皆さん ようこそ スプリームマスター チンハイの 今宵の講演会へ
スプリームマスター チンハイは霊性の 指導者で その教えは 非常に単純 実用的で 彼女の メッセージの一つは 全衆生に対しての 無条件の愛と慈悲です 彼女は観音法門を 教えています それは 悟りの 古代科学であり 自己覚醒の 神授の技です この法門は内在する 天の光と音への 瞑想が 必須となります 皆さん この哲学が どんな影響を 南アフリカに及ぼすか お尋ねになる かもしれません 答えは何でしょうか 答えの重要な部分は 悟りにあると 私は信じています スプリームマスター チンハイの 智慧と教えが 私達の心を照らして 下さいますように 皆さん スプリームマスター チンハイを お迎え下さい マスター チンハイ ダーバンへ来て下さり 有難うあなたの臨在が 恩恵をもたらします
さあ ダーバン ウエストフォール大学 スリヤランガダンス カンパニーです これから アフロインディアン ダンスを披露します ダーバン ウエストビル大学 スリヤランガ ダンス カンパニーを代表し スプリームマスター チンハイに 捧げるべく 踊りを披露させて 頂ける事を 筆舌尽くし難い光栄と 感じております ダンスのテーマは 大いなる混乱 その混乱を静める 唯一のものは 一人の 踊り手が他の中に 自己を見出すことです スプリームマスター 私達はアフリカの夢の 芸術的贈り物を あなたに捧げます スリヤランガ ダンスカンパニー ありがとうございます さて スプリーム マスター チンハイを お迎えし お話して頂きましょう こんばんは サゥボーナ
本当に素晴しいダンス ありがうございました 本当に感動しました
まるで天国の 踊りですね 本当に美しいです 皆さん楽しみましたか
わあ ずっとでも 続けていられますね 美しいです 私達が 古い伝統や あらゆる国々の 儀式とか習慣などを 目の当たりにする時 私達はどこから来かと 思ったりします ダンスや音楽 歌が どこから来たかと 私達は天国から来たに 違いありません なぜなら 黄金時代には 皆がそういうような 衣装をまとい 雲の道を 歩いていたのです 以前私達は 踊るように歩き 歌うように話し 恋人同士のように 見つめ合って いたのです それが天国の 有り様なのです ですから 古い風習 伝統 習慣を 目の当たりにしたなら 自分が天国から来たと 分るに違いありません
私達が自身と再び 繋がる事が出来たなら 私達自身が天界の 王族の一員だと 思い出せたなら 私達が本当に 非常に栄光ある起源を 持っていると分ります しかし今 私達の多くが 自分自身と 再び繋がる方法や 起源の思い出し方を 忘れてしまってるので この星で ちょっと 迷子になっていて これが私達自身だと 体が私達だと 思い込んでいます 何であれ私達が 考える事 する事 それが私達だと 幸運な人達は 幸運な人達は 同時に二つの世界に 生きる事も 出来ます ちょうど古代の マスター達のように 彼らはこの物理的な 惑星にも存在し 同様に より高い 神の王国の境界にも 存在できるのです 実際 私達皆に出来ます 古代のマスター達 だけではなく 私達皆に出来るのです インドのマスター達の 多くは 未だに こう出来ます 多くのヨガ行者も 出来ます 西洋 アジア 東洋社会の 私達の多くが こう出来るのです
古代では 秘密主義と 交通の不便さ 意思伝達の 不便さにおいて この種の修行は 多少なりとも 神秘とされてきました でも 現代では私達は 意思伝達手段と 繋がりました また交通手段も 非常に速度が 上がりました ですから 今日 この時代では 無数の衆生 人々が この生き方に 繋がっています 通常の生き方 私達が送るべき人生 人間及び 天界の 衆生としての生き方に 繋がっています 私達が意のままに 天国を訪問できると 私達は この世界へのあらゆる 執着を失います その時には戒律を守る 必要はありません
戒律は 私達の命そのものに なるからです 聖書を読む必要もなく 聖書は私達の 生き方そのものに なるからです そして 私達が この世で所有している ドレスや 家具や所有物が どれほど美しかろうと 全く関係ない事が 全く関係ない事が 分かるようになります それは 私達が天界に 真の家に所有している 真の財産 真の人生とは 比較にも ならないからです そういう事で 多くのマスターや 修行者達は 古代でも現在でも いったん天国を 味わってしまえば 日常的に 天国と 接触してしまえば もはや何の欲望もなく なってしまうのです
この世の最も魅力的な 如何なるものに 対してもです 私達は彼らを 出家者と呼ぶのですが 彼らは天性で 出家するのです 自分にそうするよう 強いたり 聖書や経典が 聖書や経典が そう言ってるので そうする 訳ではないのです イエスが 人々の中にいた時 靴さえ 履いていませんでした 彼は気にもならず 靴を手に入れる余裕が なかった訳ではなく 彼には弟子がいました もちろん弟子は マスターの人生を より快適にするべく どんな事でも 出来たはずです でも 彼はそんな事は 意に介さず もちろんそうしようと 思えば出来ましたが
