智慧の言葉
 
Supreme Master Ching Hai:An Interview with RTV Slovenian - Part 1 Feb. 26, 2008-Slovenia (In English)    Part 1
Part 1
Part 2
Download    

私はどんな宗教も 信じませんし どんな 特定の宗教団体にも 属していません 一人で 瞑想していますが これで開悟できますか

これはあなたが まだ開悟していないと いうことを示します 開悟していれば それが分かっていて 少なくとも安全な 感じがするでしょう どんな宗教団体に 属しなくても 開悟できます 仏陀を見る前に信じる 必要はありませんが 必ず仏陀を見るべきで 神や仏陀に 面と向かって見るか 仏国土に 行ったことがあって  初めて 仏陀の存在を認め 信じることができます 無神論者も 結構ですが 一生 それで通すのはあまり よくないと思います できる範囲で それを証明しなければ なりません 誰も証明して くれないとしたら 一生無神論者でいても 誰も非難しません

しかし誰かが 証明してくれた場合 少なくとも 自分に他の超世界の 存在を知る機会を 与えるべきです するとあなたは 仏陀や神の存在と 他にも何かがあると 信じるようになります 大きな苦難について もっと説明して下さい なぜオゥラックの子は こんなに苦しみますか 前世で罪があって そうなのですか 昨日私が言ったように 罪のない人はいません ただこれらは皆私達が 学ぶべきものなのです 私は誰も 非難したりしません いずれも勉強なのです 勉強の過程は 苦しいものです いったん開悟すれば 物事に対し違った 見方ができ いずれも 勉強だと分かります

オゥラック (ベトナム)人も 過去世で 何か間違った事を しています 他の国を侵略したり 彼らを住み慣れた 土地から追い出し 人々を抑圧したかも しれません 歴史を読めば それぞれの国は 似たような経歴が あることが分かります ぞれぞれの国は 他国に対し 何かをしています そして数千年後 または数百年後 その報いを受けます 私はオゥラック (ベトナム)人で 出来る限り私の同胞を 助けています 今でもやっています だからといって 私は真実を言っては いけないという わけではありません 意味が分かりますか 私は正直な人です 良い事は 良いと言います 美しい女の子が 手や顔に 斑点があったり することもあります その斑点は 美しい体にあることも あるのです 分かりますか 私は国を愛し 私の 同胞を愛しています

しかし世界は 私の国でもあり 全世界の人民は 私の同胞でもあります それぞれの国は皆 盛衰の歴史があり 過ちや輝かしい一面や 長所があります 従って その国の人民が共に 何か善行をした場合 国全体は その善行の結果 報われます 国全体が 誤って 間違いを犯したり 無知で 無意識的に 他の人に 害を及ぼした場合 早かれ遅かれ その報いを受けます 毎日の大量の 虐殺を見て下さい 私達の百年ほどの 肉体のために どれだけの命が犠牲に なっているでしょうか  おびただしい魚  えび 鶏 豚などです 戦争や苦難 病気のような形以外に どうやって この磁場を分解できる と思いますか 私達がした全ての事は 天空や空気中に 記録されています

何一つ漏らしません 他のエネルギーで 薄めるか別の行動で もって均衡を保つしか ありません 消えることはないです 消えません 例えば 水が氷に なったとします これを消すには 太陽光で照らすか 電気か光で熱を 加えて蒸発させて 空気中に 消さなければ ならないのと同じです 従って 私達がいつまでも 虐殺をして 動物達を 苦しめるとしたら 動物にも 意識と考えがあり 憎しみのエネルギーを 発します これらの憎しみと 恐怖心は強力な エネルギーとして 空気中に充満していて これが沢山集まると 大きな苦難を招きます この物質の宇宙では 私達が 使っているものは すべて代価を払います ですから すべてのマスターは 菜食を強調するのです 生きるための代価が 最小です 動物も植物も 命がありますが植物の 代価はより少ないです

例えば百ドルしか 稼がないのに二百ドル 使いたいなら もちろん負債を負い 問題が生じます 安い物を買い 最小限の費用で 生活をまかなう 努力をしたら 負債の心配は ないでしょう 分かりますか ですから私達は 菜食と果物 ナッツ類を選択します これらは内面の 意識が低く 食べた後 あまり罪を感じません 樹からいくらか ナッツを採っても まだ沢山のナッツが ついていて 数千もの ナッツの樹が生えます 消えることはないです 花や 枝 野菜を 切り取ると  切り取った所から もっと多くの野菜が 伸びます これで分かるように 菜食は害が少なく 代価が低いのです

