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聖人であるために、何より神を愛さねばならない 二〇〇七年十二月       
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それは実際そのように 真実です いいですか たっぷり瞑想すると 実際空腹を感じないと いうのは本当です 食べたいと思いません 食べ物は好きではない それが私の経験です それで私は大抵 朝食を摂らないのです 四時 五時 六時 八時までという具合に 忙しいかどうかにも よりますが 部屋を出て することがあれば まず働きます 本当にめったに 先には食べません  お腹がすかないのです そして働いて 働いて働いて働くと 少しお腹が すくので ペコペコに なる前に食べます 本当にペコペコに なるまで待つと 食べ過ぎるからです ですから空腹の 六、七割ぐらいで 食べれば そう食べ過ぎません その後は大丈夫で もう夜になります そして 差し迫っていない 仕事をした後 続けて働いて その後瞑想するのです

時々私は 出かけねばならず 寒い中を暫く歩くと 少し空腹を感じるので 戻ってから  何か食べます でも家ですから とても簡素です 話しましたよね ゴマと玄米を 皆のために用意します もちろん彼らは それに豆腐や 作ってある簡単な サラダも食べます 豆腐はこうして 生でも食べられます または時々 飽きたら 少し油と調味料と 醤油で さっと炒めて  玄米とゴマ それにサラダと 一緒に食べます それだけです サラダには 何かのソースや 醤油をかければ 出来上がりです サラダは 色々な野菜を混ぜて 生で食べられます

ですからさまざまな 栄養が得られますね またある日は このサラダで 翌日は 違うのを食べられます 大丈夫です そして それが毎日で 本当に飽きたら 野菜を炒めます 生で食べられないか おいしいと 思えないものをです 生だと おいしくない野菜も ありますから そんな日は炒めて ご飯と食べるのです とても簡単です 沢山はいりませんし 何品もいりません 彼らは時々 何品も作りますが 私には分かりません 私は一品だけです おいしければ それをずっと食べます

大抵は一品で十分です 一種類です 簡素です 簡素で とても気軽です

気軽で簡単です 私のライフスタイルは とても簡単です 何日間か玄米も ゴマも何も食べずに いることもあります サンドイッチと サラダとキュウリ そんな物を食べて 後で果物を食べるか ジュースを 飲んで終わりです そして 空腹でなければ 数日は玄米やゴマも 欲しくないのです 場合によりますが 玄米と豆やゴマだけで 十分です

全く何も 料理しなくても 他に何も食べなくても 十分です 毎日そういうものを 食べるだけで 栄養は十分です 果物や野菜さえ いりません 本当です フォルモサ(台湾)に 知り合いの僧侶がいて 彼はオゥラック (ベトナム)人です 玄米とゴマと塩以外は 何も口にしません ゴマ塩にしたものです 彼はゴマを 大きな大きな袋で 大量に安く買います そして 周りの人が 彼のために挽いて 瓶詰めにして保存し 毎日玄米だけ炊くと 彼は一緒に食べます 他に何か食べるのを 見たことがありません 時々 果物ジュースを 少し飲みますが 人が 作ってくれた時だけで なければ何も食べず 水とゴマと 玄米だけです でも彼は大柄です 私の三倍ぐらいです お奨めはしませんが

そして彼は気功の 先生でもあります 誰も傷つけられません ナイフでも弾丸でも 死にません

気功をする人を 知ってますね ナイフで刺しても むだです はね返すだけですね 彼は気功を教えてます いいですか 教えるのを見ましたが ただ話したり 教えるのとは違います 彼は鉄の棒を曲げたり のどを槍で突いても 平気なのです 最も敏感な場所にも かかわらずです 槍でのどを突いても そこで留まり  少し赤くなるだけです 肌に何かを 当てた時みたいにです ほんの小さな 赤い点だけで 他に何もありません 血も出ず 皮膚に深く 刺さりもしません  槍は赤いあとを 残すだけです 

何かで押すと 赤くなりますから ただそれだけです それも二秒で消えます 血も出ず  あなもあかず 傷も何もありません またガラスの破片の 上に横たわって コンクリートを積み ハンマーで強打しても 何ともありません 赤くなるだけで それも消えます ええ 本当です そして玄米とゴマを 食べて 水だけです ええ 私が証人です それを見たのです 私は最初フォルモサ (台湾)に来た時  彼の寺にいました 日常を知っています ですから もちろん  ごまかしはありません  さまざまな気功や あらゆる事を修行して 生活もそうでした

