皆さまを この非凡なセミナーに お迎えでき 光栄に思っております 今 ここに スプリーム マスター チンハイが その偉大な ヨーロッパツアーの 一箇所として 初めてハンガリーを 訪れています この講義のため お時間を割いて下さり 嬉しく思います そうして素晴らしい 講義をご一緒に ご堪能頂けます スプリームマスター チンハイはこれを 観音法門と呼んでます というのもマスターは 台湾で初めて公に 講義をされたからです 「観音」とは 中国語で 内面の振動を観察する という意味です
マスターの ご説明によると 「これは実は 法門ではなく マスターパワーです マスターパワーで」 これを持っていれば 人に伝達出来ます」 この法門は 超自然的なもので 言葉では 表現できません 誰かがこの法門を 説明してくれても マスターパワーが なければ あなたは光と音 内面の平和と智慧を 受けられません ここで私達の 修行仲間の一人を ご紹介します 彼女からも少し 話して頂きましょう ありがとうございます 皆様を歓迎いたします 私の知人はたぶんなぜ 私がここにいるのか 不思議に思うでしょう
キリスト教に深い 信仰を持つ人がここで 何を探しているかと 彼女は自分の信仰を 変えたいのだろうか 洋服を変えるように 人は信仰を 変えられるでしょうか 今日はこれを着よう 明日は別の服を 着ようというように 信仰を変えるために 来たのではありません 私はただ 神から受け取った すべての事を悟る 助けになるものを 探していただけです 神は人の行動の成果を 分析すれば その人が 本当に神から来ている かどうか判断できると 言っています
それで私はマスターの 修行の成果を分析し こう思いました 「ええ 成果がある 私も実らせたい」と ただ私には 助けが必要です このパワーがないので 私の周りの 全てのことはいくらか 混乱しています 身の回りを整理出来ず 何百万の疑問を 抱えています なぜ神の神聖な名の 下で 人々は恨み合い 聖戦を 起こすのでしょうか 神だけに祈ります 人には祈りません でも あの夜 この本を読み終わって 本を閉じました 私は目を閉じ「どうか 私に教えて下さい」と 頼みました
修行の勉強は面白く スタートしました 明かりを消して また一晩 不眠の夜だろうと 思いました それまで数多くの 夜は 何か月も平和な夜は 一夜もなかったので その夜もよく 眠れないと思いました でもメロディーと 柔らかい音が私を 持ち上げました 誰かが私に優しく 歌っているようでした 子供っぽく聞こえると 分かっていますが 本当にそうでした 私は眠りに落ちました 三日寝込んだのです 三日後 目が覚めたら 私の人生に 新しい何かが 始まりました
休息から始まり 日に日に すべての面で段々 純粋になりました 私は幸せになるために 生涯必要な 全てを得たからです あなたの場合はどうか 知りませんが 私の場合 学校で 勉強すればするほど 疑問が多くなるのです 間違った学校を選んだ かもしれないが疑問は 多くなる一方でした あなたにも今日疑問が あるかもしれませんが 素晴らしい答えを持つ 人を知っています ここにいらっしゃる 「生命学部」の 新しい「教授」です 私達はこの教授に 教わる必要があります
この七カ月間 私の生活では多くの 事が変わりました 今も信じられません でも感謝しています マスターチンハイに 感謝し マスターを 知る機会を得たことを 神に感謝します 有難うございました 皆様 初めてハンガリーを 訪れた マスターチンハイを 心より歓迎しましょう 愛を込めて拍手で 歓迎致しましょう ありがとうございます こんばんは 善良なハンガリー人 お美しい国です お美しい国民です こんなに早くこんなに 簡単にハンガリーに 来られるとは 思いも よりませんでした
貴国の方々から 何回も 誠意をこめたお招き 頂きましたが その時ハンガリーに 行くのはおとぎ話の ように思いました でも 神が手配すると 何でも素早く 順調に出来たのです ですから 今日 ハンガリーの偉大な 皆様の前に座れる栄誉があるわけです とても光栄です そして キリスト教の 休日でもあります 私はこの国の生き方を 理解しようとして ブダペストの街を 回っていました 貴国は素晴らしいと 私は感じました 「本当に美しい 都市ですね」と 私はタクシー運転手に 言い続けました
非常に美しいと 聞きましたが しかし それを 自分の目で見たら たいへん美しいので 私は驚いています それは多くの皆さんと 同じだろうと思います 天国について 聞きましたが 本当に天国を見ると やはり驚くでしょう 昔 仮にアジアで 生まれて 貴国を 見に行きたかったら それは非常に 難しかったでしょう それは不可能な童話 以上でもあります しかし 技術の進歩の お陰で 私達は非常に 簡単にお互いに 会うことができます 同様に 昔 神や 天国を見ること または神を知ることや 神と直接 繋がることは 見つけるのが非常に 困難な仕事でした