彼は気にしたく なかったのです なぜなら ここに 短期間しかいない事が 分っていたからです 私達の星を加護し 天国の栄光へと戻ると 分ってたからです 私達の大多数が 物理的に 出家者の人生を 送る事はありません しかし 心の中で 私達が 天国への道を知ると 世俗の物事が もはや何ら魅力的では なくなってしまいます なのに 私達は 両方の世界を同時に 生きられるのです そして 肉体的生活を送る事も 素晴らしいのです 天界の生活と 比較でき それに より感謝 できるからです そういう理由で私達は この物理的惑星に 生まれたのです
私達は闇の中に 降りたので 再び 光を認識し 再度 光に感謝するのです 私達は苦しみの中に 降り立ったので 再び天界の 恵みを 享受できるのです ですから どれほど多くの 過ちを犯そうが 関係ありません 私達はそれでも 天界の 子息子女なのです ここに比較をする為に やって来たのです 私達はここに来たので 再び神になれるのです 天国を再び享受でき 私達の多くがその事を 忘れてしまっている 理由は この幻想的な星に いったん 降り立つと 見るべきもの すべき事がとても 沢山あるからです
また 肉体的快楽は 非常に魅力的で ほとんど天界での エクスタシ―に 比するものでさえ あるのです そして 私達は 神の王国の美を 神の王国の美を 私達の本来の家の 安全性を後に残して きてしまったために ここに自分で 家を作り上げたのです やはり この物理的境界に おける 神の創造物である こうした不思議な事 全てに魅了され私達は 非常に忙しくなり 天国との繋がり方を 再び思い出せません 疲れきってしまうまで 私達がこの世の 苦しみや 不正や 不公平さに もはや本当に耐え難く なるまでです
それから私達は再び なぜだろうと思い始め その時こそ 私達が家に帰りたい 天国に繋がりたいと 思い始める時なのです そしてその時こそ 全能なる神が 鍵を知る人の下へ 家に帰る道を知る人へ 私達を導く時なのです インドには 伝統的に こんな諺があります 弟子が準備できた時 マスターが現れる マスターはどこにいる 何者でしょうか 私達の内に存在し マスターとは神です マスターとは 広大無辺なる 宇宙パワーであり 無限なる愛なのです
しかし 私達がこの 肉体の中に存在する時 その力は もう一つの肉体 別の物理的道具の 内にあらねば なりません そうすれば 私達は 最初から接触できます 私達もまた この宇宙パワーを内に 持っているからです ですから 一旦私達が 別の物理的な事務所や 肉体的な道具を通して それを思い出せば 再び自分の運命の マスターになれます
私達は再び 神と 一つになれるのです 私達が この物理的な星に 降り立つ前の 本来の姿になるのです 天国に繋がるのは 非常に簡単な事です お金を稼いだり 車を運転したり する事よりも ずっと簡単です 想像し得る事の中で 最も簡単なのです 聖書は述べています 「神の王国は 手の内にある」と その通りです 私は 皆さんが お望みでしたら 皆さんに 毎日天国へ 戻る方法を教えます 私達に出来る方法が 三つあります 最初の方法は 自分自身の事を まだ真剣に研究する 準備が出来てなければ ただ ほんの少し 試す事も出来ます
自分自身や 天国の事を もう少し知りたいなら もう少し厳しいのを 試します 二年生用があります 本当に真剣で 本当に 家に帰りたいなら 今生を終えた後で 再び この世界には 全く居たくないなら いわゆる印心が あります 約一時間から 一時間半ほど 説明があります 皆さんは 毎日 自分でどうすれば 良いか分かり 自分自身の 教師になるのです 皆さんが真剣であるか ないかにかかわらず 天国を味わえます 今日 この講演会の 終了後にです なぜなら 天国は私達 皆にあるからです 私達はそれを 知るべきです それが あらゆる 苦しみを終わらせる 唯一の方法です あらゆる無知に 別れを告げ 自らの偉大さを知り この瞬間より永遠に 天国の至福を享受する 唯一の方法なのです
全ての愛する者の中で 貴方が心から賛美する 全ての美しきものの中 貴方が心から賛美する 全ての美しきものの中 あなたは永遠に 探し求める 遥か彼方の愛を あなたの中にある愛を 時々 夕べに 一人になり 窓の外を見つめる 夜の影の中に 遠くの泣き声が 聞こえる 闇は広がるけれど 疲れた心は拒み 胸の鼓動だけを感じる ドラムのように鼓動し 混乱と共に鼓動する 私に行けと告げている 声だけが聞こえる でも決して去れない なぜなら 私のアフリカの夢には 新しい明日があるから 私のアフリカの夢は 私達が 追い求められる夢 今 夜の帳が 下り始めたとき あなたの叫びを聞く あなたの鼓動だけを 聞いている 私の夢はただの夢 もう一つの偽りの幻想 夜の影 私が欲しいのは 私達の鼓動だけ 一つになって打つため 混乱を静めるため すると痛みと幻想は 再び消えるだろう 私達は決して去らない なぜなら 私のアフリカの夢には 新しい明日があるから 私のアフリカの夢は 私達が 追い求められる夢 そして私の夢は 幻想のようだけれど 私のアフリカの夢は 混乱に終わりを もたらす