肉体をもった凡夫は 仏陀になれますか それは可能ですか

凡夫は 仏陀になれますか なぜ不可能ですか 昨日言いました 凡夫はいません 仏陀は心の中にあり あなたの中に あるからです この中の この家に 住んでいる人が 仏陀です 分りますか 私達は元々 仏陀です どの人が凡夫か 探せますか 自分を知りたくない だけです 仏陀であることを 忘れているだけです 誰が凡夫なのですか 見かけません 仏陀は心の中にいます つまり 人間の 内側が仏陀です 外側は住居か 家か 服だけです 私達は仏陀です このことが 分りませんか マスターは  仏性は中側にあると 説明しました あなたは仏陀で 真のマスターがその 扉を開いてくれる限り 仏陀になれます

印心後 人は 出家すべきですか 印心後 家庭を離れ 僧になるべきですか あなたが答えて下さい その必要はありません 私も僧ではありません なお仕事をしていて 映画を見に行きます 一般人と同じです ただより健康で 幸せな生活を送ります どこから来たのか どこへ行くのかを 知っているからです 宇宙の構造は何か 人生の目標が あります 世俗の観点から 物事を見るのでなく 宇宙の観点から 物事を見ます あなたは 毎日幸せです 中陰身(中陰)は 仏陀になれますか 中陰身とは 人々が死んだ後 四九日の間 いわゆる 魂か体が存在すると 信じています これが 「中陰身」です 体が 他の体に 体が 他の体に 生れ変わる前が 「中陰身」です 体を離れている間 生れ変わる前 「中陰身」と 呼びます

いいですね もちろん 「中陰身」は 仏陀になれません 肉体にいる時 仏陀の種をすでに 発芽させたなら 別ですが 分りますか それから この世を去った後 引き続き成長します 芽がすでに 発芽したため 今 私達には 仏陀の芽がありますが 発芽していないため それで 死後も発芽しません 分りますか 死後は もっとひどくなります 体がある時 まだ発芽できる 条件があります 体がなければ 発芽できる条件は ありません 分りますか だから まだこの世で 生きている時 まだ体がある時 印心して 仏性を 発展させるべきで 発芽させるのです そうして死後は 安全でいられます 肉体がある この世にいてこそ 仏性が 発芽できるのです

ですから 仏陀は 人の体は大変貴重だと 話すのです どれくらい貴重か 彼はある物語を 話しました ある盲目の亀が 深い海中に 住んでいました 百年ごとに一度 水面に上ってきて そして偶然にも 亀が通れるほどの 穴のあいた 木の板に当たりました 百年ごとに一度 水面に上り  ちょうど木の板の穴に 当たらねばなりません どれほど困難でしょう 分りますか 同様に人の体は 大変得がたいのです たとえ可能だとしても なぜなら 人の体があってこそ 智慧を発展させられ 仏性を 発芽できるからです 分りますか

誰かが私に いわゆる「魂」について 尋ねました 説明しましょう 仏教では 「中陰身」という 言葉があります 「中陰身」とは つまりこの肉体を 離れた後 次の存在の状態に 入る前に使われる 体のことです 胎内に入る前や 次の存在の状態に 入る前 四九日間の 期間があります あるいは魂  いわゆる「中陰身」 つまり 「中間」の体は 世界中を飛び回り あちこちと飛んで 休憩する場所を 探したり 人生の目的を探したり 輪廻できる所を 探します 人々は私に尋ねます

「この種の体で私達は 仏陀になれますか」と 「はい」であり「いいえ」 「はい」というのは 肉体にいる間 すでに開の種を 発芽させた場合です それで肉体を離れた後 芽は成長し続けます この肥沃な 地面にいてこそ 種が発芽するからです 水がなくては 土がなくては 発芽しませんね でも「いいえ」の方は 肉体にいるときに 前もって 仏陀の種をまかず 発芽させなかったり 神の王国を 開かなかった場合です それでこの肉体を 去る時 あなたはまだ このような状態です この生涯で文盲なら 死後 あなたは 読み書きが出来ますか もちろんできません より悪くさえなります だから仏陀は 人間の体は 本当に貴重だと 言うのです

