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魂の再会 1/3 二〇〇〇年四月二七日 ニュージーランド 、オークランド       
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こんにちは ありがとうございます 神のご加護を 私はとても感動し 光栄に思います 神に感謝致します 貴国のような美しい国 美しい人々を訪ね 知る機会を 与えて下さって 皆様が来てくれた事に 感謝致します

ええ 私は皆が本当に 感動したと思います それにまた ニュージーランドの 兄弟姉妹がずっと 懸命に働き素晴らしい 今晩の特別な式典を 開催してくれたことに 感謝致します ありがとうございます 神が貴国を 国民を加護し 皆さんが夢の中でみる あらゆる願いを 祝福しますように

皆さんは なぜここに いるかご存じでしょう 誰もが 神とは何かを 知りたいのです そして誰もが私達は どこから来たのか

知りたいのです それこそ実際 私達が なぜここに来たかと いう理由です そういうわけで 私達はこの地球に いわゆる惑星この 物質的な星に来ました 同時に私達が 天国や そう呼ぶとしたら 霊的な惑星と 繋がっていてもです しかし私達は この繋がりを 忘れてしまいました 私達の多くは あるいは ほとんどが この物質的な存在しか 認識できないのです 物質生活 私達が 人生と呼ぶものです 実際 私達は単に 人間であるだけでなく 私達は 霊的な存在でもあり 非常に進歩した 存在なのです ここに住んでいるのと 同時に 私達はまた 異なる意識レベルにも 住んでいます 私達は多くの 偉大な事を行います でも私達のほとんどは 認識するのが困難です 私達の祖先は 例えばマオリの人々の 先祖ですが 彼らは 美しい歌を 歌って下さったのを 今ご覧頂いたように 霊的に非常に発展し 高揚していて 魂の歌です 私達の祖先は 霊的な異なるレベルを 知っていたからです 現代 私達の何人かが 知る以上にです 私達はまだこの品性を 再び進歩させられます 本当は進歩ではなく ただ それを 再び思い出すだけです なぜなら 一旦 手に入れたら 失う ことはないからです

時に忘れたものです それでそれを 思い出すために私達は・・・ 皆さんが望むなら 私は幾らか実際の 体験をお伝えします 少し説明してから でも自身で体験すれば 何千もの 論理的な言葉より ずっと良いと思います しかし私はその事を 少し紹介すべきだと 感じます たとえ神は言語で説明 するものではなくても でもちょうど マオリの祖先のように 彼らは神を 霊的なレベルにおいて 知っていました それは私達の 言語を超え 通常の 理解を超えています ですから彼らは 自身を表現するのに 詩 音楽 歌で 表すのでしょう それはとても美しく 非凡で それを聞いた時 魂が感動します それは彼ら自身の 開悟の内面のレベルを 表すものだからです 内面の 開悟の欠如のために または内面の開悟を 私達の真我を 忘れてしまったために 私達はしばしば 自身を美しい方法で 表現したくても できないことが あります そして私達は時々 自身がしたいと思う 振る舞いや 反応ができない こともあります それは私達が 内面の繋がりを忘れて しまったからです 私達は 自分の人生を いわゆる存在が 偉大で素晴らしい 長く 高く 更に複数の顔が もっともっとあり 複数の品性 表現が あることを忘れました ただ自身が知る この 肉体の存在だけだと 思っています 忘れてしまっています 例えば 例えば ここにある全部が 自分だとします 頭からつま先まで ええ 全体ですね

私はただつま先だけの 指だけの 額だけの存在では ありません 全体が私なのです でも私が つま先 指だけでは完全で ない事を思い出したら これは私ではなく 完全ではないのです 同様にただ この肉体の人間で あるだけではないと 思い出すなら 私達は 完全ではないのです 私は今日ここへ 光栄にも神の許可を得 思い出させることを 伝えるために来ました 私達の父母 兄弟姉妹 弟妹に 私達の全存在を 思い出させるために 来ましたので その方法を紹介します 思い出すのは とても簡単で息をするより簡単で 食事をするより 簡単です 呼吸でさえ 時に 困難なこともあります 鼻がつまったりすれば 私達は息ができません 食べることも 消化不良が起これば 食べられません あるいは私達に 十分なお金がなく 食べ物が買えないなら 問題も起きます でも霊的な財産は 常にそこにあります 常に持っています ただ私達は 外側を見ることや 自らの肉体を 覚えていることや 世俗の仕事の面倒を 見るのに忙しすぎます この世界は全く本当に 肉体的で物質的な面に 私達を集中させて いるのです 私達が自身の存在を 99%覚えてることは 困難です