食べ物だけではないと 思います そして彼は常に いくつかのボールを 使って訓練し 気の調整をしたり していました とにかく 皆それができます 日本にある人がいて 日本にある男性がいて 玄米とゴマの提唱者で オーサワ(桜沢)と 言いますね 何かを修行してるとは 思いません 彼は 私が話した 僧のように大きくも 太ってもいません 彼は痩せていて 七十歳かそこらの時 彼はまだ 世界中を回り 玄米とゴマの食事法を 語っていました なぜなら 彼は  あらゆる病気を 治すと言ったからです ガンやその他 すべての病気も同様に 証明しています 世界の多くの人々は この食事法にならい 病気を治しました しばらく 玄米やゴマを 食べていくうちに 何か他のものを 食べると 体がそれに 合わなくなるようです その方が体が 吸収するのに ずっと 簡素で純粋だからです まさにその通りです そう言われています

でも私は狂信的でも 何でもありません

私は 数日玄米と ゴマを食べました いつでも用意しておき 主食のようですね 他になければ それを食べます それで十分良いですが ただ何でも食べます たいていはそれです ほとんどその食事です でも時々 多様に サンドイッチとか 何かを食べます それにジュースで 大丈夫です ビタミンも取ります 必要なビタミンなら 何でも あるいは 総合ビタミンをとるか 年を取っているなら おそらくカルシウムか 何かを少し取ります 必要だと思うすべてと 補助成分をとれば それで良いです

ここにいるより その方が気分が良いと 認めざるを得ません ここの食物はおいしく 種類も沢山ありますが 食べた後 常に気分が 良いとは限りません とても疲労を感じ 眠る必要さえあります 食べた後 もう機能できません 多すぎて 豊かすぎて 体は全エネルギーを 使って消化すべきで たぶんそれが原因です 自宅にいると とても簡単に食べます 食後 すぐに 働き続けます どんな違いも 感じません でも ここにいると 違いを感じます 食べた後はいつも たとえ 出て来るよう

請われても 私はそう しません できません 多すぎるのです 可哀想なカビール 私が何を話しているか 彼が分かりさえすれば 彼の妻がただ  石を料理したから そうですね

はい妻は ただ 石を料理しました 彼らはほんの僅かでも食糧を借りに行く はめになったのです ええ 覚えてますか 彼は妻を食糧と交換したほどです なんて人でしょう でも彼は分かります 起こりそうでないと 知っていました たとえ起きても 彼は 無頓着ではないです

彼らは 神の教理を 広めるために 何でも売ります ほら 彼は何と純粋でしょう すべての人々が 彼の家に来ても 彼は何か寄付するよう 彼らに求めません 静かに出かけて 妻を売って ほとんど 売りそうになりました

チャパティのためにね なんて 安いのでしょう 体は 体は安いですね いずれにしても 例えば私達が死んだら たぶん 腎臓を 移植のために 売ることができます 約二千ドルくらいです でも 私達の体は そんなものです 腎臓がまだ使えて 心臓がまだ 鼓動していたら  たぶん二百ドルか 約二千ドルで売れます どの部位かによります さもなければ 体は役に立ちません 死んだら役に立たず 誰もそれを買いません たぶん 研究所には 提供できます 学生が研究するために 細かく 切り分けられますが 大して役立ちません

ですから食料雑貨屋の 男が 妻を一晩買うと 期待しても 彼は気にしませんし 彼女も気にしません

二人とも完全に 神に献身しています 自身の体であっても どんな形であれ 神の意志に従い 感覚ある衆生や 他の人々を救うために その体を提供します 彼らは本当の聖人です 彼らは幸運です そのような妻と そのような夫がいて 羨ましくありませんか 羨ましいだけでなく 見習って 同じようにすべきです 古代の聖人と賢者の 物語を読むのは 自身を楽しませるため だけではありません 面白くしますが もちろん私はいつも 面白いですが 内容を 十分納得しています

