智慧の言葉
 
自身の神性を認識する 1/3 一九九八年六月二日合衆国カリフォルニア州アーバイン   
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こんにちは 皆さん スプリームマスター チンハイの  最も有名な本に 「あなたを家に 連れ帰る」があります その題名は 私には まさにぴったりでした 家庭で問題があった わけではありません 両親は共に 中国で科学者として 身を立て  私は非常に愛されて 唯一の妹もそうです 私自身は 名門校を 幾つか卒業し 常に沢山の友達に 囲まれていました 幸せな人生のように 聞こえるでしょうね でも 何かが 欠けていました 心の底で この世に 属していないと感じ 人は私を混乱屋さん と呼びました それで私は 真理や幸せ そして 真の自分が誰かを 探す旅を始めたのです まず 科学を試み 生物学で 博士号を取り 物理学を研究しました すべての根源を  発見したかったのです

進化論 量子力学 ビッグバン論でも 何でも通してです 次に試したのは   哲学 心理学  人類学 歴史  文学といったものです これらの試みが 失敗すると 宗教や 霊修行に変えました キリスト教 仏教 道教 超越瞑想 ヨーガ そして気功まで 各々の修行である程度 真理は得られましたが 究極の知識ではなく それで 私は 依然としてさまよい 自己認識と 人生の 意味に苦しみました うつ病になり 喫煙の習慣が戻り 自殺さえ考えました 私が家路につくには スプリームマスター チンハイが 必要でした

それは一九九三年 インディアナで受けた 電話が始まりでした 一度会っただけの 知人が シカゴから 電話をくれたのです その人は出し抜けに スプリームマスター チンハイのことを 話しました 中国語のその名は 「清らかな大海」 という意味です 何という偶然でしょう 八年前 私は 海に飛びこむ夢を 見たのです 愛と平穏に満ちた 清らかな海でした 目も眩むばかりの 青ですが この世では 想像できないものです その情景は言葉では 説明不可能ですが 

私は涅槃 (最高の天国)を体験し 私は初めて  その夢でくつろぎを 感じたのです しかしスプリーム マスターチンハイは 単なる夢でなく  生き呼吸する存在です でも私は疑ってました 人の頭脳がどう働くか ご存じでしょう その電話を 受け取った次の朝 目を開けると 「在世仏」の文字が 見えました 私の額の辺りで 空中に浮かび 一日中 そのままでした 私の疑いは 消え始めました それがすべて 掻き消えたのは マスターチンハイに 一九九三年素敵な四月 ワシントンDCの ジョージタウン大学で 会った時です

それまでに 私は新しい友人に 電話で  この在世仏と その教えについて 沢山質問をしてました その日の彼女の講義を 聞き すべてが完全に はっきり解ったのです 私はなぜ人生を通して 長い研究をしたのかと 自問した時の 答えは実に単純 そんな感じでした スプリームマスター チンハイのすべてが 私を感動させました マスターの慈悲 自信 天真爛漫さ 智慧 そしてユーモアです その夜 私は印心を受けました その間 私は神の光と 天上界の音を 経験しました

古代から古い経典に 伝えられるものです この出来事は あまりにも圧倒的で 至福と美に溢れ 自分がついに 家に帰り着いたと 翌日まで 気づかないほどでした 親愛なる友人の皆様 私はこの五年 更に成長し 日々 マスターの 教えに対する感謝は 大きくなっています 迷子の魂達を 永遠の家に連れ戻す マスターの無限の力を 今まで以上に  心底確信しています 私の生涯の旅の話で 生徒の準備ができれば 師が現れるという事を 皆さんにお伝え 出来ればと思います 皆さんとご一緒できる のは 大変光栄です それは 今宵皆さんは 旅を終えるからです これは何百万回もの 転生に一度の機会です ありがとうございます

フーファンさんに 続けてご登場願います 観音瞑想について 少しお話しされます 彼をお迎えしましょう ニューヨーク市の ある青年は  両親に勘当されました カトリックの躾を 嫌悪していましたが 観音瞑想を通して 両者の 和解を得ました

大西洋を隔てて 幻滅を感じた妻が離婚 しようとしていました 離婚届を提出する 裁判所の前で 彼女は 「即刻開悟の鍵」の 小冊子を 受け取りました そのページの中に  愛という言葉を見つけ それは 夫との関係を癒す 慰めとなりました 南カリフォルニアの ある家庭では ヒンズー教徒の夫婦が スプリームマスター チンハイを発見します 彼女の中に 全世界の 宗教で信奉される 古代の教えが 具現化していることに 気付いたのです 皆さん この霊的な 道の 最たる使命は 人をより良く 変える力に かかっています

観音瞑想は  修行者の日々の 生活を向上させて きたでしょうか 彼らの優しさ 慈悲 誠実さを 伸ばしていますか 彼らの魂の目覚めは 日々の行いに 活きているでしょうか 言葉を変えると 悟りを どのように 実践するのでしょうか 新聞記者として 私は自分の質問を 三人の観音修行者に あてはめてみようと 思います 皆さんには  彼らの短い証言から 悟りの花が内外に 見られるでしょう 変容その一 傷の癒し 自分を全て知っている つもりだったピーター ステインスキーは 両親を悪く 思っていました

結局 両親は彼を 二十二歳の若さで 勘当しなかったのか ピーターは 人生に確信を 持っていました 一九九六年の夏 彼は大学に入りました 級友が彼に マスターチンハイの 講演ビデオテープを 貸しました 色々な事が重なり 五ヶ月後には 印心を受けました 突然 世界が白黒 はっきりしたものでは なくなりました ピーターはついに 問題の原因は自分で あった事を認めました 彼が何度も薬物中毒の リハビリを 拒絶したために 両親は勘当することに したのです ピーターという 二十世紀の放蕩息子は 一九九七年二月八日に 家に戻りました

六十日間の薬物中毒 リハビリを終えました 彼の両親は 観音瞑想の 癒しの力の 証人となりました そして二人は今 方便法を実践してます もう一つ 近頃ピーターは 再び毎週のミサに 行き始めました 二十六歳で カトリック要理の コースを終えました また聖書を 読破しました なぜピーターのように 神は必要ではないと 確信していた人が 再び霊性を受け入れた のでしょうか 彼は言っています マスターチンハイは 宗教に 正真正銘の 顔を付けたと 彼女は私に 他人を非難する前に 自分の過ちを分析し 自らを批判的に 考察する様導くのです

世界を癒すには まず自身を 癒さねばなりません 変容その二 愛の本「偶然起こる のでない事がある」と シモーヌモチャードは 言っています 彼女の話は 一九九四年に遡ります 彼女は小冊子 「即刻開悟の鍵」を 受け取りました 住まいはフランスの ボルドーでした 観音信奉者に裁判所の 階段で会ったのです 離婚届を提出した ばかりでした 夫のアルジェリア人 三十二歳の マスターファは 七年の結婚生活に 終止符を打つことに なったのです 確かに愛はあったと 彼女は言いました

でも それは誤解で 覆われていました 私達は人に対するより 更に 自らに対して 不正直でした シモーヌは小冊子を なぜ受け入れたか 覚えていませんが それを四回読み返し 本やカセットテープを 郵便で取り寄せ ベジタリアンになり とうとう 一九九六年の初めに 印心を受けました 電話インタビューでは 観音瞑想は私の人生に 最大の至福を 与えたと 語っています お陰で自分の感情と 一つになれました 忍耐と誠実さが 与えられました 意思の疎通は もう 問題ではありません

マスターファと シモーヌは 夫婦の ままでいる事になり 二人は  結婚十年目の昨春  結婚の誓いを 新たにしました 違いはまだ生じますが 今は それを穏やかに すぐ示すのです 二人は 結婚カウンセラーへの 道を歩み始めました 彼らは 人を愛で結ぶ 仕事を始めたいと 思っています マスターチンハイが 彼らにしたように 変容その三 時空を 超えたメッセージを 携えた女性 神はご自分のお姿に 人間をお造りになった と聖書にはあります ゴータマシッダルタは 万人に仏性があると 気づきました

ヒンズー教でも 人間の魂と自我は 宇宙のブラフマンと 神聖に繋がっていると 記述されています イスラム教の聖なる 経典クルアーンでも 永遠の天国に帰りつく 旅路では  男女に差はないことが 明言されています 東洋哲学であろうが 西洋神学であろうが 全宗教が人々の多様な 栄光ある内在の 本性を目覚めさせよう としているのです ダイラルとリーラは この唯一無二の メッセージを 深く理解し インドで 五十年以上多種多様な 宗教の中で 暮らしてきました

パテルス一家は 思い出を語ります 誰もが愛の勅命を 分ち合う事を支持し 命や 平和  誠実さ 慈悲 寛容さの あらゆる形を尊重する 自分達の宗教を持ち 仲良く暮らしてました そしてパテルス一家は 一九九〇年 サン ベルナルディーノに 引っ越し  新しい地域の霊的な 分裂に失望しました 彼らは統一の声を 悟りへの道標を心から 望みました それは 宗教的な一般大衆に 光を与えるはずです スプリームマスター チンハイはその祈りに 応えたのです この女性こそ 異なる霊的な伝統的 教えを 継ぎ目なく 統合する教えを 持つ人だったのです