私のアフリカの夢 さあ声を張り上げて 息を合わせて歌おう あなたと私で 皆が一つとなって生き もう戦争はなく もう怒りもないように ここが私の地 ここがあなたの地 さあ平和を祈ろう 平和と調和を祈ろう
天国は私達皆に あるからです 私達はそれを 知るべきです それが あらゆる 苦しみを終わらせる 唯一の方法です あらゆる無知に 別れを告げ 自らの偉大さを知り この瞬間より永遠に 天国の至福を享受する 唯一の方法なのです 戦争を起こす人 憎しみを抱いている人 他人に 苦しみを与える人は 神を知らないからです 天国からあまりにも 離れた所にいるから 自分の本源を完全に 忘れてしまっている せいなのです また 私達自身も 時には 私達の周囲や この世の環境などに 非常に苛立ちを 覚えることがあります 日々において 処理すべき 全ての事に対してです
私達もまた天国から 遠い所にいるからです 天国はすぐここに 私達と共にあるにも かかわらずです ほとんどの場合 神を知らなければ 宇宙パワーと 再び繋がらなければ 私達は自分の 頭脳だけを使って コンピュータのような 頭脳を使い行動します 上手く動くことも ありますし機能しない こともあります 従って私達は苦しみ 成功よりも 失敗の方が多くなり 愛よりも怒りの方が 多くなります だから 私達はこの生き方を 変えねばなりません 人生が天国になります
私達が偉大なる 宇宙パワーを使えば もちろん 私達は より強く賢くなります コンピュータ頭脳の 限定的な力だけを 使っていれば 当然 違いは 非常に大きくなります いったん天国における 自らの場所を認識し いったん宇宙パワーと 一体であることを 認識すると 神と一体と認識すると 私達のエゴは もはや存在しなくなり 万物と同一体になり 最高の知性と 一体となるのです 最高の愛全宇宙の力と 一体になるのです そうやって何でも 出来るようになり 私達は解脱します それで天なる父 わが主イエスが 私達に次のように 述べているのです 私がするが私ではない 私の天なる父がしてる 天の母と言い替えても いいでしょう すべての 霊性のマスターや 霊性の修行者が 主イエスのように 苦しむ必要ありません 彼は一度そうしました
と言うのは 当時 世俗の人々は 非常に無知であり この世の法も滅茶苦茶 だったからです 主が真理を広めたり 目覚めるようにと 人々に促すのが 非常に 困難だったのです また彼は マスターであったため すべての弟子の悪い カルマ(報い)に対して 責任があり それゆえ 彼は苦しみました しかし ほとんどの 一般修行者はこんなに 苦しんだりしません 私達は日々楽しみます
私達は天なる父の 加護を享受し 全ての古代のマスター 一同の加護を 享受するのです 私達はなお 宇宙に存在し サマディの幸福を 享受します 私達は自身の 肉体的存在の繁栄さえ より健康な肉体さえ 享受するのです より調和のとれた 家庭を享受します すべてにおいて 一般的なすべてが 修行者には至福です 神は慈悲深いので 私達は常に神と 一体だからです 私達の生き方には 二通りしかありません 一つは世俗で生活をし その存在だけを信じて いるものです もう一つの生き方は 神と一体であることを 自分で思い出すのです
神と一体であることを 見据えるのです そして その瞬間から 私達の人生は 完全に変わります そうであらねば いけません 今享受しているものや 私の上にもたらされた 全ては 私がまず神を 見出したからです まず神の王国を 見出しなさい そうすれば他の全ては 与えられるであろう これこそが 唯一無二の真理です 信じるべきです しかし 私達が再び繋がり 私達が神の王国の 一員であると 自分で思い出した後 神は 私達が 望むものほとんどを 授けてくれますが 私達の心は もはや これらの物質的所有に 囚われる事はなく それをこの世の慰めや それを必要とする 他の人に 役立てるために 使うかもしれません
でも私達の心はもはや そこに囚われません 私達の心は常に 神の 臨在の中に存在します 私達の心が主を 礼拝する祭壇なのです これより後ずっと 私達の肉体的存在での いかなる瞬間にもです 真の崇拝は主を 見た後で始まります 私達には唯一神だけ 私が単に主とか 神と言った時 私達が愛を込めて 最も偉大なる存在を 呼んできた名前すべて 含むことを理解下さい 私達が直に 神に対面しなくても 真の神を知らなくても もちろん 私達もまた 神を信じられます 神が存在することを 聞いていますし 神に祈りを捧げれば 神は応えてくれます
私達はそれが分ります 神が私達を助け 守護し 神が存在する ということで 幾らか 魂を慰められます しかし これは単に 感情的 心理的 霊的なものでは ないのです 真なる神の臨在を 本当に味わってません 直接的繋がりでもなく 直接的な知識でもない 例えば夫や恋人がいる と分かっていながら その人に一度も会った 事がないのと同じです 昔 古い風習では 結婚する前に 夫婦は会うことを 許されませんでしたが 彼らはある人と 結婚することは 分かっているのですが どのような 容姿の人かは 分かりません しかし 実際に結婚したら 結婚初夜から 全く違う話に なるのです 神を知ることは単に 神を信じることとは 違うのです 神を見ることが 本当に信じることです 神を知ることが本当に 崇拝することなのです 私達は 自分達が何を 崇拝し何を見ているか 分かるのです