なぜなら 昔は 技術が進んで いなかったので 大衆に講演する 大変なことは ことですし そして 言語問題もあります それに加えて市民が 入手可能な知識は 非常に少なかったです 霊修行及び 霊性の開悟に関する 材料を印刷することも 困難でした 従って 天国や真我 及び神に関する ほとんどの知識は この惑星の 多くの人から 離れていきました 昔と違って 私達は本や セミナーを通して 現代通信技術 例えば 電話 テレビ メールなどを通して あらゆる霊的な 知識を手にする ことができます
従って この科学に 詳しい人が ますます多くなります 霊的な物を 大量に入手するのは 遥かに簡単になります 神様の恩恵に恵まれて 霊的な雰囲気 霊的なご加護が 私達の地球に 与えられています 私達の生活の 各方面において より進められています 私達の生活は どんどん快適になり 上昇されました それで私達はここに 来る機会があり私達の 知っていることを 皆さんと共有します 霊的な経験によると 私達は単なる この物質的な 存在ではなく 多重な存在なのです 私達は偉大で 偉大で 私達が想像できる よりも偉大なのです
神秘的で普遍的な 宇宙に深く 入れば入るほど 自分自身を 知ることができます 私達は この惑星に 存在すると共に 多くの意識レベルにも 存在する ことができます 従って 天国に 行くことはどこかへ 行くのではなく この世を 去るのではなく この世で 生きていながら 生きていながら 同時に天国を 見ることができ 神と繋がれるのです 真我や意識の 異なるレベルを 体験することで私達は 神の異なる家に 戻ったり 訪れたり することができます
それで 「私達が神の 神殿である 私達の 内に精霊が宿る」と 聖書に言っている ことが本当のことだと 分かるでしょう 私達が多重の存在で あることを知り そして少し修行をして 常に 最高の自分自身を 見ることができるのは 素晴らしいことです 私達が最高レベルの 真我に入れば 神を 見ることもできます なぜなら 私達は 神の一部でも あるからです 最高のレベルに 上がれば もちろん 私達は真我の本質を 見ることができます それは神なのです その時 私達は人間のエゴを 持っていないからです 結果的に 方法があります
同じ方法で 私達の人生で起こる 多くの不愉快なことを 避けることができ 沢山の苦しみを 避けることができます より高いレベルの 真我に入って幸福を 見つけることによって この物質的な レベルに戻ると 世俗的な苦しみを 体験していても 私達がもっと強くなり もっと霊的に目覚め 非常に寛いでいる 方法で私達の問題と 悲しみに対処する ことができます そういう訳で聖書では 「神の国を先ず求めよ そうすれば全ての物が ついてくるだろう」と いうのです
例えば 私達の家に 多くの階があるとして 一度も階段を上がって より高い階を 見ないなら もちろんどれほどある のか 幾つの部屋が あるのか 分かりません イエスは 「天なる父の家には 多くの部屋がある」と 言いました これは 人間の 異なる存在のレベルを 説明する方法です 私達が時々 知性の より高いレベルに 登れば そしてこの物質界に 返ってきたとき 私達はより有能で より賢く より幸せに なります それで 私達は 違う存在になります この物質的な惑星で 義務を遂行してる間に 天国に生きている ように感じられます
苦難と重荷の ほとんどは 自分の真我の 高等な部分 即ち 神と直接に接触する 部分についての理解に 欠けるためです 真我の高次の部分と 接触する方法を 知っていれば 神と繋がれます それ程多くの驚異を 宿す 私達の 絶対的な存在の中には 異なる部分があります すべてのレベルは それぞれ異なり あらゆるレベルは 異なるものから成り この物質的な生命の ためにも利用できます 私達の真我の 全てのレベルは 同時に存在します ただ私達は それとの繋がりがない だけです 私達は真我と 再連結する方法を すっかり忘れました
そういうわけで 物質的な存在の 知識しかしりません だから私達が 他の惑星についての 知識がないこと 天国についての 知識がないこと 互いに平和を 見付けにくいこと 時々戦争に 訴えなければならない のは当然です 人間の能力が 約5~10%しか 使われてないことを 皆知っているからです 残りの80~90%は どこですか 無駄になっています 私は皆さんに完全な 智慧の利用方法を 教えるためにいます 眠ってる残りの 90か80%をです それはとても簡単です 子供たちでもできます