パテルス一家は 特に彼女のユーモアと 簡素さが大好きで 現実的な悟りへの 姿勢が大好きなのです リーラはこう言います マスターは爽快な 人物です 笑うことも 泣くことも恐れません 女性の師を持つことは 本当に素晴らしいです 神は性別 人種 年齢 人間が作ったいかなる 領域をも超越すると 喚起しているのです パテルス一家は とりわけ観音瞑想に 感謝しています それが 生活の あらゆる面に対する 尊敬の念を 日々 高めてくれるからです

彼らは今 日常の中に 神聖なものを 認識できるのです 悟りとは 教会や寺院 ユダヤ教会堂やモスク また神父らに限られた ものではないと ダイラルは 結論付けています 神は皆さんの中に 他の全てのものの中に 存在しているのです 親愛なる皆さん これら前置きの証明は スプリームマスター チンハイが 観音瞑想の贈り物を 通して私達に与えた 表面的な部分だけです その贈り物とは 内在の静寂と 外在の美徳の均衡です それは善行によって 深められる 信心との 力強い二重奏です マスターは 悟った師として 謙虚に観察し 役目は人々を導くこと 今宵お越し頂いた 皆さまに感謝します 私とご一緒に スプリームマスター チンハイを温かく お迎えください

お越し頂きありがとう それではどこかから 始めねばなりません

私達の人生は大昔に 始まったか 始まった ばかりかもしれません 私達は自分が本当は どこから来たのか 忘れているのです それは 私達のほとんどが 答えられない 唯一の 問いなのです 他の事なら何でも 賢くよく知っています 本からも 学べますし 研究室で 実験できます 化学物質を使ったり 科学的な知識で 解決し 答えを導きます しかし唯一つの答え 最も難解なのは 私達がどこから やって来たかです そしてもう一つ 同じく難解なことは 私達は死後 どこへ行くかです 多くの人にとり人生は 棺の中では終わらない ということは明白です

私達はそれを知っては いても証明できません 古代より  多くの智慧ある 聖人にとって この質問は 非常に簡単でした 彼らは  どこからやって来て どこへ行くのか よく知っています ですから彼らにとって 死の問題は  大した魅力もないし 恐れるに値しません 聖書の中で聖者が 言ってるのと同様に 私は日々死にます 日々死ぬとは どういう意味でしょう 神の王国に入るために 私達が内面へ 引きこもった時が 私達の死ぬ時です 一時的に死ぬのです そして又通常の生活に 戻ってくるのです ですから復活は平凡な 生活の中で いつでも 起こり得るのです

私達が古代の聖者 イエスと 同じ道を辿るなら 私達は一旦 あるいは 日々死んでいるので 別の命があることや この物質世界の他に 別の世界の存在を知り 宇宙を自由に 旅できるように なります 宇宙の神秘を 探検するのです そして死が大した事 ではないと分るのです 実際 私達は決して 死なないと分ります 更に 私達は肉体さえ 持たないのだと 分るのです 不思議に思えるかも しれませんが事実です イエスが十字架に はりつけにされた時 恐れなかったのは その理由によるのです 泣きもせず 命請いもせず 逃げ出しも しませんでした

そう出来たでしょうが そうしたいとも思わず 必要もなかったのです すべてを神の意志に 任せたのです 自分がどこへ行くか 分っていたからです いつでも分っており 死や苦しみなどが 存在しないことを 知ってました 本当の苦しみは 私達がどこから来て どこへ行くのか 知らない時存在します イエスはすでに 知っていたので 肉体的な慰めを 求めるのをやめました 死を恐れることなく 行ったのです 常に 自分がそこにいると 知っていましたから そして肉体は 肉体の目で見るから 朽ちるものなのです でもイエスの智慧には 肉体などと言うものは 存在ないのです

これを証明するのは 非常に難しく 仏陀や イエスのような偉大な マスターが歩んだ 同じ道を辿る以外 ありません 彼らは同じ道を 行きました ですから 同じ事を 教えているのです たとえ私達が  仏教や キリスト教 と名付け 多くの 用語を作り出し 真理を 二つの 異なる領域に分け 私達を混乱させても 実際マスター達は 常に同じ事を 教えているのです 基本的に同じ事です もし私達が リボンや包み紙を ほどいてしまえば マスターの個々の能力 雄弁さなどを 取り除いてしまえば それは 同じものになります

特に私達が 悟った後 あるいは 同じ道を歩き 同じ事を 修行した後では 私達にはそれが 全く同じだと分ります なぜなら両方とも 同じ道を進むからです 例えば 私達が皆 このホールに来て しばらくここで座って 外に出た後で 皆が同じ部屋の事を 説明するのと同じです 何の違いもありません 悟りとは何でしょう とても沢山の人々が 大きな神秘を感じ 非常に讃え 再び自分に取り戻す為 進むべきだと 私達を 強く励ます悟りとは どんなものでしょうか それは悟りと いうものではなく 単なる真理です そうあるべき道 でしかありません

私達がそうあるべき道 でしかないのです そうあるべき道です ですから  私達が悟りを 知らなければ 神を知ることのみが 重要であると その他は重要でないと 気付くまで とても 苦しみ続けるのです 私達が神を知りたいと 思い始めると 神は誰かを 友や 導き手や 方法を教えてくれる 経験ある兄弟などを 送ってくれます どうすべきかが分れば その時こそ 私達が 悟った時なのです 私達は 仏陀や イエスのような 大悟は得られない かもしれません しかし幾らかの 悟りを得たのです そして日々 その行程を進むことで 本当に 偉大になれるのです

その時 イエスが 私達に語った事の 意味を理解するのです 私が為しえたことは 貴方達はもっと上手に  又は同じ様になし得る また 「私と天の父は 一つである」と 私達は皆 神の子であることを 理解するのです 私達は皆 神の神殿であり その中に 聖霊が宿ることを 理解するのです 神が中に宿るなら 私達は何でしょうか 私達は神なのです ではこれが ただの家だとして 神が中に宿るなら 他に誰がいますか 私達や 私や  神がこの同じ家に いられるでしょうか

彼は「私と神がそこに 宿る」ではなく 「私と天なる父は一つ」 と言ったのです 「私と天なる父が 一つ」なら 神を知らずに いられるでしょうか 聖霊がこの神殿に 住んでいるのなら この肉体は単なる 神殿でしかありません そこに住む者は唯一 神でしかないのです 内なる存在者は誰です 唯一の存在です 唯一 神のみです

それが 私達の栄光を いかに取り戻すかを 自身に問い始める時で 悟りが私達に向って 徐々に動き始める 時なのです または 私達が悟りに向け 這い出した時なのです あるいは 走り始め 飛び始めた時かも それぞれ違います ある人々は飛んで行き ある人々は歩いて行き ある人々は電車で 行くかもしれません そういう理由で いわゆる印心の時 ある人々はより大きな 悟りを経験し ある人々は少し小さい 悟りを経験するのです 時に私達は 速く行く事を選んだり 徐行を選ぶからです

どうやって 私達はそれを 選んだのでしょうか 私達は生まれる前に 選んでいるのです この物質世界で 自分の役を演じるため 或いは宇宙のどこかで 演じるためにです 私達は散らばりました 私達は一つでしたが 神の予備軍として 多くに分かれたのです 創造という大計画に 参加しているのです 多彩な人生のドラマを 演じるために そして時が満ちた今 私達の役割は 終わりを告げます 必然ではありません 私達は疲れたしまい 辞めたいと思うのです 家に帰りたくなります 他の人々 他の魂が 私達の役割を 続けていきます

彼らが引き継ぎやがて 私達は帰り始めます それが 開悟した時です とても単純です 私達は神なのです 人生のこのドラマを 演じるため無知で いる事を選択しました 創造を彩り生き生きと 色々なものにし 変化をつけ 面知白くするために また私達が本当に何で あるかを知るために なぜなら 天国には 神しかいません 他は存在しません 私達は神を知りません 私達が神だからです ですから神のようで ないものになりました 私達はここに来る事を 神とは違うものに なることを選択し そうする事で比べられ 私達が神であることが 分るのです

ですから 悟りとは 物理的な宇宙に生じた すべてのものの  目的なのです なぜなら 私達は 神を知りたいから この無知なる役割を 演じるを選びました そうして 本当に神と 私達自身を認識します 世の中にたった一人の 男性しか存在しない なら 男女の違いが 分からないのと 同じです 女性が存在しない限り 男性がどういうものか 分からないでしょう 夜がなければ 昼を 認識できないのです もし太陽光の下だけで 暮らしていたら私達は 闇がどういうものか 分かりません