どれほど長く話しても 関係ありません 神ではありません 皆さんが本当に 望んでるなら 真の体験を提供する 方が良いと思います そうですね
最初の質問です 伝達とは何でしょうか どう起こりますか それを受けた修行者に どんな利益が あるのでしょうか この世の言葉では 説明できるものが ありません だから 単に伝達と 呼ばねばならなく 一本の電線が 電気を もう一本に伝えるよう 一本の蝋燭の火が もう一本の蝋燭に 火を伝えるようにです 皆さんの内なる神が 誰か他の人の内にある もう一つの目覚めた 神を通して覚醒され それを 伝達と呼びます 単に説明のためでしか ありません それ以外 いわゆる印心中に 起こる物理的なことは ありません 皆さんの神は沈黙の うちに覚醒します 何かが存在しますが 目には見えません 神そのものが 皆さんの内なる神を 通して動き 神自身が神自身と 再び繋がるのです 実際に伝達される ものはありません
ただ この世の言葉に すべての霊的用語が 欠けているためです 質問は マスター 私が以前印心を 受けていたとして すでに習っている 呼吸法が 瞑想に差し障ることが ありますか もう一度印心を 受けるべきでしょうか 他の学校で 他のマスターから 同様の法門を 学んだことがあれば そこにいて下さい 再度 印心を受ける 必要はありません しかし 天界の光と旋律の 瞑想をしているので なければ 私達の法門を試して みてもいいでしょう ただ一度に 一つの法門だけです 混ぜてはいけません その時間はありません それに 二台の自転車に同時に 乗るのは危険でしょう マスター あなたは 神と直接の繋がりを 持つと信じていますか そうであれば この繋がりを弟子にも 伝えられますか ええ 信じています
この事は既に 無数に 証明されてきています 単に信じているのでは なくて 分かるのです マスター 質問が三つあります あなたは何に 瞑想しているのですか 痛み 不正 迫害の中で どう平安を 見出すのでしょうか どこでどのように 印心を受けられますか 一番目と三番目の 質問にはすでに お答えしていると 思います それで真ん中の 質問ですが 平安は常に私達の 本性の内にあるのです そして私達がそれを 忘れてしまったために 平安ではないと 感じるのです どれほど所有物が あろうと関係なく どんな状況に居ようと 関係ありません 私達はこの天性の 平安を思い出さねば 存在するのはそれだけ ですから イエスは 死と苦しみに 直面した時 困惑したり 逃げたり しなかったのです 彼は言いました
天なる父よ どれほど 私に栄光を与えて 下さっていることか 分かりますか それこそ思い出さねば ならない平安です この平安を思い出せば 私達には すべてが神の意志の 下に起こっていると 分かります このような事が起こる 理由と どんな利益が あるのかが分かります 見かけ通りではない 犠牲者は常に 犠牲者とは限りません 時に 私達人々が 私達の中の 最も偉大な存在が 自らの成長のために ある状況を創り出す ことがあります 真の犠牲者はいません 天国に上がり 宇宙で 機能する秩序を見たら 私達は神に対して 二度と不満を 言わないでしょう どんな状況に対しても 人生の一瞬たりとも 恩を感じずには いられないでしょう
聖典の中には 次のようにあります 「一本の抜け落ちる 髪の毛さえ神の意志で 起こるのだ」と 覚えていてください 黄金時代はいつ 始まるのでしょうか すぐここで 皆さんが 自分のために望んだ 瞬間から始まります でも 分かります あなたのおっしゃる ことが分かります 黄金時代には 二種類あります 一つはどんな時代の どんな時にもある 個々の黄金時代です もう一つは 全惑星の意識が変って より高い 意識レベルへと 移っていくことです その瞬間 全惑星が あるいはこの惑星の ほとんどの住人が 同じような至福の 意識を享受します それがこの惑星の 黄金時代と 呼ぶときです そうでなければ 私達一人一人は いつでも黄金時代を 手に入れられます 神と再度 繋がれば 神を認識するのにどう 禁欲は役立ちますか
すべての事が 神の認識に役立ちます 私達の目的や行動の 背後にある動機が 誠心誠意と 強い思いによって 作られる限り
初めのうちは 役立ちます あなたが 耐えられるならですが 耐えられないなら 時間とエネルギーの 無駄遣いで そのため 日々もがき苦しみます 神を思い出す代わりに 自分が避けようと するものを 思い出してしまいます どの道を歩むかの 選択は その人次第です 独身でいても 結婚をしても どちらでも構いません それはあなたの カルマ(報い)や運命 意志次第です またあなたが生まれる 前に この世界に 自分が歩むべく 印をつけた道なのです