それはより高く偉大で ずっとパワフルで ずっと奇跡的で ずっと素晴らしく 更に全てであり 神聖で 神性で もっと美しく幸せで もっと恩恵があり もっと至福で 全てが 神のようでありそれが 自分である事をです あらゆる師が ここにやって来て 私達にこう言います 私達は 神の神殿である 神はここに宿る ここで見るものは 全て神で 少なくとも 神の化身です 個々により異なります しかし私達は 神の品性を 自身の神性を 忘れてしまっています 私達はただこの小さな 自身の人間の部分を 覚えているに すぎないのです 例えば私が この指輪が大好きで この指輪を見続け 私はこの指を 常に覚えていて 他の自分を全て 忘れてしまいます それでは いけません そういう訳で私達は 神が分からないのです それは私達が 見るべき場所を忘れて しまったからです それだけです それで私は頻繁に 人々に「開悟は即座に」 と言うのです 皆さんは既に そこにいるからです 仮に 私がここに座り 今 指を見ていたら 私はどれほどの時間で 自身を知るでしょう ここを見なければ どれほどの時間を 要するでしょうか 瞬時ですね それすらかかりません

私がここを見ない限り 私は再び思い出します 「ああ これが私だ この全部が自分だ」 ええ それは簡単です ですから誰も皆さんの 教師ではないのです あなたの教師に なるために来たのでは ありません 皆さんは 既に神だからです 私も忘れていました 三歳 四歳の頃から 私達は 忘れ始めます

本当に自身である 偉大な存在を覚えて いようとしないと  私達は忘れます それで 忘れるのは  非常に簡単なのですが また思い出すのも 簡単です 私は皆に良い知らせを 伝えるために ここに来ています 私が思い出したこと 自身を思い出した事を それでいつでも好きな 時に思い出せます 忘却の状態に 留まりたいなら これも構いません それもいいです 皆さんは神聖であり 神であるからです ショックを与えたなら すみません それは 皆さんの本当の姿です 私を信じないなら 聖書を見返して下さい そして  仏典にもあります 「汝は仏陀であり 仏性は 汝の内面にある」 聖書では「神はこの 寺院に宿る」とあり 誰がそこにいますか 神以外の誰でしょうか 私達がただ寺院であり 神がそこに住んでいる 唯一の存在なら 私達は神でなくて  誰でしょうか いいでしょう 思い出さなくても 良いです でも神です ですから私達が 何をするか選ぼうとも すべての神の中の神  即ち自分を尊びます これらすべての存在の 父である私達は 望む方法が何であれ 私達の神性を生き 表現しようとする 私たちの願望と 選択を尊びます それでイエスは人を 裁くなかれと言った のです 私達はその 人が歩むと選んだ道が 何か知らないからです 人は異なった方法で 神を知るために 自分のしたいことを します

外観上 悪人である 事を選ぶかもしれず または外観上 卑しい人であることを 選ぶかもしれません

または外観上 非常に いわゆる背徳者で あることをも 選ぶかしれませんが それは神を知る その人のやり方です 邪悪なものである事を 選ぶことによって ある日 これが 自分でないと知ります 戻って  すべてを再び 学ばねばなりません なぜなら 私達がいつも 天国に留まり いつも神であれば 自分が神であると 認めないでしょう それで自身を下げる 必要があるのです 例えば この物質界へ降りれば もう一度 自分の偉大さを 認めることができます それは私達の選択で ここに来た理由です それで 私達の疑問 なぜ私達がここに いるかについての 答えは神を知りたいと 思うからです それで 時間が なくなると感じる時 それは私達が再び 自身を思い出すことを 選ぶ時間です それは私達が  霊性の友 霊性のグループ または いわゆる 霊性の師を探し出す 時です それで素早く 思い出せるのです

私達は思い出す方法や どこを探すかを  忘れているので 既に自身を 思い出した友が 私達を助けることが できるかもしれません すると私達は 自分が最高の存在 神以外の何者でも  ないと認めます 私達はこの身体の中に 住み 宿っている 最高の存在を 認めるようになります しかし実際に 神は 身体に宿っている のではなく 神は 私達の体を収納します しかしまた一方  霊的な用語は 決して それほど正確な 科学ではないので  教師が神について どれほど話しても 霊性の友が 私達に内在する 神聖な存在をどれほど 雄弁に表現しても 私達は聞くだけで 理解できません それで 霊性の友 教師 または案内人 また友人はただ理論的 だけでなく実際的に 示さねばなりません 例えば イエスが 地球に降臨した時 彼は弟子たちを両方の 方法で教えました 理論的な方法と 実際的な方法です ですから後に 彼の直近の弟子たちも 奇跡を行えて 天国が見られ 神 創造者の声 言葉を聞くことが できたのです また天国の光を 見ることができ 天に昇って 天使や父なる神を 見ることもできました 父なる神はモーセに 話した父のように 彼らに話しました そして 天使も 彼らに話し掛けました 同様に 私達はイエスの弟子と 同じくらい偉大なので それができました 私達も偉大です 私達とイエスの弟子は 等しく 同じです イエスが私たちは皆 神の子供であると 言ったからです しかし私達は 忘れたので 一人 二人の友人が 時々私達を 思い出させるために 来なければなりません でも私達に準備が できている時だけです 準備ができてないなら 誰も私達のために 多くの事はできません