それが問いであり 私自身が見つけ出した 答えなのです 真意に気づくためには 私達それぞれが 自分のために それを見つけ出す道を 探し出さねば なりません ただ聞いたり 私達は 神であると知っている と言うだけではダメで たとえ 私達が 聖書を信じていても その瞬間 私達は 自分が神であることを 分かっていないのです 理解していますか 皆さん理解してますか ええ 何人かの方は そうでしょう 

開悟してると思います 何人かの方は 他のマスターや 師に付いて勉強し 当然ながら 皆さんは 単なる肉体でないと ある程度 また また 全く肉体では ないとまで気がついて いると思いと思います 時々サマディーの間 自分の体が存在しない ことに気が付きます 存在は分かりますが 体が存在していません 肉体を見つけられない 要素のいかなる痕跡も 見つけられないのです 私達が肉体 骨 体 髪等と色々に 呼んでいる物がです すべてが光であり すべてが神です その時本当に私達が 神だと気付くのです 神だけがこの神殿に 宿っているのです

そして結果的に神殿も 姿を消してしまいます 唯一この意識だけが 私達を幸福に 本当に幸福にします さもなければ どれ程 聖書を読み込もうが 他の師が私達は神だと 告げても関係なく 決して信じられません 私達が本当に 神の子であると決して 知ることはありません また 神の王国が 皆さんの中に 存在することも 決して解らないのです 私達は聖書を毎日読み 聖書を暗記しています 一ページ目~最後まで 暗証できるかも しれません 

それでも 神を知らないのです 私達は毎日知りも しない神に祈るのです 神に祈ります 質問に答えるように 望みを叶えるように 欲望に応えるようにと 私達は始終 そのものであり 私達が祈りを捧げる その対象であるのです そして時々 私達は神に怒ります 神が私達に答えて いないと思うからです 神が望みを叶えて くれないと思うのです 神を知った時のみ 私達はもう神に不平を 言わなくなるのです 神に祈ることさえ 必要なくなります 思う事は何でも 私達のものになります 望むものは何でも 私達は手に入れます もはや欲しいと 望まなくなるでしょう

その時私達は言います 「神は我が羊飼い 我望むべからず」と私達は本当に満足 してしまうからです メルセデスベンツを 運転しようが 自転車に乗ろうが 歩こうが関係なく 私達は本当に幸せで 本当に満ち足ります 内在で非常に豊かに なり 何一つ不幸せに するものはありません たとえ私達が王や 物乞いだったとしても 幸せであり どんな状況でも等しく 幸せでいられるのです 本当に幸福を知ります その時になると 幸福は私達そのもので それは開悟が もたらすものです 私達が耳を傾けるべき 理論ではありません それは経験です

それは知識です 私達が得なければ ならない認識なのです そうでなければ 私達が理解したい 多くのものを 理解できません また 互いに 誤解し続けることに  なってしまいます また個人的な人間関係 仕事上の取引とか 神との愛ある結びつき において 多く苦しむ ことになります 私達は 本当の理解 愛が非常に偉大で 自らの敵が 許せるものであると 解らないでしょう というのは その時には敵がいない と気付くからです 私達は聖書をよく読み 「敵を許しなさい 隣人を愛しなさい」 とあります

しかし その理由が 私達が誰なのか 本当に解るまで 理解できないのです そしてその時になれば 説明は要りません 愛が私達から溢れ出て 光が周りを囲むのです そのようになるのです 私達は愛になり 私達は光になるのです 私達は常になりたいと 思うものになるのです 常に祈りを捧げていた その存在になるのです 神のようになるのです ですから イエスのなマスターが 崇拝される理由は 本当に神のようだから ですから イエスの ようなマスターが 崇拝される理由は 神のようだからです

神に対して想像する すべてを兼ね備えます でも私達も同じように なれるのです イエスが そう言っているので 信じるべきです 彼が私達に嘘をつく 理由はないのです 彼は誰からもお金を 貰いませんでした 彼は当時教会や家さえ 建てませんでした 彼は自らの足で歩き 所有物もありません 彼にはこの惑星の どの魂にも 嘘をつく理由が なかったのです 何でも私に出来た事は あなた達にも出来る 皆 神の子であると 彼は言ったのです 私達は彼を 信じねばなりません 唯一私達がすべき事は 彼が言った事を 認識すべきということ 自分で証明するのです なぜなら 彼は 既に約束しています 方法を発見すべきです この約束を 認識する方法です そして これが 悟りのすべてです 大変簡単です
悟りは 私達の中に 既に存在しています 神の王国は私達の中に 存在するのです 神の王国は 手の届く所にあります いつも手に入れられ 遠い存在でないのです 理解しているかです 昔のマスターは  この世を去っています しかし 彼らの教え 彼らの悟りの系統は 常にどこかで何らかの 方法で 何らかの形で 生き残っています エルサレムに残ってる 必要はありません インドのブッダガヤに 残っている必要は ないのです それは 川のように 地中深くに潜り どこにでも流れて行き 支流となって現れます それは ある所で姿を消し 別の場所で湧き上がり ます 驚異的です だから私達はその川が たった今湧き上がって いる所を見つけ 命の泉の源を手に 入れねばなりません それを知っている人は 知ってる人は幸運です

地中に隠れていたり 惑星の他の場所を 流れていた後で その水や川が 湧き出た場所を 知った人は幸運です 川や水の源は 山に発します 時に それらが突然 姿を消すわけではなく 地中のどこか深い所を 流れているに過ぎず やがて他の場所に 姿を現します 古代のマスター達の 教えも同じです それは消えません 私達の準備が整えば いつでも再びその川を 発見できるのです 友達の誰かだったり 知人であったり 時には 非常におかしなことに 非常に不思議な偶然に その教えの川を 再発見するのです

ある時は スーパーで いとも簡単に 見つけられたり ある時は もう少し困難だったり ヒマラヤに行かねば ならなかったりします ある時は 図書館とか 駄菓子屋さんで 出会ったりするのです 誰にも分かりません 神の為すことは 非常に神秘的です しかし それは常に 私達の利益のためです 私達が皆 ヒマラヤに 行く必要はありません あるいは 非常に遠い 場所に開悟を求めて 行く必要ないのです 神は 私達一人一人に 違った手配をします 私達の望みに応じ 私達の誠心誠意に 応じて 宇宙の書物に 書かれている 私達の運命に 応じてです

私達はここで 悟りの機会を得るかも しれませんし どこか他の場所で 開悟の機会に遭遇する かもしれません ブラザーが 述べた通り 私も 新しく 湧き上がった川に 遭遇できて幸運でした 私は命の水も 飲んでみました 最高の味わいでした 飲んでみたので 味が分ります ですから戻って来て 伝えているのです どこでその水を手に 入れられ 味わえるか 皆さんに教えられます たまたま私が先に 見つけただけのこと ここに座って話すのが 皆さんだったかも しれませんね

でも神の意志は 移動させやすい 小さな女性を 選ぶことでした 小さなものは 長い 移動に耐えられますね どこかに潜んで 川を見つけることは 私には容易いのです なぜ私なのかは 私にも分りません ただいつかは 誰かがどうにかして 発見しなければ ならなかったのですね 皆が同時に 一つのものを 発見する必要は ありません アインシュタイン同様 彼は独自の理論を持つ 唯一の存在でした ニュートンも同じです

一人で十分ですね そして彼は その知識を 全世界に分けられ それで全世界が 利益を得るのです ですから二人の アインシュタインや ニュートンは要らない 太陽が二つあれば 多すぎるでしょう 暑すぎます カリフォルニアの夏は 実に暑いですから 本当に 太陽が二つあったら 過剰です 無用です 太陽は一つで十分です それで私もここへ この知らせをもたらす ため遠くから来ました そして皆さんが それを受け入れたいと 見つけ出したいと お思いなら  喜んでお分けします 完全無償 何の束縛もありません 前にも後にも途中にも 何もありません そういう事 簡単です

皆さん全員が理解して いると感じ取るのです 皆さん自身が 神ですから 私はここに座り 神を見ています ですからとても 幸せに感じます 話す必要ありませんが 万が一 質問がありましたら 他の方のためにも もう少し詳しくお話し できると思います 自由に質問して下さい または皆さんの知識を 私にも分けて下さい それもいいでしょう 手元にある 質問から 始めさせて頂きます 悟ったマスターを お迎えし 質問して 本当の答えを得られる のは実に光栄な事です

彼女こそ真理を 知っているのですから UCアーバイン校の 卒業生として 我がキャンパスに 悟ったマスターを お迎えできて光栄です 最初の質問です 観音法門の瞑想法の 起源について お話し頂けますか さらに  その修行方法も ええ 前にお話したとおり それは神から 来たものです それは 太古の昔より 創造が始まった時から 人生というドラマを 演じ始めた時からです 神は私達に 神の下に 戻る方法を与えてくれ それが事の起こりです