そして 私達の知性の 偉大な部分を 利用すればするほど 私達はよりよい人間に なります 一切 費用はかかりません これらは自分自身の 宝物だからです ちょうど銀行に お金があっても 小切手帳がどこに あるか忘れたのと同じ 私はさし示すだけです そして私達の存在の 残っている智慧を 経験して 私達は 宇宙を理解すること 神を理解すること 神を直接認識すること 毎日直接神と交流 することが できるのです 私達がより高く 神の王国に入ると より自由に感じます 物質界の粗さや 重荷はより少なくなり 私たちに及ぶ影響は より少なくなります
そして私達の物質的な 幸福でさえ ますます よくなります もちろん自分の体の 病気を治療したいため 神を見つけたいのでは ありませんが ボーナスも豊富に そこにあります 神を見つけた後 私達は内心で 幸せを感じます 全世界と取引したく なくなります それで聖書は こう言います 「何が人間の 利益か 誰が全世界を得て 自身の魂を失うか」 「自身の魂」を失うとは 自分の偉大さを 認識せず この肉体及び この物質的な生活以外 他に何も分らない事を 意味します
聖書はこうも言います 「世界を 見捨てる人は誰でも 世界を得る 世界を追い求める人は 誰でも 世界を失う」 魂がこの世界に来る 目的は 神を見つけるためです 再び神を見つけるまで 魂を幸せに するものはありません しかし私達が この物質世界 この肉体の刑務所に 入ると 私達は 自分の人生の 目的を忘れます それは 否定的な力の 手配なので 私達をここに陥れ あらゆる楽しみや 様々な幻想で 私達を忙しくさせ 苦しませ それらの 肉体のはかない 一時的な快楽に しがみつかせ天国を 忘れさせるのです
そういうわけで どれほどの財産を 持っていても 社会的地位が どんなに高くても 同時に霊性の栄養が なければ 私達は ここで決して本当に 幸せにはなれません まるで多くの部屋と 何階建ての 非常に大きな家が あっても 常に地下室の暗闇に 滞在している 金持ちのようです 彼は決して 太陽を見ません 決してこの家の 他の上の階にあり 彼を待っている 宝物を見る機会は ありません 私達は多重な存在です 私達は肉体的で 感情的で 知的で 霊的な存在です
完璧な人間に なるために 神のような存在に なるために 神はご自身の似姿に 私達を作ったので 私達は真我 完璧な 真我を知るべきです なぜなら真我の どんな部分が欠けても 幸せになりません 常に何か失ったように 感じますが 何を失ったかは 分かりません この肉体を 離れた後 最高の天国に 直進するためには 生きている間に 天国を知るべきです 時間がある間 天国を訪れ この物質的な体に戻り 私達の存在を満足 させることができます すると私達は この肉体ではなく 本当に神の子供だと 分かります
私達がそれを 知っている訳ではなく それはただ 内面の感覚です 宇宙のパワー 宇宙の一体感と 溶け合ったら 溶け合ったら 私達はこの地上で 異なる衆生 真の衆生 天国の衆生に なるでしょう すると私達は この世で生きる間も 喜びと幸せのほか 何もありません そのような至福 そのような法悦 そのような保障 そのような確信で イエスはこの地上を 歩み そして 「私と天なる父は 一体である」と 宣言したのです
私達も彼と同じ 理解レベルに達したら 同じ事が言えますが たぶん自分自身に 静かに 宣言するだけです あるいは 兄弟姉妹だけに 霊的に目覚めた人は 必ずしも世界全体に その天国の体験を 共有する情熱が あるとは限りません ですから現代でも 私達の中に沢山の 静かな聖人が 生きていますが 私達には分かりません イエスも他の人に 自分の体験を共有する 熱望がなかったですが 彼は任命されたので 天なる父の命令に 従わざるをえません
でなければ大多数の 霊修行者にとっては 神との出来事に関して 沈黙を守ったほうが いいのです この地球の私達の 兄弟姉妹の多くは 主が彼らに 教えようとすることを 完全に理解できません たった今皆さんの中に 沢山座っています 彼らは光が見え 直接神の教えを聞いてきましたが皆さんが彼らを見た時 何が違うか 分かりません しかし私達は何となく 少し判断できます 彼らの 神に近いレベルを 彼らの外面の喜び 人類の幸せの 偉大な方針への 外面の献身によって
私達は皆 聖人になることも 聖人になるのを 拒むこともできます 私達が聖人になるのを 拒んだり 直接神を知ることを 拒んだりする理由は 私達は異なる 役を演じていて まだ私達の役を 終えてないからです 従って 私達 霊的に加護された 魂にとって 区別はありません 皆が神の子だと 知っているからです 私達は皆同じレベルで 皆同じ神の子です 皆さんは神を知らない ということではなく 必ず知っています いかに神を探すか どこを見るか 忘れただけです 神を知るのは簡単です 神と直接連絡するのは 少し難しいです
