聞き 私の戒律に従い 私だけを愛すべきだ すると 真の解放を 得るだろう さあ 何だか大きな エゴのようですが 違います イエスの 場合と同じです 「私」は「私」と言う エゴでなく 「私」は 私達の内面の真我で 私達が言う 「本来の面目」 「自分の本来の姿」です 「昨日以前の 私達の姿」 これは禅宗の 言い方です 「私」とは 内面の人 資格のある マスターから 印心を受けた時に 目覚める真我です 眠れる森の美女の話 覚えていますね 彼女は王子が やってきて命のキスを するまで待ち そして目覚めたのです

昔 人々は 公然と 開悟や修行について 話せなかったので たとえ話を用いました そうですね 物語で隠すようにして それを使って 他の人に話せば 彼らの弟子には 分るのです 普通の人々は 簡単には 理解できないでしょう 彼らもこの開悟した マスターについて 修行すれば 理解 できるようになります この集会には 三か国の国民がいます 神 至高の神や仏陀が 私達と一緒になり 三つの国籍と 異なる国々から 少なくとも 私達の非常に忙しい 現代の生活の中で とても慌しい中で 数時間 一緒に座るための 時間を割いて 下さった事は 本当に光栄で 誇りと 喜びを感じます 私は初めてフォルモサ (台湾)から皆さんに 会いに来ましたが 家にいる様な感じです まったく距離を 感じません 皆さんは感じますか  どうでしょうか はい? いいえ? 感じませんね

私は全く感じません 距離がありません まるで 皆さんの事を 長い 長い 長い 長い間知っている様で それで楽しいのです 言葉では 説明できません では 三大宗教の 経典を見ましょう ― 仏教 ヒンズー教 シーク教 または その他 道教― どれも マスター 在世のマスターを信じ 解脱するには そのマスターの指示に 従うべきことを 述べています だから彼らのもとに 参拝しに行くように とは言っていません 言っていません 真実を言っただけです そして 実際 これらのマスターは 人々の供養や参拝は 受入れません 文字通りの 意味だけ つまり マスターの指示を 敬わなければ ならないという事です

従って イエスは こう言いませんでした 「私個人を崇拝せねば ならない」 私を愛するなら戒律を 守れと言ったのです 「私というマスター」を 崇拝しなさいと いうことです なぜ その真のマスターは 人々の供養や礼拝を 受入れないのでしょう 彼らがとても 謙虚だからです 彼らは 皆それぞれ 内なる真のマスターを 持っている事を 知っています それで これら真のマスター 「昨日以前の 私達の真の姿」 内なる王国 真我は 目覚めさせる 必要があるのです それだけのことです そうすると 自分の マスターを見つけます

それを見つけるまで それができなく・・・ それを自分で できなくても 大丈夫です できなければ 自身の内なる自我に 既に目覚めた人に 聞いて下さい とても簡単です マスターとは 内面の真我を 目覚めさせる手助けが できる人です 分りますね 何回も 私に同じ質問をする 人がいます 「内面に 天国があるなら 私達の心に仏性が あるなら なぜ自分で見出せ なかったのですか なぜマスターを探す 必要があるのですか 私は「自分で見出せる なら 大歓迎です」と それはとても大変で 難しいのです 天国への道は 剃刀の 刃のようなものです

それは 道を知る人の助けが なければ 一人では 歩きにくい道です 「狭き道は 解脱へと続く 広き道は 破壊への道であり 多くの人が踏み入る 道である」 なぜ解脱の道を 歩むことが それ程 難しいのでしょうか それは 逆流だからです 「逆流」と呼びます 人々は喜びや 肉体の楽しみの中を 泳いでいますが 私達は反対方向を 泳いでいるからです 逆流を泳ぐのは 難しいことなので 私達は少し強くて 道を知っている人の 助けが必要です その人は先に 少しばかりパワーを 発達させた人― つまり「私達以前」に― その後 私達は 力強く成長し 同じようになります
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