その修行方法ですが 皆さんが後で 残って頂けるのなら より詳しく 説明いたしましょう 細かい点まで 説明すれば家に帰って からも混乱しませんね 私が立ち去った後も 一度全てを理解せねば なりません すると 二度と忘れません 自宅で 自分ですべて 行えます 師の生死も その居場所も関係なく 二度と会わなくても 大丈夫です ですから注意深く 学ぶ必要があります そう長くかかりません すべてを説明しても 二時間ほどでしょう

これは一生のためです ですからここでは 時間が長く取れません 短くお話しすると 観音法門は実は法門と 言えるものではなく それは生来の力であり 私達が神であることを 証明する力です 私達が神の力を 持っているからです ですから印心の時 マスターはただそれを 思い出させるのです そして皆さんは 即座に思い出します それを感じるでしょう パワーを感じます 皆さんを震えさせる こともありますが 自分が神であると 解れば落ち着きます 初めは興奮するかも しれませんが 後に平気になります それが何でしょう 誰もが神なのです 大した事ありません

過去の悪いカルマ (報い)を消す必要は あるのですか ここで暮らし続けて いたいと望むなら その必要はありません しかし元々属していた 場所に戻りたいのなら すべての借りを 返さねばいけません

苦しみで返すか 悟りという薬を飲むか 一度悟りを開けば 過去のカルマ(報い)は 消されますが 現在のカルマは 残ります 未来のカルマ(報い)は 存在しません そうやって神の王国に 私達は自由に 戻って行けるのです 私達をここに 留めているのは 過去のカルマ(報い)の集積です 「カルマ」という言葉の 意味は何でしょうか サンスクリット語で 「原因と結果の」ことで 聖書でいう 「蒔いた種は 刈らねばならぬ」 というものです 私達は非常に沢山の悪い事と良い事の 種を蒔いてきました 太古の昔 時の起源 からそうしてきました

そうやって私達は 存在し続けてきました 私達が払い続け 借りたり 払ったりを 繰り返しているから ずっとそうして きました 過去の借の返済のため 何度も戻って来てます よってこれらを きれいにし 束縛から 解放されるためには 過去のカルマを 消さねばなりません 過去の悪いカルマ (報い)を一度で永遠に 消し去る唯一の方法は 悟りを開くことしか ありません 一度悟ってしまえば 過去は掻き消されます 例えば電気をつけたら 何千年もの間  闇がこの部屋を 支配していたとしても 関係なく 一瞬にして 闇は掻き消されます 過去の悪いカルマ (報い)を消せる 別の方法はありません あまりに多過ぎるから 非常に多いのです それで悟りが本当に 必要になるのです

親愛なるマスター 大変敬愛しています 動物実験について お尋ねしたいのです それについて どう思われますか 動物実験は倫理に 反しているでしょうか 医学実験の ことですか

先ず動物に試して みることでしょう あるいは彼らを助ける ために その種を 研究することですか

医学的目的や美容目的 だったりするのですか

私は何と言えば 良いのでしょうか 全医療制度の反感を 買わせたいのですか

人類を助けるためには 動物実験が必要だと 言う人もいます その意図が純粋なら 私達に誰かを批判する 権利はありません しかし動物の 立場からすれば  それは非常に 冷酷で無慈悲な 行為と言えます 行わないで済むように なることを願います 誰もが悟りを開き 自分自身の内も外も 癒せたらいいです ありがとう 私には魂はありますか ないのならどうして 転生が可能でしょうか 聖書では魂があると 言っています あるに違いありません 生れ変りとは 実際に魂が生れ変る 訳ではありません 魂は永遠に生きてます

死もせず 生きもせず 生れ変ったりしません それは 人生の経験なのです それは 物質と霊が統合する 過程なのです 私達が ここでの いわゆる人生の実験を 試みようとして 存在の知識に 執着してしまいます それが生まれ変わりで もし私達がこの種の 実験から自身を 引き離せないなら 「自身が生まれ変わる」 と言えるでしょう 実際 私達は生まれ 変ったりしません 決して死にません ただ病気にかかり これらのことに 病んでいるだけです たまたま結びついた これらの災難に 病んでいるだけです

そして私達が それから自身を 切り離せないなら 当然 永遠に それと結びつくのです そして因果は 変化し続け  動き続け 大きくなったり 小さくなったりしつつ それを生まれ変わる と言っているのです 十分に悟らなければ そういう事です マスター 職場で 思いを表現したいのに 制圧感を 感じたなら 職場でどのように 振舞ったらいいですか どうすべきでしょうか 職場で大志を抱くのは 間違っていますか あなたがこの事に 光を当ててくださって 感謝します 現実の生活に戻り 仕事のことですね 志と仕事は 悪くありません

志は仕事になくては ならない でなければ どう働きますか どう進歩しますか どう上司や自分自身を 喜ばせられますか どう会社に利益を もたらせるでしょうか 志を持つのは 義務です しかし志を抱くことは 前に進むために 人の頭を踏みつけて 行くべきだという ことではありません そういう事です 志と 邪悪さや嫉妬は 別のものです 私達は志を抱けます 私達は 他人を圧することなく 常に 進歩していけます 私達が 何らかの制圧感を 感じたなら 他人が私達を制圧する 理由を見つけ出さねば なりません

私達が十分要求に 応えてないかとか またはそれが 個人的な問題かどうか または私達をひどく 羨んでいる人かとか 出来るなら 相手に話し掛けます 自分が正しくて 相手が間違っていると 判っているなら 相手に話しかけてみて その人が 良くなれば 彼らを許します 良くならなくても いずれにしても 許すのです そして仕事を続けます この人生において 対立は避けられません それは事実です たとえ個人的な 人間関係においても 時に夫婦間で 一方が成功し過ぎると 妬みは生じます それは 人間の頭脳が 生み出す問題で 魂の 問題ではありません

悟った人が持つ 問題でもありません いいえ(感謝します どうして 毎日二時間半の 瞑想が 必要でしょうか 私たちが時々食べねばならないのと同じです 割合があるのです 多かれ少なかれ 食べ物の摂取量があり 毎日 自分の体を 維持するのに食べます それで霊性を養うにも 一定の割合があり 神の中で あるいは 神の品性の内で 再び強くなるために 毎日摂るべきです 解りますか 必要ありませんが これは処方です 医師の処方箋で 分量が決まっています

多めか少なめで それ程厳しくないです その上眠っていても 瞑想が出来ます バスの中でも 飛行機の中でも 瞑想が出来ます トイレでも出来ます 失礼 そうです 出来ます 出来ます 同時に沢山の事が 出来るのです いつだって 瞑想の時間はあります

あまり好きでもない テレビ番組を見るのを 減らして 新聞の 主要な部分だけを読み 電話でのお喋りを 減らせば 沢山時間が 作れるはずです 寝床にいるのを減らし 時に眠ってないことも あるのですから 朝遅くまで 蒲団の中で寝返りを 打っています そういう時こそ 瞑想出来る時間です 素晴らしく出来ます 寝返りを打つ代わりに ちょっと瞑想し 集中するのです それだけ 非常に簡単 くだらないことを 色々考える代わりに ただ集中するのです

それが瞑想の 方法です 仏陀のように座って 足を組む必要は ありません ちょっとその辺に 横になって集中します 非生産的な時間を どう利用するか 教えましょう あるいは  別の時間  例えば 心が散漫な これらの時間や 何もしないような 時間をまとめて 神を思い出すのに 使うのです とても簡単です あなたはいつの日か 世界に平和が訪れると 信じていますか たぶん三〇〇〇年です いいえ 決して世界平和は 存在しません 

決して そうなったら二度と 「世界」とは 呼ばないからです 天国と呼びます 親愛なるマスター 来て下さり感謝します 直感はどこから やって来ますか どう決定をしたら いいでしょうか 二つの選択がある時 私はとても 悩んでしまいます 決定するのが本当に 難しい時があります その一つの選択が 私の生命を決定して しまうからです どちらを取ればいいか 本当に判らないのです きちんと決めたくても どちらに 決めるべきか 私は判らないのです 時間が必要です

ですから 悟らねばなりません 私達が忘れてしまった 智慧の力を 取り戻さねば ならないのです 沢山過ぎる世俗的な 問題で ビジョンを 曇らせています ですから 私達は優柔不断です 決定が出来ないのは 私達が 分ってないからです きれいでないからです ですから 私達は きれいになるべきです 二時間半を 取っておくのは 毎日 頭脳をきれいにし 本源に戻って行き 神のような存在へと 戻っていくためです すると どれが より良いかが解ります はっきりします 実にはっきりします

一方で あなたがそれほど 瞑想していないなら それでも直感があれば それは神です それは幾らか残ったか 残った何らかの いわゆる 神の智慧です それは 世俗の悩みや 生存への努力に 曇らされる時が ありますが  たまにはっきりします それを 直感と言います いいでしょう 一方で 余りはっきりしない時 リスクを覚悟して おくべきです あなたにとって どちらが相応しいかを 感じ取るべきで あるいはその決定が その決定は どの割合で どちらの方が 相応しいかを あなたの感じ方で 見極めねばなりません そしてただそうします