とても貴重です 私達はそれを肥として 使い 私達の菩提を 成長させます でも観音法門を修行し 開悟を得た者 あるいは印心後は その期間を通過する 必要はありません 分かりますか あなたは直接仏国土に あなたのマスターが いる所へ行きます そこで更にあなたは 学びます 学びが 不十分な場合ですが 十分学んでいるなら 地球より上にある ある地で マスターになります または地球に戻り 地球人のマスターに なります マスターの地位に 未到達で不十分なら マスターがいる所に 行きます 彼はあなたの 面倒を見て 教育し あなた自身が教師に なるまで進歩させます いいですか さまよう中陰身の 期間を経験する 必要はありません 問題ありません 約束します 舎利または舎利花は 何を表しますか これが舎利で 死んだ骨です 私にとって 舎利 舎利花など 何の意味もありません

これは単に一種の 形見にすぎません 生きているとき 私達はこの世界に 執着します 死んだ時 私達はまだ それらを置いていけず 何かに執着します まだ何かをお土産に 抱えていたいのです 人々は 修行者とか 偉大な修行者が 死後 火葬された後 舎利を残すだろうと 信じています それは 火葬中に 私達の体から出る 一種の化学反応です だから修行を全く しなかった人々にも 舎利があり 一方 他のいわゆる修行者に 全く舎利がないことが あるのです 面子を失うようです 多くの話を聞きました

私の弟子の非印心の者 ご主人は死んだ時 舎利と舎利花が あったそうです また私は知っています 多くのいわゆる 修行者は 火葬した後 骨以外 黒い骨以外に 何もないのです 他人を中傷する つもりはないです あなたが尋ねるので 私は答えます 心は非常に純粋です 誰の好みに合わないと 意味ではありません でもあなたは 私が言わないと 理解できないでしょう 分かりますか それは私の責任です 外へ行き他の人々に あなたは敬虔な生活を しても舎利を残さない と言ってはだめです 従って 私達は舎利が 何を表すか言えません 単なる科学反応だと 思います 違いますか

知りませんか それならあなたは フォルモサ(台湾)へ 行きあなた自身で私が 話した事が本当か 見るべきです そうしてみましたか 自身で見るまでどうか 何も信じないで下さい 他の人々から聞く事は 違うのです 分かりますか 伝言は誰か次の人に 伝わった時からすぐ もう違うものに なるからです こういった神秘的な事 不思議な事はあまり 話さない方が良いです 人は私達をひどく 笑うでしょう すみません私はかなり 率直な人間ですので 憤慨しないで下さい

腹を立てないで 私は彼に言いました 「私に憤慨しないで 私は非常に 率直な人間です 私が知る事は何であれ 考えた事は何であれ ただそう言います 時に人は傷つきますが そうするつもりは ありません 修行者として私達は 智慧を発展させ 見た事を論理的に 信じるべきです 私達が見ていない事 知らない事を常に話し 全て神秘的な話を 作り出すべきでは ありません 仏陀後の人々が 舎利を考慮するのは ヒンドゥー教の 伝統からきています 偉大な修行者 (それほど偉大でない 修行者) の死後 彼らは火葬にされ 灰はガンジス川に まかれます でもある偉大な 修行者には 沢山の学生がいて 彼らは そのマスターに 執着し 愛しているので 死んだ後でも マスターの灰を 持ち続け 家に持ち帰り 崇拝したいと思います

ええ理解できます そうです 理解できます 物語はこう続きます 仏陀つまり 偉大な修行者の死後 彼らは幾らかの いわゆる舎利を残し それらは一種 凝縮された形で 岩や宝石のようで 時には異なる色 だったりします これらを私自身の目で 見たことがあります いわゆる「舎利」です 他の種類として 花のように見える ものもあり それを「舎利花」 「舎利花」と呼びます 私はこれも見ました 私の体験によれば 全く修行していない 人々でも 多くの舎利 舎利花があり いわゆる修行者で いわゆる純粋な生活と 人生を送った人でも 全く舎利を残さない 人もいます

それで私は彼にそれは 化学反応の一種に 過ぎないと言います 火葬中には異なる 身体からは異なる 化学反応があるのです 恐らくある人達の骨は 少し堅いので こんな風になったり するのでしょう または熱が非常に 強かったとかね 時々 私達は何か高温度で 焼いたりします 堅くなり 残りが堅く 輝いたりすることも あります 時々低温で焼く時も ありますし 家に帰って化学繊維か 何かを焼くと このようになったり 何かになったりします 綿でも 綿の切れ端でも 異なる熱で燃やすと 反応が違います そうですね 試しましたか 私は試しました