なぜなら私達は毎日 しなければならなくて そして主の家には 沢山の部屋があって 全部を知るには ずっと上がり続け なければ ならないからです また 神を代表するためには 私達は神のようになり この地球を歩く神の ようになるべきです その部分はそう 簡単ではないでしょう 聖書にある十戒律は さまざまな規則を 禁止してはいません それらは 私達の意識の 判断基準です 私達がこれらの戒律を 完全に守ることが できれば それらの 戒律は私達に自然に 見える事を意味します 苦労せずに それらを維持できれば 私達は神のような 品性に非常に近いと 分かります
神のような衆生として 私達はこの地球にいる 他の神の時間が来る前 その命を終わらせる べきではありません 神のような衆生は いつも真実を話し いつも神への 信心を持ち続け いつも隣人を 自分のように 愛すべきです 等など 私達が既に この基準まで上がった なら 神を知る準備が できたということです 私はここで皆さんに 何か新しい事を 教えるわけではなく 神の国への鍵を 皆さんに渡すだけです 鍵は皆さんのものです 私は手渡しするだけ それは皆さんが忘れて しまったからです
私達の多くは神への 信心が本当に素晴しく やはり真の神の存在を 知りたいと思いますが ずっと神と交流 できるでしょうか 答えは はい できます しかも日常的に 神は私達と共に歩き 私達を守って保護して 愛して下さいます 神は既にいつもそう して下さっています 私達が 知らないだけです 今 私達の分担は 神が本当にやっている ことを知る番です それらを知り 見えるには霊的な目を 開かねばなりません 肉眼が 開いているので 物理的な環境と この物質的な存在が 見えるのです 天国が見えるように なるには天眼を 開かねばなりません
イエスはこの惑星を 去る時 この鍵を 聖ペテロに託しました そしてその鍵は 一つの世代から 次の世代へと 受継がれていき ある非常に予期せぬ 地域の 予期せぬ人の所に 現れるでしょう だから皆さんの存在に 何があっても 皆さんの中の宝庫を 開くために 鍵が使われた後 明かされます もちろん物質的な 鍵ではありません 物質的な鍵は 物質的な物しか開け られず 具体的な家 浴室 あるいは 宝石のトランクなど でも神の国の玄関を 開ける事ができません
私達の天なる父の 家の鍵は物質的では ありませんが やはりそれで家を開き 神と面と向かい合う ために使われます 私達の智慧が 開かれると それで神に奉仕したり 人類全体に奉仕したり あるいは個人的に 使うことも出来ます 私達の人生 私達の愛する人 私達の家族に奉仕し この存在を より快適にします 神は決して 神や その子供たちのために 私達を強制しません 私達を任命できますが 私達は「イエス」も 「ノー」も言えます
智慧を取り戻した後 私達は毎日 より賢くなります 毎日より愛深くなり 私たちの所にやって 来る全ての人を 恐らく自然に 助けたくなります 私達は他人の痛みを 自分の痛みのように 感じるでしょう 私達は連絡できる 全ての人に 幸せをもたらそう と思うでしょう 同じ精神で私達は 皆さんに奉仕し 良いいいニュースを 共有しに来ました そしてこれは 全部無条件です 私達はどんな見返りを 期待したり 求めたり 考えたりさえしません
毎日あなたの静かな 余った時間にあなたが 行うすべてが 自身が ただあなた自身が 神を知ることを意味し そしてあなたは 個人的に独力で 神との時間を 楽しむのです より多くの人がこれを 知れば知るほど より多くの人が 神を知り より多くの人が 直接神と接触でき 幸せになります すると世界はもっと 平和になり戦争が減り 私達は地上にもっと 天国をもたらすことが できます 私はあなたが 私自身であるという 知識がある以外に これをする理由は 全くなく あなたは私の一部で 私は全人類の一部です
そして全ての部分が 幸せなら もちろん 私も幸せです そして私自身も含め あらゆる部分 全体のどこかの部分が 病気で 不幸なら私達にも 影響するでしょう 私達が開悟した後 心底 神を知った後では 動物や植物を含めて 私達は全ての存在の 間に相互依存を 見るでしょう 最後に 自分達だけが 宇宙の粒子の中で ありとあらゆる存在で いたる所に存在して いるのを見るでしょう そしてそれは私達で あるということを 知っているので隣人を 自分のように愛する ことができるのです