降りてくる 選択をする前に みなさんは自分の 生き方を印して 来たのですから 違う風に歩きます 独身者が 神により近く 既婚者が神から より遠いという 意味ではありません それぞれが 自分の道を歩き それぞれが異なります なぜならそれぞれが 個別化した神だから その人は自分が何を しているか分かります たとえ今忘れることを 選んでいても 再スタートできます 分りましたか あなた次第なのです あなたがどう自分の 状況を処理できるか あなたがどのように 人生を印してきたか なぜ神は長時間かけ 人の祈りに 応えるのでしょうか それほどかかりません 私達の神からの 離別心が時間を かけているのです
この物理的境界の 時間という要素が 長く思わせるのです ご説明いたしましょう 私達が今体験している 肉体的存在を 体験するために 以前私達が神だった時 天国で神と一体で あった時 神として 私達はこの地球に この物理的存在に 時間と空間を創り それで神と離れる 体験ができるのです それで再び神と一つに なり その至福を 再び享受できるのです そのように 永遠に続きます 私達はずっと 新しい境界や体験を 創り出してきたので 神として 神の創造物として 再び思い出せるのです
それでこの境界に いる時には時間と 空間があり それで 物事を具現化物質化 するのに 時間と 空間が必要なのです 天国では すべてのものが同じ 時空に共存しています 離別などあり得ません 例えばここに 花があります 一つにまとめるのに 時間がかかりますか 全くかかりません 既に一つに なっているからです でも個々から一本 取り出し向うに置いた として この花々が 再び一つになりたいと 思ったら どれほどの 時間がかかりますか 一秒はかかるかも しれませんね 分りますか これが私達が 住んでる境界なのです すべてのものが時間と 空間により遮られます なぜなら 私達の 創造的頭脳が それを 望んでいるからです 今 私達はそれを すっかり忘れて しまっているのです 構いません 思い出せますから 観音法門の瞑想法を 修行すれば 皆さんはすべての事を 思い出します
なぜ皆さんに物事が 起こるのか 何を創り出したか なぜもたらされるのか なぜなら皆さんが それを創り出したから それで先程言いました 犠牲者は存在しない 私達に起こるすべては 私達の最高の 目的のために私達が 創り出したのです たとえそれが分らなく ても すっかり忘れて しまっていますから 忘れることを 選びました 我慢して下さい 死の瞬間 皆さんには これが分かるでしょう 観音法門を 修行していなくても 皆さんが望んだものは すぐもたらされる ということが分ります 常にそこにあるから 私達は常にすべての ものと共にあり すべてのものは常に 皆さんと共存してます
その時私達は既に 時空を超越します この世界から いわゆる天界へ 通過するその瞬間 私達は時間と空間を 超越します この体は時間と空間を 活性化させる 道具なのです それで私達が 望んだことはすぐには かなわないように 思えるのです 例えば 天国において どこかへ行きたいと 思えば ちょっと 考えるだけで 皆さんはすぐに そこに存在します 光速よりも速くです それで全ての 天界の衆生 亡くなった人々は 皆 考えることに 注意深いのです 良くない事は 考えるべきではないと 知っているのです
なぜなら 彼らが 考えたものすべては すぐに目の前で 具現化してしまうから ですが ここでは 例えば車が欲しくても 時間がかかります 車はここにはなく そこら辺にあります 私は先ずお金を作る 必要があり それから向うへ行って 値段を尋ね 書類に署名し 車を運転して帰ります 分かりますか 例えば そういったことです ですからここに座って 車が欲しいと思っても 神でさえすぐに 運んで来られません 時間が要るのですね それで神が私達の 祈りに応えてくれない と感じるのです いつでも応えています
ただ状況によって 後で来たり 今来たりするのです すべての宗教経典は 言葉 行い 考えを 常にきれいにして おくように 私達に 忠告しているのです なぜなら 何であれ 私達の考えや願いは 悪い事でも良い事でも いつかは 叶ってしまうからです でも この肉体が あるために すべての現実や すべての真理が 私達には 見えないのです 私達は何であれ することや 考えることを闇の中で 思ってしまうのです 誰も気がつきません 全てのものが 戻って来ます それゆえに キリスト教 仏教 ヒンズー教 イスラム教 ジャイナ教など 全宗教が 人々に 良い事をし 良い事を 思うように言ってます 皆さんがした事や 考えた事は何であれ 戻って来るからです 因果の法が どう働いているかが 分れば非常に怖いです 非常に怖いです 私達が本当に これらのものを 目の当たりにすれば もっと自分達の 考えや行動に 注意深くなるでしょう
時代を超えて 過去のマスターたち 預言者たちは 人類の 最大の力の一つである ゆるしについて 明らかにしてきました 十月七日木曜日の 智慧の言葉で さらに学んでください