リスクもあります どうすべきか教える 人は存在しません 神に祈りなさい  そして一つを選びます あるいは 二枚の紙を用意します 左右に置き どちらかを選ぶのです どちらにしても 危険はあります ゆえに 自身の智慧を 自身のマスターの力を 得なければなりません 親愛なるマスター 誠心誠意にあなたに 祈れば 私は永遠の 解脱が出来ますか そう思います でも一人だけです あなた自身が 悟りを開けば 自分と他の人々も 解脱に導けます

一人の人が悟ると 皆さんの 親戚や友達 また イヌやネコまでもが 解脱します あなたが 神の化身に祈っても あなた自身のチケット 一枚しま得られません 本当に誠心誠意なら 自分が誠心誠意かさえ 判らないでしょう 時にそれは 分かり難いことです 聖書の記述通り 地獄は存在しますか どう思いますか 存在しますか 私達の世界を見れば 答えがお分りでしょう 別の所を見る必要は ありません

なぜ堕落しますか 最初の段階で決して 生まれ変わりを 望まないでいられる 純粋な 意識のままで なぜいられないの でしょうか 今日カルマ(報い)を 理解しました カルマとは 借りと預金で  創造主の 計画の一部ですね なぜ神は望みましたか  これ程悪いカルマで 私達が苦しむことを 神は望みません 私達が望むのです 取引の一部です そうする事で 私達は 神と神でないものとの 差を知って勉強します そうやって私達は 光を認識できるのです

私達が再び光の元に 戻った時に 私達はわざと 闇の中に入って行き そうして私達は光を その完全なる輝きと 完全なる意味を 知るかもしれないから 天国を去るのを 一度も 望まない者は ここには来ていません 天国から決して 去らない者もいます 確かにいます 天国を去った事のない マスター達がいます 私達に教える為天国を 去って来た者もいます 何回も転生し マスターになっている 者もいます 決して天の父なる家を 離れない者もいます 私達は選択が出来ます 私達が望んだのです

これに対する 多くの答えがあります 大まかに分けて カルマ(報い)を持つ 大きな目的が 二つあります 第一に私達が 神を知りたいと 思うからです 私達は神を知るために わざとここに来ました 天国で 光に満ちた世界で 暮らしていると 皆が聖者で 皆が神です すると私達は言います 神とは一体何でしょう すると神は言います あなたが神なのです 神はあなたそういう物 あなたは「私には 神が何か分りません 神って何ですか」 神は言い「あなたが 神のような存在です それが神です」と しかし 魂は完全には 理解しません 魂は神に尋ねます 

どうやって神を知るか どうしたら自分が 神であると分るのかと すると神は言います ではまず 自分で神とは 違うものに ならねばなりません で 振り返ってみれば 分るでしょうと それでここへ来ました 私達が来る目的は 私達自身をよりよく 知るためなのです そして もう一つの 目的は創造が始まる前 この世や他の世界に 何一つ出現する前に 神は一つの 計画を立てました 神は創造物を生じさせ 存在させたいと 思ったのです 神がある計画を立て 私達は参加したのです 私達はその壮大なる 計画のどの役割であれ 喜んで演じます

ただお遊びで 命に より彩りを添えるため でも幾らかその役割を 意識的に演じます あるいはわざと演じて そしてある日彼らは 再び神になるのです 神を知るために 沢山の違った役を 演じねばなりません そして一つの役が 別の役に係わります 映画と同じです あなたが 主役だとしたら 脇役も皆必要となり そうでない限り 用をなしません 今の私達にとって 悪いカルマ(報い)は 非常に重く 非常に理不尽に 思えるかもしれません その時になると 大した事ではなくなり 私達は神ですから 苦しみが分りません

私達は悩みが 分りませんし  いかなる望まざる 障害をも見えないです 私達にとってすべてが 単なるお芝居です 本当に演じない限り 苦しみを感じません それはゲームの一部で 宇宙エネルギーの ほんの一部なのです 自分の役を演じないと 私達は存在しません  何一つここにはなく 私はここに皆さんは そこに座ってませんし 皆はブロンドでもなく  私は黒髪でもなく それでは何でしょうか 全てがただ平常です 全く問題が ありません

ですから 完璧なマスターは皆 「天下に何事もなし」イエスは「あなた方は 皆神の子供である」と 何もすべき事がないと 気づいてたからです すべてが完全なのです 私達はまだ気づいて ないので苦しむのです 私達は彼らのように 気づかねばなりません それで分ります それで理由が分ります すると私達は苦しみを 苦しみと見なくなり 依然として苦しみです 誰かにつねられれば 依然として痛いですが 何かのためだと 解っているので 「苦しみ」ません 苦しみの中に 沈みません 

ただ その上に浮いてます 親愛なるマスター妻は 今日印心に来ています 彼女は長い間 菜食をしています 私も試してダメでした 原因と方法を 教えて下さい 奥さんは菜食料理を もっと勉強しに 行くべきでしょう かわいそうなご主人は 美味しくないのに 食べられません ええ悟りは ここからも始まり  ここからだけでなく 私が夫に初めて 私の前の夫に会った時 私は菜食でしたが 彼は違いました 彼は医者で とても現実的で 堅実派でした 彼は牡牛座でした また東洋の  占いでも 丑年なのです 彼は二つの牛に属し 彼は無意味なことを 信じませんでした

しかし 私の料理が とても美味しいので 毎日一緒に食べました 彼は何一つ菜食に 反対はしませんでした 私が世界を救済したい という考えで 彼の元を立ち去った後 ご存知でしょうが 彼は私のレシピを 全部集めて 友達に 料理をしていました 彼はいつも宣伝して 私の妻はこうしてた ああしていたとか 野菜は皆 非常に ビタミンが豊富である 彼は私が残したレシピ 通りに料理をします 西洋人ドイツ人でさえ 彼のように科学的 頭脳を持った医師でも ベジタリアンに なれるのですから あなたもなれます

奥さん達が皆 本当に 美味しい食事を作ると 何一つ失うものはなく スープを例に 取ってみましょう 中華スープだとします その中に麺を入れたり 少し肉を入れたりし その肉の代わりに グルテンの肉や 豆腐の肉を入れます 今はハム(ビーガン)や すべてが魚さえも皆 全くベジタリアンの 食材に見えないほど うまく出来ています ですから 技術の問題なのです 悟りへの道は 胃袋を通って至る と私は信じています

奥様方どうか技術を 向上させて下さい 美味しく作って下さい ご主人も皆と一緒に 食べられます 女性の方が簡単 本当 いったん何かを 信じてしまえば何でも 食べてしまいます しかし 男性は より科学的です もっと現実的なのです 女性のように さほど 感情的ではありません 女性は 感性と愛情と感情で 生きられるのです 女性は食べ そして信じます 味がどうかは 気に掛けません しかし 男性は もっと批判的です まず彼らの味覚を 満たしてあげれ 悟りは訪れます

マスター チンハイ バイリンガルの人が 必要ですが どうか私達とあなたの 霊的なつながりを 説明して頂けますか あなたが亡くなった後 印心してた人が 家に帰り着くと あなたの霊によって なお保証されてますか 保証します 最初に述べたように 私達は体ではなく 私達は霊なのです ですから この体が 去っても生じても 何の差もありません 私達の間に 何の 隔たりもありません 既にお話してるように 印心の時 説明を受けます それで皆さんはそれを 終生使えるわけです 間に何かが 入る余地は もうありません

あなたがそれを望まず 放っておけば別ですが 種は次の人生のために 存在していますから マスター 私の五人の子供達は 既に観音法門の印心を 受けています しかし私は年老いて 悟りはすべての人の ためのものですね どんな必要条件が 満たされればいいのか 誠心誠意が唯一の基準 私達の誠心誠意です 誠心誠意で十分です しかし 時に 余り年老いある一定の 年齢を過ぎてしまうと 時には 肉体や記憶が それほど鋭敏で なくなってしまいます そういう時はもう一度 次の人生で来るように 言うこともあります また方便法を習うよう 言います

それもまた その人を助けられます 完全印心の必要はなく 方便法は一人の人を 保証するだけです 印心は沢山の世代の 保証をします それが違いです 印心を受けることで 自分で修行でき 自分も悟った マスターになれます 非常に沢山の魂も 助けられます マスターなぜ キリスト教は全体的に 転生を信じない傾向が あるのでしょうか 聖書では転生について 語られていますか 語られています 

でも削除されてきて またある人がイエスに 彼がエリアであったか どうかと 尋ねた時 また以前に彼が 何がしかの過去の マスターだったかと 尋ねた時に 彼が過去のマスターの 生まれ変わりかと いう意味ですが 彼は沈黙を守りました それが 聖書の中で 人々が削除するのを 忘れてしまった所です 生まれ変わりが 存在しないという 考え方なら イエスは こう言ったでしょう いやいや マスターが戻って来る ことはない 私が唯一の存在で たった一回で再び 戻って来る事はない 先にも後にも決してと 彼は沈黙を守りました