さもなければ この 自然な思いやりは どんなに説得しても この種類の 自発的な愛は私達に もたらされません それは視力がなく 自分の足や 他の体の部分を 見ることが出来ない 人のようです はっきり見えませんが 感じることは出来ます そして彼自身の 部分を見る 視力に欠けるため 彼は時々知らずに 意図せずに 自分自身を傷つける 可能性があります 壁に自身をぶつけたり 脚や足が かたい物に当たって 体のある部分を 傷付けるかもしれない けれども 彼の視覚が回復すると 正しくどこを歩くか わかり どうやって 体のあらゆる部分を 保護するか分かります
悟った後私達を含め この地球の あらゆる存在 弟や妹 動物や植物を含めて 動物や植物を含めて それで私達は自身の 一部を傷つけられない ことがわかります そして私達は平和に ついて話す必要がなく 平和は自然に 回復するでしょう 「私達は兄弟 隣人を 愛さなければ なりません」と言う 必要はありません 無意識に愛します 私達がどれほど 偉大であるか 完全に 自身が知った時だけ 私達は他の存在の 偉大さを 認めることができます 神について話しても 神は見えません
何かを知るために 自身で経験すべきです 広告は ただ本物の紹介に すぎません だから私が話しても 内面で繋がらない限り あなたは神を見る ことはないでしょう すべて無料です 現在も未来も永遠に 念のために何か質問の ある方は私に お知らせください あなたの愛に満ちた ご清聴ありがとう 悟りと 理解と そして加護 これらの言葉は どう違ってどう 類似しているのですか そしてこれらは どういう意味ですか 悟りは 理解と加護を もたらします それらは全く 異なっていません
互いに依存しています 私のような 普通の人でも 悟りを得ることが できますか もちろんです 誰も普通ではないです みなさん全員が神です 神の一部です あなたは 宇宙の最愛の 子供達です あなたは忘れただけで 私が思い出させます 菜食主義はなぜ 重要なのですか 私達は何かが 変化したと感じますか それは重要です 私達の愛 神のような 愛を育むためには この方法がどれだけ 私達を助けるのかを 私は知りたいのです この困難な状況の中で 戦争を止め 平和を作りだすために 肯定的なエネルギーは 否定的エネルギーに 打ち勝つでしょう
その結果はあなたの 内側でわかるでしょう このような慈悲深い 質問をしてくださって ありがとうございます ご存じでしょう 肯定的考えにはいつも 肯定的影響が 目には見えずとも あるということを これと同じように 誰かを愛せばその人は とても幸せに感じ 愛は私達が 触れることができたり 証明できるものでは ありませんが 敬愛するマスター 私は非常に長い時間 様々な形態の 東洋の叡智を 探していますが 私は まだ合理的な心に合う ものはなにも 見つけてはいません 例えば 私は 開悟したということが わかりません
それが永遠に あるものか 何度も何度も到達する 必要があるかどうか 毎日行うべきです 完全に神を知るまで そして更に深く 続けるか止めるかは あなた次第なのです あなた次第です 知れば知るほど 良いのは当然です ええ 明確です 輪廻に関する ご意見はどうですか それは存在しますか それは意見ではなく 知識です 深い瞑想を通して あなたが得る 宇宙の秘密の法です はい輪廻は存在します 必ずしもこの地球上 とは限りません
例えば 魂が死んでこの地球を 離れてそして もっと物理的な体験が 欲しいとしたら 別の肉体を持ち再び 生まれる事が出来ます ただし他の 物理的な惑星です その人が物理的な 体験が欲しく 知的でいることや ほんの少し高い霊性の 経験をしたければ高い レベルの霊的な惑星に 生まれなければ なりません 人々はマスターには 印心や他の師は 必要ないといいます マスターに なりたければ ただ自分の道を歩み 自分自身のマスターに なりなさいと これについてご意見を お聞かせ下さい
もちろん皆さんすべて マスターです あなたに思い出させる 為に私達はここにいて 私達はすべて 同じ本質です 神の目の中では 等しく生まれました ただ私達のあるものは 忘れるのを選びました この地球か他の場所で 何らかの体験を 持つためにです しかし時が来れば 誰かが帰郷を 思い出させるために やって来ます 思い出させる人は 良くもなく高くもなく 誰のマスターでもない それはまさに人間の 言語のゆえにです 人々は何かを 教えてくれる人を 先生とか師と呼びます