最後の数日に 多くの偽キリストが 現れて(またですか) 不思議なやり方で導き 選ばれた人さえ 惑わそうと沢山の印と 奇跡を示します 印心なしで あなたが本物か偽者か どうしたら 分るのですか あなたには分りません 私が本物か偽者か あなたには分りません あなた次第です ありがとうございます どう致しまして ちょっと待って もちろん それでも 分かるいくつかの 些細なことがあります 例えばですが 私ではなく あなたがマスターに 会えば すぐに 何かを感じます いい? 感じないかも どちらにしても あなたはその人に 何か良いものを 感じるか 感じません 私達にこの直感があり 時には 道で見知らぬ 人に会って思います 「彼女は良い感じを 私に与える 彼女は 素敵だ 善良な人に 違いない」 また ある人を 最初に見て なんとなく・・・ 少し怖くて その人と話したく ないと感じます こんな直感があります

または私達は家に帰り そして神に祈ります 「誰が善良か教えて ください」そうですね そして 自分の心に従います 誰も教えてくれません 外側からだけ 伝えられ 内面ではできません より高い霊的な レベルにいるなら 鏡のように私を 見ることができます しかし普通の人から 人間の水準では 何も 見ることはできません あなたに私が良いか 悪いかを証明するため ここにいるのではなく 私は あなたが偉大で 優れていると伝える ためにここにいて そして 私の指示に従えば あなたは感じ あなたは見て あなたは知るでしょう あなたが偉大で 優れていることをあなたは自分を 偉大と感じ 神を 知っていると感じます そして もし そう感じなければ いつでも去れます 私はお金を 請求しません 私はあなたの家まで ついていきません 全く電話もしません 私は明日いなくなり 再び私を捕まえるのは 永遠に無理でしょう だから私が良いか 悪いかは心配しないで あなたの直感に従い 偉大なことを忘れず 学び 知って下さい それが 私がここにいる理由で 私を偉大だと思うから ではありませんよ それは 別の問題です 私はあなたが偉大だと 示すためここにいます そしてあなたが自分の 偉大さを知りたければ ただ私の指示に 従ってください 私の後に 従うのではないですよ よろしいですか

マスター私達の子供も 菜食であるべきですか よろしくお願いします 彼らが望むのなら 彼らもまた魂を持ち そして神なのです 彼らがそれを望めば それは彼らが 大丈夫ということです 子供や大人 または だれをも  望んでない場合 強制はできません 私達は論理的合理的に 話せるだけです そしてそうしたいなら 彼らはできます 菜食の子供達は とても健康なので 彼らは そうすべきです

彼女を見てください とても美しいです 彼女は映画スターの ようで 菜食者です 違いますか 美しくないですか 私達の修行仲間は 妊娠したとき 赤ちゃんは 母の胎内にいる時から 既に菜食なのです そして彼らが生まれて 来たとき 近くの 他の赤ちゃんと比べて 最も美しい 赤ちゃんです ばら色で 健康に生まれます 他の子は  時に青白く または紫色で 生まれてきますね ええ 本当です 新生児を 見に行って 時々 彼らは青白く 紫でとても黒いのです でも私達の子は いつもピンク色で健康 そして何より 一番 大きい声で泣きます 毎日十分目覚めている 時間がないとき 私は 瞑想を続けるために 何をしたらいいですか 起きられないのですか (はい)私もです 誰もベッドで快適な時 起きたくないですが やらねばなりません

あなたは働くために 起きねばならないなら そうすべきです 毎月2千ドルのために あなたは 毎朝五時に起きますね そうでしょう 神のためには 起きないのです 私は何をすればいいか 自分の優先的 選択を決めて下さい いつもより少しだけ 早く起きます それで それに慣れていきます 例えば三時に 起きるのは早すぎます 三時には 起きないで下さい