ただ面白いからとか 自身の娯楽のために 読んだりするのでなく 聖人の生き方や 生活様式を知った上で 彼らの生き方に到達 できるよう努力します それが 人々が 聖人になる方法です たとえ聖人に 生まれてこなくても 聖人になれます 聖人にならい 彼らがしたように 全く同様にすればです 光と音と繋がる法門を 修行すると たとえ最初は暗く ぼんやりしてても 一生懸命に努力すれば あなたはすぐに 偉大な聖人になります 誰もが生まれながらに 聖人の品性があり 使うかどうかです 本当にそうです 神の王国を拒否する 人は誰もいません 本当に望むのなら 誰一人拒否しません たとえ阿修羅界か ちょうど地獄から 戻って来たばかりでも すぐに聖人になります 本当に誠心誠意で 献身的であればです

「全聖人に過去があり」 本当にそうです 「全罪人に未来がある」 神の目から見れば 罪人はいません ただ間違いを犯し 状況がそうさせた だけなのです それはこの世界の誘惑 白檀の木に まとわりつく蛇です ですから私達がすべき すべては ただ集中し 他の何もかもを超越し 本当に神を愛すこと そうすれば あなたは 本当の聖人で または すぐに聖人になれます

これはとても論理的で 簡単な解決法です 聖人でいることは 何も神秘的ではなく 決してそうではなく ただ本当に神を求める 願う それだけです それが唯一 要求される要素であり 神と共に ありたいと思う あなたの真の願いです 心から家に帰りたいと 願うその想いだけです あなたが 考えを変えて 概念を変えて 神が すべての上に存在し 真のあなたの家であり あなたの居場所だと 新しい概念を受け入れ 家に帰る事を願います それが唯一の概念です 心の中で 変えるのです 受け入れるべきです それこそが あなたの人生であり 今からそれによって 生きて行きます 聖人への条件は これがすべてです もう何もあなたに 触れることもできず 変えることもできず 何もあなたを困らせる ことはできないのです

でもどれほどの人々が そうできるでしょうか それが問題です 概念です 心の中の概念を 変えねばなりません 考えを変えるべきです 生きるために働かねば これをちゃんと やらなければ 仕事をしなければ この世で成功せねば という考え方を 神を知るという 概念に変える 必要があるのです あなたはまだ仕事を 続けますが それが 重要点ではないのです 最善を尽くしながら でも これをすれば 神を見出せる やるべきことはやる そうでなければ 放っておこう 神のために放っておく これが真の 放下の精神で 真の出家者の精神で 真の聖人の精神です

ほかにありません では次に行きましょう 第四節です 「全くの無知な者らは 気楽な睡眠を楽しむ だがこれを知った時 未知なるものを知ると 私は災難の中に 落ちるであろう 何も知らない人々は 本当に 全くの無知な人は 気楽に眠れるのです そうでしょう 彼らは皆外へ行き 何かを売ったり 肉体労働か 頭を使う仕事をしたり そうして夜を迎え 月給か 週給であれ そうやって お金を稼ぐのです 稼いだお金で お腹を満たします そういうことです 他に何もありません それで もちろん 眠るのです

しかし未知なるものを 知った人は それまで 神を知らなかったけど 今や神という 未知なる存在に 気づいてしまうと 困難が始まります この詩で「災難」と 表現されているのは 災害や悲惨な状態とは 違います 言うなれば心の中に 起きる動揺のようで 彼はもう神以外は 欲しくないと思います 分かりますか この世的に  文学的に表現して 災難と言っています 仕事を気にしない人 とは どんな人ですか 妻に触れることもなく 食欲もなく 夜も眠らない人とは どういう人でしょう 災難ですね

実際 この世界で そういう人は どう見えるでしょう 狂人と思われますね ですからカビールは そのように言いました 彼は今災難に陥って しまう原因の未知なる 存在を知ったからです でも彼の受け入れた 災難はとても幸せです でないと あのままの 生き方を続けてますね 恋をしてる時と同じで なす術がなく どうにも出来ません 恋をすると何であれ 両親の言葉は聞こえず ああ あいつは貧乏で 悪いやつで お前には釣合わない お前には相応しくない と言われる時と同じ 聞き入れますか 聞き入れませんね