しかしこれらは ただ無意味な名前です 私達が直接 第十レベルの明るさを 体験できるなら 以下の九つのレベルの 必要性は何ですか 私達は既に 下のレベルにいるので 最高位に行くためには 経験しなければ なりません 下位界はそこにいる 私達に宇宙の 異なる場面を 経験させるためです それはちょうど暗い 地下室が私達の家の 屋上階の部屋ほど 美しくなくても それが必要なのと 同じです それはただ 宇宙の構造です しかしずっと この構造の下位に 残ったままでいると 家の全体を 知ることはなく ほとんどの時間 落ち込みます
イエスは言いました 私がこの世にいる限り 道であると これが 彼が後で より多くの精霊を 遣わすと言った理由で その慰めの人は当然 私達を慰めるために イエスと同じぐらい 善人であるべきです あらゆる時代に 神は 慰め人を遣わします 神の子供達を 家に連れ帰るために それが自らの運命なら すぐにその人を 見分られるでしょう そうでないなら わかりません ありがとうございます イエスが救世主として 生まれた時代も 同じです 人々が彼をはりつけに したのは多くの人が 見抜けずまだ救世主を 待っていたからです
なんであれ 人間の言語は 十分ではありません 私のスピーチも含めて 単なる紹介です 親愛なるマスター エゴの事をお話下さい マスターも同様に 瞑想するときに エゴはあるのですか 例えば 今現在 エゴと 神のような部分の 繋がりは どれ位の強さですか エゴと神性部分の 繋がりとは 何ですか エゴと神は 繋がっていません エゴはこの肉体や この物理的な 頭脳の習慣であり 私達がこの存在にいる 間に収集したものです エゴは神と 正反対です エゴは私達を神と 切り離すものです
エゴは私達を 兄弟と競争することを 感じさせるものです エゴは戦争さえ引起し 兄弟を殺すことが できるものです 私達が神を完全に 知れば エゴは死滅します 印心とは エゴの死滅の 始まりです 否定的エネルギーが 作られ 発生する 場所はありますか または自分の中で 作られるなら 自分でそれを止めねば ならないのでしょうか はい 私達は自分で 止めねばなりません 私達の中は 両面があります 一つは否定的なもので 一つは肯定的です 肯定のものは 神から来ますが 否定的なものは この物理的な存在での 経験から来ます
そして 悪い考え 否定的な考え または憎しみを 生む時はいつも 私達は地球全体や 私達に影響する一種の 否定的な雰囲気を 引き起こします それがどれくらい 大きいかによります それで もちろん できるだけ愛情深く 親切で 肯定的に 考えように 訓練できます 例えばイエスの ことを考えます その この それらの 状況では イエスは 何をしただろうか それで同じように 愛情深い方法で 試みてみるのです
女性は最も美しい 生きものです 私は五十歳ですが まだあなたに 非常に興味があります どうやって自分の 興味を制御して五戒を 保てるでしょうか これは私が唯一 制御できないものです 女性にですか(はい) 女性はすべての 年齢に影響します 愛には若い年寄りかの 制限がありません それではなぜ あなたのエネルギーを 制御しようとする 代わりに 自分に 美しい女性を得ようと いないのですか 私は 五つの戒め つまり 戒律を守っています 殺さず 自身がベジタリアンで 嘘をつかず 盗まず 邪淫せず 薬物を摂りません
私が神に近づいて 永遠に神の存在を 感じるために 何をすべきでしょうか 印心しなさい 智慧眼を開けると 他の何もかもが 自然にやって来ます 戒律を守るだけでは 神を見ることは できません 神を見るためには 私達の中の天の門を 開けねばなりません 私達は鍵を 忘れてしまったので 自身でそれを 開けられないなら 鍵を持っている誰かに 頼むのです 病気は私達の魂が 間違った道にいる 警告だというあなたの 意見について すべての病気に霊的な 根拠があるのですか はいある意味そうです それは神に戻るべきと 思い出せるものです
神はすべての癒しの 源だからです 伝統では マスターが 個人的に弟子を 知っている場合だけ 印心を与えます でもあなたは その人を知らなくても 印心を与えます なぜなら私は 誰でも神の子として 見ているからです 私は神つまり天の父を 知りたがっている人を 拒否する権利はなく 神は誰でも知っていて 私は道具にすぎません 私は誰かのマスター ではありません 私を何と呼んでも 姉 兄弟 妹 マスター 先生 友達 ガイドでも 私にとっては同です 神だけが私に 栄光を与えるからです 人間の言語ではない 神だけが神の元に 戻る人を 選択するのです
ある教えでは セックスで神に 到達できると言います 他の教えは セックスに反対します あなたのご意見は セックスなしでは 神に到達できず セックスを通して 神に到達できません 神は性的な喜びのため その狭い局所には 住んでいません ですから私の意見は 神が本当にいる所で 神を見つけることです そしてあなたがまだ 子供を作りたいなら 神は構いません あなたがこれ以上 子供がいらないなら または性的な方法で 奥さんやご主人と 愛を 祝いたくないなら それも神は構いません