そういう場合 沈黙はそういう意味で 同意のしるしで 容認のしるしなのです でなければイエスは 弟子達を誤った方向へ 導かないように 説明したでしょう 彼は沈黙を守った 親愛なるマスター ある人が 印心を受けて その人の五世代が 救われるなら 肉を食べ酒を飲んでる 生存中の家族は どうでしょう 彼らも救われますか 彼らも救われます 悲しくも幸運なことに つまり 彼らが故意に 解脱を望まないのなら マスターは彼らを 強制したりしません もちろんです 一人一人が神ですから 覚えておいて下さい 私達一人一人が神です

誰も神に何をすべきか 言える人はいないです たとえ別の神でも その人がどんなに 悪かろうが良かろうが それはその人の決定で 自身が選んだ 人生の道なのです その人がこの役を 演じるのを選びました その人が悪くても 構いません 聖書は私達に言います 「裁くなかれ」と 私達は仏陀になる前に 人類のために あれこれすると 誓ったのです 奉仕すると誓いました しかし 私達は 仏陀になった後で 何らかの理由で 心変わりをしたのです 今や別の見地に立って いるからです 自分の誓いを叶えない 自由がありますか カルマ(報い)の法に よって誓いを成就すべきですか 私達は自由です 望み通りにする 自由があります こんにちはスプリーム マスターチンハイ 私達の上昇を 愛で助けている 偉大なる衆生としての 地球への貴方の考えを お聞かせ下さい

何のために私の意見を 述べるべきですか すべてが神によって 創られています 聖書でそう言ってます 皆「言葉」から 沸き出ます 宇宙の バイブレーションを 指しています バイブレーションが 神であり それが観音法門です 私はそれを教えてます 宇宙の振動力に 全ての創造の本源に 波長を合わせることを 私達が人間であれば 私達は神から来てます 大いなる地球も宇宙の 全てが神から来てます 神の品性を 備えています しかし 別の形を持ち 別の目的を 持ってるかもしれず 分りますね そういう場合には 地球も衆生と言えます あなたが述べたように 大いなる衆生でしょう 私達はここで暮らして 地球に暮らしています もちろん私達は この大いなる母を 尊重せねばなりません

夢の中で悪いカルマ(報い)の 清算をしますか どうやって悪いカルマ(報い)を清算しますか 夢の中で悪いカルマ(報い)の 清算をするのは 神の恩恵がある時のみ それ以外は 大抵の場合 物理的に清算せねば なりません 目には目を 歯には歯をと同じです

あなたが印心を受け 悟りを開いていれば 神の恩恵で 生きているので それほどカルマ (報い)の法に縛られて 生きません ある定まった 悪いカルマ(報い)を除いてはです 例えば今生で 存在するために 特定の悪いカルマ (報い)が必要なように 私達が 維持すべき 悪いカルマ(報い)です それでも それは 一定の範囲まで消され 滑らかにされたり 大いに 軽減されたり また その時にだけ 夢の中で清算されます マスター ある人が 印心を受けて 二時間半の瞑想条件を 満たせずに死んだら どうなりますか しばらくそのクラスに 残らねばなりません 学生と同じです

ある授業に 履修届けを出して 勉強しないと 留年ですね Aを取る代わりに Cになって しまうのです そういうことです しかし それでも 皆さんは大学生です いずれにしても 小学生でも 幼稚園生でも ありません 少なくても 皆さんは 大学生なのです 間違いありませんが ちょっと成績が悪い 私はあなたに 観音法門を 伝授した人について 知りたいのですが その方はイエスの 生まれ変わりですか その方の 名前を 教えて頂けますか ええ 私は随分 昔のテープで 話しています

彼の名前はクーダチ 彼は神の下に帰り イエスは輪廻しません 他のマスターもです 輪廻は私達に肉体を 持った者だけにあり カルマを背負う人々に イエスは転生したとも 言えますし でないとも言えます イエス自身が 生まれ変わるのでは ありません キリストパワーです ずっとやって来ている 人類を助けるために 神の意志で別人で 降りて来ています 分りますか そうだとも言えるし でないとも言えます いいですか 分かりますか  あなたの教えは 一般に宗教とどう かかわっていますか あなたの教えが 私達の宗教への信心を 強められますか ええ 強められます

もう既にお分りですね ここまでお分かりだと 皆さんは  皆の宗教をよりよく より深く理解できます 皆さん自身が悟れば その宗教そのものに 真理になるのです もう一冊の聖書さえ 書けたりするでしょう しかし必要ありません 一冊の聖書で十分です 皆さんはただそれが 真実だと確信し理解し それで もう十分です 夢について話して 頂けますか 何ですか 悪夢ですか 夢に沢山の種類があり 時に悪夢もあれば 良い夢もあります 実際に現実になる 夢もあります 夢は昼間集めた 色々な情報の 単なる断片だったり します それらが全部混ざって ミックスサラダの様に 夢は ある種の未来を 予知したり 過去の事を現すことも あるいは あなたの 深い欲求や願いで あるかもしれません

千里眼です 一種のビジョンです 多くの観音修行者や 瞑想をしている人々は この種の最新の夢 ビジョンのような ものを経験します 夢を見てるのですが 非常に生き生きと したものです 全部カラーで光に溢れ 本当に光り輝いていて もはや夢ではなく ビジョンです 天国に行っている ようなものです 瞑想をしている時に 天国へ行くと  夢のような感じです 目覚めてることを除き 非常に興奮しゾクゾク とても力強く感じ 生命と愛に満ち溢れ 自分でどうしていいか 分からないほどです

誰でも抱きしめ キスしたいと思います してはいけませんよ 人はあなたが狂ったと 思ってしまいますから どうしたら 私達は 過去世での体験を 切り離せるでしょうか 過去世での体験ですか 私が言ったように 印心の時 マスターが 蓄積カルマ(報い)を 消してくれますから もう過去のカルマ (報い)はあなたには ないのです でもあなたがそれを つまみ上げたいなら この人生に 戻って来たいなら どうぞ 私達は神の子である 私達皆が神であると あなたが言う その意味をはっきり 説明して頂けませんか 私達は既に神なので 神を崇拝する 必要はないと いうことでしょうか そうではありません

神が誰なのかを 認識すれば 私達はもっと 神を崇拝します それは何と愛らしい 存在でしょうか 何と私達に 近いことでしょう 全世界の最愛の友より 近い存在なのです 自分の皮膚より近い その時に皆さんは 本当に神を崇拝します より真の崇拝という 意味においてです 今 私達はただ神に 命令をしています

どうかお金を下さい どうか私に妻を与えて 仕事を下さい どうか どうか 私達は毎日ただ 命令しているだけです 実際 私達は 神を知らないのです 私達は神です しかし まだ神ではないのです ですから  まず神を知って下さい それから私に 後で質問して下さい 神を知った後で 私に話をして下さい どのように人間の愛が 悟りにおける役割を 演じるのでしょうか

愛されるのは素敵です 人からであれ 動物からであれ 常に私達は愛されて います 誰にとか 何にとかは関係なく 私達を愛すのは神です 人間の愛も 母の愛も 同胞愛もありません 実際それは皆神の 愛なのです 分割され 縮小 変化しています インドのバガバッド ギータという 非常に古い聖典で 五千年も前のものです 神はアルジュナに 神の愛は母や父や すべてを通して来て いるのだと言います

私達を愛するすべての 人が私達を愛している 神なのです そう害は何もなく 助けになるだけです 誰かが私達を愛したり 二人の人が 愛し合い 共に悟ったら それは非常に有効で 素晴らしいことです 進化論について どうお考えですか 問題点は何でしょうか まあ科学者ではないし あなたは私達がサルや そういう物から生じた と言いたいのですか 私達は皆神から生じた のです いいですか

私達は神の姿に似せて 創造されました それがすべてです また神は同様に動物も 創造されました 神はそう言っています 聖書の第一章で そうではないですか 第一章 旧約聖書の 一ページ目にあります 神は人とすべての果物 青草を創造したと ああ ついでながら 神は菜食についても そこで述べています 神は言いました すべての果物と青草を 野に創造し それらは 汝の目を楽しませ 味覚を喜ばせると それらが汝の食物だと また神は言っています すべての動物のために 私はまたそれぞれの 食物を創造した どうですか 私達が動物から進化 したとは述べてません 神は私達が 動物の世界の統治者で あると言っています 私達は彼らの王です ですから進化論の ようなごちゃ混ぜは ありません 私達は人間なのです

いいですか 動物も 神から生じています しかし彼らは 人間ではありません

今生で完全な 悟りの境地に 到達することは あなたがしたように ヒマラヤへ 行かなくても 可能でしょうか 私達が 七年以内に悟ることは 可能ですか あなたは これ程完全で慈悲深い マスターですから ヒマラヤへなど 行く必要はありません すでに言いました 私のカルマ(報い)で 行かねばならなかった でもあなたのカルマ (報い)は良いですから ここに座りソファーで 開悟できるのです そして 七年かかることもあり 七ヶ月のこともあり あなた次第です あなたの運命次第です すなわち あなたの選択 前世で あなた自身がした事に よります 私は介入できません