ただその人が 欲しくて 欲しくて この先 どうなろうとも 気になりません 誰か他の人の ご主人に恋をする 女性と同じで どうにも出来ません してはいけない 悪いことだと 分かっていても 傷つくと知っていても どうにも出来ません 分かりますか 神に献身するのは これとよく似ています 愛する 未知なる神を 垣間見ることを 知ってしまったら あなたは引付けられ いくらでも続けて 少しでも時間があれば 座って長時間 瞑想してしまうのです あなたは気にならなく なります 食事も 仕事も 妻も 夫も子供も 何もかもです ですから私は皆さんに 警告するのです この世ですべきこと 仕事は続けて下さいと そうでなければ 皆さんは一日中ここで 座ってしまうでしょう

ですからインドでは こんな制度があります 若い時には 学びなさい 両親の言いつけを聞き そのようにしなさい 人生の半ばでは 結婚をし 他の人と 同じようにしなさい するべきならする そうでないならしない いいえ つまり これが普通の状況です 古いインドの社会では そのように なっています だから誰も文句なく 人々は生活し 制度もそのまま 続きました そうでしょう ですから 何も変わっていません

しかしほんの一握り 全部省略する人がいて

青春時代 学生時代を飛び越し 家族をも飛び越し

第三の時代氷の時代に 直接進むのです 氷の時代ではあなたは すべてを凍結させ すべてを捨てます あなたは直接 道場のマスターの 足元に座るのです もしくは自分自身で 修行します おそらくそれから後 弘法に出かけるます

古き時代の 僧侶と同じです 全段階を 省略したい なら そう出来ます でも一段階ずつ 進まねばならないなら 若いときは学び 人生の半ばで結婚し 子供を持ち 仕事などをするのです 年を取り 引退したら マスターの教えに 自らを捧げ 教えを広めたり そうしないまでも 道場で修行するなど 例えばこのようです

ええ 私達もできます 私が朝昼晩の食事を 一度で済ませる ようにです 時間を節約します 私にはあまり 時間がないので それが便利なのです

だからそれを続ける だけでも良いのです すると瞑想時間を もっと持てます  世界にとって 皆にも 自分にとっても より重要だからです 私も皆さん同様 真の 故郷に帰りたいです 仮に皆が帰って 私が いないと言うでしょう 「マスター  まだ下にいるのですか 手を貸しましょうか」

私は皆の山ほどの カルマ(報い)を 譲られて ここで苦しみ 悪い カルマ(報い)の下に 埋まってるかも分かりませんよ その時は 下を見て 私を助けて下さいね ええ 時には 子供が成長したら 親を手伝いますよね 親は年を取ると 弱くなり 病に苦しみ 長い間犠牲となった だから子供が 世話するのですね ですからもし皆さんが 上に行った時に 私がいなかったら 電話してくださいね Eメールか何か 送って下さいね

いいでしょう では第五節に移ります 別の節です 「科学や知識の ある人は その意識の中で 強烈な混乱が起き 剣を持たない 戦いをして 毎朝目が覚めると 自分と格闘する」 そんなものです よく分かっていますね

それでは さっき彼が言ったのは ひどく無知な人は 楽しく 気楽に  寝ていられるという事 おそらく 言葉の知識や 知的なゴミを 積み上げていない人も よく眠れると 言っているのです その通りでしょう 労働者や そういった世間の 名声や肩書きに 貪欲でない人は 自由に眠れます それで 悟った後でカビールは このことを発見し 労働者のように 手仕事で報酬を得て 気苦労せず 働いて 正直に暮らしました 家に帰ると 食事をして 眠ったのです 罪悪感も重責も心配も ありませんでした 同様に 聖人が そういう状況にいれば 簡素で 単純に考え 野心はありません 一日一日を暮らし 労働で報酬を得て 気ままに眠りました そんな感じです

でも以前はそれを 知りませんでした 彼もまた深刻な 災難にあったのです ある意味では 四節は二つの分類に 解釈できます とにかく聖人の ほとんどがそれを 書いていて 深遠です