時代を超えて 過去のマスターたち 預言者たちは 人類の 最大の力の一つである ゆるしについて 明らかにしてきました 本日の智慧の言葉で さらに学んでください
これらの規則は 私達を守り 状況を保護し 私達の平和を守ります 分りますか ですから この法律はよく社会を 守るためにあるのです 例えば 私達は盗みません 本当のことを言えば たとえ盗んでも 仏陀はあなたに 腹を立てたりしません どうして激怒しますか 仏陀は愛しか 知らないのです 怒りは知らないのです
スプリームマスター テレビジョン 十月十五日金曜日 スプリームマスター チンハイの講義 「戒律の真意」の 第一部は 智慧の言葉で ぜひご覧下さい
スプリームマスター テレビジョン 本日の番組 「戒律の真意」は 智慧の言葉で ぜひご覧下さい
誰でも仏陀に なることができます 仏陀とはなんですか 智慧のことです 例えば 科学は 私達が脳のたった 5%しか使ってない ことを証明しましたね 私達はまだ95%も 使ってないのです 使ってない95%を 発達させられたら 私達は仏陀になります そういうことです
スプリームマスター テレビジョン 十月十五日金曜日 スプリームマスター チンハイの講義 「戒律の意味」の 第二部は 智慧の言葉で ぜひご覧下さい
スプリームマスター テレビジョン 本日の番組 「戒律の意味」は 智慧の言葉で ぜひご覧下さい
私達がこの人生の 短い時間を使って 自身を霊的に高めれば 後になって 私達の生命は永遠に なります 悟りに おいて永遠になります
スプリームマスター テレビジョン 十月十五日金曜日 スプリームマスター チンハイの講義 「戒律の意味」の 第四部は 智慧の言葉で ぜひご覧下さい
スプリームマスター テレビジョン 本日の番組 「戒律の意味」は 智慧の言葉で ぜひご覧下さい
マスター地獄について 話されていませんが コメントして 頂けませんか
私達皆がその事を 分っていると思います なぜ地獄について 話さねばならないの 天国は私が提供したい 稀なる贈り物です 地獄はこの地球でも 既にどこででも 見ています 触れる必要はないです いつでも隣の人を 殴りたいと思えば それが地獄です 私達が様々な意味で 誰か他の人に苦しみを 与えてしまう時は それが地獄です 誰か他の人が 私達にそうする時は いつでも地獄です 私達が誰か他の人に 何か否定的な思いを 持つ時は それも地獄です 常に創り出しています 自分の考えに対して 注意深くなるべきです
質問ではありませんが とても素敵な内容です ヘレンという方から 「親愛なるマスター チンハイ どうか私を ぎゅうっと 抱き締めて下さい 本当に嬉しいです 南アフリカにようこそ 本当にありがとう ございます」 どなたですか ここにいらっしゃい アフリカへの象徴に 一人を抱きしめます いいですね 皆抱きしめられたいと 望まないで下さいね 時間がありませんから マスター 瞑想の成功の秘訣は 何でしょうか 誠心誠意の切望です 秘訣はありません 私達に準備が出来た時 ただそうするのです まるで 空腹時に食べるのと 同じです
秘訣はありません 古代の全ての教師達は 彼に従ったり 何かを学んだりする ように決して人々に 強制しなかったのです 人々に強制したり 訓練したりする 事ではないと 分かっていたからです お腹が空いているのと 同じようなものです ある人がこのように 鼻を塞いだら 何が 必要ですか 空気です それで神に飢えてたら 皆さんが欲するのは 神です それが自然現象です 何ら秘訣はありません しかし 役立つ方法はあります 集中方法を知れば 役立ちます それも皆さんには 簡単です 後には 習慣になります 少しも集中する 必要がなくなり 常に神を見ている ようになります 歌っていたり 運転をしていたり 他の人の事を考えてる 時でさえもです 友達が昨日お金か 何か無くしてしまった と考えてる時でさえ 神はそこに存在します
皆さんが何かに 集中するたびに 神はそこに存在します 今 私達が 集中したいと思うたび その方法が分からず 出来ません しかしその時になると 自然にそうなります
祈りと瞑想には 基本的な違いが ありますか それとも同じですか 瞑想は深い祈りで 最も真なるものです なぜなら 私達はすぐに直接 結果を得るからです 讃えたり話し掛ける時 要求するからです 「どうか神様こうして ああして これ下さい あれを下さい」と しかし瞑想中は 私達は何も 要求しません 神にお任せするのです 私達にはまた 神と直接繋がる方法が あるのです 私達は話し掛ける 代わりに 聞くのです なぜなら神は私達が 望むものを求める前に 知っているからです
神なのですから 私達は耳を傾けます それが瞑想です ただ座り私達のすべき 事を神に話して もらうのです それが 瞑想方法です 私達が神と繋がりを 持ったと感じられる 特定の瞬間が あるのでしょうか ある種の霊的な 振動力や オーラの 感覚というものが 人の周りや内側に あるものでしょうか ええ 神の臨在を感じ取る時 本当にそれを 感じますし それが判ります もちろん皆さんに 判るはずです 例えば 印心の最中ですが 皆さんは神の光を見て それで分かります それから 神の声を聞きます 神の旋律である 天界の教えです 皆さんは分かります