あなただけが知ります あなたは満足します あなた自身が 選択したこと ここへ来る前に あなたが選んだことに なので急がない事です 何があってもそれは あなたの選択です あなたと神はすでに 契約を結んでいます あなたが七年だろうが 十七年かかろうが 二〇年かかろうが 何であれ 私達は永遠に生きます 問題ありません 何年かかろうと しかし  悟りは印心の時に 即座に起こります それが 完全な悟りか あるいは 時に 多様になるかは その人によります

どれほど早く家路に 着きたいかという 熱心さによります 車を所有していたなら 早くもゆっくりも 運転できますね   七年か何年かかるかと 聞かないで下さい 関係ないのです 関係がありません 悟りを開いた その瞬間から 毎日どんどん幸せに なっていくのです 何年かかるかなどと 思い煩ったりしません その時にはもう 悟りかどうかという ことすら考えません あなたは神を知り 幸福を知るからです あなたはただ幸福で 満足するのです

世俗の悪魔や 否定的なカルマ (報い)を 人々が使う 紫色の炎を マハトマエネルギーの 黄金の光を通して 善や肯定的なカルマに 変えることは できるのでしょうか 否定的なエネルギーは 私達にとって神を 認識するのに必要です 私達は選択します 闇を知ることを 光を認識するように 選んできました ですから 私達は言えます 私達は変えます 否定的なものを 肯定的なものに そうでなければ 否定的なものは否定的 肯定的なものは肯定的 もう闇は光である というような 言い方はできません しかし闇は 光が輝くのを 助けるためにあります それで分かります ええ私が思うに 質問者が意図するのは 瞑想中に光を見ること だと思います

それは否定のパワーを 中和できますか もちろんです その事を言っています 光が来ると 闇は掻き消えます それが紫色の炎か 金色の炎かは 意識のレベルに よります 紫の炎は 少し低めのレベルで 金色の炎は より高いレベルです

それは分るでしょう 瞑想をしていくうちに 分るようになります あなたは天界と その光を超えた所まで 行った事がありますか どんなでしたか 私のチョコの味を 知りたがってますが それは不可能です 食べたのは私だから そうですね でも私は別のチョコを 持っていますから どうぞ味見して下さい 私はそれが甘い塊で 美味しかったとは 言えますが 聞いただけでは 分りません 食べてみるべきです そのチョコを食べて 印心を受けて 瞑想をして そうすれば分ります

不可能な事は 何一つなく  人間に不可能な事など 全く存在しません 人生において 私達がひどい 手かせ足かせに なっていると思う 悪い習慣を直すのに 最も効果的な方法は 何ですか それは難しいです しかし 悟りを開けば お話したように 物事は変って行きます 速く変わります 非常にドラマチックに 変化します そうやって 聖人は作られるのです それでこんな言葉が 世界には存在します すべての聖人に 過去があり すべての罪人に 未来があると 神を信じ 神の恩恵を 受取って下さい

熱心な修行を通して あなたの中にある 導きの光を通して あなたの中の神を 通せば全ては可能です 皆さんは自身を死から 復活させることさえ 出来ます 自分の病気を治せます 習慣のみならず 末期の病さえ治せます 神の光の中においては すべてが可能です ですから私は 非常に良い知らせを 告げために来たのです 養子縁組をしたら どちらの家系の世代が 救われるのでしょうか 遺伝的か養子の家系か 遺伝的な家系ですが 養子の方も救われます 私は皆さんの愛犬や ネコでも利益を得ると 言いました 判る時が来るでしょう

からかってはいません 皆さんが飼う犬猫が 悟りを得るのが 判るでしょう 彼らは変わります 彼らは皆さんの隣に 座っていて共に 瞑想します そうです 聖なる猫になるのです 彼らでも菜食に なりました 雑誌を読んで下さい そこには 沢山の実話があります 掲載してある事は すべて実話です そして その証人は 皆まだ健在です そこで 皆さんは 現代の聖者達に 会うのです ネコや犬でさえもです 大変抜け目ないのが 観音法門なのです あなたの友達や遺伝的には関係のない 恋人達でさえも 皆さんの修行や 皆さんの光から 利益を得るのです なぜなら神の恩恵は 非常に寛大だからです

想像にも及びません 驚異的なのです 印心をし 修行を始めたら 家の中に侵入した虫や ネズミ等の駆除殺生が 出来ないのでしょうか 雑草を取ることは どうでしょう おやおや ええ シロアリが引っ越して しまうこともあります 自分の家をきれいに 衛生的にしていれば 彼らを殺す必要は ありません 雑草を取ることは 出来ます ただ神の名を唱えて すべき事をして下さい

他にも沢山の場合 私達修行仲間では 瞑想をしていると 私には分りませんが 害虫が皆去って行き 虫などが 近づかないと言います 大変便利で経済的です すべてが私達をそっと しておいてくれます 離婚を どう思いますか 悪いと思います 離婚は 愛情関係を持った者の 最終解決策です 起きてはならないと 思いますが 互いに上手くやる事は 大変難しいです 男性と女性は大変 異なるものだからです 男性はより冷静で 男性はより冷静で 率直で単純ですし 女性はより感情的で ロマンチックです ですから兵士と美女が うまくいくことは 滅多にありません

でも和解のためには 沢山の方法があります 結婚カウンセリングを 受けられますし それに関する本もあり もちろん  瞑想もあります それは大きな和解と 変化をもたらします 互いが変わったことに 気がつくでしょう 愛と理解が深まり 要求が減ります 双方がほぼ同じ レベルになればです さもなければ二人には まだ対立が残りますが なお愛し合っています 内在の平和を修行して ない他の人のように 離婚という手段を 取ることはありません 彼らはより離婚率高で 私もあの時に 悟りを得ていたら 夫と離婚は しなかったでしょう

そうです 悟ると 自分の結婚相手に 更に感謝の思いを 覚えます 印心を受けて 沢山の家庭内の対立が なくなっています 夫婦で共に瞑想すれば 双方が神だと気付く為 大変な助けになります 内在の愛が溢れ出て 男女間の違いなど 皆覆い尽くすほど 大きくなるのです 皆さんは互いに 愛し合うことを学び 神として互いを尊重 することを学ぶのです 肉体的な愛とは別に もう一つの聖なる愛が あり それが皆さん 双方を結び付るのです より愛情深くし より責任感を持ち 互いの感情や必要性に より敏感になります

悟りの鍵を持って いるにもかかわらず 神意識への移行に 失敗したら どうなりますか その場合そうですね 後で再度試すでしょう あなたの時間が来た時 すべての人には  その人の時間があり いいです急がなくても 私達は永遠ですから 第二界を超えると カルマ(報い)が なくなるというのは 本当ですか 自分のカルマ (報い)に応じて 世俗の中で暮すなら 私達に カルマ(報い)が なくなっても 世俗で暮らせますか カルマ(報い)が なくなるのは 三界を超えてからです

カルマのないレベルに 到達すると二度と どんな(報い)にも 関わりません しかし今 皆さんを 現世で生かしている 現在のカルマ(報い)は この世を去る日まで 続いていきます 時間が終われば その時 悪いカルマ (報い)が消えたことになります 留まる必要がないので それは悪いカルマ (報い)が消えたことを意味します しかし 第三界に 到達した時 その型の人になって 決して いかなる悪いカルマ (報い)にも 関与させない精神性の中にあるのです

そういう意味です 皆さんはごく自然に 善の中ですべてを 行うようになります 即座に死ぬという わけではありません 現在のカルマ (報い)がまだ 存在しているからです 今世のため 記されたカルマです 何歩進まねば ならないか 何回呼吸しなければ ならないか どれほど  食物を摂取すべきか 何日生きねば ならないか すでに記されています 私達は消しません 望めば出来ますが 何のために ほんの もう数年かもう数日 生きるだけなのに なぜ急ぐのでしょうか どうせ今回で終りです

親愛なるマスター 私は瞑想を修行し 教えたいと思ってます しかしまた  沢山の物質的なものも 抱えています どうしたらいいですか 私は瞑想を 教える以外で 生計を立てたいとは 思いません アドバイスを下さい 素晴らしいですね どなたですか (私です)あなたですか 今 教えて いるのですか(はい) それで 幾らか収入を 得ているのですね はい 十分ではなく 不十分ですか (ええ) どうしましょう

生徒さんを 増やさねばならない あなたは尋ねる人を 間違えています 私は教えることに お金をもらいません どうやって生計を 立てているのですか 色々な方法でです 生計を立てるために 稼いでいます 洋服デザイン 絵画 他に何をしてましたか 宝石デザイン はい 沢山の事をしています それでは 生計を立てるために 瞑想を教える以外に 別の事をするようにと そうです 私達が いつでも神の道を 無償で教えられたら 私はその方が より高尚だと思います