はっきり分りましたか ありがとうございます 「即刻開悟」とは 何を意味しますか あなたが私と座る時 あなたが悟りたいなら すぐ得られるという 意味です こういうことです スプリームマスター とは何を意味しますか それはあなたの真我 内在の真我のことです 皆さん一人ひとりの なぜなら聖書には 「あなたは 神の神殿であり 聖霊があなたの内に 宿る」と述べています ですからあなたが 神なのです これはただの寺院です 神こそがスプリーム マスターなのです
あなたがスプリーム マスターです あなたはそれを 忘れたので思い出させ 証明するために 私がここにいるのです ありがとう イエスは菜食ではない あなたのご意見は 自分の内面で直接 神に尋ねたほうが 良いと思います 私にはそう言いました あなたが信じないなら 私から瞑想を学んで 内面に入り イエスと会って 話してみてください この法門は脳制御の 瞑想テクニックと 類似していますか いいえ 何もコントロールする 必要はありません 神が来る時あらゆる 闇は消えます
神は私達の内にいます 二番目の問題も ありました 肯定的な考えは 精神的な毒によって 悪影響を受けます ええ そういうわけで私達は 自身を純粋に保ち 十戒を守り 菜食をすべきです そうすることで 純粋な考えと純粋な 意識を持ち 人間の エゴがありません 霊性の目を開くため 悟りを開くための 実践的な アドバイスが ほしいのですが 毎日どれぐらい 瞑想しますか それは後で お見せます そういうわけで 少々時間を 必要とします 私がいなくても 一人で毎日の修行が 出来るように 説明します 私達はあなたに すべてを見せます 更に霊性の目を 開くのも手伝います
毎日 神と会うために 私は何をすべきですか 祈るべきですか いいえ 神はひとりでに いらっしゃいます 神を知らない時のみ 私達は祈るのです 神がそこにいると 直接加護がもらえます あなたはなぜ 仏陀でなく神について 話すのですか それは 神は仏陀よりあなたと 親しいからですか それでは次回は 仏陀について話します 彼らは同じです 私達には一人の天の父 神がいます ある人々は 「仏陀」と呼びます
ある人々は 「アッラー」と呼びます ある人々は 「神」と呼び ある人は 「天の父」と呼びます ある人々は 「最愛の人」と呼びます ある人々は 「全能なるもの」と呼び どうでもいいです この世ではあまりに 多くの異なる言語が ある そういうこと 宇宙を超えた所には 何がありますか 宇宙を超えた所ですか 宇宙を超えた所です
宇宙を超えた所は ありません なぜなら宇宙には 始まりも終わりも ないからです 五戒の第一の注意点は 植物について 述べていません それらも感覚のある 存在でありませんか 命を奪っても良いのか はい植物には中立的な エネルギーがあります 私達は生き残るために 一時的にそれらを 摂らねばなりません 植物は動物ほど 苦しまないので 私達は栄養として 摂ってもいいのです 例えば ペパーミントの 一本の枝を切ると その後 三 四 五枝が 出てきます
しかし 豚の腕や脚を切っても 二 三足には なりません 本当のマスターを どう見分けられますか 最近多くの人が自分を 本当のマスターだと 自称します はい それは 非常に良い質問です 知らなければ 帰って心から 神に祈らなければ なりません マスターを知るには 非常に高い意識を 必要とします とても残念なことです だから彼らは イエスを殺したのです
この肉体の 牢獄にいる人々は 真理に盲目です イエスと彼の 弟子が在世の時 彼らがどこに行こうと 光を発し 光輪が頭と 体の回りに ありましたが それが見える人は まれでした 現在も同じです 現代の聖人にも 光がありますが より高いレベルの 目でしか見えません しかし一般的な判断の 方法は誰であろうと 内面の素晴らしい光を 見るのを手伝える 人です 彼はあなたに 神の意識を与え 神に接近させることが できるという意味です そしてもう一つの 判断法はマスターが 誰であろうと 遍在すべきです
同時に多くの場所に 現れることができると いう意味です 弟子たちは 多くの異なる場所に いるので マスターが多くの 場所に現れることが できなければ 弟子たちの祈りを 聞き入れられなくて 効果的に彼らを 助けられません それであなたは直接 マスターに聞けます 彼が遍在するかどうか それはマスターの あるべき資質です あるいはマスターの 他の弟子に聞けます 彼らがマスターの 遍在を 体験したかどうか 少なくともマスターの レベルが分ります 地獄というものは あるのでしょうか