時々一晩中 ろうそくを燃やすと 残存物が残ります 一時間か二時間しか 燃やさないなら 残存物は出ません ろうそくやオイル ランプからの残存物は それを残した人々の 骨と同じくらい 量が多いです 私は本当に驚きました しかし私はこれらに 関心がなかったのです 舎利はどうでもよく 弟子の親族が 亡くなったとき 火葬にしたときの 実話ですが その後 舎利がでて その舎利はフォルモサ (台湾)に 今でもあります その家族は父親の 舎利のことで本当に 興奮していました なぜ父には舎利が あるのでしょう 父は肉を食べ 酒を飲み 決して仏名を唱えず どこにも行かず 修行している人々に 反対さえしました

彼は修行者に 反対していました マスターが印心をした 妻に反対しました 私はあまり多くを 話したくないですが 自分で判断して下さい ある事例で彼の妻は ずっと以前何年も前に 私が印心しました その人が亡くなった時 (夫が亡くなった時) 非常に 普通の状態で 彼は年に一度も菜食を しませんでしたので あなたは理解できない そして彼は 仏陀の名を唱えたり 寺で礼拝する 妻を からかったのです 彼は実際こういうこと 全てに反対でした 彼が死んだ時もちろん 妻は多くの僧侶を 呼びました 

ええ やって来た僧侶は 彼に加護を与えるため 読経しました 読経しました しかし読経すれば するほどその人は 黒くなったのです 中国やオゥラック (ベトナム)の 言い伝えでは 明るい顔ではなく 黒い顔で死ぬと 必ず地獄か 非常に 低い存在レベルに 行くと言われています だから彼女は 非常に怯えていました 「なぜ沢山の僧侶に 来てもらい 大金をかけて 献花をして 果物を捧げて 何度も儀式をしたのに 顔は変わらないの」 どんどん悪くなり 彼女は怯えていたので ようやく私のことを 思い出したのです

やっと私の出番です いつも私は最後です 私が香港に 出発する前のことです その瞬間 私は空港に 向かいたかったのです 彼女は その五分前に 電話で状況を話し 夫の魂を救ってほしい 夫を解放させてくれと 熱心に頼んだのです 「でもあなたは沢山の 僧侶をもう呼びました 私の場所はないですよ 私が言いたかったのは 「私に頼まなかった」 彼女は言いました 「今 頼んでいます」 彼女は言いました 「ええ今頼んでいます お願いです 夫を 助けに来て下さい」 いいですよ やります

その瞬間に すぐに顔色は ばら色に変わりました とても赤みが差し 彼が天国 高位の場所 幸せの場所に 生まれ変わることを 意味します その後 火葬すると いわゆる舎利が たくさん出ました 彼はまったく 修行しませんでしたが 妻の電話のおかげで 顔は黒から 赤みが差したのです それだけではなく 他にもその最中に 色々ありました 彼の家族の多くが 私が霊でその家に来て 彼を助けたのを 見たのです 私は行きませんでした 彼らが話しただけです 彼らがそのように 話しただけです 私は行きませんでした

光の姿の体での 私を見ただけです その後 遺体を火葬にして 舎利を拾いました そのことについて私に 何が言えるでしょうか 彼は生涯 決して 修行しなかったのです 彼は修行に反対さえし 菜食を食べなかった 即刻開悟の意味は 何ですか すぐに悟りを 開くことです 全くその通りです それ以上はなく それ以下もありません マスターが言うには 印心の最中 あなたは すぐに光を見ます 悟りを開きます 「悟り」とは 光を意味します その光を見ます 分かりますか あなたが 悟りを開いたら すぐにその光を見ます

ですから 「即刻開悟」と 呼ぶのです 私はトップレスの ダンサーです 罪を犯していますか 印心を受けられますか はい 受けられます 私の目で見ると誰も 有罪ではありません それは 社会の条件です 誰もが様々な仕事をし 誰もが違いますが 生き抜くための 困難です しかし誰もが皆 女神であり神です 皆誰にも 仏性があります 悟りを開いた後 再び 生まれ変わりますか 印心後 再び戻って 来るかどうか ですね はい いいえ 違います 望まないなら来ません

戻ることを望むなら 戻ってきます 印心後 戻りたいと望むなら 何かの目的のためとか まだ現世に 願望を残しているなら 戻って来るでしょう さもなければ来ません 来る必要はありません マスターはあなたを 直接により高い所に 連れて行きます そこで 私達は多くの 他の事をします より高い目的 より高い恩恵 より高いレベルの教育 人の悟りは 涅槃に入ることと どう関連しますか 「涅槃」は至福  喜び 法悦の意味です 悟った後 時々サマディーに 深く入り  涅槃を体験します 印心後 毎日あるいは 週に一度かたぶん時々 いわゆる涅槃を 体験できます