何ら間違いが起こる はずがありません ちょうど皆さんは 今 私の話を聞き 私の声を聞いてますが 私がここに居るか 居ないかを疑うような 過ちが起こり得ますか お分かりになりますか 私達には毎日 この神の臨在 神との繋がりが あるのです 印心後 私達は方法が 分かるのです とても簡単な事です それだけ 簡単です この修行をしている 古い修行仲間に 聞いてみて下さい 話してくれるでしょう 単に全ての瞬間です マスター 私は他のマスターに 印心を受けていますが 瞑想が困難です 何か示唆して 頂けますか 人が目を閉じて 集中したなら 何が起こるの でしょうか
そこにさえ 達していません 自分のマスターの所に 戻って印心を もう一度受けて下さい 彼に尋ね 彼と一緒に 居て下さいしばらく 彼と一緒に 瞑想して下さい それで 改善されます 手違いがあったかも 既に印心を 受けてると言ったのに 瞑想中に何が起こるか 分からないと 言うのですから あなたは神の光を見て 天界の音楽を 聞かねばなりません そういう事が起きます イエスや仏陀 ムハンマドや 全ての 古代のマスターに 会うべきなのです 自分のマスターに 内面で会い 新たな指示を教えて もらうのです
より良い生き方 天国への道について そういう事が 瞑想中に起こるのです まだ分からないのなら 印心を受けていないと いう意味です あるいは違う種類の 瞑想なのかも しれません あなたには上手く 機能してないから 別の方法を探すべき かもしれません それは起こる事の 一つの例にしか過ぎず 数えきれないほど もっとあります 一つの例に過ぎません 聖なる書物を読むのは どれくらい重要ですか その本に書かれている 真の体験について 更に知りたくなる為に 重要なだけです その後で真の体験を 知らねばなりません
読むのではなく 例えば メニューを 見たり あるいは 友達の手紙を 読んだ時に 「昨日私はこれと あれを食べてとても 美味しかった」と あっても そのレストランに 行って同じ物を 食べたいという気に させることこそが 重要です しかし そこに行って 食べなければ 単に 手紙は手紙でしかなく メニューはメニューで どうしたら 神の信奉者が 非信奉者に 神や無上の存在 究極の真理を 証明できますか 私は出来ます 後で ちょっと残って下さい あなたに証明します ここで見せられません 多面性の中にある 神は抽象的なもの だからです でも私は証明できます
内面で見せられます 神は現れます 神の存在を証明する 方法が二つあります 簡単な方法はこうです ご自身を見て下さい 誰があなたを創った? 自分が希薄な空気から 生じたと思ってますか 赤ちゃんがいるなら 母親と父親がいます この宇宙にはとても 沢山のものがあります どこかに創造主が 存在するのを 証明するのに それで 十分ではないですか いいでしょう 神は隠れているのかも しかし私は 神をお見せ出来ます 隠れている存在を しかし物質化された ものは私達です 神が物質的な形に 姿を変えると それが私達なのです
ここに座っている 神なのです こんな事を引起こした 神なのです いいですね でも 神は不可視の 愛であり 遍く行き渡っている 加護の力なのです 見るには不可視の 通路で内面に入って 行かねばなりません 物質の神を見たいなら ここに居ます どこにでもです 後ろにも 隣にも いいですね マスター チンハイ 南アフリカに来て 下さってありがとう それは神の意志でした あなたのメッセージが 自国の犯罪を止めて くれたらと思います 握手する栄誉を 得られたらと望みます どなたですか 今日の午後に 聞いた報告に寄ると 女性に対する暴力が 今週 ほとんど ゼロに近く 減ったそうです
最初の質問の答えです 二番目の質問ですが 私はいつも人々と 握手しますが 沢山の人がいる時は 皆と握手をすることが できません 例えば昨日ですが ヨハネスブルグに居て 皆さんと握手するため 講演の前に 出来る限り 歩き回りました 今日は大変美しく 見事なダンスを 披露して頂き 魅了されました
皆さんの愛に 感謝します 全てが神の意志なら なぜ印心や解脱を 求めるのですか それも神の意志 だからです 皆がそうすべき とは言いません 準備が出来ている人の 為に私はここに居ます 神の意思が命令して 準備が出来た人と なったのです いいですね 一人以上のマスターを 持つべきですか そうしても良いですか もちろん 望むだけ多くの マスターを持てますが 何のためにですか 高い境界へと導ける 一人の肉体を持った マスターで十分です そこで沢山の マスターとも学べます イエスや仏陀 好きな存在誰ともです 肉体のマスターは 内面にも存在します