通常五時に起きてから 仕事に行くなら 初日は四時四十分に 四時五十分  四時五五分にでも 起きましょう 翌日あるいは翌週には 四時五十分に起きます 自分をその考えに 慣らし 気前よく 自分に褒美を与えます 例えば 「今日早く起きたら ダブルベーグルを ご馳走するよ」と あるいは「コーヒーを もう一杯」とか 頭脳が好きなものなら 何でもご褒美として あげます 自分にご褒美を与え また自分も愛すべきで それに向かい合います 私達には一つの体しか ありません 時には 非常に疲れています この「機械」を 維持させるため 一日八時間 十時間も 働かねばなりません そして時には 他のことの世話も せねばなりません 例えば家族 妻  子供 両親 友達 隣人 親戚など この肉体は本当に こき使われています ですから  朝 瞑想のために 起きられなくても 自分を許して下さい 自分に厳し過ぎない ようにして 徐々に訓練しましょう テレビを見る時間を短くし 早く眠れば 朝起きやすくなります あるいは 以前 退屈な時に暇つぶしに 沢山やり過ぎたことの その時間を 神を知るために 使いましょう 管理の問題です 私もとても忙しいです 信じられないほどに 私にとっても 朝起きるのは 時には とても難しいことです でも 目覚まし時計を かけねばなりません 時にはそうです 古代インドに 一人の聖人がいました

夜もずっと起きてます

でも横にならず座って 寝ているだけなので 何も変わりません

気にせず 最善を 尽くせば結構です これが物を言います そのインドの聖人 彼はどうしたと 思いますか 彼は私みたいな ロングヘアを 天井に固定しました そうです 冗談ではありません 最後に彼は マスターになりました 非常に努力した為です 髪の毛を 天井に固定し 頭が垂れると 「おお 分った」と そうです あなたも髪を伸ばし それを真似すべきだと 言ってはいませんが 自分なりのやり方を 見付けるべきです 例えば  早く起きるとか 私は 初めの頃は  氷水をそばに 置いていました

容器に氷水を入れて 目覚まし時計が鳴ると 氷水を取って 顔にかけます すると「ああブルブル」 

氷水は服などに 滲み込み ベッドから 逃げ出さねば なりません こうはしないように 自分なりの方法を 見付けてください 何かやろうと決めたら 絶対できます 信じなさい 出来ます あなたは神なので 神には出来ないことは ありません これを覚えてて下さい 神はあなたの内面に います 神以外の 何者もいません 自分の頭脳に 聞かないでください ただのコンピュータで 頭脳は私達に言います 「寝なさい あなたの ためになるから」と でも それは 神の声ではありません 神はその背後にいます 観音菩薩に会った ことがありますか はい あります できない訳はないです 会いたいなら過去の 全ての聖人に会えます でも かなり努力 すべきです 髪の毛を 天井に固定したりね なぜ多くのインドの ヨギが長髪なのか 分かったでしょう

私達は霊的な存在で 人間の経験を 体験しに来ています 私達は完璧に 人生を表現しています 私達は既に神です 神が全てで 二元性がないなら 私達はどんなであれ 何をしたとしても 神の表現です 何もせず 自然に任せ 報酬を求めない 必要がありますか

それは構いません それでもいいですよ 前も言ったように 自分がなりたいように 選んでいるわけだから でも 神は多くの 面を持っています 神はすべての存在の 総計額ですね 自分が神だと言いたい なら もちろん 私達は既に神ですが それは確かですが では指の喩えの話に 戻りましょう 「私は神だから  何もする必要ない」と 言いたいなら それでいいです ただ 私達が外に出て 盗みをしたり 何か不当なことをして 他の衆生を傷つけたり したとします どうせ どんな表現でも 神だからと言って 良い行いをしないで 私達の他の神聖な面を 表現することで 自分を表さないで ただ一点に集中し 物質的なことだけを するとしましょう このような場合 私達は神とはいえ 完全な全特質を 持ってはいなくて 自分を 完全に表すことが できません それが唯一の違いです いったん神の全てを 認識すると まったく異なります この指だけを 見るのではなく 全体を知ります 違っています ただここに座って 指だけを見るなら 違うように見ます

「まあ 素敵な指」 しかし  全身を認識したら 立ち上がって 歩くことができます 歌い 人を抱き締め 愛で人を迎えられます 詩を書き 音楽を演奏し 泳ぐこともできます 健在な人のように あれこれやれます 分かりますか しかし 指一本だけを じっと見るなら 体がここにあっても 役に立ちません 意味が分かりますか それは違います 完全な神を知ることは 「全ては神の意志」と 言うこととは 異なります もちろん あなたは 既に聖人なので 好きなように 選んでください 私はただあなたの 質問に答えています
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