それはどれほど純粋か どれほど修行に勤勉か どれほど信心が あるかによります そして死後 大涅槃を 体験します 二度と戻って来る 必要はありません   今毎日体験する 小涅槃はたぶん 30分の至福でしょう それから 仕事に 戻らねばなりません または妻に呼ばれたり 子供達に呼ばれます それで 必ずしも 大涅槃を体験するとは 限りません この世界との繋がりを 断った後 常に涅槃に いることが出来ますよ

仏教で言われた 多くの生涯の教義は キリスト教徒の 一回だけの生涯の 教えと一致しますか いいえ それは誤解です キリスト教は 生涯が一回しかないと 教えていません それは聖書が 長い間に人々に よって削除 検閲 整理され 多くの 真実を隠したからで 私達が明確にそれを 理解しないからです さもなければ 覚えているなら イエスがまだ地球上に いた時 人が彼に聞きました 「あなた以前の偉大な 予言者の誰々の生まれ 変わりですか」と 彼は沈黙を守りました その当時 彼が沈黙を 守ったのは受け入れた ことを意味します

さもなければ 彼は 激しく否定するはずで 彼は拒絶して言います 「いいえ いいえ それはでたらめです 他の生涯はない輪廻は ない 何にもない」と 分かりますか あらゆる宗教は 輪廻について話します 多くの生涯の教えを 意味します 一回の生涯しか ないとしたら 徳高くなり 善行を する必要がありません その後終わりました 分かりますか 下線部はそれです 多くの生涯です 又聖書は言います 「蒔いた種は 刈らねばならぬ」 他の生涯がなければ 蒔いたものを どう刈り取りますか 多くの人々を見る ことができるからです

彼らは悪いことをして 非常に快適な 生活を送ります ある人々は非常に 高潔で良くてとても 謙虚ですが 彼らは非常に哀れで 時々抑圧された 生活を送ります それで神がいるなら どのように神の慈悲を 正当化できますか 私達が蒔いたものを 刈るために 輪廻があるはずです 私達はより知的で なければならず 理解を広げて ただその「輪廻」又は 「輪廻しない」言葉に 執着しないで下さい 多くの先生は 異なる方法で その意見と 悟りを表します 分かりますか 昨日既に話したように 奥さんを「ダーリン」 「ハニーパイ」 「シュガーキャンディ」 「スイートハート」と 呼びます 心が甘くなると 想像してみてください

心を味見したことが ありますか スイートハート  あるいは何でも 異なる表現の形です いいですか ある人が言います 「妻をとても 愛している」と これはとても 標準的で 正しく  明確な表現ですが こう言う人もいます 「妻がいなければ 生きていけない」と 分りますか 彼の意味を 理解すべきです 彼は妻を非常に愛して いるという意味です 最初の人が 言ったのと同じです 「妻をとても 愛している」と もう一人は言いました 「妻がいなければ 生きていけない」と またもう一人は「妻と 一日でも別れたら  生活は無意味になる」 と言ったりします 同じことです 皆ラブストーリーに 精通しているのに 聖書は分からないとは 驚きです 多くの人にとっては 恋の表現は 理解できますが  神聖な教えには 馴染みがなく 当惑してしまいます

なぜ 理解できません 同じことです 開悟は修行の 最高の果位ですか イエスキリストは 究極の開悟に達して いないと言われます マスターは 究極の開悟に 達していますか 最高レベルは何ですか 「究極」は 最高の果位のことです 開悟は 究極のレベルを 意味していません 分りますか 開悟は単なる 始まりに過ぎません 完全に開悟して はじめて 究極の レベルになります 開悟には多くの レベルがあります イエスキリストも既に 最高のレベルに達した ことに触れていました 彼は「私と父は一体 です」と言いました 父とは神のことです

神と一体です 彼は神である意味です 最高レベルではない 訳がありますか 冗談でしょう 私が究極の開悟を 得たかどうかは ゆっくり確認すれば いいでしょう 得たと言えば  信じてくれないかも 得ていないと言えば 嘘つきになります こういう質問でしたね 開悟は 究極を意味しますか イエスキリストは 自分は最高レベルに 達していないと言った ことがありますと 三番目の質問で  私に「究極の開悟  最高のレベルに 達したかどうか」を 聞いたのですね それで  これが私の答えです 開悟は最高レベルを 意味していません