個々の中に生来 あるものだからです 出来ればそれで生計を 立てるべきでないです あなたがお金に困って 人々があなたに 献金をするというなら いいでしょう それも神の贈り物です でも 私は個人的には お金は要求しません 私はお金をもらうのを ひどく恐れています 小さい頃から心地良く  思って来ませんでした 古代からの どんなマスターも お金を貰うことを 許されてはいなく 与えることになって いますが貰いません

しかし  他の瞑想法を教える 普通の教師なら 害はないと思います でもマスターとしては 何一つ貰わないほうが 良いと考えます 仏陀は一日に一食だけ 托鉢していました 仕事をしてなかった ので最小限のものを 貰っていました お分りでしょうが そうせねばならず 当時 彼には 弘法するのと同時に お金を稼ぐ手段が なかったからです その上彼は出家者で 出家者の 伝統として 托鉢をするのです 人々はそうやって 出家者を敬うのです ですが 現代において 皆さんが食物を 請うたりしたら 警察に捕まるでしょう

ですから 出来ない 物質的だからでなく デザインでお金を稼ぎ 生計を立てるのは 物質的な観点でなく 現実的なのです 現代に 生きているのですから 現代の人々に合わせて きちんと体裁良く 装う必要があります 物乞いのように 見えたら 誰も私達を 受け入れないからです 道端で 物乞いは出来ません 人々はそういう人を ホームレスだと見なし 皆さんを 尊敬しません どう教えられますか 分りますね 他の皆がやってる様に きちんとすべきです 私は出家者の 時でさえ お金を稼いでいました

人にお金を貰うことが 正しいと思わないから 私は違ったことで お金を稼ぎました 当時は 野菜を育てたり 編物をしたりしました 私は一人でしたし 移動費用もあまり かかりませんでした 当時 私も 一日一食だけでした ですから 非常に 少しのお金で十分で 今では行動範囲が広く 遠くまで移動せねば ならず 多くのお金を 稼ぐ必要があります ですから 私は やむを得ず別の技術 内的デザインの才能に 頼るようになりました ランプや 陶器や 絵画など また 洋服や 宝石デザインなどです

世界規模で大金を 得るようになりました ですから 私は旅をして回り 快適に暮らせるのです 自分の費用は1円でも すべて払っています 修行仲間が 車を貸してくれても ガソリン代も払います 貰ったりはしません そうしたくないのです 自分の生活費は 払うべきだと思います そう出来るからです たとえ弟子が私に 何かくれようとしても 私は受け取りません 本当に私がその事を 知らない場合は別です 知っていたら 受け取らず返します またはお金を返したり 同じ価値のもの 別のものを返します

ええ そうした方が より心地いいでしょう でも 別の方法がなく 人が貴方に提供しても それでもいいでしょう 教えるのに あまりにも忙しくて 生活費を稼げないなら それを貰うのです 必要なだけ貰うのです もう一つ質問しても いいですか(もちろん) それでは あなたは 仕事をしながら 同時に霊的な弘法も 出来ると いうことですね そうです それがあるべき方法で それが 今していることです 私は 霊性の弘法をしてます しかし空いた時間で 洋服や宝石デザインや そんな事をしています

はい ありがとう また それらを売る 手伝いをする人々にも お金を払っています 洋服を作る手伝いを してくれる人々も お金を得ています

小さなレストランを 各地に開いてますが そこからもお金を 稼ぎ出しますので そこで 働いている人にも お金を払っています すべて きちんとした仕事です ありがとう 神のご加護を祈ります 肉体が 存在しないなら なぜイエスは彼の親友 洗礼者ヨハネが 打ち首にされた時に 泣いたのでしょうか 彼は笑うべきでしたか 慈悲深き師で 全愛で 神である存在が 笑うべきでしたか 石のようであるべきか 洗礼者ヨハネのような 親友に対し 冷淡であるべきですか どんな振舞いだったら 良かったのでしょう

悟った人がどうある べきだと思うのですか 石のようでしょうか 彼は悟っているだけで 体に起こる化学的な 反応は変わっていなく 感情に誘発されたら 涙は流れます そうであるべきです 大変柔和で 優しく  愛深くなってるからで 全ての中でそれこそが 最高なことです それはイエスにも 私達にも起こります 友達が亡くなった時に 泣くのはとても 良いことです とても自然なことです 大変正常なことであり 本当に悟っていました すべての私の道は ふさがれて見えます

このために私は自分の 目標に到達できません 私の過去の経験からも 一歩目標に近づく毎に 何かが私を引き戻し そこから遠ざけられて しまうのです いかに私は自分の道を きれいにすべきですか 質問者はどんな道の ことを言っていますか 聴衆の方が分るように どなたですか はい 明確にさせたいですが どんな種の道ですか 霊的な道のことを 意味していますか 私が書いた質問では ありませんが 私にあてはまるので 尋たいのです 彼は何を 知りたいのですか どんな道が皆 ふさがれていると 私自身は 人生で定期的に 障害に出会いとても ストレスを感じます

私が思うに それはただ宇宙的な ええ それは仕事と 人間関係の事ですね ええ 唯一の答えは 悟りを開くことです 他の答えはありません 悟りが あなたを導き あなたに再び答えを 一から始める強さを 困難を克服する強さを 与えてくれるでしょう また他の問題に対する 不必要な悩みを忘れ させてくれるでしょう より早く問題の解決が できるようになります ですから悟りが 唯一の方法です まず悟りを開く以外に 人生ですべき事は 他にありません 

他のすべてのことが ついてきます 聖書は言っています まず神の王国を 見つけなさいと その意味は悟りを開き なさいということです そうすれば全てが汝に 与えられるだろうと 本当です 私は悟る前よりも 今多くのお金を 稼ぎ出しています 必要な時神は方法を 示して下さるのです いいですか 物質的な方法でさえ 私はお金を稼ぐために 悟ったわけではなく ただ偶然に ただ起こりました 他のすべてのことが スムーズになりました 求めていないのに ええ本当です

いかに悟りの人生を 生きたらいいですか 以前と同じようにです 奥さんと子供達 ご主人と以前の生活を 続けていきます あなたの義務を果たし 人生を謳歌し 一方で 天国を楽しむのです

何も変わりません 何も変わりませんが ただ内在の知識と 幸福以外には 動植物には 神はいますか 唯一の神だけです 同じです 皆の一人の父です イエスは言いました 谷間のユリを見なさい 父はそのように彼らの 面倒を見て下さると そうですね ですから それは 同じ神のはずです 皆さんは聖書を 読んでいるのに私に 沢山の質問をします すべて聖書の中に 書かれています  あなたが人を超能力で 癒すのを信じない 理由は何でしょうか

こういう理由です なぜ私が信じないか 人は自分で癒すことを 学ぶべきだから 神に祈るべきではない それが理由です 私達は神とその病人と の間に立っています 各自が自分自身を癒す パワーを持っています 神は人々に病気と 見せかけて 恩恵を授けるのです そうして神を見ます そして その人が本当に 誠心誠意になった時 神は姿を現すのです 他にも私達には 肉体的な 面倒を見るべき 多くの 医療があります

また内在に癒しの力を 持っている人の霊的な 身体に干渉するのは 決して望ましい ことではありません なぜなら悪いカルマ (報い)は単に手が 触れたくらいで消えず それは後で十倍になり 戻ってきます その人は 更に苦しみ決して 神を知ることはなく その人が心霊治療者を 信じて神を忘れるなら 特に内在の神を 忘れるなら 病よりも大きな問題を 抱えることになります それが私の信じている 知っていることです

それこそ私が皆さんと 分かち合うことです しかし当然ながら それは私の意見であり 知識ですから 必ずしも皆さんが信じ 受け入れる 必要はありません しかし皆さんが私の 所へ来て尋ねるなら 私は自分が知っている 事を話します ええ 心霊治療に反対してる わけではありません しかし皆さんが高い レベルに上りたいなら それを止めるべきです ちょうど皆さんが 医者になる勉強を したいなら 続けるのと同じです 中途で止めたり 看護婦になって同時に 医者になりたいと 思っても それはできません 不可能ですね

マスター なぜ 瞑想を通して導かれる 必要があるのでしょう 他の方法はありません ええ 瞑想は単に名前だけの ことであり実際は 内面における神の力 との再結合なのです ちょうど 一日三食必要なのは 体を維持するためだと いうのと同じです これは魂を 維持するためで  私達は瞑想すべきです また神の力により 再充電されなければ なりません  物質世界の束縛から 自由になるために 再び神になるために 自身のマスターとなる ためにです マスター お時間を頂き ありがとうございます ありがとうございます 皆さんのお心遣い ご協力皆さんの悟りを 開いた雰囲気 愛の こもった微笑み全てに お礼を申し上げます 本当に嬉しかったです

今夜印心を受けずに 後でと思われる方は お帰りになって 祈って下さい 常に神を忘れずに 祈って下さい 常にできる時はいつも 悟りを開く その日まで 心から祈って下さい

 
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