ほとんどのマスターは 同じ事を教えます 一人のマスターが 観音法門を教え もう一人も 観音法門を 教えるとします 両方のマスターが 同じ事を教えるのなら 一人のマスターから もう一人に移る必要が ありません 一人のマスターへの 信仰心は霊修行に 非常に役立ちます マスターは結局 あなた自身がマスター であることを教えます それがマスターを 必要とする第一の 理由であり 収集品の ように沢山マスターを 探し求めないことです どうしたら 神との 霊的接触を絶やさず 続けられますか 印心したら 決して絶たれません 菜食者になるように どう助けて頂けますか いえ いえ 私は助けられません 私は日に一、二食しか 食べません 皆の分は食べられない すみませんね 神とは誰ですか なぜ 神は宇宙を このように 創ったのですか
内面の神に聞いて 最初に 既に 説明したように 私達自身が神であり 神と一つなのです 私達が あるいは 内なる神が あるいは 神が 別の個性へと 分かれるのを 選択したのです 沢山 神を体験し 多彩に創造物を 楽しむためです 分かりますか 常に神とこのような 一塊として 一つで あり続けると 何一つ 起こりませんね それで創造が 始まったのです 楽しむためにです 私だけがここにいて 皆さん存在しなければ ここで何もする事ない 何の交流や 体験もなく 互いに愛することも ないのです 私達が神だと 神の愛を知ることが 出来ません 私達が 神であることを 楽しむためには 神から離れねば ならなかった それが目的です 否定的な考えや 気持ちを追い出すのは なぜ難しいのですか 習慣だからです 次回 否定的な考えを 持ったら いつでも すぐ反対の考えに 置き換えて下さい いつでも この事を覚えていて 習慣になるまでです 全ては習慣です
繰り返し 行えるようになると 簡単になります 私の祈りが神に 聞こえますか 神が聞いていると どう判るでしょうか 最後に神を 見たことがありますか あるなら どんな体験でしたか あります 印心を受けたら どうですか それなら 自分で 体験できます 私が誰かに恋している 気持ちを また 相手が 私に抱く愛を どう説明できますか 分かりますね 自分自身の 神の体験を 得るべきです 神が人間の言語で 説明可能なら 神を探し出す必要が ありませんね 神が他の人によって 語られ得るものなら 神を知る必要が ありません 神の体験は あなたの人生で 起こり得る 最も素晴らしい ことであるため あなただけが 知るのです
神について 語れば語るほど 私は非常に もどかしく感じます もちろん私は神を見て ですから 教えられます 皆さんも 見られるようにです なぜ この世に 民族的多様性が 存在するのですか なぜ 沢山の 花々があるのです 違った種類の それが理由です 神は非常に芸術的で 全能であり 非常に美しく 色とりどりです それで神は私達を そう創ったのです 多くの花々が私達を 楽しませるようにです 多彩な人生のために 多様にしました それに関して 何か変ですか 一色だけで あるべきですか 神が黄色だけを 創り出すべきですか
皆が私そっくりである べきですか それで 面白いと思いますか どっちですか いいえ そうです 今 自分で答えましたね 神との接触は 修行すると 直ぐに起こる ことですか 印心直時に または 印心の後 家で いつでも起こります 私は皆さんに 集中の仕方と 心の静め方を教えます すると神を見られます 家でも行えます 最終的には 物質化や 創造する力を 得られますか ええ出来ます いつでも物事を 創り出せます いつでも物事を 創り出せます 何かを 考える度に何かを 創り出すでしょう そのような力はいずれ あなたの元に至ります
ですから 私達の考えることに 注意すべきです 良い事を考えれば 良い事が 私達に訪れます 悪い事を 考えれば 悪い事が訪れます 欲しい沢山の 良い物を考えている 瞬間 私達が 死んだとすると 私達が創り出し 望んだことすべてが 満足に 起こらなかったため それらを楽しむために 私達は再び生まれ 変わらねばなりません それで すべての マスターは物質的な 所有に集中せず 天国に財産を 所有すべきだと 忠告するのです つまり 私達は神の王国に 集中すべきであり 物質的な所有物には 余り気にすべきでない という意味です
そのため 超能力や 物質化することを学ぶ 必要がないのです 私達は人生において 常に創造力を 持っているからです 例えば 今この瞬間に あなたが死んだら 私が言ったことを 完全に理解します この制限された 牢獄から離れると 自由になります 同時にあなたの 魂はどこにでも 存在するになります 同じ瞬間に 多くの場所にです また どんなものでも 望んだものは 直ぐにあなたの元に もたらされます この肉体を 持つ為 私達は それが見えないのです それで私達は 考えることや 望むことに 不注意なのです 頭脳を上手く 制御していません 考えたすべてが もたらされると知れば 考える事に注意 深くなるでしょう 神があなたの全生涯を 決定されたのですか ご自身がマスターの 運命を選んだのですか すべては神によって 決定されました しかし繰り返しますが あなたは神です あなたが自身の運命の マスターでもあります いいでしょう 皆さんの愛と ご静聴に とても感謝します