開悟には多くの レベルがあり 完全に 開悟して初めて  最高レベルに達したと  言えます 卒業した ことになります それでも 学ぶものは まだまだ多くあります そこは終わりではなく あなたに無尽の宝と 智慧があります 完全に開悟して 止まれるでしょうか 卒業しただけです 医学博士を卒業しても 実践する時 まだ多く 学ばなければ なりません 永遠に学ぶのです でも あなたは 既に卒業をして  医者になっています だから あなたは 仏陀になりキリストの ようになり  仕事を始めるわけです  経験と実践から もっと多く学ぶのです

いいですね 以上最初の質問でした 次は二番目の質問です イエスは最高レベルに 達してないと言ったと どこで言いましたか 「私と父は一体です」 と彼が言ったことしか 覚えていません 「私と神は一体です」 彼が神と一体なら 彼は何でしょうか 彼は何ですか 神です これは最高の果位です 文字にしがみつく のではなく 行間を 読み取るべきです これこそ人々が 戦い合う原因です 宗教間で血まみれの 戦争を始める原因です 言葉はその原因です 他に何もありません 悲しいことです 本当に悲しいことです こんなに無知なレベル まで落ちているとは 分りますか このような 言葉のために  全世界は戦っています

だから ずっと平和を 得られないわけです 兄弟愛を得られない わけです お互い理解し合えない わけです 世界を見てご覧なさい どんな低いレベルに 落ちていますか こんな簡単なことさえ 理解できません 三番目の質問です 私が究極のレベルに 達しているかどうかに 関してです 彼に自分でゆっくり 観察し チェックし 結論を見付けるように アドバイスしました 「はい」と答えたら 信じてもらえません 「いいえ」と答えたら 嘘つきになります これが答えです

イエスキリストは 「私は真理であり 道です」と言いました キリスト教は唯一の 真理だという意味です はいキリスト教徒は 唯一の真理です でも仏教徒も 唯一の真理で 道教徒もまた 唯一の真理です 偉大なマスターが 話す事のみが 唯一の真理です 全宗教が キリスト教徒であり 全宗教が 仏教徒なのです ありがとうございます マスターが 開悟した時 神と一つになります 彼は真理であり 道であり この世の光なのです いいですか あなたも彼のように なることができます だから彼は言いました 「今日私にできた事は あなたは明日更に よくできるだろう」と 彼は「私だけが偉大な 事をなせる」とは 言っていません 仏陀も「宇宙の中で 私が唯一仏陀である」 とは言っていません 彼は「私の前に ガンジス川の砂ほどの 無数の者達がいる 沢山の仏陀です 「私の後にも沢山いる」 と言っています 同じ事です 「私は仏陀になった 皆も仏陀になれる」と 皆平等です

気候緩和費用を 32兆米ドル節約 世界の人々の健康を 回復させる 私達と次世代のために 地球を救う

何を待っていますか

ベジになって エコを実践 地球を救うために

毎年 何百万人もの 気候難民を減らす 災害によって失う 人命を救う 多くの島国を 沈下から救う 多くの海洋を 酸性化と酸欠海域に なることから守る 氷河 湖 河川を 枯渇から守る 国々を 砂漠化から守る 地球の肺を 森林破壊から守る 子供を含め 十億もの市民を 飢餓から救う

 
全ての番組を検索
 
 
一番人気
 道士 柴 鄭 珍の物語 2/2 二〇〇八年九月九日
 指導者の本拠のための吉祥地、世界平和への恩恵 1/2 二〇一一年八月二四日
 私達の未来を守る指導者たち:気候変動の速度と優先事項1/7 英国 二〇一〇年十一月三日
 黄金時代への人類の跳躍 -ワシントンDC気候変動会議 第一部/10  二〇〇九年十一月八日米国
 「子供達の健康と持続可能な地球」済州島国際会議 第一部/8 二〇〇九年九月二一日 韓国 済州島(英語)
 在世の生けるメシア 1/4 米 、ハワイ 一九九四年九月三日
 美しい星への解決法 1/9 二〇〇九年八月十五日 タイ ノンタブリー
 地球の結束:共に生命を救う 第一部/8 二〇〇九年十月三日 香港
 魂の再会 1/3 二〇〇〇年四月二七日 ニュージーランド 、オークランド
 国際人権会議 1/5 一九九四年五月二五日フォルモサ(台湾)台北(中国語)