繰り返し 調べて下さい でもカビールによれば 知的なゴミを多く 積み上げ過ぎた人は 眠っていても 頭の中の雑音が 多いのです そう言っています 刀も銃も持っては いませんが  全世界と 毎日毎晩 戦っているのです なぜなら あれもこれも 心配しているからです 知れば知るほど より気がかりです 多く考えすぎ 計画を立てすぎて 時々 頭の中で その計画が動き  時々は動かず 騒がしすぎて 忙しすぎます カビールによれば それが毎朝起きて 自分自身と格闘する ということです ゴミが多すぎ 役に立たない知識や 情報が多すぎます それら全てと戦います これは良いこれは悪い これは良いなどと 科学でさえ 常に更新されるので ついていかないと いけません 医療技術でさえ 常に更新され 常に新しいのです なので いつどこが 新しくなったか ついていこうと 奮闘せねばなりません 常に忙しくいつも 忙しく 決して決して 止まらないのです マスター 四節では 神への無欲で 五節の一つでは神の 居場所がありません

ええ そうです 四節では無知過ぎて 神に対して 何も求めず

何も知りません 五節では忙しすぎて 神との時間がなく そのどちらも とても悪いことです でも無知に見えても 彼は違い 聖人のようなのです

聖人や無知のように 見える聖者は 一種の無知なら そうではなく 彼は問題ありません さて 六節ですね 目を見開いて 私はさまよった だが視界を横切る ものはなく 誰の心にも マスターは宿る どうして彼は 難解なままであろうか それについて 何か分かりましたか もう知っていますか 「難解さ」は近寄り 難さを意味します

違いますね それはこうです 彼が瞑想していて だれも彼の視界を 横切らず 誰もその道にいなく 誰も視界を遮らない

彼はマスターの心に 住んでいるからです

それで道において 強いままでいられ 難解さは揺るぎない ことを示すでしょう ええ でもどうしたら 難解なままなのですか

いえ 良いでしょう マスターが 彼の心の中にいれば 隠れられず 現れます 分かりますか 神のために神に捧げた 人にはそれが現れます 難解なままでいられず 隠れられません そうですね マスターは 心を 持つ者の心に宿るので 隠れられません

人々は勘付き 彼らは わかるでしょう 皆さんよく知ってます 何も言わなくても 誰かが寄ってきて 根掘り葉掘り聞き 何かしら 言ってきたり 尋ねてきたりします 隠せないのです 私と同じです 自分自身を 隠そうとしても うまくいきません 身体のまわりの光や 頭のまわりの光が 見えてしまったり するので 彼らは近寄ってきます ホテルでも声を 掛け合い寄って来ます

内にある光を 隠すのは 簡単ではありません 一度光が漏れたら

悟りのボタンを 押してしまったら 悟りとは光が 明らかになることです

あなたの内に 閉じ込められていた 光の存在が 印心のあと こじ開けられ 人はそれを目にします だからです 心の中にマスターへの 献身があるのです いつもマスターを 思うのです 隠しようのない 他人にもそれとわかる 伝わってしまう ものなのです

「目を見開いて 私は 彷徨った だが視界を 横切るものはない」

心にはマスターが いるだけです 心の中には神のみ ですから歩いていても 仕事をしても食べても 人と接する ですが自身は 誰のことも見ていない 誰のことも認識しない という意味です 誰のことも 気にならないのです

恋をしているとき この世の他の女の子も この地球の他の男性も 全く目に入らないで 一切忘れてしまう いつもその人の事だけ 考えてしまうのです 若かったとき 恋をした人は皆 私の言うことが 分かるでしょう

分かりますね 最低でもその週は ハネムーンのとき 蜜月の その一カ月は ハネムーンです オゥラックでは 蜜の週といいます タントラングマット タンは週 一週間のことです 英語では もっと楽観的ですね 蜜月といいますからね

月は一カ月ですね

はい一カ月ですね

蜜月とはもしかしたら 高い月かも知れません なぜなら オゥラックではただ 蜜週と言いますから 私達の方が 現実的でロマンスの 経験が豊かなのかしら

とにかく蜜月が 長続きするといいです ときどき 一生涯 続く事もあります

人間の哲学は このようなものです 自分達に似通って いるものを好みます

それは彼らが 動物を食べる もう一つの理由です また他の人種を ないがしろにするのは 見かけが 違うからです 彼らは すべては 同じであると 学ぶべきですが 時間がかかります おそらくこの世界は 動物にとっても 良くなっていきます

私は全世界に 目覚めて欲しいのです 世界の指導者と それ以外の全員も 目覚めるべき すると この世は天国です
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