信じない者は 地獄に落ちますか 聖書では多くサタンと 地獄に言及しています 私達は皆ある程度 信じていますが ただ 信念に対する感覚を 描き出せません 神を見ないと私達も 神を信じるのは 難しいです 彼を知らないからとて 神は私達を罰しません 少なくとも良い人間に なるよう努めたら 私達は地獄に 落ちません そして来世で私達は 再び神を知る もう一つの機会を 与えられます なぜ神はホームレスを 助けないのですか なぜ病人を 苦しませるのですか 神は誰にも苦しんで 欲しくありません
神を知らないので 私達は苦しむのです そういうことで 先ず神の王国を探せば すべては 汝についてくる と言うのです 私達の内面には 宝がありますが 使うのを忘れたため 私達は苦しむのです マスターは病人を 癒やすことできますか 私は何もしません 神に任せます 彼の思わくで 適当な時機に 選んだ人に何をするか 私が癒したと 言う人がいますが それは神のお手柄です 私は単なる 道具にすぎません 神の加護が 私を通して 彼が選んだ人を 癒します
でもそれは起こります 赤ちゃんが生まれて 数分または数時間後に 死んだり精神障害者 として生まれて来る のは何の意味ですか 魂がどうこの世に 現れるかを選ぶのには 多くの方法があります 神の手配で 魂がすることを 私達は全部 理解できません 時には 神に到達するために 魂は 障害者であることを 選びます 例えばですが 時には 特定の親の愛を 呼びさますために 生まれてまもなく 死ぬことを選びます 神の手配はすべて 説明するのが不可能で 私達の指では 数えられません
すべては 霊性の成長のために 最良のことです これらは皆 瞑想に関連した 質問です 印心した人が 戒律を守らなかったら どうなりますか 蒔いた種は 苅らねばならない なぜ私に聞くのですか 人生を歩むのに どんな方法を選んでも 結果があります だから慎重に選択して 最後の質問は なぜ一日に二時間半 瞑想する必要が あるのですか 仕事のある人には 多すぎます ベストを尽くしなさい より多く瞑想すれば あなたのためになり お金を多く お金を多く 儲ければ儲けるほど より裕福になるのと 同じです それはただ 望ましい数です
しかしできるだけ ベストを尽くしなさい 私達は十時間 十二時間または八時間 働きます この無常な 体に供給するだけの ために そして本当の 体を知るためにわずか 二時間半さえ 割く気がありません それは残念なことです 多くの宗教があり 混乱しています 解決法は何でしょう 私達は神を 知らないので 多くの異なる法門を 試します 神を知りさえすれば 唯一の 一つの道しか ありません もうどんなラベルも 名称も外在の儀式も 必要としません
ありがとう 世界の終末の予言は あたりますか 世界の終末ですか はい聖書で言うように 起こりますか とにかくあなたが 死ねば世界は終りです だから誰でも 自分の終末を 心配すべきです 世界がまだ存在しても 私達が往生したら 何の役に立ちますか ですから私は生き 続ける方法を教えます
いかにエゴと内面の 神の声を見分ける ことができますか どちらも 強くありえます 自性が本当に純粋な 時にだけ分ります そういう理由で あなたはきちんと 瞑想を学ぶべきです 印心の時 私はすべてを教えます 身を守る方法 肯定と否定を 区別する方法や 本物と偽物の区別です 自分がマスターなのを 完全に思い出すまで いくらかの必要な 指示を知るべきです 最後の質問です 瞑想は祈りより 重要だとお思いですか 瞑想は祈りの 最高の形式です この種の瞑想は 直接神と 接触できるからです だから何でも 神に告げたことは 直接の祈りです
どうもありがとう ありがとう 翻訳者 そしてありがとう 皆さん全員に ありがとう 私達の質問に答え またハンガリーに お越し下さって ありがとうございます ご招待ありがとう 長年経って私はついに ここに来ました 皆さんの 誠心誠意のおかげです 私は旅行があまり 好きではありませんが 皆さんがご親切に 何度も招待て下さって 私は要望に応じました 要請に従いました そしてついでに 他の人々にも チャンスがあり 私を彼らに会わせます 皆さんの国家 人民と世界に 神の祝福を 皆さんは非常に 美しい人々です とても霊的です ではまた さようなら
私は言いました アメリカ人も難民です ご覧なさい 彼らが たった二百人でいかに 歴史を築いたかを 非常に若いのです 何もない所から 始めました 頭脳だけ 精神だけ 神に対する 誠実な信仰だけでした ご覧なさい 彼らは「荒野」から 国家に築いたのです